第1話-やさしい日常-

世界は光に満ち溢れていた
世界は闇に満ち溢れていた

光と闇が交わり合うこの世界で
君たちは全ての力を手に入れることが出来る

でもね

どんなに力を持とうと、君たちは小さき存在でしかないこと
それを決して忘れてはいけないよ





しろくろ神様+





トントン…と、小気味の良い音が暗闇が満ちる部屋に広がる。
グツグツと気泡が弾ける音が、少しずつ収まっていく中、ことりと音がした。
勢いのよいカーテンレールの音を皮切りに、部屋中が眩い光に溢れる。
満たされていた闇が一つの靄だけを残して光に飲み込まれた。

「今日もいい天気デスね」

人型を模した黒い靄はそう言って、扉をノックした。

サン、朝になリましたヨ」

部屋からは何の物音も漏れてこない。
黒い靄は薄く笑って「しょうがないですネ」と呟いた。

「入りますヨ」

鍵の掛かっていない扉を開くと、部屋の主の姿がなかった。
その代わりベッドの真ん中で、ドーナツのような丸い形が浮かんでいる。

サン、起きてますカ?」
「んー」

もぞもぞと布団の端から幼い少女の眠そうな顔が現れた。
瞼を震わせながら薄眼を開き、靄を見つめる。

「おトイレ行きたい……」
「どうゾ。空いてマスヨ」
「眠い……」
「ふふ、頑張って起きましょうネ」

と呼ばれた少女は、目を擦りながら気のない返事をした。
黒い靄は部屋を後にし、朝食の準備に戻る。
パン、フリッタータ、サラダ、ポタージュ、デザートにフルーツを。
朝食の準備をほぼ終えた頃、 が部屋から飛び出し慌ただしくリビングを横切った。

「おはよっ、影ちゃん!」

先程の扉の閉まる音が響くのと同時に、今度はの部屋の隣にある扉がゆっくりと開かれる。

「あ゛ぁー。チッ、気持ち悪ぃ……」
「オはようゴザイマス、マスター」

黒と薄い群青色の太ボーダー服の少年が、細い目で黒い靄──影を見た。

は?」
「お花を摘んデイル最中デス」
「そうか。……はぁ、朝辛」

マスターと呼ばれた少年は三人がけのソファーの真ん中にどっかりと座る。
忙しなく動く影とは対照的に、半分夢の世界に意識を持っていかれている。
しばらく経つと、先ほどが入った扉が控えめに鳴り、顔を覗かせた。

「おはよ、黒ちゃん」
……おはよう」

草原に咲く小さな花のような慎ましい笑顔を浮かべるに対し、
世界を呪い殺しかねない表情を一転させ、柔らかな笑みを浮かべる黒神。

サン、そっちに持って行くの手伝ってくれまセンカ?」
「はーい」

カウンター越しの影に返事をしスリッパをパタパタ鳴らすの後ろ姿を、黒神は微笑ましく見ていた。











二人が朝食を終えると、黒神はデスクに向かい"仕事"を始める。
と影は朝食の後片付け、洗濯物、掃除等の家事を笑い合いながら行った。
昼食を終えると、黒神はまた作業に戻る。
と影も先程同様、家事を行い、一段落してお菓子を作り始めた。
リビング中に広がる甘い香り。

「材料ちょっと余っちゃったね」
「全部食べられまス?」
「これ全部かぁ…。黒ちゃん、バナナ残っちゃったから少し食べてー」
「ああ。いいぞ」

は手のひらサイズのボウルを持って黒神の元へ。
書類から目を離した黒神は、 の方へ身体を向けた。

「黒ちゃん。あーんして」

黒神の眼鏡の奥の瞳が僅かに広がった。
瞳の中のは口端を小さく上げて待っている。
黒神が躊躇いがちに開けた口に、少女らしい細い手が伸ばされた。

「あー…」

差し出された切れ端は、闇の中へと消えた。
柔らかな果実は何度か噛み付かれた後、喉の奥へゆるりと落ちる。

「あれ?普通のバナナじゃん。まだできてねーの?」
「MZD……もう、びっくりさせないで」
「ははっ、悪りぃな」

突然二人の間に現れた、黒とオレンジの太ボーダー服を着た少年。
このMZDと呼ばれた少年は、頭からつま先まで姿形は黒神に瓜二つ。
違いをあげるならば、黒神が黒髪に対し、MZDが茶髪であること。
瞳の見えないサングラスのMZDに対し、黒神は瞳の見える眼鏡であること。

「今日は何作んの?」
「バナナマフィン。ちゃんとMZDの分も作ってるよ」
「サンキュー。さっすが

ぽんぽんとを撫でた真後ろで、黒神が同じボーダーの背中を睨みつけていた。

「黒ちゃん」

の呼びかけに、何事も無かったかのように振舞う黒神。

「さっきは取られちゃったから。ね」

もう一度差し出されたものは今度こそ無事、黒神の口の中に入った。

「おいしい?」
「ん。…ありがとう」

から少し視線を外して言った。
うすら赤く染まる耳。

「……これってさ、オレと間接キスしたことになんのかな」
「なんねぇよ!」

真剣な表情で尋ねたMZDを全力で否定した。

「二人はいつも通りだね」

ふふっと柔らかく笑ったは影のいる台所へ戻った。再び影と談笑している。
そんな二人とは打って変わり、リビングでは。

「……テメェ気持ち悪ぃこと言ってんじゃねぇよ。吐き気がする」
「だってさっき、オレの指まで舐めちまったし」
「指っ、舐めっ………」

言葉を飲み込む黒神の耳は再び赤くなる。
その様子にMZDは苦笑いを浮かべた。

「そんなマジに考えられると…ちょっと」
「っ。別にテメェのことは考えてねぇんだからいいだろ!」
「……あ、そうそう今日の用なんだけどな」
「なんだよ!」

話を急に転換させられ、黒神は荒々しく机に頬杖をついた。
MZDは声を一段小さく下げ、改めた様子で言った。

「最近また世界が安定してなくね?」
「昨日も聞いた。……テメェ大した用ねぇくせに来てんだろ」
「バレた?」

悪びれなく言う様子に、黒神はため息をつく。

「毎日毎日俺との邪魔しやがって…」











「今日は美味しかった?」
「今日も美味しいぞ。ありがとな」
「サンキュー。美味かったぞ」

テーブルの上には綺麗に中身が削ぎ取られたカップが皿の上に置かれている。
食べ終えて一息と香りたつ紅茶をすする黒神。

「今日は何の用だったの?」

はMZDに尋ねた。

「いつもの。後、次はどんなイベント起こそうかと思ってな。意見聞いてた」
「毎度楽しそうだよね。いいなぁ……私も外に行ってみたいなぁ」

カップが静かに置かれる。
発言した本人以外の空気が凍った。

「外は駄目だ」

静かに言った黒神の顔をは覗き込んだ。

「少しだけ!」
「駄目だ」

首をいくら傾げようとも、黒神の表情は変わらない。
先ほどより強められた語気に、は肩を落とす。

「……はぁい」

肩を大きく落としたは、そのまま立ちあがり空いた皿やカップを回収し始めた。

「後片付けしてくるね」
「私もしマス」

カウンターの向こうに行くを慌てて影は追いかける。
神二人を残して。

「…まだ、出してやらねぇの?」

静かにMZDは問うた。

「下界は危ないからな」
「怖いのか?」
「……」

黒神は黙りこみ、MZDとは逆の方向を見つめる。

「お前の気持ちは分かるけどな、でも」
「分かってる!」

荒げた声にカウンターの向こうにいる二人も黒神を見た。
MZDが手を合わせる動作を二人に見せると、二人は元の作業に戻る。

「もう……帰れ。用は済んだだろ」

膝の上に握りしめた手が震えているのを見て、MZDは席を立つ。
カウンターの向こうにいるに声をかけた。

「今日もごちそうさま。帰るわ」
「またね。ばいばーい」
「またな」

キラキラと青白い光がMZDから零れ落ち、一瞬で部屋から消えた。
パタパタと音を鳴らし、エプロンで手を拭きながらが下を向く黒神に寄る。

「黒ちゃんどうしたの?」
「なんでもない」

黒神は小さく笑みを浮かべてを見上げた。

「でも、さっき怒ってる感じで」
「大丈夫だ。なんでもない」
「うん……」

腑に落ちない顔をしつつも、はキッチンへ戻った。
と影が片づけを終えた頃、リビングに黒神の姿はなかった。
誰もいなくなったリビングを見つめ、立ち尽くす
影はその小さな両肩に手を置いた。

「神同士ですから、色々あるのですヨ。気にしないで下サイ」
「でも……」

目を伏せて床を見ていると、見慣れた足が目の前に現れた。
勢いよく顔を上げると、それは想定していた人ではなかった。

「黒神には内緒」

は一瞬戸惑ったが、もう一人の神を連れ自室へと向かった。
ぱたんと扉が閉まってからMZDは謝罪した。

「ごめんな。ちょっと黒神怒らせちゃってさ」
「そういうのやめてあげて……」
「悪ぃ。でも必要な話だったんだよ。許して」

サングラスで表情が読めないが、真っ直ぐにを見ている。

「……わかった。きっと色々あるんだよね」
「ごめんな」

再度謝るMZDにが聞いた。

「ねぇ、外ってどんなとこ?」
「すっげー面白くてすっげー楽しいんだぞ」

ぱぁっと明るい顔でMZDは言った。

「俺はこの世界が大好きだぞ!」

嘘偽りなど欠片も疑えない満面の笑み。
は少し面食らい、すぐ目を伏せた。

「黒ちゃんって、自分の世界のこと、あんまり好きじゃないのかな?」
「……まぁ、あー。それは、うん。ちょっと」

言い淀むが、それを消しさるかように明るく続けた。

「でも、さっきの話に関しては、のことが心配だからってのが一番だぞ!」

その言葉に頷きながらも、の顔は影を帯びている。

「そんな顔すんなって。今度ジャック連れてきてやるよ」
「え!本当!?絶対だよ!忘れないでね、約束だよ!!」

暗い表情が弾けて飛んだのを見て、MZDは先程と同様に部屋から消えた。











夕食時には黒神がリビングに現れ、先程声を荒げたことが嘘のように笑顔を始終浮かべていた。
これにはも影も胸をなでおろし、普段通りの静かな食事を行った。
食事後も黒神はデスクワーク、はソファーで寝転んだり、TV観賞をして過ごす。
時計の針が明日に近づいた頃、 は大きな口をあけながら、目をこする。
うとうとしながら、黒神に近づいた。

「おやすみー……」
「おやすみ、

黒神は椅子から立ち上がり、鈍いをゆっくりと優しく抱き締めた。
背中を軽く叩いて、すぐに解放する。
はもう一度「おやすみ」と言うと自室へ戻った。
扉が完全に閉じたのを見届けてから、黒神はデスクに戻る。

「はぁ……」

ため息をつき、影を呼ぶ。
影は瞬時に黒神の横に現れた。

に下界の情報は一切与えるなよ」
「了解シマシタ」

機械のように影は自らの主の命令を聞き入れた。

「外なんて、が知る必要はない」

そう言いきる黒神に、影は遠慮がちに声を漏らす。

「デスガ…」
「分かってる」

ピシャリと言い放つ。

「俺だって、わかってるさ。ちゃんと」

影を残したまま黒神は自室へと戻る。
窓が一つしかないリビングに、全てを飲み込む闇が襲った。