第7話-神の影響-

「す、すみません」

私はぶつかってしまった相手に頭を下げた。
相手はこちらを一瞥することもなく素通りする。
少しずつ離れていく人影を見ていると、溜息がこぼれた。

今日の一限目が移動教室と言うものであると知ったのは、教室にいた生徒の話が偶然耳に入ったからだ。
その言葉から察するに普段の教室での勉強ではないのであろう。
私は教室を出る生徒を足早に追いかけた。
だが、登校時間というのが災いしたか、目的の人間は流れてくる人間にまぎれてしまう。
対象の人物を元々覚えていなかった私は行き詰ってしまった。

途方にくれた私は、学校の隅々を歩き回ることにした。
校内といえど、一年や二年等の教室を抜けば、そこそこ数は絞れるだろう。
それならば、すぐに目的の教室まで行ける。

その考えは二十分程経過して、ようやく間違いであることに気付いた。
まず特別教室の位置を殆ど把握していないことが第一の敗因。
第二に同じクラスの人の顔をおぼえていないことも問題であった。
大人しく教室に帰って、誰かに着いていけばと後悔もしたが、仕方が無い。
私はまず近くにいる生徒に話しかけ、自分のクラスの移動教室がどの教室であるかを尋ねようとした。

だが、無視される。
きっと急いでいるのだとその場は収め、次の人に尋ねる。
するとまた無視される。
次、次と根気よく話しかけたが、殆どが無視し、逃げていった。
人によっては、悲鳴を上げる者も。

私は人の少なくなった廊下の真ん中で、立ち尽くした。
ここに来たばかりだから物珍しいのだろうか。
だからといって、悲鳴や無視は酷いのではないかと悲しくなる。

私はじわじわと熱くなる目頭を必死に押さえた。
泣いて事態が好転するわけではない。
ただ惨めで滑稽なだけだ。
とにかく、動こう。教室の方へ一度戻ろう。それからまた考えよう。
私は息を数回吸って吐いて頭を切り替えた。

、さん?」

突然聞こえた私の名に、思わず振り返った。

「良かった。間違えてなくて。教室分からなかったでしょう?」

──サユリ。
私の右隣の席の女の子。

「あ、…」

咄嗟のことで、私は言葉が喉から出なくなった。
出てこない言葉に焦っていると、サユリが微笑んで言った。

「教室はあっちだよ。一緒に行こうか」

一瞬、その意味が分からなかった。
先ほどから受け続けた対応のせいだろうか、本当かどうか信じられなかった。
私の困惑を知らず、サユリは私の少し前で待ってくれている。
私は意を決して足を一歩踏み出し、その申し出を素直に受けた。
歩きながら、サユリが私に話しかけた。

「初めてだもんね。でも、よく移動教室だってわかったね」
「教室で、誰かが言ってたから…」
「そっか。でも授業が始まる前に見つけられて良かった」

落ち着かない。
それはこの子が女の子であることもそうだし、優しくしてくれることもそうだ。
これが黒ちゃんなら素直になれるのに、私は学校の生徒というだけで警戒してしまっている。

さん」
「は、はい!」

素っ頓狂な声を出したせいで、サユリを驚かせてしまった。

「ごめんね」
「あ、いえ…ごめんなさい」

申し訳ないと思った。
いくら警戒したって多分この人はいい人なのだ。
でなければ、廊下に一人立つ私に話しかけないし、移動教室まで案内しようと思わない。
なのに私は、そんな彼女にまともな対応が出来ずにいる。

「あのね、分からないことがあったら遠慮せず聞いてくれていいんだよ」

私は何故か遠慮や恐れといったものをすっぽりと忘れ、サユリ尋ねた。

「私は、何処を変えれば変じゃなくなる?」

すると、きょとんとした顔をされた。
私は自分の発言を後悔したが、その顔はゆっくりと、笑む形へと変わった。

「全然変じゃないよ」

サユリはそう言った。とても嬉しかった。
なのに、私はその言葉が全て本当であるとは信じられなかった。

「でも、さっきから人に無視されたり逃げられてばかりだよ。
 そんなのおかしいよ」

私が受けた仕打ちを言わずにはいられなかった。
これを聞けば、本当のことを言ってくれるだろう。
言われれば苦しい気持ちになるあろうことは分かっていても、正直に教えて欲しかった。
すると、サユリは小さく悩んだそぶりを見せて言った。

「状況が分からないから、はっきりとは言えない。
 でもね、きっとみんな驚いてるだけだと思うの。
 なかなかさんみたいな人って、その、珍しいから…」
「それは、MZDにも言われた。他の人とは全然違うって」
「暫くすれば、さんがここにいることが当たり前になるよ。
 だから、気にしなくて大丈夫だよ。変ってわけじゃないから」

一気に心を覆っていた霧が晴れた。
もはや疑う余地はない。
彼女は、今日私から逃げた人とは違う。

「優しいんだね」
「そんなことないよ」
「ううん。ありがとう。ちょっと元気でた」

こういう人がいて良かった。
学校への居辛さはまだ払拭されていないけれど、少しだけ救われる。
緊張するし、不安だし、怖いけれど、サユリに一抹の安心感を覚えた。

私はそのまま慣れない会話を試みた。
手探り状態の時は苦しかったが、MZDの話題を振ると話が上手く続いた。
やはりパーティ参加者には、MZDの話はすんなりといく。
一つでも話が続く話題があることは、私をとてつもなく安心させた。
このまま教室に辿りつくまで、なんとかなりそうだ。

「あなたが、さん?」

見れば、男の子が私に話しかけたきた。
記憶を辿っても何も引っかからないが、クラスの人だろうか。

「そうですけど…」
「MZDと住んでいるって本当?」
「いえ、その弟の黒神という神様と住んでます」

唐突になんだろう。
その意図がわからずまた警戒してしまう。

「凄いね」
「…凄い?」

私は思わず、訝しげに首を傾げた。
男子生徒は私の疑問を笑顔で答える。

「だって、君に何かあったら、その神様がどうにかしてくれるんだろ」
「まぁ…そうですけど」

確かに私に何かあれば、黒ちゃんがいつだって助けてくれるだろう。
でも、この人の言い方はどこか含みがある。
私はその理由を探すように、相手の姿を上から下まで見回した。
すると、相手は申し訳なさそうに謝った。

「ごめんね。神様と住んでるっていうから気になっただけなんだ」
「そうだったんですか」
「ありがとう。ごめんね。それじゃ。またね」

男性とはまたね、という言葉を用いて立ち去った。
姿が遠のいた後、サユリに尋ねた。

「あの人って、同じクラスの人?」
「ううん。違う。誰だろう」

サユリもわからない相手という事は同じクラスでも、また以前同じクラスになったこともないということだ。
違うクラスの人まで私のことを知っているなんて。
不思議だ。知らないところで私の存在が巡っている。

「神様と住んでいるって、そんなに気になるもの?」
「そうだね。パーティ出席者はMZDと直接話したことがあるけど、それ以外の人にとってはMZDってやっぱり遠い人だから」
「そっかー…」

あれほど普通に家を構えているというのに、そんなに物珍しいのか。
近くで笑ってくれるMZDしか知らない私は、あまりその気持ちが理解できなかった。











とある廊下にて。

「アイツだろ。MZDの弟と住んでるってのは」
「マジ怖すぎ。もし怪我させたらどうなるんだよ」
「そりゃまぁ…。罰、とか…?」
「はぁ…こんなとこで人生棒に振りたくねぇよ」
「触らぬ神に祟りなしって、このことだよな」





職員室にて。

「MZDの思いつきにはほとほと呆れます」
「まぁまぁ」
「全く学がないのでしょう?ならばもっと下の学年に入れるべきです」
「まぁ、神なりに何か考えがあるんでしょうし」
「だから!そういう特別扱いがよくないのです。教えるのは私たちですよ」
「そうですよね」
「右寺先生だって、クラスのこともあって大変でしょう?」
「いえ、私は大丈夫です。他の先生方に御迷惑はかけません」
「ですが、二年担当ということは、進路のことを詰める時期ですよ。もし、疎かになったら」
「疎かになんてなりません。私は生徒と保護者双方とよく話合って行います。
 のことも必ず他の生徒と同じレベルまで引き上げます」











「終わったー」
さん一緒に食べよ」
「うん」

サユリと私は机をお互い近づけた。
お昼を一緒に食べる約束をしたのは、授業間の休み時間。
昨日は一人で隠れて食べたけど、今日は堂々と食べられる。

「よっ、

私の名を呼んだのは、サイバーだった。
昨日、何だかんだで一度も話していない。
気まずいと感じる。
あの時は簡単に接することが出来たのに、今はそのやり方を忘れてしまった。

「久しぶり、です」
「なんだよ。敬語なんていらねぇよ」
「ごめん」

怒らせてしまったのかと気分が沈む。
相手の気持ちが全く見えなくて、私は次の対応に困る。

「でも驚いたぜ。…まさか、同い年とはな」
「年下に見えた?」
「ああ。だって、全然胸ねぇし」

…………え?

「サイバー!失礼でしょ!」
「あ。悪ぃ。つい…」
さん気にしなくていいから。サイバー最低だよ」
「…胸って大きくなるものなの?」
「そりゃぁもう」

知らなかった。
確かによく見れば、周りの女の子は個人差はあれども大なり小なり膨らみがある。
年齢相応に見えないとMZDは言ってたけど、まさか、そういうことだったの…。

「いい加減にして。さんも気にしなくていいから。食べよ」

正直気になる。
私は大きくなるのだろうか。
それとも大海原のような胸のままなのか。

「あ、俺も一緒に食っていい?」

意外な申し出に驚いたが、私は即答した。

「いいよ」
「じゃ、弁当持ってくる」

サイバーは自分の席に戻っていく。

「…断っても良かったんだよ」

心配そうなサユリとは裏腹に、私は少し嬉しかった。
だって、いつの間にか私は普通にサイバーと接することが出来ていた。
以前と同様、苦しくない気持ちで、言葉を交わすことが出来る。

「サイバーには前に会ってるから大丈夫だよ」
「え、でも、外には殆ど出たこと無いって」
「偶々ね。本当に偶然だったの」

今考えれば本当に偶然だ。
まさか、サイバーが起因となって私が学校に来ることになったなんて、思いもよらないだろう。

戻ってきたサイバーは空いた席を適当に引っつかみ、それに座った。
そろそろいいかと思い、私はお弁当の蓋を開けた。



「お、すげー弁当。誰が作んの?」
「黒神さんの影。料理上手なの」
さんは料理する?」
「うん。影ちゃんに教えてもらってるから、多分大抵のものが作れるよ」
「凄いね」
「じゃあ、オレにも何か作ってよ。手作り弁当」

私は料理はしても、お弁当は作ったことが無い。

それに宿題も結構あるから、私はあまり時間が取れない。
でも折角私に頼んできてくれているんだ。

「いいよ。でも一回だけね。まだ今の生活に慣れてなくて」
「お、マジでサンキュー。やったぜ、手作り弁当!」

サイバーは子供のようにはしゃいでいる。
喜んでもらえて本当に良かった。
明日もっと喜んでもらえるように、頑張らないと。

「そうそう、ギャンブラー見た?」
「うん。今週の戦いは───」

お昼休みはというのは、光の速さで過ぎていく。
楽しい時間はすぐに終わりを告げるのだ。






授業が全て終わり、放課後。
サユリは委員会の仕事らしく何処かへ。
私の席には、サイバーが来た。

はどう帰んの?異次元の行き方ってスンゲー気になるんだけど」
「迎えに来てもらうよ。黒ちゃんに直接家に転移させてもらうの」
「それってワープ?スッゲー!アニメみてぇじゃん!!」

無邪気に喜ばれると、素直に嬉しい。
私を変だと冷たい目線を投げないことが、私に多くの安心感を与える。
こうやって、受け入れる人ばかりだったらいいのに。

「私DTO先生に会いに行かなきゃいけないんだ」
「ふーん、そうなのか。じゃまた明日」
「またね」

またね───。
私はにやける顔を抑えられなかった。
二度目がある。次も私の相手をしてくれる。
浮ついた気持ちのまま、DTO先生の待つ英語科教室へ向かった。

「先生」

教室にはデスクワークに勤しむDTO先生がいた。
私に気づいた先生は、ペンを置きこちらに向いた。

「おお。どこまで宿題出来た?」
「全部出来ました」

私はかばんに詰め込んだ問題集を引っ張り出す。

「…全部?」
「はい。あの、駄目でした?」

問題集の束を手渡すと、先生はパラパラとページを捲る。

「しっかり取り組めてるな。俺は正直、半分も出来ないと踏んでいた」
「分からないところもあったんですけど、その都度黒ちゃんが教えてくれたので大丈夫でした」
「なるほどな。じゃあ、もう一度問題集を渡す。今度は誰にも聞かないでやってみてくれ。
 分からないところは空白でな」
「はい」

新たな問題集を受け取り、鞄に仕舞う。
すると、先生が話しかけてきた。

「どうだ、今日は。サユリとサイバーと飯食ってたみたいだったが」
「見てたんですか?」
「ああ。楽しそうだったじゃねぇか」
「…はい」

楽しかった。
一緒にご飯を食べて、お話をすることが。
勿論まだ完全に慣れているわけじゃない。
だけど、私の心は確実に二人に惹かれていた。
安心しても、信用してもいいのではないかと思っている。
きっと何回か交流を重ねれば、完全に信用できるはずだ。

「良かったな」
「はい」

今言いはしないが、先生のことも少しずつ信頼感が生まれていた。
大人だし、先生だけど、でもなんだか好きだなって、思えた。







「よっ、俺も入ってもOK?」

次の日の昼も、私はサユリとサイバーと机を囲んだ。
そんな矢先のこと。

「えっと…」
「リュータ。まだ覚えられてないっか」
「ご、ごめんなさい」
「気にすんな。こっちは後輩のハヤト」
「初めまして」
「は、初めましてです」
「ハヤトは中等部なんだ」

と、机の周りにどんどん人が増えた。
自分を合わせ、五人もの人がそれぞれ弁当や購買で購入したパンを机の上に出していく。
机から落ちてしまうのではないかと懸念する程の量だ。

「あ、本当に作ってくれたのか!」
「うん。お弁当って普通のご飯と違って難しいね。ちょっと自信ないの」

お弁当は夜に仕込んで、朝一気に詰めた。
決められた空間に、彩りよくバランスよく詰めるという作業は案外難しい。
それに高さ。
物によっては蓋が閉められなくなるため、作った物の中からさらに選定し、場合によっては物が足りなくなった。
そういう時は、また別のものを押し込んで誤魔化した。
後、影ちゃんからのアドバイスより、しっかり詰めていかないと弁当が寄ってしまうということから、私は隙間なくしっかりと詰めた。
パズルをしているかのような気持ちで行い、弁当はなんとか完成した。

余談だが、何故か黒ちゃんが次は自分のをと、リクエストした。
ずっと室内にいるのに、何故弁当を所望したのか不思議である。

「いや、全然上手いじゃん。な」

サイバーは横にいる中等部のハヤト君に同意を求めた。

「そうですね。これだけ出来るなら十分ですよ」
「良かった。ありがとう。あと、サユリにこれ」

私は可愛い袋で包装したパウンドケーキを渡した。

「私に?」
「うん。昨日はありがとう。私に話しかけてくれて」
「そこまでじゃないよ。当たり前のことだから」
「でも、サユリだけだったから。だからあげる」
「…ありがとう。なんかごめんね。気を使わせたみたいで」
「ううん。感謝してるから当然だよ」

これも弁当と同じく昨日製作した。
パウンドケーキは時間を置くと生地がしっとりとする。
これなら時間が経っても大丈夫だろうと思って選んだ次第だ。

、オレには?」
「お弁当作ったじゃん」
「いいなー、俺も昨日話かければよかったぜ」

はむっと、リュータが焼きソバパンに噛り付いた。
昼食の時間の始まりだ。





「そういやさ、普段どんな生活してたの?」

やはり、私は質問攻めであった。とは言え、不快な気持ちは無い。
サユリやサイバーもそうだったが、ただ感心したり不思議そうにするだけであったから。
侮蔑のような、軽蔑のような、拒絶のような、そんな目で見ないことは私としてはとても有難い。

「普通だよ。朝起きて家事の手伝いをして、昼はお菓子つくって、夜は寝てる生活」
「外出たことないって言ってたけど、それを毎日?」
「うん。あ、でも最近はMZDの家にもいたから、そこでパーティ参加者と話したり。
 あと、ジャックが遊びに来てくれるから」
「ジャック…?あぁ、アイツか。ガスマスクの」

人が多いところにはいけないとジャックは言っていた。
だから黒ちゃん同様、あまり人に知られていないのかと思っていたがそうでもないらしい。
やっぱりパーティに行ったことがあるということは、参加者中に知られることなんだろうか。
どの人も私の言う「ジャック」という人間に対して疑問符を浮かべている者がいない。

「アイツと仲良いんだ?」
「うん。友達」
「接点全然なさそうなのに。なんで?」
「随分前に、黒ちゃんがジャックを一ヶ月預かってて、それで」
「へぇ。そんなんあんのか」

リュータは小さく頷きながら、パンを咀嚼する。
一方サイバーは一心不乱にお弁当をかきこんでいる。
余程お腹が空いていたらしい。

「あのさっきから疑問なんですけど、外に行ったことがないって?」

ハヤト君が話しかけてくる。
この人は私より年下らしい。
そういえば、私より年下の人とも私は話したことが無い。
この人からは大人しそうな印象を受ける。
話し方が丁寧な感じがするし、関わりやすそうだ。

「そう。学校も初めてなの」
「え。学校に行ったことがないのに、高等部からですか」
「う、うん。とは言っても、私授業のこと全然わかってないけど。
 DTO先生と小学生レベルから始めてるし…」
「マジ?」

驚かれて思わず、しどろもどろになる。
言わなくても良かったのかも。

「なら、中等部の方が良かったんじゃね。辛くないか」
「先生の方も私の事情は知ってるし、まぁ、なんとか。
 それに敢て高等部にしたのは何か理由があるみたいだから、私は二人の判断に従うよ」
「貴女はそれでいいんですか?」
「いいよ。私のことを考えてのことだから。私は全て委ねるよ」

二人が間違っているはずがない。
私を考えての判断なのだから、問題は無い。


──貴女はそれでいいんですか


そう、私はそれでいいんだ。

「そういやさ、黒神っていう神、って、どんな感じなの?俺全然知らねぇんだけど」
「MZDとよく似ているけど、眼鏡で黒髪なの」
「ギャグ?」
「こら」

サユリは横から茶々を入れるサイバーをぴしゃりと諌めた。

「優しい人だよ。私のことを一番に考えてくれる。ちょっと心配性だけど、それだけ大切にしてくれてるなって実感 する」
「なんかさ、親みたいなもんなの?」
「うーん。親なんていたことないから、よくわかんないな。家族ってこんなものかなとは思うんだけど」

少し雰囲気が冷たく変わった気がした。
また、何か、失敗したのか。
一人ぐるぐると考えていると、リュータが控えめな様子で尋ねた。

「デリケートな話題だから、先にはっきりさせてくれ。
 あんまり親のこととか、それに関連するものって聞かないほうがいいか?」
「全然気にしないよ。だって、私には黒ちゃんと影ちゃん、MZDがいるもの。
 みんな私のこと大切にしてくれるから、親が欲しいとも、羨ましいとも思わないよ」

「そっか…良かった」

「あまり気にしなくていいよ」



リュータと同様、私も胸を撫で下ろした。
単純に気を使ってくれていただけだったんだ。

「でも不思議だよな。なんで一緒に住むことになれるんだ?」
「…なんでだろうね。覚えてないんだ。気がついたら一緒だったから」
「なんだそりゃ。小さい時からってことか?」
「そう、なのかな。そうじゃないかも…ごめん。よくわからないや」
「ふうん。そういうもんか」

ジャックの時と同様に私は何もわからない、覚えていない。
はぐらかされるかもしれないけれど、一度聞いてみようか。

「それよりさ、ギャンブラーの、」
「お前は毎度それだな!」
「ようやく話せる同志が見つかったんだぞ!分かるかこのオレの気持ちが!!」
「あ、僕、面倒なことになりそうなので教室戻ります」
「ハヤト!止めろよ」
「いえ、サイバー先輩の話長いんで」
「見捨てるな!」

がやがやと騒ぐ中、私はサユリを見た。
私の視線に気づいたサユリがにこりと笑う。
私も思わず笑みがこぼれた。












「ねぇ、黒ちゃん。私と一緒に住むようになったのっていつ?」
「どうした突然」

夕食も終え、ソファー前のテーブルで私は宿題をしていた。
黒ちゃんに話しかけたのは、計算が分からなくなったから。それで。

「今日聞かれたの。でも覚えてないから答えられなくて…。
 …その……ごめんね」

出会いを覚えていないなんて、嫌な気分にさせてしまう。
そう思って、黒ちゃんをまっすぐ見られなかった。

「いいんだ。人間の記憶だ。忘れる事だってあるさ」

盗み見た表情は、いつもと違わぬようだった。
落ち込みも怒りも無さそうだ。

「…私、黒ちゃんだけじゃなくて、MZDともジャックとも会った瞬間のこと覚えてないの。
 ねぇ、それって変だよね。全員私にとって大事な人なのに、忘れるなんておかしいよね?」

黒ちゃんは何も言わない。
ただ、デスク前の紙類を弄っている。

「何か理由があるんだよね?それとも私が薄情なだけなの?」

ことり。
ペンを置いた黒ちゃんは、私の隣に座った。

「そこまで言うなら教えてやる」

珍しく、今回ははぐらかされないようだった。
理由を懇願した身とは言え、拍子抜けする。

は……頭を打ったんだ」
「……へ?」

  あたま  を  うった 

「それで、記憶が少し飛んでいるんだ」
「そんなアニメみたいなことが私に起きてるの!?」

ギャンブラー第26話でも、同様のことがあった。
頭を打った主人公は、自分の役目を忘れ、正義の心を忘れるのだ。
最後に、塗りたてのペンキが付いたベンチに座り、立ち上がった瞬間背もたれに当たってこけることで、記憶を取り 戻す。

私も…まさか、そんなことが。

「ああ。驚くのも無理は無い」
「うん。…びっくりしすぎて、よく分からないよ」

混乱する私の頭を、黒ちゃんはぽんと撫でた。

「だが、生活に不自由は無いだろう。記憶は断片しか消えてないのだから」
「うん…黒ちゃんのことわかるもんね」
「だから、俺もMZDも特に言わなかった。戻る可能性は十分有るからな。
 それに下手を打ってにもしものことがあることは避けたい」

あ、だから私に何も言わなかったんだ。
でも、何で今教えてくれたんだろう。

「黒ちゃんが心配性なのは、私が頭を打ったから?」
「…そうだな。今度は全部の記憶が無くなる。なんてこと嫌だからな」

そう言って、黒ちゃんは私の頬を撫でた。
優しい。
優しすぎてくすぐったい。
そんな指使い。


「うん。…んっ」

指が頬から下。
首筋へと滑る。

「っ。だめ、くすぐったい」
「そうか」

ぷちんっ。
ワイシャツの一番上のボタンが外される。
指が鎖骨を撫でる。

「お、お風呂ならもうちょっと後がいいの」
「…まだ勉強中だったな」
「もうちょっとで最後だから。そしたら入ろ」
「わかった。待ってる」

そう言うと、黒ちゃんはまたデスクの方へと戻った。
私も同じく、机に向かう。

リビングで脱がそうとするなんて、気が早いよ。
と、私は少し驚いた。
そんなにお風呂に入りたいなら、勉強は中断して入った方がいいかもしれない。

「お風呂洗ってくるね」
「あ、いや、切りが良いところまででいいぞ」
「大丈夫。待っててね」

私は立ち上がり、お風呂場の方へ行く。
猫足バスタブをスポンジで擦りあげる。
泡は綺麗に流す。
バスタブは指先でなぞると、きゅっきゅっという音がする。

満足した私は、そのまま黒ちゃんを呼びにリビングへ向かう。
黒ちゃんの声が、扉越しに聞こえた。

「…なんで、一番消えて欲しくないものを、無の世界に落としちまったんだよ」











学校生活三日目。放課後。

未だに分からないところは多いけれど、サユリがカバーしてくれて、なんとかやり切れている。
本当にサユリには頭が上がらない。
また今度お菓子でも作って感謝の意を示そう。
その時はサユリだけじゃなく、他の人の分も作ろう。
喜んでもらえるといいな。

こうしてみると、三日目にしてようやく私も学校に馴染めた気がする。
もちろん、普段話す人以外との交流は無い。
よく避けられるし、物を拾って渡した際には自分のではないと言い張られた時もあった。
誰かと目を合わせることすら、滅多に無い。
だが私はもう諦めていたし、私と関わってくれる人が数人でも居てくれるだけ心は軽かった。
四日目に当たる明日も、もっと頑張っていこう。

意気込みはそれくらいにして、今は恒例である英語科教室に向かおう。
出来た宿題をDTO先生に見せて、びっくりさせよう。
そして、早くみんなに追いつきたい。
同じラインに立ちたい。

さん」
「はい」

この人は。確か。

「ちょっと付いて来て欲しいところがあるんだけどいいかな?」
「なんでですか?」

そう確か、昨日の朝話しかけてきた男子生徒だ。
反射的に身構えてしまう。

「ああ、ごめんね。DTOから頼まれたんだ」
「今すぐですか?」

英語科教室で会うって約束を既にしているのに。
それとも今日は場所を変更するのだろうか。

「今すぐだって。授業に関しての話みたい」
「分かりました。では、教室名を教えてくれませんか」

咄嗟に思いついて言った。
これなら、私一人で行ける。
何故だか、この人とは並んで歩きたくない。

「場所わかるの?」
「誰かに聞きます」
「誰が君の相手をしてくれるの?」

痛いところを突かれた。
私は目を逸らす。
こんなことを平気で言う人なんて、あまり関わりたくない。

「場所くらい案内するよ。俺は無視も嘘もつかないよ」

柔らかい笑みを浮かべて、そう言った。
ひょっとすると、この人は口が悪いけどいい人なのだろうか。
私は多くの人に嫌な事をされたせいで、疑心暗鬼に陥ってるだけなのかもしれない。
なんとなく嫌な感じがして警戒しているが、それは気にしすぎなのか。

「早く。DTOが待ってる」

急かされると、焦ってしまう。
確かに忙しいDTO先生を待たせるわけにはいかない。
私が頑なになってもいいことなんてない。

「わかりました。場所、案内して下さい」





(12/03/05)