午後零時、○○○○の予感がする


 頬杖をつきながら独神は外を眺めていた。
 闇の中にいくつか小さな明かりが揺れ、英傑達の笑い声が聞こえる。
 炬燵机の上には四方に散らかっているはずの紙の一切がなく、整理整頓が行き届いていた。
 ハハキガミ監督の元、独神が一日かけて清掃したのだ。

 今日の執務室は全体的にさっぱりとしている。
 長火鉢の周囲に置いた座布団も、平常と異なり四隅が同じ方向へ並んでいる。
 日中炬燵に入りきらない英傑達がそこで暖を取るのが常だが、真っ直ぐに直す者は殆どいないのでいつもは左右に踊っているというのに。
 炬燵机の傍で古い加湿器がしゅーしゅーと湯気を吐いた。これはツクヨミが持ち込んだものだ。
 火鉢の乾燥を嫌っての事だが独神は細かいことを考えないので半分置物と化している。
 壁際に上から下までびっしり敷き詰められた本棚も、今日は背表紙が一様に独神を見つめてくる。
 本棚を作ったのはオオクニヌシだ。
 独神が持ち込んだ教本や地図、八百万界の歴史書などが大量に床に積み上げられていたのを見かねてある日勝手に設置したのだ。
 それでも独神が床に置き重ねるものだから、クツツラやイッタンモメン等の几帳面な英傑達が内容や日付で管理する。
 入りきらなくなれば古い物から順に蔵へと運ばれていく。
 その蔵は結界を張って厳重に守っているが、英傑達の能力によって何度も崩壊した。
 敷地内に安全な場所はないのかと最初は言葉を失っていた独神だったが、ヒエダアレイに瞬間記憶能力があると判明してからは、重要なものは全て記憶してもらい、中でも大切なものは別の場所に保管するようになった。
 どうしてそう何度も物を壊すのか。独神が溜息と共に零すこともしばしば。
 形あるものは壊れる。当然の事じゃないですか。
 そう言ってセトタイショウはにこにこしながら独神に諭した。
 素直な独神はその言葉に同意し、最初の頃よりずっと怒らなくなった。
 あるがままを受け入れる。
 個性豊かな英傑達と生活を続けるには多様性を受け入れなければならない。
 自分とは違う価値観であっても、肯定的に見るように心がけた。
 だがそれは己を殺す事とは違う。とカシンコジは声高に説いた。
 それを援護するように、悪いことは悪いで注意すべきだとエンマダイオウが憤慨した。
 なら正しさとは何か。テンカイがエンマダイオウに問答を持ちかける。
 話が高度になっていく中、ネンアミジオンは静かに耳を傾けていた。

 独神は、よく判らなかった。
 何を考えても肯定され、否定され、その都度自身に向き合い、己の気持ちを確かめた。
 アマツミカボシはそれを鼻で笑い、他人の言葉に左右されるばかりの意志薄弱者と罵った。
 ウンガイキョウがささっと鏡を持ってきて、あれは元気づけようとして言葉選びに失敗しているのだと教えてくれた。
 イツマデも悩んでいればいいと怪鳥は楽し気に笑い、悩むとお腹が空きますと翼をテッソに齧られていた。
 ならば腹いっぱい食べろとダテマサムネが豪華な料理を並べると、端からガシャドクロが食べ進み、ヤマオロシが用意した至高のネギ料理をも食い尽くしていった。
 やっぱり基本はお米だと言って、タワラトウタとウカノミタマ、ワカウカノメ、カマドとその保護者エンエンラが各種おにぎりを並べ、中に何が入っているか当てようぜとイシマツが言っている間に、チョウチンビがもぐもぐと食べていた。
 じゃあシーサーは踊るサーとシーサーが躍り、コンピラとウラシマタロウもそれに乗った。
 宴の始まりねとオトヒメサマが走っていき、あらあらとヤヲビクニが口に手を当てた。
 飯食ったら次は酒飲んでぱーっと楽しい事をやっろうぜーとチョクボロンは笑って一升瓶を突き出した。
 わざわざありがとさんとシュテンドウジが横から酒を奪って飲み干していき、それをイバラキドウジとカネドウジとキドウマルが囃し立てていた。
 溜息をつきながらお茶を渡してきたのはトラクマドウジ、その後ろでクマドウジがにこりと微笑んでいる。
 主君がどんな罪を犯そうと、私もまた同じ罪人であるとアマクサシロウは金髪を揺らし、迷う独神に寄り添った。
 将軍の足を引っ張る愚か者どもは全て斬ってやるから名を明かせとマサカドサマは血をよく吸った刀を光らせた。
 アンタは物騒な発想しかねえのか。でもぶっ潰すなら俺も協力するとダイダラボッチは貝を頬張りながら言った。
 確かに力で抑えることも必要だとオーディンは助言した。
 大事なのは愛ですとフレイヤは反論した。
 愛の重要さには同意です、だから七福神を一緒に推しましょうとキッショウテンは手製の七福神布教本を渡してきた。
 七人ならば奇数なので嫉妬せずに済みそうですとハシヒメはにこやかに言った。
 ぐだぐだ考えてないで寝ればなんとかなるとサンネンネタロウは枕を渡してきた。
 ニャーとネコマタとゴトクネコは添い寝と称して先に夢の中へ落ちた。
 寝ることは大切な事だ、身体を大事にしろとアカヒゲは滋養薬を飲ませてくれた。
 結局酒なんだよとスクナヒコは薬酒を無理やり口に含ませた。
 断る勇気は必要だからねとコトシロヌシは独神を叱り、断れない時だってあるとオフナサマが反論した。

 どうして寝る流れになっているのだろうと独神は思うが、大体いつもこうやって流されていく。
 言われた通りに自室に帰ってみれば、蒲団からは九本の尻尾が顔を覗かせていた。
 主殿《あるじどの》の蒲団を温めておいたぞコンコンとタマモゴゼンが言うと、それは拙者の台詞ですぞと天井からヒデヨシが現れた。
 猿は儂の草履でも温めていろとオダノブナガが言えば、それなら私がとモリランマルが手を上げ、ノウヒメまで立候補すると言い出した。
 それらを冷ややかにオイチが眺め、面倒だから燃やして良いですかとアケチミツヒデが舌を打つと、ヤヲヤオシチが先に火をつけた。
 火付けをしない約束だろうとアタゴテングは消化しながら叱り、皆仲良くしましょうよとナキサワメが泣いた。
 豪雨の中大声で笑うアメフリコゾウが外を駆け回り、今日は星を見る予定だったのにとシュンカイは肩を落としいた。
 見兼ねてオモイカネが気象を操り雨雲を払うと、ライジンがぷんすこと抗議した。

 自室が少し焦げて呆然とする独神であったが、柱の陰からコロポックルが顔を覗かせた姿か可愛かったので、ある程度どうでもよくなった。
 ククノチが修理用の板をわざと重そうに持ち運び、ライデンとキンタロウが軽々と道具類を持ち込んだ。
 こうなったら主《あるじ》さんは誰かの部屋で寝るしかないなとトールが楽天的に言うと、辺りの空気が一瞬で冷え切った。
 いつもこうやって何気ない事で火蓋が切って落とされるのだ。
 なら私とタマちゃんと三人でどうですかと、いつの間にか現れたイシコリドメが提案し、タマノオヤはおずおずと手を上げた。
 そして当然ながら周囲に却下され、じゃあ俺の部とミツクニの台詞を遮ってマカミが僕とーと耳をぴくぴく動かした。
 私のところなら静かだし子守唄も奏でてあげるよとヘイムダルが言うと、待ったをかけたのはビワボクボクとホウイチとセミマル。
 言葉はないが各々が楽器で主張し出した。
 じゃあ私の所でも良いんでしてよとカグヤヒメが噛みながら言うと、背後からアギョウとウンギョウが顔を出し今なら可愛い兎が二人もついてくると主張した。
 待って。睡眠といえば当然俺だよね。悪夢を見ることだってないんだよとバクは勇気を振り絞って主張した。
 お、俺……と手を上げたボロボロトンだが、その手は最後まで伸びる事無く帰っていった。
 同衾なんてはしたないことはおやめくださいましとイワナガヒメが主張したのと同時に、横のコノハナサクヤは私となんてどうですかと誘っていた。
 それを見たニニギは落ち込み、アメノウズメがそれを慰めると、またそれを複雑そうにサルタヒコが見つめた。
 一連の流れをふふふとハンニャは嬉しそうに笑う。
 こんなに煩くしたら主《あるじ》さまが困るでしょと、ヤマヒメが厳しく叱咤した。
 見た目の愛らしさとは異なる冷たさに、なんとなく英傑達は黙った。
 その隙に独神は空き部屋で寝ると主張し、その日は平和に終わるのであった……という見立ては甘かった。
 夜になればサイゾウやモモチタンバ、サルトビサスケやフウマコタロウが部屋の周囲に潜伏しており、気配がないとはいえ独神は誰かがいるという圧迫感で見事に悪夢を見た。
 途中いい夢になったのは、ザシキワラシが傍にいてくれたとかなんとか。


 独神は英傑達を率いている立場である為、一年の殆どを本殿の中で過ごしていた。
 それでも窮屈ではなかったのは、英傑達がいつも明るく騒がしく落ち着く暇がなかったからかもしれない。
 思えば色々あった。ふと綺麗すぎる本棚が気になり過去の記録に手を伸ばした。

 あれは秋。
 秋桜が咲き乱れ、山の色も赤や黄色等色彩豊かに染まっていく時期。
 虹非時の種が大量に発生し、栗を拾うようにせっせと拾い上げた。
 戦闘に直接関係がないので手伝いを嫌がる英傑達も多かったが、血が流れる事のない平和な出来事にイッスンボウシやクウヤたちはにこやかに手を貸してくれた。
 そんな時に出会った三人の英傑、ククリヒメ、ゴトクネコ、キイチホウゲン。
 ククリヒメはアマテラスと面識があったこともあり、すぐに仲が良くなった。
 ゴトクネコに特別な事はしていないがいつのまにか本殿に居ついていた。
 キイチホウゲンはなかなか気難しかったが、何度も共に悪霊を倒したり、非時の祭花で作った花束を渡していると独神に何かを感じたのか手を貸してくれることになった。

 次の記録を取り出した。
「秘境の埋蔵地図」の噂が広がり、トドメキやフクスケを中心に探索しやっと見つけた「八百万の秘境」で戦貨を大量に入手した。
 あの時の戦貨で家具やぬいぐるみをいくつも購入した。ぬいぐるみなどは執務室に置いていないが、隣の部屋には今でもびっしりと敷き詰められている。
 時々人目を憚りカイヒメがやって来るとクダギツネやシロとぬいぐるみで遊んでいる。

 隣の記録は妖族による百鬼夜行で、総代にシュテンドウジが選ばれた時の事。
 すんなりとはいかなかったが、問題の悪霊も倒し百鬼夜行は無事に終わった。
 その後イッタンモメンとオトヒメギツネが本殿に所属した。

 独神は記録を仕舞い、その隣の記録に手を付けず適当な一冊を手に取った。
 七夕の記録だ。独神を始めて、最初の七夕。
 オリヒメに出会い、アメノワカヒコの為の機織りをタムラマロと手伝った。
 流星鳥の羽根には「八百万界の平和」と書いたような覚えがある。
 あの時よりは今の八百万界はそこそこ平和かもしれない。
 ベリアルを倒し、パズスを倒し……。悪霊は各地にいるが、次の魔元帥は現れていない。

 次はもっと先の記録を開いてみる。
 冬、受験の記録だ。ゲンシンとベンザイテンとの買い物から帰ると荷物に一通の手紙が紛れ込んでいた。
 それがオジゾウサマからのもので、フグルマヨウヒを手伝って欲しいという内容だった。
 当時は差出人がなく、文中でも名を明かせないとあってとても怪しかったのを未だに覚えている。
 けれど、手紙の言うとおりに手助けをして正解だった。
 今では関わった英傑達は全員本殿に所属している。

 もっともっと次の記録へ。
 夏、琉球旅行の記録だ。六傑が日頃の感謝にと贈ってくれたのだ。
 最初は対立する事もあったが、今では頼もしい英傑たちだ。
 イザナミは冷たそうに見えるが実際は愛情豊かである。戦では一転して見事な剣技で場を制す。
 ヒミコは邪馬台国の女王であったこともあり尊大だが、接していると可愛らしい少女の面が顔を出す。
 コノハテングは子供のように素直だ。腕力に秀でており、どこにでもいける両翼と共に随分と世話になった。
 イイナオトラは純真な面の中に領主としての顔も持っており、真っ直ぐすぎる信念には脱帽した。
 テンカイはいつになってもよく判らない英傑であったが、鳥鍋を振舞ってくれた時は少しは心を許してくれているのだと感じられた。
 ハットリハンゾウは猫のナバリを連れた忍で、苦言を呈する事が多いが多くの面で助けられた。

 最初から共に戦ってきた八傑ならともかく、六傑にまで大きな贈り物をされた時は大層驚いたものだ。
 と言っても、最初は旅行を当てたのは独神自身と思い込んでおり、現地ではシーサーやナマハゲやオノノコマチと駆け回り、
 ミズチに波の竜玉を返却していた。最後の最後だ。旅行が贈り物だったことを教えられたのは。

 次の記録へと手を伸ばした独神であったが、本棚を眺めるだけで次のものを選ぶことが出来なかった。
 四年である。四年のという月日が思う以上に長かったことが、背表紙の数で判る。
 次を迷ってしまうだけの思い出が、ここにはある。英傑達との記録を数えきる事なんて出来ない。
 唐突に思い出の重圧を覚えた独神は、炬燵へと帰った。
 そして再び頬杖をつき、外を眺める。灯りは随分と減っていた。
 記録に目を通している間に夜が進んだようだ。

「随分物思いに耽っているようだ」

 聞きなれた低い声が独神の耳を叩いて現実に戻した。
 頬杖を外して背筋を伸ばす。

「……いつからいたの」
「いつだったか。……忘れたな」

 今ままで引き戸の音も床が軋む音もなかった。
 八百万界への影響力とは対照的に、当人の気配は霞の様に薄い。
 認識して対峙して言葉を交わして初めて、有力者であると思い知らされる圧倒的存在感。
 それがヌラリヒョンという妖だった。

「そんなに見つめられると儂とて面映ゆいのだが」

 照れた様子はなく独神は何も言わない。
 真意を探り合うように二人は見つめ合った。

「……さて邪魔するぞ」
「どうぞ」

 長机の短辺にヌラリヒョンが陣取ると、長辺の独神は反対へともぞもぞ動いた。
 こうする事で互いに触れずに足を伸ばせるのだ。

「おや。仕事は片付いているようだな」
「知ってるでしょ。もうないって」
「そうであったな」

 悪びれなく言うと今度は辺りを見回した。

「……部屋が随分広く感じるな」
「床が片付くだけで印象って変わるよね」

 部屋にある物の量は変わらず、ただ所定の位置に片付けただけ。
 だが不思議と部屋はがらんとしていた。

「こう綺麗だと部屋の主の美しさが際立つ」
「床を磨くだけで口までよく滑るようになるとは知らなかったよ」

 いつもの事だった。ヌラリヒョンはさらっと褒める。
 何の重みもない。挨拶と同じく形だけのものだ。
 そうした分析をよく英傑達は“独神は何でも見透かす”と言うが、独神とて一血卍傑が使えるだけの凡人である。
 サトリのように心を視る事も、オトヒメギツネのように未来を見通す事も出来ない。
 なのに何故か英傑らは過剰なまでに独神を褒め称えて持ち上げる。
 四年もの間、蝶よ花よと随分甘やかしてもらったように独神は思う。

 厳しい英傑がいなかったわけではない。
 ワヅラヒノウシは自己否定から独神の事を否定する事も多かった。
 自身でさえ否定する己を肯定する存在を信じることが出来なかったのだ。
 ツチグモも独神に噛み付く事が多かった。が、彼の場合は慣れると態度が一転してしまうので、厳しい枠には入らないかもしれない。
 独神に靡かないと言う意味ならオオタケマルもそうだ。
 いつになっても本殿を乗っ取る野望を捨てず、虎視眈々と狙っていた。

 再びぼんやりとしだした独神の事を、ヌラリヒョンは何も言わずにじっと眺めていた。
 独神の頭が前後に揺れだすと、突如背筋を伸ばしまたヌラリヒョンを見た。
 その様はまるで小動物が敵を警戒して耳を立てているような素振りである。

「其方は面白いな。……そして綺麗だな。綺麗になった。出会った頃よりずっと」
「あなたは変わらない、ずっと」

 特別意識はしていなかった。なにせ本殿には英傑達が二百以上いる。
 そしてその多くが独神を構い倒した。
 ヌラリヒョンは積極的に独神に近づいたり、他の者と隣を奪い合うような争いには参加しなかった。
 それなのに不思議と、思い起こすとヌラリヒョンが独神の視界の中にいつもいたように思う。
 距離感は昔と変わらないまま。時折目が合う程度の距離が四年間の二人だった。
 独神ガチ勢などと言った言葉が本殿内で用いられるが、ヌラリヒョンはそれにかすりもしない。
 いつだって傍観者だった。

「いいや、儂は変わった。
 朝の澄んだ空気を思い出した。
 昼の心地よさに身を委ねる事を覚えた。
 そして、夜の……孤独を思い出した」

 そっと独神は目線を泳がせた。
 独神は寧ろ夜の心地よさを知り、一人の楽しさを思い出した。
 静かな夜は独神の重い羽織を脱がせて、自由を与えてくれるものだ。

「私は……変わったのかな。変われたのかな。判らない。
 でも私は変わりたくなんてない。今のままでいいの」
「主《ぬし》……」

 困惑したような声色が、独神の繊細な何かに触れた。
 目を細めて語気を強める。

「"ぬし"じゃない。私はそんな名前じゃない」
「しかし其方、儂に名をくれたか」
「伝えられるわけないじゃん。独神だよ。私は独神以外の何かにはなれないの」

 独神は独神になりたくてなったわけではない。
 気付いた時には独神だった。英傑達を率いる存在だった。
 己の祖となる者も判らず、導く者もいない。八百万界を救うという目的だけが胸にあった。

「……呼んで。主って」

 縋るように甘えてみせると、ヌラリヒョンは嫌な顔一つせず「主」と呼んだ。

「……うん」

 満足そうに独神は微笑んだ。
 それはくすぐったい心地だった。
 自分よりもずっと歳上である者に主人として傅かれるのは。
 恐れ多い。本来ならば若者の独神は引っ張るより引っ張られる方が正解である。
 イザナギが代わりに率いてやるといった時には、子供らであるはずの神々が罵詈雑言で反旗し全くと言ってまとまらなかった。
 誰かが代わっても、結局最後は独神が長とされてしまう。

「其方も儂の名を呼んでくれぬか」
「ヌラリヒョン……?」
「ははっ、そうだ。総大将ではない。其方の下に集う英傑の一人だ」

 最初は八人の英傑からだった。
 ヤマトタケルにシュテンドウジ、モモタロウにスサノヲ、ウシワカマル、アマテラス、ツクヨミにジライヤ。
 八百万界で彼ら以上の者はいないとされた八人の力をもってしてもベリアルは倒せなかった。
 そして彼らの力を受けた独神は一血卍傑を完成させ、初の桜代であるタケミカヅチを産魂《むす》んだ。
 その後は鶺鴒台や召喚台、時には遠征で、英傑達が爆発的に増えていった。
 二百人もいれば町が形成出来るほどだ。

 独神は平等に英傑達に愛情を抱いていたが、月日が経つにつれ自然と贔屓してしまう事が増えた。
 極上の酒であったり、お団子であったり、お歳暮であったり。
 皆に渡すにも、まず誰から渡そうか考えた時、数人がまず頭に浮かぶようになった。

「私もやっぱり、変わったんだね……だって……」

 震える唇を噛んだ。零れ出でるそれを内に留めるように。

「だって……?」

 ヌラリヒョンは優しく促した。だが独神は首を振った。

「……あなたには教えてあげない」
「これは困った。無理に暴きたくないのだが」
「しないよ。だってあなたは私の嫌がる事しないもの」
「これは一本取られたな」

 言葉の代わりに視線を交わした。
 互いに柔らかな微笑みを浮かべる。

「あなたのこと、このまま見てていい?」
「勿論。だがその分儂も其方を見る事になるが、構わぬな」
「うん」

 普段なら照れくさくて、見ないでと言う所だが今日はそんな気にはなれなかった。
 いつまでも見ていられるし、見て欲しいと心から願った。
 顔なんて毎日見ていて特別珍しいわけではないのに、今夜はずっと見ていたい気分だった。

「物事に永遠などありはしない。とは言え、変化というものはなかなか応えてな。
 長生きした身で多少界の理を知った者と言えど、幾年も変わらぬものがあって欲しい、と僅かながらに願っているのさ」

 独神の笑みが消えた。

「……嘘でしょ」
「何故そう思う」
「変化のない平坦な道のりなんて面白くない。……って、前言ってたじゃない」
「それが全てに等しく当てはまるわけではないよ。主もそうであろう。時々により変わるではないか」
「そうだけど」

 ヌラリヒョンの口から出た、不変の祈りを聞いて胸がざわついたのだ。
 否定の言葉を放たずにはいられなかった。

「じゃあ、あなたにとって何が変わって欲しくないの? 永遠であれと願うものは、なに?」
「ふむ。……儂は腹の中を話すのが不得手でな」
「昔話はいつも流暢で長いのに?」
「ははっ、内容によるさ」

 結局ヌラリヒョンの願いは判らなかった。

「……私の願いもいつかは叶うのかな」
「叶うさ。……多分な」
「言い切ればいいのに」
「無責任に肯定は出来ぬよ。主にとって重要な事なのだから。流石の儂もいい加減に流さぬさ」
「……今日は妙に誠実なのね」
「偶には良いではないか」
「そうね。偶にはね」

 普段から機微を読むのが上手かった。だから一緒にいて何も負担を感じることがなかった。
 だがそれは独神に本音を隠し続けていたとも言えるのかもしれない。

「それにどんな願いを抱いたとて、叶う時には叶い、叶わぬ時には叶わぬ。
 儂の力では其方の苦しみをどうしてやることも出来ぬのさ」

 そんな言葉聞きたくないと独神が思うであろう事を、ヌラリヒョンは承知しているのだろう。
 敢えて言うのはヌラリヒョンなりに本音を見せようとしているのかもしれない。
 だから独神も同じように相手を傷つける事を恐れず言った。

「達観した言葉なんて聞きたくない。したり顔で現実的な事言わないで」
「……すまない」

 肩が小さくなるヌラリヒョンに慌てて言った。

「違う。……ごめん。あなたを否定したいわけじゃない。
 受け入れたいとは思う。でもそんな現実受け入れられない、私は。
 叶わない理想を私は抱いてしまう。夢を見る事をやめられないの」

 諦めてしまえば楽になる。
 もしかしたら元気づける意味でヌラリヒョンは言ったのかもしれない。
 だが独神は楽になる道へ行くことを拒んだ。

「其方の柔らかで剥き出しの心が儂には眩しい。……己の目を焼き全てを奪うようだ」
「ごめん……」

 現実を見る者からすれば、理想を追いかける者は愚かで仕方がないだろう。

「そうではない。そうではないのだ、主。
 儂もまた、其方との差異を淡々と見つめるだけの自分がいる。
 本当にそれで良いのかと自問している。だが出る答えはきっと、其方が望むものにはならない」
「…………。あっそ。……でも。いいよ、それで。
 だって私とあなたは違うんだから。
 違うけれど、それでいいの。だってそれがあなただなんだもん」

 独神と英傑は交わらない。決して。

「主……」
「あなたと同じになりたいよ。でもきっと同じだったら私、……あなたのこと……」

 犬のように首を大きく振った。じわりと染み出した涙を抑える事に成功した。

「不毛よ。こんなの……」

 瞼を落とし深呼吸する独神に、ヌラリヒョンは手を伸ばした。しかし触れる前にそっと手を戻す。

「儂は、其方が其方であって良かった。心より、そう思っている」
「……うん」
「其方こそ、儂で良かったのか。こんな爺で満たせるものが果たしてあったのだろうか」
「あったに決まってるでしょ。……あったの。沢山、あった。あるの。いっぱい、数えきれない位あるの」
「だが」
「あなただからいいの!」

 また唇を噛んだ。大きく息を吸い、吐く。
 呼吸を整え滾る気持ちを抑える。努めて冷静に言う。

「……良いの。きっと。あなただからこそ。あの時分に偶然いたあなただからいいの。
 あなたとの出会いに間違いがあるはずないんだから」

 唇の動きでぬしと形作る。

「それにそれはあなただって……。あなただって、だって……選択したわけじゃない。
 あなたが私を選んだわけじゃない。ただ手繰り寄せただけ。一血卍傑の力による強制召喚で」
「……其方の言葉を借りるならば、偶然いた其方だから良いのだ。
 儂は確かに自分の意思でここに歩んできたわけではない。
 それでも儂は感謝しておるのだよ。其方と出会えたあの日の事を」

 偶然と偶然。

「運命などという強く強固な導きではなかったのかもしれぬ。だがそれでも良いではないか。
 小さな事象を積み重ねて今がある。
 それがこうして、其方と儂が見つめ合えるまでに至ったのだ」

 独神は天井を見上げた。そうでなければ瞳に溜まった雫を零してしまう。
 奇怪な行動にもヌラリヒョンは何も揶揄する事はなく、静かに外を眺めていた。
 感情の昂ぶりを抑えこんだ独神は軽い口調で言った。

「今日が終わっちゃったね」
「ああ」
「今日みんな静かなんだね」
「ああ」

 英傑は知らない。明日という日に何があるのか。正午には何が起こるのか。
 独神はそれを決して明かす事は出来ない。
 ヌラリヒョンがいくら察しが良いとは言え、明日の事を知らないはずだが年の功か妖の勘か、今日はいつまでも傍にいる。

「寒くない? 大丈夫?」
「儂は慣れておるからこの程度は平気さ。それよりも主が」

 外套の紐を解いていくヌラリヒョンを制止した。

「いい。大丈夫」
「しかし」
「いいの!」

 独神はつい声を荒げた。

「……本当に、いいの。……気持ちだけで、その優しさだけでいいの」

 震える唇で紡がれた言葉に、ヌラリヒョンは大人しく紐を結び直した。

「ならば羽織でも持ってくると良い」
「うん」

 隣接した私室に入るとぽろりと一滴流れていく。
 みるみるうちに瞳に溢れる涙を袖の内側で拭き取り、普段使いの羽織を掴んで部屋を後にした。

「どの上着にしようか迷っちゃって。それに部屋全体が埃っぽくて、掃除サボってちゃ駄目だね」

 余計な言葉をついつい口にしてしまう。何も言わなければ勘ぐられずに済んだのにと後悔しても後の祭り。
 残っていた涙が目頭で膨らんで落ちそうになるのも慌てて拭き取った。
 独神は一連の行動をヌラリヒョンが指摘しない事を祈った。

「女の用意に時間がかかるのは当然だと、誰かが言っておったな」
「タマモゴゼンかな?」

 くすりと独神が笑うが、ヌラリヒョンは明後日の方をぼんやりと眺めていた。
 言葉に表さずとも察してくれるのは長い生によるものだろう。
 いっそ話してしまいたくもなる。だが、口はしっかりと縫い付けておく。

「もう結構遅いよ。寝なくて良いの?」
「妖の儂は今が其方の昼間の様なものさ。しかし其方が床につくのであればすぐに立ち去るが」
「ううん。まだ起きてるから大丈夫」

 真夜中はとっくに過ぎている。外は闇一色となり声もない。
 それでも一向に帰ろうとしない。口数も減って黙りこくる時間が長くなる。
 そんな中炬燵の温かさについうとうとして舟をこいでしまう。

「そろそろ寝たらどうだ」
「……平気」

 か細い声で独神は答えた。話しかけられた事で少し覚醒した独神は再び外を見てぼうっとしていると、今度はヌラリヒョンが一瞬舟をこいだ。

「今寝たでしょ。風邪ひくから部屋に帰ったら」
「はて。其方の見間違いではないのか」

 二人はなかなか眠らなかった。
 寝てなるものかと意地になっていた。

「寝た方が良いのではないか。夢を見れば少しは慰めになる」
「夢なんていらない。でも……現実だっていらない」

 触れた事はない。だが確かに温もりはあった。
 隔てた世界に生きる独神と英傑達の間に。

「逢魔時にでも案内しようか。それとも大禍時か」

「どういうこと」という独神の言葉は声にならなかった。
 ヌラリヒョンの言葉がぐにゃりと曲がり独神の耳を通っては過ぎていく。

 誰そ彼

「……ねえ」

「…………」

「…………」

 彼は誰

「…………」

「…………」

「…………」

「…………──」


 誰とも判らぬ声でありがとうと聞こえたような気がした。


「(いっそ、さようならと言ってくれれば……)」



 ────この想いは愛情ではなく執着だと、捨て去る勇気を持てたのに








 朝の日差しが執務室を照らす。
 光を背にしたイッシンタスケは大きく息を吐いた。

「ったく、二人して寝落ちしてんじゃねぇっての」

 寝坊助二人を起こしてやろうと近づくと、二人が遠いながらもしっかりと手を繋いでいるのを見つけてしまい一歩下がった。

「素直じゃねぇのは似た者同士か」

 不器用なやり取りがイッシンタスケの目にも浮かぶようだった。
 その場をそうっと離れ、執務室を出ると今まさに入ろうとしていたカマイタチに出くわした。
 急いで後ろ手で戸を閉めると怪訝そうにカマイタチは言う。

「なんだ。主《ぬし》様起きてるなら用があるんだが」
「えっ、ま、待てって。上様寝てた。爆睡してた! だから、他の奴にも暫く入らねぇように言って回ってくんねえか」
「まだ寝てるなんて珍しいな。疲れが溜まってるんだろうし、仕方ないか」
「そう! きっとそうだぜ! オレ様はここにはり紙でもしておくから、なっ!」

 素直に去っていくカマイタチに安堵しながら、イッシンタスケは紙を取りに行った。
 英傑等は独神に関わる事柄については素直に信じるので「起こすな」のはり紙に従い、イッシンタスケ以外は誰も執務室に入る事はなかった。
 どれだけ日が昇ろうとも。

「……熱……昼? ……昼!?」

 日の傾きから時間を察した独神は炬燵机から飛び出した。

「んん……。誰だ朝から騒々しい……」

 掠れた声で不機嫌そうにするヌラリヒョンを独神は軽く揺り動かす。

「もう昼だよ。起きて!」
「うん……? ぬし、か?」

 薄目を開けて映った独神の姿に、ヌラリヒョンは一気に覚醒した。

「急がないと! 服着替えなきゃ。ああ! まだ顔洗ってないのにヌラリヒョンに見られた~!」
「これ、主」

 嘆いている独神の肩を叩いた。恥ずかし気に振り向いた独神に言う。

「今日も宜しく頼むぞ。儂らの独神よ」

「はいはい」と適当にあしらおうとした独神はふと気づく。
 今の時間。目の前にいる英傑。使い慣れた机に見飽きた執務室。
 独神は何度も瞬きをしてみるが一向に景色が変わらない。
 珍しくヌラリヒョンがにこにこと悪だくみ以外で笑っている。

「……うん。そうだね。……そうみたい。
 私が、始める、んだよね。
 でも、始めるなら私だけじゃ駄目だよ。
 皆がいないと……何も始まらない」
「全くだな」

 どきっと独神の心臓が飛んだ。ハットリハンゾウはわざとらしい溜息をつく。

「寝かせてやれと言われてみればこんな時間まで……。やはり主《あるじ》を甘やかすべきではないな」
「にゃー」

 ナバリが同意とばかりに鳴いた。

「ごめんなさい。手間かけさせちゃったね」
「全くだ。しかし俺でなければ主の世話をする奴がいないからな。仕方がない」

 早速独神の腕を掴んで部屋の外へと引っ張っていく。

「っ、待って!」

 独神は振り返るがそこにはもう誰もいなかった。

「どうした」
「……ううん。なんでもない」

 独神の足取りがしっかりとしてくるとハンゾウは腕を放した。
 引き戸を開けると日差しが高く、先程まで眠っていた目がじりじりと痺れる。
 そこにフツヌシがやってきて、粘土の高い液体を独神に突き出した。後ろにはタケミカヅチが全速力で走ってきている。

「主《ぬし》は調子が悪いようだね。これは私が調合した、「主君! ここは俺が押さえておくから、逃げ、あああ薬がタケミナカタへ」

 じょろんと怪しげな液体がタケミナカタにかかると、彼はみるみる小さくなっていった。

「タケミナカタが赤子に!? フツヌシ! これを主君に飲ませる気だったのか」
「うーん、私の見立てでは元気になって走り回っているはずなのだが」
「ハイハイで這いまわっているじゃないか!
「あちゃ、ちゃーちゃー。きゃっきゃっ!」
「タケミナカタああああ!!!」
「ふむふむ。失敗だな。はっはっはっ!」

 騒々しい三人の事を眺めていると「独神様」とショウトクタイシが声をかけてきた。

「独神様、花廊と錬金堂掃除の当番表は出来ましたか」
「……あ」
「と、思って私が作っておきました。ご確認を。良ければ明日から実行致します」
「うん、……うん。これでお願い。ハンゾウ、もう私の事は良いから自分の仕事に戻って」
「御意」

 自称世話係もいなくなり、独神は大きく伸びをした。
 ウカノミタマがお盆を持って走ってきた。

「主《あるじ》様ご飯だよ! 食べやすいようにおにぎり作っておいたの」
「ありがとう! じゃあ食べながら、」
「いけません!」

 ぴしゃりとエンマダイオウは叱った。

「食事は座って行う事。独神様であっても守ってもらいますよ」
「は、はい……」

 縁側に座ってもそもそと食べるとエンマダイオウは満足げに笑みを浮かべた。

「おにぎりにはお茶! そうでなくては完璧ではありませんよ」
「崩してお茶漬けというのも良い……かもしれませんよ」

 オモダル、アヤカシコネが急須と湯呑を持ってきたので独神は礼を言って茶を流し込んだ。
 冷たい身体に流れ込む液体で芯まで温まる。

「はっ!」

 飲み終えた所でサラカゾエと目が合った。その手には盆、その上には急須と湯呑。
 気まずそうに背を向けるサラカゾエを独神は走って捕まえた。

「ありがとう!」

 茶を注いで一気に飲み、盆に戻した。

「美味しかったありがとう!」
「主《あるじ》様……」

 サラカゾエのそのまた後ろにいるセンノリキュウとクウヤのお茶に気づいたので、これまた一気に飲み干した。
 たっぷりと茶が入った腹部をさすると、今度はジュロウと目が合った。

「……べ、別に。腹いっぱいなら」
「大丈夫大丈夫! 食べるよ! ありがとう!」

 ジュロウの桃を平らげるとあふれ出た果汁が指を伝っていく。
 舐めてしまおうかと思った時にはダイコクテンに手を拭かれていた。

「この袋からは何でも取り出せるからね」

 その微笑みを横から現れたオツウが遮る。

「ご主人様、まだお顔も洗っていないのでしょう。お世話いたします」

 そっと手を伸ばした所に待ったをかけたのはフウジンだった。

「ウチだって手伝えるもん! 主《あるじ》様、いっくよー!」

 風袋から飛び出す強風が独神の身体を容易く吹き飛ばす。
 そして水場へと投げ出され、慌てふためくキンシロウに抱きかかえられた。

「……ふぅ。まさか空からお上が降ってくるたぁねぇ」
「はは……。ちょっと顔を洗いに」

 ゆっくりと下ろされていると、ミズチが元気よく手を上げた。

「じゃあ僕がやってあげるよ!」

 ミズチの周囲に水が集まっていき、キンシロウは大声で怒鳴った。

「待て! それだとここが!」

 空中に浮かんだ水球が勢いよく地面に落下し、小さな池が出来た。

「……池程度で終われたか」

 キンシロウが安堵していると、どこからともなく現れたカッパが池で遊び始め、オシラサマの蚕たちが微かな歓声をあげていた。
 新しい水辺に小鳥たちもやってきて、中にはスズメと仲の良い雀もいた。
 おやおやとホウオウが顔を出すので、そんな鳥たちは全員腹を向けて地に落ちた。
 ヤツフサが駆け寄り鳥たちを回収して、少し離れた木の下に鳥たちを避難させるのをフセヒメが撫でて褒めている。

 そういえば顔を洗いに来たのだったと、独神はようやく目的を思い出して水を汲みに井戸を覗き込────

「わあ!!!」

 ヌエの大声に飛び上がって驚いた独神は、そのまま目の前の井戸へと落ちていった。

「主(あるじ)様ぁあああああ!!!!」

 臓腑が上へ上へと引っ張り上げられていく感覚の中、ぴたりと独神の身体が制止した。
 足先には水面。目の前は石壁。横を見れば釣瓶の縄がぷらぷらと揺れている。

「ドクシンさま。怪我はないかしら?」

 天を見上げればフリッグが井戸内部に向かって話しかけていた。

「ふりっぐぅう…………」
「安心なさい。今魔術で引き上げるわ」

 浮遊の魔術を用いて、独神は無事地上へと戻された。
 独神は半べそでフリッグにしがみついた。

「あらあら、そんなに怖かったのね……。大丈夫よ。ヌエにはしっかりとお灸を据えておくわ」
「ひぇっ!」

 脱兎の如く逃げだしたヌエを追って、フリッグは移動魔術で低速浮遊しながらついて行く。
 残された独神にホシクマドウジが笑って言った。

「あの魔術凄かったな! 俺も修行して空中でかっこいい姿を敵に見せつけたいぞ!」
「ちょっとまだその元気は戻ってない。ごめん」

 ふふふとタキヤシャヒメがやってきたので、次はそちらに縋ろうとすると、

「将軍様。わたくしはあなたの御心は判っているわ。……ヌエを呪えばいいのでしょう?」
「違います。全然違います」

 いつ来たのかイヌガミが得意げに言う。

「そうよ。主《あるじ》様のお望みはこの私が手を下せと」
「思ってない。思ってないです全然」

 折角呪える機会だったのにとでも思っているのか、二人は少しむくれてみせた。

「いくらヌエが頑丈そうだからって呪いは駄目だよ」

 二人は肩を落として解散した。
 ほっと一息吐いて顔を洗った独神はのそのそと敷地を歩いた。
 敷地内では討伐のない英傑達が楽し気に談笑しているのが見える。
 丁度近くにいたのはオオワタツミとタマヨリヒメ。表情が乏しいオオワタツミもタマヨリヒメの前だと喜怒哀楽がよく判る。
 雅な話をしているのであろうナリヒラとヒカルゲンジの足元で、スネコスリがスネをコスコスしているのも遠目で判った。
 ニギハヤヒとキジムナーが話しているのは何だろう。珍しい取り合わせである。ニギハヤヒがキジムナーに騙されていない事を祈ろう。
 シンとアマノジャクとロクロクビが固まって談笑しているのはきっと、何か良くない企みに違いない。
 特に夜間は気をつけようと誓った。

「主《あるじ》サマ!」

 空から現れた白い竜は姿を変え、ハクリュウの姿となって地に降りた。

「西に悪霊です。ビャッコ殿だけでは数に押されてしまいます」

 西の要までは距離がある。独神は即座に空に向かって声を張り上げた。

「カラステング! クラマテング! 先に加勢に行って! 状況に応じてビャッコを連れて退却!」

 頷いた二人は背中の羽根を大きく広げて凄まじい速度で西へ飛んだ。

「主《ぬし》さん、俺も行くよ!」

 事態を察したゴクウが拳を握った。独神は頷き、他にも近くにいたガゴゼにも声をかけた。
 二人は龍の姿になったハクリュウの背に乗り、悪霊の所へと向かう。

「わざわざ見張りがいる西を攻めてきたということは、陽動の可能性が高い。独神様ここは拙者に任せよ」

 サナダユキムラが名乗りを上げると、オオモノヌシやユキオンナ、オキクルミを始めとした英傑たちに手早く指示をしていく。優秀な将でもあるサナダユキムラに後のことは任せ、独神はまたふらふらと本殿を歩き出した。

 金切り音に目を向けるとスズカゴゼンとヤギュウジュウベエは剣を交えていた。彼女らは来たばかりの頃、他者との関わりを苦手と発言していたが、今ではよく二人で剣を合わせている。言葉ではなく技で会話するのが彼女らには自然のようだ。
 他にも戦闘中の者がいる。アシヤドウマンとアベノセイメイだ。呪術をぶつけ合い、式を使っているが果たして鍛錬なのか、殺し合いなのか。近くで筆を走らすホクサイが見えたので話しかけた。

「何してるの」
「決まってんだろ! 陰陽師と陰陽師のぶつかり合いだ! いい絵になるぞ!」

 確かに二人の戦いは派手である。本来なら呪いのやり取りで地味な絵面のはずだが。
 その疑問はシバエモンが晴らしてくれた。

「今度の舞台で陰陽師でも、ってな。ホクサイに協力してもらって煮詰めてる最中なんだ。二人にはどっかんどっかんやってくれって頼んでんだ。だから座頭! 見逃してくれ! このとーりだっ!」
「そういう事なら咎める気はないよ。ただ、怪我には気を付けてね」
「おう、安全第一!」

 独神が言いたいのは、うっかり熱が入りすぎて殺し合いにならないように、であるが、多分シバエモンには伝わっていない。英傑は頑丈な者が多いせいか、独神が思う危険の基準が大きく異なる。これはいくら一緒にいてもなかなかすり合わない価値観だった。

「主《ぬし》!」

 なにやら必死な形相で独神の陰に隠れようとしているのはカグツチだ。

「どうしたの?」
「アイツヤベーぞ!!」

 見るとカミキリだった。荒い息を吐きながら鋏を持っている。独神は察した。

「う、へへ……。炎にも痛まない赤毛……」
「そりゃ切っても言いつったけど、オマエオレまで切るつもりだろ!」
「肉はいらないよ」

 独神を挟んでの攻防に収拾をつける為に一つ提案をした。

「ヒトツメコゾウの髪でも切ってきたらどうかな。ほら右側の」

 するとカミキリはブルブル震えだして後方へ飛んだ。

「……。判った。今日は諦める」

 鋏をしまいとぼとぼと帰っていった。

「なんだアイツ。ヒトツメコゾウって何かあんのか?」
「あるらしいよ。詳しくは知らないけれど」

 以前チヨメが教えてくれた事だ。
 右目の部分に何かあるそうだが、情報収集の得意なチヨメでも判らないと聞いている。
 カグツチとはそこで別れた。

「主《ぬし》様。ここにいらっしゃったのですね」

 モミジだった。

「なに?」
「顔を洗うとおっしゃってから帰ってこないので、心配していたんですよ。お召し物もそのままで」

 独神は自身の恰好をすっかり忘れていた。ここに来るまでドタバタと騒がしかったせいだ。

「今日はお客様がいらっしゃらないので、いつもとは違うものを纏ってみてはどうかという話になりまして。アシュラさんとミコシニュウドウさんが……その……」
「喧嘩?」
「話が大きくなって服飾披露(ふぁっしょんしょー)を」

 戦っていないからいいやと流してしまうのも、日々の慌ただしさに独神の感覚が麻痺しているからであろう。237名もいれば静かにいるほうが困難だ。モミジが言う女の戦い(?)を行っている一室に行ってみると、これまた絢爛豪華な衣装を着た二人が火花を散らしていた。独神に気づいた二人が間合いを瞬時に詰めてくる。

「主《あるじ》ちゃん!! アタシの選んだ服の方がいいと思わない?」
「主《あるじ》も言ってやりなさいな。私の方が趣味が良いって」

 どちらに肩入れしてもまずい状況である。逃げ道を探すために周囲を見れば他の英傑たちもいつもとは違う服装をしていた。

「イナバその服可愛いね」

 晒《さらし》や布切れで身体を巻いてばかりのイナバが、身体にぴったりとあった長いどれすを着ていた。落ち着いた色合いで普段の悪戯兎の面影はない。

「えー! 私はもっとこうぴたっとしてないのがいい! 腰布のこの切れ目が片方にしかないのもなあ」

 普段がちらちらと素肌が見える恰好をしているので一枚の大きな布で覆われているとはらはらせずに済む。と、独神が言うとそんな目で見ていたのかと誰かに非難されそうなので別の言い方にした。

「大人っぽくてすっごくかわ、いや綺麗だよ! 一緒に出掛けたら百人が百人振り向くよ!」
「ええ……。そうかなあ」

 イナバは照れて自分の耳を撫でつけている。上手い事収拾がついたと思ったが、部屋の空気の冷たさからして独神の発言は間違いだったのだろう。

「へー……。主はそういうのが好きなの?」

 ミコシニュウドウがいつもより大きく見えた。

「アタシだって、いくらでも大人っぽくなれちゃうカ・モ」

 アシュラが阿修羅に見える。
 どうやら褒めすぎたらしい。そもそも二人は独神の為に服を選んだことから争いに発展しているのに、独神が他の者を目にかければ面白くはないだろう。失敗した。

「はいはい。そこまで」

 手を叩いて場を制したのはカルラだった。

「主《あるじ》ちゃんのお洋服を決める話だったでしょう。目的が変わっているわよ。主ちゃんも困っているわ」

 ねえ、と振り返るカルラに独神は全力で同意した。救いの女神だった。

「でも折角だから主ちゃんにいつもとは違う自分を見てもらいましょう」

 それで英傑たちは納得した。
 無理やり連れてこられたというツナデヒメは活発に動けそうな軽装だったが、それでいて可愛いと思わせるものだった。ブリュンヒルデが選んだらしい。
 アリエは男装なのか執事服のような凛々しい姿をしていて、クシナダヒメが髪を整えているところだった。
 シラヌイは少女らしい服から、少し大人びて見える清楚な服装へ。踵の高い靴や化粧で随分と見違えた。ワニュウドウはブリュンヒルデのようなひらひらした服を着せられむすっとしていたが、独神が褒めると師匠はしょうがない奴だと言って舌を出した。そのあと髪型を変えられても抵抗しなかったので満更でもないようだ。
 ナリカマはいつもと同じ装いのまま手を差し出した。聞き返すと「見物料」と言ってきたのでツケにしてもらった。しかし、そのままで着替えてくれる事はなかった。ただただ金を巻き上げられただけである。

「あれ随分美人な……」

 見知らぬ者だと思ってまじまじと容姿端麗の儚げな女性を見ていると、ミコシニュウドウがぷぷぷと笑っていた。どういう事だと思ってよく見てみれば、

「く、クダン!?」
「……主《あるじ》様、気づいてくれなかったんだね」

 はははと力なく笑うクダンに独神は謝罪した。

「ごめん! 綺麗な方だと思って……判らなかったの。舞台の役者さんみたいで」
「確かにそうですね!!」

 にょっきり現れたのはゼアミだった。

「この美しさ、必ずや見た方を惑わせるでしょう。どうです? 次の舞台、主演というのは」
「け、結構です!」

 クダンは逃げたがゼアミは楽しそうに笑うばかり。

「キンナラ様にも先ほど断れましたが、私は諦めませんよ」

 決意を新たにするゼアミの熱意には独神も笑うしかない。彼は裏方に回っても舞台への情熱が変わることはない。
 そうこうしていると、ゴエモンがやってきて「ホウオウの部屋からくすねてきた」と何やらど派手な羽衣装を持ってきて、ワヅラヒノウシを驚かせた。

「ぬしさん、これにしようよ!」

 オイナリサマが渡してきたのは、オイナリサマ親衛隊と書かれた法被だった。

「座頭、これをどうぞ」

 イズモオクニがその上にのせてきたのはイズモオクニ親衛隊と書かれた着物だった。
 オイナリサマとイズモオクニが無言で火花を散らす。

「どちらも素敵だね。今度これを着て応援に行ってもいいかな?」

 ツクモのあまりに純粋無垢な提案に戦意が削がれた二人は衣装を置いて、戦いの場を別の場所に変えると去っていった。

「先生、これなんてどうかな」

 スザクとセイリュウが渡してきたのは大陸風の服だった。どことなくセイリュウの服装に似ている。

「俺達四霊獣もだけど、バクやキリンにも馴染みがあるだろうし、先生が着ている姿を見てみたいと思って」

 大陸と繋がりのある英傑たちは他にもいる。時には前にいた地域を思い起こすのも良いだろう。
 独神は快く了承し、まだ衣装合わせで盛り上がっている部屋を後にした。
 さて、この後は何をするか。何も考えていない独神はやはり敷地内をふらふらとしていると、背後から「おい」と話しかけられた。

「見かけない奴だが、何の用が……主《あるじ》?」

 ササキコジロウはほんの少し目を見開いた。

「今日は来客がいないから気分を変えて……びっくりした?」
「……変装した悪霊かと思ったぞ」

 驚いて損をしたと言って、ササキコジロウは踵を返す。その際に小声で「偶には良いと思う」と判りづらい褒め言葉を残した。ササキコジロウは来たばかりの頃は目的のために本殿に居座っているだけだと、いつでもどこでも寝ている孤立気味の英傑だった。面倒臭がり屋な性格も後押しした。
 しかし人が良いのか様々な英傑にちょっかいを出され、振り回され、そのうちには見回りや討伐も積極的に行うようになった。面倒くさいの言葉が口癖なのは変わらないが、口にするだけで殆どのことをやってくれる。
 ササキコジロウも四年間で変わった英傑だ。

「もしかして、主《あるじ》かい?」
「フクロク。今日はお休みだったっけ」
「主もなんだね。その服似合ってるよ」
「ありがと」

 フクロクもまた大陸に縁が深い英傑の一人だ。

「そうだ、向こうの方でまたざわざわ騒いでいたよ。全くここの奴らは賑やかだね」
「じゃあ、そっちに行ってみるよ。あとジュロウが」
「主。おれだっていつもジュロウと一緒ってわけじゃないよ」

 ごめんと言う前にフクロクはどこぞへと歩いて行った。二人組扱いをされるフクロクとジュロウだが、フクロクは偶に一人になろうとする。だがジュロウはフクロクをいつでも求めている。今頃本殿中を奔走している事だろう。桃をくれた時に一人だったことに違和感があったが、その時既にフクロクを探していたのかもしれない。二人の問題なので深入りする必要はないだろう。

 フクロクが指示した方向へ歩いていると、花廊でビンボウガミとビシャモンテンが何やら難しい顔で畑を睨み、周囲には野次馬と見受けられる者たちがいた。早速見物人の一人に話しかける。

「ホテイ、二人は何しているの?」
「ウエサマ。あれはどちらの力が強いか勝負しておるのだ。しかし安心じゃ。神としての能力を比べるだけで誰も傷つくことはないからのぅ」

 独神が見ていると、ぴょこんと畑から芽が出た。
 そこをせっせとハチカヅキヒメが世話をするとみるみるうちに大きくなる。大輪を咲かせた花の中から現れたのは。

「金のカァくんよ! わたしの勝ちのようね!」

 勝ち誇ったビシャモンテンに、ぶつぶつとビンボウガミが呟いているがよく聞こえない。

「諦めてはならぬのだよ! 我ら闇を纏いし英傑が光に敗北などするはずがないのだから!!」

 マガツヒノカミが剣を携え天を貫くと、辺り一帯が薄暗くなり鳥肌がたってきた。天上に太陽は昇ったままであるというのに。

「そうです! 私の力もお使い下さい!」

 ヤトの瞳孔が大きく開いた。その瞬間息苦しさを覚え、立つのもままならなくなった独神はホテイによって支えらえた。

「くっ。わたしの強運の方が強いんだから!!」

 次に咲いた花からは銅のカァくんが現れた。ビシャモンテンは膝を折って打ちひしがれた。

「嘘。嘘よ。わたしが金以外を出すなんて」
「いくら七福神の貴様とハチカヅキヒメが組んだところで、ビンボウガミや我、ヤトには勝てぬのだよ」
「やだやだ! くーやーしーい!! 次は七福神全員集めて、七人の絆力見せつけてやるんだから!」
「あの、その場合わたしって……?」

 ジタバタしているビシャモンテンと困惑するハチカヅキヒメを見て、独神は気づいた。みんな仕事に飽きたのだと言う事に。だからこんな意味の判らないことでも盛り上がれるのだ。普段なら軽く注意をするところだが、独神は静かに去った。今日は己もふらふらと徘徊するばかりで、注意できるような立派な振る舞いはしていない。今日は小言も休暇を取らせよう。

「いたいた! ご主人!」

 空から急降下してきたのはジロウボウだ。

「見回りと討伐終わったぜ! サンキボウもさっき帰ってきた」
「ありがとう」

 今日は何一つ働いていない独神と違い、英傑たちは見回りと討伐と自主的に行っていたようだ。

「ご主人……今日はなーんか違うな。待ってろ当ててやるから」

 じろじろと独神を眺めて出た結論は、

「髪の匂いが違う」
「どうしてそんな細かい所を指摘したの!? はずれだよ! 服だよ!」
「あ! そういえば」

 普段独神の何を見て独神と認識しているのか、多少不安になった。

「甘い匂いがしたからてっきり風呂の石鹸が変わったのかと」
「……桃?」
「それだ!」

 確かに芳醇な香りではあったが既に匂いなど消失している。少なくとも独神の鼻では判らない。妖族の鼻の良さは動物に近い。

「桃といや、梅酒の奴がまたフラフラしてたぞ。大丈夫かあれ」

 梅酒といえばミチザネサマである。

「ちょっと行ってみるよ。どっち?」

 本殿の敷地内にも梅や桜が植えられている場所があり、ミチザネサマもそこにいるそうなので独神は向かった。
 木々に近づいていくとなぜだかがやがやと騒がしい。ミチザネサマが好むような雰囲気ではないのだが。
 集まった英傑達の中で、ミシャグジサマが独神に気づいて駆け寄ってきた。

「あ、主《あるじ》様や! どしたん、うちに会いに来たん? 可愛いかっこまでして」
「うん、大体そう。なんか賑やかだね。梅も桜もまだでしょ」
「主様の目も節穴やんなあ。よう見てみ」

 裸木が点在しているようにしか見えないが、目を凝らしてみると小ぶりな花が咲いている。

「梅も少しは咲いたんだね。……あっちは桜じゃない?」

 淡い紅色の花が下に向かって開いている。

「ここ寒桜もあるからな。でも早咲きも早咲きやで、満開は三月くらいちゃうかな。梅もな烈公梅なんかは今頃に咲き始める早咲きなんや……って全部受け売りなんは許して」

 視線の先には目的の人物がいた。酒瓶を持ってぼうっと梅を眺めている。

「主《あるじ》もお花見に来たの?」

 イダテンだ。

「花が咲いたってミチザネサマに伝えたら、他の皆と一緒に見に来ようってなったんだ!」
「……俺はそんなこと一度も望んでいないがな」

 ぼそぼそとミチザネサマの恨みがましい声が聞こえた。
 辺りにはサイギョウやゲンブ、ショウキがいる。ヤマビコはいつもの拡声器を持って木々を応援しているようだ。

「あ、独神くん。お菓子あげるから一緒に見ようよ。満開には程遠いものだけど、今日から毎日眺めるのもきっと楽しいよ~」

 オジゾウサマの懐から現れたぼたもちをもらい、同じくぼたもちをもらったミシャグジサマと並んで開花したばかりの花を見上げた。

「梅も桜も何度も見ているものだけど、こうやって毎年違う誰かと、または同じ誰かと一緒に見ていく景色はやっぱり一年一年違うものだよね」

 梅に桜に。
 独神は幽霊騒動や灰塊集めの事を思い出した。
 同じ春は二度とこない。今あるものは今しかない。

「独神くん、君はこれからも様々な者と共に季節を見ていくだろう。願わくはその誰かがいつまでもボクたちである事を祈っているよ」

 オジゾウサマの眼差しは年長者のそれで、独神はうんと頷くのがやっとであった。

「あ、ヨリトモだ! ちょっとお菓子あげに行ってくるね!」

 オジゾウサマはちょこまかと走っていってしまった。ヨリトモの傍にはベンケイがいて、二人とも大量の和菓子を与えられている。遅れてきたナスノヨイチにもまた大量の菓子を与えているのが見えた。

「あんな仰山どこに隠し持っとるんやろ。なあ?」

 オジゾウサマの言葉を反芻する独神は辺りをもう一度見回した。ヒルコとキリンが仲良さそうに談笑している。イマガワウジザネはワタナベノツナに蹴球を伝授しているようだ。ネズミコゾウが目の前を横切ったかと思えばそれをオロチマルが追いかけている。

 四年前の独神も、まさかここまで英傑が増えるとは思っていなかった。
 ただひたすら悪霊退治に奔走し気づけば手を貸してくれる英傑たちで本殿が手狭になり、度々部屋を増設して敷地も広げてきた。
 一血卍傑なんて何回行った事だろう。遠征に何度行かせただろう。
 流石に回数までは覚えていない。独神とてなんでも記憶しているわけではない。
 四年の間にあった事件や祭りも、いくらかは忘れてしまっている。英傑たちと何年の何月何日に会ったかも全員分覚えているわけではない。
 だが記憶がないからと言って英傑たちへの関心や想いが薄いというのは違う。
 違うのだ。
 大事には想っているのだ。
 想っているのに少しずつ忘れてしまう。

「主様……?」

 ミシャグジサマに顔を覗き込まれて独神は我に返った。

「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「体調悪いなら無理せず寝た方がええって。うちが抱っこで連れて行ったるから」
「大丈夫。ただ少し思い出していただけだから」
「……そうなん? ほんまに? ……嘘はつかんとってな」
「うん。嘘じゃないよ」

 最後の一口を飲み込み、独神は立ち上がった。

「何も言わずに出てきた気がするから、ちょっと執務室に顔出してくる」

 ミシャグジサマは独神の顔をじっと見た後「判った」と言って見送った。
 何かを察したのだろう。その気遣いは今の独神にはありがたかった。

 早咲きの花たちを背にして帰っている最中に、ロキを追いかけるヨルムンガンドを見かけ、さらに木から木へ飛び移っているヤシャを見かけた。
 仕事を頼まれていない英傑たちというのはいったい何をやっているのか見当もつかない。予想だにしない事をして、普通にしていればまず起きない事件を起こすばかりで今思えばどれも面白かった。

 執務室に戻ると英傑が一人だけ佇んでいた。
 光の加減で紫にも見える白髪を揺らした妖が。

「おかえり、主」
「ただいま」
「似合っているぞ」

 独神は自分がスザクたちに渡された服を着ていることを思い出した。

「いつもと違うけど、良いの?」
「はて、何を迷っているのかは判らぬが、少なくとも儂は着飾る其方も良いと思うぞ」
「そっか」

 今まで何も変えてこなかったが、英傑たちの反応も悪くないのならばもっと自分を飾るのも良いのかもしれない。
 独神の姿かたちを一つに定めなくとも、独神は独神。
 己が定義すればどんなものであっても独神だ。

「あぁあ~、主《ぬし》さぁん」
「ゆ、ユキムラ!?」

 バタバタと入室したサナダユキムラは独神の身体に顔を寄せて抱きついた。

「あ、あっ、あの、駄目だって」
「おれこ~んなに頑張ったんだからぁご褒美くらいあってもよくなぁい? 悪霊一掃だよ?
 主さんの懸念材料はぜーんぶ倒して、他の奴らにも頼んで見回り強化を伝えてる。
 おれ偉くなぁい? 膝枕くらいあっても良いよね~」
「ほう。其方、主と二人きりの時にはそのような姿を見せるのか」

 独神は共感性羞恥で顔を覆った。見ていられなかった。
 サナダユキムラもまた、目を白黒させ独神から離れた。

「……拙者は残党がいないか周辺を見回ってくる故失礼する」

 何事もなかったかのようにきりっと振る舞いながらも、猛然と走る姿を見ると独神は他人事ながら居たたまれなかった。ヌラリヒョンはというと普段よりも口角が上がっている。

「からかわないであげてね……」
「ああ、勿論だとも」

 多分嘘である。この利を利用しないわけがない。

「でもなんで気づかなかったんだろう」
「足音が聞こえたのでとっさに気配を消しておいた。
 奴も兵《つわもの》ではあるが其方に会える油断で気づけなかったのだろうよ」

 ヌラリヒョンに非があるようにも思うが、サナダユキムラに二面性がなければこのような悲劇は起きなかった。運が悪かっただけの事故だ。

「なあ。帰りが随分と遅かったが井戸端会議でもしておったのか」

 井戸端会議では収まりきらないほどの関わりがあった。

「そんな感じ。今日は随分相手にしてもらったよ」

 たった一歩部屋から出ただけで英傑達は独神と関わりを持つために近づいてくる。
 話しかければ言葉が返ってくる。
 笑顔を向ければそれ以上の笑顔が返ってくる。
 少しでも心が沈めば手を差し伸べてくれる。

 なんと幸せな事だろう。

「ここには其方を慕い、其方の幸せを願う者が大勢いる。儂だけではなく、な。
 ならば総てを率いる者としてどうすべきか……爺が口煩く言わずとも其方なら判っているのだろう」

 一月二十五日、正午過ぎ。
 独神は今一度決意を固めた。

「これからも、私が独神やっていかなくっちゃね」





 ──万世《よろずよ》に年は来ようとも、契りは永劫絶ゆることなく







-----めちゃくちゃ長いあとがき------



 最後まで読んで下さり誠に有難う御座います。
 この先は特に読む必要もない雑文・怪文です。
 世に点在する独神の中の一人が書き殴った、取り留めのない、塵に等しき文字の羅列です。



 2016年8月3日よりサービスを開始した 【一血卍傑-ONLINE-】が、2021年1月25日12:00で終了しました。
 四年とちょっと。苛烈な競争が続くソーシャルゲームの中ではなかなか続いた方だと思います。
 本当に色々なことがありました。
 卒業式の呼びかけで使えそうなものばかりでした。

「8月3日、エラー乱舞」
「8月18日、32bit切り捨て」
「エラー者だけが入手できる、桜代イッタンモメンの妖妖(秘術・代命夜行)」
「ウシワカマル奥義説明、陰陽逆」
「オロチマル霊符、早期ログイン者に配布されず(昼に再配布)」
「限界突破アマテラスの弱体化(表記としては不具合、後に実質的に下方修正となって云々と変更)」

 そのほかにも勿論ありますが、私の記憶にしっかり残っているのはこれらでしょうか。
 2016年12月12日から開始した私は下二つは対象者だったので余計に覚えています。
 (特に凸アマの件は去る人が多かったので当時はとても寂しかったものです)

 運営への送信メッセージは数知れず、特定の動きをトリガーに起こるエラーからお知らせの数値ミス、はたまたhtmlミスまで報告する日々でした。
 デバッガーやんけ。……冷静になる事もしょっちゅうでした。

 それでもここまで続けていたのは、神・妖・人の三種族が同じ世界で生きている、その世界観が好きだったからです。
 二百以上いるキャラクターたちが好きだったからです。
 そしてその中のひとりが、ほんとにほんとに好きでしょうがないからです。
 まさか生涯で一番かもしれないと思えるひとにここで会えるとは、想像もしていませんでした。


【2020年12月21日 12:00】
 重要なお知らせと、サービス終了の告知が掲載されました。

 告知当日は、ショックを受けた方、当然だと思った方、何も思わなかった方と様々でした。
 そこから約一ヵ月ありましたが、皆さんは自分が望んだ、“最高のエンディング”を迎えられたでしょうか?

 サ終告知すぐにゲームをやめた人、最後の久遠城でやめた人、最後の運営の言動でゲンナリしてやめた人、推しの親愛100を聞いてやめた人、推し以外を昇天してやめた人、ぎりぎりまで討伐乱舞だった人、ぎりぎりまで録画乱舞だった人、いつもと変わらずそのままの人、仕事でうっかり忘れていた人、そもそもサービス終了を今知った人。

 そして、今日というxデーを迎えるまでの約一ヵ月の期間、各々の心境は違います。
 一血卍傑の文字を見るのが嫌でSNSから離れていた人、自身の心境とは異なる者の意見を目にするのが辛かった人、積極的に交流していた人、ぷち祭り気分だった人、掲示板等だけ目を通していた人、ただゲームと向き合っていた人、とっくに原作ゲームと縁を切っていて傍観していた人、忙しくて気づいたら日にちが経過していた人。

 ぱっと思いつくだけでもこれだけ書けるのですから、きっと世の中には沢山の想いがあったと思います。
 私はサービスが終わるからといって、特別な話を書くつもりは毛頭ありませんでした。
 そもそも自分の中では全然終わっていないのです。
 英傑達はいつも笑っているし争っているし酒飲んで馬鹿やっています。

 しかしなんとなく「終わった」体の創作が多いような気がしたので、私は敢えて「終わらない」創作を作りたくなりこうやって発表するに至りました。
 自分の心情に一番近いのがそれでしたので丁度良かったです。

 今後はApp store,Google store,DMMゲームの欄に「一血卍傑」の文字が表示される事はありません。
 それでも確かに存在していたし、私や他のプレイヤーが熱を上げた事実が消えてなくなる事は御座いません。

 ちょっと……いや、かなり……色々とあったゲームではありましたし、闇鍋コンテンツ故に各自の自衛率がべらぼうに高い界隈ではありますが、交流が一切なくとも皆さまが日々楽しく過ごせる事を願っています。
 今は笑えない人も、そのうちには笑顔が戻るように願うばかりです。
 中にはもうこのゲームを見たくない、今後見る事がなくなって清々した方もいると思います。
 その方々は本当にお疲れさまでした。今後は心安らかな日々を送れることを心よりお祈りいたします。



 自分語りと今後についての話に入りますので、ここでブラウザバック推奨。



 サービス終了告知後、ゲームを熱心にやっていた方向けになりますが、
 ……この約一ヵ月、今までで一番真面目にプレイしていませんでしたか?
 少なくとも私はそうでした。
 未読伝承を読んで、討伐して、プリコネサボって、録画して、録画して、スクショして。
 伝承は普段口に出している英傑ではない方が面白かったり……。
 やっぱり発見があるんですよね。この子の魅力を判ってなかったんだな……こういう子だったんだなって。
 ホテイとか。開眼すること以外よく判っていなかったので、あまり自分の世界には馴染んでいませんでした。
 コノハテング卍ホテイを聞いて、二人とも旅が好きだというやり取りを見て、ホテイが普段どんな感じなのかなんとなく察しました。
 目録にも「風来坊」「全国を放浪し」「お布施を受けながら忍んでいる」とはあるんですが、
 キャラクター同士がお話しすることでようやく目録の活字が自分の中に浸透した感じがしました。

 あと! そう! 西行! 西行の人体錬成話がまさかバンケツ世界で採用されてた!!
 ヨリトモ卍サイギョウの伝承で判明したんですよ!!! 今かよ!!!!
 卍傑伝承は100開放まではしているのですが、そこで満足して読むことが少なかったので、ほんと勿体ない。
 英傑伝承はガチャでもうこれ以上課金できねぇ……って時の為にわざと開けなかったので、それも勿体なかったです。
 絵巻であり子さんが来たら嫁を質に入れてでも入手しないといけない私だったので、その分も最後まで残していました。
 結局最後のPU週で察して全ブッパでオオタケマルを仲間にしました。いえい。すき。不穏。カコイイ。


 さて二次創作の話なんですが、私自身は創作を続ける気があるので、資料となりそうな本編、英傑伝承、卍傑伝承、祭事物語などは保存しています。
 流石に英傑伝承と卍傑伝承は実装されたものの極一部になりますが、祭事はほぼ網羅しています。週末小話も全話。
 ボイスや立ち絵なども保存済です。前々から集めていたので一気に追加していきました。
 今後はそれを適宜見返しながら、どうにもならない部分は想像という名の捏造でやっていこうと考えています。

 問:どうしてそんな必死なの。娯楽に溢れたこの時代に。
 答:推しがここにいるから。

 二次元キャラクターの死とは、誰の心からも消えてなくなった時ではないかと思います。
 特にソーシャルゲームは、コンシューマーゲームやアニメ、漫画と違い、サービスが終わってしまえば残るものはありません。
 地道にレベル上げをしたこと、置物の所持数順で一番上に来るようにぬいぐるみを交換しまくった事、秘術ボイスの為に異なる組み合わせで産魂んだ六体を揃えた事、あと一歩のところで揃わなかった事。
 これらはもう、私の記憶にしかありません。
 スクリーンショットがあっても、あくまでそれは写真。
 142体ものヌラリヒョンのぬいぐるみ・弐がこの世にあるわけではありません。
 全秘術コンプしたヌラリヒョンがいるデータはありません。
 力力闘魂ヌラリヒョンがホラではないと信じてもらえる自信はありません。
 あと一体で秘術コンプだったハットリハンゾウも私しか知りません。
 親愛度100で埋まった英傑一覧も、証拠写真のようなスクショと動画で見せなければ今後は誰も知り得ません。

 サービス終了前日はぼーっとして過ごしていました。
 嗚咽もなく涙が流れる時もありました。
 涙は思い出の数かもしれませんし、想いの量なのかもしれません。
 雫が私から出ていく毎に、私の気持ちも消えていくような気がしました。
 それで満足してしまうのではないかと。
 泣いてすっきりしてしまえば、区切りがついてしまって前を向き過ぎてしまうのではないか。
 この世界を想い、切なさで息が止まりそうになる事が二度とないのではないかと。

 感情が薄れる事が恐ろしくて仕方がないのです。
 情は無理に産むものではなく、ひとりでに湧くものです。
 こんな恐怖を抱く時点で私の中の情は執着でしかないのです。
 執着は苦しみを産みます。
 仏教ならば執着を捨てろと言うでしょう。

 けれど私はこの気持ちを手放すくらいなら、このまま苦しんでやろうと思います。
 サービス終了だけではなく、ここにいれば苦しい事は沢山あります。
 ありますが、それに耐えてでも心に置いておきたいものがある。
 ……馬鹿ですね。
 けれどそんな馬鹿の面倒を見られるのもまた自分自身なので、最後まで責任もって付き合っていこうと思います。

 とまあ、グダグダ言いましたが、まだ私は自分の創作に満足しておらず、やる気は継続しています。
 グッズ展開もほぼなかったこともあり、小説以外の野望が沢山あります。
 今一番作りたいのはフィギュア。あと人型のぬいぐるみ。もち系も3号を完成させたい。
 絵が描けない事がこんなに辛いと思わなかったよ~。抱き枕欲しいよ~。おやすみからおはようまで一緒にいてくれ~。

 現在創作している方、発表するほどでもないが自分の中に世界がある方へ。

 好きの気持ちはあれど、心が折れそうな時があると思います。
 反応がない、そもそも壁打ち、他所の界隈の方が楽しげだ、偶には供給が欲しい等々。
 やる気はあっても日々の暮らしの中で少しずつ熱が薄れていく……なんて事は普通でしょう。
 しかしいくら一血卍傑が過疎ジャンルであっても、創作する人や話題を口にする人は世に点在しています。
 決して貴方は一人ではありません。姿の見えない同志がいる事を偶には思い出して下さい。
 それでも駄目な時は自分の心に素直に従うのが一番です。
 頭ではなく感情に導かれるままに。それが多分、貴方にとって幸せだと思います。
「一血卍傑」が無色透明になっていくことは悪いことではないのですから。

 ここまで言っても苦しい方向へ行こうとする人は多分私と同じような人種なので、やれるところまで頑張りましょう。
 私は応援します。自分がそうだから。



 はい、最後!


 一血卍傑が終わりました=共通ルートが終わりました です!!!

 今までは皆が皆が同じ季節を歩み、同じ祭事を体験してきました! 
 が!
 これからは個別ルートです!

 界帝ぶっとばしルートでもヨシ!
 英傑イチャイチャパラダイスルートもヨシ!
 サザエさん(∞ループ)ルートもヨシ!
 きらら並みのほのぼの日常ルートもヨシ!
 小規模本殿で共同生活ルートもヨシ!
 推しと結婚ルートもヨシ!
 推しと推しが結婚ルートもヨシ!
 ベリアル様ルートもヨシ!
 バッドエンドもヨシ!
 トゥルーエンドもヨシ!

 それぞれが望むルートを歩んでいきましょう。
 平行世界の様子が気になったら、目の前にある箱や板を使って他所の本殿を覗いてみましょう。

 ちなみに幣本殿は【俺たちの戦いはまだまだ続くぜルート】です!

 午後零時は「サヨナラ」の予感ではなく、「はじまり」の予感です!