まるで終わりのない回廊のようで 二年生-春-

騒がしいと思ったら、アパートの隣の部屋の住民が引っ越していった。
静かになったとほっとしたのも束の間、一週間後そこに新しい人が引っ越してきた。

同じ大学の生徒であろう隣人は引越しの挨拶には来なかった。
世間的には失礼なのかもしれないが、私としては歓迎だ。隣人と馴れ合う趣味はない。
今では階段ですれ違ったらお互い気まずい雰囲気を醸し出し、逃げるように会釈をするような関係になった。
出来るだけ相手の存在を認識したくない。
相手もそう思っているのがひしひしと伝わってくる。
その考えには深く感謝する。私も同意見だ。

周辺の変化はそれくらいで、私は何事も無く二年生になった。
嬉しいことに、私の成績は学部の同級生のトップだったようで、学費一部免除と掲示板に張り出されていた。
まぁこれくらい、当然だろう。そう思いながらもこの結果は嬉しかった。
これに満足することなく、今後もトップで在り続けるために、講義には真摯に取り組く所存である。

私は講義第一回目から試験を意識して臨んだ。
教授の言葉を一言も漏らすまいと、講義中の録音や録画も完璧だ。
少し値は張ったが必要経費だろう。全然惜しくない。

そんな気合を入れまくっている私の周囲では、友人らと固まって席に座る者達ばかりが目に付く。
羨ましいという気持ちはない。ただ、講義中の私語は慎んで欲しいと思っている。

昨年同じ必修を取っていた者たちも見かけるが、私も彼らも互いに会釈すらない。
こうして私はまた、誰とも言葉を交わさない日々を重ねていく。
大学では勉強し、家でも勉強。寝て、起きたら大学。そして勉強。

私は、朝昼晩、いつでもどこでも一人だ。

昨年に出くわした厄介な男とはもう会わない。
あれは今年四年生で、殆ど大学に来ることはないだろう。

それに、もう会う理由がない。
もうどの講義も彼と被ってはいない。同じグループでもない。
もうあの男を起こす必要もないし、餌を与える必要もないし、一緒に大学に行く必要だってない。


私は、元の生活、いや、正しい生活に戻ることが出来た。











梅雨の時期に入った頃。
折り畳み傘をさしながら歩いていると、土手下で変な男を見つけた。
雨が降っているというのに、傘をささず、ぐちゃぐちゃのびちゃびちゃの髪によれたYシャツ姿の男。
腹立たらしいことに、遠目であっても誰であるかすぐ判った。
私はそのまま彼を見なかったことにして、まっすぐ自宅へ向かう。

すると、水音がした。
ぱしゃん、ぱしゃんと。

激しい雨の中元気がいい奴がいるものだと思っていると、私の前に立ち塞がる者がいた。
見上げると、濁った双眸が私を見下ろしている。

ちゃん」

と、誰にも呼ばれない私の下の名を、あの時と変わらず呼んだ。

「……邪魔ですよ」
「怒ってるの?」
「意味わからないです。失礼します」

脇をすり抜けようとすると、腕を掴まれた。

「……用がないのに、話しかけないで頂けませんか」
「用ならあるよ」

思わずどきりとして、私は彼の顔が見られなくなった。
俯いたまま、彼の言葉を密かに待つ。
何を言うのだろう。
だって、もう私たちは何の関係もないのに。
用件なんて発生しないはず。私と関わる理由なんてないはずで。

「お腹が減ったから何か食べさせたもらえないかな!」

私は、奴の手の甲を思い切りつねってやった。

「いったぁ!?ちゃん!?」











「いやー、久しぶりの白いご飯!さすがちゃんだね!」

また所持金が底をついたらしい。
そんな彼の計画性の無さを罵倒しながらも、結局私は彼の家でご飯を作ってしまった。
別にこれは彼のためではない。私のお腹が空いたからである。
と、言い訳させて欲しい……。でなければ、私があまりにも情けなさ過ぎる。

「四年生のくせに、雨に打たれてるなんて馬鹿じゃないですか。就職決まった余裕ですか?」
「僕は三年だから就職なんて関係ないよ」

……は?
この人去年三年生だったはずじゃ……。

「まさか、留年……」
「うーん、必修がね。あははー」

あははじゃないだろ。馬鹿じゃないの。

「……。で、いくつ足りないんです?ちゃんと時間割組んでます?」
「それがさっぱりなんだよね。履修のことが書いてある本も無くしちゃってさ。
 あ、ちゃん、良かったら持ってきて見せてくれない?」

この男どこまで馬鹿なんだ!!
履修の修正期間終わってるから!!
取り損なってたら、来年も三年生決定だから!!!

あー嫌だ……こんな適当な人に関わりたくない。
ダメダメ病がうつりそうだ。

「……全力でお断りします」
「でも、これだと僕は来年も留年が確定だよ」
「教務課行って調べなさいよ!」
「教務の職員の人より、ちゃんの方が信用できるなー」

なにそれ、馬鹿じゃないのか。
大学職員の方が詳しいに決まっている。それが仕事なんだから。
それなのに何故私を頼ろうとする。意味が判らない。
私なら簡単に利用できると思っているのか。

ちゃんは出来る子だから、きっといいアドバイスをしてくれると思うんだ」

私が出来るのは勉強だけで、ダメ人間の世話はからっきしだ。

ちゃん」

耳障りだ。下の名で呼ぶな。
頭がおかしくなる。彼のペースに引き込まれていく。

「僕だって頼る人間は選ぶよ。信用できるから君にお願いしているんだ」

嘘つき。
頼る人間なんて、私以外いないだけの癖に。
騙されるな。
この男はいつも上手いことを言って、他人を操るんだ。
関わってはいけない。言葉に惑わされてはいけない。



駄目駄目、絶対に駄目!!!!



「……面倒くさい。………まぁ、やってやらないこともないですけど」
「うんうん。ちゃんは優しいなぁ」

馬鹿な私は私の中の警告を無視した。
理由はわからない。何故わざわざ自分に枷をはめるのか。

こうして私は、またダメ人間の世話を始めた。

「ちゃんと学校に行って下さいよ」
「うん、判ってるよ。大丈夫だよー」

こんな言い方をする場合、八割行かない。
仕方がないので、必修の時は起こすためにメールしたり、電話したりする。
しかしそれでも行かないかもしれないので、一応家を訪問する。

案の定、彼は携帯片手に死んでいるのだ。

「お前!!やる気あるのか!!!なくても卒業だけはしろ!!!!」
ちゃんはお母さんみたいだね」」
「いいから!!!早急に!!!三秒で行動!」
「はいはい」

いくら私が優秀だからと言って、この男は扱いきれない。
この男の親は一体どういう教育をしてきたんだ。
これはあまりに異常ではないか。

ちゃん」
「なんですか!!!!服!!!早く!!!!!」

私は次の時間、講義は入っていない。本来なら自習の時間。
それをわざわざ割いて、この男の面倒を見ているのだ。
それなのに、の男はいつもいつもとろっとろ動くばかりで。

「いつもありがと」

ケンジは何故かにこりと微笑んでいて。
私は思い切り、奴の横腹を蹴った。

「え!?僕何か悪いことした!?痛いのは苦手だよ!」
「煩い煩い!」





むーかーーつーーーくーーーーーーーーーーー!!!





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(13/04/22)