はろうぃん2020


「独神殿! 儂に菓子をくれるでないぞ!!」
「どうぞ」

独神は巾着の中から取り出した菓子をオダノブナガに渡した。

「いらぬと言ったそばからこれか!」
「失礼。では返して頂けますか」
「いいや。これはこれで献上されてやろう」

綺麗に包装された菓子を豪快に開けると一口で食べてしまった。
包装紙はランマルが素早く受け取る。

「……さて。独神殿。
 とりっくおあとりーと!
 ……ふっ。もう儂への菓子はあるまい。ならば大人しく」
「どうぞ(予備)」
「……ぬ」

天下のオダノブナガであるが、最近は独神相手だとまるで小僧のような浅知恵での戯れが目立つ。
悔しがるオダノブナガにノウヒメは大興奮で声を上げた。

「普段のノブナガ様も素敵だけれど、愛らしいノブナガ様も素敵だわ!!! あ、タマノオヤ丁度良いわ!
 私とノブナガ様と独神様の三人を写してちょうだい!」

気のいいタマノオヤは言われた通りに手提暗箱(てさげかめら)で三人を撮り、すぐさま写真を渡した。

「ありがとう! ってランマルが入ってるじゃない!
 ……まあ、見切れてるし切れば良いわね」

タマノオヤはランマルもどうかと尋ねた。

「わたくしは不要です……ですがせっかくなのでノブナガ様と独神様だけで。
 おノウ様は決っっして入れないで下さい。見切れも結構」
「どういうこと!!」

抗議するノウヒメの声を聞きながら、タマノオヤがもう一度手提暗箱を構えると、
独神は満面の笑みを浮かべ、オダノブナガもまた不敵な笑みを浮かべた。
出来た写真を受け取ったモリランマルは短く声を上げた。

「……モリ家の家宝にします。納棺の際には是非この写真を入れて下さい」
「家宝を埋葬するの?」

無粋なつっこみをするノウヒメをいつも通り無視するモリランマルであった。







「(オリヒメ……本当にこれでいいんだな? これなら頭が喜ぶと……)」

黒いとんがり帽子に、ふりふりのすかあと。
大きな杖を持った魔女っ子すたいるで悪神アマツミカボシが独神の前に現れた。
誰もいない事を念入りに確認しての登場である。
独神に向かって星のすてっきを振るった。

「と。とりっくおあとりーと! おれの、……っ、ま、まほ、魔法にかけられたくなくば、菓子をよこすんだな!」
「っ」

指定された振りを忠実にこなしてみせると、独神は両手で顔を覆い震え出した。
そもそも乗り気で無かったアマツミカボシに更なる羞恥心が襲う。

「チィッ、俺とてこの格好には疑」
「(面白くて)ドキドキしてるから待って! (笑いを)抑えるのにまだ時間かかるわ!」
「なっ(この黒魔術師とかいう衣装は、そんなに頭の心を掴むのか。……オリヒメの言葉は正しかったのか)」
「(おりぼんつけて、ふりるはいっぱいだし、可愛いけれどどうしたんだろう。ふ、ふふ。ふふふふふ)」
「(耳まで赤いがそんなにか? ……衣装一つでこうも反応が変わるとは。
 普段の俺でこうならないのは些か納得がいかんが、まあいい。
 オリヒメには約束通りアメノワカヒコとのでーととやらに協力してやる)」
「(っふ、ふふふはは、可愛いの好きだったんだ。今度アシュラも連れて一緒に服見に行こうかしら)」

※後日、買い物に誘われたアマツミカボシは「思っていたのと違う……」を味わう事になる。







廊下で出会ったライデンに連れられて、独神は広間へ来た。
風がひんやりしている外と違って中は温かい。
暖房がかかっているわけではなく。

あるじ! とりっくおあとりーと! さっそくだがどちらかのちゃんこ鍋を選んでくれ」
「(はろうぃんの意味とは)えっと、どちらかがはずれってこと?」
「片方が美味くて、もう片方も美味いちゃんこだが?」

大真面目な回答にさすがの独神も語気を強めた。

「ライデン! はろうぃんの意味私が教えてあげる! 一年経って忘れちゃったのねでも大丈夫!
 最初から最後まで教えてあげるから! 全部聞くだけではろうぃん免許皆伝よ!」
「そりゃありがたいな! じゃあ、ちゃんこ鍋食いながら聞かせてもらおうか」
「ごっつぁんです!」

ライデンによそってもらい、独神は両方の鍋を交互につついた。
引き戸や襖の隙間から外へと届いた良い香りは他の英傑達を寄せ付ける。
来た者には箸や椀等を配り、鍋の周囲は英傑達でぎゅうぎゅうになっていた。

「~というわけで、お菓子をくれる日とばかり民衆には言い伝えられてしまったけれども、本来は生贄も出てくるような宗教的な儀式なわけで~」
「なあぬし
「ごめん。今説明しているから後で。……っと、どこまで話したっけ。そうそう、」

独神は食事をしながらも、はろうぃんについて己の知る知識をつらつらと語って聞かせた。
寄って来た英傑が独神に話しかけてもその口は止まらない。
これは駄目だと、目の前の鍋を突きながら集まった他の英傑達との談笑に耽った。
ライデンは熱心に語る独神の言葉に、うんうんと頷きながら適宜食事の世話を焼く。

「(ほんと一生懸命おれに伝えてくれてるなあ……。
 主の喋りはいつまでも聞いていられる。
 その声が聞きたくて、はろうぃんを判らないふりなんてしちまったけど……。食べ終わったらちゃんと詫びないとな)」







────数年前のはろうぃん

当時、はろうぃんという祭りは英傑達も初めてだった。
悪戯回避にお菓子を与える。お菓子か悪戯かを迫ってお菓子を貰う。
そんな情報だけが回り、菓子作りをする気になった英傑達が楽し気に喋っているところに、目つきの悪いツチグモが入ってくる。

「おい、その話詳しく聞かせろ」

元々英傑達とあまり関わりを持っていなかったツチグモである。
それが繋がりの薄い英傑達に不躾に言うものだから「ツチグモがガンつけて回っている」と驚かれた。
話しかける前から武器を構えられたのも無理あるまい。

────そして、今年のはろうぃん

「あ、ツチグモ! あのね、今年は鬼が流行ってるから今年のお菓子なら鬼関係よ!」

オイナリサマが当てもなくふらついているツチグモを捉まえて助言した。
八百万界で大人気な神様オイナリサマは流行りには敏感である。

「は? 鬼って菓子じゃねぇだろ……。まあ無難に豆か……豆大福とか」
「それだとダサくない?」
「あ゛あ?」
「だって全然特別じゃないし。それにぬしさんが豆大福食べてるの見て可愛いと思う?? 可愛いけど!」
「問題ねぇじゃねぇか!! まあいい。……ありがとな」
「いいのいいの。今年も頑張ってね~♪」

オイナリサマと別れ、ツチグモは豆豆豆と考えながらまたふらふらと敷地内を徘徊する。

「(今年も頑張れなんざ言ってくれるが、そもそもやる気なんてないんだよ。
 悪戯なんざ餓鬼くせぇことに興味はねぇし、はろうぃんなんてもんにも興味がねぇ。
 ぬしが毎年飽きずにちょっかい出すからこうして菓子だけは用意してるだけで……)」

それでもふらふらと徘徊する事を止めない。
頭の中には思いつく限りの豆がぴょんぴょんと飛び跳ねて踊っている。

「(普段狩りしかしてないってのに、菓子なんて早々思いつくかよ。
 しかも鬼ってなんだよ。天狗が流行ったり鬼が流行ったり……。
 妖は他の奴らの見世物じゃねぇっての。天狗も鬼も浮かれて尻尾ばかり振りやがって)」

今度は最近本殿で騒がしくしている大江山の鬼たちへの文句を言い始めた。
すると。

「あ、ツチグモ。どうしたの?」

柳行李を抱えた独神が話しかけてきた。
考え事に夢中だったツチグモは気配に気づかなかったのでこれには少々驚いた。

「げ」
「げ、というのは私でもなかなか傷つくんですが……。
 ところで難しい顔してるけれど困った事なら手を貸すわよ?」
「いいや。……主は豆菓子は食べるのか」
「食べるわ。豆は炒っただけでも良いし、煮ても良し、潰して良し、餡子も良し、ずんだも良し」
「……餡か…………。そうか。じゃあな」

少し笑みを浮かべたツチグモは背を向けて去って行った。

「なんだったのかしら……?」

独神は少し考えて、ツチグモがはろうぃんにお菓子をくれる事を思い出す。

「(うっかり栗の渋皮煮が好きとか言わなくて良かった)」

※渋皮煮は難易度が高く根気がいる。







「さあ独神様。好きなだけ食べると良いぞ」
「いただきまーす」

はろうぃんに因んで、目の前の料理は南瓜に始まり、橙色の野菜が多く使われている。
ダテマサムネがどうしても独神に食べて欲しいということで、独神だけ別室での食事だ。

「ダテマサムネは家庭的な味が基本なのだけれど、ちゃんとハレの日は豪勢で目を惹くのが良いわよね。
 同じ料理でもその日によって少しずつ味や形が違うから毎日食べられるわ」

感想を簡単に伝え終わると、またすぐ箸を伸ばして口に頬張る。
次々に食べていく独神にマサムネは満足げだ。

「俺の所に嫁に来れば毎日でも食わせてやるぞ」
「……毎日こんな美味しいご飯も良いわよねえ……」
「ん?(今日はやけに好感触だな……。日々胃を掴んでおいた成果がここで)」
「……飲食店を営む英傑のお宅に転々と転がり込む生活もありかしら」
「なしだ! 戦を終えても尚ふらつくつもりか?!」
「えー?」
「まったく独神様は。一所に収まる気がさらさらないのだから困ったものだ」

ふふんと軽く笑ってみせた独神は次の料理を口に運んでいく。
嬉しそうに食事をする独神を、マサムネは頬杖をつきながら観察する。

「(自由過ぎるのも困りものだが。今はまだ仕方あるまい)」

独神は自分の立場を理解しているからこそ、英傑達にすら将来の展望を言わない。
聞く度に違った答えが返ってくる為、真意を知る者は誰もいないだろうと思われる。

「(今はこうした当たり前を積み重ねていく時期だ。派手さだけでは独神様は動かない)」

一芸に秀でている者、器用に何でもこなす者、富を抱える者、誰でも骨抜きに出来る美貌を持つ者等、本殿の英傑達は抜きん出た何かを持つ者達ばかり。
目立とうと躍起になっても生半可なものでは、更に超えた才を持つ者に潰される。
勝負に勝ちたければ、前のめりになり過ぎてはならない。
それがマサムネが本殿で過ごして学んだことだ。

「独神様。おかわりもあるから遠慮なく食べるのだぞ」
「ええ。ありがとう」

独神は突出した能力に惹かれる者ではない。
もっと別のものを提供しなければ評価は上がらない。
別のものとは、何か。
マサムネはこれを「日常」と考えた。
戦のない時代を知らない独神には、ありふれた平和な日常が一番心に染みるのではないかと。
だからマサムネは料理に自信があった事もあり、討伐や遠征のない偶の休日には料理の腕を振るっている。
肩の力が抜けた食事中は、いつもより独神が饒舌なように思う。

「今日ははろうぃんだが、独神様も悪戯してきたのか」
「少しだけ。殆どが防衛戦よ。身の危険を感じるばかりでね……あまり下手な事は出来ないわ」

防衛とやらが上手くいったのであれば、マサムネも胸がすっとする。
敗北した英傑達は自分の様な穏やかな時間を独神とは過ごせなかった事だろう。
と、つい浮かれてしまうが、探りも軽く入れておかねばなるまい。
独神に手を出す者は数多くいるが、少しでも把握しておきたい。

「随分楽しそうだな。中でも面白い者がいたら是非聞かせてもらいたいものだな」
「うーん、そうね……。あ、ヒデヨシが大きいお菓子くれた。選りすぐりの料理人に作らせたって」
「ははっ、ヒデヨシらしいことだ」

────成金趣味。
独神を前にして口にしないが、人族且つある程度地位を持つ者は大抵思っている事だ。
オダノブナガにつきながらも、独神に色目を使うヒデヨシをマサムネは快く思っていなかった。
もしもノブナガと独神が決別したならば、いの一番に切ってやってもいいと思っている。
独神の口からはあまり聞きたくない名の一つだ。
諸々の事が無ければあの派手な趣味嗜好も共感出来るし、嫌いではないのだが。

「あの子はいつも全力だもんね。……だからお菓子が大きすぎちゃって他の子たちに分けたの。
 一人じゃ食べ切れる量じゃなくて……いや、頑張ろうとはしたのよ! でも、駄目だったのよね。
 せっかく私にってくれたものだったのに……」
「いや、その心遣いはきっとヒデヨシにも伝わっているだろう」

良心が咎めたのか眉尻を下げて申し訳なさそうに言う独神であるが、
マサムネはうっかり声に明るさを滲ませてしまうくらい浮かれている。
大きければ大きいほど喜ぶなんて子供か、ガシャドクロくらいのものだと少し考えれば判る事。
なのに己の力を誇示したがるだけの派手好きの失策に、マサムネは笑いが止まらない。

「ごちそうさま。今日もとっても美味しかったわ」

欠片も残さず綺麗に平らげた独神は手を合わせた。
空になった皿がずらりと並ぶのは、作り手としては気分が良い光景だ。

「ねえ、今日の為に試行錯誤してくれたんでしょ? 最近遅くまで厨が明るかったから気になって覗いちゃったの」
「まさか独神様本人に気付かれていたとは……。これは恥ずかしいな」
「ううん。ありがとう。毎回私の為にお料理を考えてくれて」

ただの賛辞が心に染み入る。心が洗われるようだ。

「この程度は造作もない。俺は料理が好きで、もてなすのも好きだからな!」

その中でも独神の事は特別であるが、わざわざ強調はしないでおく。
攻め過ぎると脱兎の如く逃げるからだ。警戒されるとふたりきりの時間を得るのが困難になる。

「ダテマサムネのおもてなしは格別ね。だって全部が全部私の好みの味、組み合わせなんだもの。
 毎回こんなことされていたらそのうち、私の舌があなたの手料理に合わせていく気がするわ」

ずるっ、と顔を支えていた肘が滑った。

「……その賛辞が俺にとって、一番の賞賛だと判って申しているのか……?」
「え、い、いや、思った事を言っただけだったの……。ははっ、胃袋を掴まれるってこういう事ね」

ここまで華麗に決められるとあざとさがある。
狙って言ったような気がしないでもない。
それでも舞い上がる気持ちが抑えられないのは何故なのか。
まさか惚れた弱味などという月並みな事など言うまいな。

「(時間をかけて籠絡するつもりが、こちらの方が先に落城してしまうな)」

内なる感情を押さえつけている間にも、独神はせっせと皿を運んで洗っている。
髪の毛が小さく揺れ動く様を見ながら、いっそ今から青葉城に連れて帰ってしまおうかとぼんやりと思った。







はろうぃん一色の本殿で、面倒くさがり屋のササキコジロウも少しだけその雰囲気を独神と楽しむ。

「とりっくは面倒だから、とりーとだけでいいぞ」
「じゃあお菓子あげる。とりっくは……私が代わりにやってあげる」

よっと、爪先で立って背筋を伸ばす。
普段は決して合う事のない目線がぐんと上がり、ササキコジロウの目の前に独神の顔があった。
たじろいだ。男のくせに胸をときめかせ、僅かに身を固くした。
媚びを含んだ目つきをした独神は、すげなくコジロウの帽子を盗んだ。

「取り返したくば私に追いつく事ね!」

ぶかぶかの白帽を小さな頭に引っ掻けて、独神はちょこまかと走り去っていった。
脱力。
コジロウは動く気力もないほどに脱力した。

「……はあ……また面倒な」

己が抱いた見当はずれの期待が悪いとはいえ、独神の故意犯的行動には腹立ちもする。
その仕返しに、コジロウは独神とは真逆の方向へと歩いていった。



「ササキコジロウ知らない?」

夕食時、英傑達が広間に集まって夕餉を堪能する傍で辺りを見回しているのは独神だ。
歩けばずりおちてくる白い帽子を何度も直しながら、コジロウの居場所を尋ねている。

「面倒だし部屋に投げとけば? コジロウだし気にしねーって」

と、ウラシマタロウが助言するが、独神は頑なに首を振る。

「私を捕まえてくれなきゃ意味がないの。だって悪戯だったのよ?
 なのに一切追いかけてくれないし、今度は見つからないし、慣れない事するんじゃなかったわ。
 こんな悪戯返しがあるなんて……」

はろうぃんのご馳走が着々と冷めていく中、独神は途方に暮れた。



「貴様! 所有欲を見せつけるな! 羨、見苦しいだろ!」

夕食が終わりそのままいつもの宴に流れ込む中、アシヤドウマンはふらっと現れたコジロウに非難を浴びせた。
怒られる意味が判らないコジロウであったが、英傑たちの中に混じった己の白い帽子を見てはたと気づく。

「とりあえず、すまん……? 全く意図していなかった」
「仮装が正式な衣装ではあるが、己の姿を模倣させる思い上がりがこんな身近にいたとはな。見損なったぞ!
 来年はオレの普段着を主人あるじびとに着せてやるからよく覚えておけ!」
「(あの服はまずいだろ)」

憤慨して酒をかっ食らうアシヤドウマンを見て、やれやれとコジロウもまた部屋の端でちびちびと盃を傾ける。
視界の中の独神はチョクボロンの酌を受けて、何杯も酒を飲んでいる。
火照った頬の紅が頭の上の帽子の白さに映える。
大笑いした後は前へずり落ちてくる帽子のつばを持って被り直す。
彼女はコジロウではない誰かに囲まれ、コジロウはここで一人酒。
だが、まるで彼女がすぐ傍にいるようだった。

「(結果としては良かったのか……? ……いや、余計なものまで敵に回したようだな)」

この場には酔いが回った英傑達ばかり。
しかし、先程からちくりちくりと何かが刺さる。

「(結局更なる面倒事を増やしてしまった)」

視線に気付かない振りをしながら酒を流し込む。
視界の彼女がコジロウに気づいた。
揺れる帽子を押さえながら、出来上がりつつある英傑達に詫びながら、転がる酒瓶に注意しながらやってくる。
怒っているようだが口元がすっかり笑っていて、コジロウまで一直線に駆け寄ってきた。
飲み干した酒が今になって回って来たのか、気分が高揚する。

「(いつも追うばかりだからな。追われるのも偶には良い)」







さーて寝ようと思って自室へ向かう途中、なにやらむにっとした冷たくてくちゅっとした何かを踏んだ。

「いやあああああああなめくじいいいい!!!!」

飛び上がって尻もちをつくと、硬いはずの床にねばっとした糸、それにつつつつつとしたこの感触は────

「ムカデエエエエ!!!!!?????」

糸を払いながら部屋の外へと飛び出した。

「ぶはっははははあっ!!!」

その声はロキ!
最低! 最低! 最低! 最低!!!!
はろうぃんは明日なのに!!! 悪戯が早すぎるわよ!!!!
やり返してやらないと気が済まない!!!

どこにいるのかも判らないロキを探して走っていると、何かにぶつかり再度尻もちをつく。
この調子だとお尻が壊れてしまう。……って、そうじゃなくって。

「ごめんなさい。怪我はないかしら。え゛」
「おや、そんなに喜ばれると儂とて照れますね」

当然喜んでいない。厄介な人物に当たってしまった。
だが今の私にはぴったりの相手とも言える。

「テンカイおねがいわたしをたすけてまもってむりむりたすけてくださいおねがいしますおねがいします」
「承知致しました。それで誰からお守りすれば良いのでしょう」
「ロキ。…………あと……それなりにきつくお仕置きして欲しい」
「かしこまりました」

よしっ! 
勝利確定である。
悪神ロキであろうと、テンカイの術はかなり効くらしい。
聞いた話なので嘘情報を掴まされている可能性もあるが、まあその時はその時だ。

テンカイは呪の言葉を紡ぐと、そこそこ近い所からロキの絶叫が聞こえた。
ふふん。いい気味である。私がいつも仕返しをしないと思ってもらったら大間違いだ。

「珍しいですね。ぬし様が儂を頼るとは」
「相手はロキだからね。それに彼が頑丈なのは判っているから」

私だって当然テンカイの実力は知っている。生半可な英傑にこんなこと言えない。
相手がロキだから許可を出せたのだ。

「それで今回の術の対価ですが」
「ええ。なに?」
「腕一本です」
「高!? それはちょっと高すぎやしないかしら……?」

ちらりと視線を飛ばして、価格交渉を始める。

「では胴体部分……ですかね?」
「高いのよ!! それにそれだと結局五体ばらばらに切る羽目になっちゃうじゃない。却下。
 大体さっきのは陣を用いてない術でしょう? 触媒もなかった。大規模でもないのに身体の一部は不釣り合いよ」
「手の内が知られていると些か厄介ですね」

ふっかけるにも程がある。悪徳商人の方が百倍ましだ。

「では、菓子なら宜しいですか?
 勿論儂の為だけに作った物でなければなりませんよ」
「決まりね。あなた用に別に作るわ。……ちょっと遅くなるかもしれないけれど、当日ちゃんと渡すから」
「お待ちしております」

テンカイと別れた私は、見えない所でほっと胸を撫で下ろした。
随分安い対価である。先程とは逆に術に対して対価が軽すぎる。
はろうぃんのお菓子がそんなに欲しかったのだろうか……いや、それはない。
何を考えているのだろう。ろくな事じゃなさそうだが、お礼はしたいのでお菓子はちゃんと作らないと。


「(主様とあわよくばと考える者が多いはろうぃんに、特別に作られた物を儂だけが頂くのを、果たして皆はどう見るでしょうね)」







秋の陸奥の視察を兼ねて、独神はヌラリヒョンと共に遠野を訪れた。
夜間には偶に雪が降る事もあるそうだが、まだ旅人が行き来する事は可能だ。
冬の色が濃くなると奥羽は余所者を寄せ付けなくなってしまう。
その前に冬支度が整っているのかを見回りたかった。
妖に限らず人や神の住まう所にも顔を出したが、少々悪霊が出るからと言って民は冬支度を疎かにしないし、代わり映えのない毎日を丁寧に生きている。
ヌラリヒョンの屋敷がある村では子供たちがはろうぃんの装いで駆け回っていた。

「こんな場所故に文化の伝わりは一層遅いものだが、儂や商人が伝えたのでここでも賑わっておるよ」

八百万界の僻地でありながら、遠野の地は中央に近い村々とそれほど遜色がない。
ヌラリヒョンが討伐の暇を見ては足繁く遠野へ戻り、流行り物や他所で採れる作物を持ち帰っているからだ。
独神が疑問に持ちそうな事を先回りして解説しながら、ヌラリヒョンは目を細めて跳ねまわる子供たちを見ていた。

「子供が楽しめるものは例え異文化であっても積極的に取り入れていくつもりだ」

安心して暮らせない世の中であっても、日々の娯楽は忘れてはいけないとヌラリヒョンは言う。

「ぬらりひょんだぞー」
「たべちゃうぞー!」

黒の洋帽に黒い外套。外で遊ぶ子供たちは似たような恰好をしている。

「あれってあなたの仮装なのね」
「そうしろと儂は教えておらぬが……。ははっ、彼らにとっては儂も化物みたいなものだろう」

黒い布と黒い帽子で出来る手軽さも良いのだろうが、この村の子供にとってはヌラリヒョンは真似をしたいと思わせるだけの人気があるのだろう。
と、独神は思った。

「小さい総大将が沢山いて可愛いじゃない」
「其方にそう言われると、些か面映ゆいな」
「大きな総大将と違って純粋でしょ?」
「違いない」

軽快に笑うと、ヌラリヒョンに気づいた小さな総大将たちが駆け寄ってきた。

「とりっくおあとりーと!」

声をそろえて菓子をせがむ。
独神とヌラリヒョンはそれぞれが持っていた菓子を子供らに渡してやると、礼も中途半端に子供らはさっさと駆けて子供同士で菓子を食らった。
それを見た別の子供たちが、自分たちもと菓子をせびる。
二人はせっせと本殿から持ってきた菓子を配り歩いた。

「……毟り取られた。子供って容赦ないわね」

ヌラリヒョンの邸宅にて、二人は縁側に腰を下ろしていた。
主がいなくとも手入れの行き届いた庭を見ながら、独神は茶をこくこくと呑んでいく。

「子供は純粋だからなあ。欲望には、特に食欲に関しては忠実なのだろうさ」
「そうね」

呑み終えた湯呑を盆の上に置くと、ヌラリヒョンの手が重なった。
動揺して顔を見ると、先程と変わらない微笑がそこにある。

ぬし……とりっくおあとりーと」
「…………へ」
「聞こえなんだか? ならもう一度言っても良いが……倍になってしまうぞ」
「聞こえています! そうじゃなくって」

ぬけぬけと抜かすものだと独神は歯噛みした。

「……もう持ってないよ」
「ああ、それは残念だな」

顔を綻ばすヌラリヒョンから逃げるには遅く、容易く捕まえられてしまう。

「なに。痛みはすぐに馴染む」
「噛むつもりね!! 皆すぐ私を噛んだり刺したりするんだから!!」

供はヌラリヒョン一人。当然ながら遠野には英傑なんぞ一人もいない。
そしてここはヌラリヒョンの棲家でそれなりの敷地があり、村人たちの姿は見えない。
助けの見込みは、ない。

「主が悪いのだよ。絶好の機会で狙いすましたかのように隙を作ってくれるのだからな」
「狙ったわけじゃ」

ゆっくりと端正な顔が近づく。牙が見えた。
犬歯とは違って長く鋭く、獲物に深く突き刺し有効な傷を与える為のもの。

「い、痛いのは嫌」
「じきに好くなる。熱く灼けつく痛みであっても濃密な血の香りを嗅いでいる内に快楽との違いが不明瞭になるものだ」
「最初は痛いって事は否定しないのね。……ねえ……ねえってば!」

押し返せないと判っていても、両手でヌラリヒョンの身体をつくのだが無抵抗と変わらない。
ふわりとした癖毛が耳を撫でた。むず痒さに思わず声を上げる。

「悪戯の度が過ぎるっ!」
「妖ならこの程度じゃれ合いに過ぎん。最も独神は何にも属さぬ。
 つまりは全てに通ずる者とも言える。儂の常識にも適応してもらおうか」
「発想の飛躍!」

屁理屈であっても何かと理由を作りたがるのはそうでなければ動けないからだ。
ただの臆病者。己を捨てきれないから言い訳探しに余念がない。
しかしながら厄介な事に、この老妖は理由さえ得てしまえば、水を得た魚のように思うがままに振舞えてしまう。
よって理由を与えない行動を常に意識する事が必要なのだが、穏やかな村の様子にあてられ独神はすっかり油断した。

「や、めて」
「他の英傑にはさせるのにか。それは通らぬよ」

ここに来て鍵を握るは普段の行い。
独神、正面もそこそこ防御が薄いが、脇がとてつもなく甘い。

「お! ねえちゃん!! どう! した! の!!!」

姿はないがけたたましい子供特有の高音がそこら中であがる。
ヌラリヒョンはさっと独神を放し、何食わぬ顔で湯呑を持つ。

「あ、いた!!!」

庭木の隙間から一人の子供が顔を覗かせると、そこからわらわらと子供たちが集まる。

「独神様の怖い声が聞こえたから、急いで来たの。どうしたの」
「なんにもあらぬ。独神様は長旅でお疲れでな。身体が言う事を聞かぬそうだ」
「なあーんだ。そっかー」
「そういうわけだから、儂の家でもう少し独神様を休ませる。其方らも静かにしておるように」
「はーい」

ヌラリヒョンの言葉を信じ、そのまま素直に去っていく子供たち。
独神の方はまだ状況が理解できていなかった。

「あの。……この辺誰もいなかったわよね。いるならあなただって気づくだろうし。なのにどうして私の声に気づいたの?」
「あの子は耳が良い。獣の数倍の聴力を持つ。最も家屋の内部限定だがな」

壁に耳あり障子に目ありの諺が独神の頭を過った。

「じゃあ、あなたの思惑は失敗ってことね」
「そのようだ。……今回は上手くいったと思ったのだがな」

さほど残念ではなさそうな口ぶりで、ヌラリヒョンは湯呑を傾けた。