出会いの物語-ヒデヨシ-


「頭領さん……ちょっと、いいかしら」

独神が促すと、膝を揃えたチヨメが丁重に引き戸を開け、独神の自室へ入室した。
夜も更けこみ、本殿各地で行われる酒盛りすら終わった頃に現れるのは重要な事があった時のみだ。

「お茶でも淹れましょうか?」
「いえ、すぐに終わるわ」

独神の誘いを断ったチヨメは指先を揃え、すっと頭を下げた。

「手前勝手で申し訳御座いませんが、暫く、本殿を離れたく存じます」

いつもの気安さはなく、一忍としての立ち振る舞い。
普段の独神なら目を大きく広げて、理由を尋ねるだろう。
しかし────。

「そうだろうと思った。いいわ。好きにして」

一つ頷くとすんなりと許可を出した。

「有難う御座います。……ごめんなさい。でも! 頭領さんの事ちゃんと見てるから。だから、安心して」
「私は大丈夫。だから、今はあなたの好きなように動いて」
「……暫く失礼させて頂きます」

もう一度床に頭を付けた後、チヨメは音もなく闇へ消えていった。

「(……五人目か)」

独神は小さく息を吐いた。
チヨメの前に申し出た者は、フウマコタロウ、ハットリハンゾウ、サイゾウ、モモチタンバの四人である。
内容は全て同様。

「ごめんね、独神ちゃんの事は大好きなんだけど、ちょっとね~。
 う~ん、僕も風魔を背負ってる身だからね、ちょ~っと色々と、本当に色々とあってね~。
 ……でも、独神ちゃんを裏切ることは絶対にないから。それは安心していいよ。
 あと、僕がいない間、他の奴とよろしくやったら駄目だよ……なーんてね」

「主(あるじ)、暫く姿を消させてもらう。伊賀衆もな。……心配するな。
 直接ではないかもしれないが、ちゃんと見ている。安心しろ」

「お頭、ハンゾウから話聞いてンだろ。……俺はここに残った方が良いと思うンだけど、ハンゾウと師匠がうるさくって。
 ……忍が減って不安だと思うけどさ、その分他の英傑に守られてくれよな。……出来るだけ、すぐ戻る」

「俺はこの先何があろうとも主(あるじ)殿から離れるつもりはない。……が、暫く主殿の御前には現れない。
 だがいつでも見ている、安心しろ」

と、『ろくな説明もせず姿だけは消す』が五人分である。
一日の間にこれだけ続けば、誰か一人くらいには根掘り葉掘り聞きたい所であるが、相手は忍。誰も口を割るまい。
だが独神はなんとなくその理由は察していた。忍たちが動き出したのは、ある事がきっかけだったからである。

「(いなくても見ている。安心しろと言うのだから、信じて良いのだろうけれど)」

もやもやとしたものを抱えながら、独神は布団の中で目を閉じた。
この戦乱の世で独神が得たものは、目を閉じればどんな悩みを抱えていても寝られるという特技だ。





「おはようございます。独神殿!」

身嗜みを整えたその瞬間、戸の前からヒデヨシの声が聞こえた。
心の準備が出来ていなかった独神はほんの少し身体を震わせ、そっと戸を開いた。

「おはようございます。随分早いのね」
「それは勿論。早起きは三文の徳と申しますからな。独神殿はこのまま朝食で宜しいでしょうか?」
「ええ。あなたは?」
「独神殿がお許し下さるのならば、御相伴に与りと存じまするが」
「勿論。一緒に食べましょう。今日も一日お伽番を宜しくね」
「勿論でございまする! 独神殿のお傍に置いて頂けるとは今日もまた素晴らしい一日ですな!」

食堂へ着くと、いつも通り英傑がわいわいと騒ぎ、ところどころで小競り合いが起きていた。

「独神殿、こちらですぞ!」

喧騒から離れた席には、既に独神の食器が並べられていた。
その脇にはイワナガヒメが割烹着姿で立っている。

「主(ぬし)様。今日は私が作ってみました。……お口に合うと良いのですが」
「大丈夫大丈夫。今日は前よりとても綺麗だもの。焼き目のある卵焼きも好きだけれど、ないものも上品で綺麗ね」

いかに今日の朝食が素晴らしいかと話している間に、ヒデヨシが自分の分の食膳を持ってきた。

「イワナガヒメ殿は料理がお好きなのですかな?」
「え、い、いえ……ただ、上手くなりたいと思ってて。こうやって主様が毎回召し上がってくれるんです」
「なんと! イワナガヒメ殿の愛が詰まった手料理を頂けるとは、独神殿はさぞ幸せでしょうな!」
「へ!? い、いえ……。あ、あのまだ片付けがあるので、後で感想を聞かせて下さいね」

イワナガヒメはそそくさと退散した。

「……拙者、何かお気に障るような事を言ってしましましたか?」
「気にする事はないわ。あなたの事ではないの。……うん」

独神は目を瞑ると、すっと深呼吸した。

「……よし、いただきます」
「拙者も、いただきます」

独神はイワナガヒメが丁寧に丁寧に巻いたであろう卵焼きを一つ掴むと、ひょいと口の中に入れた。
もぐもぐもぐもぐもぐと、一点を見つめて咀嚼すると、大きな音を立てて飲み込んだ。

「……今日はあたりね」
「それはそれは! それほど美味しいとは拙者も頂きたいくらいですな」
「塩しか入っていないわ。多分砂糖を入れようとしてもう一度塩を入れたのね」
「……茶を」
「必要ないわ。……そういうこと出来るだけしたくないの」

今日は塩であるが、時には黒焦げ、時には半生、時には茹ですぎ……。
イワナガヒメの花嫁修行の道は長く険しい。
人一倍不器用ではあるが、努力を怠らず挑戦し続けることで、少しずつだが進歩している。
そんな努力の結晶を水や白米で流し込むことなど到底できるはずがない。
食べられるだけ素晴らしいのだ。
ツクヨミの手料理で何度も死の淵に立ったことのある独神は、そう思っていた。

「これは出過ぎた真似でござった。大変申し訳ない」
「いいの。昨日ここにきたばかりだもの。わからなくて当然よ。あなたが気遣ってくれたその気持ちだけ受け取らせてね」
「独神殿のご厚情には痛み入りますな。しかしながらこのヒデヨシ、新参者と甘えずすぐにお役に立てるよう邁進いたしまする!」

──と、このヒデヨシが、忍たちが姿を消した原因である。

ヒデヨシとはオダノブナガに仕える一英傑であるが、此度は縁あって鶺鴒台より産魂れた。
それだけで独神の仲間である。
しかしながら、勢力間での争いが多い人族は、はい判りましたと簡単に受け入れられない。
オダノブナガと戦った者、対立していた主に仕えていた者等、様々な因縁がある。
伊賀、甲賀、風魔の忍たちは自身が属する流派の情報漏洩を恐れ、またノブナガに仕えるヒデヨシを警戒し姿を消した。


──…………だろう、多分、というのが独神の予想である。





「(独神殿は評判通り、お優しいお方のようだ。しかしまだ七日目。全てを理解するにはまだ時間が必要)」

鶺鴒台より産魂れたヒデヨシに、独神に反抗する意思はない。
しかし、主はオダノブナガであり、自身の望みを叶えるのも独神ではなくノブナガと考えていた。

「(独神殿が持つ人脈、情報は魅力的。ぜひとも手中に……そうでなくとも、懇意にはしておきたいですな)」

昨日一日独神について回り、大体の人となりは理解した。
中立的で知性と品性があり慈悲深く……と、そつがなさ過ぎて特徴がない。英傑たちとは反対に没個性的である。
ノブナガのように強く心を惹くものがない。多数の英傑を率いている割には言動が普通過ぎる。
それで何故多くの英傑が独神を慕うのか理解できない。

「(例えば心を操る呪術を用いているとも考えられよう。独神殿の求心力の秘密……これは探るべきでしょうな)」

独神の秘密を探る為にも、命じられたお伽番としての任を精一杯こなした。
共にいて判った事は、独神は英傑を統べる身でありながら過度の世話は好まず、大抵の事は自分で行う。
拘りが強く、自分で全てを把握したいのか……と思えばそういう訳ではなく
「え……何か……悪い気がして……。……しない?」と、庶民のような事を言う。
悪霊討伐に関しても、全て指示するのではなく、英傑の裁量に任せる事が殆どで、各地の戦を操っているわけではないようだ。
その為か英傑の失態を咎める事がなく、まるで統治者らしくない。
らしくないと言えば、仕える英傑たちもおかしな反応が幾度と見られた。

「(拙者の読み違えでなければあれは嫉妬。ノブナガ様に重用される度に身に受けてきたものであるし、
 野心があれば当然の感情。……であるが、何故憐憫……?)」

ここにいる英傑たちは独神に使われる事を喜ぶ者が多く、
お伽番として独神の手足に使われる事を憐れまれている可能性はなしと考えて良いだろう。
お伽番である事が羨ましいと、直接自分にぼやいた英傑もいたくらいだ。

「(はて。さっぱり判らぬ……。だが、諦める気は毛頭ない!)」

今日も独神から命じられたお遣いを一つ一つこなし、全てが完了した事を報告しようとした時、
独神は見知らぬ英傑の首に手を回して抱き着いていた。その者の肩越しから顔をぱぁっと輝かせた独神が見える。
独神はヒデヨシに気づくと、すとんと飛び降りた。

「おかえりなさい」

同時に、その英傑が振り向いた。

「あ、ヒデヨシは初めてよね。こちらは」
「いえ、既に承知しております。……ええそれはもう」

──伊賀流忍者、モモチタンバ。
ノブナガが屠ったとされる忍である。まさかこんなところに落ち延びていようとは。
これは報告しておいた方が良いだろう。

「主殿、報告は改めて」
「ええ、後でね」

モモチタンバはヒデヨシを一瞥し、気配も残さず消えていった。

「独神殿の元にはモモチタンバ殿もいらっしゃいましたか!
 ジライヤ殿だけでなく、あんな優秀な忍までが仲間とは、いやはや心強いですな」
「ええ、とても助かっているの。モモチタンバは最初の頃からの付き合いで、色々!……色々……色々? お世話になっているわ」

気心が知れた英傑なのだろうが、相手はあのモモチタンバである。
忍になるべくして生を受けたあの者が何故容易くその身を主とはいえ、他人に触れさせるのか。
独神も何故使い捨ての忍に親しみを込めて接するのか、双方の行動はまるで理解できない。
伊賀と言えば、契約第一で、報酬さえ与えれば何でもする忍集団であるというのに。
そういえば、伊賀といえば、ここにはまだいるはずだ。
イザナミ率いる冥府六傑に連なる一人。伊賀衆の組頭──。

「……独神殿は」
「あ、ハットリハンゾウ! うぐっ」

忍術の類か、音もなく唐突に部屋に現れたハットリハンゾウ。
独神は例にもれず、抱き着こうとしたようだが、額を指で押さえつけられて阻まれていた。

「……軽率に抱き着くなといつも言っているだろう」

わざとらしく大げさに呆れてみせたハットリハンゾウは、ここにヒデヨシがいると判っているくせに一目たりとも視線を向けない。
軽んじられているのか、癪に障る。
ならば、こちらの存在を無視出来なくしてやるのが良かろう。

「これはこれはハットリハンゾウ殿。もしやとは思っておりましたが、今はこちらにおられましたか」
「戦あるところに忍あり。当然の事だろ」

にべもない返事だ。肩の猫すら独神の額を肉球で叩く事に忙しく、ヒデヨシの事は眼中にない。

「……大きな問題は起こさなかったようだな、褒美に土産をやろう」
「珍しい! どういう風の吹き回し?」
「フッ、後でな」

これまた跡を残さず消えた。
臣下らしかぬ粗雑な振る舞いでも独神は嬉しそうで、その余韻からなる笑顔は眩しかった。
それはまるで手の届かぬ太陽のようで、少し苛立つ。
けして、立て続けに相手にされなかったからではない。断じてない。

「独神殿は伊賀の忍を随分信用しているんですなあ」
「伊賀かどうかは評価に関係ないわ。流派なんて仲間になった時に初めて知るくらいだもの」
「なんと……」

独神の事を判ってきたとはいえ、あれだけの情報を得られる環境でありながらそもそも下調べすらしないのか。
自分以外の忍なんて基本的に隠密が主で、契約者を裏切り寝返った話など巷に溢れている。
それでどうしてまあこんなに無知で無防備でいられるのか。戦乱の中で一勢力を纏める者とは到底思えない軽率さだ。

「ここには他の流派も在籍していましょう……例えば、甲賀、とか」
「ええ。いるわよ。商売敵だから、本人たちは気に入らない事も多々あるだろうけれど、
 ここでの私闘は禁じているし、今まで支障をきたした事も無いわ」

益々判らない。
器が広いのか。それとも無策で無謀なのか。
ノブナガも斬新な考えを持っていたが、独神とは全く違う。寧ろ同列に語るべきではないように思える。
この統治者に有るまじき緩さはなんなのか。性善説を信じ切っているのか。

「……ふふ。あはは」

突然、独神は無遠慮に噴き出した。

「拙者の質問はおかしかったですかな?」
「あ、ごめんなさい、つい。……あのね、考え過ぎない方が良いわよ」

これも独神殿に仕えるためには必要なこと……などと普段ならもっともらしく言うものだが、
独神の声色がこちらの全て見透かしているように聞こえて、大人しく口を噤んだ。

「私は人族ではないし、妖族でも、ましてや神族でもないわ。だから種族内での関係性には殆ど関心がないの。
 だから、流派による優劣はないし、あなたがオダノブナガを主としていることも気にならないわ」

ノブナガとの関係について、独神に言及されたのは初めてである。

「独神と英傑は主従にあらず。勿論私とあなたもそう。だからどう振舞おうとも自由よ。
 私がここで禁じるのは私闘と、不用意に物を壊す事、食べ物を粗末にする事、私の与り知らぬ所で死ぬこと。
 ……改めて口にすると結構規則があるわね」

ふふっと軽やかに笑う。
規則と言うが、これでは拘束力は無きに等しい。敢えて手綱を握らないことが、英傑をまとめる秘訣か。
実際これで自分もノブナガに関して隠匿する必要がなくなり解放感がある。

「……独神殿は不思議なお方ですな」
「随分包んだ言い方ね。好きに言ってくれて良いのよ」
「口から勝手に突いて出るほど、まだまだ独神殿の事は判らず仕舞いでしてな。
 もうしばらくお隣に控えさせて頂ければ、七日七夜と語り続ける事でしょう」
「じゃあもう暫く傍にいて。あなたが望むなら」

このままいればわかるだろうか。
独神の考えも、英傑たちの視線の意味も、忍に抱き着く瞬間に抱いた違和感も。





空を仰ぐも光はおぼろで、月はうとうとしているようだ。
独神の部屋では有明行燈が柔く光り、人の首がふわりと浮かんでいる。
その一つに、独神は抱き着いた。

「チヨメ! 久しぶり。大丈夫? 怪我してない?」
「勿論よ。このチヨメさんが頭領さんを悲しませるような下手を打つわけないじゃない」

じゃれる独神の頭を撫でまわす。扱いが動物のそれである。

「独神ちゃーん、僕も僕も」

フウマコタロウは両手を広げるが、独神はにこりと笑むだけで近づかない。

「アンタが放してくれないと独神ちゃんがこっちに来れないんだけど?」
「あらあらごめんなさい。でも頭領さんはアタシと離れたくないみたい」
「甲賀者も大概面倒くさいね」
「風魔こそ、余計な事をするのはやめてもらいたいわね」

双方笑顔のままではあるが、ぴりっと空気が張り詰める。

「待て待て、そういうのは他所でやれよな。な、お頭」

サイゾウの言葉に頷くと、二人は大人しくなった。
この場にいる忍は三人の他に、モモチタンバとハットリハンゾウ。
数日間本殿から離れていた者達に独神は居直り、言った。

「またここでみんなの顔が見られてとても嬉しいわ。もしかして……なんて考えてたから。
 戻ってきてくれて、本当にありがとう。
 さて。誰一人私に説明してくれなかったけれど、そろそろ教えて下さるのかしら?」

一人一人に視線を向けると、口々に主張し始めた。

「主(あるじ)の耳に入れる必要のない事だ」
「独神ちゃんの耳に雑音を入れるわけにはいかないなぁ」
「ま、戻ってきたんだから良いンじゃねえの?」
「主(あるじ)殿が言えと命令するならば従わざるを得ないがな」
「乙女の秘密」

言う気は全くないらしい。独神は呆れたが、軽い気持ちで聞くなという警告を素直に聞くことにした。

「それより、頭領さんはヒデヨシの事、どう思った?」
「良い人だと思うわ。可愛いと思う」

今度は忍達が呆れる番だった。

「お頭の"良い人"ほど言葉通りに受け取れねえもンもねえな」
「アタシは頭領さんがそう言うならいいけど……」
「大丈夫大丈夫。一緒に居て楽しいもの」

普段軽口が多いフウマコタロウすら苦笑いを浮かべるだけで、残り二人は何も表情に見せなかった。
揃って否定的な反応という事は、ここ数日でヒデヨシについて調べた結果、忍達はヒデヨシは危険であると結論付けたのだろう。
討つべきとまで思っているのかもしれない。

「……みんなは、そういう考えなのね」

と、独神は確認した。

「僕は独神ちゃんに従うだけだよ。伊賀と甲賀は知らないけどねー」

自身の考えはどうあれ、風魔は独神の決定に従う事を一早く表明した。

「アタシも頭領さんに従うわ。……サルトビサスケは知らないけど」

甲賀としての決定はないようだ。
チヨメは聞いているか判らないが、サルトビサスケは既に独神に自分の意を伝えている。
ヒデヨシは危険だが利用価値がある。独神の身は必ず守るから傍に置いた方が良い、と。
八傑であるジライヤは独神に口出しせず、オロチマル、ツナデヒメも同様であった。
伊賀の三人は目の前に居ながら何も言わないが、多分誰もいない時に端的に教えてくれるのだろう。
サイゾウだけは全部教えてくれるだろうが。

「それぞれ意見があるんでしょうが、私はヒデヨシを信じます」
「お頭は誰に対してもそう言ってンじゃねえか……」

八百万界を救う使命を受けた独神が八百万界に住む民を選別、区別することはない。
その事で英傑たちとは何度も意見がぶつかり、最終的には英傑たちが折れている。

「(……実際に周囲に目を光らせて、常時気を張って守ってくれるのはみんなで、
 負担をかけている現実を判っていないわけじゃないけれど……。
 独神の私が民の思想や素行程度で切り捨てる事は八百万界のためにならない)」

何度死にかけようと、誰かを信じることはやめない。
そんな主と知っている忍たちは、何度も溜息をつきながらついてきてくれる。

「好きにしろ。但し考えが変わった時は必ず言え」

ハットリハンゾウの言葉に全員が小さく頷いた。

「判った。……予定はないけれど、もしもの時は必ず伝えます」

忍たちは無駄になる可能性の高い情報の為に奔走したことだろう。
その労力に報いないと決めたのだから、独神としてやるべき事ををやらねばなるまい。
だがその前に。

「そういえばお土産って何?」

普段こんな気の利いた事をしないハットリハンゾウがどんなものを土産に選ぶのか純粋に興味があった。
予想は甘味だ。ハットリハンゾウは意外と甘いものが好きなのと、独神は甘味を頂くことが多く、
それに倣うのではないかと思ったからだ。

「土産は勿論ヒデヨシ周辺の情報だ。再起不能なまでに叩き潰せるだけのものは得ている」
「……そう。……ありがとう」

若干得意げに言っているところ申し訳ないが、思わず本音が声色に出た。

「何を期待したんだ」
「別に。そっかー、と思っただけよ」

ハットリハンゾウの行動は忍として正しい。正しいが独神の期待とは違った。
すると今度はチヨメが両の手をぱんと合わせて、懐から小袋を取り出した。

「アタシからも頭領さんへお土産があるの。ふふっ、都でこれから流行る装飾品よ。ナリカマに頼まれていくつか入手したの。
 頭領さんはこの中から好きなものを選んでいいわよ。……そ、それともアタシが見立てても……良いかしら?」
「勿論!」

ナリカマの依頼と言うのは気になるが、大方金儲けの事だろうから気にしないことにした。
なかなか見る機会のない装飾品の数々に心が躍った。
独神という立場上着飾る事は無いが、こうやって誰かと話しながら自分を飾る時は、自分の責務を少し忘れさせてくれる。
それを判って見せてくれたチヨメの心遣いが嬉しかった。
……あとは、その前に少し気分が下がっていたのもそれなりに影響があるかもしれない。

「主殿の前では、あのハットリハンゾウが形無しだな」
「タンバ、うるさいぞ」





お伽番となって早三週間。
すっかり独神との生活が身体に馴染んできた。
朝に好む茶の銘柄、衣装箪笥の中身、触れてはならない柳行李、書き仕事に飽きてきた表情、好きな茶菓子、遠慮しつつも断らせない押しの強さ、金銭に関する事柄のどんぶり加減、叱られる事を嫌って逃げる時の目の動き、楽しくて笑う時と企みで笑う時の違い。
過ごす時間が増えれば増えるほど、独神の情報が溜まっていく。

「商い好きなのね。それなら、ここの村の桃良いわよ。安定供給出来ているし、糖度も安定しているから。
 まだそれほど名は知れ渡ってないから、販路を抑えておくと良いわ。
 ……ちょっと都から遠いから、運搬方法はよく考えないと駄目ね。桃って傷みやすいし」
「そんなことまで拙者に教えて大丈夫ですかな?」
「人道に反しないのであればなんでも利用していいわよ。……こういうのはお伽番の特権ね。興味がある子は結構稼ぐわ」
「ほほう。それは拙者も浮足立ってしまいますな! 負けていられませぬ!」

「色々と頼んで申し訳ないが、こちらも用意してはもらえぬだろうか」
「ええ。……ですがこれならば他の物の方が確実に入手できますよ」
「いや、それが良いのでござる。ああ、無理しなくてよいですぞ。
 ……独神殿の為ではあるが、自分のせいで誰かが無理をすることは望まぬお方ですからな」

「あ、ヒデヨシ! 美味しい氷貰ったの!! 食べるわよね? あと西瓜も! 梨も頂いたの!
 今みんなの分切っているから、すぐ来てちょうだい。
 ……え? 仕事なんて後で一気に終わらせるから大丈夫よ。あなたといると捗るから平気平気」

「拙者に討伐してもらいたい? 勿論喜んで行かせて頂きますぞ。では指示を。……拙者の判断で良いのですか。
 ……承知致しました。拙者に任せてくれた独神殿の為にも必ずや吉報を届けましょうぞ!」

「ヒデヨシは本当に物覚えが良くて楽しいわ。
 それに何にでも興味を持ってくれるから、つい話過ぎてしまうわね。ふふ、ごめんなさいね」

独神との生活がこんなものだとは、三週間前の自分は思いもしなかった。
傍に居るだけで、数多の知識が得られ、八百万界各地の情勢も把握できる。
それに、穏やかな独神の傍は居心地がよく、褒められることもまた、嬉しく。
本殿に集う英傑たちも個性豊かで学ぶことは多く、腕試しにも事欠かない。
ここでは、得られるものが多すぎる。何もかも行おうとすると身体がいくつあっても足りない。
ここに来ることが出来たのはこの上なく幸運である。不満など勿論ない。
……それなのに、偶にひどく落ち着かないのは、何故か。

「あら、フツヌシ。見回りお疲れ様」

討伐、遠征、見回り等独神殿は様々な報告を受ける。
入れ替わり立ち代わり英傑が現れてくれるお陰で、動かずとも観察が出来てこちらとしては好都合だ。

「今日も悪霊が多かったよ。しかし兄弟があまりにも頑張るものだから、私は殆ど何もやらずに済んだがね」
「タケミカヅチには後でお礼を言うわね。あなたもありがとう」
「おや、怠け者の私にもお礼を言ってくれるのか」
「本物の怠け者が傷なんて作るはずないじゃない」
「おやおや、知られてしまったか」
「そういう子供みたいな試し行動は止めなさいな。手当するからちょっと座って」

独神が動く前に、治療道具を隣に置くと「ありがとう」と礼を言われた。
フツヌシの傷はヒデヨシが見た限り深い。どう見ても正面からやりあった傷で、背を向けた者には出来ないものである。

「……結構深いのね」
「そうでもないよ。人族なら平気じゃないかもしれないがね」
「いくらあなたが頑丈だからって過信は駄目よ。……最近悪霊側だって力が増してるんだから」
「そんなに真剣に見つめられると、また怪我の一つや二つ増やしたくなるものだな」
「…………。ヒデヨシ、傷口に塗られて一番痛いものは何?」
「塩や酸ですかな」
「ははっ、主の愛は少々刺激が過ぎるね」

冗談は口だけで、独神は慣れた手つきで丁寧に治療を行う。
悪霊が黒船から現れて随分経つ。ここにいる英傑たちも幾度となく血を流し、その度に独神が治療し、上達してしまったのだろう。
医療を専門とする者は本殿にも何人かいるが、彼らばかりを頼って済む程、負傷者が少なくないのだと思われる。

「終わり。……今日はしっかり食べて、しっかり寝るのよ」
「まるで母上のようだね」
「あなたみたいな息子がいたら、心労で倒れそうよ」
「ふむ。では私が母になろうか。少しじっとしていなさい」

フツヌシは両手を伸ばすと、独神の髪の乱れを直し、襟元に手を伸ばした。
独神は首や鎖骨に触れられる事を嫌がるどころか、躊躇いもなく好きにさせている。
襟元が綺麗に決まり、指先がどこかへ向かう前に、堪らず声をかけた。

「フツヌシ殿心配ご無用でござる。あとはお伽番であるこのヒデヨシにお任せ下され」

独神は小さく頷き、治療箱を持って立ち上がった。

「ふふ。そんなに慌てなくとも良いじゃないか。それとも、貴殿に何か不都合でも?」

見透かしたような目。いや、これは試されているだけで慌てる必要はないと見た。

「お伽番に任命して頂いたからには、最大限奉仕せねばなりませぬからな!
 他の者の手を煩わせるなどといった失態は即座に払拭せねばなりませぬ」

お伽番として当然のこと、と胸を張ると、独神は小さく笑った。

「そんなに肩に力入れなくてもいいのよ。ねえ?」
「ん? 私だって真面目だよ。いつも真剣に主の転がし方を考えている」
「……ヒデヨシの爪の垢でも煎じて飲みなさいな」
「主の爪なら、いや指ごと舐めてみせるんだがね」
「あ、もういいです。あとはタケミカヅチに遊んでもらって。
 それと! カグツチで遊ばないこと! また火事になったのよ!」
「そう言われると益々……ああ、わかったわかった、部屋で少し休むことにするよ。一人で」
「寂しいなら後で訪ねてあげるから。本当に……ちゃんと休んで」

フツヌシが部屋から出て行った途端、独神は大きな溜息をついた。

「……疲れた」
「では茶でも淹れましょうぞ」
「お願い」

独神が飲みやすいよう少しぬるめに淹れると、思った通り一気にあおった。

「フツヌシはすぐにふざけるから、真向から相手にすると疲れるのよね」

他人に愚痴をこぼせる程、独神にとってフツヌシは気安い相手なのだろう。
軍神であるタケミカヅチと肩を並べるフツヌシもまた、付き合いが長いのだと独神は言っていた。
なるほどと思っていたが、最近はその事を考えると気がそぞろになる。

「あ、イヌガミだわ! 討伐から帰ってきたみたいだから行ってくる。いない間お願いね!」
「ご安心を。このヒデヨシに任せて下され!」

独神は忙しい。英傑は多数いれど、一人ひとりとはなかなか時間が取れない。
どれだけ独神と付き合いが長かろうとも、それだけは平等だ。お伽番以外は。
今の独神の共に過ごせるのはヒデヨシだけ。明日も、明後日も。引き続き傍に控えるのだ。

「ただいま。気付いたら血だらけになってしまったわ……」
「お召し物の用意は出来ていますぞ。ささっ、お部屋にて」
「あなたって本当に優秀ね。よく見てるし、よく考えて……尊敬するわ」
「お褒めに預かり光栄でございまする」

執務室の隣にある独神の自室へ、独神が入るとすぐに衣擦れの音がした。
着替えが済めば、また書き物へと戻るだろう。
机上を整理し、イヌガミが多分じゃれついた時に付着したであろう砂を外へ掃き出す。
これで準備は良い。気分良く仕事に励めるだろう。
ちょうどよく独神が着替えを終えた。

「……抜かりないわね」
「何のことですかな」
「そういうところよ」

独神はすとんと座布団に座った。

「……あなたはもう、お伽番を交代して大丈夫そうね」

唐突も唐突。
あまりに突然すぎる退任命令に面食らった。

「っ、それは拙者では不足だったという事でございましょうか!? 至らぬ点ははっきりと申して下され!」
「え、全然違うわよ。ふふ、そんなに慌てないで。
 お伽番はそもそも一定期間で交代しているの。
 私自身、なかなか皆との時間を取れないし、今世の中がどういう状態なのかを知ってもらうためにもね。
 それにここに居続けると私以外と関わる機会が減ってしまうでしょ。だから、交代制なの」

言い分は理解できるが、何もこんな突然言わなくとも良いではないか。
と、言いたいところだが、忠臣を目指すならばそんな口答えをすべきではない。
さっきはつい取り乱してしまったが、落ち着かなければ。

「そうでござったか。そこまで考えが至らず、申し訳ない。……それで次は誰が?」
「来たばかりの二人。ホクサイか、ホウオウなんだけれど……。どちらも一筋縄ではいかない……でしょうね」

その割には楽しそうに見える。

「ホクサイは絵の都合を聞いて……駄目ならホウオウかしら。私を見定めると言ってたからお願いしたらやってくれそう。
 駄目でも色々手はあるわ。……ふふふふ」

────興味が薄れた、という事だろうか。
独神はもう次の者の事を考えている。ヒデヨシの事なんてまるで見えていないようだ。

「(いやいや、上に立つ者として独神殿は正しい。これでは拙者がただいじけているだけではないか)」
「ヒデヨシ……?」
「っ、独神殿、どうかなされましたか?」
「いえ。気になる事があるなら、明日も一緒にいるけれど、大丈夫?」

大丈夫か、大丈夫じゃないかと聞かれたら。有能な部下が言うべきことは一つ。

「既にこの本殿の事は把握しております故、何の心配もいりませぬ!」
「それなら良いの。お伽番じゃないと言っても、生活は変わらないわ。
 あなたにお願いできそうな事は沢山あるし、あなたに興味を持った子も多いし。
 ……まぁ、悪い意味で興味を持っている子も多いわけだけれど、そこはあまり気にしない方が良いわね」

忍の一部がヒデヨシを監視しているのはとうに気づいている。
ヒデヨシが持つ財や臣下、領民まで全部調べ上げられた事だろう。
だが、無駄である。たかが三週間やそこら調べられたところで、己が討たれる事はないと自負していた。

────今はそんな事どうでもいいのだ。

お伽番でなくなるというのは、独神との接触が大幅に減少する事であり、それをなんとかする事がよっぽど重要である。
独神には貢ぎ物も殆ど効果がなく、労わった所で他の英傑も同様に労わるので印象付ける事が難しい。
悪霊討伐も、これだけの英傑がいては抜きんでる事は正攻法では困難である。

「……あのね、興味なんて言葉で濁したけれど、本当は監視なの。
 あなたの事を信用できないと思う子が多くて。
 私は必要ないと思っているけれど、あなたに害がない事を納得してもらうなら、ここで止めない方が良いとも思っているの」
「独神殿は拙者を信じて下さるのですか?」
「ええ。だって、あなた”良い人”だもの」

オダノブナガとの繋がりを知っていて、忍が警戒するほどの自分を信じると言って笑っている。
きっと嘘ではない。それが判る程度には共に過ごした。

「ならば構いませぬ。どんな状況でも周囲の信頼を勝ち得てきた拙者の力、ここでも発揮致しましょう」

下層民と蔑まれる地位から、身一つでのし上がりノブナガに重用された。
同じことをここでやるだけの話である。

「……ごめんなさい」

忍の行動は今の世では当然であり、鬱陶しいがそれだけである。
独神に謝らせ、顔を曇らせてしまうのは忍びない。

「お気に召されるな。……いや、それなら、堺港に発着する大陸船の一つを拙者も利用させて頂けるなら帳消しという事に致しましょうぞ」
「それって今朝の……あなたって、本当に目が早いわね……。紹介までしか出来ないけれど、それで良いのなら」
「十分ですぞ! 有難うございます、独神殿。だからもうそんな顔をせず笑っていて下され」

と、ヒデヨシがいうと、頭の上にぽんと手のひらが乗せられ、髪の流れに沿って緩やかに滑っていく。
数度繰り返すと、独神は声をあげた。

「っ、しまっ! ごめんなさい。つい手が出ちゃって……」
「あ、い、いえ……」

思わず言い淀む。
誰かに触れるところは何度も見たが、自分が触られる事は初めてだった。

「ま、まぁ、ここにいるとよくある事だから。……慣れて。ははっ」

笑って誤魔化す独神に頷いた。

「あ、拙者、ゲンシン殿に頼んでいた作況指数の進捗を聞いて参りまする」
「お願いします。ついでに、アマノジャクに見回りしないでってお願いして、見回りしてもらって」
「承知。拙者の話術で、意地でも行きたくなるように誘導してみせましょうぞ!」

部屋を出て、胸中で小さく息を吐いた。

「(冷静にならねば。……)」

努めていなければ顔から火を噴いてしまいそうである。独神は気安すぎる。
嫌いではないがこちらの身がもたない。

「(今日は兎にも角にも務めを果たす。明日からは自由の身。よって独神殿の覚えを良くするためには何か策を……)」

改めて、明日お伽番の任が解かれる事に寂寥感がふつふつと湧いてくる。
何が変わるでもないと独神は言っていたが、常に独神が傍に居ると居ないでは、世界すら変わってしまうような錯覚を起こさせる。

「(随分と絆されてしまいましたな……。今なら他の者たちが拙者を憐れんでいた理由が判りますぞ)」

独神といればいるほど、知れば知るほど、底なしの沼に沈んでいく。
圧倒的な力で惹きつけるノブナガとは違い、じわじわと浸食してくるのが独神だ。
ただの有益な情報源だと利用していたのに、気づいた時には心が縛られ自由は失われていた。
英傑は数いれど、独神は一人だけ。
ほんの少し会話したいという子供じみた単純な望みでさえ、早々叶わない。
あれだけ傍に居なければ、こんなこと一切考えずにいられたのに。

「(明日からは拙者も同じ土俵に立つ。一層励まねばなるまいて)」