殺人的な奇声を発するセミが耳を刺す。
うだるような暑さと熱気が身体を焼いていく。
とうとうこの時期がやってきた。
年二回の大決戦が始まる。
戦いの準備に向けて、ケンジにはよく言っておいた。
「勉強の邪魔だけはするな。
邪魔したら絶対に許さない。ふざけても許さない。
損害賠償を請求する。それでも許さない、呪ってやる。いっそ殺す」
「わ、わかってるよ。ちゃん、試験大事だもんね!
連絡しないし、一人で講義も行くし、ちゃんと僕も試験も受けるから。
ね?だから殺すのはやめよ?」
普段は何を言っても聞き流すばかりの駄目ケンジであるが、私が強く念を押したからか、
宣言通り一切連絡してこないし、もしすれ違ったとしても手を振るだけに留まっている。
邪魔者を排除した私は試験勉強だ。
あの男の世話で今期自宅学習の時間は大幅に減ったが、
それでも毎日復習は欠かさず、ケンジに命令しながらも関連書籍は読み進めていた。
勉強に関して、誰にも負けないつもりだ。いや、負けてたまるか。
でもどうだろう。今回もトップを取れるだろうか。もしも駄目だったら……。
私はじわりと這い寄る不安を振り払うように、目の前の書籍に向かった。
重要そうな言葉は横にメモをし、次に調べるべきものを羅列しておく。
弱気になるな。負けてなるものか。
特に、他人と馴れ合ってる奴等なんかに。
私は心を空っぽにし、知識の海に溺れていった。
勉強は楽しい。判るともっと楽しい。一番はもっともっと嬉しい。
この楽しみを、誰にも邪魔はさせない。
ぴんぽーん!
思ったそばから、何がピンポンだ、ふざけんな。
どうせ、新聞か宗教の勧誘だろう。試験勉強に勝る価値なんぞない。
暫くの間インターフォンの電池を抜いておこう。それが一番良い。
とりあえず今回は居留守でやり過ごそう。
無視してシャーペンを走らせていると、ふいに金属音がした。
新しい空気が入ってくる音がする。まさか、勧誘者め勝手に扉を開けたのか。
ばっと扉を睨みつけると、くたびれた格好の男が片手を上げた。
「やあ、ご飯食べた?」
「いえ、食べてないですけど……勝手に入るのはやめてもらえませんか」
扉を開いたのが見知った人間であることに少し安堵した。
「君だって自由に僕の家に入ってるじゃない」
「まぁ、そうですけど。それとこれとは別というか」
綺麗にしてるから良かったものの、もし見られたくないものが玄関前にあったらどうするつもりだ。
「それに勉強の邪魔するなって言ったはずです」
「邪魔しないよ。君はそのまま勉強してて」
ケンジはそのまま許可無く部屋へ上がり込み、ごそごそと物音を立てている。
怪しい。とは言え、玄関付近はトイレ、風呂、台所があるくらいで、特に問題になりそうなものは置いていない。
放っておこう。用が済めば帰るはずだ。
ぴーぴーぴーぴーぴーぴーぴーーぴーぴーぴーぴーぴーぴーぴー
これ、炊飯器のスタート音だ。って何やってるんだあの男は。
気になる……けど、気にしていられない。
試験勉強の今日のノルマをこなすまでは、何事にも気を取られるわけにはない。
「あっち!熱かったぁ……」
あー、気になる!!
冷たく言い放った手前見に行くことが出来ないので、悶々としながら勉強を進めた。
その後も色々な物音を立てていたが、私は誘惑に負けず勉強に励んだ。
とは言え、やはり効率はがっくりと下がってしまい、
一旦止めてケンジの行動を確認してから行えば良かったと後悔した。
全く、勉強の邪魔をするなとあれほど言ったのに。
試験が終わったら、ご飯抜きの刑に処する。
◇
「はい、どーぞ」
「……はぁ」
差し出されたのは普通のカレーだ。
途中匂いで何を作っているかは判っていたのだが、あのケンジがと思うと信じられず、
こうやって実物を見てようやく匂い通りにカレーであると認識出来た。
「いただきます」
「……い、ただきます」
ケンジが食べだすので、私も挨拶をしてスプーンを握る。
ケチをつけたいのだが、どこをどう見ても普通過ぎるカレーだ。
具が異常に多い気がするが、それは家庭によって様々であろうからおかしくはない。
「どうやら僕でもカレーくらいは出来るらしい。凄いねカレーって」
「そうですね」
変なの。何も出来ないと思っていたのに。
流石にカレーくらいは作ることが出来るんだ。
「おいしい?」
「……ま、まぁ、美味しくないわけはないですけど」
なんで来たんだろう。
なんでご飯作ってくれたんだろう。
なんで、どうして。
私の疑問は喉を通るカレーによって押し込まれ続ける。
そのまま私たちは最後まで黙々とカレーを食べていった。
「ごちそうさま。それじゃ、勉強頑張ってね」
ケンジは二人分の空いた皿をシンクへ持っていく。
流水音が長いところを聞くと、洗ってくれているらしい。
水音が止まると、そのまま玄関の音がした。遠ざかる足音。
本当に帰ったようだ。
私は玄関の鍵をしめ、洗い物のカゴを覗くとさっき使用した食器が丁寧に並べられていた。
ついでに鍋と炊飯器にはそれぞれまだ残っている。あと一食分はある。
あの男なら残った分は持って帰りそうなものなのに。
ケンジの意図は判らないままだが、私はほっこりとした気持ちになった。
試験勉強を頑張ろう。さっきの分をさっさと取り返さなければならない。
試験が全て済んだら、何かまたあの男につくってあげよう。
ケンジは質より量だ。業務用スーパーで沢山買って、沢山つくってやろう。
勉強の項目しかない私の予定表に、一つだけ別の事柄が書かれた。
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(13/04/28)