美味しい関係

僕が僕というものを自覚した瞬間、僕は産まれた。

産まれて初めて見たものは、一面の闇。
それは僕の身体よりずっと濃いもので、僕は自分というものがよく判らない。
僕は周囲の情報を得ることを諦め、瞼を落として考えた。

僕とは何であるか。

瞼の裏で膨大な情報が僕を襲う。頭が割れそうな程に痛む。
僕は頭を抱え込み、飛び出そうになる何かを必死に抑えた。
容赦のない長い長い情報の波は僕を苦しめた。
やめてくれ。やめてくれと、何度も願っていると、やがてそれは収まっていった。
そうして、頭がスッキリとしたところで、僕は、僕というものを理解した。

僕はどうやら、産み落とされたらしい。この星とやらに。
僕らの種はこの星の周囲にある宇宙という所を縦横無尽に渡り、様々な星に子を産み付ける。
生存を指導したり保護する者がいないため、孵った子孫は一人でその星の環境下で生き抜くことを余儀なくされる。

その代わり、産まれたての僕等の頭には種の情報がしっかりと入っている。
その基礎情報しかない状態から生き抜ける程の生存能力が高い者が大量に子孫を残すというシステムにより、僕等の種族は断絶することなく宇宙の様々な星で生きているらしい。

僕が文句を言っても仕方がないが、この繁殖方法は早々に改めた方が良いと思う。
個体が多くの子を産むのは、そのうちの一パーセントが繁殖可能なところまで成長すればいいと、数撃ては当たるという考えだろう。
だがその母体だって星々を巡っている間に力尽きること、生命を絶たれることもある。
一つの星に定住し、そこで繁殖した方が安全ではなかろうか。
その星の知識を持つ母体が子に教えれば、子孫の生存確率はぐっと上がるはずだ。

と、思っているとまた脳内に情報が降ってきた。
どうやら宇宙にある星というものは、様々な種類があり同じ数だけの様々な問題があるらしい。
寿命や紛争等で星自体が無くなったり、星の住民の争いによって星中の生命の死が蔓延してしまったり、
星の特性上ある時期は生命が絶滅してしまう場合等、僕等の種の生存に適する環境が持続することはないそうだ。
よって、同種族が同じ星に固まるのではなく分散させ、運良く良い環境に産み落とされたものが生きていき、絶滅を回避しろということらしい。

さて、僕はどちらだろう。

僕が生存する為に今一番優先すべきことは、エネルギーが摂取出来るものを探すことだろう。
食物に関する情報については、個体によって状況が違うからか詳しくは与えられていない。
どんな環境下でも生存出来るよう、様々なものが食物として摂取出来る身体にはなっているそうだ。
基礎情報が当てにならないので、自分でエネルギー源や効率のよい摂取方法を模索する必要がある。
それさえ出来れば、最低限ここで生きていけるだろう。

そうして僕は立ち上がった。
今まで闇一色でしかなかった周囲が急によく見えるようになる。
視覚情報より、今が夜という時間で、ここが森ということが判った。

産まれたての僕が何故判別出来たのかというと、それは先程の基礎情報のお陰だ。
あの中にはある程度この星の情報が入っていた。
どうやら僕が産まれる前──卵の状態の時に半径二十キロ圏内にいる原住民の言語や文化、常識を得てくれていたらしい。
ただ、これにはどこに卵があったかによって収集される情報は大きな差が出るらしい。

例えば複数の種がいる星の場合。
一方の種族の近くに産み落とされればそちらの情報を、もう一方であればもう一方の情報を多く得ることになる。
僕の外見は情報元の生き物に近いものになるらしい。
どの星に産み落とされたかと言うだけでも運が絡むというのに、更には産み落とされた場所によっても生存確率が左右する。
やはり、この繁殖方法は見直すべきだと思う。

僕は自分がこの種に産まれてしまった運命に肩をすくめながら鬱蒼と茂る木々の中を歩いて行く。
靴の下で枯葉が割れる音がする。ぱりぱりと。
そういえば、僕は産まれた瞬間に服というものを着ていた。
身体の周囲にあるこの無意味な布。
この星の住民にはそのような習慣があるようだが、何の意味があるのだろう。

また情報が降ってくることを期待して、先ほどのように瞼を閉じて考えてみたが何も起きなかった。
と言うことは、卵の状態での情報収集ではそこまで判らなかったのだろう。
外見を似せることは出来るというのに、情報収集がお粗末過ぎる。
いや、この外見だって本当にちゃんと原住民の中に入っても違和感がないように出来ているのだろうか。
僕は急に産まれる前の卵──つまりは僕なのだが──信じられなくなった。
こんなので生存し続けられるかどうか不安でたまらない。
しかし、生存しなければなるまい。
それが種の望みであり、生を受けた僕の望みである。



延々と歩き続けた結果、僕は森を抜けることが出来た。
抜けたところで夜間の為暗くはあるが、月明かりのお陰で森の中よりはずっと周囲の様子が判る。
ぽつぽつと家があり、中には明かりが灯っている。運の良いことに丁度集落へ出ることが出来たようだ。
こんなに近くにいるということは、多分彼らが僕の身体データの元になった生物に違いない。
早速接触を図ろう。

ただ、突然姿を見せた所で敵対される可能性が高い。
いくら外見が同じだからといって、即座に仲間とは見なさないと考えられる。
友好関係を結びたいと素直に言うのも良いが、もし敵対され複数人に襲われれば、たちまち命を奪われてしまう。

僕はまだ、原住民のことをよく知らない。
下手に出るためにも最初は力づくで情報を奪い取ろう。
そしてそこで得た知識や経験を次に生かせばいいのだ。

僕が好きに扱うためにも、相手は抵抗出来ないような弱い奴であることが望ましい。
僕は森の入口で息を潜め、じっとターゲットを探していた。

しかし夜という時間帯が災いしてか、なかなか原住民は現れない。
少しのリスクだって負いたくはないが、ある程度のリスクを負わなければ、欲しいものには手が届かない。
だから僕は身を隠すにはうってつけであった森から離れ、民家に近づくことにした。

点在する民家はそれぞれ土の道で繋がっている。今のところ外を出歩くものはいない。
僕は数ある民家の内の一つに目をつけ、中の様子を伺った。
中を見ることは出来ないが、物音から判別するに中にいるのは一人だ。

複数人が在住していなことに安心した僕は、玄関が位置する面とは逆の面で森で拾った二本の木を思い切り打ち鳴らした。
乾いた音ではあるが、特に風も吹いていない日には少し不自然な音。

僕は急いでその場から離れ物陰に身を隠した。民家の中にいても外の音は聞こえるだろうか、そして怪しむだろうか。
怪しんだとして、外へ確認しに来るだろうか。
様々な疑問を抱えなつつ息を潜めて様子を伺うと、僕よりも小柄な一体の生き物が外に出てきた。
そうっと家の裏に回り込むと、しゃがんで辺りを探っている。

今だ。

僕は素早く跳躍し、その者に先程の木の棒を振り下ろした。
当たった瞬間原住民の身体はぐにゃりと曲がり、静かに地に伏していく。
僕はそれを担ぐと森の奥へと引き返していった。











「……っ……?」
「ようやく起きてくれたね」
「え……。こ、こ…………?」
「森の中だよ。気がついたら君が倒れていたんだ」
「もり……?どうしてわたし……」
「記憶に障害が生じたんじゃないか。君、怪我しているようだし」

まだ頭が覚醒していない相手に無理やり情報を植え付けていく。
僕は偶々通りかかってこの原住民を助けたという体で乗り切ろう。

「そう……ですか……すみません……」

女性型と思われる生き物はのっそりと身体を起こした。これでようやく情報を入手できる。
そう思ってほっとしていると、生物は僕を見て目を見開いた。

「羽根!?赤い瞳!?」

さっきまで死んだように倒れていたとは思えない俊敏な動きで飛び起きると、僕を見据えて距離をとった。

「貴方、私を殺しに来たのね!!」

彼女は僕を睨みつけると叫んでいる。これは明らかな警戒。
やはり、卵時の情報収集はポンコツだった。
原住民の外見をコピーできなかった僕は、今後彼らに溶け込むことは出来ないだろう。
なんてことだと、嘆きたいところだが、今はそういう時ではない。
情報収集のためにもなんでもいいから会話を続けるべきだ。

「悪いけど話が見えないんだ。殺しに来たとはどういうことかな?」
「もういい加減にしてよ!!私は人間として生きてる。闇の眷属じゃない。
 貴方達には近づかないという約束も守ってる……これ以上どうしろっていうの」
「こちらの質問に答えてくれ。いったい君は何を言っているんだ」
「とぼけないで!!純血種は半血種を穢らわしいものと見ているのは知ってる!!
 でも、私は吸血鬼の世界なんてどうでもいい!私は人として生きていくの!!!」

錯乱しているようで僕の言葉を全く聞いていない。
黙らせるためには何が有効だろう。
さっきの彼女の言葉から何に対して恐怖を抱いているのか推測して、僕は言った。

「君。それ以上話すと…………殺しちゃうよ」

思惑通り彼女は黙った。

「うん。有難う。僕は時間を無駄にするわけにはいかないからね。
 それで、君は僕を何と思っているの?落ち着いて答えて」
「……き、吸血鬼でしょ……純血の」

なるほど。吸血鬼。そして彼女は人間。二つは別の種族。
羽根への注目から言って、きっと人間には翼が無く、吸血鬼にはある。
外見のコピーの不備はこれが原因だな。
どうやら僕は二種類の種族が住む地域に落ちてしまい、双方の外見情報を取り入れてしまったんだ。

「誤解しているようだから言うよ。僕は吸血鬼じゃない。人間でもないけど」
「本当に……違うの?」
「違うよ。その吸血鬼とやらは僕みたいな翼を所持しているのかな?」
「……ほ。本当に吸血鬼じゃないのね」

こちらの質問に答えずに自分の疑問だけ解消する気か。
この星での食物を探し当てられていない僕には時間がないというのに。
ならばこちらも問答には付き合わずに、要求を伝えよう。

「君にお願いがあるんだ。もし頼みを聞いてくれるなら君に酷いことはしないよ」











木製のテーブルの上に、お皿、とその上に、料理というもの。
料理にはそれぞれ名前があって、この柔らかなものがパン。主食。
こっちがトマトというもので鶏肉を煮込んだもの。主菜。

「君にとってはこれが食事なのかい?」
「そう。私だけじゃなくここに住む人なら皆食べるよ」

僕が提示した条件は一つ。食事の提供だ。
それを言うと提供のためには家に帰らないといけないと言われた。
嘘である可能性もあったが、怪しい動きを見せたらすぐにひねり殺せばいいと判断し彼女の言うことに従った。
道中、彼女が僕を襲うことは一切無かった。
帰宅した後も彼女は僕に危害を加える様子はなく、素直に食事を提供してくれた。

「有難う。……そうだ、食事に何か作法があるのかい。
 多分皿の隣の金属の棒は、食事の際に使用するんだろう?」

そう言うと、(この人間の名である)は金属の棒を持った。

「スプーンね。特に難しいことはないよ。ただすくって口に運ぶだけ」
「それだけか。どちらの手を使用するんだ?」
「個人の自由。どちらか使いやすい方を使えばいい」

どちらがいいのだろうと両方使用してみたが、特に差異は無かった。
僕はどちらでもいいらしい。が右なのだから僕も右にしよう。

「あと、こちらは」
「パンはちぎって食べるの。手で」
「固体は手、液体は道具を使用……」
「固体であっても道具を使うよ。例えば口より大きいもの、熱いもの、冷たいもの。
 手で食べる物の方が限られているかな」
「そうなのか」

食事の仕方を覚えた僕はこの食事が僕という生物に合っているかどうかを一つ一つ確認しながら食した。
どちらの料理もあまり味というものを感じなかった。
ただ食感の違いは判別出来たので、それを楽しむことで全てを食べきることが出来た。

「どうだった?」
「……どれも生命が宿っていないね。エネルギー摂取には向かないな」
「そう……」

は空いた皿を運びながら相槌を打った。
部屋の奥では水音が鳴り、食器がこすれる音がしている。
ここからだとの背中しか見えないので何をしているかは不明だ。

「他の生き物は何を食べるんだい?例えば、さっき言ってた吸血鬼、とか」

余程吸血鬼とやらを恐れているのか、は目に見えて動揺した。
少し間を置いて、静かに答える。

「……吸血鬼は血。生き物の血液を飲んで生きているの」
「それはどうやって入手するんだい?」
「病院とか」

その返答には違和感を覚えた。言い方がそっけない気がするのだ。
吸血鬼というものを嫌ってるからそのような対応になったのか、別の理由か。
とりあえず今は、そのまま会話を続けよう。

「その、病院とは何?」
「貴方って本当に何も知らないのね」

呆れ驚くに少しだけむきになって返す。

「さっき産まれたばっかりだからね。万能とはいかないさ」
「その大きさで?」

水音が止み、手を拭いたがテーブルの方に戻ってきた。
僕の正面の椅子を引いて座ると、僕の疑問を解消してくれた。

「病院っていうのは怪我や病気をした時に行く場所。
 えっと、生命の危機に値する身体の変化が起きた時に行くの」
「なるほど」
「血は……どう説明していいかわからないけど、
 私の身体には今血液が巡っていて、外傷を受けると体内から流れるの。
 体内の血液が一定以上失われたら死ぬことになる」
「つまり生き物にとって血液とは大切なものなわけだ」
「そうね。そんな感じで良いと思う」
「そんな生命を左右する血液は、病院というところに常備してある。病院は生命を救う場所だから」
「……貴方って頭いいの?」
「種族柄そうかもね」

知能の面において、僕とはそう変わらないと思われる。
だがそれはまだ僕が誕生して間もないからであり、ある程度の時間が経過することで僕の方が優位になる可能性は大いにあり得る。
今後も比較し、人間と僕の能力の差異をしっかりと調査するべきだろう。

「病院にあることは判った。入手方法はどうなる?」
「お金で買えばいいと思うけど……ちょっと判らない」

さて、そろそろ聞いてみようか。

「吸血鬼は食事の度に病院に行く……わけではないよね?
 主食を得るためにそんな面倒なことをするなんて考えられないよ」

僕が確認を取ると、は黙りこくった。僕の読みは正しかったようだ。
吸血鬼には独自の摂取方法がある。
半分吸血鬼の血が入っているという彼女であれば、その摂取方法を知っていることだろう。

「人間として生きる私は知らない。血の飲み方は後天的なものみたい。
 だから吸血鬼と一緒に過ごしたことのない私には判らない」

もっともらしい説明だ。筋は通っている。だが、違和感が拭えない。
もう少し揺さぶってみよう。

「そうか。なら他の人間に聞いてみよう。吸血鬼のことを」
「それは駄目!!」

彼女は僕を睨みつけてそう叫んだ。
だから僕は微笑んだ。
きっと彼女なら判るだろう。
聞かれたくないなら何をすべきか。

「……知っていることは教えるから」
「ありがとう」

彼女はようやく観念して説明する気になった。
全く、手間をかけさせる。

「吸血鬼は、血を摂取する生き物だということは話したでしょ。
 だから彼らは血を飲みやすいように、牙が発達してるの。
 その牙を獲物の皮膚の薄い所に牙をつきたて、血を吸うの」
「君は半血種と言っていた。君は半分吸血鬼……なんだろう?
 なら君も牙とやらが発達してるのかな?」
「……。意識した時だけ」
「見せてよ」
「嫌」

ここまで説明しておいて、見せるのは嫌なのか。

「僕はこの星のことを知らない。知らないままではこの先生存する可能性が低くなる。
 そうか!君、間接的に僕を殺す気だね!最低だね。人でなしというやつだね」

これは文字通りの意味だ
きみはじゅんすいなにんげんではない、という。

「判ったから!…………変人」

最後に余計な雑音が混ざったようだが、聞き流しておいてあげよう。
は口を小さく開けると、僕に上歯を見せた。
横一線にそろった歯であるが、僕がじーっと見ていると中央から三本目に当たる左右の歯が三角形状に伸びていった。
他の歯とは違って鋭いこの歯は突き刺すことに特化しているのだろう。

「面白いね。自由自在に伸びるものなんだ」
「面白くなんかないよ。これのせいで私は」
「吸血鬼から迫害を受ける?」

そう聞くとは黙った。小さく震えている。
彼女の吸血鬼への恐れはかなり大きいようだ。

「僕はさ、さっきも言ったが産まれたばかりだ。だから君を迫害する気はないよ」

敵意がないことを示しておく。
なり振り構っていられないので痛い目には合わせたが、殺しが主目的ではないことは知ってもらおう。
だが木で頭を殴打した僕を信じられないのか、彼女は静かに僕を見据えた。

「……貴方って何?本当は何なの?」

後ずさり、恐れている。吸血鬼ではない僕を。

「さあ。僕も判らないね。同じ種族は僕だけだろうから」

嘘は一切言っていないが、は僕に猜疑心を向けたままだ。
今のところ彼女は僕に協力的だが、恐怖による支配はいつまで続くか判らない。
何を言ったところで信用はしないだろうから、僕は思い切って話を変えてみることにした。

「それよりさ、どうやったら僕も牙が伸びると思う?」
「そんなの、貴方のこと知らないし、わかるわけないでしょ」
「まぁまぁ、そう言わずにさ。僕だってこのままじゃ死ぬことが確定してるんだ。
 少しくらい協力してくれたっていいんじゃない?」

きっと僕が産まれたてで、本当に死が近づいてきていることをは信じていないだろう。
だが、彼女がお人よしなのか、それとも本当に死なれたら困るからか、彼女は真面目に返事をしてくれた。

「牙については諦めて、別の方法を考える方が現実的ね。
 そうするとやっぱり病院で購入を聞いた方がいいかもしれない。
 ただ、血液を欲しがる貴方みたいな人にあらざる者なんて怪しくてしょうがないけど」

それについては僕だって困っている。中途半端にコピーしたこの身体は大きな痛手だ。
原住民に上手く溶け込めないことが決定づけられた僕は、今後よく考えて行動しなければならない。

「僕一度その血というものを飲んでみたいな。
 さっき君は言ってたね、人間には血が流れていて、外傷を受けると流れるものだって」

僕の言う意味に気付いたのか、は僕から距離をとった。
だが扉があるのは僕の方。彼女が脱出するには僕の横を通らなければならない。

「正直なところ、事情を知った君に今死なれるのは困る。
 だから君のことは一切傷つけない。その代わりに他の人間で試そうと思うんだ」
「駄目!そんなこと、絶対に駄目だから」
「何故?僕は君を傷つけないと言っているよ」
「駄目、そんなことあったら、もし私が疑われたら……」

傷害事件でまっすぐに疑われるのが彼女らしい。
この集落内の人間はを半吸血鬼であると知っているのか、あるいは疑惑をもたれているか。
とにかく彼女はこの付近で人間が傷つくことは不都合なんだ。
僕はとても運がいい。こんな利用しやすい人間と接触が出来て。

「じゃあどうすればいいと思う?」

、君が取るべき道は一つだ。
今ここで血液を採取且つ僕に血液を提供出来るのは君だけだよ。

僕が自由に動くと、君はここに居づらくなるんだろう。
家の造りを見るに、きっと人間は同じ場所で定住する種だ。
容易く移動は出来ない上に人間は集団行動で生きていくタイプだと思われる。
少しでも信用を失えば、集団から爪弾きにされるんだろう。

答えは出てる。早く決断するんだ。

「出来るけど、でも、その後が……」
「後処理なんてその時考えればいい。じゃないと僕は今すぐにでもその辺にいる人間を襲うよ?」
「やめて!!」

彼女はそう叫んだ後、肩を落とした。

「……判ったから。そのままジッとしてて」

は自分の手首を見つめた。閉じた唇の隙間から白く鋭い牙が見える。
震える手をそうっと唇に押し当てると、彼女は自らの身体に牙を刺した。
膨らむ頬、腕を伝う赤い液体。あれが人間の血液というものなのか。
なかなかに綺麗なものだと思った。

彼女は手首から唇を離すと、つかつかと僕に近づいて、ネクタイを引っ張った。
突然のことに僕は思い切り引っ張られてしまい、そのまま彼女の唇に僕の唇が触れた。
柔らかな肌の感触が身体の隅々まで伝わり、こじ開けられた唇の隙間から液体を流し込まれていく。
僕はそれを舌でしっかりと味わって、飲み干した。
すると、彼女の唇が離れる。あのふわりとした感触が逃げていく。

「……これが貴方が所望した血液の味よ」

唇よりも赤い血液が彼女の口の端に残っていた。
僕は彼女の両腕を握った。

「凄い!!これには生命エネルギーが溢れている!
 さっきのとは比べ物にならない」

人間の血液は美味だ。僕に合う食物はこれだ。
ようやく出会えた。これが僕のエネルギー源。摂取してから力がみなぎってきたのが判る。
もう一度あの味を味わいたいと思い、僕は彼女の噛み痕から流れてる血を舐めとった。

「うん……?違うな。さっきと似ているが全然違う……」

同じ彼女の血液なのに、何故か先ほどより格段に味が落ちる。

「そうか、さっき君は経口注入を行っていた。ならもう一度、僕にしてくれないか」
「え。あ。そ、それは……」

彼女は僕から目を逸らした。
躊躇う彼女が無性に腹立たしくなり、僕は捲くし立てた。

「何が問題なんだ!血液の量か?それならばいつ回復する?
 回復まで待つならば問題ないだろう!」
「せ、せめて明日……」

明日までお預けだと。ようやく見つけた僕が生存するための大事な食物。
先ほどまでは強気でいけたが、エネルギー摂取に彼女が必要ならば無理はできない。
ただの血液ではなく、口からの注入でなければ味が落ちるなんて、何が理由なんだ。
見つかったことは喜ばしいが、摂取方法が厄介で頭を抱える。

「……判った。明日まで待つ」

僕が彼女から手を離すと、彼女は傷が残る手首を抑えた。

「僕は外出する。他の人間に見つかる気はないから安心するといい」

食事を目の前にして我慢を強いられるのは、なかなかに辛い。
それならば彼女とは明日まで距離を置いていた方がいい。
それに彼女以外からもこの星の情報を入手する必要がある。

「言っておくけど、僕のことを他人に言わない方がいいよ。
 僕は君の秘密を知っているんだから」

釘を刺してから僕は彼女の家を飛び出した。











「約束通り、待ってたよ」

の血を飲んで丸一日経過した。
血液から摂取したエネルギーはまだ持続している。
人間は一日三回食事を取ると言っていたが、僕は人間ほど高い頻度で食事を取る必要はないのかもしれない。

「……別の方法を探さない?」
「それでもいい。だけど、昨日の約束だけは果たしてもらう」

何を言われようとも、今日は飲ませてもらう。
その為に一日待ったのだから。
は躊躇ってはいたが、僕が一切引く気がないことに気づいてくれてか、
塞がった傷口にまた牙を当てた。
今度はネクタイを引っ張られないように、彼女の唇が手首から離れてすぐ唇をを押し付けた。

身体を巡るこの熱は昨晩のものと同様だった。
我慢させられた分大事に飲もうと思っていたのに、彼女が僕に血液を押し出すよりも早く吸い上げてしまった。
口内が空になると、彼女は早々に離れていく。
僕はそんな彼女の肩を引き寄せ、もう一度口付けようとするが、彼女は目一杯手で僕を押しやる。

「ちょっと、もう無いんだから」
「もう一度だけ」
「どうして……そんな美味しいものでもないでしょう」
「甘ったるい……比喩で言っているんじゃない。本当にそのような味がするんだ。
 君はとても、甘い味がするんだ」

拒否をし続ける彼女の腕を下ろさせて、無理やり口付けた。
口内に舌を巡らせ、一滴残さず血を舐めとる。唇だって丁寧に舐めた。
執拗に舐めたせいで、もう彼女の口内に血は残っていない。
それなのに、僕は口付けをやめられなかった。
彼女の逃げる舌を吸い、唾液を掬って、彼女の奥の奥まで舌を伸ばして。
苦しそうに、彼女が僕との接合部の隙間から吐息を漏らす。
それを聞いていると高揚が止まらなくなってくる。
もっと彼女を貪りたい。欲しいのは血じゃない。が欲しい。
彼女の身体に腕を回し、身体を密着させた。
こうして更に彼女を味わおうとすると、彼女の身体がくたりと崩れた。
思わず唇を離し、彼女の身体を支える。
僕にもたれかかった彼女は肩で大きく息をしていた。

「どうしたんだい?」

僕としてはまだこの行為を続けたいが、彼女は思う以上に苦しそうだったので断念した。
昨晩料理を与えられた時に座った椅子に彼女を座らせる。
最初は身体を大きく揺らしていた彼女であるが、次第に落ち着きを取り戻していった。

「大丈夫?」
「まぁ……。今はもう落ち着いたから」

彼女は長い息を吐くと、普段通りの彼女に戻った。
呼吸も落ち着いているし、特におかしな点はない。
早速僕は彼女に相談を投げかけた。

「……さて、困ったことになったね」

そう言うと何故か彼女は顔を赤らめた。

「僕は今後、君なしでは生きていけないようだ」

とてつもなく厄介だ。エネルギー補給を一人で行えないなんて不便過ぎる。

「こ、こっちだって、困るよ。飲みはしなくても、血を吸うばかりしていたら……」
「どうなるの?」

僕が尋ねると、彼女は顔を伏せた。

「……私は吸血鬼と人間のハーフだけれど、吸血鬼としての自分が強くなるかもしれない。
 だからもうしたくない。貴方も自分でどうにかして。
 吸血に関しては純血の吸血鬼の方が詳しいから。
 住んでいる場所はある程度知ってるから、自分でそこに行って聞いてきて」

そう早口で捲くし立てた彼女は僕を無理やり押しやって扉を閉めた。
なんてことだ、僕は一切悪いことをしていないというのに外に追い出されてしまった。

、場所を教えてもらえないとどうにもならないだろう」
「待ってて」

他の人間に見つからないよう、辺りに気を配りながら待っていると扉の隙間から一枚の紙が出てきた。
家、森、吸血鬼の住居が書かれてる。
たったこれだけしか書いていない簡素な地図を参考にしろというのか。

抗議したいところであるが、扉まで閉めて僕を拒否した彼女はまともに取り合ってくれないかもしれない。
幸いエネルギーを補給したてであるし、方角さえ判ればなんとかなるだろう。
優しい僕は、素直に追い出され、吸血鬼の集落とやらに向かった。











「僕としたことが、忘れていた。死んだ血には価値がないんだった」

僕は周囲で幾重にも重なる吸血鬼を見た。
血液を摂取するという彼らから、血が流れていた。
食料に向かない彼らに背を向け、僕はの家へ向かった。

全て予定通りである。
純血を尊び、半血を嫌う彼らはつまり己の種に誇りを持っているのだろう。
そんな彼らに僕みたいな吸血鬼と一切関係がない僕が行ったところで、協力は見込めない。
が言うから仕方がなく行ってあげたが、案の定彼らは一斉に僕を排除しにかかった。
吸血鬼とはどんなものだろうかと思って、最初は彼らの自由にさせてやった。
観察の結果よりは力があることが判った。だが、それだけだった。
彼らは僕よりも力が弱く、僕よりも身体が弱く、僕よりも遅かった。
生き物として僕は優秀だった。
だから、彼らは滅びることになったのだ。







人間が寝静まる夜に、僕はの家に到着することが出来た。
最後に血を飲んだ日から数えて、今日は三日くらいだ。
玄関を開けたは僕を見て目を見開いた。僕が入る前に扉を閉めようとするが、事前に足を差し入れておいたため、扉は閉まらない。
僕は無理やり扉を開け、の家に入った。

「ど、どうして……なんで帰ってきたの」
「悪いね。彼らには吸血方法を教えてもらえなかったんだ。僕が同じ種類じゃないから、だとさ」

僕が一歩近づくと、彼女は一歩退く。

「僕はこの地に一人だ。それなのに、君は見捨てるんだね」

僕はまた一歩近づいた。彼女は一歩退いて俯いた。

「僕は、君が何もしなければ、死ぬよ。産まれて何も残すことなく、生涯を終えるよ」

僕はもう一歩近づいた。彼女は動かない。

「頼むよ。僕はまだ死にたくないんだ」

手が届く距離まで接近し、僕は彼女の手を取った。
完全には塞がりきってない傷口を僕は舐めた。
吸血鬼でない僕は、彼女に強請ることしか出来ない。
だから精一杯伝える。
君が欲しい。君から僕に生の滴を与えてくれないかと。

彼女はやんわりと僕を押した。そして僕に背を向けると突然しゃがみこみ木製の床を開けた。
貯蔵庫なのだろうか、冷気が漂っている。
彼女はそこから一つのパックを取りだした。真っ赤な液体が入っている。
それを僕に渡した。

「飲んでみて」

僕は判っている。これはまずい。生を感じられない、終わった血液だと。
だから彼女に押し返した。

「君が与えてくれなくっちゃ」

指先で彼女の唇に触れると、彼女は大きなため息をついた。

「血には変わりないでしょう。自分で飲んでみて」

口移しを拒否される。
仕方がないから、少しだけ彼女の前で飲んであげた。
一口飲んだが吐き気がするほどまずい。全部飲んでやろうと思ったが無理だ。
僕は途中で飲むのをやめた。

「無理だ。これはあまりにも……まずすぎる」
「……これでも苦労したのに」

肩を落とす彼女の口に僕は輸血用パックを突っ込んだ。
吐き出そうとする彼女の口を自分の唇で塞いで、彼女の口から血液を摂取した。
するとどうだろう。
あれだけまずかった血が、今は豊潤な香りで鼻腔をくすぐるようになった。
これならいくらでも飲める。
飲み干したら、パックに入った残り少ない血液をまた彼女の口に含ませ、それを僕は吸っていった。
なんと甘美な味だろう。頭の働きが止まってしまうくらいにくらくらする。

僕は飲み干した後も、彼女の舌先を絡めとった。
口内に舌先を忍ばせ、彼女の歯列をなぞる。
この欲求はなんだろう。何故僕はこのようなことをしているのだろう。
身体の奥底から湧き上がるこの熱はなんだ。
そっとを覗き見た。
彼女はきゅっと目を瞑り、苦しそうに呼吸をしていた。
昨晩も口付けの行為後は辛そうだった。あまり長くはしない方がいいだろう。
だが彼女の熱っぽい吐息が耳をくすぐると、僕は更に彼女が欲しくなった。
こんなに彼女を求めて。僕が僕じゃないみたいだ。

執拗に味わっているとまた彼女の膝が折れ、倒れそうになるところを抱きとめる。
上下する胸から紅潮しきった頬、僕との口付けで怪しく照る唇を見た。
もう一度貪りたいという衝動が襲うが、僕はそれを無理やり押さえつけ、彼女を椅子に座らせてやった。

「……これ、で、最後にして欲しいの」

ぐったりと身体を投げるはそう言った。

「どうして?」
「どうしても」
「自分の身体に傷を作りたくないならば、今回みたいに他人の血で代用すればいい。
 僕としては、君の口から与えてくれるなら、誰の血液でも構わないよ」
「そこで、私を使わないで」
「人間である自分が失われるから?一連の行為によって吸血鬼に近づくから?」
「そう」

僕の身体について未だ未知数であるため、彼女の協力は必須。
何がなんでも僕の要求を飲ませなければならない。

、それは杞憂だよ。所詮純血でない君は牙が出るだけのただの人間だ。
 ……って、吸血鬼どもが言ってたよ。彼らは君のことを知っているようだったね」

全くの嘘である。
確かに彼らはのことは知っていたが、半血種についての説明は何も貰えなかった。

「もしそれが本当だとしても、とにかく私は嫌だから」

強情な。

「判った。諦めよう。血は適当に採取する。だが口付けることはさせてもらう。
 特に意味はないが口直しのようなものだ。それなら問題ないだろう」
「問題あるの!!」

何を言っているんだ。
先ほど吸血鬼に近づくから血液を口移しで与えたくないと言ったばかりだろう。
だからこちらが譲歩してやったというのに。何故拒否をするんだ。

。……僕にとっては死活問題なんだ。偽りなく答えてもらいたい。
 君は、何を嫌がっているんだ。何が問題なんだ」
「いいから!」

彼女は赤くなって僕から逃げていく。おかしな女性である。
発言に矛盾が多くて全く理解が出来ない。

八方塞がりになってしまった僕は久しぶりに瞼を閉じて脳内の情報を探った。
あまり期待はしていなかったが、なんとそこに答えがあった。
その答えがなんとも馬鹿らしくて、僕は椅子に座る彼女を後ろから抱きすくめ、上から軽く唇を合わせた。
彼女は暴れて僕からまた逃げようとする。

「さっきも言ったけど!」

彼女は怒っているように見える。しかしこれは怒っていないのだ。
ただ、焦っている。動揺している。その理由は単純なものだった。

「求愛行動なんだろ。この行為は」
「そ、そうよ!……だから、やめて。貴方にそんなつもりはなくても、私は困るの」
「どうして。僕は君の事好きだよ」
「だから。それは餌と同じで」
「そう?空腹時の欲求とは違うものなんだけどな」

判ってくれない彼女の頬に僕は唇を押し当てた。
その際その滑らかな肌を少し舐める。すると彼女は小さく震えた。
その顔に映るのは恐怖ではない。ただの羞恥だ。

「……君は偶に不思議な表情をする。それを見ていると、君の唇に吸い寄せられるんだ」

今度は唇に己のものを押し付けた。
舌を差し入れたいところであるが、会話をする必要があるためぐっと耐えて、すぐに離した。

「これは、僕が君に好意を寄せているという証拠なんではなかろうか?
 僕は血液を要求せず、ただ君だけを欲しているんだよ」

もう一度、僕は彼女に口付けた。
血なんてもう一滴も残っていない、彼女の唇に。
不思議なことに、彼女は抵抗しなかった。
ただ目を細めて僕を見上げている。

「……随分大人しくなったね」

そう言うと、羽根を引っ張られた。

「こ。こら。これ以上羽根が無くなったら見栄えが更に悪くなるだろう!」
「っふふ、気にしてるの?」

彼女は笑った。それは自然な笑みだった。
だから僕はそんな彼女の額にキスをした。

「僕の羽根を引っ張った罰に、もう一回口付けさせてもらうよ」

そうっと彼女の唇に僕の唇で触れると、椅子から立ち上がった彼女は僕の首に腕を回した。











「……美味しくないね」

はしたないと判っているが、僕は口の中の肉塊を吐きだした。

「ふむ、僕が真に摂取していたものが、その者の生命エネルギーということで正解のようだな。
 肉は肉だった。血は血だった。僕はただ彼女の命の源を摂取していたんだね」

二人で過ごした日々はそれはそれは恍惚で美しくて、そして美味しかった。
は定期的に血液を僕に与えてくれ、そして身体に触れることを許してくれた。
人間として生きるための知識、人間の生活、人間の性質等を詳細に教えてくれ、知識を得るための手段である本というものを教え与えてくれた。

とても楽しい日々だったが、長くは続かない。
彼女の身体を貪る度に、日を追うごとに彼女は老けていった。
輝きを失っていく彼女にいくら口付けても、吸血しようとも僕の空腹は満たされなくなった。
だから僕は終わりにした。

「被験者の死をもって、今回の検証はこれにて終了とする」

僕は彼女の家を去る。彼女の死は早々に気づかれるだろうから、今のうちに逃げておかないと。
僕は一度だけ、彼女と過ごした家に振り返った。

、大好きだったよ」





fin.
(13/06/20)