任務から帰還し城へ足を踏み入れると切り裂かれたエプロンドレスが床に散っていた。
それを見たジャックは眉根を寄せる。
城内の何処かにいるであろう、上司に向かって叫んだ。
「上司!を危険な目に合わせるのはやめろ!!」
石造りの城に反響する声。音が止み、静まり返った頃、闇に包まれた廊下にヴィルヘルムが現れた。
ジャックよりも背の高いヴィルヘルムは冷たく見下ろした。
「あれは娘が望んでいること。貴様にどうこう言われる筋合いは無い」
「は危険を望んではいない。お前がそう仕向けているだけだ」
普段は大人しい部下が必死に噛み付いてくる様子が滑稽であるとヴィルヘルムは鼻で笑う。
「哀れな奴め。貴様がどれほど思ったところであの娘は貴様の思うままにはならんというのに」
「意味が判らない」
「そのうち嫌でも判る時が訪れる」
含み笑いをしたヴィルヘルムに、ジャックは不快感を示した。
「俺のことはどうでもいい。今問題視しているのは上司のことだ。
普段もそうだ。に気安く触れて……そのせいで黒神は不機嫌になり、結果が嫌な気持ちになる」
「ほう……」
ヴィルヘルムは気づいた。
ジャックは、とヴィルヘルムが触れ合う真の意味を理解していないと。
あれがただの接触行動ではなく、魔力の供給であり、も同意していることを。
「貴様に一つ、良いことを教えてやる」
◇
「!」
黒神の家の扉が荒々しく開けられた。
来客が殆どないこの家では玄関が開くことに慣れていないため、ソファーに座っていた制服姿のと黒神は肩を震わせた。
「お前、開けるならもっと静かにしろ。を驚かせるな」
注意する黒神に目もくれず、ジャックはの目の前にずかずかと歩いて行った。
は何事かとジャックを見上げると、ジャックはを見据えて言った。
「結婚してくれ」
その言葉が冗談の類ではないことは誰が見ても明白だった。
「…………え?」
言葉の意味を理解するには少々の時間を要した。
それでもはこのような事態が飲み込めない。
「ジャック」
黒神はを庇うようにジャック目の前に立った。
の目の前であるということを踏まえて殺意は押し込んでいるが、空気が震えている。
「……それは、意味を判って言っているのか」
「判っている。俺には責任を取る必要がある」
一触即発。どちらも引く様子はない。
黒神という圧倒的支配者を目の前にしても、ジャックは一切恐れてはいなかった。
いつ殺しあってもおかしくはない雰囲気。
「……やだ。二人共落ち着いて」
ガソリンが入った容器の中でキャンドルを浮かべているような危険な状況。
は慎重に二人を落ち着くことを促すが、二人は耳を貸さない。
困ったは、まだ意見を聞き入れてくれるであろうジャックの方に言った。
「突然どうしたの?私、全然判らないよ……」
「は知っているはずだ」
その言葉を聞いた黒神の矛先がへと向かった。
「……」
言葉には出さないが、説明を要求していることが雰囲気で伝わる。
「し、知らない。私全然知らないよ!ほんとだよ!ジャック!何をもってそう思ったの!?」
身に覚えのないことで自分を巻き込まないで欲しいと、は必死にジャックに説明を求めた。
黒神からの視線がぐさりぐさりと突き刺さる中、ジャックの言葉を待つ。
ジャックはが求めるのであればと、口を開いた。
「手を繋げば子供が出来るのだろう」
と、ジャックは大真面目に言った。
「……は?」
臨戦態勢であった黒神の肩の力ががくっと抜けた。
「子を成すということは、夫婦というものにならないといけないのだろう?
結婚という儀式を行うことで夫婦というチームが組むことが許され、そのままコウノトリを仕留めにいくと」
「……馬鹿には付き合いきれねぇ」
脱力した黒神はデスク前の椅子に座り、側頭部をデスクにつけた。
座ることすら煩わしく感じるほど、疲れている。
「そ、そうだったんだ……。子供がいっぱい出来ちゃうの?」
「、これは間違いだ。本気にする必要はない」
「間違い?何がだ」
「全部だ!!!」
疲労の中全力で突っ込んだ黒神は、後に引けなくなり二人に手をつないでも子供が出来ないことを説明した。
「くそっ!上司め!!」
ジャックは悔しそうに歯を鳴らした。
「あの馬鹿魔族に良いように扱われてどうすんだよ。ま、そんなことだろうとは思ったさ」
そう言うが、先程は一切の余裕がなく人間に本気になっていた黒神である。
「、結婚とはなんなんだ」
「好きあってる男女が、これからもずっと一緒だよって約束することだよ。確か」
「ならば、と俺は結婚とやらが出来るのではないのか」
「あ、そうだね!じゃあ、結婚しよう」
「違ぇよ!!!」
一般常識のない二人の発言に突っ込んだ。
ぜーぜーと荒い呼吸をさせながら、大人である黒神は二人に教えた。
「まず、結婚は一対のみ。重婚文化がある場合は、複数の相手と結婚できるが、お前達は駄目だ。
その好きっていうのも!色々!本当に色々!!あるんだよ!!!!」
「黒神少し煩い」
「テメェがボケた真似してっからだろうが!!」
黒神の焦りを全く理解していないジャックに対してまた大きな声をあげた。
またぜーぜーと荒い呼吸をする黒神を見たは、今日は元気だなと見当違いのことを思っている。
「二人は結婚なんて考えなくて良いんだ。色々と面倒だからな」
本当に面倒なこととは、二人が余計な知識をつけることである。
二人が無知でいればいるほど、黒神の思い通りに操れるのだから。
「ふうん、そうなのか。それより腹減った」
「ハイ。準備しますから少々お待ち下さいネ」
「今日はジャックとご飯だ!やった!」
「俺も。と一緒は嬉しい」
嬉しそうに笑う二人を見て、黒神は呆れた。
「ったく……お前って本当……飯と以外ねぇのかよ」
「暗殺も」
そのまま二人がじゃれ合っていると、すぐに食事の用意が出来た。
食卓に椅子を一つ追加し、ジャックはそこへ座る。
と黒神が食べる量を足した量以上の食事をジャックはもりもりと摂取していく。
懸命に掻きこむジャックの横で、と黒神は目で会話しながら静かに食事する。
食べ終えて一息ついたところで、はふと漏らした。
「子供が出来るってどういうことなんだろう……」
「足手まといが増える」
「なんで戦場前提なの……」
ジャックの素早い返しには少し呆れた。
「そうだな……例えばこの空間なら子供が一人二人増えようと問題はないな。影、おかわり」
「ハイ。すぐにお持ちしますネ」
食器を持ってキッチンへ影が引っ込んだタイミングで、黒神は恐る恐るに尋ねた。
「……子供、欲しいか?そ、そもそも、子供、好き?」
「小さい子好きだよ。一緒に遊べるもん」
「そっか……(子供は子供を産むなんて発想なんてないよな)」
将来のことを想像しての発言であったが、まだには早かったようだ。
黒神の意図には気づいていない。
「そういえば、子供ってどうやって出来るんだ?」
影から食器を受け取ったジャックが疑問を口にした。
どきっとする、黒神と影。
「私も知らない。ねぇ、黒ちゃん教えて」
更にどきっとした黒神は引きつった顔で、影を見る。
影は困ったように黒神から目をそらすが、目で縋り付いてくるマスターの為に頭を捻った。
「え、エットですね、愛し合う男女がデスね……」
「あれだ。あれ。仲良くするというか……」
「そう、仲睦まじくて……デス」
その後────。
「……で、気付いたら、産まれてんだよ」
大事な部分を一気に駆け抜けた説明に影は無い目を見開いた。
意識下で二人は会話をする。
「(マスター、それは無理やりスギでは……)」
「(これ以上説明出来ねぇだろ!)」
「(で、デスが、これでは、サンとジャックサンの間柄でも出来ると勘違いさせてしまいマスよ)」
「(なんでそこで俺じゃねぇんだよ!俺の方がジャックより断然とベタベタしてんだろ!)」
「(そう言われましても私も困りマス!サンにお聞き下さいマセ!)」
傍から見れば見つめ合ってるだけにしか見えない黒神たち。
そんな中、白米をごくりと飲み込んだジャックは言った。
「仲良くしてたら産まれるなら、は何人の子供を産むことになるんだろうな」
前髪に隠れて青筋が立ったことを、影は瞬時に察した。
「あ、アノ、ジャックサン……ちょっと、それ以上は」
「黒神、MZD、俺だろ。あと学校ってとこの男が何人か。あとKK、他にもいるか?」
「……あ、私ちょっと部屋に用が」
都合が悪くなりそうだったので早々に逃げた。
リビングからがいなくなったことで、黒神は自身の感情のストッパーを壊した。
「……ジャック、との交友関係は他に何を把握している」
「数えていいのか判らないが、上司。あと偶に城にいる幽霊とか」
「幽霊!?」
「よくてぃーたいむとやらをしている」
黒神の頭の中で、男の幽霊がを誘惑し薬を盛っていいように扱う映像が流れた。
そっと部屋から出てきたに早速噛追求する。
「。幽霊と交流しているとは、どういうことだ」
「え。幽霊って……ああ。人形が好きな人で可愛い服のこと詳しいんだよ」
レンズの下から疑いの眼差しがへ容赦なく降り注ぐ。
機嫌が悪いことが伝わったは、怒らせないようにと言葉を選んだ。
「どこのお店で可愛い服があるとか話せるの。それだけだよ」
「……そんなの俺とでいいじゃないか」
「え?」
「なんでもない」
拗ねてしまった黒神は席をたって、デスクへ向かった。
今はそっとしておこうと、はソファーへ行き、ジャックが食べ終わるのを待った。
二人が席をたった為、ジャックは急いでおかわりした分を平らげ、の隣を陣取った。
黒神はむすりとしたままデスクに肘を付いている。
「お腹いっぱいになった?」
「ああ。暫くは水だけでもいけるだろう」
「……う、うーん。出来れば食べて欲しいな」
感覚のズレには苦笑した。
「、今日はすまない。騒がせてしまった」
「いいよ。ちょっとびっくりしたけど、それだけだもん。悪いのはあの人だから」
の口から、この場にいないある人物のことに触れたことが、ジャックには気に入らなかった。
他の誰かがに関わるのはなんともないが、その人物だけは不快感を覚える。
だからジャックはに言った。
「結婚というものはよく判らない。けど、俺はとずっと一緒にいられたら良いと思う」
常に真剣なジャックが改まって言うので、はすぐに言葉を返せなかった。
「俺はに仕え続ける。俺の主は上司でも、黒神でもない。だから」
ジャックはの小さな手を上から握った。
「……主従関係じゃないよ。対等なの。友達なの」
「そうだ友人だ。がそう決めたのだから」
定められた名称がなんであれ、ジャックは受け入れる。
唯一であり絶対である、主君の言葉なのだから。
「忘れないでくれ。俺は何時だっての味方だから」
そのままに手を回したジャックは、身体を支えたままゆっくりとソファーへ押し倒した。
「この命はとうにのものだ」
疑いようもない、嘘偽りのない言葉。
は傷の痕が残る目の前の頬に手を伸ばした。
「…………ありがとう」
そう言うと、ジャックは頬を緩ませ嬉しそうに笑った。
────と、いう光景を目の前で見させられている黒神は。
「ま、マスター……」
口には出さぬが、二人の世界を形成している子供二体を引き離したくてしょうがなかった。
顔が引き攣っており、黒神の感情が感じ取れる影は恐々としている。
「(別に俺は怒ってなんかねぇし。ジャック相手に嫉妬なんかするわけねぇし。
相手はジャックだぜ?ジャック。と同じく無知なアイツが脅威になるわけねぇし。
流石にアイツには負けねぇから。主従だろ。どうせ、傅き従うまでだろ?所詮その程度。
俺はいつも通りの平常心のままだ。変なこと考えてんじゃねぇよ)」
すみませんと、意思を直接伝えてくる黒神に影は謝罪した。
「(大体なんで俺じゃなくて幽霊なんだよ。幽霊といえば存在は安定しねぇし、いつ無に帰ってもおかしくねぇんだぞ?
元が人間だから力だってねぇ。そんな男のどこがいいんだか。理解に苦しむ)」
「(え、ええ、その通りデス)」
影としてはその幽霊がに危害を加えなければ関わろうとも問題はない。
「(スナイパーだって、おっさんだぞ。おっさん。といくつ違うと思っている。そりゃ俺だってかなり違うが。
外見だけならに合わせてやれる。年上がいいならそれで良い。年下が好みならそうする)」
「(エェ、何も問題はありまセンね)
歳の差だって影は気にしない。
特にKKは職業は危険であるが、世間知らずのを公平な視点で説いてくれるのを知っているため、
の教育のためには必要な大人だと思っている。
「(あの魔族は論外!魔族こそ他人を必要としねぇ種族じゃねぇか。とは無縁の種族だ)」
「(エエ。サンには同種族の方と交流して貰いたいものデス)」
これについては同意見である。
ヴィルヘルムについて一応認めはしたが、積極的にはおすすめしない。
怪我をさせる者はに相応しくなく、その点では力のない人間が適当だと思った。
「(は?別に同種族じゃなくてもいいだろ。種族は関係ない)」
「(……え、エエ。そうデスね。私が間違っておりまシタ。失礼しまシタ)」
失言であった。黒神は神であり、人間とは最も遠い種族である。
これを否定しては、人間に恋をした己の主を全否定することになってしまう。
影は易易と自分の発言を撤回した。
「(は悪くない。全く悪くない。周りが全部悪い。……どいつもこいつもさっさと滅びろ)」
「……」
自分の主ながら面倒だな、と影は密かに思った。
二人が黙ってやり取りをするその間も、ジャックとはべたべたとじゃれ合い、楽しそうにしていた。
fin.
(13/05/24)