アマツミカボシと過ごしたかったxxx日


 七月七日。早朝から澄み切った青空が広がっていた。
 今夜は天の川が美しく見えるに違いないと、英傑達が声を弾ませている。
 星を司る神、アマツミカボシは廊下を大股で闊歩していた。
 おはようと声をかけてくる英傑にそっけなくも挨拶を返しながら向かったのは独神の執務室。

 ────大嫌い

 何度も何度も、繰り返し頭の中で響いていた。
 涙を浮かべながら笑みを湛えて言ったその言葉がこびり付いて離れない。

(あの馬鹿はまたごちゃごちゃと余計な事ばかり考えたあげくに良い度胸だ!)

 寝不足の原因に憤慨すると、足音も次第に大きくなり目つきも鋭くなる。
 己が認めたひとは、独神と呼ばれる八百万界の救世主であった。
 数多の英傑を従え、八百万界を攻め滅ぼさんとする悪霊に立ち向かう勇敢な者と伝えられている。
 しかし、アマツミカボシから言わせればただ真面目で思わせぶりな弱いひとだった。

 八百万界を必ず守ると頼もしいことを言ったかと思えば、いつも影を抱えていた。
 英傑のことが大切だと言いながらも、天狗以外とは距離を置いた。
 民を守ると言いながら、民から目を逸らした。

 独神は、その名の通りヒトリガミだった。

 確証を得たのは、昨晩の独神の独白があったからだ。
 顔を引きつらせながら語る合間に一瞬挿入される顔が、笑顔だった。
 歯を覗かせるほど釣り上げた唇が印象的で綺麗とさえ思った。
 それを目にした瞬間、まごう事無き真実であると断定せざるを得なかった。
 独神のそんな本音は知りたくなかった。
 だがそうだ。そういうものだったのだ。
 独神の甘言で忘れてしまいそうになっていた。
 これは戦争だ。
 綺麗事で済まない。そう言って独神を詰ったのはアマツミカボシ自身である。
 それがまさか、その〝綺麗事〟が偽りであったと知って、多少なりと失望した自分が苦々しい。
 有象無象の民と同様に、アマツミカボシもまた独神に理想を押し付け、求めたのだ。
 そして独神は民の数だけある希望を背負って潰れていった。

(まずはかしらをここから連れ出す。守るべきものが居ない場所へ。
 俺がいればどこへでも行ける。かしらは何も考えなくて良い。害するもの全てを俺が薙ぎ払ってやる)

 独神の仕事の一つに、外部からの悪意を呑み込む事があった。
 現場で動く英傑の耳に入れないように。
 だから手紙の検分を念入りにしていた。
 自ら門番となって本殿には悪意を持ち込ませなかった。
 大したことがないように思えるが、一生分の悪意を毎日浴びせられる独神を見ていると嫌悪感が込み上げた。
 これが世間で〝光〟とされ、もてはやされる者の姿なのかと。
 普段お伽番を務める天狗はこうした途方もない働きを全て承知し支えていた。
 アマツミカボシは悔しくて仕方がなかった。
 現実を知らされていなかったことに。

(どうせまた何か言われたのだ。英傑か、民か、それとも被害妄想か。
 なんだって構わん。残らず斬る。かしらの中にこれ以上淀みを溜めさせてなるものか)

「大嫌い」という言葉は、拒否であり否定だ。
 しかしアマツミカボシは信じていなかった。
 あんな情けない泣き顔では、込めるべき悪意も嫌悪もあったものではない。
 昨晩の様子のおかしさから、以前のように早朝に独神が逃げ出そうとする事が考えられた。
 人前に出られないほど泣き腫らした顔を思うと痛ましくて早足になる。
 アマツミカボシは執務室の引き戸に手をかけて一気に突入した。
 机の前に人影が一つ。
 今回は逃げ出さずに執務をこなしていることを褒めてやろう。と言うつもりだった。
 ────そこにいるのが、独神だったならば、だが。

「誰だ貴様」

 アマツミカボシは半身を後ろへ下げた。いつでも剣を抜けるように体勢を整える。

「やあ、おはよう。アマツミカボシはまだおねむなのかな? 僕の事忘れるなんて悲しいゾ」

 ぴょんと立ち上がった人物は首を傾けてアマツミカボシの顔を覗き込んだ。
 背丈は独神と変わらないが、身体は男のものであった。

「下らん冗談はいい! それより独神はどこだ!」
「君こそ冗談はやめてよね。独神は目の前にいるじゃないか」

 独神と名乗る人物は、アマツミカボシの知る独神とはいくつも異なる点があった。
 顔が違う、雰囲気が違う、声が違う、態度が違う。
 だが「自分は独神だ」と有無を言わさぬ威光が確かにある。
 それが不愉快でたまらない。

「剣なんて抜いてどうしたの?」
「決まっている。貴様を殺す為だ!」

 一瞬で左手に現れた剣を独神に向かって振り下ろした。
 キンッと金属音が空気を震わせる。アマツミカボシは舌をうった。

「貴様ら何のつもりだ」

 巨大な手裏剣で受けるモモチタンバは答えた。

「貴殿こそ、あるじ殿に剣を向けることは紛うことなき反逆行為。直ちに剣を下ろし離れろ」

 モモチタンバの他に、サイゾウ、サルトビサスケ、ジライヤがアマツミカボシを取り囲むように現れていた。
 多人数、それも搦め手の多い忍を同時に相手にするのは不利である。
 アマツミカボシは状況確認を兼ねて忍たちに問うた。

「貴様らはこの不審者を独神とでもいうつもりか」
「何を戯けた事を。〝彼〟こそが、独神そのものではないか」

 表情のないモモチタンバの考えは読めない。
 しかし冗談を好む者ではないことは日々の暮らしから察していた。
 加えて、進んで独神の駒として働きたがる哀れな人族だと。
 アマツミカボシは一度剣を下ろした。戦闘の意思がなくなったことで左手から剣が消滅する。
 妙な事になっている。
 明らかに独神ではない者を、忍たちは独神と認識している。
 幻覚の類にかどわかされているのか、それともアマツミカボシの方が幻覚や夢に閉じ込められているのか。
 一旦偽物の独神と忍達に話を合わせる事にした。

「……冗談だ。虫の居所が悪くて八つ当たりをした」

 忍達は動かない。アマツミカボシの言葉を信用していないようだ。
 だがそれも偽独神が「大丈夫だよ。下がってー」と呑気な声をあげれば、すぐさま退散した。

「アマツミカボシったらしょーがないなー。でも許してあげる。
 一緒にご飯食べよーよ。仲直りの印にね!」

 耳障りな声。甘ったれた態度。
 全てが不愉快極まりない。

「……ああ、判った」
「やったあ! じゃ、さっそくいこー」

 偽独神が部屋を飛び出し、一定の距離が開いてから後を追った。
 しかし偽独神はわざわざ足を止め、アマツミカボシの横に並んだ。
 アマツミカボシが歩調を遅くすればそれに合わせて遅くし、速くすれば速くする。

「ああもう! じれったいなあ!」

 偽独神はアマツミカボシの腕に抱き着いた。
 身体中に悪寒が走り、反射的に殴りかかりそうになったがぐっと堪えた。

 アマツミカボシの知る独神は違った。
 後ろを歩くアマツミカボシを気遣いながら距離を保ち続けた。
 独神は強引な面もあるが、基本的に謙虚で必要以上に心に踏み入れない者だった。
 それが警戒心の強いアマツミカボシには心地良かった。
 単に勇気が無かったのかもしれないし、他人に興味が無かったのかもしれない。
 今となっては、もう聞く事も出来ない。

 広間に着くと既に何人もの英傑達が好きな席へ座り、食事に舌鼓を打っていた。
 アマツミカボシは普段と別の場所へ座ると、その隣に偽独神は迷うことなく腰を下ろした。
 食事の最中も一方的にぺらぺらと話しかけられ鬱陶しいことこの上ない。

 アマツミカボシの知る独神は違った。
 一つ空けて座っていた。
 最初アマツミカボシがそうしたから律儀に守っていたのだろう。ある程度言葉を交わすようになっても、距離を詰めてこなかった。
 無駄に話しかける事もしてこなかった。ただ時折視線を感じていた。
 気になって目をやると、照れ笑いを浮かべて正面へ顔を背けた。
 そんな些細なやり取りが嫌いではなかった。
 今思うと、声をかけてくれれば良かったのに。
 いくらアマツミカボシでも、独神とならば会話をする気があった。
 それとも、アマツミカボシでは不足だったのか。
 きっと天狗相手だったら……。
 答えを聞きたくとも、本人がいない。

「わあ! アマツミカボシはご飯食べるの早いね。一緒に片付けようよ。なんなら分担する?」

 馴れ馴れしい態度に胡散臭い笑顔。
 独神とは大違いだった。
 アマツミカボシの知る独神はもっと。いつも恐々と様子を伺っていて、控えめな性格だった。
 同じ時間を共にする事で少しずつ笑顔が増え、時折涙を見せ、常陸国の時には黙って寄り添ってくれた。
 気付けば独神の傍にいることが心地よくなっていた。

「……先にいけ、後で行く」
「えー、一緒が良いよー」

 一挙手一投足が癪に障るが耐えなければならない。
 唯一独神の手がかりを持つ者なのだから。
 歯を食いしばって偽独神の誘いに乗り、共に食器を片し、共に歩いて、共に執務室へと入った。

「さて、討伐でもしてもらおっかなー」

 机に向かってどかりと腰を下ろした。吐き気がする。
 その場所は独神のものだ。ばらばらと机の下に落ちていく手紙は独神が目を通すものだ。
 使い古された筆も、煎餅より薄くなった座布団も、全て独神の物。
 得体のしれない者が好き勝手侵しても良い場所ではない。

「ね、これ行ってよ。あ、ねえねえ! セーイーリュー! アマツミカボシと行ってきてよー!」

 外に向かって叫ぶとすぐさまセイリュウが駆け寄ってきた。

「先生直々の頼みだ、すぐ行くよ」

 セイリュウもまた、偽独神を独神と認識している。
 たかが討伐を頼まれただけで喜ぶとは非常に士気が高い。
 独神の時もこれほど高かっただろうか。……高い時も、あった、過去には。

 アマツミカボシがここへ来た頃は、独神が出歩けば英傑達が寄って来た。執務室でも報告ついでに談笑し、手土産を渡すことも珍しくなかった。
 それが、いつからか見かけなくなった。
 寵愛を受けようと争っていた英傑達が、急に独神への興味を失った。
 どうせ独神が失態を犯したのだろうと、まだ独神への信用がなかったので深く考えずにいた。
 付き合いが長くなり、人柄を理解してくると、常に英傑や民を思いやる独神に幻滅することの異常さに首を傾げた。
 怪我を憂い、討伐への派遣を嫌い、他英傑との交流が控えめの英傑たちにも目を配り、必要に応じて手を差し伸べる。
 そんな人物が英傑達を大きく失望させることをするとは到底思えない。原因は未だ不明だ。
 
「……俺は他人の協力など必要としないがな」
「アマツミカボシは変わらないね……。最近は随分先生と仲が良さそうだったのに」
「そんなわけがないだろう」
「毎朝一緒に食べていてそれはないんじゃないかな」

 おかしそうにセイリュウが笑って出発を促した。
 周囲の英傑はアマツミカボシと独神の関係を正しく認知している。
 昨日までの本殿とはなんら変わりがない。
 たったひとりを除いて────。


 ◇


 七月八日、朝。
 アマツミカボシは早々に起床し身嗜みを整えると執務室へ向かった。
 障子を開けると偽独神が机に突っ伏していた。
 堪らず舌をうった。

「……ふがっ、あ、アマツミカボシおはよう! 今日も一緒にご飯食べる?」
「必要ない。討伐の確認に来ただけだ」
「えーつれないなあ。ま、いっか。はーい討伐ドウゾー。お好きな討伐を選んでね」

 差し出された手紙のうちの一つを取った。

「じゃ、いってらっしゃーい」

 踵を返すアマツミカボシにわざわz近づいて背を叩いた。
 アマツミカボシが剣を手に取る間に縁側から庭に出ると、花廊で作業している英傑に大声で呼びかけた。
 英傑は顔を赤らめ、明らかに心を奪われていた。
 猫撫で声を紡ぎ、挙動の一つ一つに目を向け、気にかけてもらおうと必死だ。
 アマツミカボシはさっと背を向けた。
 後ろから、今度は別の英傑の声が聞こえた。

あるじちゃんってばあ! もう! ワタシがそう何度も許してあげると思ったら大間違いなんだからね! ……今回だけよ」

 神代八傑はこの世界に産み落とされた独神が最初に会った当時最強の英傑達。
 互いに信頼し合い八百万界を救う仲間。
 ────のはずだったが、根も葉もない独神の悪評をばらまき、独神の命令を捻じ曲げて現場を混乱させた最大の要因。

 大きな転機は天狗の件だ。
 独神を中心に話はまとまっていたにも拘わらず、天狗が逆らい八傑がそれを後押しした。
 アマツミカボシとしては、その場で八傑に斬りかかっても良かったのだが、独神と八傑との関係を悪化させてよいものかと躊躇い静観を決めた。
 独神は口にしなかったが、八傑との関係に苦心していたのは小耳に挟んでいたので、雨降って地固まる可能性に賭けることにした。

 だがそう上手くはいかなかった。
 それからの八傑は以前よりも大っぴらに独神を詰り、独神と他の英傑達との関係に罅を入れていった。
 独神と八傑の関係は完全に壊れてしまった。
 下から支えるべき八傑が独神を揺るがし追い詰める。
 それに感化された者達が次々と独神の統治から外れていく。
 そんな状況にも関わらず、独神は変わらず民や英傑の為、八百万界の平和の為に尽力した。
 就寝前に見かける部屋はいつも明るかった。朝はいつ見ても働いていた。
 口を開けば、悪霊の事、討伐の事、英傑の事、民の事……己のことなど何一つない。
 とうとう見ていられなくなった。
 己を貫く尊さを知る自分に憐れみを抱かせ、そして決意させた。
 独神を解放し、救い出そう。
 その為に悪霊を殺して殺して殺し尽くすと誓った。

(そもそも何故八傑と独神の間に亀裂が出来たのか)

 それとなく噂に耳を欹てていたアマツミカボシであったが、その答えも判らずじまいだった。
 距離が近いからこそ、時に憎しみに似た感情が生じる事は珍しくない。
 他の英傑にしても、独神を慕っているとはいえ時には至らなさを口にする時もあるだろう。
 不可解なのは何故この短期間に大半の英傑が独神の命令を受け付けなくなったのか。

 アマツミカボシはふと思い立って、もう一度偽独神を見に行った。
 人だかりが出来ており、笑いの絶えない集団がそこにいた。
 勿論、中心は、

「僕は君たち英傑たちと一緒に、この八百万界も民も全部守るよ!」

 在りし日ののひとの姿がそこにあった。
 次の瞬間には全くの偽物にすげ替えられ、独神の気配はあぶくのように消えていく。
 左手には剣の感触があった。
 その後は無我夢中で目の前の偽物を二つに引き裂いた。


 ◇


 目が覚めてまず気づいたのは身体が冷え切っていることだった。
 起き上がろうとするが、両手首が固定されて動きが制限されている。
 暗闇の中で声が聞こえた。

「あんな奴ここに置いておかない方が良い。またいつ狙われるか」
「大丈夫だって。彼も今は反抗期なんだよ。見守っていようよ」
あるじが英傑達を信じたい気持ちは理解した。だが駄目だ。俺たちにはおまえが必要で、八百万界にもお前が必要だ」
「許せません。……あるじさまにあんなことするなんて」
「ちょっとお仕置きしたからってどうにかなるもんじゃないわよ、あんなの酷すぎるわよ。流石負け犬の悪神ね!」

 偽独神と八傑たちだ。

(自ら輝けない月の神めが。忌々しい。後で斬り刻んでやる)

「錯乱するかもしれないから、今はここにいてもらおう。起きたら僕がアマツミカボシと話してみる。大丈夫だって、僕を信じて」

 偽独神の言葉を最後に足音はなくなった。
 生物の気配がないことを確認し、自由な足で辺りを探った。
 どうやらここは四畳半ほどの牢屋だ。一面の鉄格子を蹴りつけてみたがびくともしない。
 剣はあったが、星の力がまるで感じられず無力化されていた。
 英傑を入れる牢屋には、やはりそれなりの術を施しているのであろう。
 一刻も早く独神を見つけなければならないのに大失態である。
 偽物であろうと独神に刃を向ければ、英傑達の総攻撃にあうのは判っていた。
 あの時はつい頭に血が上ってしまったのだ。
 己の浅はかさに流石のアマツミカボシも自己嫌悪に陥るばかりだった。
 音も光もない牢に差す光は、頭の中に響く声だった。

「大丈夫。アマツミカボシは強いもん」

 己が信じる主の言葉が聞こえるような気がした。 
 星の瞬きが届かない場所であっても、心の中にはいつも独神と見た星空が広がっている。
 敗北などありはしない。必ず独神をこの手で自分の下に連れ戻す。
 こんな所で挫けてなるものかと奮起する力が湧いてきた。
 その時、物音が僅かに聴こえた。
 身を小さくて剣を手に神経を尖らせた。
 足音であろうそれは、鉄格子よりも遠くで止まった。

「おまえ、だれかさがしてないか。
 たとえば……そーだな……いつもいっしょうけんめーですぐめしをくいわすれるようなそんなやつ」

 サンキボウだ。しかし罠かもしれない。
 己の失態でここに閉じ込められた反省から慎重を期した。

「知らんな。俺は誰の事も探していない。……ただ、己を顧みず、他の為に身を粉にする事が出来るヤツは知っている」

 アマツミカボシが独神を探していることは既に知られている。
 すべきことは相手から情報を引き出し、本物のサンキボウかを見極めることだ。

「へー、随分真面目な奴だな。もっと肩の力を抜きゃいいのに。
 ……でも、抜けないんだよな。
 自分が辛いくせにいつもひとのことばっか気にしてた。
 最初はただ優しくて可愛くているだけで笑顔になる、そんなひとだったのに。
 だんだん笑うことをやめちまった。なにもかも怖がっているようにも見えた。
 あのひとは報われることが少なかったから。
 こっちも頑張ってたつもりだったんだけど、良い知らせばっか持って帰れなかったんだわ。
 期待通りにいかなくて馬鹿らしくなっちまったんだろうな。
 英傑のことも、住んでるヤツらも、八百万界も、全部。
 この世界の全部があのひとを苦しめてた。多分悪霊よりも」

 大きく吐き出された溜息は後悔にしては重すぎた。

「俺はあのひとを守ってやれなかった」

 同じ自責の念を抱いていた。
 だからアマツミカボシは口を開いた。

「俺は諦めてなどいない!」

 鼻で笑われたような気がした。

「だと思った」

 闇の中に光が産まれた。鬼火がサンキボウの顔を映し出す。

「お前のそういうところスゲーよ。だから俺も選んだ」
「何の話だ」
「慌てなくてもちゃんと説明してやるって」

 火を蝋燭に移すと、サンキボウは話し始めた。

「まず、お前が独神サンを襲ったことで、皆は裏切り者だって騒いでる。それを独神サンが諫めて本殿の蔵の一つの地下牢に閉じ込めたってわけ。見張りは俺の法術で操ってる」
「何故貴様はかしらを覚えている」
「最近のあるじサンは異常なくらい自分の知識や仕事をここのヤツらに教えてた。その中にあったんだよ。本殿が乗っ取られた時の対処法ってやつが。
 あるじサンが、余裕があるなら普段から防御術をかけると良いって言ってたからな、天狗流にはなっちまうけど毎日自分に施してた。……ついでに本殿内の信頼できるヤツにも。
 ま、あるじサンの為に動いてくれそうなヤツは一人しか思いつかなかったんだけどな」

 知らぬ間にサンキボウから信頼されていた。独神への忠誠心を見込まれて。
 それがなければ、アマツミカボシもきっと他の英傑達と同様、綺麗に独神のことを忘れていた事だろう。
 自分が特別独神を想っていたから覚えていたわけではなかった。
 見下した八傑と自分はなんら変わらない。
 不甲斐なさを感じるが選ばれたことは幸運だったと思うしかない。

「七月七日。俺はいつも通り朝飯の後、あるじサンのとこへ行くつもりだった。
 でも部屋からいつもの匂いがしなくて、まだ来てねぇんだと思ってすぐには入らなかった。お陰でお前が独神サンに斬りかかったってざわついてから知ることが出来た。で、お前に限ってあるじサンを斬るなんて冗談でもしないだろ。何かあると思って俺は周囲に合わせられたし、実際に偽物の姿を見ても動揺せずにいられたってわけ」

 早々に騒ぎを起こしたことが意図せず功を奏したか。

「やっぱお前じゃ匂いには気づかなかったよな。……そりゃそうか」
「神族を便利扱いするな。そもそも俺が司るものを理解しているのか」
「や。そういう意味じゃなくて……」

 歯切れが悪く、追及しても「いや。別に……」と逃げるばかりで進まない。
 いい加減苛立ってきたところで、

「そうそう! 言い忘れてたけど、多分俺たちに時間はないぞ」
「どういうことだ」
あるじサンがいなくなってほんの二日程度なのに、少しぼんやりするんだ。
 あんなに一緒にいたのに顏すら自信がなくなってんのが判る」

 そう言われてアマツミカボシは急いで独神の事を思い浮かべた。
 背丈、顔の造形、髪の色、長さ、笑った顔、落ち込んだ顔、どれも鮮明に思い出せる。
 まだ薄れてはいない。……思い込みでなければ、の話だが。

「俺の法力も完全じゃなかったんだろ。それか相手が俺より強いヤツ。だから今の現実に塗り替わる前にやるしかない」

 短期決戦。
 既にサンキボウの記憶が消えつつあるというならば、策の有無で二の足を踏んでいる余裕はない。

かしらが消え、記憶も薄れているというのに随分冷静なのだな」
「いんや。スッゲー腹立ってるし、なんなら今から偽物をブッ飛ばしに行ってもいいくらいだぞ」

 拳を突き出すと風圧がアマツミカボシの前髪をふんわりと浮かせた。

「でも、主サンが言ってたからな。慌てちゃ駄目だ。一見穴がない策にも対処法がある。サンキボウなら出来る。ってな」

かしらが言いそうなことだ。そうやっていつも可能性を信じていた)

あるじサンの言葉が上辺のモンじゃねぇこと、俺自身が証明していくっきゃねぇだろ」

 自信に満ち溢れた姿にアマツミカボシは以前より抱いていた疑問を口にした。

「貴様のかしらに対する忠誠心はなんだ」
「……。教えてやんねー」

 舌でも出すような言いぶりにアマツミカボシは眉を顰めた。

「ンなスゲーもんじゃねぇよ。きっと覚えてるのも俺だけだ」
「……踏み入って悪かったな」
「気にすんな。お前もそういうものがあるから、あるじサンの事好きなんだろうし」

 にししと笑うサンキボウにつられて、アマツミカボシも少しだけ笑った。
 独神がいなくなってから初めてのことだ。

「おっと、そろそろ戻んねえと。つい長居しちまった」
「……手間をかけさせて悪かった」
「いいや。お前がいてくれて心強いよ。俺たちのあるじサンの為に頑張ろうぜ!」

 サンキボウはやれることをすると言って、地下から出ていった。再び暗闇が満ちていく。
 だがアマツミカボシの目には満天の星空が広がっていた。
 かつて見た、守りたいと思ったひとと眺めた星空が。

かしら……。もう少しだけ待っていろ。俺が必ず助け出す。過去の失態を繰り返してなるものか


 ◇


 牢内であっても来るべき戦闘に備えてアマツミカボシは就寝していた。
 足音を耳が捉えた瞬間に飛び起き剣に手をかけた。
 鉄格子の前には偽独神がいる。護衛は見たところいない。

「あ! 天津神あまつかみの真似っこかい? 武力で制圧しちゃう気でしょ? でもざーんねん。無理だったねー。弱い奴はどの時代でも蹂躙されるもんさ。君はよく知っているはずだよ、まつろわぬ神」

 安い挑発だ。もうアマツミカボシには効かない。
 それが面白くなかったのか、偽独神はわざとらしく溜息をついた。

「……嫌になるよ。君は記憶が書き換わってないんだね」

 書き換わっていない。
 つまりここは現実で、他の英傑達も本物であることは間違いない。

「前任者の事、よっぽど気にかけてたのかな。八百万界も適当な仕事をするもんだ。あ、悪口じゃないよこれ」

 ここ数日色々あったが中でも一番驚かされた。
 偽独神が元凶と考えていたが、まさか界自身が独神を拒むのか。
 あんなに守ろうとしていた八百万界にあっさり裏切られてしまったのか。

「ねえ、アマツミカボシ。君に選択肢をあげるよ。
 このまま僕に従うか。それとも自刃するか。
 ……次に会った時には教えてね」
「次はない。答えは決まっている」
「へえ。聞かせてよ」
「まずは出せ。それからだ」

 様子見に言っただけであったが、意外にも偽独神は手首の錠を外し、扉の鍵を開けにかかった。
 かちゃかちゃと金属音を鳴らしていくと、一層響いた開錠の音があった。
 同時に、アマツミカボシは剣を振るった。
 偽独神の首に刃を添えるとよく手入れした剣は容赦なく肌を切っていく。
 偽独神は血を流しながら笑った。

「僕を殺せば君が求める誰かさんは二度と戻らない」
「はったりだ」
「いいや、君は僕を斬らないはずだよ。ほら」

 指摘通り、アマツミカボシははなから首を斬り落とす気はなかった。
 隠れた英傑がいるなら引きずり出そうと、その為に襲ったにすぎない。
 何の気配もないということは護衛はいない。今ならどんな手も使える。

「君も反省したんじゃなかったの? 大事なものなんて、自分以外に作っちゃ駄目だよ。
 どうせ強者に踏みにじられるんだから。君が愛した土地や民のようにね」

 毛が逆立った。だが、理性がしっかりと手綱をとっていた。

「……面倒な事になっちゃったな。君と、それからもう一人。なんとか処理しないと」

 サンキボウの存在に気づかれている。既に手を打っている可能性もある。
 だが助ける余裕はない。
 動けないアマツミカボシを笑いながら、偽独神は自分の首を撫でると傷が消えていった。

「ほら、おいで。ここから出してあげる。なんたって僕は優しい独神だからね」
「ほざけ」
「いくらでも戯言を言ってあげるよ。君にとって僕は必要だもんね」
「必要だ。だが生きてさえいれば良いことだ」

 情報を聞き出すのに手足は不要。
 アマツミカボシの剣は四肢を切り落としに走った。

「……意味判んないよね。一血卍傑は魂と魂とでも産魂むすぶ術じゃないのかって。有効対象が結構広くて結合出来ればなんでもありなんだよコレ」

 独神が以前見せた、見えない壁で剣を止めながらつまらなさそうに言う。

「こういうのをさ〝奇跡の業〟って言うだけで崇めてくれるの。ちょろいよね」

 アマツミカボシは刃を下げた。腐っても相手は独神。甘く見ていた。

「そういうことだから、僕に攻撃は効かないよ。そもそも不死だし。最悪ここで一血卍傑して新たな英傑呼べちゃうから」

 どうして今まで気づかなかったのか。
 悪霊以外に独神を襲う者は見たことが無かった。
 それもそのはず。反逆しても無駄だったからだ。
 武力で圧すことしか出来ないアマツミカボシに手はない。
 
「足元気をつけなよー。ここの階段滑りやすいんだ」

 呑気な言葉に苛立つ余裕さえなかった。
 どうしていいのか全く頭に浮かばない。
 ゆっくり螺旋階段を上がっているうちに地上に出た。
 品のない日の光が眩しく輝き、アマツミカボシの目を焼こうとする。

あるじ! 大丈夫か!」

 わらわらと八傑たちが駆け寄ってくる。地上で大人しく控えていたのだろう。
 悪神と二人きりの状況はさぞ不安だったに違いない。どうでもいいことだが。

「大丈夫だよ。ありがと。みんなに想われて僕は幸せ者だなあ」
「当たり前じゃないですか! もう……すっごく心配したんですよ……」

 アマツミカボシは背を向けた。
 これがきっと、独神ほんものが望んでいた光景だ。
 それを独神ほんものではない独神にせものが体現している。
 その場から立ち去ると、駆けてきた偽独神がこっそりと耳打ちした。

「今晩僕の所に来てよ。一人で」

 望むところだった。
 サンキボウの言った通りなら時間は少ない。
 それにアマツミカボシは新しい手を思いついた所だった。


 ◇


 昏い雨が星の光を洗い流していた。
 星神を護る宙の恵みは淡くて頼りない。
 夕立が今も降り続いているせいだ。

(ここまで計算していたならばヤツは大したものだ)

 アマツミカボシは執務室へ向かうと、いつもの場所に偽独神はいた。

「安心して。誰もいないよ。僕としても聞かれたら困るからね」

 信じる気はないと無言で剣を手にした。
 くすりと笑って偽独神は言った。

「人を疑ってばかりじゃ良くないと思うよ」
「さっさと話せ」
「はいはい」

 偽独神はもったいつけて机の上で手を組み、その上に顎を乗せた。

「君ってさー、前任者の事好きなの?」
「下らん」

 下賤な勘繰りは本物を穢されるようだった。

「まあまあ。一応大事な事だから聞いてるんだよ」

 取り合って良いものか判らなかったので端的に述べた。

「俺にとって、独神はアイツだけだ」
「なるほどね……。悪神様は忠誠心が強いんだね」

 うんうんと頷いている。

「そんなに前任者が大事なら……いいよ、彼女をこの世界に戻しても」

 思わず口元を緩みそうになったが、素早く唇を噛んだ。
 それを目ざとく見ていた偽独神はいつもの笑顔で命じた。

「交換条件だ。君は僕の犬になれ。
 君が大嫌いな服従を、君が心を許した前任者ではなく僕にしろ」

 絶対的強者と信じている者に許された笑みであった。
 アマツミカボシは間髪入れずに答えた。

「構わん。好きにしろ」

 偽独神は驚き呆れているのか、少し間があいた。

「……ふうん。随分熱を上げているんだね」

 理解出来ていないようだが、アマツミカボシは最初からそのつもりでここに来ていた。
 記憶という時間制限がある中、何度考えても手が浮かばなかった。
 そもそも、独神の行方を知るのは偽独神だけ。
 ならば、相手の条件を全て呑んだ上で頭を垂れるしかない。
 アマツミカボシは他への服従を最も嫌う。
 己の信じるもの、愛したものが無残に蹂躙されることは決して許されないことだ。
 服従は己を殺すこと。
 アマツミカボシは己の死を良しとしない。
 例え身体が朽ちようとも、心だけは穢させないと果敢に向かった戦で夜を失った。民を失った。住処を失った。命を失った。
 敗者の屈辱は今でもまだアマツミカボシを蝕んでいる。
 そんなアマツミカボシが再びかけがえのないものを見つけた。
 それが独神だった。
 大切なものが戻る為に服従が必要ならば、安いものだと安堵したほどだ。
 これは敗北ではない。
 今度こそ守りたいものを守れるのであれば、此度の服従は勝利だ。
 心はいたって単純である。
 自分の望みに順位をつけて、一番に独神がいる。
 ただただそれだけなのだ。

「色々対策してたのに無駄になっちゃった。盛り上げる気ないの?
 だって僕を斬って救った方がかっこいいよ?」

 思わず鼻で笑ってしまう。
 確かに傍から見ればアマツミカボシは無様極まりない。
 だが真の無様とは自分を見失うことだ。
 全てを捧げても良いひとができた。
 そのひとがいさえすれば己の存在する価値や意義を認めて守って寄り添ってくれる。
 心は守られる。
 だから孤高の星神は独りをやめた。

「……。いいよ。やってあげる」

 偽独神はそう言って執務室の扉に手をかけた。

「ついて来て。ここじゃ出来ない。鶺鴒台の方へ」

 アマツミカボシよりも低い位置にある頭を見ながらついていく。
 周囲に目を向けるが、不思議な事に英傑達はいなかった。

「人を払う為に酒盛りをさせているんだ。強くて良い酒をたぁくさん渡している」

 何も言っていないアマツミカボシの疑問に答えた。
 兵舎の方に目を向けると、いつも以上に盛り上がっているようで、何事もなく鶺鴒台に着いた。
 以前ここに来たのは、八百万界に産魂むすび落とされた時だ。
 ぽかんとした顔の独神がいて、睨むとばつが悪そうにしていたのを覚えている。
 天津神あまつかみ以外の神々だけでなく、三種族をまとめていると聞いた時は法螺吹きだと一切信用していなかった。
 アメノワカヒコに教わり、自分もあの中で生活をする中で少しずつ独神がやろうとしている事、積み上げてきたものを知った。
 戦時中でも本殿の中には穏やかで少し騒がしい毎日が送れていたのは、独神の功績だった。

「君の血を頂戴」
「……理由を言え」
「もう彼女は八百万界にいる資格がない。だから力ある魂を持つ英傑である君を依り代として下ろすんだ。
 独神ではない彼女は、独神以外の形が必要なんだよ」

 嘘かもしれない。
 血で存在を縛られる事は、呪術師ではないアマツミカボシだって知っている。

「必要とする分を使え」

 刃で腕を撫でると肌を伝ってぽたぽたと血が滴り落ちた。

「数滴で十分。もういらないからしまって。野蛮なんだから……英傑ってほんとバカ」

 偽独神は汚物を触るような手つきで血を御統珠に垂らした。
 作業の合間、アマツミカボシは持ち歩いている布切れで腕の傷を抑えた。
 過去の事を思い出す。独神が手当てをしてくれた事を。
 慣れた手つきで手際が良く、その動きを見るのが好きだった。
 黙って見ていても、独神は嫌がることなく淡々と治療をしていた。
 あの指に触れられることが嫌ではなかった。
 独神と肌を合わせ、困ったように笑う顔を見ると日常に戻ることが出来た。

「さて君がにやけている間に準備は出来たよ」

 偽独神はアマツミカボシの血を染み込ませて赤くなった人型の紙と御統珠を陣の中に置いた。

「前任者の事でも思い出してて。君との繋がりが必要だから」

 空気が一挙に変わった。ふざけた顔ばかりしていた偽独神が厳しい表情を浮かべて唱える呪詛はアマツミカボシの耳では捉えられない。
 ここは指示に従い己の主を思い浮かべた。
 笑った独神。怒る独神。泣きそうな独神。
 あの夜部屋の前でアマツミカボシの手をいつまでも放さなかった独神。
 アマツミカボシも放せなかった。このまま時が止まれば良いと願ってしまった。
 このまま共にいつづけることを望んだ。

「っ……」

 眩い光を浴びて思わず息を呑んだ。
 光が収束すると、目の前にはきょとんとした顔の独神がいた。

「……ここ、なに……」

 一糸纏わぬ姿でのろのろと見回している。
 アマツミカボシのことも見たが一切の反応がなかった。

「鶺鴒台だよ、知らないの? あんなに通ったじゃん」

 声をかけた偽独神をじっと眺める。

「……誰?」
「独神だよ。前任者サマ」
「……前、任……?」

 アマツミカボシはたまらず自分の上着を独神にかけた。
 長々と恥をかかせられないと思ったからだ。

「……アマツミカボシ?」

 もう一度独神と目が合った。
 渡した上着にすっぽり入ってしまうくらい小さくてか細い身体。
 何度も見た本物だ。ほんの数日会わなかっただけなのに、数十年会わなかったような錯覚。
 感極まって抱きしめそうにもなったが、アマツミカボシは耐え、偽物に居直る。

「本当にこれで戻ったんだろうな」
「戻ってるよ。質問でもしたら?」

 眠そうな目で見つめてくる独神に言った。

「あの夜……何故大嫌いなどとふざけた事をほざいた」

 独神とアマツミカボシの最後の記憶。
 これが判るのであれば、本物だと断定するつもりだった。
 それとは別に一番気になっていたから、というのもあるが。

「……大嫌い? どうして私があなたを嫌いなんて……」

 独神の表情がみるみるうちに引きつっていった。

「……なんであなたがいるの」

 震えた声で零すと、新しい独神をきっと睨みつけた。

「あなたが次の独神ですね」
「そうだよ。君がしっかり後始末しないからこういうことになったんだよ」
「お言葉ですが、八百万界の意思の力を使えばどうとでも出来ますよね。神代八傑に行ったように。
 いいえ、他の英傑たちにも民に至る全ての生命の記憶を改ざん出来るのですから」
「なんだ、それは!」

 独神が八百万界に裏切られた、ような事は察していた。
 だが神代八傑、ひいては英傑達全てが独神との絆を捻じ曲げられているとは思わなかった。
 独神の孤立は故意的なものだった。
 独神を苦しめ消し去ったのは八百万界。守ろうとしたものそのものだった。

「君の影響が想像以上に大きかったのかもね。
 だから力のある君を僕が取り込むより、消滅してもらうのが良いと思ったんだ。
 それなら正しく八百万界の歴史から消えるでしょ」
「貴様、ふざけるな!」

 不死であろうと関係ない。偽物を斬り刻、

「アマツミカボシ。待って」

 弱々しい体躯に似合わず、張りのある声をしていた。
 アマツミカボシの昂った感情が鎮まり、主の命令通り控えた。

「引き継いだ英傑たちや民の反応はどうですか」
「余計な反応を見せるのは星神ともう一人だね。その二人さえどうにかなれば、僕は正しく君に成り代われる」

 噛みしめた歯がぎりりと鳴る。今にも斬り殺してやりたい。
 だが待てと言われたのだから、信じて待つのだ。
 独神はいつも通りの調子で会話を進めていく。

「どうです、独神生活は?」
「まあそれなりだよ。一血卍傑で毎日新しい英傑が産結《むす》ばれ、八百万界はどんどん賑やかになってるね。
 民草も協力的だしこれなら悪霊どもをすぐさま追っ払って、元の八百万界に戻せるんじゃない?」
「戦場には出ましたか?」
「出た出た。ちょっとだけね。いやー、なんでも頼まれるんだね。僕だから良いけど、あんなに頼りにされちゃこっちも疲れちゃうよ」
「民は助かりたい一心でなんでも口にしますからね」
「そうそう。せめて独神に関係あるものにしろってね。それにほら、どこかしこから情報は来るし、忙しいよねー。
 これ休みないでしょ。よく全員を相手にしてたね」
「ええ、まあ。独神にとっては有象無象であっても、向こうからすると独神は唯一のものですから」
「そうだけどさー」

 談笑していた偽物が、ぴたりと、表情が死んだ。
 そして冷ややかに言った。

「君、今何考えてんの?」
「何を考えていると思います?」

 殺気にも似た見えない圧が部屋を軋ませている。
 だが横目で見た独神は涼しい顔をしていた。

「いくら力があろうとも、人手不足だけはどうしようもありませんよね。
 なにせこの八百万界は広い。負傷すればそれだけ動ける者が減る。
 独神の仕事を手伝わせられる者は限られていますが、戦場に派遣しないわけにはいきません。
 そうして断片的な情報だけ持っていかれると困る事も多いですよね。
 次の英傑に頼むにしてもまた最初から説明するのも大変です。
 ……となると、英傑以外の一般的な民を使えばいいように思いますが、魂の輝きが少ない彼らは独神とは縁遠く、故に魅了の術がかかりにくい。
 謀反を起こす可能性が高く、機密が多い本殿の雑務などさせられません」

 気になる言葉を見つけて、思わず尋ねた。

かしら、術と言ったが何の事だ」
「独神が産まれながらに持つ特性で、魂の階級が高い英傑たちは無条件に独神に対して好感を持ってしまうの。
 その方が八百万界にとって都合が良いから備わっているもので、独神にも英傑にもどうしようもないものなんだ」

 独神は寂しそうに笑った。

「それで、出来損ないの君がなにしようって?」
「雑務を私がお引き受けしますよ。私なら本殿で起こった全ての出来事が頭に入っています。
 裏切りについても、私を正しく認識できるものはあなたと英傑二人だけでしょうし現実的ではありません。
 おまけに身体能力も低い。
 ……こんなに弱い私なら、あなたも安心して利用できるんじゃないですか?」

 贔屓目無しの美しい笑みがそこにあった。
 下手に出ているというのに自信に満ち溢れ、在りし日の独神が変わらずそこにいた。

「……足りないな。
 独神としての能力を失っても、八百万界全域の弱みを知る情報通じゃ、僕を裏切る可能性は捨てきれない」
「ご冗談を。だからアマツミカボシを隷属させたのでしょう?」

 そう言って独神はアマツミカボシに居直った。

「判ってるでしょ。あなたの気高さなんて簡単に踏みにじられちゃうよ」
「何であろうと構わん。かしらが戻るのなら」
「……そっか」

 力なく笑ったその顔は嫌いだ。自分の力不足を見せつけられているようで。

「魂の不安定な私をここに顕現させる為、依り代にアマツミカボシを使いましたよね。
 なら、私はアマツミカボシとは一蓮托生。彼が昇天すれば私も共に魂が霧散するでしょう。
 ……そもそ私がこんなに長々と語らなくても、私を利用する気だったんでしょう。
 だから〝枷〟を用意した」

 偽物がけらけらと笑った。

「やっぱりさっきまで僕の中にいたから全部筒抜けだよねー」

 独神もまたやれやれと肩を竦めた。

「そうでなくとも判りますよ。あなたは私を含む過去の独神たちを元に作られたのだから、悪知恵だって当然受け継いでいます」
「僕たち気持ち悪いよねー」

 アマツミカボシの心配をよそに、笑いあう二人の姿は兄弟のようだった。

「でもこんな事が出来たのは、君が馬鹿だったからだ。
 一人の英傑に執着して未練なんて残したから。
 君がさっさとアマツミカボシに好きだと言っていれば僕と完全同化できたのに」

 気になる言葉が発せられたと思えば、独神が盛大に咳きこんだ。

「と、とにかく! 私も同じく独神さまに隷属致します。これで良いでしょ!」
「早く服着たら?」
「魂のまま引っ張り出したら全裸だって知っているでしょ!
 服用意するなんて常識じゃん!
 なんで私に落ち度があった言い方なの!!」

 独神は袖に手を入れ、前見頃をしっかりと抑えた。

「ごめん、上着少しだけ借りるね。衣裳部屋から一着頂くけど良いですよね独神さま!」
「どうぞー」

 二本の素足が目立つ格好で廊下を飛び出す独神を慌てて捕まえ横抱きにした。

「ひゃあ! 下ろして!」
「動くな。見える」

 途端に石のように固くなった独神は短い裾を手で抑えた。多分少しばかり布が足りない。
 抱きにくくはなるが腕で足りない部分を補うように抱いた。
 緋袴の下で守られていた足が目に飛び込んで惑わせてくるが、懸命に振り払った。
 幸い英傑たちは酔い潰れていて、誰にも目撃されずに部屋に押し込めることが出来た。
 次にオツウやオリヒメが作った作品たちが置かれている衣装部屋へ行くと偽物が立っていた。

「これあげる。前任者の忘れ物だよ」

 持って帰ると、独神はひどく驚いた顔をしていた。

「ああ……。あったね、そんなのも。……存在を忘れてて処分し忘れちゃったんだ」

 受け取ったそれをじっと見ながら何を考えているかは判らなかった。

「じゃあ着替えるから、あの……後ろ見てて」
「終わったら声をかけろ」

 部屋を出て障子に軽くもたれた。
 現実感はなかったが部屋からはごそごそと物音が続いていた。

(まだ星が見えない)

 落ち着かなかった。見えない星を見上げていると「どうぞ」と言われ、部屋に入った。
 そこには愛らしい恰好をした独神がいた。その辺を歩く娘と同じ小袖。
 地味ながら染めた色がはっきりとしていて、それなりのものだと窺える。

「見慣れないだろうけど……。今の私の立場だと普通の恰好じゃないと良くないから。ごめんね」

(普通の着物がこんなに似合うヤツだったのか。あの時、市で見つけた装飾を尻込みせず贈れば良かった)
 購入するほどの仲ではないと思い、自分で買うように背中を押すにとどめた。その後すぐ「独神には生活必需品以外不要」とはっきり言われて余計なことはすまいと遠慮した。
 過去の反省をしていると何を勘違いしたのか、独神は急に頭を下げた。

「…………あの夜はごめんなさい」

 いつまでも頭を上げないので「やめろ」と言うと、猫背ながらも顔を上げた。

「あの時には、独神の代替わりが決まっていたんだな」

 頷いた。

「最期に変な事言っちゃった」
「何故、それがあれだったのだ」

 独神は言い淀む。

「独神の代替わりってそのまま人が変わるだけなの。
 普通なら気づかれずに、そのままの関係性が継続。……何の思い出もないまま好感度が高い状態から始まる。それが嫌だった」
「本当にそれだけか」

 じっと見ているだけで目を泳がせ頬を赤らめる姿にアマツミカボシは鼻先で笑う。

「な、何。こっちが真面目に話してるのに」
「判っている。そう怒るな」

 この先の言葉は独神に言わせるものではない。
 敢えて話を変えた。

かしら、これからどうする」
「そうだねえ……。んー……、私を忘れたとはいえ、あまり英傑と接触しない方が良いかな。
 万一私の事を思い出されると、新しい独神の統治に歪が生じてしまうから」

 急にきりっとした顔になった。

「多分みんなから見て、私の事は存在感が薄い町民なの。
 私の存在ってあなたによるものだから、一応神族っぽく見えるはずだよ。
 ということで、今度は同僚として頑張ろうね!」

 アマツミカボシが返事も頷きもせずにいると、少しずつ独神の顔が歪み始めた。

「……何者にも穢されないあなたが好きだったのに」

 と、言葉の雫が落ちると、途端に大雨になった。

「ひとに呑み込まれていく私とは違うから、綺麗だったのに。
 なのに私が穢してしまった……」

 ごめんなさいと独神は繰り返し謝罪をした。
 謝罪の度に涙が増える。

かしら。顔を上げろ」

 目も鼻も赤くなった顔を無防備に見せた。
 まつげがしとどに濡れて、何度も鼻をすすっている。

「……無様だな」
「無様だよ。結局何も出来なかった。力のない私がなんでまた生きなきゃならないの」
「俺の進む道に、かしらが必要だったからだ」

 終わるはずの運命を捻じ曲げたのは自分。
 そこから生じる歪みも受け入れると決めたのも自分。
 独神に感謝されるために行ったわけではない。

「正直代替わりとやらは都合が良い。もう貴様は争いに関わらずに済む」
「勝手だね。こんなの生き恥だよ」
「責務を全うした貴様に恥などあるものか」

 みるみるうちに眉を吊り上げ、目には激しい怒りを燃やしていた。
 やや高い声を荒げて詰ってくる。

「悪霊を滅ぼせずして全うなんてあるわけないでしょ! 犠牲を出しただけの私はただの殺戮者だよ!」
「貴様は本殿の土台を作った。英傑を増やし、絆を深めた。貴様に求められたのはそういうものだ。戦は次代の仕事だ。そう考えろ」
「……なにそれ」

 答えに窮したのか黙って地面を見ていた。
 怒りがすっと消失し、今は無表情でぼんやりしている。

「……まあ、そういう考えもあり……なのかな……」
「納得したか」
「勘違いしないで」

 はっきりと拒絶をされても、アマツミカボシは気にならなかった。

「構わん。貴様が納得いくまでにどれだけ時間がかかろうとも、その間俺がかしらの傍を離れることなどありえないからな」

 今度はぽかんと口を半開きにして目を丸くしている。
 豊かな感情の波がアマツミカボシとしては嬉しかった。
 自分の前で喜怒哀楽を自由に出し入れするほど心の垣根がなくなったことには優越感を抱く。

「……相変わらず、恥ずかしいことを言うんだね」
「この言葉に偽りなどないからな」
「強いなあ。……うん。……かっこいいよ。敵わない」

 薄く笑ってる。
 それはまだまだ弱々しいものであったが、こざっぱりとしていた。

「さて」

 背筋をぴんと伸ばして部屋を出ようとするので、これには慌てて制止した。

「どこへ行く」
「ここに来たなら働かないとでしょ? ちょっと独神さまのところへ行って仕事の相談してくる」

 今度はアマツミカボシが口をあんぐり開ける番だった。

「……今晩くらいゆっくりしておけ」
「明日には英傑が動き出すでしょ。そこで私がチョロチョロしていたら怪しまれる。今夜中に環境を整えておかないと」

 労働依存にも見える姿勢に懐かしさを覚えた。
 このまま一人にした方が良いだろうか。
 それとも安全の為についていった方が良いだろうか。
 アマツミカボシは葛藤した。

「……必ずここに帰ってこい。それまでは起きている」
「寝て良いよ。どうせ遅、」
「待ち続けるからな」

 強く念を押すと、目を逸らしながら「はぁい……」と返事をした。
 これで多分帰って来るだろう。
 来なかったら……。また探して捕まえればいい。
 次は痛いと言われても抱きしめて放さない。


 ◇


「何の用」
 
 後任の独神は私の席だった場所にぐったりと座っていた。
 
「これから働くことになりますので、まずは私がいない間何があったか把握しようかと」
「へえ、失敗作のくせに真面目だね」
「馬鹿の一つ覚えです」

 鼻で笑っているが、額の脂汗や霊力の揺らぎで相当消耗しているのが判る。
 英傑を産魂むすぶよりも負担が大きかったはずだ。
 死の可能性だってあった。八百万界がこんなことを許すなんて。

「よく決断しましたね。私の魂をこの地に下ろす事を」
「君の時の反省だよ。結局ね、僕らと英傑なんて判り合えるわけないんだよ。存在そのものが違う。
 術によってもたらされる好意もどうでもいい。耳障りの良い言葉を吐くのも疲れるし、僕求めて争うのも馬鹿らしい。
 その点君は良い。独神の何たるかを知っている」
「独神は八百万界の存在維持装置」
「正解。そもそも僕らの目的は住まう者の幸福追求ではない」

 私たちはあくまで八百万界の為にいる。
 民も英傑もおまけなのだ。

「あと、頼みたいことがある。君にしか出来ない事だ」

 独神さまは私に言った。

「全てが終わったら僕を殺して」
「いいですよ」

 私はすぐに了承した。
 独神さまの気持ちを知るのは私だけだ。方法を知るのも。

「あはっ、良かった。これで遠慮なくやれるよ」

 早速だけどと切り出され、そこからは今後の戦の計画を二人で話した。
 判っていたけれど私が躊躇って行わなかったことを独神さまはやってくれるそうだ。
 実際どこまでやれるのかはこれからの働きから判断するしかないが、多分大丈夫だ。
 彼は失敗作から不要なものを削ぎ落して産まれた独神だから心配するのはお門違いだ。

「君は明日からいつも通りに。あと星神が昇天しても恨まないでね」
「ええ、大丈夫です。その時は私死んでいるので」

 冗談を言って執務室を出ると、もう空が僅かに白んでいた。
 足早にアマツミカボシの部屋に戻ると、彼は部屋の外で空を眺めていた。
 見上げると雲間から星が僅かに見えている。
 まさかずっと寝ずに待っていたのだろうか。

「帰ったか」

 のろりと立ち上がった。

「あの、はい。戻りました」
「ならいい」

「それじゃ、おやすみなさい」

 一礼して横をすり抜けていくと腕を掴まれた。

「どこへいく」
「隣の部屋を借りたの。今後はそこで過ごすつもり」
「そんな話、俺は聞いていないぞ」
「独神さまの許可は得てるよ。事情を知っている人が近い方が良いから隣にしたの」
「近くというならここで良いだろう」

 顎で指したのはアマツミカボシの部屋だった。

「い、いや。それは……なにかと、不都合が」

 同じ部屋なんて心臓が持たない。仕事中ならまだしも就寝時なんて無理。
 私は全力で首を振って断った。
 
「言い訳はいい」

 子供のように腕を引っ張っていくので、私は仕方なく従った。
 既に敷かれた蒲団に押し込まれ、隣にアマツミカボシが入ってきた。
 身を固くしているとアマツミカボシが強く抱きしめてきた。

「……会いたかった」

 縋りつくような弱々しい声に思わず胸がときめいた。
 強張っていた身体が緩んでいく。

「力……強いよ」
「寝ている間にどこかいかれては敵わないからな。諦めろ」

 捨て犬みたいなことを……。
 なりふり構わず擦り寄ってくる星神に私は喜んで観念した。
 寝やすい体勢を探していると、腕を頭の下に入れてくれたのでその位置に決めた。
 まだアマツミカボシの顔が近いことには慣れてなく背中を向けると、腹部に腕が巻き付いた。

「大人しくしていろ」

 声を漏らしてしまいそうになるほど強い抱擁が涙を誘う。
 なんで私のこと。こんなに抱きしめてくれるのか。
 一度はいなくなった私を見つけ出してくれたのか。
 こんなこと誰にでもするわけではないことに気づいている。

「ならもう少し優しくして」

 どぎまぎと手が悩んでいた。アマツミカボシは本当に素直なひねくれ者だ。
 私は開いたまま固まっていた指に自分のを絡ませて頬ずりをした。

「色々とお疲れ様。おやすみ」
「あ、ああ……?」

 私はいつものように何もかも忘れて目を瞑った。
 次に目を開いた時には早朝。習慣通りだ。
 蒲団から出ようとするとにゅっとのびた腕によって拒まれた。

「もう少し寝かせろ」
「寝てたら? 邪魔しないから」
かしらもだ」

 無言で出ようとするがびくともしない。これは困った事になった。
 半眼で私を詰るところは正直可愛いし、嬉しくないわけじゃないが早く働きたいのだ。
 贅沢な二択に悩んでいると、身体がぐらりと揺れ、目の前の障子たちが折れ曲がり、蒲団にいたはずのアマツミカボシが目の前にいた。
 庇う彼の背中から様子を伺った。

「……ここだって、独神サンが言ったんだけど」

 サンキボウだ。文字通り飛んできて勢い余って障子を壊したのだろう。
 私と目が合うと、両手を伸ばして飛びついてきた。
 私も反射的にその身体を両手で受け止めた。
 本物のサンキボウだった。
 私の身体を撫でるその手は覚えている。
 鳥のような翼もそれを支える肩甲骨の盛り上がりも私の記憶のまま。

「ごめん。守り切れなくて、ごめん」

 サンキボウの声は震えていた。
 その声で私の中に抱えていた様々な感情が噴き出した。

「そんなことない。サンキボウがいたからやってこれたの。あの時頼れるのはサンキボウだけだったの。普通に話せるのはサンキボウしかいなかったの!」

 昨晩忘れていた孤独がぶり返した。
 次はどの英傑が私を見限るのか怖くて、信用出来なくて、そんな中でも私をいつも慕ってくれていたのがサンキボウだった。

「でもどうして二人も私を覚えてるんだろうね……本来忘れるはずなのに」
あるじサンが前に言ってたろ、記憶や人格の操作を受けない防御術。俺流だけど言われた通り毎日やってて、それで覚えてるんじゃねえかって。一応アマツミカボシにもかけてやってて」

 あ、駄目だ。
 飛び出す感情に耐え切れず、涙が止まらなくなってしまった。
 サンキボウの肩にぼとぼとと落としてしまう。

「なんで……なんで私が言ったこと、そんなどうでもいいことまで聞いてるの!」
あるじサンが言ったからだろ! 他でもないあるじサンが言うならして当たり前だろ!」

 八百万界によって操作された本殿で私の引継ぎは意味がないのではないかと思っていた。
 実際私に言われて面倒臭そうな顔をされることが多く、既に私が不要な存在だと思って止まなかった。
 それでも教えていたのは意地だった。
 結果がどうなろうとどうでもよくて、私がやっていた事実さえあれば満足で。
 まさかその意地で伝えたことを真面目に聞いて取り入れたひとがいるとは思わなかった。
 それも私の支配下からとっくに外れているはずの桜代英傑が。

「あのあるじサン……」
「なに」

 私の願いを叶えてくれたお礼にどんな要望でも聞くつもりで返事をした。

「あ、えと……あるじサンにこうされるのはありがたい、というか、嬉しいんだけどさ、そろそろ……放した方がいいというか……」

 腕を緩めてきたので、私は先程よりも力を込めた。

「強!? 逆! ほんとはめちゃくちゃ嬉しいんだって! もっとしてたいけど! でもスゲー顔して見てる奴が後ろにいるんだわ……」

 首を回して確認すると、そのひとは顔を背けていたのですげー顔とやらは判らなかった。
 でも私は名残惜しい気持ちを抑えて放してあげた。

「……じゃ。あるじサン」

 逃げるように去っていった。
 去り際に目配せしてきたので次は落ち着いた時に来てくれるだろう。

「……」

 さて次は、さっきから顔を背けているこのひとをどうするか。

「……それ以上見るな」

 すっかり拗ねてしまった。
 今は言うことを聞いた方が良さそうだったので、涙を拭って立ち上がった。

「そろそろ仕度始めるね。戦いは待ってくれないし」

 というと今度は私の手を引く事はなかった。
 少しかわいそうな気もするが。仕方がない。
 アマツミカボシに大嫌いと言ったあげく、独神さまに気持ちを暴露された私はまだ、アマツミカボシと普通に会話できるような精神状態ではないのだ。
 昨晩は支えてあげなきゃと思ったから一緒に寝てあげたけれども。
 アマツミカボシは私が視界から消えると心配なのかもしれないが、今はそっとしておいて欲しい。
 私にだって心の準備があるのだ。
 その準備として、この感傷的な気持ちにけりをつける為にわざと遠回りして執務室に行くことにした。
 英傑にあやしまれないよう十分注意をしながら庭を歩く。
 久しぶりの本殿は変わらない。たった数日で目に見える変化なんてあるはずない。

「主!」

 はっと顔を作って振り返った。

「あれー、皆と飲んだんじゃないの?」
「飲む気分になれないって……ほんと酷いの。主なんとかしてよ」
「はいはい。しょうがないなあ」

 私じゃない。
 もう〝独神〟じゃない。
 急に胸が苦しくなった。
 どこにもいない私。
 俯くと足元は緋袴ではなくて、胸が苦しくなった。
 独神と判りやすくした方が良いからと、私はいつも同じ格好をしていたのだ。
 今の私には服装の自由がある。
 でもその自由は広大で、とても心細い。

「ええっ!? あるじサン!? だってさっきアマツ──」

 さっき別れたばかりのサンキボウがきょとんとした顔で私を見ているので全速力で詰め寄った。

「サンキボウさま・・がお呼びです。こちらへ」
「お、おう……。判った」

 背筋を伸ばして顎を引いて、独神の付き人に相応しいと思われる動きで先導し、英傑が寄り付かない物陰に連れてきた。
 誰もいないことを確認し、肩の力を抜きながらもサンキボウにはしっかり注意した。

「言い忘れてたけど、もう私のことを独神とか主とかで呼ばないで。
 あなただから私が判るだけで他の英傑は私をぼんやりとしたものとしか認識出来な」
「やっぱ。良いな。あるじサンが本殿歩いてんの」

 虚を突かれた私は自分が何を言おうとしていたのかすっかり忘れてしまった。

「なあ。あそこじゃ聞きづらかったんだけど」

 サンキボウは頭をかいて、

「……アマツミカボシとなんかあった? なんで部屋にいた……? ……いつから……?」

 その含みのある質問に私は即座に否定した。

「違います」
「じゃあ脅された?」
「してません」

 なら何?
 そんな声が聞こえてくるような顔で私を見ないで欲しい。
 赤くなるのが止まらない。

「……好きなのか?」

 それを突き付けられたらもう動けない。
 私は頷いた。

「やっぱそうだよな。……じゃあもう……アイツと」
「大嫌いって言っちゃったの!!」

 サンキボウは羽根を震わせ「え? なんで?」と不思議そうに聞く。

「しかも先に独神さまにバラされたの!!」
「なんで!?」
「私も判んないよ! どうしたら良いの!?」

 やけになっていると、サンキボウが腹を抱えて笑った。

あるじサン今すげー可愛い」

 呑気な事を言う。

「悪霊に悩んでるより、そっちのが良いな」

 素直な感想だったのだろうが、私の浮ついた気分が一挙に冷めた。
 サンキボウ相手なら、と私は尋ねた。

「……私、無駄だった? 独神として駄目、だったんだよね?」

 少し考えてサンキボウが教えてくれた。

「俺がここまで強くなれたのはあるじサンがいたからだ。
 最初なんて酷いもんだったよな……。一体出た程度で四苦八苦してさ……今思い出すと情けねぇよ。
 そんな俺でもあるじサンはいつも欠かさずおかえり、とか、ありがとう、とか、手当てもしてくれてこのひとの為なら頑張ろうって思えたんだ」
「そんなの命令しているのは私なんだから当たり前だよ」

 凄いことではない。

「俺は八傑よりは弱い。マジでそう。きっと他の独神じゃ俺なんてろくに使われず終わってたんじゃねぇの?
 つえー奴が登用されるのは当たり前だからな。
 英傑内でも序列はあって、結構ワイワイしてても戦果のこと言われると気になる奴もいてさ。英傑なんてやってらんねえよな、って愚痴も結構ある。
 それでもやってこれたのは、あるじサンの存在がデカいと思う。
 俺たちのこと大事にしてくれてた。
 一血卍傑で呼ばれた奴らの中には、あるじサンが飛んで喜ぶから自分は望まれているんだって自信になった奴もいるんだぜ。知ってるか? 知らねーだろ?」
「……そんな凄いことじゃないよ」

 あの時はまだ判っていなかった。
 英傑によって能力の差が激しく、戦には連れていけない英傑もいることも。
 英傑との関わりで強さのはかり方を知って、一目姿を見ただけで弱さを見抜いた時、私は私でなく正真正銘の〝独神〟だった。八百万界の救済のみを目的とする本来の独神だ。

「打倒悪霊って言っても、わざわざ他の種族と協力する気はない奴が多いだろ。でもここは違う。優しいあるじサンを中心だから、俺たちも他の奴らとつるむ気になった。
 ……って、なんか俺たちガキみたいだよな……。あるじサンに褒められたいからって動機の奴多いし……お前偉そうなこと言ってるけど、実際主サンに認められたいだけじゃねえかって奴とか。あるじサンがあんまりにも許してくれるから、俺たち甘えてたんだよな」

 じわりと湧き上がってくる涙は、当然、嬉し涙なんかじゃない。

「……ううん。違うの。皆が私を好きでいてくれたのはね、そういうのじゃなくて」
「違わねぇよ。覚えてるか? 夢を叶えるって想珠を集めたこと。
 幻の八百万鍋の材料を集めたり。
 米が七色なんて驚いたし、また味も美味くて驚いたよな。
 俺たち意外と悪霊無関係に年がら年中騒いでて、それをあるじサンは怒るどこか結構のってくれてたよなあ……。
 あるじサンが楽しいと俺らも嬉しくてまた調子にのってた。
 こういうのって一緒に楽しむと周囲のヤツらも好きになれたろ?
 同じように俺たちもあるじサンのことも好きになってた」

 違うんだよ。
 英傑が私を好きになったのは独神の特性。
 仲良くなったのも、花廊で採れる特別な花の効力。
 私が独神だから英傑に愛された。
 でもそれは、〝私〟ではない。

「……俺たちがあるじサンの負担になってたのは他の奴らも判ってるよ。だからもっと頑張ろうって言い合ってた。
 ……なんで、あるじサン、俺たちに背を向けるようになっちまったの?」

 素の私でいたら、英傑は私を好きにならない。
 空しかった。

「俺たち、もっと判り合う時間があれば良かったな」

 時間はきっと関係ない。
 サンキボウとだって、根本的な部分では判り合えていないのだから。

「……抗えないものに皆流されただけなの」
「そりゃどうしようもねえや」

 笑ってる。
 どうしようもない。
 それを聞くと少し楽になった。
 やっぱりサンキボウといると気分が軽くなる。

「ま、俺は良かったよ。こうやって今もあるじサンと話せる」
「そうだね。私も。良かった」

 少なくともサンキボウは独神ではない私を気にかけてくれるひとだ。
 独神だった私のことも覚えていて、見てくれていたひとだ。
 それは私にとって幸せなことだ。

あるじサン、早くアマツミカボシに言ってやれって。自分の口で」

 真剣な言葉はまごつく私にもしんと沁み込んでいき、「判った」と難なく押し出した。
 私は独神さまの用事をこなしながら、夜を待った。
 執務室で会ったアマツミカボシからも、夜にと言われた。
 私たちとくれば、大切なことは夜に行うものなのだ。
 いいことも、わるいことも。

 私たちは最期に会った場所で落ち合った。
 約束しなくても時間も場所もぴったりだった。
 そしてアマツミカボシは星見の力で満天の空にした。

「星々の前で、貴様に言いたいことがある。拒否権はない」

 今日は逃げない。私は頷いた。

「例えこの戦が終わったとしても、俺の傍にいろ。
 そして俺と共に、俺が支配していた国よりも美しい星空を探す。
 その地に根を下ろすのだ」

 そばにいて、ほしぞらをさがして、ねをおろす。

「つまり……だ」

 一呼吸おいて、アマツミカボシは私を見据えた。

「この星神の妻となれ」

 つま。
 つまというと、妻だ。
 それが独神を剥奪された私が次に与えられる肩書。

「な、何か言ったらどうだ……」

 まだ少ししか沈黙していないというのに、慌てふためくアマツミカボシは少しだけ格好悪かった。
 あんなに自信満々で言っていても不安なんだろうか。
 私の答えなんてもう知っているのに。

「私もあなたに言いたいことがある。本当はあの夜に言いたかったこと。今、言うね」

 アマツミカボシは唇を結び、睨むように私を見ていた。
 私の言動を全てを逃さないように構えている。

「私は、アマツミカボシのことが、……」

 緊張して赤くなってくる。心臓の音が煩くて怖い。
 そんな私もアマツミカボシは全部見ている。

「っ、その……す……すー…………」

 握りこぶしを作りなおす。

「す、きです」

 小声になったがきっと届いたはずだ。
 それなのにアマツミカボシは微動だにせず沈黙を守っている。
 不安に耐えきれなくてつい自分から口を開いた。

「き、記憶がなくならなくて良かったよ……。本当はなくなって欲しかったから」
「食い違っているが」

 矛盾への指摘は異常に早かった。

「いや間違ってないよ。……新しい独神にすげ変わるなら、あなたの〝独神〟に対する記憶は全部なくなって欲しかった。
 でもアマツミカボシはちゃんと私の事覚えてて、私もここにいて……。
 こうなるならうっかりなくならなくて良かったよ」
「俺があの偽物に、貴様としたあれこれをするのがそんなに嫌だったというのか?」
「そうだよ」

 揶揄い交じりの言葉ではあったが、私ははっきりと否定した。

「アマツミカボシが私じゃない独神に仕えるなんて悔しかったよ」

 柔らかく笑うアマツミカボシにじんわりと温かな気持ちになった。
 私のみっともない独占欲を受け入れてくれる。
 私の方に一歩進んで、身体に手を伸ばして、そのまま抱きしめてくれた。
 私が背中に触れることを許してくれる。

かしら。これからは俺の傍にいてくれるな? いや、いてもらうぞ」
「……はい」

 力強い抱擁が私を包みこんでくれる。
 私の存在を認めてもらえることがこんなにも安心させる。
 大丈夫。
 きっとこのひとといれば、私が再び揺らいだとしても支えてくれる。
 私も、この強そうに見えて繊細なこのひとを包んであげたい。

「ねえ。一つお願いがあるの」
「なんだ。俺ならどんな望みも叶えてやる」

 その妙に力強い言葉に私は小さな笑いが込み上げた。

「名前。つけて。……もう独神じゃないんだもん。
 これからはアマツミカボシがつけてくれた名前で私の存在を縛って。
 八百万界と私を結びつける為。そして、あなたとの縁を結び直す為に」


 ◇ 終章


「主さま!!」

 独神さまは相変わらず英傑達に慕われていて楽しそうだ。
 重要な戦は八傑と六傑を使い倒しているので、その他の英傑達は数が必要な時以外は、本殿で普通の暮らしをしている。
 見回りや近所の討伐くらいはするが、遠方へ派遣してまでの戦は殆どなく、いつも暇そうにしていて娯楽に飢えている。
 弛緩した空気が漂っていて、少し締まりがないと個人的に思う。
 私は目的の英傑を見つけて話しかけた。

「アマツミカボシさま、独神さまがお呼びです」

 アマツミカボシは独神さまに重用されている英傑だ。
 と言えば聞こえは良いが、ようは便利に使われている。
 連戦は当たり前。増援もない。
 態度が大きく、口も悪くて、何故独神さまに使ってもらえるのかと他の英傑たちはいつも首を傾げている。

「後にしろ」
「直ちに向かって下さい」
「……チッ」

 独神さまのお伽番である私の目の前で舌打ちする不遜な態度は褒められたものではない。
 だが執務室に向かう気になってくれたのは良かった。
 私が先導し部屋に入ると、独神さまは不在だった。
 彼は机の前で荒々しく腰を下ろし、私は独神さまの御傍に寄りそう位置で直立した。
 無駄なお喋りなどない。私たちは独神さま補佐と、一英傑だ。
 馴れ合いなど不要。

「……気配はない。楽にしろ」

 ふにゃ、と私は肩の力を抜いた。

「独神さまったら酷いよね!
 ミカボシくんは疲れてるから出陣させないでって言ってるのにさ!
 ごめんね。私が至らないばっかりに。独神さまは意地悪でお馬鹿だよ!」

 他人がいなければいつもの私たちだ。
 独神さまはミカボシくんの契約を盾になんでもやらせるのだ。
 昇天しても構わないから、だそうで。
 ひとの恋人をなんだと思っているんだと、憤慨しながら戦を横から操作している。
 戦には手を出すなと何度も言われているが知った事ではない。ミカボシくんは私が守るのだ。

「さっさと終わらせて帰れば良いだけだ。かしら一人では寝られぬだろうからな」
「寝られますけど! ……でも早く帰ってきてね」
「当然だ。俺もかしらがいないと調子が狂う」

 何度聞いても照れてしまう。
 ミカボシくんはそんな私に優しい眼差しを向けてくれて、私はいつも満たされた気分になる。
 二人でにこにこと笑いあっていたが、足音を耳にした瞬間顔を引き締める。
 現れたのは独神さまだった。

「……その変わり身の早さ、もはや言葉もないよ」
「さっさと命令しろ」
「犬のくせに……。で、討伐なんだけどー」

 場所を聞いたらすぐさま出発した。
 補佐に戻った私はいちいち見送ることはせず仕事に入った。

「頼んでおいたことは?」
「既にまとめております。こちらです」

 紙の束を渡すと独神さまはぺらぺらとめくってにやりと笑った。

「やっぱり僕の読みは正しかったね。魔元帥の首もこれで三つ目。界帝も近づいてきたんじゃない?」

 三つめはもう目の前に来ている、これから更に気を引き締める必要があるだろう。

「英傑達に花を使いましょう」
「桜桃は? これから大勝負だよ。もっと洗脳した方がよくない?」
「いいえ。士気も高いので花で十分です。桜桃はここぞという時に惜しみなく使います。
 それに桜桃以上に心に干渉できる舐瓜を発見しました。
 これを使えば八傑六傑以外の英傑も限界以上に力を引き出せることも可能かと」
「ま、好感度操作は君の方が得意だからね、任せるよ」

 独神さまが座布団に座った時に合わせて、しまっておいた茶菓子を出した。

「どうぞ。霊力回復に有効です」

 毎日一血卍傑を行い、それも手練ればかりを産魂むすぶ独神さまの為にいつもお菓子は常備している。
 貧血も多いので食事も厨と連携して、日々健やかに過ごせるように努めている。
 食事は独神であっても馬鹿に出来ない。
 生命を操る秘術には大量の生命を身体に取り込むことが必要なのだ。
 と、知ったのは独神さまのお伽番になってからだ。

「……君も板について来たね」

 彼は小動物のようにちまちまと食べながら言う。

「私、有能なので」
「自画自賛オツカレ~。感謝を込めて君の彼をもっと遠い所へ飛ばしてあげるね」
「どうぞ。あのひとはあなたが使役する英傑の一人ですから」
「うっそ。冗談だよ。死なない程度の場所にしてあげる。
 てか最近のアレ酷くない?
 ちょっと負傷者が出たからって嘘の撤退命令流してさ。勝手なことしてると君のこと殺しちゃうよ」
「またまた御冗談を。撤退させたお陰で余力を残せたからこそ最後の一押しが出来たのでは? 寧ろ私の采配に感謝するところですよね?」
「言ってろ。もーめんどくさー。ちょっとヤマトタケルの機嫌取りに行ってくるー。そろそろ限界超えてくれそうだし」
「いってらっしゃい。渡すなら赤い花ですよ!」

 独神さまはひらひらと手を振って少年のように駆けて行った。
 邪魔者が消えたら私の本領発揮である。
 積まれた書類処理、八百万界各地の情報統合、英傑の様子を探り独神さまへの忠誠度を確認するなど、一血卍傑と戦の指揮、英傑のご機嫌取り以外が私の役目。
 苦手とするものは独神さまが全て担当するお陰で以前よりもずっと働きやすい。
 英傑たちに私を認識してもらえないことは偶に寂しくなるがもう慣れた。
 負担の方がずっと大きかったようで、今はすっきりしている。
 しばらくすると独神さまが帰ってきて、二人で作業していると昼頃にサンキボウが来た。

「独神サン、言われたことやったぞ」
「わあ。ありがと。サンキボウ大好き」
「おー。ところで、そこの助手サン昼休憩一緒にどお?」

 私と目を合わせて誘ってきた。
 本当は嬉しいが一切感情を出さないように努めた。

「独神さま、いかがなさいますか」
「別に。好きにしたら」
「独神さまが良いとおっしゃるので、お受けいたします」
「ぃやった! じゃ、このまま広間に行こうぜ」
「いえ。本日はーー」

 独神さまに頭を下げて、私はあるものを取りに行った。
 その間サンキボウには私の部屋で待っててもらう。

あるじサンの手作り!?」
「うん。口に合うかは判らないけどどうぞ」
「いっただっきまーす」

 うまいうまいと言って食べる姿に仕事の疲れが消し飛んでいく。

「ほんとはさ、ミカボシくんに食べてもらうつもりだったの。
 なのに独神さまが朝から討伐に飛ばすし、ほんと最低。
 だからサンキボウくんに誘ってもらって丁度良かったよ」
「俺はあるじサンの飯食えて最高。アマツは悔しがるだろうけどな」

 私を認識できるサンキボウくんは仲の良い友達だ。
 休憩にはよく相手をしてもらっている。
 ただ、留守が多いアマツミカボシはそれをとても嫌う。

「俺は不快だ。だが俺に合わせる必要はない。かしらにとっては天狗も必要なのだろうからな」

 などと心の広いことを言ってくれているので遠慮なく部屋にあげている。

「調子はどうだ?」
「悪霊はいつも通りかなあ。ミカボシくんは昨晩は空が澄んでたから今日も上機嫌で可愛かったよ」
「いやあるじサンのこと聞いてんだけど」
「……気づいたら昼だったかな」
「変わんねぇよな、そういうトコ……」

 ぱくぱくたべるサンキボウくんにつられて私もぱくぱく食べる。
 最近すっかり食が太くなってしまった。

「その着物可愛いな」
「本当? 嬉しいな。ミカボシくんが選んでくれたの」

 一瞬嫌な顔をしていたのが判ってしまった。

「いや?」
「……なんか、優越感で笑ってそうなアイツが出てきた」

 多分、これを話したらそうなると思う。

「仲が良いのは良いことだけどな。でも困ったら俺に言えよ」

 殴る真似をしている。平和的な話し合いは選択肢にないようだ。
 でも相手がミカボシくんとなると気持ちは判る。
 意見曲げないから。あのひと。
 他にも話しているうちに思い出せたので、些末な話をああだこうだと言い合ってお昼は終わった。

「じゃ、そろそろ行ってくっか」
「いってらっしゃい。あと半日頑張って」
「く~、やっぱあるじサンに言われるとやる気が違うな!」

 羽を広げていってしまった。
 もう私は主じゃないのに、いつまでも私を慕ってくれる。
 だから私もサンキボウくんに言われるといつも以上に仕事に身が入る。

 昼から帰ると独神さまはいなかった。
 ご機嫌取りの真っ最中だろう。
 私の頃と違って、冥府六傑をも手中に収めた彼は全員の心を鷲掴むのに忙しい。
 普通の大将なら何をたわけたことを批判されるところだが、独神は違う。
 好意や忠誠の程度で、英傑は己の限界を超えた力を手に入れる。
 だからこれは戦力増強に必要なことなのだ。
 独神さまは戦力の為に英傑をおだてたり、魅了させるための花を贈ることに躊躇いがない。
 徹底して独神であり続ける彼を、私は尊敬している。

 独神とは、何人もの英傑に調子のいいことばかり言って、八方美人を超えた十六方美人だ。
 好きと言われ、故郷に連れていきたいと言われ、戦いが終わっても隣にいたいと言われ、……私は仲が深まるごとに喜べなくなった。
 私の身体は一つだ。心も一つ。
 将来共にいるとしても片方の手に収まる数ではないと無理だ。
 日替わり定食ではないのだ。
 厄介なのは戦力の為に花をあげた英傑も多いということだ。
 それも含めると膨大な数になる。
 それら全員に嫌な思いをさせないようにと振る舞おうとしていた。
 それを優しいと言うひともいる。
 でも今になって思うのは、戦に対する覚悟がなかっただけだ。
 全員生存……なんて考えるより、後ろに屍を積み重ねながらも着実に勝利を重ねるべきだった。
 結局界が滅びれば全員存在を失うのだから。

 判っていたはずなのに、決行出来なかった私はやはり失敗作だ。
 器でない自分はいらないと言われて、今は気楽でしょうがない。
 独神さまの犠牲をものともしない戦に、影響を与えない程度にほんの少し手を加える。
 ひとりでもここに帰ってこられるように。
 独善が私にはお似合いだ。
 
 こうして夜までひたすらに作業をし、あとは決められた時間に食事をし入浴を済ませる。
 今日はミカボシくんが遅いだろうから、ゆっくりと入っていられる。
 影の薄い私は英傑達が風呂で騒ぎ立てる様子を眺めながら、ミカボシくんのことを考える。
 情報を扱っているので、その中からミカボシくんが喜びそうなことを思い出し、二人でしたいなあ、だとか、教えたら喜ぶかな、だとか、食べてくれるかなあ、だとか自然と夢想する。

「遅い!」

 部屋に入った瞬間に怒鳴られてしまった。
 まさか帰ってきていたとは。

「ごめん。流石にまだだと思って長めにお風呂入ってた」

 言い訳もそこそこに、向かい合っておかえりの儀式を始める。

「……戻ったぞ」
「おかえりなさい」

 私の頬をそっと撫でた後、その手は両肩へ下ってがしりと掴むと、私の目を覗き込んだ。

「怪我はないか手を出されていないか腹の立つ相手はいるか殺したいヤツはいるか偽物にこき使われているかいつでも何人でも殺してやるから遠慮せずに言え」
「大丈夫です……。お陰様で」
「そうか」

 とても満足そうにしている。
 呪詛のような問いを私は毎日のように受けているのだが、この先もまだ続きそうだ。
 私が困っていないか、辛くないかと逐一確認してくれるのは嬉しいが……正直もうお腹いっぱいだ。
 以前は辛いことを伝えることが苦手だったが、今は違う。
 ミカボシくんやサンキボウくんに独神さまやら、息をするだけで溜まっていく感情は振り分けることが出来る。
 だから辛くて悲しくてふさぎ込むような事はきっともうない。

「ご飯どうする? 私何か作ろうか?」
「風呂を済ませたばかりだろう。なら休んでおけ。俺は厨の夜食を摘まむだけで十分だ」

 行ってしまった。
 部屋で待つのはまだ少し苦手だ。
 何をすればいいのかよく判らなくて、ただ蒲団に横になって待っている。
 本人が帰って来たなら空想は必要ない。
 早く本物がこないかなと待ちわびて、廊下が軋む音がしたら飛び起きる。

「俺の前ではもっと楽にしていろといつも」
「癖で」
「ほら、来い」

 ミカボシくんは蒲団の上で胡坐をかくと膝を叩いた。

「逆でしょ。ミカボシくんのほうが疲れてるのに」
「やらせろ」

 私はミカボシくんの膝に頭を乗せた。
 少し高くてお世辞にも良い枕とは言えないけれど、ミカボシくんから撫でてもらったり、手を握ってくれたりと、身体を寄せ合えるところが気持ちがいい。
 会えない時間の分を取り戻すように惜しみなく甘えていられる。

「ねえ、怪我はないの? 大丈夫だった? 結構嫌な地域だったでしょ?」
「馬鹿にするな。この程度の怪我で俺が音を上げるとでも」
「本当に怪我してるの!?」

 舌を打っている。私に隠し通すつもりだったのか……。
 「もう!」と怒ったふりをして、薬箱を持ってくるとわくわくが止まらない。
 怪我はして欲しくないが、手当てをするのは好きだ。
 彼の役に立てる貴重な時間だから。

「……もっと手を抜いて良い。大袈裟だぞ」
「そんなことないよ。ミカボシくんが野生児すぎるんだよ」
「軟なヤツらと一緒にするな」

 独神さまは容赦がない。だからミカボシくんから傷が消えることはない。
 ミカボシくんの為にももっと独神さまの役に立って、戦を終わらせなければ。

「いつも助かっている……。とは言ってやらないからな」
「いいよ。私が勝手にやっていることだから」

 ミカボシくんの天邪鬼は相変わらず。

「怪我なんぞ恥でしかない。かしらに余計な心配をさせる気はないというのに」

 変に素直なのも変わらない。

「なんだ。随分上機嫌だな。俺がいるからか」
「うん。いてくれて嬉しい」

 自信過剰な物言いもいつも通り。
 でも少しだけ変わったこともある。

「……」

 小声で私の名前を呼び、頬を両手で包んだ。
 そのまま顔が近づいてきて、唇が触れそうになる瞬間。

「まだしないって言ったの、誰だっけ」
「くっ。そんな事は百も承知だ!」

 額を合わせるだけに妥協しそっと離れていった。
 同室で生活する上で、アマツミカボシは私に約束してくれた。

 一、必ず戦で生き残ること
 一、他の英傑の付き合いがあっても、必ず夜には部屋に戻ること
 一、八百万界が平和になるまで、一切手を出さないこと

 最初の二つは判るが、三つ目には正直驚いた。
 手を出さないと言っても、組み敷かないことだと思っていたら、口付けもしないという事で、世俗せぞくに疎い方である私ですら驚いた。
 よく考えて欲しい。期限は〝八百万界が平和になるまで〟である。
 界を賭けた大規模な戦いが一年で終わるはずがない。
 数年、数十年かかる。
 その間何もしない、らしい……。同じ部屋で生活しているのに。
 長命な神族では普通なのかもしれないが、貸本を見るとどの本もすぐにお互いの愛を身体的接触で確かめており、私もそういうのを見て、幸せそうでいいなと憧れていたものだから、本当に驚いた。
 寧ろ動揺した。絶句した。唖然とした。
 そういうものにがっついていないと思われたいがために、私は当然その約束を喜んだ、ふりをした。

「ま、まあ、あなたとなら、嫌、なんて思ってないけどね……?」
「一度決めた事は曲げない」
「………………堅物」
「好きに言え」

 素直にしたいと言えない私は、こうして毎度敗北している。
 だがそんな彼の不思議な行動の一つ一つに、自分が大事にされている実感がある。
 守ってもらえる。 
 叱ってくれる。
 見てくれる。
 追いかけてくれる。
 私には勿体ないくらいの、素敵なひとだ。

「ミカボシくん。今日は早く寝た方が良いよ。やっぱり疲れてるでしょ?」
「この程度で」
「また怪我したら嫌だよ」

 むむむと口をへの字に曲げた後、やや目線を逸らして呟いた。

「……だが、それだとかしらとの時間が減る」

 すこーんと陥落しそうになるが、思いとどまった。

「じゃあ横になってお話ししよう。それならいいでしょ」
「仕方がない。かしらの提案にのってやる」

 戦で帰還時間がばらばらの為、蒲団は別々にしているが、時にはこうして同じ床に入る時もある。
 この時は絶対に抱きしめてくれるので、私は借りてきた猫のように大人しく抱かれている。
 最近はミカボシくんの胸に頬を当てるのが好きだ。
 筋肉による盛り上がりが意外と気持ちが良くて癖になる。
 ミカボシくんの方は私の頭なり背中なりを撫でることが多いが、時折触り方が変わる。
 今のように脇腹を撫でたり、腰回りを往復する時、何を考えているのかを察してしまう。
 妙に意思が強いせいで一線を超えてきたことはない。
 彼は約束を違えない。
 何故こんな我慢大会を行っているのかは教えてくれないが、きっとミカボシくんなりの愛情なのだろうと解釈している。

「早く戦いが終わると良いね」
「全くだ」

 八百万界が平和になって欲しいから。
 それとも、しがらみから解き放たれて二人で踏み出すことが出来るからか。
 多分どちらも正解だ。

「……あ、今日ミカボシくんに食べてもらう昼食、代わりにサンキボウくんに食べてもらったから」
「なんだと!? 俺には!?」
「流石に痛むかなって……全部食べてもらったよ」

 唸ったかと思えば大きく息を吐いた。

「仕方がないとはいえ、ヤツには腹が立つな」

 私は捨てるより、喜んで食べてくれる方がずっと良いのでサンキボウくんには感謝している。
 それに、サンキボウくん絡みだと面白いくらい嫉妬してくれるので……ごめん。

「何か言っていたか」
「うーん……。あ、今日の着物良いねって言ってた」
「ハッ、俺が最初に見たがな」

 こういう反応も楽しい。
 何もかも自信がなかった私だが、様々な角度で何度も肯定してくれるミカボシくんのお陰で、私は毎日が楽しい。
 八百万界で生きられることが嬉しい。

「……アマツミカボシくん」
「なんだ。改まって……」

 普段は愛称で呼ぶので、何事かと警戒している。

「毎日楽しいよ」

 想定とは違ったのだろう。鼻で笑うと、

「当然だ。その為に俺がいる。…………な、なんだその顔は。何が言いたい」

 好き。
 そう思ったら自然とミカボシくんの胸元の服を掴んで背を伸ばした。
 私はもっと、このひとといたい。もっと伝えたい。
 唇に触れる間際、硬質な皮膚にそっと阻まれた。

「貴様の心は既に判っている。だが今ではない」

 剣のように硬い指の腹で唇を撫でられ諭される。
 欲を漏らした自分の品のなさに気づいてさっと背中を向けた。
 
「……そろそろ寝るか」

 頷いた。衣擦れの音からミカボシくんも私に背を向けたのが判る。
 ちょっとくらいしたって良いじゃん。
 そっちだって本当はしたいのを我慢してるくせに。
 今はきっと私のことなんて頭から追い出して、気持ちが下がるようなこと、例えばフツヌシのことだったり悪霊のことなり考えているのだ。
 そういうものに負けた気がして、あまり気分は良くない。
 こんなもやもやするならいっそ、この難攻不落な星神の理性を倒してしまえば良いんじゃないだろうか。
 良い考えだ。就寝前なのに興奮してきた。
 どんな顏したらぐっときてくれるのか。
 どんな言葉なら振り回せるのか。
 明日から忙しくなるから早く寝よう。
 もっと私のこと好きになってもらわないと。
 だって私、アマツミカボシくんのこと大好きだから。

「っ! 何故抱き着く。わ、悪くはない。……もう少しで抑えられたものを。いやなんでもない。忘れろ」

 なにもない私を愛してくれてありがとう。