「せんせ……」
「……っ、駄目だ。それはやべぇ」
頭を抱える男。
「どうにか……なりませんか?」
女は下を向いて、細い声をあげた。
「そりゃしたいさ。したい。けど、限度が……」
「私、どう、しましょう」
女は蠱惑的な上目遣いで男を見上げた。
「登校してこい!!何が何でもだ!」
DTOはの両肩を掴んでがくがくと前後に揺らした。
◇
「と、言うわけなのです」
「当たり前だろ」
机に張り付いて嘆くをサイバーは一蹴した。
「先生と約束しました。
異界に行かない、戦闘に巻き込まれない、帰ったら手洗いうがい、宿題を忘れず予習復習、
知らない人についていかない、さらわれない、危険な遊びをしない、人と神以外に関わらない。
…………あとなんだっけ?」
「それ普通だからな。……いや、そんな驚かれても」
は大きな溜息をついた。それもそのはず。
久しぶりに登校すると、担当教師であるDTOに呼び出され、
このままでは進級が危ういということを聞かされた。
高校は義務教育ではないため、基準を満たせなければ進級はできない。
その中でも出席日数は進級を左右する大きな要素である。
勿論怪我や病気といったことで長期欠席というのは有り得るので、
そこを考慮した上で最低出席日数は決められている。
しかし、の場合はただの休み。診断書も病院の領収書も存在していないためサボり扱いである。
加えて学校を休んでいた間、全く勉強をしていないため、の学力はがっくりと落ちている。
いくらが勤勉な性格であろうとも、空白の時間が長すぎる。学力はそう簡単に上がらない。
今の状況は、誰が見ても最悪としか言いようが無かった。
「とにかく、しばらくは"普通"の生活をしなさい、だってさ」
は口を尖らせた。
普通でないことの楽しみ方を知ってしまったにとって、普通という枠は少々窮屈である。
「いーじゃん。普通の人間生活も、そう捨てたもんじゃないぜ」
「そーそ。これでオレが毎日ちゃんを独占出来るぜ!」
「ねぇよ!とは積もり積もった話があんだよ」
「どうせアニメだろ。きもっ」
「っざけんじゃねぇぞ!ギャンブラーはなぁ、深いんだよ!どーせお前にはわかんねぇだろーけど!」
「判りたくねぇし。あー、これだからオタクはきもいんだよ」
言い合う二人を尻目にサユリがに話しかけた。
「良かったね。このまま登校するだけでいいだなんて」
「う、うん……。それが難しいんだけどね」
「……。大丈夫!きっとさんなら出来るよ!」
「頑張ります……」
は星の巡りが悪いのか、想定外のことに巻き込まれる。
ただ登校するだけというが、その難度は人よりも少し高く設定されていた。
「ー。今日一緒に帰ろうな」
「サイバーは小学生とヒーローごっこでもしてやがれ。ちゃん、オレと二人きりでど、」
「さん。みんなで帰ろうね」
「うん」
は笑顔で答えた。
◇
「なぁ、。どうして今日はずっとデカイままなんだ?」
サイバーの声にが振り返る。
結わえていない髪がさらりと揺れた。
「嫌?」
「いや、そういうわけじゃねぇけど……。なんつーか」
「私はそっちのさんも綺麗で、素敵だと思うよ」
「サユリ……」
顔を赤らめたはサユリに抱きついた。
ボディタッチに慣れないサユリは意表を突かれたが、やがてよしよしと軽く頭を撫でた。
「……」
「……」
「女子ってずっこいよな。ま、俺は百合もイケるからアリだけどな!」
「お前はしゃべんな」
サイバー、ニッキーには入れない世界が展開されていた。
年齢相応になったは、サユリよりは少し背が低く、抱き合うのに丁度いい身長差。
二人の変な視線を察したサユリはを剥がした。
「へ、変な目で見ないで」
「別に。オレは二人でエロい妄想とかしてねぇよ」
ジト目でニッキーを見るサユリ。
すぐにいやらしいことを考える彼を心の底から軽蔑した。
「ちゃーん!次はオレとくんずほぐれずで!」
「ニッキーはほっといて帰るぞー」
「そうだね」
「はーい」
「ちゃんまで!?」
置いていかれぬよう、ニッキーは走ってついていく。
さりげなくの隣にいるサイバーを、押しやるが引き剥がせない。
「う……狭い」
サイバーとサユリに挟まれているは抗議の声を上げる。
それを見たサユリがサイバーからを引き剥がし、反対側の脇へ移動させる。
「なんか私、ボールみたいな扱いだね……」
「しょうがねぇよ。大きい方つっても小っちぇもん」
サイバーという邪魔者が消えたために、しめたとばかりに勢いよくに飛びつく。
しかし、それをよんでいたサユリがすっとを元の位置へ戻す。
「……お前、オレに厳しくねぇか?」
「全然」
「嘘つけ」
性的なことを隠すことのないニッキーを、サユリはあまり好まない。
特に、何も知らないに余計且つ間違った知識を与えるところが気に入らない。
だが、ニッキーが真面目にを心配する面も知っているので、共にいることを拒んだりはしない。
「ばいばい」
「また明日ね」
「ちゃん、寂しかったらいつでもカモン」
「ニッキーのとこだけは行くなよ」
は門の前で三人に手を振る。
身を翻してMZDの家の玄関へ、軽やかな足取りで向かう。
「ただいまー」
「おかえり。お菓子あるぞ。食うか?」
「うん。でも待って。私うがい手洗いしないと。DTO先生に言われたの」
「最近の高校教師って小学校みたいなこと言うのな……」
素直なはDTOの言葉をしっかりと守った。
そしてソファーに座るMZDの隣に腰を下ろす。
「黒ちゃんは?一緒に食べようよ」
「今いねぇの。外でお仕事。最近なーんにもしてなかったしな」
「そっか」
はクッキーを一枚取ると、口の中に放り込んだ。
「黒神とはどうだ?なんとかやってる?」
「うん」
しょもしょもと音を立てて咀嚼する。
「……そうは見えないけどなぁ?」
こくんと飲み込んだ音の後、そのまま真横に身体を倒す。
MZDの膝の上にの側頭部が着地した。
「普段と一緒なの。本当だよ。……でも、なんか違うの」
独り言のように呟かれた言葉。
MZDは口を開いたが、一旦口を閉じた。
だが、に伝えることを決心した。
「。す、」
「心配しないで。きっともう少し経ったら元に戻れると思うよ」
「……そっか」
言いかけた言葉は呑み込んだ。
は気づいている。MZDが謝ろうとしたことを。
それを遮ったのだから、言わない方がいい。
「MZDこそ、どうなの?黒ちゃん凄い気にしてたよ」
「あー……あぁ。……本当にな。
いつもみたいに俺は悪くないの一点張りの方が気楽だぜ」
「……MZDもさ、きっともう少し経てばいつも通りになれるよ」
「そうだといいな。も」
「そうだと、いいね」
MZDは机の上のクッキーを一つ掴むと、膝の上でMZDを見上げるの口の中に入れてやる。
嬉しそうに咀嚼するであるが、こくんと飲み込むとまた悲しげな顔に戻るのであった。
◇
「こ、こんなに……」
「これで足りれば万々歳だ」
いつもの英語科教室にて、は大量の問題集を渡された。
「学年末試験、このままじゃ赤点は免れない。
英語は俺が出来るだけ教えてやる。数学は誰か、って誰もそこまでよくねぇな」
「リュータが出来ると思う……」
「でもあいつバイトやってるからな。迷惑にならない程度に教えてもらいな。な?」
「はい……」
は問題集がどっさりと入った買い物袋を提げて、教室を後にした。
DTOが所持する袋はこれくらいしかなかったらしく、スーパーの店名が大きく印字してある。
よたよたと歩き、指に食い込むビニールに奮闘しながら、教室へついた。
友人らに先程のDTOとのやり取りを話す。
「いいじゃん。オレと二人きりで仲良く再テストで」
と、成績のあまりよくないニッキーが言った。
「お前も勉強しろよ」
「サイバーだってギリギリじゃねぇか。お前に言われてもなぁー」
「勉強しなさい」
と、上から中の上の成績をキープしているサユリが注意する。
「サユリはいちいちうっせーんだよ」
「誰が言っても駄目なんじゃん」
は呆れて問題集を机の脇に提げた。
「……こっちの世界も大変だなー」
息を吐き、どこか遠い目をするにリュータは諭す。
「楽な場所なんてないんじゃね?やっぱさ、どこだって大変だよ」
「そうだね……。とにかく今は、進級のためにも勉強頑張る」
「頑張れ。言えば手伝うからさ」
リュータはどこか嬉しそうに微笑んだ。
和やかな雰囲気になっていることを察知したサイバーはその輪に入り、に笑みを浮かべた。
「オレはとこうやってるの嫌いじゃないぜ。は知んねぇけ、」
「好きだよ」
ストレートな言葉がサイバーの心に突き刺さる。
思わず、違う解釈を連想してしまうくらいの、真っ直ぐで素直な言葉。
「皆はとても優しくて、私を受け入れてくれるもん」
「そ、そりゃぁなー。ははっ」
目を逸らし挙動不審になるサイバーをは不思議そうに見ている。
「きもいんだけど」
ぴょこりニッキーが現れ、とサイバーを観察する。
「なーんかあったわけ?」
「特に何もないよ?」
判らないと、は首を振る。
「ふうん」
疑わしくサイバーをじろじろと見る。
「な、なんだよ。こっち見んな」
「オレだって好きで男なんか見るかよ、ばーか」
ぷいっと顔を背け、に目を向ける。首を傾げていた。
サイバーは己の注意が他に移ったことに胸を撫で下ろした。
「ニッキー、次体育だろ。もうお前のクラス移動してるぞ」
「やっべ」
◇
「ただいま、黒ちゃん」
「おかえり」
黒神はデスクに目を落としたまま。
扉を閉めたは手洗いとうがいを済ませて、ソファーへ身を投げ出した。
天井を見ながら一息。
「サン、おかえりなさい」
「ただいまー」
上から現れた影はの足元へ。
寝ころんでいたもそれに合わせて身体を起こすと、大人一人分が座れるスペースを空けた。
ちょこんとその位置に浮く影。
「今日はドウでしたか?」
「うん。まあまあだったよ」
「平和な一日だったのですネ。良いことデス」
「……いっぱい勉強してたの。休み時間もした」
勉強嫌いではないであるが、さすがに勉強漬けは苦痛である。
「試験までの辛抱ですよ。サポートは致しますから、頑張りましょう!」
からり、とキャスターの音を立て、黒神が立ち上がる。
「外出する。食事は構わず先に食べてくれ」
「いってらっしゃい」
「いってきます。もあまり根を詰め過ぎないようにな」
そう言って黒神は跡形もなく消える。
先ほどまで黒神がいた場所をじっと見る。
「……行っちゃった」
「マスターも仕事が溜まっているのデスよ。サンと同じデス」
「そうだね」
は食事の時間になるまでと、勉強に取り掛かった。
難しい。元々基礎の部分が大幅に足りていないは、ろくに理解が出来ない。
勉学にも経験と言うものは必要である。にはそれが十年分、ない。
「影ちゃん……嫌になった」
「では休憩がてらお食事にしまショウ」
食物を摂取できる者は一人しかいないので静かな食事になる。
寂しくないようにと向かいにいる影に、がぽつりと言った。
「……黒ちゃんは、私といるの辛いのかな」
「思いつめないで下サイ。マスターも頭と心の整理を必要としているのデス。待ちまショウ」
「うん……」
学生であるが黒神と関わることができる時間は、帰宅してから日を跨ぐ前の数時間である。
食事や風呂の時間を考えれば、交流可能時間は更に短い。
だから黒神はその時間は必ずと共にいた。それなのに。
何故かその時間の外出が最近多い。
「サンもすぐに帰宅するではなく、偶にはご学友と遊んでハ?」
「……いい。黒ちゃん、そういうの好きじゃないの判ってる。
嫌がられることは今出来ないよ。またいなくなったら……」
は顔を伏せた。
「……軽はずみな発言、失礼しまシタ」
「そんなことないよ!気にしないで、ごめんね」
「こちらこそ、申し訳御座いまセン」
「……」
「……タダ、これではサンが」
「いいの。私はちゃんと待てる。我慢も出来るもの」
食事を終えたは勉強に戻った。
すべきことを終わらせてから就寝の準備を行う。
「おやすみ」
「おやすみなさいマセ。よい夢を見られマスように」
結局その日、黒神は帰ってこなかった。
次の日の朝も、いなかった。
◇
「ちゃん頼む!いつもの感じで!」
「うん。判った。机の上?」
「そう!頼んだ!」
ははいはいと頷いた。
放課後、いつものようにのところにニッキーが訪れた。
その時に頼みごとを一つした。家に忘れた物を取ってきて欲しいと。
の能力ならば、ちょっと誰かの家に転移し侵入することは簡単なことである。
だからも二つ返事でその願いを聞き入れた。
まずは自身を飛ばす座標を定めるところから。
「……あれ?」
「オレの部屋のAVでも察知した?」
ニッキーの軽い冗談をは聞いていない。
首を傾げてそわそわしたりと挙動がおかしい。
さすがに不審に思ったニッキーは心配そうに尋ねた。
「どした?」
「……やり方、忘れちゃった」
「へ」
状況が飲み込めないニッキーにが補足する。
「最近力使ってなかったの!だって人の世界では使わないじゃん!
どうしよう。出来なくなっちゃった……」
どうしようどうしよう、そわそわとがあちらを向いたりこちらを向いたり。
「落ち着け。な。」
「でも!私、出来ない。なんで、どうしよう、私」
「はいはい」
小さな肩をぽんと叩く。
「大丈夫だって。ともかく落ち着け。冷静でないと使えないものなんだろ?」
「判ってる。だけど」
「大丈夫だから。とりあえずオレの手でも握って、んで抱きついて、ちゅーして、せ」
「うん……」
はきゅっとニッキーの手を握った。
心細く弱々しい表情でニッキーの存在を頼る。
一方ニッキーは自分の発案とは言え実行されてしまったことに頬を赤らめ固まっていた。
何をするでもなく、二人はそのままじっとしていた。
しばらくし、が手を放したところで、ニッキーは我に返り、顔を覗き込んだ。
「落ち着いてきたか?」
「どきどきする」
「オレに?」
「心配で。ずっと使えなかったらどしようって」
まだ入手してから一年も経っていないが、この能力はもうの一部として溶け込んでいる。
それを失うことは、四肢を失うようなものだ。
「じゃあさ、小さいことからしてみれば?」
「た、たとえば?」
「いや、オレ事の大小わかんねぇし……。そーだなぁ、MZD呼んでみたら?」
「判った」
目を閉じる。しばらく待つ。
「……顔で判った。失敗か」
「はぁ……。最悪だよ……」
「思いつめんなって。もし不思議能力無くなっても、生活出来るんだし」
「嫌だよ。だって、無いと……私、本当にただの人間だよ」
「いーじゃん。誰が困るんだよ。黒神たちはちゃんがどうあれ気にしねぇじゃん?
オレ達もそうじゃん。あのガスマスクの奴も、KKのおっさんも。
だったら、全然困らなくね?」
ニッキーが好きなのはという存在である。
ただであればそれでいい。きっと他の者もそうだろうと思って言った。
これなら元気を出してくれるだろうと思ったニッキーであったが、予想とは異なりの表情は優れなかった。
「……でもそれじゃ駄目な人もいるの」
「誰?」
は少し躊躇いって言った。
「ヴィルヘルム」
なんだそいつかと、ニッキーは一安心した。
「そいつはいいじゃん。ちゃんに危ねぇことするしー」
「そういうところもあるけど、面白いところや優しいところもあるんだよ」
「なんで庇うんだよ」
ニッキーは口を尖らせた。
「大体オレは前から反対だっての。あっぶねー奴に面白がって近づいてどうするよ?
怖いもの知らずっつーか、命知らずっつーか」
ヴィルヘルムのことは知っている。以前のポップンパーティーで遠い位置で見かけた男。
怪しい奴と認識している。から話を聞き、人間とは異なる思想を持つことも知っている。
そんな危険な者が、どうしてと関わっていけるのか。
不思議であり、苛立ちを感じた。
はいつも、違う世界、遠い世界ばかりの者たちと近づいていくのか。
ニッキーが日々顔を合わせようと、話をしても、一定以上は踏み込めない。
それなのに。どうして。変な奴らばかりが意図も簡単にの心に滑り込めるのか。
自分が何をいくら思おうとの心は想像を超えたところに存在する。
だから今も、ニッキーの発言によって悲しそうな表情をし、落ち込んでいるのだ。
「あー!もう!オレ親みてぇでキモ過ぎる!やだーオレのキャラが崩壊する!」
「に、ニッキー怖い。お、落ち着いて」
「違うんだよ!それが言いたいんじゃねぇ!!」
二度三度大きく呼吸をし、驚いたままのに尋ねた。
「……。ちゃん。普通の人間として生きるのは、そんなに嫌なことなのか?」
戸惑っているのがニッキーの目にありありと映った。
言うんじゃ無かったと、後悔した。
「あと、でっかいちゃんのおっぱいって、ち、」
「ニッキーのおばか!」
禁句を言われたは、ぱたぱたと走っていった。
「あーあ。オレって肝心なところでチキンじゃん。誤魔化しちまった」
そう言えば、に取って来てもらう予定だった提出物をどうするんだ、と
ニッキーは当初の予定を思い出した。
とは言え、の反応にショックを受けているニッキーとしては小さなこと。
結局提出しなかったせいで、次の日に呼び出されることになった。
◇
「黒神」
呼ばれた黒神は体育座りをしたまま振り向きもしない。
その隣にMZDは座る。ふわふわのクッション。
ここは、空。雲の上。
「なーにやってんだよ。家帰りゃいいじゃん。寂しがってるぞ」
「そうは言うが……」
黒神のやるべきことは全て終了している。壊す必要のあるものはない。
ここ最近はただ世界をふらりと回り、山の中や海の中等生物が殆ど居ない場所でただ座って時間を消費していた。
それは主に、の学校が終わった時間や、休日でずっと家にいる時ばかり。
と顔を合わせたくないということは容易にわかる。
「は許してる。オレも許してる。問題ねぇって」
優しげにMZDは言った。ちらっと黒神が顔を盗み見る。
「……甘えて、いいのだろうか」
「いいんだよ」
「そうやってお前もも、俺を甘やかす」
「へー。自覚あったんだ」
「からかうな」
ぷいっと、顔を背ける。
目の前を流れる雲をぼーっと見ながら、隣の兄に心の内を少しだけ吐露した。
「……は全てを知ってしまったんだよな」
「……ああ」
二人がに隠していた秘密。
禁忌であると知りながらも行った蘇生。
「余計に接し方が判らない。だって、も戸惑っただろう。
まさか生前俺と恋仲であっただなんて事実が突きつけられて」
「確かに……。はお前のこと好きだけど、行き成り恋人です、でした。つったら、なぁ」
「それに俺は、がそれを受け入れたのかも聞いていない」
「……変な話だよな。告白したでもなく、返事を待つ、だなんてさ」
溜息をつく黒神。
「でもどうなんだろう……のことだし、受け入れた上でお前といるって言ってる気がするぞ」
「俺としては、そちらの方が嬉しいが……」
「それなのに黒神に逃げられて……って、スッゲー可哀想じゃね?」
「た、確かに……」
「だからさ、普通にしてやれよ。罪悪感あるなら、それがお前に出来る罪滅ぼしだろ」
「……もう少し考えさせて欲しい」
「ああ。焦らなくていいさ。にはオレから言っとくから」
そう言ってMZDはその場から消えた。
黒神はまた宙を眺める。
今回迷惑をかけた二人に対して自分はどうすればいいかと考えながら。
二人は気付いていなかった。
が知ったのは自身の死のみであること。
二人が必死に隠していた、もう一つの真実。
黒神との過去の親密な関係について、は一切知らない。
◇
「あの」
クラスメイトが声をかけた。
誰に対して声をかけているのか判らないため、そこにいた四人のうち三人が振り返った。
だが、クラスメイトは首を振り、別の人物を見た。
席に座ったまま窓の外を見ている女生徒を。唯一振り返らなかった者を。
「さん。用があるみたいだよ」
きょとんとした様子では女生徒を見る。
それもそのはず。に話しかける者は限られており、更にはその限られた者たちが常にの傍にいるために近づきにくい。
更にその中にはニッキーがいるため、女生徒であるならば積極的に近づこうとは思えない。
は訝しげた。
「あの、変な人がいて、先生もどうにも出来なくて……。その、なんとか、できない、かな?」
「それは構いませんが……。それは警察の方がいいと思いますよ?」
机の脇にかけていた鞄を取り、は立ち上がる。
「え、行くのかよ」
止めようとするリュータには返す。
「だって、困ってるんでしょ?それなら行くよ」
「いや、危ないだろ」
何言ってんだと呆れるが、は動きを止めない。
「危なくないよ。人間相手なら負けない」
思わず女生徒は引いた。やっぱり自分たちとは違うと距離を感じた。
そんなに変人の特徴と校門の前にいることを教えた。
「行ってくる。あ、リュータもサユリも来ちゃ駄目だよ。危ないんだから」
「それは、さんもいっ、」
「駄目。サイバーもだからね!」
隠れて教室の外に行こうとしていたサイバーであった。
己の企みがバレていたことに舌を打つ。
「心配しなくていいから。じゃあねー」
そう言っては笑顔で駆けて行った。
仕方が無いので三人は窓から外を窺う。
暫くして、が校門から出た所でニッキーが声をかけた。
「何してんの?爆乳のねーちゃんでもいた?」
「が変な奴に会いに行ってんだよ!!くそっ、心配だ」
サイバーが頭を抱えている。だが、ニッキーはまだ状況があまり理解できない。
「へー。変な奴って、何?」
「知んねぇよ。ただ、他の奴じゃ駄目だからってが行ったんだよ。もし何かあったら……」
「げ、そんなヤベェ奴んとこに行かせたのかよ!」
「オレだって行かせたくねぇよ!!でもは来んなっつーし、確かにオレじゃ足手まといで」
「いやいや!駄目だろ!ちゃん、今変能力使えねぇから!!」
一同はその事実に固まった。そして、駆け出した。
一方、校門に向かっていた時のは────。
下駄箱で靴を履き替えたは校門へ自然を装い歩いていく。
どこをどう見ても下校中の女子高生でしかない。
ただ以外の生徒達は不審者を怖がり、誰も下校しようとしていない。
そんな中、一人だけ普段通りに校門から出ようとしているのは奇妙であった。
しかしはそのことは頭に無く、とにかく不審者とはどんな人間であるかを見極めようとそれだけで。
一定のリズムで足を動かし、校門を出た。道は右と左に別れている。
はゆっくりと右に曲がった。
顔を前に向けながら目だけで右を見た。
不審者はそこにいるはずだった。
一度姿を確認した後、遠方から動きを観察しよう。はそう考える。
しかし。
「(ヴィル!?)」
予想の斜め上の事実には走って逃げた。
何故ここに、魔族であるヴィルヘルムがここにいるのか。
それも学校の校門の前で。怪しい被り物にいつもの燕尾服にいつものマント。
一切自分を隠そうとしていない、堂々たる姿である。不審者と呼ばれてもしょうがない。
今思えば、女生徒がに伝えた、スーツみたいな服で、マントで、変な被り物という特徴に全て当てはまる。
は最初それを聞いた時、大道芸人だろうかと思っていた。
失念である。知り合いの中にその人はいた。
「何故逃げる」
目の前にヴィルヘルム。先程の位置から走ったのではなく、いつものように空間を渡って現れた。
はさっと下を向いて、ヴィルヘルムの横を通り過ぎて行こうとする。
「無視をするとはいい度胸だな、娘」
「私、あなたのこと知らないです。急いでいるので。それでは」
あくまでも他人の振りをして去ろうとするであった。
しかし、がしりと腕を掴まれ前に進めなくなる。
「……娘。いい加減にしろ」
「い、いえ、人違いです。私はあなたが探す人じゃありません」
大げさにぶんぶんと首を振る。その間も下を向いたまま。
とは言え、帽子があるわけでもないので、その顔はバレバレである。
「私が貴様を見間違えるはずがない」
一瞬の口元が緩るむ。しかし。過ぎる、DTOからの言葉。
『人と神以外に関わらないこと』『試験が終わるまでは』
「だめだめだめ!今日の私は駄目!しばらく駄目!城に帰って!」
振りほどこうと手を振るが、ヴィルヘルムはしっかりと握っているためびくともしない。
「やだはなして!」
「ならばいつものように空間を渡ればいい」
「今は、駄目なの!」
少しずつ、掴む力が増えていく。
「……強情な娘だ。だが、そのままではその腕、千切れるぞ」
五指がの皮膚を痛めつけだした。
本当に痛い。容赦が無い。言葉どおり腕が生々しい音を立てて引きちぎられてしまうだろう。
逃れたい。この腕から。
痛い、いたいいたいたい、いやだいやだいやだいやだ。
ふっと、身体が軽くなった気がした。
一メートル前にはヴィルヘルムが立っている。
「そうしておけばいいのだ。地を走るなど、下等な生き物がすること」
「出来た……久しぶりに」
「何をわけのわからないことを」
また自分の意思どおりに力を仕えたことに飛び跳ねて喜ぶに、
事情を知らないヴィルヘルムは心底呆れる。
「!」
「あ、サイバー」
息を切らせて走ってきたサイバーは、と仮面の男を交互に見た。
「校門にいたのヴィルだったの。だから大丈夫。そう伝えて」
「え、あ、あぁ……。そうか、良かった」
心配してきたというのに拍子抜けする。は笑顔だ。それもとびっきりの。
「せめてその頭を取っておけば良かったのに。そうしたら怪しまれずに済んだんだよ?」
「素顔を見せる方が問題だ」
「目立つ方が問題なんじゃないのかなぁ……」
人間の学校の門に憮然と被り物をした者がいれば、百人が百人振り返る。
インターネットの発達した現代であれば、光の速さでヴィルヘルムの外見が人々に知られていく。
「折角、綺麗な顔なんだから」
「なんだ」
「なんでもないよ」
は笑って誤魔化す。
「そういえば、貴様いつものちんちくりんではないのだな」
「そうだよ。もう私このままでいようと思うの。」
「そうしろ。あの男やジズは幼子がいいのだろうが、私はその方がいい」
「そ、そう?」
「子供は煩くて好かん。最も中身は変わらず貴様であることを考えれば、関係ないのだがな」
にこにこにこにこ。
は笑う。
「……うぜっ」
小声でサイバーは呟いた。
はとても笑う。沢山の笑顔を見せる。
ヴィルヘルムの前で。いつも顔を見合わせる自分たちよりも多種多様の笑みを次々に。
「サイバー?どうしたの?」
「いや。じゃ、伝えてくるから」
サイバーは元来た道を走る。もう安全であることを学校に伝えに。
「……哀れな」
水色の髪が校門に入ったところで、ヴィルヘルムは呟いた。
が首を傾げたが、その意味を教えてはくれない。
「ヴィル。あのね、しばらく会えないの。試験が終わるまでは勉強しなさいって言われてるの」
「仕方があるまい。貴様がまともな頭を手に入れるためには」
「……反対、しないんだ」
「当たり前だ。貴様は知識に乏しく、無知だ。今は羽虫と同等の位置であることを知れ」
「……あ、そう。でも、急ぎの用もないのにどうしてここに?」
そこまで貶さなくともと、は苦笑した。
「特に意味は無い。ただ、貴様が来ないのが悪い」
「え……」
は思わず頬を緩めた。しまりの無い顔でヴィルヘルムを見つめる。
それ以上は何も言って貰えなかったが、には十分であった。
「私、頑張るから!全部終わったら、また私とお話して。あと魔力を使う練習も付き合って!」
「面倒な。……まぁ、貴様が私の駒となるためには致し方あるまい」
「駒じゃないもん!」
「私を待たすのだから、それなりの成績を収めろ。私は知能の低い部下は望まんぞ」
「うん。全教科赤点回避するね」
「その赤点、というのがどのラインなのかが理解出来んが……まぁ、せいぜい頑張るがいい」
マントを翻すと、もうそこにヴィルヘルムの姿は無い。
「頑張ろ!!」
青空に向かっては意気込んだ。
(13/02/25)