「全く、人間の小娘とは脆いものだ」
「ごしゅじ、さま……」
池の水面には中身がだらしなく露出した魔物が一匹。その周辺には肉片や血がまき散らかされている。
千切れて血まみれの触手群の中心に、ぽつんと、人間の少女が座り込んでいた。
姿を現したヴィルヘルムを淀んだ瞳で力なく見上げる。
「まさかこの程度の魔族で手こずったというのか。こうも弱いとは嘆かわしいぞ」
「……私、悪いことをしてしまいました。まさか……殺しちゃうなんて」
「何故悪だと決め付ける」
ヴィルヘルムがすっと右手を上げると、魔族だったものが発火する。
蒼炎に包まれた肉片が跡形も無く消滅していく。
は己が殺めたものがこの世から消えていくのを最期まで見届けると地へと目を伏せた。
「自衛の何が悪い。これは力の差を見抜けぬ愚か者の末路としては当然だ」
「私は、……良くないと思う」
「なら、何が正しいというのだ」
「命を奪うのは駄目です。私が逃げるだけにしておけば」
「実に愚かだな、貴様は」
仮面の奥で怪しげに二つ、光る。
次の瞬間、目掛けて蒼炎がうねりをあげて襲い掛かる。
だが、に触れる直前に真っ二つに分かれ左右に流れていく。
炎を浴びた周りの木々に黒い化粧が施された。ぽろぽろと炭化した葉が落ちる。
「貴様には実戦の経験がない。力を秘めただけの弱者だ。
その弱者が力を抑えて戦闘に長けた者に勝てると思っているのか。
おこがましいにも程があるぞ」
侮蔑し見下し嘲笑うヴィルヘルムに、は一切の反応を見せない。
目の光を弱めたヴィルヘルムは、未だ虚脱状態にあるの腕を引っ張り上げた。
「立て」
促そうとも腕を放せば、また地にへたり込んでしまう。待てども動く様子は無い。
大きな息を吐いたヴィルヘルムは、足を折ると焦点のあわないに目線を合わせた。
純白の手袋を着けた手で、幼い赤味のさす頬のラインをなぞる。
曲線を丁寧に描いた後、それは首筋へと滑り、の小さな喉目掛けて親指を押し込む。
「っ」
見えない力に押され、ヴィルヘルムはから二メートルほど遠ざけられる。
「何するんです!?」
「先ほどから私には容赦なく力を行使出来るではないか」
「そりゃ……御主人様は、強いから。絶対大丈夫だって、思うから」
「区別するな。私よりも弱い者であろうと同じく行使するがいい」
は左右に頭を振り、力強く拳を握った。爪で表皮が削れている。
「……私、自分が怖いです。こんなに簡単に殺せちゃうなんて」
「今のまま中途半端な力を持ち続ければ、また同じ事を繰り返すぞ」
頭を垂れ座り込むとは距離を開けたままヴィルヘルムは語りかける。
「殺めたこと自体に恐怖するということは、死神を恐怖することと同義だ」
「どうして?」
はヴィルヘルムを見上げた。
「貴様は命の火を吹き消す恐怖を知った。
そんな貴様が今まで通り、際限なく殺め続ける死神といられるとは到底思えん。
誰かに死を与えることはそれほど特別なことではない。至って普遍的な出来事。
そう思えないのであれば、貴様は奴を真に受け入れることは不可能だ」
「私は黒ちゃんが誰を倒してしまおうと構わないよ。だってそれは黒神としての仕事だから。
それでも……駄目なんですか?」
「果たして黒神はどう思うだろうな。
奴は黒神の責務という、本来望んでもいないことを強いられているのだろう?
だが貴様は同じく力を持った存在であっても何の枷もなく安全圏に立つことが許されている。
それは黒神にとって、最上級の裏切りではないか?」
口を閉ざす。
だが先ほどとは違い、瞳には力が宿り、ヴィルヘルムの言葉にしっかりと耳を傾けていた。
ヴィルヘルムはそれを確認し、言葉を重ねる。
「貴様は所詮人間だ。異種族の黒神や私の考えを理解出来ないのは至極当然のこと。
ならば力を欲することを止め、ただの人間としてこの先生きるが良い」
風が頬を撫でる。長い沈黙が二人を包む。
は深く深く思案した。
自分が存在するに相応しい位置、ヴィルヘルムが先ほどから言わんとすること、黒神との関係を。
じゃりっと、靴と地が擦れる音が鳴る。
腕を組んで様子を見ていたヴィルヘルムにはゆっくりと近づいた。
「御主人様。有難う御座います」
深く頭を下げ、仮面の男に小さく笑みを浮かべた。
「私、ただの人間のままは嫌。黒ちゃんたちにもっと近づきたい」
「ならば、力を欲するというのか」
静かに、だが力強くは頷いた。
「ならばこの先、他者の命を摘むことも辞さぬのだな」
「いえ。それはしません。したくないです」
「貴様はまだ綺麗ごとを言うか」
呆れて息を吐くヴィルヘルムには小さく笑った。
「誰かを倒すのはこの力なら簡単です。だからこそ、私は誰の命も奪いません。
だって、先ほどおっしゃってましたよね。
弱者が加減して戦闘の上手い方に勝てないって。
なら、誰かの命を刈らずとも他人を押さえ込めるくらい、力をつければいいってことですよね」
力強く主張したは満足そうである。
ヴィルヘルムはそんなを鼻で笑う。
「貴様の頭はどこまでもめでたいな。現実を知らぬにも程がある」
「そ、そうなんですか……。なんとかなりそうなのに?だって、力自体は強いですよ?」
「無知な奴め」
吐き捨てるような言葉に、は肩を落とす。
「だが、貴様はそれでいい。己の望むままに生きよ」
マントを翻し、に背を向けたヴィルヘルムは口端を吊り上げた。
「そうすることで魂の質を上げ、至高のものとなって我がコレクションに並ぶがいい」
「え゛」
木々の間を行くヴィルヘルムの姿が少しずつ薄くなり、やがて消えた。
存在などまるでなかったかのように。
は先ほどヴィルヘルムがいた場所を睨みつけ、大きく息を吸った。
「ヴィルのばかぁあああああ!!!」
ヴィルヘルム
種族:魔族
魔族であるヴィルヘルムは善意で優しさを振りまくことなど決してない。
全ての行動には必ず下心がついてくる。
は少しの間この魔族を信じた。そしてあっさりと裏切られた。
この悔しさがバネとなり、は無事魔界からMZDの家に転移することが出来た。
もしかして、自分を置いていったのは転移の練習のためかと思ったであるが、
すぐさまその考えを打ち消し、ただのヴィルヘルムの意地悪に過ぎないと結論付けた。
「、今日荒れてんなー」
◇
「。最近何処へ行っている」
「色々だよ。好きなとこいっぱい行ってるよ」
が自室のノブに手をかけようとすると、遮るように目の前に黒神が現れる。
「悪いが、今日は誤魔化されてやる気はない」
「また今度言うよ」
「俺は今聞きたい」
「やだ」
追究する黒神から視線を逸らし、口を尖らせた。
黒神の方も簡単に折れる気がないのか、そんなを真っ直ぐと見下ろす。
「そんなに俺に言えないのか。例えば……あの魔族に会ってるとか」
問いに答えず頑なに口を閉ざすに手を伸ばすと、瞬時にその姿が消えた。
黒神は舌を打つ。転移の軌跡を追おうと力を行使しかけたところで。
「オ待ち下サイ!!」
己の影が主人を制止した。黒神が刺す様に睨みつけるがそれでも影は怯まない。
「追いかけたところでまた逃ゲルだけデス」
「は確実にあの糞魔族と関わっている!!
最近の帰宅の遅さと俺からの探知を受付けないのはおかしい!!
放っておけば取り返しのつかねぇ事態になるかもしれねぇだろうが!!」
「オ気持ちお察ししマス。ですが、あのさんがコレホドまでに何も言わないのは初めてデス。
それに、空間外に逃げることなんて今までなら有り得なかったコト。
ソレ程までに隠したい事柄を無理に聞き出せば、それこそ取り返しがつかない事態が起きるやもしれまセン」
「……くそっ!!」
◇
「おじさーん!」
一人暮らしのスナイパーの家に、可愛らしいネグリジェ姿の少女が突如出現した。
「っな!?なんでいんだよ!!扉開いてねぇだろ?!」
KKが見ると、扉には鍵とチェーンがしっかりとかかっている。
本来なら人はこの部屋に足を踏み入れることが不可能であるというのに、何故か少女は部屋の中に現れた。
「夜分遅くにごめんなさい」
「いやだから、なんでいんだよ!?」
「黒ちゃん達と同じ力で来たの」
「嬢ちゃんもトンデモ能力の使い手だったのか」
「最近使えるようになったの!」
㏍は突然の出来事に頭を抱えつつも、現状を冷静に整理していく。
神と同じ力を入手した少女がこの部屋にその力を用いて転移してきた、と。
全くもって意味不明である。人間の常識の範疇を大きく凌駕している。
なのに、目の前の少女は「パジャマで来るなんて失礼だよね。ごめんなさい」などと見当違いのことを言っている始末。
これはもう深く考えるだけ無駄なのだと悟った㏍は、に尋ねた。
「で、今日は何の用だよ」
「泊めて」
「帰れ」
「もう少し悩んでから言って欲しいよ!」
察するにどうやら家出らしい。精神が未熟で無駄にエネルギーがある若者故にだろう。
だが、若い時は所詮一人で生きる術など持ち合わせてないため、結局元来た道を歩むこととなるのだ。
この少女も同様だろうと思い、容赦なく追い返す。
厄介ごとを引き受けるほど、自分は優しい大人ではない。
「お前の保護者が心配すっぞ」
「大丈夫だよ。ここにいることは分かってるはずだよ。
追いかけてこないんだから、気にしなくていいってことだよ」
「泳がされてるだけだろ」
㏍はそれほど黒神と接触したことはない。
だが、数度顔を合わせ、言葉を交わしただけで、目の前の少女に対する思いの強さが伝わってきた。
普段であれば、すぐに少女を追いかけ連れて帰っているだろう。
それをしないということは、何か理由があってのことに違いない。
「どっちでもいーの!それより、ね、お願い。朝にはすぐ帰るから」
「駄目だ。帰れ」
「嫌。帰ったら言いたくないこと言わされるの。一緒にいるの大変なの」
「分かったから状況を説明するな。完全に俺を巻き込む気でいんだろ」
少女は控えめにいると思えば、このように強引に自分の要求を押してくる面がある。
計算ではないのだろうが、相手を丸め込む術をなんとなく分かっているようだ。
幼少でこれとは、先が思いやられる。勿論少女でなく、振り回される不幸な相手のことだ。
「帰れ帰れ。それに寝る場所だってねぇぞ。布団一組なんだからな」
「大丈夫」
少女がえいっと可愛らしい声をあげると、布団が一回り大きい物へと変化した。
MZDを思わせるこの有り得ない感じ。純粋な人間である㏍はついていけない。
一つはっきり分かっているのは、このままでは本当に居座られる。
他に何か理由をつけなければならない。
「俺じゃなくて、他にいねぇの。ほら、友達とか」
「……知らないもん。行ったことない」
どうやら地雷を踏んだらしく、少女は少し表情を暗くした。
KKは再度頭を抱える。
「ねぇ、お願い。一泊だけでいいの。朝はすぐMZDのとこ帰るから」
「なら、最初からそっちにいりゃいいじゃねぇか」
「駄目。仲裁するために色々私に聞いてくるに決まってるもん」
「面倒くせ」
本音が零れた。
何故自分が何の関係もない他所の家庭の厄介ごとに巻き込まれなければならないのか。
少女に関しても、何故自分を選んだのか。他に誰かいたろうに。
いいように利用されているようで、不快である。
「お願い。私にはおじさんしかいないの」
上目遣いで必死に訴えてくる姿を見ると、そんなものに騙されやるものかという気持ちが込み上げる。
頑なに首を縦に振らずにいると、少女はKKの傍にいそいそと近づいて言った。
「お願い聞いてくれないなら、今晩寝かさないです」
どういう意味だと思ってすぐ、少女が勢いよく抱きついてきた。
思わず後ろにのけぞると、KKの身体に馬乗りになった少女がにやりと笑って、首や腰の辺りを小さな手で小刻みにくすぐり始める。
「っば、馬鹿」
「今日だけでいいの。ただ置いてくれるだけでいいの」
「っ、てめ」
「うんって言ってくんなきゃ、止められないです」
本来ならば、小さな少女一人くらいどかすことは簡単である。
だが、何故か身体が動かない。軽くは動かせるが身体を起こすほどの大きな動作が封じられている。
何故。
思い当たるのは、少女が得たという力によるもの。
「わか、だか、やめ」
ぴたりと少女の手が止む。KKは乱れた息を整え、少女に言った。
「一泊だけ置いてやる。だから、もう止めろ」
「ありがと!おじさん大好き!」
脱力し床に横になっているKKに抱きついてくる少女。
少女の思い通りに事が進んだことは気に入らないが、諦めた。
子供に反抗することは異常にエネルギーを使う。
日中仕事で疲れ、折角休める夜にこれ以上疲れたくない。従う方が楽だ。
結局少女の望むまま、床を共にする。
幸い少女は小さく、邪魔になるほどではない。
本来なら睡眠時という最も無防備になる姿を誰かに見られるというのは気持ち悪いものである。
今晩は徹夜になるやもしれないと危惧していたが、実際に少女と横になってみると普段に近い状態で寝ることが出来そうだった。
それは本当に予想外であった。奇妙ではあっても嫌な感じがしないのだ。
少女といえば、消灯とほぼ同時に寝息を立て、丸くなっている。
KKが頬や手に触れようとも、身を捩ることさえもせず、どっぷり睡眠に浸っていた。
思わず呆れる。だが、悪い気はしない。この無防備さは。どこか自分に安心感を与える。
少女自身が自分を信頼しているからだろうか。裏稼業を生業とする人間だというのに。
何も恐れず無防備な姿をKKに晒すことのできる少女を尊敬する反面哀れで仕方がなかった。
少女が頼れる人間に、まともな人間が一人もいないのかと。
歳も違い、性別も違い、血縁関係もなく、スナイパーをやっている自分を頼らねばならないとは。
KKはそっと少女を撫でる。
その時。突如、何かの気配を感じた。
KKは咄嗟に少女を庇うように身体を起こす。
見ると、口元に指を当てたMZDがいた。
「ここ、託児所じゃねぇんだけど……」
「まぁまぁ。小っちゃいから邪魔にはなんねぇだろ?」
「そういう問題かよ。さっさとそっちの問題解決しろよな」
「したいけど、全く話さねぇんだもん」
「反抗期かよ」
少女の挙動に目をやり気を配るものが存在する。それも二人。
溢れんばかりの愛情が注がれているのが傍から見てていてもよくわかる。
こんな二人といる少女は幸せだ。
だがいつまでもこの二人とだけ居続けるわけにもいくまい。
いつか、いつの日にか、少女も神と離れ、一人で世間に立つ時がくるのだ。
少女は一人で立てるだろうか。神以外の他者の手を借りることが出来るだろうか。
「はぁ。これからはどんどん話してくれなくなるんだろうな」
「しょうがねぇ、そういうもんだ」
「とりあえず、をよろしく」
「持って帰れよ」
「それじゃ機嫌損ねるだろ。これ以上はまずいからな。じゃ、おじさんよろしく!」
今、MZDに対面して改めてKKは感じた。
少女の、自分の思い通りに事を進めるところ、神たちとそっくりなのだ。
血は繋がらなくとも、三人は本物の家族のようだ。
とはいえ、巻き込まれる方はたまったもんじゃない。
溜息を一つつき、はだけてしまった布団を少女にかけてやってから、横になる。
しばらくして、少女がきゅっと、腕に抱きついてきた。
これでは寝返りを打てない。本当に面倒だ。
だが、無理やりに少女を剥がすことはせず、そのまま眠りについた。
◇
「ねむ……」
「今日酷ぇな」
サイバーは机に突っ伏したを見て言う。
はろくに返事もせずうめき声を上げている。
そんなにニッキーが言う。
「何してたんだ?まさか夜毎一人で慰、痛っ!?」
誰かに踏まれた足の痛みにニッキーはうずくまった。
は痛みに呻くニッキーを気にすることなく、サイバーの方へ向いて言う。
「きのーね、おじさん家にお泊りしたんだけど、それで、ねむ」
「えぇえええ!!」
「うるさい……」
眉を潜めたが再度額を机につけた。
周囲はそれぞれ、色々なことを想像している。
復活したニッキーは再度言った。
「大人の階段上った感想は!!で、どんな体位で、痛っ!おま、いい加減にしろよ」
「お前がな」
リュータが冷たく言い放った。
「ちょっと話長くなちゃって、いつもより遅く寝たんだよー」
「でも、どうしたの?こんなこと初めてだよね」
サユリは首を傾げた。
「……今、黒ちゃんに会いたくない。すっごい気まずい」
「喧嘩したの?」
「喧嘩はしてない。聞かれたくないこと根掘り葉掘り聞こうとするから逃げてる」
「ま、アイツ過保護でうっさいもんな」
ニッキーの言葉に全員が納得した。
黒神の情報は基本的にの口からしか聞くことはないが、それだけでも分かる。
それほどまで、分かりやすく黒神は過保護である。少々異常なくらいの。
「もう少し経ったら全部話すつもりなのにさ。
黒ちゃんったらせっかちで心配性でしつこくて口うるさくて小言ばっかりで。
……でも優しくていい人で、」
「途中、変わってんぞ」
「もうお説教嫌なのー。MZDも最近お説教多いし、影ちゃんまで言うし、酷い……」
溜息をつくをリュータが宥める。
「まぁ、親なんてそんなもんじゃん」
「他の人もそうなの?」
「あるあるだろ。オレもさ、隠してあったコレクションが全部出されてて、本当まいったね。
しかもそれを親父も使ってたっていうのがね、もうね、なんなのっていう。
親父の性癖までバッチリ知っちまって、萎えるわー」
「オレは最初はヒーロースーツで外行くなって言われまくってたけど、
最近は諦められてるから何も言われねぇよ」
「私はそういうのあまりないかな」
「サユリはこの二人みたいに変なとこねぇしな」
「「どういうことだよ!」」
サイバーとニッキーはどちらの方が変であるかと言い合い、それをサユリとリュータは半ば呆れながらも笑ってみている。
「ふうん。色々あるんだね」
眠そうに小さく欠伸をしたは、身体を起こした。
後ろで騒ぐ二人を他所に、リュータが言う。
「は普段黒神ベッタリだし、これを機に少し距離置いてもいんじゃね?
嫌うわけじゃなくてさ。たまには。二人はその程度で危うくなる様な関係でもないだろ」
「そーだぞ!それでオレの言うことなんでも聞くようになってもいいんだぜ」
きょとんとした顔を浮かべたがぽつりと、言った。
「……そっか。それでもいいんだ。うん。私好きだもん。大丈夫だよね」
「え、マジ」
「早まるな!」
「え、何の話?」
「オレの専属メイドになるっていう」
「そ、そんなのならないよ!」
ニッキーの発言が全く耳に入らないくらい、はリュータの言葉を反芻していた。
ニッキーはメイド服の制作についてサイバーに提言し断られている。
「いいじゃねぇか」と縋るニッキーを鬱陶しそうに、サイバーが剥がす。
その様子をまたしても、二人が遠目で眺めながら、次の授業について話している。
「あの、私ってそんなに黒ちゃんとベタベタしてる?」
「そうだぞ」「自覚ねぇの」「まぁ、かなり」「そうだね」
周囲の人間が全て肯定の意を示したことで、は何とも言えない顔になった。
「普通だと思ってたんだけど……」
他とズレている者は大抵そう思っているものだと、周囲の者は心の内で思うのであった。
◇
「遅い」
「すみません。これでも急いだんですけど話が思ったよりも長くて」
「言い訳はいい。行くぞ」
「はい」
は制服から、以前使用していたエプロンドレスへと着替えた。
が自分の城に現れる前から苛立っているヴィルヘルムはそれを鬱陶しそうに見る。
「わざわざ毎度替える必要などあるまい」
「制服が破れたら黒ちゃんに追及されますから」
「直せぬのか。その力で」
「ちょっと自信なくて」
「万能の力を持ちながら……使えぬ奴だ」
呆れながらも自分とを魔界へと転移させた。
着いた場所はどこまでも続く荒野。
「なんか今日は多いかも……」
そう零すの目線の先には十数体もの魔族がいる。
それらは二人の姿を確認すると、取り囲むように並んだ。
そのうちの一体がを指して言う。
「本当に、そいつに勝てば俺たちは強化されるのか」
「ああ。この娘の能力は内に眠る潜在能力を引き出し、更に魔力を無尽蔵に供給する」
ヴィルヘルムは純白の手袋を片方脱ぐと、に手を差し出した。
はその手を握り、瞳を閉じた。もう何度も行った行為で慣れたものである。
「魔力が桁違いに増えている……本物だ……これが、勝てば手に入る……」
魔族たちはざわめいている間に、ヴィルヘルムがすっとから離れた場所へと転移した。
それをきっかけに、魔族たちが一斉に動いた。
魔術を放つもの、近接攻撃を行おうとするもの、と様々な攻撃がを襲う。
だがどの攻撃もにダメージを与えられない。見えない壁がの身体を包んでいた。
「雑魚共がどれほどやれるかな」
ヴィルヘルムはと魔族のやり取りを安全な場所で見ている。
は全ての魔族の攻撃を防護壁にて無効化しながら、様々なものを魔族の上に落としていく。
それらはタライやらとりもちやらピコピコハンマーやら、殺傷能力のないものばかり。
人間でさえも、少し痛みを感じる程度のものである。
それでは人間より身体の強度が高い魔族は驚きはしても、それまで。
すぐさまへの攻撃を再開する。
は痛みはないとはいえ、自身を攻撃され続けている。
身体のラインに沿って薄く張った防護壁では、殴られた時は殴られたように、刃物で切り付けられれば、切り付けられたような錯覚を起こす。
眼球の一寸先で鋭い針の先が当てられることもある。
それはに恐怖を感じさせ、積み重なっていく。心に負担がかかる。
負担が増えるほど能力の精度が著しく減少していき、魔法のような力がとけていく。
「っ」
防護壁が一瞬とける。その隙を魔族たちは見逃さない。
だがもそのことは予想済みだった。
全ての魔族が群がったところで薄い膜の球体、まるでシャボン玉のような中に閉じ込めた。
内側からどんな衝撃を与えようとも、膜はぽよよんと跳ねるだけで決して壊れない。
「ご、ごめんなさい!!」
膜の中で電流が発生し、全ての魔族が軽い痙攣を起こす。
電流はすぐに止み、魔族たちもやがて動きを止めた。
「あ、あの……降参でいいですか」
全ての魔族が首を縦に振ったところで、は力を全て解いた。
シャボン玉がはじけ、魔族たちは丁寧に地に下ろす。
無傷な少女の周りで、地に這いつくばった魔族達が息を切らしている。
それらには頭を下げた。
「あの、その……痛い目にあわせてごめんなさい」
言われた魔族たちは困惑している。その中の一体が言う。
「意味がわからない。珍しい嫌味だな」
「嫌味じゃないです。本当にそう思ってるだけで」
「は?変な奴」
まともなやり取りが出来ないと判断してか、疲労困憊の魔族は目を閉じた。
「全く貴様も学習しろ。魔族とはこういうものだ。人間の尺度で物を測るな、愚か者めが」
「人間!?これが、人間だと」
事が終わり、の傍に立ったヴィルヘルムに言う。
「なあ本当か?こいつがただの人間だなん」
魔族は言葉を切った。
ヴィルヘルムが睨んだからだ。それも心の底から見下した表情で。
「人間如きに傷一つつけられぬような屑が私に気安く話しかけるな」
「そ、そこまで言わなくとも……」
「貴様が甘いせいだ。一瞬で葬れるくせに力を抜くから付け上がられるのだ」
ぞくりと、今までと対峙していた魔族たちは背筋を冷たくした。
意味の分からないふざけた奴と思っていたものが、実際は自分たちが足元に及ばないほどの格上であると、今更知ったのだ。
「私は誰も殺さない。殺さないで強くなる。そう決めたんだもん」
「まだ言うか。早々に諦めればよいものを」
「ふんだ。そのうちヴィルにだって勝ってみせるもん」
「貴様の短い命ではそんな時など、一度も訪れはせん」
「勝てるもん!いつかは絶対!」
「……帰るぞ」
ヴィルヘルムは強く主張するに頭を痛めながら、自分の城へと自分だけ転移した。
慌ててもそれに続き、転移しなれたヴィルヘルムの城へと飛ぶ。
「全く貴様は筋金入りの愚か者だ。無意味に戦いを長引かせるとは」
溜息を零すヴィルヘルムにはしょんぼりとしている。
「だって……遠慮してたら誰も怯んでくれなくて」
「そんなもの四肢の一つでも消滅させればいい」
「そんな酷いこと出来ないよ」
「加えて、何度も力の行使を躊躇い、多々隙を作っていた。愚かにもほどがあるぞ」
「魔術をそのまま跳ね返すと痛いかなとか、考えて……」
「そうしていたとしても、奴等は平気であったろう。表皮が耐魔術性の高いものであったからな。
……まさかとは思うが見抜けてなかったのか」
「……全然です」
「何度言わせるのだ。見た目に騙されるなと。これでは貴様を小娘と侮り力を抜いた奴等と同じだ」
「え……力、抜かれてたの?」
「それもわかっていなかったのか」
愚か者めと再度溜息をつく。
肩をすっかり落としているも同じく溜息をつく。
「まあいい。どうせ貴様はすぐに音を上げる。加減が出来ず、殺すしかない時が必ず訪れる」
「ないよ!絶対、しないんだから」
「良いではないか。貴様が庇う死神と同様になるだけ。それとも死神と同類になることは嫌か」
「……それについてはまだよくわからない。今はとりあえず、もう二度とあんなことが起きないように頑張る」
「貴様の考えに興味などない。早く私の部下として使えるだけの技術を身につけろ」
「ならないってば!もう……」
は広間に置いてある圧倒的な存在感を放つ振り子時計を見た。
「う。帰らないと怒られる。じゃあ、またね」
こちらを見ようともしないヴィルヘルムに手を振ると、は姿を消した。
「ただいまー」
「おかえりなさいマセ」
黒神の家のリビングには転移した。
突然現れたに驚くこともなく影は迎える。
「黒ちゃんは?」
リビングにあるデスクには主がおらず、もの寂しげな空気を出している。
「外出しておりマス」
「珍しいね」
はソファーにお尻をぽすんと沈ませ、疲労に襲われている身体を休めた。
「サン、今日はどちらへ?」
「秘密」
はソファーに横になった。ぷいっと影に背中を向けて。
「近頃は何も教えて下さらないんデスね」
拗ねたように小さく影は溜息をついた。慌ててが起き上がる。
「いや、あの、う、……ごめんなさい」
頭を垂れたは肩を小さく縮めている。
そんなを見て、影はくすりと笑う。
「いいですヨ。サンも少し大人になったんでショウ。
なら、秘め事の一つや二つあってもおかしいことはありまセン」
安心したようにが息を吐いた。
「ですが。危険なことであれば別。早々にお止め下さいネ」
「うん。わかってる」
というの目は影から若干外れた場所に向いている。
それを影はしっかりと見ていた。
「マスターが帰る前にお風呂にしマスか?」
「入る!今日も疲れちゃった」
は着替えを抱えて風呂場へ駆けて行った。
「は?」
リビングに現れた黒神は、今日も疲れたと言葉を続ける。
「今お風呂に入っておられマス」
「なんだ、もう少し早く帰ってくれば良かったか」
「今日はドウでシタ?」
ソファーに身を沈める黒神に、影はお茶を差し出した。
コップいっぱいに注がれたものをぐいっと一気に飲むとそのまま影に返す。
「また壊しすぎた。MZDにここに来る口実を与えてしまったのが腹立つ」
横になり、白い天井を見ながら問う。
「はお前に何か言っていたか?」
「秘密。と」
「お前にもか。……念のためMZDにも問いただしてみるか」
ゆっくりと深く瞼を閉じた。
隣の部屋から聞こえるパタパタという音が大きくなる。
「出たよー。あ、黒ちゃん、おかえりなさい」
の頬は上気し、頭をすっぽりとタオルで覆っている。
起き上がった黒神の隣へと腰を下ろした。
「ただいま。もおかえり」
「ただいま。すぐご飯?」
「いや、の髪を乾かしてからだ」
の部屋へと二人は移動した。
ベッドの淵で大人しく座るの髪を、黒神は丁寧に乾かす。
「晩御飯食べ終えたらどうする?」
「宿題。今日もいっぱいなの。寝る時間までに終わるといいんだけど」
「そうか……」
宣言どおり、は食事の後はすぐに宿題に取り掛かった。
リビングでかりかりと音がする。
黒神も真剣に取り組んでいるの邪魔をしないよう、話しかけたりしない。
時計の針はくるくると回り、すぐにの寝る時間になる。
「もう寝る時間?!折角終わったのに……」
はぁと溜息をついたは、とぼとぼと洗面所に行き寝る準備を整える。
帰ってきたは、デスクに向かっている黒神の身体に軽く手を回す。
「おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
すぐに黒神から離れるとそのまま部屋に帰っていった。
黒神は深い深い溜息をついて、ずるずると机に突っ伏す。
「……今日も殆ど話せなかった」
「宿題の量も増えているようデスね。デスが、ついていけているようデス」
「ここにいりゃ知識なんて必要ねぇのに……」
「ソウはいきまセン。サン自身が望み楽しんでいマスから」
「……が遠い」
また大きな溜息をつく。
「くそっ。なんで俺以外の奴の方がといられるんだよ。
の近くにいるのは俺のはずなのに」
ぼそりと、声を低めて言う。
「……以外を壊すしか」
「お止め下さいマセ」
「ンなの出来ねぇことくらい分かってる」
がっと起き上がり頬杖をついた。指でこつこつと机を叩く。
「俺に何も話さねぇし、お前にも何も話さねぇし、多分アイツにも話してねぇ。
いったいは何を考えてんだ」
影は黙って聞いている。の部屋からは何の物音もない。
苛立つ黒神は言葉を続ける。
「どいつもこいつも殺してやりたい」
(12/06/14)