Solar midnight -崩壊する世界で、君に-


この話は誰も救わない。


----


「目の上の瘤でしかない英傑達を打ち負かす方法を特別に教えてあげようじゃないか」

独神が転がすあからさまな甘言にオオタケマルは乗った。有用な情報の一つも教えない可能性が高かったが、独神による他英傑の評価を聞く事は多少なりとも自分の役に立つと見込んでの事だ。オオタケマルは約束通り日が沈んで町に明かりがぽつぽつと灯されていく中、縄のれんをくぐった。
「待った?」と独神が現れるまで、調理や給仕を行う店主の前の長机を指先で叩きながらも大人しくしていた。

「チッ、待たせた分情報できっちり払いな」
「身体は大きいのにみみっちいなあ。あ、から汁一つ!」

巨漢のオオタケマルに怯える店主は提供を言い訳にさっと二人の傍から離れた。

「御大《おんたい》、こんなしけた店に連れてきて何が目的だ。場合によっちゃ……」

鋭い瞳孔が独神を見下ろしている。

「私は庶民的でいい店だと思うんだけどなあ。始終騒がしくて私が何言っても気づかれなくて」
「ほう、ちったァ考えてるようで安心したぜェ」
「ま、聞かれた所で誰も理解出来ないんだけど」

すっと冷めた表情に変わった事を見逃さなかった。オオタケマルは自身を避ける店主に店で一番高い酒を持ってこさせ、汁を受け取った独神は油あげや三つ葉を箸で摘まんではしゃくしゃくと食べた。

「……さて、本題に入る前に基礎知識が必要だ。頼むから暴力は勘弁してね」
「そりゃ手前次第だ」

普段のものと数段味の劣る酒をかっ食らいながらオオタケマルは話を促した。

「我々が生活する世界にはおびたたしい『境界』が存在する。境界とは認識の境、世界の誕生とは即ち境界を作る事に他ならない」
「おいおい、御大。ちぃと飛ばし過ぎだろ」
「でも種族の強さを説明するには、界の話は避けて通れないんだよ……」

なら必勝法だけ教えろと一言言えば話はすぐ終わるだろう。だがオオタケマルは言わなかった。

「……続けなァ」

ほっとしたように笑った独神は話を再開した。

「境界の向こうにある『異界』から、妖や神が現れる。と私の世界では言われているんだ」
「”八百万界じゃあ”そんな事ァ聞いた事がねェ。どいつもこいつも最初から八百万界にいるだろ。俺だってそうだ。そりゃ独神だけの知識じゃねェのか」
「あー、そうだったんだねー」

独神には珍しく空々しい言い方だった。

「じゃあさ妖の産まれ方って知ってる? 番《つがい》で子を成す事ではないよ。一番最初の妖のことさ。君やシュテンドウジやタマモゴゼンみたいな唯一無二の特別な妖の事」

オオタケマルが答えずにいると、独神が一つ頷いた。

「特別強い妖ってそもそも産まれが違うんだ。妖はね人の心の闇から産まれる。『妖』として共通認識を持たれるだけの集団幻想力が必要となる。すぐそこにいるかもしれない、とつい思ってしまう、そんな不安や幻覚が広がれば広がるほど、妖として強大な力を得ることが出来て、世に顕在化するんだ。
 元々は心の闇だから、君たち妖はいつも退治される側に立たされる。人族を脅かす敵として。おかしいでしょ。やっていることは神族と変わらないと言うのに、君たちだけがいつも悪を押し付けられ正義の鉄槌を食らう羽目になる。正義なんて笑っちゃうよね。ただ自分の抱える闇に耐え切れないだけなのに。不安に打ち勝ったと大手を振って歩きたいだけなの。克服したって思い込みたいんだ。だから人は妖を殺したがる」

前のめりになって語っていく独神にオオタケマルは冷やを頬に押し付けた。

「ひゃう!?」
「御大、脱線してる自覚あんのか」
「……ごめん」

無意識下の行動にこそ本音が出る。オオタケマルはそう考えていた。
(御大が特別人族を敵視している所は見た事がねェ。英傑どもの関係も良好。それが上っ面だったのかァ。決めつけるのは早計か)

「妖も神も存在としては似たようなものでね、違いは祀られているかどうかだ。人と神の間には取り決めがある。だから三貴神ツクヨミは強大な力を有しながらも自由はなかった。不思議だろう、自身より弱い人族に制御されるなんてさ。一方で妖は混沌で無秩序。到底人に制御出来るもんじゃない、だから討伐する。……とは言えこれだと人の被害が尋常じゃないからね、だから別のやり方もある。『妖』を『神』にするんだ。要するに祀り上げて富や英知を享受するんだ。……本殿にもいるでしょ。人でありながら、妖でもあり神でもある、そんな属性もりもり英傑が」
「首なしと飲んだくれか」
「……ま、まあそう。神と妖は両義的な存在である事がよく判るね」

(人族なんざ一捻りで殺っちまえるが、あの二人は無策じゃ俺でもどう転ぶか未知数。まさに”人”智を超えた存在。情報が転がりこむってんなら聞いてやらねェとな。しかしやはり独神ってモンは、俺らよりもずっと造詣が深ェ。当たり前ェに考えていた種族ってモンを改めて考える機会になりやがった。……だが、何故人族が中心になる。あんな盾にするくれェしか役に立たねェ奴らが)

「理解の範疇を超えたナニカが現れた時、人は神を作り、妖を作る。自然現象から作られたものが多かったが時代が下るにつれて創作によるものが増えていった……が、まあこの辺りの話は良いんだ。付喪神たちの事まで話すと長いからね。それに君が目的とする妖たちは前者の方だし。
 太古より好ましくない出来事は全て鬼のせいにした。災害でも疫病でも天候でもなんでもね。畏れの対象が鬼という概念に集結した結果、鬼は強大な力を手に入れた。それがそのうち個別化し、名前が付き差別化されるようになる。……シュテンドウジが一番有名かな」

神代八傑のひとりであり、大江山の頭領の名にオオタケマルも眉をぴくりと動かした。

「さて、ここまで長々と説明したが、特定の妖を捻じ伏せたいのであれば」
「……どうすりゃいい」
「相手を認めるな。強いなんて、一人で敵わないかもなんて気持ちは御法度だ」
「……あ?」

拍子抜けな答えと言わざるを得ない。

「君はシュテンドウジの事、弱いとは思ってないよね」
「まぁ、そこいらの奴よりかはやるだろうよ」
「概ね他の者もそう思っているだろう。一般的な見解だ。だからシュテンドウジは強いんだよ」
「御大。俺ァ、手前のふざけた与太話聞く為に時間を割いたんじゃねェ。……判ってんだろうな」

獣が唸るように殺気だった声に店主はさっと店の裏へ逃げた。独神は大真面目だと息を巻いた。

「一切ふざけていないよ。シュテンドウジについては向こうでも研究が多い。様々な角度からたったひとりの鬼について現代まで議論し続けている。南北朝時代から室町時代に作られたと言われる『大江山絵詞』が未だに読み解かれているんだからね。よって彼はそれだけはっきりとした形がある。更に民衆の娯楽にも彼の名は用いられ、限られた者による認識に留まらない。明確に具体的に、彼は”いる”んだ。この強烈な存在感こそ、八百万界での力に反映される。
 妖怪というものは、人が"ある"と思えば『ある』し、"ない"と思えば『ない』んだよ」

説明を聞けば聞くほど納得がいかず、流石のオオタケマルも形だけ従っている独神を肉片にしてやろうかとさえ思う。

「……順番に話そうとするから駄目なのかな」

落胆する独神は先程と同じく冷えきった目をしていた。まるでオオタケマルを使えないものと切り捨てたような目。独神の中でオオタケマルの価値が、評価が下がっていくのがありありと判った。

「ちぃとこっち見ろや」

独神が見上げる前に顎を掴んで向かせると、半開きの口に酒を流し込んだ。半分以上飲み干した徳利の中身が空になるまで。

「っげほ。ちょっと! 私は君みたいに強くないんだよ」
「んなこた言われなくとも判ってるつもりだぜ」
「判ってるならなんで……。頭回んなくなるんだって……」

机に両肘を立てながら独神は頭を抱えた。ぶつぶつ文句を言うがだんだんと口数が減っていく。前後に揺れる頭で酔いを確認すると、オオタケマルは独神の耳に届くようにはっきりと聞いた。

「手前には何が見えてやがる。"向こう”とか、”私の世界”ってェのはなんだ」
「やーろずかいではないせかいが、あるんだよ。むこーではぶんめいがはったつしていて、こっちとちがってべんりなせかい。”ここ”はそこでつくられたせかいなんだ」

酔いが回った独神は隠し事が出来ない。語る全てが真実。だからこそ質が悪い。

「……つまりアスガルズみてェに他の界があるってことだな」
「ちがうよ。あすがるずもやおろずかいも、むこうのせかいでつくったおとぎばなしだよ。そうさくのせかいなんだ」
「まさか手前、世界を創ったとでもいうつもりか?」
「つくったのはわたしじゃないよ。でもつくるちからはわたしにもある。むこうにいるだれもがせかいをつくれるんだよ」

八百万界の常識ではイザナギとイザナミが神を産み、国土を作ったとされる。そしてオオクニヌシが国を造った。だが独神が語るのはそもそもこの八百万界の下地を作ったのが別にいて、その力を独神自身も持っていると言うのだ。俄かには信じられない。三種族のどれにも属さない特殊性もあってつい信じてしまいそうになる。だが、あり得ない。あり得ないのだ。絶対にあり得ない。あり得ないとしか言う事が出来ない。説明は出来ないが絶対に”ない”。

「……いかれてんな、『独神』は」

真面目に聞くのが馬鹿らしくなり本音を零した。だが独神の表情を見てはっとした。酔いで眠そうにしていた目を広げて、オオタケマルをじっと見る。無い表情から感じたのは深い失望。

「……やっぱりうそつきよばわりなんだ」
「おい御大」
「いかいをにんしきできればかいがつながるのに。いききがかのうなのに。どうしてみんな……」

机に伏せった独神はオオタケマルの存在を忘れてしまったかのようだ。

「まだここにそまりきってない、わたしにしんすいせずにいるからもしかしてとおもったのに」

震える言葉が今にも泣きそうで、さしものオオタケマルもぎょっとした。嘘でも優しい言葉をかけてやろうと思わせるいじらしさだが、それでも独神の言葉を肯定しようとは不思議と思えなかった。理由は判らない。嘘でも肯定すれば独神の心の隙間に入り込み、今後本殿を乗っ取るのにも便利だと判っていた。これでオオタケマルを理解者と勘違いして重用してくれれば計画は全て上手くいく。……そこまで判っていて、肯定の言葉が口から出ない。
黙りこくった独神は急に立ち上がると二人分にしても多すぎる界貨を机に置いた。オオタケマルは頭が左右に揺れたままの独神の腕を掴んだ。

「帰りの供の一人くれェ用意してんだろうなァ?」
「いないよ。いなくてもどうせ死にゃしないから。君の責任問題に発展する事はないから安心して」
「面倒な問答は必要ねェ。黙って俺を使いなァ」
「結構だ。一人で帰れる。君に借りを作ったらとんでもないことが起きそうだからね。遠慮するよ」

恩の押し売りを跳ね除けた独神はさっさと獣道に足を踏み入れた。気配はない。

「……『独神』ってのはいったい何モンだ」







「や、おはよ」
「おはよう。……なるほど、外界も朝か」
「今は十一時くらいかな。えーっと八百万界だと……」
「四ツ半、だな。其方流の言い方ももう慣れた」
「流石。飲み込みが早いね、ヌラリヒョンは」

「さて、本殿については昨日と全く変わらぬよ。各自で見回りをし、悪霊を討伐し、馬鹿騒ぎをしながら酒をかっ食らう。時間経過も朝昼晩と通常通り経過しているが、季節や天気の変化はない。村人が持ち込む旬の作物もてんでばらばらだが、誰一人として気にする者はおらぬ。……儂以外は」
「界の変化に敏感な神々でさえ知覚出来ていないのは致命的だね。君が世の変化を感知できているのは、こうして私から事実を知らされているからだ。私との接触を断てば、きっと君もすぐに違和感が消えるだろう」
「かもしれぬ……。そういえば其方、髪が伸びたな」
「他の子や自分は、変わらないって?」
「…………」
「そうだよね。……あの日から、君たちに身体的変化は一切起こっていないはずだ。当然老いる事はない。お腹だって本当に空いてるの?」
「さあな。生理的欲求によるものと言い切れぬのが情けない。惰性で生きてきたつけであろうな」
「明日突然世界が書き換わる……なんて思って過ごす人そういない。だから君が悲観的になる事はないよ」

「まさか世界の終わりとは混乱の一つもなくゆるりと始まるものとはな」
「日常に身を任せたまま己の存在の消失を自覚せず終わるんだろうね。痛みはないから幸福かもしれない」
「無知を自覚していなければ。そうであろうな」
「……君に知を与えたのは悪いと思っているよ」
「罪悪感に構わず儂にこうして語り聞かせるのは何故だ」
「……やり残した事、未練があったから、かな」
「未練、とな」
「と言っても、世界の大本との通信は途絶えたから各英傑の好感度を上げることも強化することも出来ないし、何をしたって無駄なんだけど」
「無駄あってのじん生とも言うぞ」
「得られないと判り切ってることを行うなんて虚しすぎるよ。私はそれに耐えきれるほど強い人間じゃないんだ」
「ふむ。……独神とは、いや其方は、”人族“だったのか」
「…………そんなこと、知ってどうするの」
「明日も其方は来るのだろう? ならば明日もこの世界は継続する。こうしてわざわざ顔を見せる友人を知りたいと思う事は悪い事ではあるまいよ」
「……そう、かな……」


「崩壊の日を知ってから、英傑たちに教えてみたんだ。八百万界と呼ぶここが、更なる大きな世界に内包されたものであると。皆が独神と呼ぶソレが異界からの来訪者であると。でも駄目だった。どうしても信じてもらえなかった。私の言い方が悪かったのもあるだろうけど、証拠が無いと飲み込めないよね……やっぱり……」
「儂も試されたのか?」
「……そうだよ。君は老年で経験がある分突飛な出来事も呑み込めるんじゃないかと思った」
「思惑は外れた、と」
「真剣には聞いてくれたけど、疲れているから寝た方が良いって蒲団に押し込まれて終わったよ」
「すまぬな……過去の儂が」
「いいよ。正確には過去の君じゃない。世界に望まれた通りの君だろうから」


「現実では一ヵ月が経過したが、君はほんとうに変わらないね。……数点の絵姿と文字と声。君の生きた軌跡はほんの数MBでしかない。あいや、動画やなんやも含めれば数GBあるか」
「……?」
「容量。重さ。厚さ。記憶媒体をどれだけ占領するかって単位だ。思い出を綴った冊子の頁数……的な?」
「言いたい事は理解した。八百万界崩壊により時間が停止した儂は今後その容量とやらが増えぬのだろう」
「……そういう事になるね…………」
「」
「」
「」
「……あ、そうか」
「やれやれ、其方の思考が停止すれば儂は物言えぬ。……忘れておったな?」
「ごめんごめん。私が書かないと何も動かないんだった」
「左様。崩壊により儂らは繰り手を失った。決められた行動を毎日繰り返すだけの人形劇。指定外の事を行うには外界の住民である其方が繰り手として動かす他ない……と、説明をしてくれたな」
「うん。あの日八百万界は崩壊し制御を失った。消滅を食い止めるには新たな管理者を必要とする。しかし管理者は見つからない。代わりに新たな繰り手を配置することで一時的な延命は可能だ」
「ここの八百万界は幸福だった。独神であった其方が繰り手となってこうして崩れゆく界の形を保っているのだからな」
「それは本当に、幸運だったのかな……」

「だって、君は私に操られているんだよ。このやり取りだってただのおままごとだ」
「繰り手の其方が望めば、声なき声をもって話す事も、触れられぬ指で涙を拭う事も出来る。それでも良いではないか」
「私は……そんなの望みたくない」
「それは、何故……?」
「……だって。私が繰り手である以上、君は私の理想通りに動くだろう。本当の君を曲げて、最終的に自分好みの全くの別人格に仕立てあげて……まるでラブドールだ」
「はて。らぶどーるとは……?」
「そりゃダッ………って、え……‼ い、いや、なんでもない!! 忘れて!」
「だが、そ」
「ふふふふふ。私が書かなければそれ以上の発言は不可能。都合が悪い時は封殺出来るのだ!!」
「」
「…………だから、繰り手は嫌なんだ」

「この通り君たちの自由意志などどこにもない。本当は、放っておいてくれと、このまま楽にしてくれと君たちは思っているのかもしれないのに」
「繰り手がそう望んだのならば、儂らはそう思うのだろうな。だが少なくとも、ここでの儂はそうは思うておらぬ」
「そりゃ私の思い通りになる世界なんだから……死を望む姿なんて私は見たくないし……」
「左様。崩壊前後での大きな変化は繰り手が変わった事のみ。よって我らは繰られ続ける生は変わらぬ。だから其方が先程申した儂らの意思は元々存在せぬもの。ならばこのまま繰り続けて構わぬではないか」
「……それもまた、違うんだよ…………」




「彼《か》の存在によって与えられた、八百万界という異界への扉、英傑という概念。私はただ享受するだけで良かった。他のユーザー、独神として入界した者たちもそうだ。同じ存在から君たちの情報を与えられていた。
 だが、彼の存在は八百万界と英傑の破棄を決めた。世界は死んだ。だが、数個の八百万界は今も尚残っている。君たちに想いを馳せ、繰り続けている。そして同概念を受け取った者同士が語り合い、別固体の君たちは生き続けている」
「ふむ、それは良い事ではないか。……何か問題でも?」
「他人と語る事は興味関心の持続の一助になり最適だろう。しかし目的がすり替わっていないと胸を張って言えるかね。狭きコミュニティで安定した立ち位置に酔いしれ、共通項を語る事による享楽を得たいだけだと。私には判らないんだ。彼らは君たちそのものに執着しているのか、君たちを餌に得られる共同体の一体感に夢中なのか。だってそうだろう。他者を常に必要とするのは己の熱量だけでは幻覚化出来ないと宣言しているようなものだ。情けなくないのか。コミュニティの為に君たちがいる訳じゃないんだぞ。手段と目的が反転しているじゃないか。それなのに君たちが好きだと叫ぶのか。何の後ろめたさもなく言えるのか」


「………よくもまあ、他人の嗜好をそうも否定出来るものだな」
「……」
「知っておるか。顕在化した選考の末である『好き』という感情が産まれた瞬間、それ以外は下位であり、劣っていると宣言した事と同義である事を。そうやって他を否定することで、自身の思考、地位を押し上げているに過ぎぬ。あれらと自分は違うぞ、違いを知る我こそが特別だ……、と其方自惚れておらぬか?」
「」




















「……そろそろ戻ってこれそうか」
「ああ。うん」
「其方がそこまで停止するとは思わなんだ」
「己の身勝手さを言い当てられて見事処理落ちした」
「それで、反論は出来そうか」
「……いいや。白旗。全面的に認めるよ」
「ほう」
「けど、考えは変えない。否定があるから私がいる。世に迎合すまいという反抗意識が私を突き動かす。誰かと一緒で良い、人の言葉にうんうんと頷くだけの首振り人形、与えられた物に一切の疑問も着想もなくモグモグと摂取するだけ……そんなものに満足できるなら人類まとめてスープにでもなれば良いんだよ。否定や拒否という境界線があるから”個人”が生じる。否定は己であろうとする為の土台だ。だから私はいつまでも否定をし続ける。自分である為に。私が”私”を思う自意識が私の存在を証明するものだ」


「……其方、我が強いな」
「………………まあ………………………………わりと」


「……何が私をこうも否定に走らせるのかっていうと、絶対的な彼《か》の存在────創造主とでも言い換えよう────創造主が消えた事で君たちの形は『記録』と『記憶』だけとなった。それらを種に人々の間で語られていると言ったでしょ。それ自体には何の批判もないんだ。でもそうやって複数人が語るうちに君たちの形が仲間内で変化していく。仲間内だけだったものが外へと広がり世の片隅にいる私にまで干渉する。そうなると、まるで自分の過ごしてきた本殿が侵されるような、否定されたような気がして……嫌悪感が止まらない」
「久しく会っていなかった旧友が見た目も言動も大きく変わって『このような者だったか?』となるあの違和感か」
「いや、私以外が集団催眠にかかって、自分の常識が伝わらない感じ。かな。……話を戻しますとですね、時間経過によって元の形が変わるのは仕方がないとはいえ、その共同幻覚が広がり過ぎると私の視覚内でも『公式・常識』と新説をぶら下げ堂々と闊歩するだろう? だから先手を打って否定するのさ。多数決の暴力に自分の『記憶』を否定されて傷つく前にね。私の思い出は私だけのものなんだから、私が守る他ないでしょ」
「……それは其方、……その集団に属せないからそう言って……。更には雑音の渦中で己を貫くだけの強さがないと……」
「いやいやいやいや! 私が書いているのに私に辛辣すぎない?」
「それは其方が己を客観視した結果だ。諦めよ。そもそも儂の言葉が胸に刺さるなら、肯定の言葉を言わせておけば良いではないか」
「それは出来ない。君は私のものだが『ヌラリヒョン』は私のものではない。政治利用してはならないのさ。運動の祭典と同様、政治と宗教は介入・利用してはならない。君たちはそういう神聖なものなんだ。その原則を忘れてはならない。今回のような『私』が介入するものならば、必ず君を中立に置かなければならない」
「なるほど、公私の分断だな」
「その通り。『私』は私の意見を言っても良いが、君を利用し己の意見を補強をする事は禁じている……と、また横道に逸れてしまった」


「独神の数だけ八百万界と本殿があったからさ、同じように見えても認識には差異がある。同じ言葉でも同様には語れないのさ。私にとっての八百万界とは創造主が与えた情報とサーバーから消去されてしまった私のデータそのものだ。普通は創造主による世界が絶対だからファンサイドの言動に振り回される事はないんだが、君の世界は特殊でね。総括のいない複数ライターだからか世界観が毎度変わる曖昧で蜃気楼のように不確かなものだった。そのせいでキャラクター解釈が独神間で統一されず多岐に渡ってしまった。だから余計に私にとっての君は、君だけとの想いが強いんだ」
「『ヌラリヒョン』という共通項が、其方の中で成長し”個人”に成ってしまったのだな」
「特に創作だとね、想定する読者の好みによってキャラ改編が行われるだろう。それが行き過ぎると他人の空似さ。……そしてそれは、私にも言える事だ」

「私が創作をする度に、顔も存在も知らぬ誰かの世界を否定し傷つけることになるだろう。……作品として形にしてしまうということは、一つの正解を示す行為に他ならないからだ」
「……」
「それと。……ここからが最も重要なことだ。私が繰り手となって描くということはつまり、操るキャラクターの言葉を一切信じられなくなるって事だ。願望の塊でしかないんだから。全てが私の頭の中にあって、そうなるように構成して、君が動く。君は、私の望む範囲でしか自由がない。本当にそれでいいのかと。独りよがりでいいのかとずっと考えてる」


「なるほどなあ……」
「君にヌラリヒョンを名乗らせていいのか、自問し続けている」
「人を人たらしめるのは主体性。個人たらしめるのは疑問と違和感。……であるな」
「そうだよ。否定の話でもしたけど、自分と差異があるから別の個体、つまり他人である、と認定出来るんだ」
「要するにこのやり取りの中、儂が其方をはっと驚かせられたなら、儂は其方の手を離れた個人であると言えるのだな」
「その通りだよ。でも、出来ないでしょ」
「出来ないことの証明は出来ぬ」
「悪魔の証明を持ち出すなんてずるいよ」
「証明出来るまで試してみて良いぞ」
「……」
「……何かな」
「証明にどれぐらいかかるのかなって」
「さあて。儂には判らぬなあ。だが、一週間や二週間では利かぬだろうな」


「まだ、懸念材料があるんだ」
「ふむ。とことん付き合おうぞ」
「……君への感情が、いつまで続くか、不安なんだ」
「……」
「感情なんて不確かなものだ。永遠などない。それも実体のない相手に抱くものなんて……持続性に問題がある。単純接触効果を知ってる? あれは顔を合わせる回数が多い相手に好意を抱くという1968年にザイアンスによって取り上げられた現象だ。CMで繰り返し見るもの、SNSで複数回目にするほど良い商品と思ったり欲しくなるアレさ。新規の情報が増えない君は、日々増え続けるエンタメの濁流には敵わないって事だろう……?」
「理論的にはそうだ。ならば終わったはずの儂は、其方にとって何なのだろうか」
「……判らない。……けれど、信用できない創造主をこき下ろしながらも追い続けたのは、君への信仰心かな」
「儂らは存在が不確かだと言うのに、創造主すらも絶対ではないのか」
「君たちを生かすも殺すも金次第。金の切れ目が縁の切れ目だ。ソーシャルゲームは、登場人物の命をお金で買い続けるものだからね。運営が営利主義になるのは理解できる。だが……」
「……苦労をかけたな」
「いや、金銭の支払いは望んでやったことで一切後悔はないよ。心残りなのは君たちへの情熱が創造主たちから感じられなかった事だ。物作りに対する拘りと芯が感じられなかった。だから…………。まあ、とにかく、何も信じられなかった。誰も彼も」
「……」
「君たちは人の感情や時間、金を食う存在だ。母体である世界が滅びた今、君たちは感情を喰らうことで生き永らえることが出来る。でも、私は……その感情を、いつまで提供できるのか……判らないんだ」
「先の事など、誰にも見えぬものさ」
「想いだけで現実は変わらない。金がなければ世界は新たに構築されない。君たちに必要なのは現金であって千羽鶴ではないんだ。こうして欲しい、こうなって欲しい、要望だけをつらつら述べた所で会社は動かないんだよ。向こうだって自分や家族を養う為にやっている事で慈善事業じゃない」
「……しかしこの世界の値段とは、其方がたった一人で用意出来るほど安くはあるまい」
「ああ」
「……なるほど。其方、悔しいのか」
「……ああ」
「なのに、自分が生み出せる感情までも不確かで、怖いのだな」
「…………」
「ははっ、其方には困ったものだ」

「仕方ないでしょ。結婚の誓いすら守り抜けないのが人間なんだよ。同一のものを祈り続けるというのならば、宗教がそれか」
「まさか総大将と呼ばれた儂が教祖になる日が来ようとはな」
「君はイコンの方でしょ」
「いこんとやらは知らぬが、足をつけるはずの地面を失った儂は実体がなくなったようなもの。だからこそ、心で見るより他に儂を認識する事は不可能。つまり、前よりもずっと傍に寄り添う事が出来るとは思わぬか? 心には形がなく、儂もまた形がなく『概念』へと変わったのだと」
「本格的に宗教じゃん……」
「信じる者こそが救済を得る、か?」
「信じるだけ無駄。祈りは苦悩の継続を約束するようなものだ」
「……けれど、其方は八百万界へ、ここへと足を運んでいる。それも毎日欠かさず。この変化のない世界へ一人で訪れる」
「」






「これだけで心がざわつくのであれば、いっそ泣いてしまっても良いのだぞ。幾分はすっきりする」
「感情の発露なんて下らないよ。不確かな感情を涙に成形し排出する事で私の中から消えて苦しみからは逃れられる。苦悩からの解放で君への執着も薄れるだろう。ならば蓋をして奥へ押し込めている方が良い。多少目減りするとはいえもつでしょ。それと感情を言の葉に乗せるなんて言語道断。文字で創る際に必要なエネルギーは感情だ。そもそも時間経過で薄れていくというのに、わざわざ創作なんてして極端に感情エネルギー消費するなんてナンセンスだね」
「消失への恐れが根深いのう。其方は過去しか見ぬのだな」
「未来がどう見えるのか、君にこそ聞きたいね。先の見えないこの世界で」
「本当に儂に聞きたいのか? 発言、思想、行動の自由がない存在に。他者に命を握られ続けるただの──に」
「」
「」
「……ごめん。私が全面的に悪かった。謝るよ」
「発言は自由だが、其方の思いもよらぬ形で返って来る可能性は決して忘れてはならぬよ」
「自戒します……すみませんでした」


「なあ。そんなに必死になって忘れぬよう苦心するよりいっそ、忘れてしまえば良いではないか」
「却下」
「誰の口から語られずとも良い。八百万界が人々の記憶の沼に沈みきっても良いだろう」
「……人の好き好きだろうけど、私は断る」
「譲らぬなあ。其方はひとつの生き方を押し付けずにはいられぬのか」
「だから個人の自由って言ってるじゃん」
「本当にそう思うのならこの程度の戯言に心が波打つはずなかろう」
「……そう言う所が嫌いなんだよ」
「ははっ。爺とは鬱陶しがられるものだ」

「それほど思う所があるのなら、寄る辺を他人に委ねるのは諦めねばなるまいな。思想の統一は不可能。多数派少数派がどうのこうのとそんな次元の話は無意味だ。各々が思うままに生《い》くしかあるまい。多少認識が他者と被るからと勘違いするかもしれぬが、元来他者なんぞ相容れぬものさ。ほんの少しの歩み寄りや無関心のお陰でようやく同じ場所に立てるというもの。それもまた思い込みでしかないが」
「……救いってどこにあるのかな」
「迷いは生を実感出来て良いものだぞ?」
「ないのね」
「少なくとも、其方はこうして形を作り続けるのが己の救済なのだろう?」
「…………消費する感情より、日々生成される感情の方が総量多いし」
「(それでよくもまあ、あれだけ文句を連ねたな……)」
「おっと心の声もこっちからは丸見えだよ」
「おや。これはうっかり。だがしかし其方、よほど儂の事が好きなのだな」


















 ふ、普通じゃない?」
「この数の空白で誤魔化しきれると思うたのか」
「い、良いんだよ! あとでバックスペース押しとくから!」
「忘れておらぬと良いな」



「だがそうやって其方が儂らを必要とする間は、いつまでも其方の世界に儂らはいる。ないと思えばない。あると思えばある。それが『世界』だ」



「……妖怪みたいだね」
「うん? 儂は妖そのものだが……?」
「あ、いや。……神や妖も”いる”と強く認識したら世界に産まれるんだ。……って向こうでは言われてる」
「ならば其方の世界には多くの世界、様々な生命に溢れているのだろうな。なんともまあ賑やかな事か」
「」
「おや、思考停止か。何か嫌なことでも思い出させたか」
「ううん。ただ。……ただの活字、それも会話文だって言うのに君の表情が見えた気がしただけ」
「ならばちょろっと地の文を書いてみれば良いではないか」
「”にっこりと笑った。まるで海の広さを初めて知った子供のような無邪気な顔で”……とか?」
「そうだ。それをこの鍬を立てたような記号の外に持ってくれば、儂はそのように動けるではないか」
「……いいや。しないよ」
「……せぬのか?」
「意地悪でやらないって事じゃないよ。それはこの文章を見た人が想像するものだと思って。私が正解を示すのではなくね。見える人には見えるで良いし、見えない人には見えないで良い。だって君たちはそういう存在なのだから。心根から信じた者の眼前に『異界』の扉は開くものさ」
「……其方明るい事も言えるのだな」
「知ってる? 捻くれて捻くれて捻くれ続けて360度回転するとね、なんと正面を向くんだよ」
「なるほど……?」
「でもね、ひねてない人とは全く違う。くしゃくしゃのアルミホイルみたいなもんだからね。綺麗にはなれない。だから一度前を向いてもすぐに斜めや後ろを向いてしまう。だから。思っちゃうんだよね。
 私はいつ、本当の君に会えるんだろう……ってね」
「」

ヌラリヒョンは何も言わなかった。当然だ。繰り手である私が答えを持っていないのだから。
答えのない問いには答えられない。この人形劇の欠点だ。

「今、こうして会っているではないか」

と、言わせても私は直ちに否定する。君は私だ。私が作り出した幻想と私は会っている。
会っていると、思いこませている。冷静に考えて狂っているとしか言いようがない。
狐を見た、座敷童子を見たなどという幻視が共有される社会はもう、ないのだ。

「会えるはずがない。もう何もかも終わった事。そもそも儂はただの絵に過ぎぬ」

と、言わせる事はない。絶対に。
心のどこかで判っていても、必ず否定を口にする。
見知らぬ誰かに詰られようとも、それだけは認めてはならない事だ。
終焉を受け入れた時が、真の崩壊なのだから。

であるならば、どの答えに辿り着くのが正解なのか。
一ヵ月経った今も、見つけられずにいる。
尽きる事のない熱だけを持て余して、憐れまれて、気持ち悪がられて、先手を打って逃げ出して。


演者も観客も何から何まで『私』のショウを一人で見続けている。



* * *



我々はそれぞれに境界を、世界を与えられた。
そして同日、呆気なく滅びた。
最初は違えど、最期だけは同じだった。

我々は同じ「独神」であった。
しかし歩んだ軌跡は何一つとして同じものはなく、唯一のものである。

我々は故に共有できない。
思い出も。感情も。似て非なるものである。
脈々と生じる想いを分かつべき者を見つけられることなどありはしない。
理解は一時一瞬のまやかし。

我々は独神で、ヒトリガミ。

我々は個である。
繋がったように思えても、一つにはなれない。

我々は孤独である。

我々は唯一である。

世界にとって、たったひとつの────である。