アマツミカボシと過ごすxx日-1-


「っ!!!」

私ははっと飛び起きた。
心臓がばくばくと胸を叩き、額を拭えばべったりと脂汗が付着する。
嫌な夢を見た……気がする。

まだ外は薄明《はくめい》を迎えたばかりで、このまま二度寝するのも悪くない。
しかし、抱える仕事の数々を思えばそうもいかず、蒲団から出る事にした。
夢見のせいか身体は怠いが、冷え切った服に腕を通せば直ちに目を覚ます。

少しかじかんだ手をさすりながら、私は執務室へ移動し机に向かった。
この時間はとても静かだ。
誰の声も聞こえない。小鳥でさえも。
百何十人といる本殿で、起きているのは私だけ。
それはまるで、世界に私だけが生きているような錯覚を覚える。
しかし、感傷に浸っている暇などない。
英傑たちが円滑に討伐へ取り組めるよう、事前の準備をしっかりとしなくては。
頭を切り替え、一向に減らない執務へと取り組んでいく。
夢中で進めていると、外から英傑たちの声が聞こえるようになってきた。
外から漏れる太陽の光が強まり、しんと冷えていた身体も次第にぽかぽかと熱を持つ。

「……!」

障子に映る影法師が大きくなるにつれ口角が上がっていく自分がいる。

「入るぞ」
「どうぞ」

アマツミカボシが不満げな顔で現れるのは、もう日課のようなものだ。

「おはよう。元気?」
「……ああ」

私はやっていた作業を手早く片付ける。その間アマツミカボシは何も言わずに待っている。
本人に言うと「貴様を待つはずがなかろう」と否定されてしまうだろうが。
片付けを終え、朝食の為に広間へ向かえば、黙って後ろをついてくる。
隣に並んでくれた事は一度もない。
食事の際にも、やはり一つ席を空けて座る。
最近は、周囲もアマツミカボシに慣れてきたのか、この空いた席に誰かが座る事が増えてきた。

「えー! 今日はうちと見回りじゃないん?」

ミシャグジが大盛りご飯を片手に、隣に座るアマツミカボシに詰め寄った。

「俺は一度も貴様と共に見回った事などない」
「一昨日一緒やったやん」
「あれは貴様が勝手についてきていただけだろう」
「なあなあ、主《あるじ》様はうちと二人でって頼んだやろ?」

アマツミカボシの反対に座る私に話を振った。

「うん。頼んだ(かも)」
「ほらな。うちと一緒やん!」
「俺は了承した覚えなど一度もない!」

会話の波に呑まれて、大人数で話す事もしばしばある。
アマツミカボシは素っ気ない態度を崩さないが、それでも以前よりはずっと表情が柔らかくなった。
引き結んだ口元が少しずつ綻び、眉間の皺がしきりに増減する。
そんなアマツミカボシの変化を、私は心から嬉しく思っている。
けれど、──少し寂しいと思ってしまうのも本音だ。
私と彼の間に、ぽつんと空いた余白を共有していたのは私だけだったのに、なんて。
冗談だ。

私は黙々と食事を終えると、すぐに食器を片付けに行った。
先程座っていた場所に目をやると、アマツミカボシはミシャグジと、そして後から来たミツクニと話している。
皆が楽しそうでなによりだ。

執務室へ帰ると、お伽番のサンキボウが笑って迎えてくれた。

「おはよう、主《あるじ》サン! 今日もちゃんと飯食ったみたいだな。えらいえらい」

両手でわしゃわしゃと頭を撫でられる。

「そんな褒めなくたって、ご飯くらいちゃんと食べられるよ」
「じゃあ、アマツミカボシに迎えに来てもらわなくても食べるって言えるか?」

押し黙ると、サンキボウはごめんと言って笑った。

「さあて、じゃあ今日も頑張るとすっか」

サンキボウは数いる英傑の中で一番多くお伽番を務めている英傑だ。
得意なのは戦闘で、書類仕事や政治、商売にはあまり向いていない。
だが誰かを呼んだり、近隣の様子を見てもらったりと、ちょっとした用足しは背中の翼で難なくこなす。
と言っておきながら一番助かっている事は、傍に置くと私の気持ちが明るくなる事だ。

「ははっ、やったな! 今年はかなり収穫出来たってよ!
 本殿にも収穫物送るってさ。楽しみだな!」

いつも真面目で、優しくて、真っ直ぐで。
こんな子が幸せな日々を送れるように、もっと頑張ろうと思う。

「ん? ……なあ主サン、これ、どうする?」

眉を顰めたサンキボウは山積みになった手紙の一つを私に手渡した。
差出人を見て、冷汗がどっと噴き出した。

「……しまった……忘れてた……。どうしよう……」

今日中に終わらせなければならないものだが、今からやった所で間に合うかどうか判らない。
それに、今日が締め切りの案件は他にもある。
胃の辺りに石でも押し込まれたかのような重量が生じる中、サンキボウは子供に諭すように言った。

「俺が他のヤツらに声をかけて頼んでくる。だから主サンは気にしなくていい。な?」

そうは言っても。
ぶくぶくと焦りで溺れそうになる。私が悪いのだから自分で始末をつけなければ。

「大丈夫だって。この俺に任せなさいって!」

でも、と言う前に、背中の翼を広げて木枯らしのように飛んで行ってしまった。
どうしよう。自分のせいなのに、後始末を他人にさせるなんて。
だが悩む時間もない。締め切りが早いものから片付けてしまわないと。
一つ一つ処理しながらも、頭の半分はずっとサンキボウが持って行った仕事の事を考えていた。
締めきり順、作業工程が多い順に仕分けていたのに、失敗してしまった。
管理できていない私が悪い。もっとよく確認をしていればこんなことには。
集中しきれぬまま作業を続けていると、アマツミカボシが部屋にやってきた。
討伐の報告がつるつると耳を流れていく。

「……随分な顔だな」

報告を終えたアマツミカボシは見下ろしながら言った。

「そんなことないよ」

表に出してはいけない。関係ない英傑に心配をかけてはいけない。
私は忙しなく動いてみせた。

「余計な配慮は不要だ。さっさと言え」

詰め寄られたところで、素直には言いづらい。
無関係な他人に説明した所でどうしようもない事だ。
それに、アマツミカボシにこんな事を言えば、きつい一言が返ってくるのは明らかだ。
私が言い淀んでいる間、アマツミカボシはあの意志の強い瞳で容赦なく睨んでくる。
折れる様子はない。時間の無駄でしかないが仕方なく教える事にした。

「締め切り……私が忘れてて。
 始末をつける前にサンキボウがなんとかするって持って行ったの。
 だから、それを待っている間落ち着かなくて……自分の尻拭いをさせて申し訳ないなって……その……それだけ、なの。
 ほら、なんともないことだったでしょ」

本当にな。
と、冷ややかに言われるのかと構えた。
下らない事にくよくよする暇があるのかと怒るのかもしれない。
目を逸らしてその一言を待っていると、アマツミカボシは小さく息を漏らした。

「自分からやると言ったのだろう。なら、貴様が気にする必要はない」

言葉にはいつものとげがなく、まあるい形をしていた。

「そう、かな……」

他のひとに言われたお陰で少しだけ落ち着きを取り戻した。

「主サンただいま!」
「サンキボウ! あの、さっきのは……?」
「勿論なんとかなったぜ!」
「ありがとう!」

サンキボウの両手を取り、きゃーきゃー騒いでいると、いつの間にかアマツミカボシはいなくなっていた。

「さっきまでいたのに」

大丈夫だったよ、ありがとうと伝えたかった。

「主サンはアマツミカボシにご執心だな」

遠回しに批判するような言葉には少々驚いた。

「そんな風に見える?」
「んー……まあな。
 あいつは他の神族と仲悪いみたいだし、主サンが気にするのは当然なんだよな。
 けど、それにしては気に掛け過ぎてるっぽいから」

”えこひいき”に見えた、という事だろうか。

「ほら主サンは優しいから、相手を心配しすぎちまうだろ?」

困ったように笑うサンキボウに私はひどく申し訳ない気持ちになった。

「心配かけてごめんね」
「あ、いや、そうじゃなくてさ……」

きまりが悪そうに頭を掻いている。私もまた気まずかった。
今日は余計なことばかり言ってしまう。

「ごめん!
 俺はただ主サンにこれ以上負担かかんないで欲しいっつーだけ!
 ま、全部忘れてくれ。それより、どんどん仕事を潰していこうぜ!」

先程とは一転、明るい声を張り上げたサンキボウは山積みの手紙に手を突っ込んで仕分け始めた。
私もそれにつられて机に向かう。
こうやって、サンキボウはよく気遣ってくれる。
立派な独神でなくて申し訳ない。
もっとしっかりしなくちゃ。
もっとしっかり……もっと……もっと……。

でも、しっかりって、なにをどうすればいいのだろう。