あなたと振り返るおもいで


ちらちらと雪が降る大晦日。
独神の私は今日ばかりは仕事をやめ、自室の掃除に励んでいた。この一年で増えた私物を黙々と整頓していると、何故だかそれをじっと見てくるヌラリヒョンがいた。大人しく文机の前に座っているのだが、何が目的なのやら。
私は一通りの物を押し入れから出すと、ぼんやりと居座るヌラリヒョンに言った。

「ここにいたって何もないよ? 自分の部屋の掃除はいいの?」
「儂は物が少なくてな。腰を据えて掃除する程ではないよ」

いつもの気紛れであって用件はないのだろう。私は構う事無く掃除を続けた。英傑から貰った物を一つ一つ手に取ったり、頂いた手紙を読み直したり。そういえばと英傑に貰った服を広げてみた。派手な色遣いのその服はとある英傑と二人で出かけた時に着ただけのほぼ新品だ。独神が目立っては悪霊に狙われるからとなかなか着れないでいる。
あ、と気付いた私はヌラリヒョンを見た。振り向いた私をヌラリヒョンは不思議そうに見返した。

「なにか困りごとでもあったか」
「あ、ううん。全然……」

私が着物を畳むとヌラリヒョンもまた明後日の方向へ顔を向けた。監視されているのではないかと思ったが私の思い違いだったようだ。他人が個人の空間にいると気にしたくなくとも動向が気になり集中を欠いてしまう。今は一人が良い。

「ねえ、他の英傑の所にでも行ったら? 手を借りたい子もいるだろうし」
「邪魔をしておらぬつもりだが、気配をもう少しばかり消そうか」
「いやでも思い出を振り返っているから……ちょっと、ね。あなただって長生きしているなら私より沢山思い出があるでしょ」
「いいや。儂にはない」

ヌラリヒョンは断言した。あまりにはっきりと言うものだから、聞き返さずにはいられなかった。

「……ない? あれだけ生きてるのに?」
「ああ」
「この一年ぐらいは覚えてるでしょ?」
「多少は残っている。だが振り返るほどの事はこれといってないな」
「いや、あるでしょ」

むきになって言い返すが、ヌラリヒョンは顎で窓を指した。

「其方がはしゃいだこの雪だって、儂には何百回と見てきたものでしかないぞ」

そうだけど。
何百年と生きている老妖にとって物珍しい物はこの世に殆どない。私の気持ちと重なる事もまた殆どないと言う事だ。
そう思うと、寂しい。

「振り返ったところで過去は過去。二度と戻らぬ幻。ならば、今目の前にあるものを大切にするのが良かろうと儂は思うのだがな」

細くなった目の奥、鮮黄色の瞳孔が拡張する。
私はふいに目を逸らした。

「……掃除手伝って」
「大切なものなのだろう。儂のような他人に触れさせて良いのか」
「あなたなら雑に扱わないでしょ」

ヌラリヒョンはのっそりと立ち上がると、私が広げた品々を前に腰を下ろした。この中にヌラリヒョンから貰った物は何もない。思い出としてとっておけるような品は一つとしてない。何度もお伽番を担当したし、何度も遠征について行った事もあるが形として残ったものは皆無である。ヌラリヒョンはその事を何も思っていないのだろうか。僅かな希望を抱く私とは裏腹に、ヌラリヒョンは丁寧に淡々と仕分けしてくれている。
その中の一つ、櫛を手に取った。

「ほう……。これはまた随分と良い櫛だな」
「それはクシナダヒメが選んでくれたの。綺麗な髪だからどこで買っているか知りたいって言ったら一緒に買いに行くことになって」

あれは、六月なのにからりと晴れた日だった。クシナダヒメとククリヒメと三人で出かけた。つげ櫛専門店に着いた私たちは、ああでもないこうでもないと言って私とククリヒメの櫛を選んだ。その後は暑いからと甘味処へ入り、少し涼むはずが期間限定の甘味に惹かれて三人でいくつも食べ比べたのを覚えている。話が盛り上がっている最中に悪霊が現れ、二人がさっさとこれを討伐。町に被害はなかったのだが、甘味に使われていた氷は戦闘中に溶けてしまって味が薄まってしまった。すると店主が礼にと言って、まだ店に出ていない試作品の甘味を出してくれて、これまた三人で美味しいと繰り返して食べた。
これを思い出すのに、櫛一つ。普段は意識していないが物が鍵となって思い出の引き出しから取り出したのだ。生きた時間だけ記憶は増え、奥へと仕舞われて取り出すのが困難になっていく。だから鍵となる物を手元に置いておきたいと思うのに。ヌラリヒョンはそれを不要だと言うのだろう。取り出す必要はないと。
だが私は、何度も取り出したい。皆との出来事を何度だって。箪笥の奥で肥やしにばかりしたくはないのだ。

「儂も、其方になら櫛を贈るのも良いかもしれぬな」
「その櫛普段使いしてるけど」
「ああ、そうか。……そうだな。はっはっはっ」

残る物を渡したくないなら無理しなくて良いのに。思い出を振り返る楽しさを少しだけでも共有出来たらと思っていたが、これでは興覚めだ。頼んでしまった手前途中で断るわけにもいかず、私たちは二人で思い出を整理していく。
私はもう一度横目でヌラリヒョンを見た。視線に気づいたヌラリヒョンが「どうした」と聞いてくれる。これらのやり取りも明日明後日には忘れてしまうだろう。半年後なんて絶対に覚えていない。それでもヌラリヒョンは『今』を愛でて『過去』への執着はあっさり捨ててしまうのだろうか。

「過去が幻で、今が大事なら、未来の事はどう思ってるの?」

ヌラリヒョンは徐に口を開いた。

「──────」

その言葉は、私の耳にしっかりと届いた。