第16話-少しの歪-

あ~~~~~~つかれた~~~~~~~。


最近、他のクラスのニッキーが私を追い回してくる。
私を怖がらないし、力のことも秘密にしてくれるし、とてもいい人だと思うんだけど、ニッキーと関わっていると生気を吸い取られる。
私を見つけては追いかけてくるし、変なことばっかり考えてるし、鼻血ばっかりだし……。
今は家でのんびり過ごすことが一番落ち着く。

とはいえ、この生活が嫌いというわけじゃない。
やっぱり怖がられないというのは、凄く嬉しい。
過剰だけどニッキーからの好意は、私がいてもいいんだという安心感を得られる。
今日もさっきまではサユリたちと一緒に帰っていた。
わいわい騒いでの下校。別れて一人になると少し寂しい。
こんな風に思えるのは、周りの人がいい人だからだ。本当に感謝している。

「娘」

あ、なんだか、御主人様の声に似てる。
あの人とはあれからずっと会ってない。この先もきっと会うことはないだろう。
もう黒ちゃんを泣かせるわけにはいかない。
初めて見る泣き顔は私に大きな衝撃を与えた。
本当に申し訳なかった。もう二度とあんな顔、させられない。

「私を無視するとは良い身分になったものだな」
「痛っ!」

右手が焼けるように熱い。この位置、この痛み、この感じ。
地面から顔を上げると、案の定────仮面を被ったあの。

「御主人様!?」
「随分力をつけたようだな」

多分黒ちゃんたちと同じ力のことだろう。
何も話していないのに、やっぱり魔族の人ってわかるんだ。

「来い」

がっしりと右腕を捕まれる。

「だ、駄目です!!黒ちゃんに怒られます!本当に駄目なんですってば!!」

とかなんとか言ってる間に、あのお城に来てしまった。
黒ちゃん言ってたっけ、拒否しないとちゃんと発動しないって。
やっぱり、自分の心に嘘はつけないんだ……。

黒ちゃんを泣かせたくないという気持ちは本当だ。
でも、この城にはもう一度行きたいと思っていた。
城内に保管されている大量の魔術の蔵書。
あの時は読み聞かせてもらわなければ分からなかったけれど、今なら理解できるはず。
そうすれば、私は二人と同じこの力をもっと上手く使う参考になるかもしれない。
そうすれば私は、二人と"同じ"になれる。

「座れ」

反射的に、以前も使用した簡素な椅子に座ってしまう。

「ふむ。以前とは比較できん程の力だ。これが本来の貴様か」

そう言って、御主人様は私の顎を掬い、右左と様々な角度で私を見る。
だが、きっと私の顔なんて欠片も見ていない。私の中の奥底を覗き込んでいるのだ。

「いいものだ」

魂や力に関してだけ、普段怖くて意地悪な御主人様も褒めてくれる。
だからこの一瞬、急激にこの人を好ましく思ってしまう。

続いて、御主人様はこの力についての説明を求めたので、私はそれに全て答えた。
この力の正体、行使できないよう一部制御をかけられていること、今まで自分が出来たこと、出来なかったこと等。
その間、御主人様は簡単な相槌を打つのみで、静かに聞いてくれた。
私が上手く説明できない時も、該当する言葉を教えてくれたり、整理してくれ、非常に話しやすかった。

「成程」

褒めてくれるのかなと期待していると、すっと手を上げた。
もしかして、ご主人様が、まさかの、まさかの、撫で──

「その成果見せてもらうぞ」

……あとほんの一瞬でも遅ければ、私は危なかっただろう。
私の足元を中心とした半球形の外では、ごうごうと蒼炎が燃えさかっている。
御主人様は心の底から楽しそうに笑っていて、ああ、こういう人だったよなぁと思い出す。

「反応速度は遅いな。精度が良くてもこれでは使い物にならん」

しかも落胆される始末。突然攻撃したくせに落胆……なんて酷い。

「あ、あの、今日は何の御用で私をここへ?」

そういえば、御主人様の目的を聞いていなかった。

「私の目的はあの死神だ。あの屈辱、忘れはせん」

彼が口を開いた途端、私の身体がぶるりと震えた。
仮面の奥を鋭く光らせた御主人様から放たれた圧力のせいだ。
ただそこに立っているだけだというのに、まるで首に手をかけられているような感覚。
まさに今喉笛を押さえつけられているようで、息ができなくなる。

怖い。

御主人様が、今までで一番怖い。
これが、御主人様────魔族、なんだ。

私は黒ちゃんと御主人様、MZDのやり取りを一切知らない。
だがこんなに怒っているということは、相当嫌なことがあったんだろう。

「貴様は奴を釣る餌だ。丁度、長距離の転移は出来ぬようだしな」

御主人様の言うとおり、私は空間転移が苦手である。
ちょっとした距離はいいのだが、例えば学校から家までというのは出来ない。
座標指定が甘いことと、もし失敗したらという恐怖が原因だろうと、黒ちゃん談。
だから、ここにつれてこられた時点で、私は逃げる術がないのだ。
その代わり迎えを呼ぶことは出来るので、良い頃に黒ちゃんに来てもらうつもり。
勿論、二人を争わせる気はない。さっと帰って平和に終わらせるつもりだ。

「おい!終わったぞ!!どこいるんだよ!」

誰かの声が城中に反響している。
私の胸を躍らせるその声を目指して、駆け出す。

「ジャック!!」
!?」

久しぶりに会うジャックにぎゅっと抱きつく。
ジャックもそっと背中に手を回してくれた。

「あの時は心配かけてごめんね。ずっとお礼言えずにごめんね、ありがとう」
「MZDに全て聞いている。が無事ならそれでいい」

あれ以後ジャックとは一度も会っていなかった。
MZDの家に来なくなり、MZDに聞いても今は忙しいからと言われ、悪いとは思いつつ会う機会が得られなかった。
こんなところで会えるなんて本当に良かった。ほんの少しだけ御主人様に感謝。

しばらくの間、ジャックに頬をすりよせたり、頭を撫でて楽しんだ。
ジャックも私の頬を撫でたり、手を握ったりする。
最近色々なことがあって慌しかったけど、こうしていると癒される。
やっぱりジャックは私にとって特別な人。
だーいすき。

「危ない!」

突然、ジャックに手を引かれる。振り返ると元いた場所が焦げていた。
そっと御主人様を見ると、美しいテーブルに頬杖をつきながらこちらを見ていた。

「構わず続けろ」

御主人様はふいっと顔を背けた。多分、目当ての黒ちゃんが来なくて暇なのだろう。
だからといって、攻撃をしなくてもいいだろうに。あ、そういえばジャックに話してなかった。

「私ね、黒ちゃんと同じ力を使えるようになったんだよ!凄いでしょ」
「なら、アレ倒せるんじゃないか?」

と、ジャックは自分の上司に当たる人を指差した。

「む、無理。そういうことはしちゃいけないって言われてるから」
「別にアイツ相手に容赦する必要はないのに」

攻撃も出来るらしいけれど、黒ちゃんは教えてくれなかった。
もし軽々しく攻撃できるようになれば、私がふと嫌な思いをしたときについ攻撃してしまうからと。
その判断は正しいと思う。身を守る術さえあれば、この先困ることはないはずだ。
それに誰かを傷つけるってよくないことだからね。

「今度御主人様が攻撃した時は、私がジャックを守るよ」
「危なくないか」
「大丈夫。強度は黒ちゃんのお墨付きだよ」
「具体的にどうするんだ」
「えっとね、危ないとか、怖いとか、そういうの思うと、身の回りに壁が出来るの」
「なら、危険への察知が遅れた場合は?」
「……あ、当たり、ます」
「なら駄目だな」

ジャックも御主人様と同じことを言う。
私そんなに役立たずかなぁ。毎日練習して頑張ってるのに。

「危ない時は俺がを庇う。大丈夫だ」

それでは、もし失敗した時ジャックが痛い目にあってしまう。
でもそれを制止しようと無駄なのだ。ジャックは絶対私を庇う。自分そっちのけで。

「そういえば、最近どうだ。嫌なこと、ない?」
「ないよ。ただ、ちょっと慌しいくらいで、ジャックは?怪我とか?」
「問題ない」

疑わしい……。許可なく上の服をめくってみる。

「嘘吐き」
「……ごめん」

痛々しい生傷が腹部に多数あった。
やっぱり、暗殺は危険なんだ。こんなに怪我して、いつか死んじゃったりしたら……。

「命に関わるものはない。そんな泣きそうな顔しないで欲しい」

そう言われたって、心配は心配だ。
怪我のない生活は出来ないのだろうか。暗殺を行う以上それは無理な話か。
ならば、せめて早く怪我が治ってくれればいいな。

「お、怪我、治っていく」
「え!?本当だ」

あ。黒ちゃんに治療行為はするなって言われたよね……。
この程度思うだけでも、怪我を治しちゃうんだ……。
凄く怒られそう……今日も帰りたくなくなってきた。

「ありがとう。助かる」
「う、うん。どういたしまして」

でもま、ジャックの怪我が治ったのはいいことだし、しょうがないよね。

「ほう。治癒も出来るのか。際限のない力だ」

御主人様が近くに寄ってきた。
嫌な予感がするのでしっかり防御をしておく。

「どれ程の負傷が治せるか、試させ、」
「嫌です!そういう危なくて怖いことをしないで下さい!」

ほらやっぱり。案の定。
だが、意外だったのは、御主人様が私の言葉だけで身を引いたことだ。
椅子に戻り本を読み始めた。なんだか拍子抜けだ。

「奴は気まぐれだ。あまり気にする必要はない」

私よりずっと御主人様を知るジャックがそう言った。
だから、私も気にすることは止め、ジャックとの遊びを再開する。
ごろごろとじゃれ合ったり、触ったり、最近あったことを話したり、手を繋いでぼーっとしたり。

、時間はいいのか」

しばらくして、ジャックが思い出したように言った。
ここに時計はないので正確な時刻は分からないが、多分、お腹のすき具合から言ってもう門限は近い。

「そうだね。じゃ、黒ちゃんを呼んでみるよ」

御主人様がぴくりと反応した気がするが、気にしないことにしよう。
私は家でいつものようにデスクに向かっているであろう黒ちゃんに意識を集中させる。
『黒ちゃん、お迎えお願いします、危ないから気をつけて来てね。そしてすぐ帰ろうね』
わかった、という返事が聞こえると、目の前に黒ちゃんが立っていた。

「……今日もまた探知出来ないようになってたぞ。何か悪いことしただろ」
「そ、それより急いで帰ろう。ね」

悪いけど御主人様の願いは叶えさせるわけにはいかない。
そう思って黒ちゃんの手をぐいぐい引くが、黒ちゃんは微動だにせず、一点を見る。
その先は勿論──。

「遅かったな死神」

御主人様が立ち上がり、黒ちゃんと対峙していた。

「テメェ……今回はブッ殺すぞ」
「出来るものなら」
「駄目!!」

黒ちゃんに抱きついて、動きを抑える。
力を使われてしまえば身体の自由なんて本当は関係ないんだけれど。

「黒ちゃんそういうことしないで。黒ちゃんが勝つに決まってるよ!」
「貴様、私を愚弄するか!」
「そんなつもりはないです、御主人様」
「その呼び方は止めろ!あんな奴を主人と崇める必要はない!」

大変だ……私のせいで二人とも怒らせてしまった。
仲裁したいだけだったのに、最悪の状況だ。

がこうなったのはテメェのせいだ。の優しさに付け込みやがって」
「何を言う。都合よく娘を操って貴様は満足か?」
「……殺す」

私の腕の中から消えた黒ちゃんが瞬時に御主人様の傍に現れる。
思い切り蹴り上げたようだが、御主人様はガードしたみたい。
それ以降は速すぎて私にはよく見えないけど、なんか戦い続けてる、らしい。
たまに魔術っぽい感じのものが飛び出してる。どっちが放ったものかは分からない。

、危ないから外にいよう」

でもこのままじゃ、多分御主人様は負ける。
物騒なことを言う黒ちゃんは、言葉通りに相手を殺めてしまうかもしれない。
そんなの、──嫌だ。

「ジャック、ごめん。今、二人がどうなってるか見える?」
「優勢なのは黒神だ。力も強いし速い、それに狙いが完璧だ。凄いな」

やっぱり、黒ちゃんの方が強いんだ。

「黒ちゃんお願い!ご、ヴィルヘルムさんに何もせず帰ろうよ!」
「のさばらせておけば、お前に危害を加える可能性がある。なら今ここでっ!」
「自分勝手な奴だ。娘のためと言いつつ、自身の望みを押し付けるか」
「っテメェは!!!」

特大の闇が真っ直ぐ御主人様に向かった。
それが通過した部分は塵も残さない。城の壁が円形になくなってしまった。

私が同じ力を得たからだろうけど、さっきの黒ちゃんの力の凄さがわかる。
避けなければ、跡形もなく消えていたんだろう。
そんな物騒で危険なもの、御主人様に向けて打ったんだ。
圧倒的すぎる力──これがあの優しい黒ちゃんなの。

「逃げるぞ。を怪我させるわけにはいかない」

ジャックに有無を言わさぬほどの力で掴まれ、私は逃げることを強いられる。
確かにあそこにいたら危ない。でも、このままじゃ御主人様が。

「上司のことは気にするな。死んだら死んだ時だ」
「それじゃ遅いよ!」
「アイツはに何か利益をもたらしたか?してないだろ。ならほっとけばいい」

だからと言って、死ぬのを見過ごせるわけないよ。
しかも、それを行おうとしているのは、黒ちゃんだ。
黒ちゃんが誰かを殺すなんて、それも私の知ってる人で、私のせいでなんて、そんなの!!!

「ごめん。私、黒ちゃん止めてくる」
!」

さっきの場所へ転移する。成功して良かった。

「黒ちゃん!」

なんとか黒ちゃんを説得したい。御主人様が滅ぼされる前に一緒に帰らないと。
すると、急に自分の身体に浮遊感を感じ、胸の辺りに何かが絡む。
疑問を感じる間もなく、目の前に黒ちゃんが見える。
先ほどよりもずっと近い距離で、目を見開いて驚いていた。

「力を行使すれば、娘に当たるぞ」

頭上から聞こえる声は御主人様。
見上げると、仮面が半分壊れていて、中からなんと人の顔が現れている。
────赤い瞳の、綺麗な顔。
これが、御主人様の本当のお顔。あの仮面は本体じゃなかったんだ。

「この娘の力は未知数だ。貴様の力とどう干渉しどんな反応が出るか、貴様も分かっていないのだろう?」
「そんな卑怯な手で俺様に勝ってテメェのプライドは満足か?」
「弱味がある方が悪いのだ」

御主人様側で抱き上げられてるのは、都合がいいかもしれない。
これなら、黒ちゃんは御主人様を殺すまで出来ないだろう。多分。
少しだけでも時間が稼げるなら。

「お願い黒ちゃんもうやめて。ヴィルヘルムさんも黒ちゃんのこと諦めてよ!」
「「断る」」

この二人やめるつもりが全くない。どうしよう。
どうすれば止められるんだろう。

、魔族を庇う必要はないと言ったはずだが」
「だって、そうじゃないと、死んじゃ……」
「そりゃ、俺はコイツを殺す気だからな」
「や、やだ。だめ、それは駄目」

だからなんで、殺すまでいっちゃうの。
ほっとけばいいじゃん。お家に来るわけでもないのに。
それに、今はもう自分を護る力だってある。
御主人様を消す理由なんて、ない。

「情をかけるな。コイツは魔族だ」
「貴様こそ、人間から畏怖される黒神ではないか。娘は人間だぞ」
「っせぇな!」
「これほど貴様を恐れぬということは幼少時からよく洗脳したのだろうな」
「それは違います。私はただ黒ちゃんのことが好きなだけで」
「それがそもそも洗脳によるものだと言うことだ」

黒ちゃんの釣りあがっていた目が、すっと細められた。
力の感じも変わってる。圧倒的な力で押す感じから、力を内部に溜め込んでいる。
確か、力は凝縮する方が強いって言ってた。
てことは、さっきよりも更に黒ちゃん怒ったんだ。これは、危なすぎる。

「ヴィルヘルムさん!もう止めてください。じゃないと、本当に死んじゃいますよ!」
「っ、何ではそんな奴庇うんだよ!!お前、自分が利用されてるのわかってんだろ!!」
「貴様が死神を捨て、我が下に来るというのなら歓迎するぞ」
「そんなのっ、ぜってぇ許さねぇからな!!誰かに、それも魔族如きにを渡してたまるかよ!!」

そこからお互いにガンガン言い合いながら、魔術の応酬を続けている。

…………なんか、二人のやり取りがだんだん遠く感じる。
なんでこんなことになってるんだっけ。
私が二人を怒らせたのが悪かったとはいえ、こんなに争う必要ってあるのかな。
ただ、御主人様のことほっといて帰れば良かっただけなのに。
前回この二人を治めたMZDって、本当に凄いや。
でもここに、MZDはいない。私のせいなんだし、私がなんとかしなきゃ。

多分、この二人が仲良くするのは無理だ。水と油の関係な気がする。
だったら、二人を強制的に引き離すしかない。
長距離で複数の転移なんて全然自信ないけど、これ以上の揉め事を見ないために絶対成功させる。

さっきから聞こえる二人の声を自分の頭の中から排除し、家のイメージを強く持つ。

黒ちゃんと一緒に、家に帰る。
いつも二人と影ちゃんで過ごすあの家に。
一緒に帰る────。









石材の城から、白い壁紙の張られた家に着いた。
黒ちゃんも一緒。大成功だ。
喜ぶ間もなく、黒ちゃんに肩を掴まれ、床に押さえつけられた。
元々床に座っていたとは言え、強い衝撃が脊髄を打つ。

「何故そこまでアイツを庇う」

レンズ越しの瞳は私を突き刺す。
敵と認識した御主人様を見るのと同様に私を見ている。
下手に答えれば何をされるのだろう。でも、私は正直に答える他ない。
私の上で四つんばいになった黒ちゃんを前に、嘘は吐けない。

「め、目の前で誰か傷つくのなんて見たくないから」
「魔族だぞ!人間じゃない。死のうと関係ないだろ!」
「そこは種族関係ないよ!自分が知ってる人が……なんて、嫌だよ!」

そう言うと、肩への食い込みが強くなった。まだ耐えられる強さではあるが、丁度筋のような部分を掴まれ、今にも千切れてしまいそうだ。

「アイツはお前に何をもたらした。痛みだけじゃねぇかよ」
「で、でも」
「俺からを奪おうとする奴等なんて、死んで当然なんだよ!」


────ショックだ。


黒ちゃんは、そんなこと、思ってるんだ。
心配性なのは知ってるけど、でも、そこまで、言わなくても。
だって、死ぬって、怖いことなんじゃないの。
ジャックやおじさんの仕事もあまり考えないようにしてるけど、命を奪うって悪いことだよね。
なんで、悪いことなのに、黒ちゃんは────。

「っふ、っく、っん、う、すんっ、あぅ」

なんだかよく分からなくなってきた。
肩の痛みがすっと消える。でも、流れ始めた涙は止まらない。
私の上にいた黒ちゃんが、ゆっくりとのけた。

「……すまない。少し頭を冷やしてくる。影は置いておくから。
 もし、寂しかったらMZDに頼むといい。一緒にいてくれるはずだ」

止め処なく流れる涙を拭っていると、いつのまにか黒ちゃんはいなくなっていた。
慰めてくれる人の不在で私は思い切り声を上げて泣き続けた。
喉が痛み、涙と共に鼻水も大量に出てきて、都合よく近くに置いてあったティッシュで何度も鼻をかんだ。

鼻の下がひりひりしてきた頃、少しずつ落ち着いてきた。
わんわん泣いたお陰で、頭がぼーっとする。さっきまでのもやもやが無くなってすっきりした。
なんかお腹減ったかも。

サン、お食事の用意が出来ていますがどうします?」
「食べるー」

そっか、影ちゃんを置いておくっていったっけ。
私は席に着き、一人でご飯を食べる。いつも通りの美味しいご飯。
不在の黒ちゃんの席には影ちゃんがいて、あまり孤独感を感じずにすんだ。
食事を終えて一息ついていると、影ちゃんが話しかけてきた。

サン。マスターをどう思いマスか?」
「すぐに痛い目に合わせようとするのはどうして?ほっとけばいいのに」
「ソレだけ、貴女の存在が大きいということデス」

その答えはあまり納得できない。
だって黒ちゃんは他の方法を探す気がない。

「私自身が望んでないんだよ」
「そうですネ……。これはマスターの望みデス」
「以前私を倉庫に閉じ込めた人の時は止めてくれたのに、
 今回は魔族だからって酷いことをしようとするのはどうして?」
「人間が変死体になりますと色々と面倒ですガ、魔族ならば突然死を迎えようと誰も違和感を感じませんカラ」
「それだけ!?」
「そうデス」

後処理の問題。たったそれだけの理由。
前回も人間じゃなかったら、その人に消えてもらってたってこと……。
なんで?どうして?黒ちゃんの考え方、全然よくわからないよ。
私、学校で嫌な目にあっても、その人に死んで欲しいなんて思ったことない。
だって、そんなのほっとけばいいから。
そもそも、黒ちゃん自身が攻撃は駄目だよって言ってたじゃん。
だから攻撃のやり方は私に教えてくれなかったんじゃん。
それなのに、その黒ちゃんが他人を傷つける技ばかり使おうとするのはおかしすぎるよ。

「マスターを嫌いになりマスカ?」

嫌いになんてならない。
好きだから。黒ちゃんのこと大好きだから。
でも、もし、今後もこういうことが起きるなら……私、困る。
その度にその人を庇って、黒ちゃんを怒らせなきゃいけないなんて。
それに今回の御主人様に関しては二回とも止めることが出来た。
だがそのうち、自分が認識していない場所で誰かが消えていくかもしれない。
そんなの、────嫌だ。

「アノ、こんな時に言っても聞き入れにくいとは思いますが、
 その……マスターを嫌いにならないで、下サイ」
「大丈夫だよ。心配しないで」

今後は気をつけないといけない。
私が良いと思っても黒ちゃんが駄目と思った相手とは一緒にいられない。
そういえば、おじさんがこれと同じこと言ってたっけ。
そっか。……おじさんはちゃんと見抜いてたんだ。

サンはヴィルヘルムという魔族が怖くないのですカ?」
「怖いよ。叩いてくるし、意地悪だし、すぐ魔術使うし。どちらかというと、少し嫌いかな」
「き、嫌いでしタカ……」
「でも何も隠す必要がなくて楽なんだ。それに私を怖がらないし」

御主人様は私の住む環境や、力のことをすんなりと受け入れてくれる。
そして、学校では恐怖される私に物怖じせず、普通に(?)接してくれる。
私としてはおじさんやジャックと同じようなものなのだ。

「御自分がいつかその方に倒されやしないかとは思わないのデスカ?」
「思うよ。でもなーんか大丈夫な気がするんだよね。
 御主人様余裕たっぷりだし、絶対倒すぞっていう意欲がないからかな」
「ナルホド。その方をよく知らない私からすると、魔族の方にはサンに近付いてもらいたくないのですガ……。
 ヤハリ、人間の常識が通じませんシ」

確かに人間相手なら、争いが起ころうとも大事になることはない。
法や周囲の環境といった制約が多いし、人間自身が力をあまり持たない種族だから。

サンの怪我で私たちがどれだけヒヤヒヤするかわかりますか?」
「……いっぱい」
「そうデス。出来うるなら人間のお友達だけにしてもらえまセンカ?」

今日だって、ジャックの怪我を見て、私は胸が苦しかった。
つまり、それの逆のことが黒ちゃんや影ちゃんに起こってる。

「私がもっと力を上手く使えるようになれば心配せずにすむ?」
「マスターレベルにまで達せられたなら心配しまセン」
「それ、遠すぎるよ……」

教わってて分かったけど、黒ちゃんは本当に何でもできる。
大掛かりなことから細かいことまで、全て。出来ないことは何一つない。
私はといえばまだイメージが弱く、感情に左右されて余計なところで力を使ってしまう。

サンはまだまだ未熟デス。あまり御自身を過信をなさらぬようお願いシマス」
「……きょ、今日は影ちゃん厳しいんだね」

普段の影ちゃんは、まあまあと言って場を収拾するばかり。
こんな風に辛口で注意するなんて滅多にない。

「私もマスターと同じデス。さんには健やかに育って欲シイ。
 危険な方との不健全な関係なんて望んでまセン。
 ソウですね……MZD様にもお話をお聞きしてみたらいかがデス?
 私はこれ以上お話していますとお説教をしてしま、」
「MZDに聞くね!!」

お説教はこりごりだ。そうだ、話を聞くついでにあっちの家で一緒に寝よう。
そう思った私は、寝る準備を全て済ませてから、MZDの家へと飛んだ。
MZDはTVを見ながらソファーにだらりと座っていた。
話があること、一緒に寝たいことを告げると、MZDが寝る準備に取り掛かる。
私はMZDの部屋で宿題をしながら、その到着を待つ。
宿題を終えた頃には来てくれた。





で。





「そりゃ心配するに決まってんだろ!!」
「は、はい……」

シングルベッドに寝そべりながら、私はお説教を受けていた。
私の最近のお説教を受ける率は相当高い。はぁ……。

「オレはいろんな奴と関わるよ。でも、それは自分を守る術があるから平気なんだよ。
 でも、はそういうわけじゃないだろ。身体は普通の人間だし、常に防御壁張るのもできないし」

ここでも自分の力の未熟さについて指摘された。
その指摘は正しいけれど、むっとしてしまう。早く上手くなって見返してやりたい。

「……ほら、おいで」

説教モードとは一転、優しい声色で私を誘う。
私は引き寄せられるまま、MZDの胸に顔を埋めた。
私の頭、髪、頬、首筋を撫でながら、MZDは言う。

「オレも、黒神も、が大好きなの。それは分かってくれる?」

分かってるという意思表示で、MZDの背中に手を回した。
身体の全てがMZDとぴったり密着する。

「大好きだから、怪我したり嫌な目にあうと辛いんだ」

それは分かってる。でもね──
MZDは私の耳に唇を寄せた。

「そんなにヴィルヘルムといて楽しかった?」

どきっとする。
本当のことを言ってもいいのかわからない。
すると、ふわりと頭のてっぺんまで布団がかかる。
暗闇の中、再度MZDは囁く。

「今黒神聞いてねぇよ。何言おうと秘密にしとくから」
「……本当?」
「神様は嘘つかないぜ」

手探りでMZDの頬を撫で、耳元に唇を寄せた。
こっそりと。黒ちゃんに知られないように。

「好きなの。……少しだけだけどね。いると楽しいの」

MZDは小さく笑って、質問してきた。
何をしていたのか、何が楽しかったか、ヴィルヘルムとはどんな奴かと。
私はたくさん話をしたよとか、魔術のことが楽しかったよとか、意地悪で酷い人だよ等を答えた。

「そういや、なんで御主人様って呼ぶの?」
「小間使いに任命されてから、そう呼ぶようにって」
「ああ。あの服の可愛かったな。あれで御主人様ねぇ。オレにも言って?」

肌を滑る布の感覚が変わる。布団を剥ぎ、半身を起こして自分の身体を確かめると、あの城でずっと身につけていたエプロンドレスを着用していた。

「く、黒ちゃんにこの服見られたら!」
「アイツ見てねぇもーん。大丈夫!」

御主人様に関するものは全て黒ちゃんを不機嫌にさせるというのに。
でも、MZDが言うように本当に見ていないのなら。
少しくらい。

「……ご、御主人様」
「かーわいいー!」

再度腕の中に引き寄せられ、撫で回される。
何度も可愛いと褒めてもらって、心がほかほかしてきた。
喜んでくれて良かった。

「黒神もなー、自分は言われねぇのに、ヴィルヘルムが呼ばれてっから、嫌なんだぜ」
「そうだったの!?そんなの頼まれればいっぱい言うのに……」
「それは違うんだよ!!」

という言葉を皮切りに、御主人様と呼ばれることについて熱く語られた。
無理やり言わせてるのもいい、立場上言わざるを得ないのもいい、自然に言ってもらうのもいい、と聞いていると、結局どれでもいいのではないかと思った。
なんだかこの熱さ、ニッキーに似ている……。

、ヴィルヘルムとこれからも関わりたいと思うか?」
「……うん」

黒ちゃんには悪いけれど、私は御主人様に魔術に関して聞きたいことが沢山ある。
危ない人だけど、説明は丁寧でわかりやすい。
それに、私が聞いたことの無いような話を沢山してくれる。そこが面白い。

「じゃあまずはもっと強くならないとな。オレたちがハラハラしないくらいに」
「頑張ったら、好きに御主人様と会っていい?」
「かも」
「えー、駄目なの?」
「オレはいいよ。でも、黒神は嫌がるだろうな」
「最近、黒ちゃん厳しいの……」
「はは……うーん」

曖昧に笑うMZDに、私は最近の黒ちゃんについて告げる。

「ニッキーのこともね、話すと少し不機嫌になるの」
「ですよねー」
「あと、あんまり学校のこと話すのも、少し変になる」
「やっぱり?」

全く驚いていない。不機嫌になる理由をMZDは知っているようだ。

「ねぇ、どうして?」
「……色々心配してるだよ。アイツは心配性だから」
「そんなに心配することってあるかなぁ……」
「ま、気にすんな。いつものことだ。寝ようぜ」

また誤魔化された感じがする。
でも私は、他人の思考を見ることは出来ないようになっているので、それを知る術はない。

MZDは私が眠りに落ちるまで、ずっと抱きしめてくれた。
自分以外の誰かの温もりは心地よくて、MZDが何かを誤魔化したことなんてどうでもよくなる。
私はすぐに眠りについた。

次の日、学校から帰るといつも通りの黒ちゃんがいて「昨日はすまなかった」と頭を下げられた。
気にしないで欲しい旨を伝えながらも、私は思う。
この謝罪は何に対してだろうか。
すまないとは言いつつ、同じことを繰り返すのが目に見えている。
私に害があると判断すれば、また誰かが黒ちゃんの攻撃対象となってしまう。
それはとても息苦しいと思った。





(12/05/29)