りんじきゅうぎょう

「ねぇーまだー?」
「知らぬ」
「ヴィルが言ったんじゃん。ジャックの帰還は今日だって」
「ならば奴は死んだということだ」

一瞬くりっとした大きな瞳が更に大きくなる。

「……探してくる」
「無駄な足掻きを」

部下の身に何らかの危険が訪れた可能性があるというのに、
一切の動揺が見られないヴィルヘルムに冷たい視線を送ると、
はヴィルヘルムの城に白銀を散らした。











「本当あったまくる!」

ヴィルヘルムの城から外へ転移したは声を荒げた。
人間の死なんて、魔族にとっては瑣末なこと。
そんな性質を知っていても、にとっては大切な存在であるジャックをぞんざいに扱うことには怒りを感じる。
それも簡単に「死」という言葉を用いて、事も無げに言ってのけるのだ。
は湧き上がる苛立ちを振り払い、ジャックの存在を探した。
意識の中で世界を巡り、無数に存在する生命の輝きから一つを探す。
該当する存在を見つけた。

「ジャック……」

は胸を撫で下ろした。ジャックは生きている。
だが、不安を全ては拭い取れない。
生命の反応を感知したとはいえ、それは現在対象が生きていることしか判らない。
例えば、虫の息であっても、全くの健康体であっても同じ反応を見せるのだ。

今すぐ自分の目で確かめないと。そう、は思った。
ジャックの身が置かれている状況を一切探ることなく、即座に転移した。
今まで見えていた手入れされた庭園が歪み、ミルク色の世界へ投げ出される。

「寒っっ!」

びゅうびゅうと音を立て大小様々な雪球がの身体に容赦なく打ち付けられる。
地に立つように転移したことで、降り積もった雪の中にハイソックスにパンプスという出で立ちの下半身が埋まってしまった。
の体温によって溶かされた雪が布へ染みこみ、たった数秒前に現れたの身体を芯から冷やしていく。

冷たすぎる氷が肌を引っかき、痛覚を刺激する。
反射的に身体を抱き締めてみたものの一向に温かくならない。
少しでも水分があれば凍っていく。
それは目であったり、鼻水であったり、唾液であったり。
空気に触れぬようにと、は目をしっかりと瞑り、口を真一時文字にしめた。

だが、途端に温かくなった。
寒いを通り越し、痛いを通り越したからだろうか。
否、それは違う。

みるみると雪が溶けていき、氷の牢獄に囚われていた下半身が解き放たれた。
冷え切った双脚には思うように力が入らず、そのまま膝が地に落ちていく。

!」

地に伏す前にジャックの腕がを抱きとめ、コートの中に引き入れた。
頭の上からすっぽりと被せられたは、ジャックの身体に抱きついた。
しかし、防寒具をしっかりと着込んだジャックを上から抱いても温もりは得られない。

「なんでこんなところにいるんだ。しかもそんな軽装で。死ぬぞ」

ジャックの指がの首筋、足に触れる。

「既に冷え切っている。早く帰れ。ならすぐだ」
「ま、待ってよ、ジャック」
「待てない。急げ。このままだと壊死する」

普段の淡々とした物言いとは違い、早口で捲くし立てるジャックに驚いた
言われた通り、黒神の家へと転移した。

、おかえり!きょ」

嬉々とした黒神の声に何も答えず、はタオルだけ引っつかむと自室に入った。
濡れて凍った靴下を脱ぎ、タオルで雫を拭う。
両足共に赤くなっており、快適な温度を保つ異空間内ではぽかぽかと暖かく感じた。
あのまま氷に埋もれていれば、凍傷になっていただろう。

。どうしたんだ?」

先程に何の言葉もかけてもらえなかった黒神が部屋の外から尋ねた。

「ううん。なんでもない。もう一回外行ってくるね」

露骨に嫌な顔をした黒神に気付けないは、ウォークインクローゼットの中へ入った。
大量に所持している服の中から、温かい服装を選びとって着替えると、また先程の場所へと転移した。

「ただいま」
「……どうして戻ってきた」

ガスマスクで顔を覆っているために表情はわからないが、
声の調子から察するにの帰還に良い感情は持っていない。

「着替えたから寒くないよ。それに今は身体の周りの温度を操作して」
「問題はそこじゃない。早く帰るんだ」

ジャックはぐりぐりとの背を押しやる。それをいやいやと首を横に振る
なんとかこの場にいようと話しかけた。

「ジャック、その、任務は終わったの?今日帰る予定だったでしょ?」
「まだだ。移動中に天候が崩れてしまって、予定が大幅に遅れている」
「後は何するの?」
「言えない」

言えないということは、に聞かせるべきではないこと。
それは九割がた、血生臭いことだ。

「今はとにかくこの山道を越えなければならない」
「それだけなら、してあげられるよ?」

残る仕事はが関与することが出来ない。
ならばせめて、危険な吹雪の中での下山は手伝おうと思った。
山の中で凍ってしまったり、道に迷ってしまってはジャックの生存確率が下がってしまう。
ヴィルヘルムの言うように、簡単に死なせてたまるかと思う。

「何もしなくて良い。といると勘が鈍る」
「そっか……」

少なからずは落ち込んだ。
突き放されたような言い方に、さっさと帰れと言われるような気がした。
ジャックの言葉に棘はない。ただが勝手に傷ついただけ。

「違う、そうじゃない」

表情を曇らせたに、慌ててジャックはの思っていることを否定した。

がいると俺は暗殺者でいられない」

ジャックは極力の前では暗殺のことを話さないようにしている。
最初は黒神にそう命令されていたから従っているだけであったが、
今はが暴力や争いを好まないことを知っているために言わない。
加えて、の目の前ではあまり武器の類は晒さないようにしている。

そんなことを続けていくと、ジャックの中では暗殺者の自分と、そうではない自分の二人の自分が己の内に生まれた。
ヴィルヘルムと同様、他人の死など全く興味が無く、心が痛まないジャックであるが、
に傷一つつこうものならば、血の気が引いてしまう。
障害となるものは殺せば良いと思っているのに、が隣にいたならば殺害以外の方法も少しだけ考えるようになった。

に合わせるという事は、ジャックが今までの歩いてきた道を否定するようなものだ。
だが、ジャックはそんなことは気にも留めない。
ジャックにとって大事なのは────。

に嫌われたくない」

ただ、それだけだ。

「……判った。もう邪魔しない」

は小さく笑って頷いた。

「ヴィルにはなんて言えばいい?」
「言う必要はない。奴は判る。俺が死んだかくらいは」
「私、ジャックに死なれたら嫌なんだけど……」
「悪いが生きて帰るという絶対の保障は無い。…………出来るだけ努力する」

ジャックはの表情が暗くなりそうになったことを察知し、最後の言葉をとってつけた。

「今は周囲に敵はいないが、いつ出現するかは判らない。今の内に」
「うん、わかったよ」
「帰還したら連絡する」
「待ってる」
「じゃ」
「またね」

薄れていく姿を見て、ジャックは少しだけ切なくなった。
だがそれも一瞬のこと。すぐに頭を切り替え、一介の暗殺者に戻った。
まだまだ仕事が残っている。











!」

玄関が無遠慮に開かれ、黒檀色に身を包んだ者が若々しい声をあげた。
装備していたガスマスクを脱ぎ、グローブを外し、それらを辺りに散らす。
全てが対照的な少女に一目散に駆け寄るとその身を抱いた。

「ただいま」

少女は彼の背にゆっくりと腕を回して穏やかに言った。

「おかえり」

抱擁を済ませた二人はこつんと額を合わせた。
互いににっこりと微笑み合う。

「お疲れ様。どうぞ座って」

ソファーを指し示すと、二人は隣り合って腰を下ろした。
そのタイミングでテーブルにはお茶が二つ用意される。
は気を利かせた影に礼を言い、ジャックの前にお茶を差し出す。

「ヴィルのところへ行った時に着替えなかったの?」

下界ではまだ本格的には寒くなっておらず、長袖までで上着を着込む必要はない。
しかしジャックの格好は以前寒山で見たままの姿だ。

「奴のところへは後で行く。どうせ、俺の動向は把握しているはずだ」

上司の話なんかより────。
ジャックは会話を打ち切り、の頬に触れ、頬と頬をすり合わせた。
まるで猫が飼い主に擦り寄り、所有権を主張しているように。
行為を行っている本人はそんなつもりはないが、約一名にはそのようにしか見えていなかった。

「……、黒神はどうして機嫌が悪いんだ」
「さ、さぁ?」

がジャック越しに目をやると、黒神はそっぽを向いた。

「別に俺は機嫌なんて悪くない。気のせいだろ」
「そうは思えないが」
「しつこい」

後で宥めに行かないと。
そんなことを思いながら、はジャックを撫でた。




fin. (12/12/19)