まぶたにきす

「……怒られるよ?」
「神如き恐れていて何が魔族か」
「怖がっても誰も馬鹿にしな、ぐえ」

ヴィルヘルムは私の首を鷲掴んだ。
一瞬力を込めたが、すぐに緩めたので本気で怒っているわけではないようだ。
首輪のように指が絡みつく中、私はヴィルヘルムの城からMZDの部屋の廊下へ転移した。
リビングの方が何やら騒がしい。来客がいるのだろう。
神と魔族がゆくりなく大乱闘を始めたとしても、近くにいれば止める事は可能だ。
最悪のケースに至った場合の行動も頭に入れ、私は自宅である異次元への扉に触れた。
と。何度かヴィルヘルムを連れているが、しつこく念を押す。

「いつも言ってるけど、攻撃されても私は責任を取れないよ」
「構わん。貴様はただ扉を開くだけで良い」

開くだけ、ではない。開けた事をその後がっつりと咎められるのだ。
これによる益は全くと言っていいほどない。それなのに協力してしまうのは、どうしてだろう。
あまり気にせず、私はそうっと扉を開いた。目玉を動かして様子を窺う。
デスクには……いない。ソファーの方は、と、
私は即座に扉を閉めると、ヴィルヘルムを巻き込んで城へと転移した。
自城に戻され、ヴィルヘルムは何事かと私を詰った。

「直前で臆したか」
「そうじゃない。ただ、少し面倒な人がいたから」
「無為徒食なアレより、面倒な者などいまい」

それを言うならMZD……、じゃなくて、神に対してその言葉はあんまりである。

「……パーティーには出た事がない人だから、知らないと思うけど、
 黒い布で目隠しをしたリサリシアって人がいるの」
「聞かぬ名だ」

暗殺集団なんて物騒な団体を運営しているヴィルヘルムは、
表には出てこないような情報にもかなり精通している。
それでも、リサリシアについて覚えがないようだ。

「目隠し、って人には呼ばせてるみたい。自分の名前は嫌いみたいだよ。
 それでね、その人、なんて言っていいか判らないけど、変なの」

ヴィルヘルムは拙い私の説明を聞く為だろう、黙ってくれている。

「黒ちゃんは、あの人の事を好きじゃない。
 なのに、家にあがってくるの。あがってこられるの」

黒ちゃんが作った空間は、黒ちゃんが望むもの以外を弾く。
だから、ヴィルヘルムは入れない。私が扉を開けてあげる必要がある。
でも、目隠しの男は違う。
あの人は自分の意志で扉を開け、家に入り込むのだ。
しかも、黒ちゃんは殆どの場合追い出さない。暴力はしっかり振るうが。

「それに……私、負けたし」
「それは、能力が効かなかった、と言う事か。
 それとも、戦略の問題か」
「はっきりとは……」

何度も会っているが、依然として男の能力は未知数で、ヴィルヘルムに伝えたくとも伝えられない。
私の情報が役に立たない事に呆れてか、ヴィルヘルムは息を吐いた。

「次回戦った場合、勝つ可能性は」
「……自信、ないです」

馬鹿にされると思ったが、意外にもヴィルヘルムは簡素に「そうか」と言うだけだった。

「兎に角あの人には近づかないで欲しい。
 絶対何かある。だから何もしないで。興味も持たないで」
「珍しく、擦り寄らぬのだな。概して見境が無い癖に」

確かにそうである。
私は種族に関わらず接触する事が多く、そこを黒ちゃんや影ちゃんには咎められる。
目の前のヴィルヘルムもその一人であるが、それは置いておいて。

「一緒にいて楽しくないの。それになんだか、気味が悪くて」

例えば、人々に恐れられている淀川ジョルカエフ。
彼は人の魂を奪い、人間である私もまた例外ではない。
だが、話は通じるし、交換条件を言えばそれで納得してくれる。
ヴィルヘルムだって、私をさらった過去があり、今でも口と手の暴力は絶えない。
しかしながら、困ったときは助けてくれるし、助言もしてくれる。
二人とも、危険な存在であり、私に危害を加えるものには違いない。
だが、彼らは強硬手段を取らない。私の意思をそこそこは尊重する。
会って即座に殺すなんて、過激な行動には出ない。
だから交流しているのだ。けれど目隠しの彼は。

「奴の狙いは何だ」
「判らない。……なんとなく、黒ちゃんに擦り寄ってる気がする」

同じ神のMZDではなく、黒神にわざわざ近づく者にまともな考えがあるとは思えない。

「黒ちゃんが力尽くで排除しない事も気掛かりなの。
 だからヴィルは絶対に目隠し男には近付かないで。お願い」
「まあいい。今回は貴様の言葉を聞いてやる」
「おや。それってどんな言葉なんです?私にも囁いてはくれませんか」

思わず固まる私にヴィルヘルムも用心深く声の方を見た。

「お邪魔だった?」

こういう所が好かない。目隠し男の登場はいつも不快なくらいタイミングが良い。

「いえ、別に」

これでも追われないように気を使ったのだ。
咄嗟ではあったが、ヴィルヘルムなら撒けるくらいの手回しはしている。
それをこうも簡単に看破されるとは。
やはり、この人は危険だ。

「黒ちゃんへの用事は良いんですか」
「ああ。いなかったんだよねぇ。また行くからいいよ」

二度と来るな。

「ねぇ、そっちの魔族さん」

目隠しはダンスのステップを踏むように軽やかにヴィルヘルムへ近づいた。
庇うように二人の間に入ろうとすると、後ろから髪を引かれ、強制的に排除された。
毛根へのダメージに涙しながらも、私は屈しなかった。

「か、彼は!忙しいので!貴方の相手なんて出来ないです!!」
「黒神の所へ行くことは出来ても?」
「黒ちゃんには時間を割いて会いに行けても、他の人は無理なんです!」
「まるで恋ですね」
「そうですね!」

肯定と同時に後ろ蹴りを頂いた。

「恥を晒すなら最初から口を閉じていろ」
「はあい……」

結構痛かった。大人しくヴィルヘルムの後ろにいよう。
次は気絶させられる。

「あーあ、馬鹿な子は大変だね。痛い思いをするならいっそ死んじゃえば?」

ヴィルヘルムの向こうで、せせら笑う目隠しに苛立つ。

「そのうちには死にますよ。言われなくとも」

目隠しは絡むようにヴィルヘルムに近づいていく。
さっきですら近かったのに、今は身体が触れそうな距離だ。
ヴィルヘルムは他人に近づかれるのを嫌うので、そんな事をすれば慣れてきた私でも燃やされる事だろう。

「お初にお目にかかります。僕の事は目隠しとでも呼んで下さいな」
「……そうか。ならば、そう呼ばせてもらう。
 私の名は、ヴィルヘルム。この城の主である」

何故か、ヴィルヘルムは怒らなかった。避けもしない。
それがとてつもなく気に入らない。

「ヴィルヘルムは魔力を見る限り結構な腕も持ってるみたいだけど……。
 それで、どうして君如きがウロチョロとしてるの?」

目隠しと目が合った。ような、錯覚。

「別に」
「馬鹿でも格の違いくらい判ろうね。君はここにいちゃいけない。
 君にはもっとふさわしい居場所がある。例えば、世界と世界がせめぎ合う汚濁の中とか?」

目を逸らし、口を噤んだ。我慢だ。
私の反応がないと見るや、今度はヴィルヘルムに話しかける。

「ヴィルヘルムも大変でしょ。こーんな身の程知らずの子供に付きまとわれて。
 魔族なんだから気にせず、ぷちゅっ、とやっちゃえば?
 人間なんて魔族に殺されて当たり前でしょ」
「……確かに、私は迷惑している」

当たり前の言葉は、酷く胸に刺さった。

「己の物でもない力を振りかざす癖に、扱いきれず腐らせるだけの出来損ない、
 あの男が目をかけていなければ、とっくに殺している。
 人間の子供なんぞ、私には、」

急な用事を思い出したので、転移でその場を去った。











「へぇ」

リサリシアは嘲り笑った。

「君も、あの"不完全"を庇うんだ?
 ……悪いけど、勘違いだ、なんて言わせないよ。
 僕が来てからずっとあの子の周囲に何か張ってたよね。手出ししたらどうするつもりだった?
 魔族の中では結構なものだと思うけど、僕に刃向かうには力が足りないよ」

よく動く口で笑ってみせるが、ヴィルヘルムは至って落ち着いていた。

「余計な火の粉を浴びるつもりはない。
 あの酔狂者はアレに関わるもの全てを消す気だ。
 ならば遠ざけておくのが得策。身体に傷さえつけなければ、死神は出てこない」
「なにそれ。とってつけたような言い訳は止めなよ。
 君は神の力を利用するために、あの子供が必要なだけじゃないの。
 だから僕みたいな怪しい奴に横から手を出されるのが嫌だった。
 それが本音でしょ」

何も返ってこないので、リサリシアは続ける。

「でも、その点については心配いらないよ。僕にあの子供は必要ないから。
 あの程度の神トレースなんて、脅威にならないからね」

けらけらと声をあげて笑うと、急にトーンダウンし、吐き捨てた。

「僕は不完全を視界に入れるのは嫌いなんだ。
 君があれを利用する邪魔をする気は無いけれど、あれが鬱陶しい真似をしたら消滅させるよ」

今度はぱっと花のような笑顔を見せる。

「だから、利用するなら早くした方が良い。僕の我慢が続くうちに」
「……考慮しよう」
「僕と君の目的は全く方向が違うから、ぶつかることは万に一つもないね。
 それが判って君も安心したよね!良かったね!じゃあね」

ぶんぶんと手を振ってリサリシアは消えた。
残されたヴィルヘルムはただ目を閉じた。











ヴィルヘルムの事を忘れようと、おじさんの家にいたらすっかり遅くなってしまった。
とは言え、門限内なので、問題はあるまい。
そろそろ黒ちゃんも帰ってきているだろう。

「ただいま!」
「随分遅かったな」

確かに、デスクに黒ちゃんはいた。
私の明るい声が場違いなくらい、機嫌が悪そうだったが。

「でも時間はまだ……。それにさっきは、いなかったし……」
「で、その間にあの野郎をここに引き入れようとしたのか。
 それはアイツの悪知恵か、それともお前の、裏切りか」
「そんなつもりじゃ。ただ、ヴィルが、黒ちゃんに用があるって。でも、丁度いなくて」
「そんなのお前なら大体判るだろ。不在かどうか。探れば反応があるんだから。
 今日の俺は存在を消すようなことはしていないからな。判らなかった、は通用しない」

そんなの、私は普段から気配やら生体反応やらを探ったりしない。
それに黒ちゃんは殆ど外出しないので、いつも家にいると認識している。
だから今日だって連れて来たのだ。それが偶々不在だった。
でも、そう言ったところで、黒ちゃんは信じてはくれないだろう。
言っても無駄だと思うと何も言えない。

「だんまりか。てことは肯定かよ。……胸糞悪い」

勘違いされたままは辛いが、訂正するだけの気力がない。
しかし何故、私とヴィルヘルムがここに来たことを知っているのか不思議だったが、
それは黒ちゃんが自分から教えてくれた。

「あのウゼー男も、偶には役立つ。煩いが」

目隠し男だ。
また行くとは言っていたが、あれからすぐ来たなんて。
それも、余計な事を黒ちゃんに告げ口するなんて、性格が悪いにもほどがある。

やはり、あの人は嫌いだ。
私の嫌な事ばかりする。
思い出されるのは、学校に来たばかりの頃、毎日罵声を浴びせられていた時の事。
心を折る事を目的としたやり口。
あの学生は私を使って、神を動かすことが目的だった。
目隠し男の目的は何だろう。
屈したくはないが、こういうやり方は長期戦になるし、私もそうもたないだろう。

「お前もいい加減あの魔族と離れろ。奴から言われたんだろ。迷惑だと」

動揺するなと言い聞かせてみるが、頭は火が付いたように熱い。
あの男が、そこまで黒ちゃんに報告したことが許せなかった。
聞きたくない言葉を、二度も聞かされる羽目になったのは偶然ではない。
全てあの男の計算に違いない。腹が立つ。許せない。
お遊びや命令、誰かの為以外で傷つける事はしてこなかったが、
彼に対してだけは、私怨で苦しめてやろうと暗い感情が渦巻く。

「止めろよ?人間とは言え、その力は神に属するんだからな。
 個人的な感情で振るうなよ」

普段だったら、好きにしていいって言うくせに。
黒ちゃんはヴィルヘルムが絡むと、普段と言う事が変わるんだから。
それとも、そんなにあの目隠し男を庇いたいのか。
黒ちゃんは、あの人を少しでも信用しているのだろうか。
そりゃいつもの人たちとは違って、黒ちゃんに対して協力的で従順だけど、
一時的なものとしか思えないし、何より胡散臭い。

このままだとあの男に、黒ちゃんが取り込まれてしまいそうだ。
あんな適当で、他人を何とも思わないような男、黒ちゃんの周りにも、私の周りにもいらない。
あの人はきっと、周りを不幸にする。
だから、黒ちゃん、気づいてよ。
あの人は、悪い人だよ。
いつもみたいに、他人は嫌いだって、突っぱねてよ。

「お前が悪い。大人しくせず、危ない事ばかりに首を突っ込むから」






fin.
(15/01/26)