第51話-花筏の行きつく先は-

私は迷わなかった。いや、余計なものに蓋をした。
言うべき言葉は決まっていたから。この生を受けた時点で。

「ただいま」
「おかえりなさいマシ」
「……おかえり」

遅い帰宅を黒ちゃんは怒らなかった。まるで門限なんて設定されてなかったかのように。
影ちゃんは私の怪我を見つけると、実体のない身体をうねらせ傷を一つ一つ確認していった。
私がもう処置済みであるから心配はいらないと伝えても、まだ痛ましそうに眺めている。
私は何も言わない黒ちゃんの方を向いた。

「あの、黒ちゃん」
「影、を風呂へ連れてけ。その傷では一人での入浴は難しいだろう」
「ハイ。マスター」

影ちゃんは素早く私を脱衣所へ連れていき、私は言葉の続きを黒ちゃんに伝えることが出来なかった。
そんなに急がなくとも、お風呂が済んでからでいいかと思っていたら、黒ちゃんはいなくなっていた。

「……」

気遣いで言ってくれたのではなく、何かを察して避けられたようだ。

サン。何かマスターに言いたい事があるんですネ」
「……バレバレかな」

タオルで私の髪を拭きながら、影ちゃんはふふと笑った。

「今回はどうしたんデスか。門限破りを謝りたい訳ではないんでショウ?」
「うん。元に戻そうと思って」

笑った。

「……よく、聞こえまセン」
「影ちゃん」

振り返ると、湿ったタオルをぎゅっと握って目を逸らされた。

「昔の……記憶が無くなる前の関係に戻そう」
「嫌デス。貴女は貴女のままで良いのデス」
「……それは誰の意見?」
「…………私で御座いマス」
「そっか。影ちゃんは優しいね」

ふいっと抱きしめる。とはいえ、触れられないけれど。

「私の周囲は優しい人ばかりだ」

腕を引いて、背もたれに両腕と顎をついた。

「でもね。良いの。色々考えてそれが良いと思ったんだ」
「……そんなの、無理デス」
「どうして?」

タオルを被せられた。

「……サンはマスターを好きじゃないからデス」
「そんなの」
「ありマス」

力強い断言。
心の揺らぎを正確に指摘されて、私は胸を痛めた。

「とても申し上げにくいのデスが、昔のサンは心よりマスターを慕っておりましタ。
 頼る者がマスターだけと言うこともアッタでしょうが、それだけでは説明出来ナイくらいに。
 貴女とマスターは大きな差はあれど、心だけは繋がっておりまシタ」
「……今みたいな中途半端は駄目だってこと?」

少し間が空いて、影ちゃんは言った。

「そこカラ始まるものも御座いまシょう。
 ただ、元に戻る事は絶対に不可能なのデスよ」

どこから放たれているのか判らないその声はひどく優しかった。

「……困ったね」
「えぇ、ずっと困っておりマス」

長い間。つまり、私が死んで記憶が消えてから今までのこと。
私が呑気に外を夢見たり、外へ飛び出したり、危ないことをして楽しんでいる間、
彼らは時の流れが狂った私を持て余していただろう。
事実を知るまで、私は全く気付かなかった。
気取られることがないよう二人は、いやMZDも含めた三人は苦心してくれていたのだろう。

「……どーしよっかな」
サンの心のママニ」

タオルをかけられて、本当に良かった。
今の私はきっと、変な顔してる。
どうしてだろう。同じ自分な筈なのに。
嫉妬してる。











「また喧嘩してんのか?」

帰宅間際に教室に現れたサイバーに、私は首を横に振ってみせた。

「喧嘩してないよ」
「ほんとかぁ~。ニッキーがまたなんか言ったんじゃねぇの?」
「ううん。今回は、違うよ」
「ふうん。そっか」

きっと、それなら何があったんだろうと思っているに違いない。
でも今回のことは説明していいのかどうかが判らない。
ニッキーが私をどう思っているのかを知らなかった場合、秘密を勝手に話してしまった事になるからだ。
多分ニッキー本人に聞きに行くだろうし、私は口を閉ざしていよう。
それに私はニッキーの好意を撥ね退けた。
朝から一度も目を合わせてくれないし、きっともう仲良くすることは無理だ。
尚更人に秘密を話してはいけない。私たちは友人かどうかすら曖昧なのだから。

「ねぇ、サイバー、少しお話しがあるんだけど良いかな」
「……良いけど?」

もう一回、私は関係を壊すべく手を進める。





「も~~~~!!!またぁああ~~~~」
「っっしゃ!オレ大・勝・利!」

1PWINの文字を見るのはもう何度目だろうか。
途中ソフトを変えてみたのだが結果は変わらない。

弱ぇー!!」

大笑いされると悔しさが倍増する。
しかも放課後、サイバーの家に来てすぐゲームを始めたから、一時間もこれに耐えているのだ。
流石に限界が見えてきた。

「だってコントローラーが言うこときかないんだもん!」
「はいはい」
「押してもならないんだよ?」
「はいはい」
「ジャンプ押しても飛ばないしさ」
「はいはい」
「サイバー!!笑いすぎ!!!」
「っ、くくっ、だって、負けは負けだし?」
「う~~~~!!!!!!」

リセットボタンを押したい気持ちをぐっと堪えサイバーにコントローラーを突き出す。

「もう一回!!」
「お、いいぜ。けどオレの勝ちは揺らがないからな」

ハンデを貰いながら再度挑戦。
ゲームは苦手だけれど、こうやってワイワイやるのは楽しい。
それが最後のゲームになるかもしれないとなれば尚更。
今日はうんと楽しまなければならない。

最後の思い出は綺麗で楽しくある方が良いから。
思い返す度に目頭が熱くなるような素敵な一枚を。

「っし!!連勝!!」
「またぁあああ??」

最後になるならせめて一回くらいは勝ちたいかな。

「はい、オレ勝利」
「これでも!!!??」

い、一回……一回くらいは。

「おいおい。もうどうハンデやればいいかわかんねぇんだけど」
「っ………。つ、つぎこそ……」

い……。

「負けてやることがこんなに難しいなんてあるか?」
「……コントローラー少しだけ置いてて」

…………。




「あ、そろそろ時間ヤバくね?」
「うーん。歩いて帰るならもう出た方が良いかも」

結局ゲームに全ての時間を費やした。

「ま、良かったな。一回は勝てて」
「普通にやってたら勝てなかったよ……」
「お情けの一勝だからな。……もうあれは勝利とは言えねぇよ……」
「でも勝ちは勝ちだもん」
「負けてもオレ全っ然悔しくないから良いけどさ。可哀想だし」
「可哀想!?」

不本意な言葉を聞きながら私は片づけを終え、鞄を持った。

「忘れ物なし。だよね。じゃ、帰るね」
「ん、行くぞ」

追い立てられながら玄関へ行くとパルさんが微笑を浮かべて立っていた。

「お邪魔しました」
「楽しかったウパ?また来るウパよ。カノジョさんとの邪魔はしないウパよ~」

私が言葉を濁すよりも早くサイバーが言った。

「彼女じゃねぇよ。は他に好きな奴いんだから」
「え、エェエエエ!!」

項垂れるパルさんに目もくれず、サイバーは私をぐいと引っ張り外へ連れ出した。
夕方だというのに明るい空に照らされる中、サイバーはすっと手を離した。

「ははっ。パルの言う事なんて全然気にしなくていいから」

笑って言っているが、気を使ってくれているだけだろう。
ついゲームに夢中になってしまったが、私は本来の目的を思い出した。
胸が痛い。でも、後戻りなんて今更出来ない。

「あのね」
「うん」
「ごめんね」

あの日の答えを。ずっと保留にし続けた答えを今日返す。

「……いいよ」

さっきとは違い、少し落ち着いた表情で笑む。
はっきりと見えない罅が私の胸をぎゅっと刺す。
居たたまれない空気に、私は無意味な言葉を重ねる。

「嫌いじゃないの」
「知ってる」
「一緒にいて楽しいよ」
「オレも」

嫌いなんかじゃない。一緒にいて本当に楽しかったの。

私が外へ行くきっかけをくれた人。
初めて同じ趣味を持つ人に会えた。
私以上に好きなものについて知っていて、心から尊敬した。

いつもかばってくれてた。
いつも心配してくれてた。
いつもいつも優しかった。

好き。
大好き。

記憶を失ってから出来た初めての友達だった。
歳が近くて、同じ目線で関わってくれてた。

すっごく好き。
すっごく大好き。

可能ならばずっとずっと仲良くしたかった。
今日みたいにゲームしたり、外に遊びに行ったり、アニメの感想言ったり、おもちゃコーナーでずっと喋っていたかった。

……好きだった。
……大好きだった。

神様の力を借りる私を引きもせず、受け入れてくれてた。
トラブルを引き起こして、巻き込まれてばかりの私を変わらず好きでいてくれた。
きっと本当は、記憶のことも、人間世界ではない世界のことも、話せば全部受け入れてくれたんだろうと思う。
でも私は何度も何度も隠して、後になってから話すばかりで。
信頼を裏切る行為ばかりしていても、いつもしょうがないと言って呆れたり怒ったりしながらも、最後には笑ってくれてた。

そんなあなたが好きだったんだよ。
ほんとにほんとに大好きだったんだよ。

だから、これが最後だなんて本当は嫌だ。
話さなくなるのも、遊ばなくなるのも、本当は嫌で嫌でしょうがない。

だから言いたくなかった。

好きじゃないって。恋してないなんて言いたくなかった。
嘘でもついてずっとこのまま過ごせるなら、それが一番だった。

でも、好きだから。答えなければならないから。
これ以上我儘でいるわけにはいかなかったから。
サイバーの心を踏みにじるなんて、好きなら絶対にやってはいけないことだから。
友達なら。大事な人なら。
誠意を持って接するのが、今の私が彼に出来る事だから。

「ごめんなさい」

泣きたかったけど、ぐっと堪えた。
目には塩辛い水が溜まっていたけれど、落とさないようにしっかりと耐えた。
泣くのは私じゃない。傷ついているのは私じゃないんだから

「……オレ、ハンカチとかオサレな物持ってねぇんだけど?」

サイバーは私のポケットにひょいと手を入れてハンカチを取り出すと、そのまま私の両目にべしゃっとあてた。

「もう二度と謝んなよ。男と男の約束だぞ」
「……男じゃないけど」
「いーんだよ。さっさと拭き取れ」

ごしごしと拭いて、ハンカチはポケットへと仕舞った。
クリアになった視界にはいつもみたいに明るく笑うサイバーが映っていて。

「ヒーローを一番判ってるのはなんだからな。
 これからも宜しく頼むぜ!」
「……いいの?」

これからも、って。

「答えは?はい、三……二……い」
「はい!!はいです!」
「そうこなくっちゃな!」

突き出された拳に拳をこつんと当てた。

「楽しくやろうぜ。これからもずっと、な」
「うん」

つられて私も笑った。

「しっかしよー、オレの部屋に来るのは無防備なんじゃねぇの?
 なーんてな。うちにはパルもいるし、兄貴も親父も近くにいるからな」

どきっとした。
自分が無防備だと言う事は最近の出来事で思い知らされたのだ。
誰の事とは言わないけれど。

「あのさ、もしかしたらだけど、ニッキーにも?」

またどきっとした。丁度思い出した人その人だったから。
こんなピンポイントで名前が挙がったと言う事はサイバーはもう知っていたんだろう。
ニッキーが私に対してどう思っていたかを。
ならば問題は無いだろうと、私は頷いて見せた。

「納得。そりゃ言えねぇよな、理由なんて」
「ごめんね。サイバーが知ってるとは思わなくて」
以外全員知ってるけどな」
「……え?」

全員……てことはいつものメンバーだよね。
これって周知の事実だったの?

「オレらの方がえ?だけど。なんで判んねぇの?」
「……だって、ニッキーだ……し?」
「……」

私としては、いつも私で遊んでるなという認識しかなかったのだが。
サイバーが有り得ないと言いたげな顔をするものだから、鈍い事が恥ずかしくなってくる。

「皆凄いね。判ってないのはいつも私だけ。
 ニッキーの事もそうだけど、私の好きな人のことがバレてるなんて思いもしなかったよ」

私自身が自覚したのはつい最近のことだったのだが。
それでも気取られるなんて私はどれ程判りやすい性格なのだろう。
ジズさんに知られていたのは有り得るから良いとして、サイバー達にまでとなると非常に面映ゆい。

「……いや、それはなー、出任せ……だったんだけど……」
「…………え」
「あはは……はぁ」

笑って誤魔化していたサイバーであったが、最後に大きな溜息をついた。
それが意味する事は、私でも判る。

「ご、ごめ、」
「約束」

謝るなという約束。
でもそれ以外に何と言って良いのか判らない。

「あ、あの……」
「上手くいくと良いな」

辛いはずなのに笑って人の幸福を願うものだから、私は何も言えずただ頷いた。

「でも、オレともちゃんと遊べよー絶対だぞー」
「勿論だよ!」

じゃれ合っていると視界の端に見えてくる、MZDの家。

「もうこの辺で大丈夫だろ」

その言葉にふいに怖くなった。
この別れが一過性のものか、そうではないものか。

「明日、またオレんち来いよ。今度は他の奴も入れてさ」
「……うん。行く」
「次はさすがに勝てよ」
「次くらいは勝つよ!!!」
「精々頑張りな」
「ふん!次はそう言えなくしてあげるから!」
「へぇ。そりゃ楽しみだな」

売り言葉に買い言葉。
いつものように、気楽にポンポン言い合える。

「じゃ、また明日な」
「うん、またね」

私たちはお互いに手を振った。
明日の約束だって出来た。
次からも変わらずに友達でいられる。
離れずに済むんだ。











と別れてから、オレは良いとも悪いとも言えない気分で帰路についていた。
また明日と言ったオレに、は嬉しそうにまたねと言っていた。
ニッキーみたいに一切関わりを断つ事にならずにほっとしているんだろう。
その考えもズルイっちゃズルイが、オレとしては別に構わない。
このままでいられるなら、オレとしても願ったり叶ったりだから。

今だから言えるが、オレは本気と言いつつも、どこかで諦めていた。
ヒーローらしくしなければという義務感なんて、実はなかったんだ。

オレの趣味を肯定するだけでなく、同じくらいの熱意でついてきてくれた
オレの知らない世界で人を超えた力でなんでも出来る
世間ズレしてるせいで予想外の反応を見せる
トテトテ後ろを着いてくる
争い事が嫌いで呑気なくせして、偶に奥底から湧き上がる侮蔑の視線を容赦なく投げる
家事万能で家庭的な
にこにこ笑って駆け回る

どれもこれも大好きで、気づけば好きになっていた。
このままずっと隣にいてくれたら、オレはなんだって頑張れると思っていた。
でも、オレは心の隅っこでが遠い存在であることを認めていた。
だから憧れた。だから好きだった。だから、……諦めていた。
ずっと一緒にいられるとは、思えなかった。……思いたかったけど。

一歩引いた自分がいたからこそ、オレは積極的にに近づいて、好きなことをアピールした。
それに照れるがまた可愛くて、調子に乗ってからかった。
結果を求めていなかったオレに怖いものなんて何もなかったから。

と距離を置く選択をしたニッキーは、オレとは違って本気だったんだろう。
軽い奴だけど、今回ばかりは純粋にの事が好きだったんだろうと思う。
こんな不利すぎる状況下でも、あいつは未来に希望を託した。
いい加減で適当過ぎる奴だけれど、絶対にに好きとは言わなかった。
ふざけては言っていたけど、本気で言ったことオレが知る限りない。
あいつは慎重だった。攻略難度の高いを本気で落とそうと、落とせると思っていたんだ。
だからあいつは、オレなんかよりずっとショックが大きいはずだ。
多分、これから先ずっとに関わらないと思う。
ヒーローを盾に自分を守ったオレでさえ、を見るのは辛い。
ダッセーな、オレ。ヒーロー失格だぜ。

「(それにしても帰ったらまーた何か言われそうだぜ……。パル以外にも。
 面倒だけど、フラれたって言ってた方がしつこくなくて良いかもな)」

言葉にしたら急にズシンときた。
オレはフラれちまったんだって。
の一番にはなれなかったんだな────。











「おかえり」

サイバーに言う事は言った。
最後は────。

「黒ちゃん」

あの人を断ち切らないといけない。

「あの……」

言えば戻れない。絶対に。

「あのね!黒ちゃん!私!!」

さようなら。今の私に初めて恋を教えてくれた人。
大嫌いだけど、大好きでした。

「黒ちゃんのこと、私!」
「やめてくれ!」

黒ちゃんは、声を荒げた。

「……何も言うな」

疲れた様子で溜息をつく。

「考えさせて欲しい」

状況が全く理解できぬまま、黒ちゃんは何処かへ消えていった。
その日も就寝時にも帰ってこず、次の日の朝に影ちゃんだけがいる状態であった。
ここまで避けられるのも嫌であったが、それ以上に私の言葉をあの様に遮って拒否した事が重く伸し掛かっていた。

こんな時、ふっと思い出すのが腹立たしいあの人の事だった。
忘れるはずの気持ちは昂るばかりで、いない時にも私を振り回すのは、今回だけは遠慮して欲しかった。





(14/06/11)