第22話-正統派に進む-

「こ、今度の日曜日なんだが、その……空いているだろうか?」
「何もないけど……。その日何があるの?」
「良ければ、俺と────」











下界なんて、街なんて、人間なんて、大嫌いだ。
あの中で、俺は"俺"じゃない。
MZDと瓜二つの俺は外見年齢を上げようとも、"MZD"と見られてしまう。

今日一日で既に二回間違われた。これでもまだいい方である。
二回とも俺に直接話しかけず、一緒に連れ歩いている人間とぼそぼそ話すだけであったからだ。
大抵の場合は馴れ馴れしく、前のめりになって話しかけてくる。
俺はその度言葉を濁し、奴を真似て受け流し早々に姿を消す。
これは、全身の毛が逆立つほどの屈辱だ。
よって普段、何かを壊す時以外は世界へ下り立つことなどはしない。

だが今日はある理由があって、下界の、しかも多くの人間が必ずいる、街に来ている。
外見を青年に変え、普段の眼鏡は外し、マスクをつけ、目深に帽子を被って。
ここまでするのは他の誰でもない、のためだ。

最近MZDからと出かけてみてはどうかという提案を受けた。
同じ毎日をと繰り返そうと、俺達の関係は擬似家族のままだから、何か刺激をということらしい。
その意見に癪ではあるが俺は同意した。
は外の世界に興味を惹かれてばかりだし、それを頭ごなしに禁止するよりに合わせた方が良いと思ったのだ。
しかし、俺は下界嫌いなので街の知識など無きに等しい。
を何処に連れて行けば喜ぶのか、何をしたら楽しんでもらえるのか。
それを調査するために毛嫌いしている下界に来ているのだ。

俺はが好みそうな店で立ち止まってはメモをすることを繰り返した。
の好みは他の奴等よりはよく知っているが、出来れば突出した喜びを与えたい。
普段の俺はを楽しませてやれないのだから、せめてこういう時に株を上げておく必要がある。

何軒目かをメモしていると、不躾な視線を背に感じた。
やはりどう足掻いても、MZDとの類似点を発見されてしまうようだ。
MZDじゃねぇっつの。髪の色が違うだろ。さっさとどっかに行ってくれ。
早くここから立ち去るため、苛立ちながらもさらさらとメモ帳に書き留めていった。

「お前……まさか黒神か?」

予想外の声かけに心臓が飛び跳ねた。
俺の名である『黒神』を知り、ましてや話しかける者などいるはずがない。
俺はゆっくりと首だけ動かす。すると、の口からよく聞く人物がそこにいた。

「……いったい何故?」
「やっぱ正義のヒーローの性分として不審者は見ちゃうじゃん?
 んで、よく見たんだけどさ、むっずかしい顔して髪黒いから、黒神かなって」
「ちょっと待て。不審者って……」
「ガラス越しに店員怪しがってるぜ」

店内に目を向けると、中にいた女性店員がさっと身を翻した。
調査に夢中で全く気付いていなかった。俺は溜息をついてメモ帳を閉じる。

「つか、スッゲー力持ってるんだし、そんな格好するぐらいなら自分の姿を透明にするとか、なんか方法あるんじゃね?」

しまった。その手があった。

「え、まさか気付いてなかったのかよ……」

サイバーは呆れたように溜息をついた。
不覚だ。まさか何の力も持たぬ人間に指摘されるとは。
以前の俺なら下界に行く度、姿を不可視状態にしていたはずだ。
が堂々と外に出て行くから、俺の感覚が乱されてしまったのか。
俺とは立場が違うのに……馬鹿だな、俺。

「助言は感謝する。だがもう俺に構わないでくれ」
「えー、つまんねー。せっかくレアキャラ見つけたのに」
「お前は俺を何だと思っているんだ」

見世物じゃねぇっつの。

「だって、からしか黒神のこと聞かないんだぜ。
 せっかく会ったんだし、少しくらい話したって良いだろ?」
「……好きにしろ。だが俺は自分のすべきことを再開させてもらう」

物好きな奴だ。はそんなに俺のことを他人に話しているのだろうか。
嬉しいやらそうでないやら。
俺という存在を隠すべき者として扱わないところは大変嬉しいが、俺としては以外の生物に自分を知ってもらいたい、という欲求は持っていない。
むしろ黒神であることを知られればその内に醜いものを目の当たりにすることになる。
にはあまりそういうものを見せたくない。

「で、何メモしてたんだ?」
「答える必要はない」

詮索に応じてやるものか。

「そういや、ここ、が行きたいつってたんだよなー」
「それは本当か!?」
「やっぱ絡みなんだ」
「っ、俺をハメてんじゃねぇよ!」

こんな単純な手に引っかかる自分に腹がたつ。

「言ってたのは本当だぜ。がよく可愛い可愛いって連呼してんの」

やっぱり予想通りの好みだったか。
メモ帳を開きしっかりとメモをしておく。

「何してるか教えてくれるなら、俺も出来るだけ協力するけど?」

サイバーはにやにやと笑っていて、非常に腹が立つ。
だがこいつはと仲がいいことはの口調からも判っている。
のため、のためと、俺は自分の目的を洗いざらい話して情報を得た。
サイバーは俺が思った以上にの情報を持っていて、俺一人では知りえないことを多く獲得することが出来た。
これだけ情報があれば、に絶対喜んでもらえる。

ただ、少し複雑だった。
こいつの語るは俺の知らないだ。
家にいる時の、学校での、KKといる時の、魔族といる時の
は一人の人間でしかないが、沢山の面を持っている。
俺が掌握しているのはほんの一部でしかないと、改めて思い知らされた。

「でもさ、と出かけるなんて、しょっちゅうしてるもんかと思ってた」
「新たな空間を作りそこで過ごすことはあるが、こちらの世界に二人で来る事はない」
「どうして?」
「……色々あるんだよ」
「ふうん」

本当は俺がこちらの世界を自由歩ける方が、に興味を持ち続けてもらえるんだろうが。
判ってはいても、憎みすぎているこの世界に足を運ぶことは躊躇われる。

「それより、一つ聞きたい」
「ん?」
「……は、その、どうだ?学校で、辛そうにしていないだろうか?」
「ない……とは言い切れないな。出来るだけ一人にはさせないようにしてるけど」

少し意外だった。はそこまで気遣われていたのか。

「ま、でもニッキーがほぼストーカーだから大丈夫だと思うぜ。下手すりゃ女子トイレの前までついていくから」
「それは即刻止めさせろ!!奴は限度を知らないのか!!」

やっっっぱり、アイツは駄目だ!危険すぎる!に悪影響だ!!
が「一人でするって何?毎晩忙しいってどういうこと?」なんてことを聞いた時なんて、
俺が密かにでしてることがバレたのかと思って、死にたくなった。不死なのに。
動揺しながらも誰が言っていたのかと尋ねると、案の定ニッキーという名前が飛び出した。

あの野郎のそういう汚らわしいところが大嫌いだ。が穢れる。
奴が人間であることが忌々しい。そうでなければ簡単に消すことが出来るのに。

「アイツ変態だけど、のことよく見てるよ。落ち込んでるとすぐわかるんだぜ。
 オレなんて話してても全然気付けねぇのにさ……」

先ほどから笑みばかりを浮かべるサイバーの顔に少しの苦さを見た。
その意味が手に取るように判って、俺の胸まで痛くなる。

「だから、悪い奴じゃないよ。鬱陶しいけどな」

よくもまぁ、あんな奴をそうやって笑って庇えるものだ。
あまり接したことはないが、なんとなくこいつの人柄というものが判る。
俺と初めて顔を合わせた時も、他の生徒が恐怖や戸惑いを抱える中、サイバーとサユリだけは違った。
純粋な驚き、そして納得。
あの重々しい空気の中、サイバーのみ臆することなく俺に話しかけてきたところは賞賛に値する。
今日もMZDと間違えることなく、俺の名を呼んだ。
そのせいか、少しだが、人間であっても、サイバーのことは嫌いじゃない。

「それでも、俺はアイツのことは大嫌いだ」

ニッキーも同じく俺に臆することはないが、奴は好きになれない。
サイバーはまた苦笑いを浮かべていた。
今度は呆れから来るもののようで、俺は少しだけ胸を撫で下ろした。











────日曜日。当日

「どう……かな?」

は胸元に大きなリボンのついた紅梅色のジャンパースカート。
中にパニエを着用しているのであろう、ふんわりと裾が広がっていて、二段のフリルが揺れる。
下に着用しているブラウスは丸く大きな襟で裾にレースがあしらわれている。

「可愛いよ」

普段なら俺が選ぶところだが、今日は違う。
が自分で考えて着てくれた服だ。見慣れていてもどきりとしてしまう。

「良かった」

は頬を染め控えめに喜びを見せた。はしゃぐも可愛いが淑やかなところも良い。
改めてを好きになってしまう。

「黒ちゃん、今日は大きいんだね」
「まあな。要望があれば細かな調整をするぞ?」
「い、いい……」

外見を変えているのはMZDに間違われないためでもあるが、もう一つ理由がある。
は怖がりさえしないが、青年の俺が顔を覗き込んだり、手を握ると僅かにだが動揺し、顔を赤らめていることが多いのだ。
いつもの俺へとは違う反応。
今だって、顔を近づけた俺から逃げるように顔を背ける。
俺をちらちらと見やる姿は子リスのように愛らしい。

とはいえ、それは男として俺を見ているわけではない。それは判っている。
だが少しでも家族としてではない視点で見てもらえればと、そう願い外見を変えた。

「今日はどうするの?外って聞いたけど……」
「任せてくれ」

事前に調査も行い、脳内シミュレートも昨晩何度も行った。今日の計画は完璧だ。多分。
今回大切なのは、行く場所ではなく俺の態度だ。
下界にいるという嫌悪感を出さず、MZDに間違われることを恐れず堂々といること。
毎度これらのせいでにさんざん気を使わせてきたんだ。
今回こそは、問題なく終わらせたい。

俺はの手を引いてMZDの家の廊下に繋がっている玄関の扉を開く。
MZDに見つからないようにと、にも頼み静かにエントランスへと向かう。

「よう!今日は絶好のデート日和だな!!」

俺と殆ど変わらぬ顔でにやにやとした笑みを浮かべられ、頭が痛くなってくる。
これが嫌だから見つかりたくなかったんだ。

「そうだね。折角黒ちゃんとのお出かけ日に晴れてくれて本当に良かった」

は何らMZDのからかい調も意に介さず、にこりと笑っていた。
それを見ると、MZD如きを気にしていた俺が小さく見える。

「ま、もし雨が降っても神様パワーで晴天にしちまえばいいんだけどな」
「そういうのって駄目なんでしょ?それに、雨なら傘を差せばいいもん。
 天気が何であろうと、黒ちゃんとのお出かけなら行くよ」

さらりと嬉しいことを言ってくれる。
いっそこのままを抱き締めて、色々といたしたいところだが、ぐっと耐えた。
まだを喜ばせていないし、そもそもには抱き締めるまでしかしてはいけない。
その先はに俺を好きになってもらってからだ。

「でも一応一本持っておきな」

MZDは飾り気のない真っ黒な折り畳み傘をに差し出した。

「……可愛くない」
「悪かったな。オレは好みのレースだらけの傘なんて持ってないぜ」
「……いい。今日はきっと降らないもん」

そう言っては差し出された物を押し返した。珍しい。
普段ならありがとうと言って素直に受けとるだろうに。

「まぁ、がそう言うなら良いけど。じゃ、お二人さんいってら~」











「ほ、本当にいいの?」
「探してたんだろ」
「そ、そうだよ。でも」
「500円までな」
「ありがとう!!黒ちゃん大好き!!!!」

なんとも安い『500円の大好き』。
まずは一番安定してを喜ばせる手段をチョイスした。
スカートを押さえたが楽しそうにギャンブラーのガチャガチャを回している。
コンプリート前に近所から次々と品切れになっていくことを日々嘆いていたので余程嬉しかったのであろう。
もうこのまま帰っても問題なさそうなほど幸せそうな顔をしている。

「黒ちゃ……出なかった……」

予想はしていたが、はがっくりと肩を落としている。
が求めているのはシークレット唯一つ。
そう簡単に当たることはないだろう。こればかりはしょうがない。

「次がある。また日を改めるといい」
「うん……。ここにあるのは分かったしね」

それほどまでに欲しいのならば、工場ごと買い上げてやっても構わないのだが、それはが喜ばないだろう。
一消費者の立場を超えてしまえば、集める喜びも、集まった嬉しさも味わえないからな。

、次行くぞ。落ち込ませる時間なんてあげないからな」

手を引いて、俺は次の店へと誘う。
俺としてはこっちがメインだ。これでようやくデートな雰囲気に持ち込める。

小さな雑貨屋、の着るフリルの多い服のお店、歩いていてが興味を引かれた民芸品の店、お菓子専門店。
調査した中で比較的歩かずとも行けるところばかりを選んだ。
どの店でもははしゃいで、くるくると歩き回っていた。
「早く早く」と急かして、俺の手を引いて自分が興味を持ったものを見せてくる。
目を輝かせる姿は心を和ませた。



「ねぇ、どっちが可愛い?」

は両手に一着ずつ服を持って見せてきた。

「両方」
「それじゃわかんないよ!」

面倒だから両方と言ったのではない。俺とは本当にどちらもに似合っていると思ったのだ。
だがは全然参考にならないと、口を尖らせている。

「可愛い服を着て、誰と遊ぶんだ?」

軽い気持ちで聞いたというのに、は何も答えなかった。
俺に言わないということは、俺が嫌う相手だということだ。
鬱陶しい魔族野郎か……くそっ。

「……一度着るから見てもらえる?」

は二着持ったまま試着室へ行く。
俺は少女服が溢れた店で、居心地の悪さを感じながらも試着室前でを待つ。
他の女性客から投げかけられる視線が痛い。俺だって場違いなのは百も承知だ。
早くが出てきてくれないかと願った。

「黒ちゃん」

はカーテンの隙間から顔だけ覗かせ手招いている。
何か問題があったのだろうかと、俺はカーテンの中へと入った。

「ど、どうかな?」
「可愛いよ」

サイズも色も問題ないように思える。によく似合っている。
ただ、これをアイツに見せるのかと思うと、気に入らないが。

「また怖い顔になった」
「していない」

するとは背伸びをして俺に手を伸ばしてきた。
少し頭を下げるとそのまま首を抱き締められ、頬が触れ合う。
俺の目には脱ぎ散らかされた服しか見えない。

「そんなに私に合ってない?」
「そうじゃない」
「私は黒ちゃんに喜んで欲しかったの。駄目だった?」

そう言ってくれるのは嬉しいが、でも。

「お世辞抜きによく似合っている。ただ、それを着て誰に会うことを想定しているのかと……」
「黒ちゃんだけど……?」

ん?

「だが、さっき聞いた時、何も答えてくれなかったじゃないか」
「だ、だって、なんか、大きい黒ちゃんにそう言うのって、は、恥ずかしいかな、って……。
 それに、だからさっき黒ちゃんにどっちが可愛いかって聞いたんじゃん」

なんてことだ……。
どうやら俺が勝手に先走ってしまったようだ……。
今日はに気を使わせないと昨晩誓ったはずなのに、もう失敗だ。

「すまない。てっきりあの魔族のためなのかと思って……」
「ヴィルは私の服装のことなんてぜーんぜん気にしてくれないよ。
 だからヴィルのために可愛い服なんて絶対着ないの。汚されそうだからね」

奴のために着飾ることがないというのが知れて少しほっとした。
それなのに、俺って奴は先走りやがって。

「ごめん。。お詫びにこの店の服全部買い占める」
「そんなことしなくていいよ!それより、どっちの服が可愛いか教えて」

は微笑むと、今着ている服と、まだ着ていない服を見せ付ける。
どちらの服もしっかり見た。俺の答えはやっぱり一つだ。

「両方」
「だーかーらー!!」











様々な店を回り、足がだんだんと痛み出してきた頃、カフェへと入った。
店員の言う二名様という言葉に少し喜びを感じながら、端のテーブル席へと座る。
ずいっとが身を乗り出して言った。

「ねぇ、ここも前から行きたいって思ってたの。
 今日行ったところ全部そうだよ!
 黒ちゃんって凄い。私のことなんでもわかるんだね」

いくら俺がの好みを熟知しているからといって、百発百中で当てることはできない。
だからこそ、今回はサイバーの協力申し立てにのったのだ。
だが、これほど喜ばれてしまうとその賞賛は素直に受け取れない。
他者の力を借りたことを話してしまおうかと思うが、真実を知って俺への評価が下がるのは躊躇われる。

「ほら」

その話題を断ち切ろうとにメニューを手渡した。
結局俺は真実を告げる勇気が出なかったのだ。

「んー、何頼もう?」
「好きなだけ頼めばいい。何でもいいぞ」
「本当!?」

思惑通り、は会話のことなど忘れてすっかり写真の中の甘味に夢中だ。
こうやって楽しそうなを見ると、ほっとする。
今回の俺はまあまあ上手くやれている。
それに幸いにも今日はまだMZDに間違われていないしな。

「……決めた」
「どれだ?」
「……秘密」

何を言っているのか。
注文時に判ることであるのに秘密にする必要はないだろう。

「あとね、黒ちゃんは出来れば他の頼まないで欲しいの……」

の意図はよく判らないが、好きにさせればいいか。

「じゃあ自分で頼んでくれよ」

丁度通りかかった店員を呼び止め、俺はコーヒーを頼んだ。
一方、は。









「……でか」
「だ、だって……食べたかったの」

の目の前には高さが30センチくらいあるパフェが堂々と存在感をアピールしている。
上部の器から出た部分には飾り切りされたメロンが突き刺さっており、他にも色とりどりのフルーツが盛り付けられ、間にはこれでもかと生クリームが注入されている。
さらにチョコレートのスポンジをさいころ状に切ったものが周囲を囲む。
上部だけでも腹が膨れそうだが、器の中にもクリームやスポンジ、フルーツがぎっしりと詰まっている。
これ一つに一日の摂取カロリーが詰まっているのではなかろうか。

「一人は無理だけど、二人なら……」
「わ、わかった。大丈夫だ……」

何も頼まないで欲しいと言ったのはそういうことか。
しかし二人で食べるにしても量が多すぎる気がしないでもない。
場合によっては、帰って胃薬を飲もう。勿論には内緒で。
まさかこんな試練があるとは思わなかったが、見方を変えればここを耐えれば他の男と食べあう危機を回避出来るということだ。
自信はないが頑張るしか道は無い。

「良かった。駄目って言われると思ってたの」

さっきから食べきれるかと恐々としているというのに、この笑顔。
なんとも憎らしい。どうしてこんなに愛しく感じてしまうのか。
笑顔なんて毎日見ているというのに。外で見るはまた違って見える。

「よしっ!じゃあ順番こに食べていこうね」

まずは一口とがスプーン一杯にクリームを掬って口へと運んだ。
口からちらりと見える赤い舌が気になってしまう。
唇の生クリームを舐め取る仕草に、目が離せない。
の許可も得ずキスしてしまった夜のことを思い出す。
早く堂々とキスができるようになりたい。
宥めたり、落ち着かせるための慈愛に満ちたものではなく、
全てを食らい尽くしてしまうような貪欲なキスをに。

「んふー、美味しい。次は黒ちゃんね」

器にスプーンを突き刺し俺へとパフェを押し出したことで、俺は我に返った。
パフェが俺を圧倒してくる。近寄られると後ずさりしてしまいたくなるほどだ。
俺は覚悟を決め、遠慮がちに一口頂いた。
意外にも生クリームは思ったほど甘さがなく、これなら即胃がもたれることはなさそうだ。
とは言え、食べきれる自信はないが。

「次は私ね」

俺は側へ容器を押し出した。
コーヒーを一口含むと、苦い味わいが俺を引き締める。
途中苦しくなったら、コーヒーで生クリームを流し込もう。最終手段だ。



「ねぇ、あの人ってMZDに似てない?」



とうとう聞こえてしまったワードに思わず顔が引きつった。
我慢だ、我慢。もう、一度に気を使わせてしまったんだ。
二度目は耐えなければならないと、顔に出さないように心がけた。

「黒ちゃん」

突然苺の乗ったスプーンが目の前に差し出された。

「あーん」

拒否する間も、羞恥心を感じる間もなく、ふいっと口内に放り込まれた。
すっぱさで頬の奥がきゅっと締まる。

「美味しいでしょ?」

にこにこと笑うに俺はただ頷くことしか出来なかった。
ここは人目もある外だ。それについさっきまで、確実に誰かが俺を見ていたというのに。
さすがの俺でもこれは恥ずかしい。

「はい。次は生クリームにカスタードだよ」

制止する間もなく、が更に追加でスプーンを口に差し入れた。
甘さ控えめの生クリームと甘ったるいカスタードが口内を侵していく。
それは流れるように咽頭から下へと落ちていった。

「次は黒ちゃんに何食べてもらおっかな」
「た、頼む。もう少し間を空けてくれ。あ、あと少し恥ずか、」
「遅いと上のアイス溶けちゃう!」
「わかった……。じゃあ……出来るなら果物でお願いします」

の有無も言わさぬ剣幕に、ついたじろいでしまった。
こちらの気も知らず、は嬉々としてこちらにまた差し出す。
次々と与えられているうちに、だんだん羞恥心も消えてきた。感覚が麻痺してきたのだろう。

休憩を与えられたのは、上部に乗っていたフルーツを殆ど食べさせられた頃。
コーヒーを飲んで口内を落ち着かせていると、ふと気がついた。
先ほど俺をMZDと間違えた人間はいなくなっていた。

「似ていようと、黒ちゃんは黒ちゃんだからね。大丈夫だよ」

そう言って微笑むと、は大きな口で生クリームを頬張った。
なんで、はいつもいつも、こんなにも優しい。
────だから、好きでいることを止められないんだ。

「……ごめんね。無理に食べさせちゃったけどお腹大丈夫?」
「大丈夫だ」

抱き締めたい。
衝動的に思った。だが、ここは自宅ではない。
店内に人は少ないとはいえそんな常識外れのことはしたくないし、も嫌がるだろう。
判っていてもどうしてもに触りたい。小さな丸テーブルで向き合っているのだから、十分距離は近いはずなのに、もどかしくて。

許される範囲内だろうと思い、テーブルの下での膝に触れた。
スプーンの動きが一瞬止まる。
駄目だったか。やっぱり外だし大人しくしているべきか。
すっと手を引くと小さい手が俺の指を握った。
は黙々と食べていて俺を見ていない。
でもテーブルの下ではくすぐったい程優しく指を撫でてくれる。
は目を伏せ一言も声を出さないが、赤い耳を見れば全てを理解することが出来た。

。早く食べないと下のスポンジがふやけるぞ」
「じゃあ……黒ちゃんもう少し食べて」

スプーンを容器に入れてこちらに押し出すが、俺は首を振った。

「そうじゃないだろ?」
「え、だ、だって、ここ外……」

テーブル下できゅっと俺の手を握った。
上目遣いで伺おうとも、俺はすました顔で動揺するを見るのみ。

「さっきはあんなにしてただろう?しかも俺じゃない。全部からだった」

しばらく、でもでもと躊躇っていただが、やがて音を上げ先ほどと同様に、スポンジ生地とクリームを掬って差し出した。
俺はそれを口に含む。もう若干スポンジがふやけているが、満足だ。
が口を尖らせて言った。

「なんか、黒ちゃん意地悪だね」
「変わらないさ。それに恥ずかしいことしてきたのはが先だったろ」
「あ、あれは、だって……」
「理由なんてもう何でもいい。ほら、次」

意地悪……ね。確かにそうかもしれない。
でもそれはが悪いんだ。今日のはより一層可愛くて、それでいて優しくて。
いつもと違って俺が近づけば動揺し、顔を赤らめ、つんとした態度を見せる。
それはつまり俺のことを、安心できる保護者と見ているわけではない、ということだ。
運が良ければ、男として見てもらえる。
だから俺はいつもみたいにの望みを全て叶えない。
ほんの少しだけ無理を言い、自分の欲を押し付ける。
を困らせ、もっと心を波立たせて。
それで俺に対して親愛ではない、別の感情を引きずりだしてやる。
他の誰かなんて見る余裕なんて与えてやるものか。

「もー……」

の困った顔を見ながら食べるパフェは格別だった。
最終的に胃はもたれたが、その間の顔をずっと観賞出来たし、手も繋げたし文句はない。











「ひ、ひどい……」
「これは驚きだな」

パフェを最後まで平らげた俺達は腹が落ち着くまで会話を楽しんだ。
そろそろ帰るかと思っていた矢先、大粒の雨が地面を叩きつけていた。

「まさか雨が降るとは思わなかった」

MZDはこれを感じていたんだろう。
だから晴天だというのに傘を差し出した。は拒否したが。
俺はの感情を先読みして、気にすることはないと言おうとしたのだが、
が言葉を発する方が早かった。

「ごめんね……。ちゃんとMZDの言うこと聞いていればよかった」
「気にするな」

傘なんて、ちょっと力を使えばすぐに手の中に現れる。
だが、は声を沈ませたままだ。

「私ね、黒ちゃんと一緒にお出かけ出来るって聞いて凄く嬉しかったの。
 だから、今日は目一杯可愛くしたいなって。
 それなのに、MZDが渡してくれた物って黒一色で可愛くないし……。
 MZDが気を利かせてくれたのは判ってたけど、受け取りたくなかったの」

ごめんね。ともう一度は言った。

「ほら」

俺は掌にの傘を出すと、傘の下にをぐっと引き寄せた。

「雨で良かった。こうやってと堂々とくっ付いて歩ける」

肩を引き寄せたまま、俺はザーザーと鳴る雨の中へと歩を進める。
が濡れないようにと、出来るだけ傘をの方へと向けるが、はそれを押し返す。

「これだと黒ちゃんが濡れちゃう。もう一本出すよ」

の体内で俺と同じ輝く力が右手へと流れていくのを感じ、俺はその流れを断ち切った。

「もう一本出せば、と離れることになる」
「でも」
「これでいいんだ。勿論は濡れないようにする」
「風邪ひいちゃうよ!」
「その時はに付きっ切りで看病してもらうから、問題ない」
「な、何言ってるの!?」

赤い顔をして俺に抗議するが、そんなの俺には通用しない。
ただ可愛いだけだ。

「念のため言っておくが影はなしだぞ。がしてくれないと意味がない」
「……今日の黒ちゃんなんかすっごく変だよ」

きゅっとスカートの裾をは掴む。
確かに俺から見ても、今の俺はおかしい。だが言ったことは全て本音だ。

「嫌か?」

は俯いたまま何も言わない。もしかして本当に嫌がっているのか。
柄にもなく軽薄なことを言うべきではなかったと後悔した。
すると、が傘を持たない方の俺の手を取り、自身の胸に押し付けた。
とくとくとくと、いつもより早い鼓動を掌に感じる。

「黒ちゃんが変だと、私もおかしくなる」

キャミソール+ブラウス+スカート+リボンということは、の肌から何ミリ離れているだろう。
四ミリくらいか。俺はそんなに極僅かな薄さでの胸に触れている。
してはいけない想像が頭を光の速さで巡っていく。
────駄目だ。馬鹿なことを考えるな。
俺は震えながら手をから退かした。
冷静でいるために空いた手では拳を握り締める。

「……お、女の子なんだから、そ、そう簡単に胸部に触れさせては駄目だ」

声が上ずってしまったがまずまずだろう。これは正しい返しなはず。

「わ、私だって!誰彼構わずは嫌だよ!よくわかんないけど恥ずかしいもん!」

が人並みの羞恥心を持っていることに一安心だ。
他の奴等にもしているなんてことがあったら怒る前に卒倒してしまう。

「……く、黒ちゃんだから……だもん。ジャックにも駄目って、言ってるもん」

あのジャックでさえも許されなかったところに、俺がいる。
この明確な立場の違いに、俺は甘美な優越感に浸った。

「……あ、でも、MZDならいいかな」

急に塔の頂点から落とされたかのような失墜を味わう。
あいつと一緒かよ。なんでだよ。

「黒ちゃんと同じで安心できるの。絶対に酷いことされないって」

ちくりとする。それについては何も言えない。
に"酷いこと"と言わせたくはないが、手を出すのはアイツより俺だろう。
現にもう色々と……。それについては反省している。
過去の過ちを懺悔していると、傘を持つ手に腕を絡められた。

「今日は、黒ちゃんと外に出られて嬉しかった。ありがと」

今度は俺の方が目を逸らしてしまった。
その輝かんばかりの笑顔は反則だろ。

には不便を強いてばかりで……すまない」

これは、今日のデートは成功ということでいいだろうか。

「そうだよ最近厳しいよ」
「すまん……だ、だがな、だって危ないことばかりするからだぞ」
「だーいじょーぶだもーん。心配性すぎるよ」
「全く……」

反抗的というか、生意気になったというか。
少々の口答えは構わないが、心身の安全に関わることで反抗されるのは容認しがたい。
とは言え、もう俺が怒ったとしてもがどこかへ転移してしまう。
回数を重ねるごとにスピードが上がったが、複数の場所に同時に同じ力のダミーを配置するなど、技術も上がっている。
反抗期の子供の相手は大変だと書物で読んだが、こんなにも大変だとは思わなかった。

「……」
「どうした?」
「う、ううん!なんでもないよ!」

何を慌てているのだろう。まぁ、詮索するほどのことではあるまい。

「それより、今日は本当にありがとね。行きたいところばかり連れて行って貰えて嬉しかった。それに、黒ちゃんが私のことを本当によく知ってくれて幸せだよ」
「……そのことなんだが」

そんなに褒めないでくれ。違うんだよ、俺一人の功績じゃないんだ。
俺は胸に膨らむ罪悪感を解消することにした。
それが例え、俺の評価を下げる恐れがあっても。

の好みは当然熟知している。でも、俺は外の世界にいるを知らない。
 何を思い、何を好み、何に興味を持ったのか。
 それで事前に調べていて、そしたら偶然サイバーに会って……」

言わなければならない。
俺は一息ついて、覚悟を決めた。

「サイバーに、聞いたんだ。が行きたいと言っていた場所はどこかと。
 だから、今日のことは全部が俺の功績ではない。サイバーのものでもあるんだ」

嘘は吐いていなかったが、全てが俺だと勘違いさせるように仕向ける結果となった。
は、そんな俺をどう思うだろう。

「黒ちゃん」

顔が見られず、俺は正面を、傘に当たって跳ねる雨粒を見ていた。

「……サイバーに聞いたの?」
「ああ、そうだ」

ごめんな、

「嬉しい」
「へ?」

隣のを見ると、頬を緩めていた。
腕を掴む手に力を込められる。

「黒ちゃんがそこまでしてくれてるなんて思わなかった。
 わざわざサイバーにも聞いてくれたんだね。有難う。凄く嬉しい」
「で、でも、俺一人じゃないんだぞ?俺が全部わかってたわけでは」
「それの何が悪いの?
 他の人にまで聞いて私のこと調べるなんて大変だったでしょ?
 ありがとう。お陰でとても楽しかったよ」

拍子抜けした。
下がるどころか寧ろその苦労に対して評価が上がった。
正直に言って良かったと、俺は胸を撫で下ろす。

「黒ちゃん、大好き」

一瞬、理性がぶっ飛びそうになった。
抱き締めてキスしたい衝動を、空いている左手の爪を掌に食い込ませることで抑える。

「また一緒にお出かけしてくれる?」
「……勿論だ」

MZDに感謝なんてしたくないが、今日はと外に出て良かった。
喜んでもらえたし、沢山を見たし、それに大好きと言ってもらえた。
これほど嬉しいことはない。今日は興奮して寝られないかもしれない。

俺とは一つの傘で同じ家に帰った。
ようやく誰の目にも触れられない場所に行ける。
今日はいっぱいを抱きしめよう。




(12/07/12)