朝目が覚めると、いつも好きな人が私を撫でてくれる。
私は目を閉じたまま、その手の温かさを堪能する。
指先が頬を撫でるとくすぐったくて、少し笑った。
耳元で彼の抑えた笑い声が聞こえる。
……好きだな。
彼の指を握り、その指先に口付けた。
返答に、彼は私の耳に唇を寄せる。
小鳥のように啄むその小さな音に胸が高鳴ってしまう。
このままずっとこうしていたい。
起きたくなくなってしまう。
しかし私は気怠い身体に鞭を打ち、後ろの彼に向き合った。
「おはよ」
「おはよう。
彼は私の唇に口付けた。
起床の合図だ。
伸びをして起き上がると、欠伸をしながら着替えを始める。
鏡を見ながら服を整え、髪の毛も大体整えてしまう。
細かい所は顔を洗う時にするので、今は人が見ても驚かない程度で良い。
「ヌラリヒョンは今日も凄いね……」
ヌラリヒョンの髪の毛は癖が強い。
ゆるふわな毛は寝起きには猛威を振るい、毎朝とんでもない事になっている。
「どれどれ……。おお、これは芸術的だ」
私の鏡を覗き込んで、けらけらと笑った。
「櫛入れるから、じっとしてて」
私の前で大人しく座る大妖怪おじいちゃんの髪の毛を梳かしていく。
乾いた状態でも櫛と動物の毛の櫛(ぶらし、と言うらしい)で整えてあげれば、
人前に出られる程度には落ち着いてくれる。
「出来たよ」
と言うと、ヌラリヒョンは真上に顔を向け、私の頬を包んで唇に口付けた。
「髪の礼だ。いつもすまぬな」
驚いた私を揶揄うように笑うと、さっさと部屋を出ていった。
彼もこれから顔を洗って、身嗜みを整えるのだ。
私も続いて、女の子ばかりが集まる水場で外見を整えた。
「主《あるじ》おはよー!」
「おはよ」
朝から元気なトドメキに挨拶をした。
それにしても、一仕事終わった後のような明るさだ。……まさか、ね。
「今朝は遅いんじゃなくって。また夜遅くまで起きていらしたの?」
化粧をびしっときめたイズモオクニが三面鏡で最終確認をしている。
「全然。今日はやたらと頑固な髪の毛だったから時間かかっちゃった」
と説明すると、周囲の英傑たちは「あーはいはい」と呆れた。
「朝から胸やけがするな。もうそれ以上は良いぞ。ふりではないからな」
ヒミコとハニワ、そして多分精霊たちがやいやいと言っている。
「え! たったこれだけじゃん!」
心外である。まだ題名を言っただけのようなものなのに。
「ぬしさまのその話いっつも長くなるんだもん」
良い子のオトヒメギツネまで……!
「今日は右のふわふわがもっとふんわんふんわんだったの!」
「はいはい主《あるじ》はかわいいかわいい」
と、ミコシニュドウが子供のように扱う。
「そんなの私たちには判んないわよ。いつ見たって、アイツは一緒。なんなら帽子と外套で見えないわよ」
「えー……」
ヌラリヒョンの帽子は何のため。
それは勿論髪の毛を抑えるため。……と、冗談であるがあれは便利である。
直りきらなかった寝ぐせは帽子様に任せればそれなりに整う。
襟足が少々好き勝手騒いでいたって外套を纏えば殆ど隠れてしまう。
……べ、別に寝ぐせ直しの為にどっちも着てるわけじゃないよ? 本当だよ?
食事の為に広間に向かうと、ヌラリヒョンが片手をあげていた。
そちらに向かうと、二人の分の朝食がある。
「昨日言っておっただろう。だから、頼んで作ってもらったのだよ」
黄色い卵焼きがお皿にどーんと乗っている。
「こ、こんなにいっぱいでいいの!?」
「ああ勿論。好きなだけ食べてよいのだぞ」
「やった! あとでお礼言わなくちゃ」
いただきますと手を合わせ、作ってもらった卵焼きを口に運ぶ。
うーん、甘い! 美味しい!
「甘いの大好き。ヌラリヒョンも食べてよ」
箸で運ぶと彼は無防備に口を開けて、もぐもぐと食べてくれる。
「……うむ。実に主好みのものだな。優しい味がする」
「でしょ! やっぱり甘いのが一番」
白米との配分も考えずに卵焼きばかり食べていると、ヌラリヒョンがじっとこちらを見ている。
好き勝手食べているだけの私を、優しい目で見てくれるのは、少し恥ずかしいけれど、嬉しい。
「ヌラリヒョンも朝ご飯食べようよ」
「もう少し、可愛い主を見てから食べるとするさ」
「そう言われると、食べにくいよ」
そうだ。私は思いついた。
ヌラリヒョンの分のお茶碗を持って、白米を掴むとその口に運ぶ。
彼が食いついてくれるのを見て、私は次々と食べさせていく。
「これこれ。儂の事はよい。主が食べぬと冷めてしまう」
すると反対にヌラリヒョンが食べさせてくれる。
雛になった気分だ。彼が与えてくれるご飯は更に美味しい。
食べさせ合って楽しんでいると、ロキが私たちの目の前にどすんと座った。
「……おまえら、いつまでやってんだよ」
周囲を見ると、気まずそうに目を逸らされる。
少し調子に乗り過ぎてしまったようだ。
「ごめんなさい……。じゃ、普通に食べよっか」
自分で食べるとすぐさまお皿が空になる。
二人で食べさせ合うのって、行儀は悪いけれど楽しいんだよね。
でもこれ以上やると流石に温厚な子にも怒られちゃうから我慢。
「片付けは儂がやっておく。主は仕事に取り掛かるとよい」
「え、私もやるから一緒に行こうよ」
「ゴシュジン! トロトロすんなっての!」
ロキから苦情が来たので、私は卵焼きのお礼を言いに行ってから素直に執務室に向かった。
後ろではロキがついて来ている。振り返ると、むすっとした顔をした。
「……あ? 邪魔したの怒ってんのか? ぜってー謝んねえからな」
「怒ってないよ。言われるまで全然判らなかったから、言ってもらえて良かった」
「あれで気付かねえとか重症かよ……。メーワクなゴシュジンと一匹だぜ」
妖族って。ヌラリヒョンって“匹”でいいんだろうか。
「ったく、こういうのってフーキが乱れてるって、言うんじゃねえの?」
「え、健全でしょ」
「何言ってんだおまえ」
頭わいてんなと散々けなされていると執務室へ着いた。
「さーて、今日もがんばろー」
ロキには資料を見せて遠征のお願いをした。
「ゴシュジンはなんか……ほら、欲しいものあるなら、買ってきてやってもいいぜ」
「ほんと? じゃあ、丈夫そうな木材が欲しい!」
「小さいもんにしろよ! それにそれ欲しいのオオクニヌシだろ」
「大正解!」
「おまえの欲しいもんだよ!」
私か……。
「……ヌラリヒョンに言わない?」
「当然」
念の為声を潜めて、ぼそぼそっとロキに伝える。
「……今回の遠征でお願いする場所って鉱石が多く採れるの知ってるよね?
それを使った加工品、多いじゃない……?」
回りくどい言い方もロキはすぐに私の意図を察してくれた。
「アクセサリーか。どんなのがいいんだよ」
「髪飾りがいいな……。派手じゃないやつ。でも映えるようなの」
「ふうん」
ロキは私に手を伸ばすと、髪の毛に指を通した。
ヌラリヒョン以外に触られる事は殆どなくなってしまったので、驚くと同時に新鮮な気持ちになる。
こんなところ見られたら怒られそうだな。
「面倒くせー。でもま、適当に見繕ってやんよ」
「ありがと!」
ロキを見送り、私は各地から届いた悪霊情報や救援要請を見て処理していく。
手紙は古いものも多く、中には解決したものも含まれている。
本殿に在住する英傑は少なく、今は均等に各地に散らばってもらっているので、私の指示が出る前に解決する事が多いからだ。
やはり連絡や移動の時間を考えると、その方が効率が良く、救える人も多い。
その分本殿の守りは薄くなるが、結界術が使える子に幾重にもはってもらい、私自身も一血卍傑の術を鶺鴒台以外でも出来るように練習した。
本殿がいつ落ちても良いように、私も周囲も備えだけはしている。
勿論そんな事、ない方が良いのだが。
本殿は拠点である。同時に家でもある。
戦場《いくさば》に出ると判るが、非日常的な空間に身を晒し続けると心を蝕む。
だから、日常という場は戦において最も重要なのだ。
私は日常を守る為に、ここでは平和に過ごしている。
戦に染まった英傑が帰ってきた時に、安心を与えられるように。
「
「……え。まだやり始めたばかりだよ?」
「いいや。ずっとやり続けておるよ。もう昼が近い」
そういえば、日が高いような。
作業していて気づかなかったや。
「って、ヌラリヒョン!? いつからそこにいたの?」
「ずーっと前からここに座っておるよ。ロキと入れ替わりだな」
あれ、それって結構前なんじゃ……。
ロキとのやり取り見られちゃったかな。
「ん? どうした。腰が引けておるよ」
「え、そうかな」
ヌラリヒョンは近づいてきて、頭を撫でた。
「よいよい。休憩を挟もうぞ」
「うん……」
立ち上がって茶箪笥を開ける後ろ姿を見ながら、私の心臓がばくばくしていた。
多分全部見られていて、会話内容も聞かれている。
咎めるつもりは無い。でも、触られるのは駄目。……という意味だ、あの撫で方は。
何故そんなことが判るのかって?
それは勿論。……過去に何度も苦言を呈されているからだ。
これでロキの件は終わりという事なので、私はもう何も口にしない。
用意してくれたお茶とお茶菓子を一緒に頂く。
茶菓子は大体ヌラリヒョンがどこからか貰ってきたり、買ったりして用意してくれる。
彼の菓子選びは趣味が良い。だが、貰い物だと極偶に口に合わないものもある。
そういう時は、
「……か、辛い……」
「ははっ、これは酒の肴にもなりそうな辛さだな」
「……ごめん」
食べきれない事を告げると、ヌラリヒョンは「あ」と口を開ける。
つまんだ辛いあられを中に入れた。離れていく指に唐突に口付けられて「え」と小さく声を漏らす。
そうすると彼は悪戯が成功した子供のように笑うのだ。
「こちらなら主の口に合うだろう」
別のお菓子を受け取って食べてみる。甘くて美味しい。
こうして、外の喧騒を聞きながら食べる甘い物は大好きだ。
英傑のみんながわいわい、やいやいやっているのを眺めていると落ち着く。
多分、ヌラリヒョンも私と似たような感情を持っている。
二人で黙って食べている時、すごく優しい顔をしているから。
なんだか私まで幸せになる。
休憩が終わり、もう一仕事頑張ればすぐに昼食だ。
朝と違って人は少ない。みんな討伐や遠征、見回りに行っているので昼は外で食べる事が多いのだ。
私は朝と変わらず、ヌラリヒョンと隣に座って食べた。
そこに、どがんと座るのは酔っ払ったシュテンドウジだ。
うーん、真昼間からお酒くさいなあ。
「なぁ、かしら。すっげーだいじなはなしがあんだけど、いいか?」
「ここでいいの? 場所変えようか」
「いーや! ここでいい。なんたってじゅーよーだからな」
どうしたんだろう。
ヌラリヒョンに目を向けるが、彼は席を外す様子はない。
とにかく一緒に聞こう。
「……かしら」
ごくり。
唾を呑んだ。
「……かねかしてくれ!!!」
ええー……。
机に頭をぶつけてまで懇願されましても。
「また今度ね」
「いまだっつの!!!」
「他に頼んで」
「ぜーいんにことわられたから、かしらにあたまさげてんだろうが!」
「みんなに断られて、私がいいよって言うと思ったの?」
「いう! かしらはやさしいからいう!」
言わないよ……。
「主、早々に食べて仕事を片付けようではないか。人を使う案件もあったのだろう」
「そうだね」
「むししてんじゃねェよ! じゃあヌラリヒョン! このさいおまえでいい! かしてくれ!!」
「ほう。儂から借りるか。……高くつくぞ?」
二人が交渉に入ってしまったので、私は食事に励んだ。
あーあ。私、しーらないっと。
少し考えなくても判るが、ヌラリヒョンに貸しなんて作ったら容赦なく毟り取られる。
私はそんな事をされないのでいくらでもお願いできるが、大抵の子はしない方が無難だ。
例外は可愛い妖族。ヌラリヒョンは孫のような年若い妖族には甘いのだ。
……勿論、シュテンドウジはそれに該当しない。
「食べたから先に行くね」
「ああ。すまぬ。すぐに行く」
話はまだまだかかるようだ。多分これはかなり毟り取られる……。ご愁傷様……。
部屋に帰って仕事の続き。
昼前に討伐に行った英傑の報告を聞き、新たな情報を貰ったり、ついでにお土産をもらったり。
そうこうしていると、ヌラリヒョンが戻ってきた。
……うきうきしている。
「あのシュテンドウジは……大丈夫?」
「ん? たんまり渡してやったから、さぞ良い酒でも買い漁っておるだろうな」
「……へー……。そう……」
私は何も言いません。
「さて、主よ。何か頼みたい事はあるか?」
「じゃあこれ」
見てもよく判らないものは任せ、意見を伺う。
生きた年数と経験により培ったものには少々の努力と時間では追いつけない。
これだけ色々な英傑が集まっているのだから、素直に力を借りる。
ヌラリヒョンは私にそう諭した。
今はもう、申し訳なさを感じる事はない。
あれやこれやと仕事を進め、そろそろお茶にしようかと思った頃。
私とヌラリヒョンの目が合った。
今は誰もいない。
多分、討伐の報告はまだ来ない。
私たちはそっと手を繋いだ。
今みたいに、誰も来そうにない時に私たちは手を繋ぐ。
これくらいならしても良いだろう、とヌラリヒョンが提案したのだ。
最初は本当にいいのかなとあまり積極的ではなかったが、やればやるほど癖になる。
してはいけない所で、ヌラリヒョンと楽しい事をする。
誰かが来るかもしれないところで、二人遊びをする事の背徳感はなんとも甘美で。
「……そっち行きたい」
「ならぬ。主は止まらなくなってしまう」
そうなんだけど。
「ぎゅってするだけ」
「ならぬよ」
「……したい」
我儘言っても聞いてくれない。
私はしたくてしょうがなくなっても、ヌラリヒョンはそんなことなくて。
したいのは私だけなのかな。
「……やれやれ。困った子だ」
強く抱き寄せて、唇に触れる。
ちゅ、ちゅ、と可愛げのある音の後、ぬるりと舌が入ってきた。
口内を舌先が擦って、徐々に身体が熱くなっていく。
首に手を回して互いの舌を絡ませていると、布越しに太腿を撫でられた。
あ、これは駄目。そこまではしてはいけない。見られたら大変だ。
急に戻ってきた理性がヌラリヒョンの手を押さえると同時に唇が離れた。
「少しは満足できたかな?」
濡れた唇を舌で舐めとりながら意地悪く笑う。
「……」
私は先程のようなものとは違い、軽く耳朶に口付けた。
小さな声で伝える。
「我慢出来なくなっちゃった、……って、言ったらどうする?」
離れて顔を覗き込むと、ヌラリヒョンは少しだけ困ったような顔をしていた。
なかなか見られない表情に満足感を覚える。
こんな顔もするって、みんな知ってるかな。知らないよね。
「うそ。……大丈夫、このまま頑張れそうだよ。ありがと」
ヌラリヒョンが安堵したのを見て、私は仕事を再開した。
ヌラリヒョンはヌラリヒョンで私に振られた仕事を成しに、部屋の外へと行った。
────夜。
お風呂も終わり、私は自室に帰ってきた。
湯上りは身体ほくほくして気持ちが良い。
二人分の布団を敷いているとヌラリヒョンも帰ってきた。
「さっぱりした?」
「ああ、やはり湯浴みはよいなあ。爺になって身に染みてそう思うようになった」
寝支度は整えているので、あとは寝るだけだ。
やっと、誰にも邪魔されない時間。
蒲団の上に座るヌラリヒョンの足に頭を置く。
何も言わずとも優しく撫でてくれる。
「今日もそこそこ疲れたよ」
「そうだな。……見回り連中の報告を統合するならば、明日は悪霊に動きがあるやも知れぬ。
明日から暫くは主の周囲の警護を強化するのが良かろう」
背を丸めて、口付けが落とされる。
私は身体を起こした。
向き合うように膝の上を跨ぎ、ぎゅっと抱きしめた。
「なら明日、ヌラリヒョンは外行く?」
「ああ。その方が良かろう。傍についていたい気持ちはあるが、報告内容の全てを把握しておるのも儂だ。
故に外で指揮をとるのが最適だろう」
「そっか。じゃあ、任せる。私は明日は大人しくしてるね。誰かと一緒にいるようにする」
「ああ。そうしてくれると儂も安心出来て助かる」
戦いの話をしながら、耳や頬、首に思い思いに口付け合う。
「っ……」
「どうかしたのかな」
「ちょ、ちょっと下過ぎる」
「はて、何の事か」
鎖骨を啄んで、牙が当てられる。
唇が襟を外側へ外側へと、少しずつ動かしていく。
きちんと着込んでいたはずの胸元がどんどん心許なくなっていく。
「駄目だって。明日は忙しいんだよ」
「だが明日は主が隣に居らぬ」
いない分を今日補充したい気持ちは私だってある。
あるけれど、戦いの前には駄目だよ。
何かあったら……。
「最期の晩餐のようなものさ。良いだろう?」
「ぜっったい嫌です」
死ぬ前提なんて大反対。
「ならば……そう。
『愛しい主を見るとつい手が伸びてしまう事を許して欲しい』であればどうか?」
「許可します」
そんなおふざけをしながら、ヌラリヒョンの手が襦袢の中に入ってくる。
お風呂に入ったばかりでまだお互いに温かく、外気に触れると寒さが肌を撫でる。
「……ねえ、布団の中じゃだめ?」
「良いが。……それこそ、どうなっても知らぬぞ」
「……良いよ。でも少しだけ、少しだけだからね!」
「ははっ、承知した」
蒲団の中、着たばかりの衣類を乱しながらお互いの身体を密着させた。
逞しい身体に直接触れていると雄を意識してしまう。
お茶が大好きなぽやぽやおじいちゃんなんて、本当はいないのだ。
そう見せたいだけであって、中身はただの……。
「主。……もっと深く触れ合いたいのだが。……駄目か?」
しおらしいお願いに反して、その目には意思の強さが光っており、私の返答など関係ない。
私は少しだけ明日の事を考えた。彼は戦場に行く可能性が高い。
それは一瞬の判断で滅ぶ世界だ。懸念材料は一つでも減らしたいのが本音。
「少しだけ、だよ。明日には響かせないのが絶対だからね!」
「心得た。今日はほんの戯れ程度にしておこう」
少しだけ、なんて約束が守られた事はない。
求める時はいつも、最後まで。
甘やかな言葉を囁いて、名前を呼んで、見えない場所に傷を作って。
この時だけは、私と彼。二人だけの世界。
もう見られて怖いものもない。知られて嫌なものもない。
私の全ては、彼のものだ。
彼もまた、私だけのものだ。
この一時だけは。
「────ねえ、大丈夫?」
私の方は二度目のお風呂に入りたいくらいには疲れた。
「今宵はよく眠れそうだ」
ぬいぐるみのように私を抱きしめ、頬ずりをする。
全然力が入っていなくて、ヌラリヒョンもお疲れのようだ。
「じゃあ寝よ。明日は大変なんだから」
「心配いらぬよ。儂とてそれなりの経験はある。それに儂は戦に勝つよりも大事な事があるのでな」
「大事な事?」
「其方を悲しませぬ事だ。その為にも、儂は無事に其方の下へ帰還する」
髪に落される口付けを、私は信じよう。
「……晩御飯は一緒に食べようね」
「ああ。それまでには済ませたいものだな」
目と目を合わせて、どちらからともなくゆっくりと唇で触れた。
明日の無事を祈って。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ。主は今日もよく頑張っておったな。偉いぞ」
寝る前に撫でて褒めてくれるのはいつもの事でほっとする。
こうして、ちゃんと私を見てくれる人がいる。支えてくれる人がいる。
だから私は、戦だらけのこの界でも安心して明日に進めるのだ。
(20220321)
-------------------
【あとがき】
これは支部のもの。
甘いばっかりのヌラリヒョンを書こうとしたもの。