「っとに、信じられない!」
モモタロウくんが憤慨し始めたので、私とヌラリヒョンさんは即座に口を閉ざした。
「君たち適当すぎない? 八百万界を救う気ある?」
「……一応」
「いいや。絶対ないね!」
あっそう…………。
うんざりしている私を尻目に、ヌラリヒョンさんは『たらいあんみつ』ののぼり旗を真剣に見ていた。私もそれくらい図太くなりたい。
『三人旅』は『二人旅』+『一人』で、楽しい事が増えるものだとばかり思っていた。
ところがどっこい、面倒くささが三倍、いや五倍へ増加しただけだった。
「盗人は必ず殺す。当然でしょ」
「殺すまでは流石にやりすぎじゃないかな……更生の余地……」
「反省すれば何でも許されるって言うの? そんなの被害を受けた方には関係ないね。人の努力を踏み躙るような奴は謝罪の言葉を吐く前に死をもって償えば良いんだよ」
モモタロウくんのこういう所、ひじょーに面倒くさい。
巷で『鬼斬り』と呼ばれるモモタロウくんは、殺戮享楽者ではなく正義の心で刀を振るう志の高い人だ。だからこそ、悪さをする鬼は絶対に許さない。鬼に限らず悪党は斬り殺すべしと考えている。
行き過ぎているきらいはあれど不屈の正義感には割と好感が持てる……はず、なのだが。
「君も判るでしょ? 蹂躙される側の気持ちが。君はこっち側でしょ!」
こっち側とは、人族の事だ。
モモタロウくんは日本出身の学生である私を一先ず人族と分類しているし、私自身も人族だろうと思っている。
なのに私は、ヌラリヒョンさんに同意する事が圧倒的に多い。
そんな妖贔屓がお気に召さないらしく、一日中ぶつぶつと文句を言う日もある。よく体力がもつなと、時に感心するほどだ。
「でもほら、おばあさんがもういいよって言ってるよ」
さっきモモタロウくんが取り戻した風呂敷を背負ったおばあさんはその辺で拾ったような細枝を杖にして、モモタロウくんに近づいた。
「ありありか、ありぁ、とう、ね」
殆ど歯のない口で懸命に感謝を伝えていた。
モモタロウくんはわざわざしゃがんで目線を合わせ、おばあさんの手を取った。
「僕は当たり前のことをしただけだよ。でもごめんなさい。盗人に償わせられなくて」
「い、いい。よ。あ、あん、たたかふちちへ」
常に震え続けるおばあさんの手を撫でると目元を緩めて、
「……僕は強いから心配いらないよ。でも、ありがとね」
と、優しい声色で伝えた。それがすくっと立ち上がると、
「君さ、もっとしっかりやりなよ。戦い向いてないんじゃない。それとも手を抜いてるの? 人族なんて助ける必要ないって?」
などとヌラリヒョンさんには厳しい口調で糾弾するのだ。同じ老人なのにこの差。
江戸を出て数日はここまででもなかった。
態度が急変したのは、ある村で一夜を明かしてからだ────……
「今日は野宿せずに済むぞ」
「ぃやったぁあ!!」
「別に野宿くらいどうってことないでしょ」
野良犬みたいに逞しいモモタロウくんと違って私たちはか弱いのである。およよ。
「……よし、あそこが良かろう」
村を一通り見たヌラリヒョンさんが一つの民家を指した。他と比べても何の変哲もない家のようだが。
「ふうん。こんな所にも知り合いがいるなんて、顔が広いっていうのは本当みたいだね」
と、モモタロウくんが感心していた。
……私とヌラリヒョンさんは黙っていた。
ヌラリヒョンさんが遠慮なく家の戸の開けると、手拭いを首にかけたおじさんが丁度おばさんに催促している所だった。
「飯はまだ出来ねぇのか! ん? 客……?」
家の主人は私たち三人を見て訝しんだがヌラリヒョンさんは構わず履物を脱いだ。
「邪魔するぞ。ところで儂らもご相伴に預かりたいものだな」
「ああ、はい。……おい、先に客人に出せ。何でも良い! 急げ!」
家の主人は瞬時に態度を変え、奥さんには小声で命令した。
「あの、お構いなく……」
慌てる二人が不憫でたまらず遠慮した。
「いいえ! こちらこそ何のもてなしもなく……。しょ、少々お待ち下さい。確か酒が」
すっかり客と誤認識して家の奥へと行ってしまった。居座り上級者のヌラリヒョンさんは既にくつろぎの姿勢を見せている。
「ねえ……この人たち変じゃない? 知り合いなんだよね?」
「んー……。んー……」
日中の疲れが溜まっている今、面倒なやり取りが嫌で言葉を濁した。
「其方らも玄関で立ち尽くすのではなく上がってこい。困らせておるようだぞ」
奥さんが「狭い場所ではございますがどうぞ」とわざわざ正座をして招いてくれている。
モモタロウくんの視線を感じたが私は気付かない振りをして家に上がった。モモタロウくんも何も言わずに続く。
用意してくれた座布団に座るもモモタロウくんは夫婦や部屋をきょろきょろと見まわしている。
ハラハラしている私をよそに、ヌラリヒョンさんとご主人はお酒を注ぎ合って乾杯を始めた。奥さんは野菜の煮浸しを四人分配膳すると台所へ。次は焼いた魚を二尾、白米を四人分、みそ汁は三人分……などと明らかに夫婦二人分の夕食を分配している。〝お客様〟優先で。
「僕らは良いから夫婦で食べなよ。僕らを無理にもてなさなくたって大丈夫だからさ」
モモタロウくんは一度も手を付けずにいた料理を奥さんの方へと押し戻した。
「私たちは夕食の前に蒸かした芋を食べているのであまりお腹が減っていませんから。遠慮なさらないで下さい」
「でもさっき、飯はまだかって……」
「それよりこちらの魚ですが、夕食前に獲ったばかりの新鮮な物ですよ。お早めにお召し上がり下さい」
「でも」
「さあどうぞ」
モモタロウくんは考えこんでいたが、奥さんが一向に折れないので渋々口にした。奥さんは胸を撫で下ろした様子で台所へ帰っていき、手早く数品作るつと最後には五人全員が食事をする事が出来た。
「其方もなかなかなものではないか! 儂の若い頃と言ったら」
「ぎゃはははははっ!」
ヌラリヒョンさんとご主人はすっかり盛り上がっている。お酒が飲めない私とモモタロウくんと奥さんは三人で固まっていた。モモタロウくんがいつも以上に口数が少ないので、その分私が奥さんと会話した。
「この辺りは地すべりが多かったのですが、道沿いにいくつも祠を作って祀るようにしてからは、人身事故は一度もないのですよ」
「へえ、祠というと神様を祀っているんですよね。この辺りは多いんですか」
「えぇ。もう少し先になりますが種族が混じった集落が続くようになります。甘味が好きな神が多いので常に持っておくと良いですよ」
地図にない情報は大切だ。
ヌラリヒョンさんが言っていた。折角人の懐に入り込めるのだから、黙り込まずに辺りの地形や、野宿に使える場所、悪霊や野盗による被害は必ず引き出すように。主人格はヌラリヒョンさんが担当するから、奥さんや子供からは私が、それぞれその立場が有する情報を得なさい。情報量は生存率に直結するものだから、と。
最初は他人の家も他人との会話も苦手意識が強かったが、実際に情報によって助けられると熱心に行えるようになった。尻込みしても機会の損失でしかないのだと考えを改めた。
食事後には風呂を借り、蒲団も借りる事になった。来客用蒲団は二組しかないらしく、自らの布団を渡そうとしていたので全力で断った。私はヌラリヒョンさんと同じ蒲団でいつも寝ていると言って出来るだけ気を遣わせないようにして。
客間に三人だけとなった途端、モモタロウくんが「ねぇ」と話しかけてきたが私たちはすぐに寝入った。相当に怪しかっただろうが、実際ヌラリヒョンさんはアルコールで意識が半分寝ていたしそれ以上突っ込んでくることはなかった。
危機回避に安堵した私は酒気を帯びた塊に背を向けて寝た。
次の日、私とヌラリヒョンさんが起きたときにはモモタロウくんが奥さんの仕事を手伝っていた。慌てて手伝いを申し出た時にはもう全てが終わっており、五人で朝食を取った。
「昨晩言っていた西の水車小屋だが、得意な者にやらせておくから数日後に確認してくれ」
「勿論待ちますよ! ありがとうございます!」
「一宿二飯の礼さ」
二人の約束を聞き流しながら、私は次の行先について考えていた。
私たちは未だに目的地が定まっておらず、ただなんとなく街道沿いに西へ進んでいる。
東京(江戸)に足を運んだから次は愛知(尾張・三河)か、大阪(摂津?)に行くのが順当か。それとも日本史と同様に奈良や京都に権力が集中しているならそちらへ行こうか。
「世話になった。ではな」
「とってもお世話になりました。ご飯も美味しかったです。失礼いたします」
「……有難う御座いました」
夫婦と別れてしばらく歩くと、モモタロウくんから「あのさ」と怒気を抑えた声で呼びかけられた。
ああ、流石にこれは逃げられない……。
「君たち昨日からずっと変だよね。何隠してるの?」
「えっと……」
「あの家では追及しないであげたんだから感謝してよね。あの夫婦に迷惑かけたくなかったし」
真実を話すにしても、出来るだけ責め立てられない言い方をと頭をフル回転させた。なかなか言い出せずにいるとヌラリヒョンさんが言った。
「儂の妖としての特性の一つだ。そういう存在でな」
「はあ? 君は龍神みたいに人に崇められる種の妖じゃないでしょ。俗っぽさしかないんだから」
「ははっ、確かに俗物だ」
「はっきり言いなよ。煙に巻かずにさ」
モモタロウくんが刀を抜くと観念したようにヌラリヒョンさんは言った。
「儂は存在の濃さを自在に操れるのだよ。大抵の場には違和感なく溶け込める」
「ならあの夫婦は初対面なのに怪しい僕らを客として扱ってくれたの? ……いや、そうなるように仕組んだんだね、君が」
「左様」
モモタロウくんが斬った場所にヌラリヒョンさんはいなかった。別の場所でまるで今までもそこにいたかのように立っている。
「……で、君も便乗したんだ。自分が楽したくて。僕に黙ってた」
赤い目の糾弾に私はさっと目を逸らした。
「……クズだね」
ゆっくりと息を吐きながら言った。
「やっぱり鬼に限らず、妖族なんて人が積み重ねてようやく得た幸せを平気で壊す不要な存在だよ」
モモタロウくんは冷ややかに続ける。
「君も、独神の名を騙るって聞いた時には最低だと思った。けど君は実際に江戸を救った一人で、一緒に戦った仲だからそこまで強くは言わなかったよ。でも所詮ずるい事を考える奴は性根から腐ってるって思い知らされたよ」
モモタロウくんの失望がずぶずぶと私を落ち込ませた。
八百万界は全体的にあまり裕福ではない。社会保障が充実している現代と違い八百万界の困窮とは、明日食べる物がなくて困るレベルの貧困だ。
加えて他種族や悪党や悪霊が跋扈し、各々が武器を所持して身を護らなければならないまでに治安が悪い。そんな世で、現代人が「普通」と感じる生活をしていることがここでは珍しいのだ。
ヌラリヒョンさんがいつも裕福そうな家ばかりを狙って上がり込んでいるにしても、裕福な者だって努力を重ねた上に運を掴んだからこそ裕福になれているのだ。それを私たちは横からかすめ取っている。
私だって思ってた。ヌラリヒョンさんが人の家で勝手気ままに過ごすのをみっともないって。
でもその恩恵に与るようになるとだんだんと罪悪感が薄れた。
冷たい土の上で寝ずに済んでラッキー。
あったかい白米食べられて良かった。
お湯に浸かれるなんて最高。
虫の心配のない蒲団で幸せ。
……なんて、自分の利益ばかりを求めて自分の行いの正当性を考える事を止めていた。意図的に考えないようにした。実際にやっているのはヌラリヒョンさんであって私じゃないし、と何処かで責任転嫁していたかもしれない。
本当にみっともなくて狡いのは、……私だ。
────あれからモモタロウくんは私たちを軽蔑しきっている。私とはある程度会話が出来るが、ヌラリヒョンさん相手だと無視や私経由で話すなどしている。
確かにモモタロウくんに黙っていた私は悪い。でもヌラリヒョンさんは……どっちだろう。
人の家に上がり込むように産まれた存在なら、そうするしかないのではなかろうか。
例えばだが、鳥類のカッコウは他種の鳥の巣に自分の卵を産みつける托卵行動を行う。孵ったカッコウの雛は急いで巣内の卵を外へ押し出し、自分だけを巣立ちまで育ててもらうのだ。
残忍に見えるその習性であるが「やめろ」と言ってやめられるわけではない。体温の変動が激しくて自分では卵を温められないという説もある。ヌラリヒョンさんのひょっこり家に上がり込む行動もきっと何かしら意味があるかもしれない。
それにヌラリヒョンさんはあれで数百年以上生活してこれたのだ。今更自分を曲げる必要を感じないだろう。私の世迷言が終われば遠野へ帰る身なのだから。
まあでも、あの場面では一言言って選択させてあげれば良かった。それならモモタロウくんだけ夫婦の世話にならず、私たちを罵るだけで済んだ。……って私たちへの仕打ちは変わらないか。
……私が今一番判らないのは、未だにモモタロウくんが私たちと一緒にいる事だ。
嫌なら私たちと別れれば良い。毎日文句や愚痴を聞かされているといくらこちらが悪くてもうんざりする。モモタロウくんが私に言った、〝探している答え〟なんて、私たちといて絶対に見つかるわけではないだろうから執着する必要ないのに。
「君たちは結局どの宿にするの?」
おばあさんをエスコートした後、モモタロウくんがこちらを見ずに聞いてきたので私は近くの宿を指差した。
「さっき聞いたら空いてるって」
「あっそ」
と言って、モモタロウくんは人ごみに紛れていった。
あの一件以来、モモタロウくんは同じ宿に泊まらない。野宿時は仕方がないと言って少し離れた所で休む。「妖と同じ場所で休むなんて冗談じゃない」と言っていた。私はカチンと来たがヌラリヒョンさんが肩を掴むのでその時は収めた。そうやっていちいち妖族を貶める言い方をするので、宿を変えてくれるのはこちらとしても願ったり叶ったりだ。
「ヌラリヒョンさん、モモタロウくんどうしましょ。きっと明日も入口で仁王立ちしてますよ」
「させておけば良い。儂らは好きなだけ飯を食らい、好きな時間に出立すれば良いだけさ」
ヌラリヒョンさんは一貫して、モモタロウくんには好きにさせておけと言う。失礼なことを言われた時も黙って受け流している。そんな調子だから私だけが言い返している。
「相性には逆らえぬ。其方も気にするな」
「でもほら、人として……じゃなくて、生物として今の状況は看過出来ないというか……」
「其方も小僧同様真面目だな」
モモタロウくんと同じ扱いをされた事が思いのほか胸の奥を重くさせた。
あんなのと一緒なんて冗談じゃない。
「其方が望むなら、彼奴が好みそうな品行方正な妖になってやろうか?」
「それきっと妖じゃなくなりますよ」
「ふっ、違いない」
ヌラリヒョンさんが柔らかく笑う姿が眩しくて、やっぱり妖族とはそういうものなのだと結論付けた。つられて笑っていると急に咳が出た。三度出た。
「風邪か。昨晩は腹痛だったろう。熱は。他に痛い所は。必要な物はあるか」
こんなにも心配してくれているのはヌラリヒョンさんが優しいから……ではない。道中の風邪は馬鹿に出来ない。悪化してもすぐに医者に診てもらえないのだから。
「でも熱はないですし、日中はなんともないから平気ですよ」
「今夜も早々に寝るように。こう続くようなら一度栄えた場所で腰を据えて休んだ方が良いかもしれぬな」
夜間は副交感神経が優位だがそのせいで身体が不調に傾きやすいのだろうか。日中は元気そのものであまり心配はしていないのだがきちんと身体を休めよう。
万一うつすことのないように、ヌラリヒョンさんと蒲団を最大限離して寝た。
そして朝、咳もなければ喉の痛みもなかった。
旅支度を整えて宿の暖簾をくぐると、仁王立ちして不満そうに腕を組んでいる少年がいて、私たちの後に続いた。
変な人…………。
「あった! 見てみて! たくさんお地蔵様がありますよ!」
街道に沿って小さな石像が並んでいた。近辺に神族の集落があると言っていたが、なるほどこんな感じで神っぽいアイテムが辺りにあるのか。
「あれは
と、ヌラリヒョンさんは言った。
「何が違うんです?」
「『お地蔵様』というのは
神族全員が○○神と大層な名前を持っているわけではないのだろう。
「オジゾウサマも道祖神も似たようなもの。……と言っておった気もしてきたな。古い記憶で定かではないのだが」
元々は仏教の菩薩と民間信仰とで異なるものだったが、段々混同されるようになったという事だろうか。
よく判らないがとりあえず手を合わせておこう。
「こういうのって界貨置けばいいんですか? それとも米?」
「儂は信仰せぬからなあ。其方の思うようにすれば良い」
……あ。ヌラリヒョンさんは人じゃないからか。
「妖族は天災が来た時も神様に祈らないんですか?」
「各々の好みだな」
自由だなぁ。
せっかくだからずっと黙っているモモタロウくんに振ってみようか。
「ねぇ、モモタロウくんや一般的な人族は神様にお祈りするの?」
モモタロウくんは少し沈黙して言った。
「大抵の人族はよく神族に祈るよ。特に自然神には。収穫に関わるからね」
なるほど。
「……まぁ、僕は殆ど祈らないけど」
「どうして?」
「君に言う必要ある? ないよね?」
そこまでとげとげしく言う必要ある……?
まあでも返事をしてくれただけマシか。
「自分が一番と本気で信じ込んでいる妖族の馬鹿たちとは一緒にしないでね。僕には真っ当な理由があるから」
今日のムカつきポイント一。
これ以上の会話は不要と私は道祖神や祠へ手を合わせる作業に戻った。
「これだけ凄く大きい……」
一つだけ私より少し低いくらいの人型の石像があった。日本でもこの大きさのものは道端では見ないような。もしかしたらこの道祖神たちのボス的なものかもしれない。私は懐のせんべいと豆菓子を取り出し、懐紙の上にのせてお供えした。
「せんべいまで渡すのは勿体ないように思うが」
「ヌラリヒョンさん、お供えをケチろうとする気持ちがもう駄目ですよ」
ヌラリヒョンさんがくれた物の横流しではあるが、お供えはしておこう。道中何があるか判らない。神に縋って少しでも助けてもらえるのならその方が良いと思う。
……ああ! なんだか身体が楽になった気がする!!
なんてね。
再び街道を歩いていると知らない妖がヌラリヒョンさんに話しかけてきて、水車小屋の修理の話をした。そういえば前の村でご主人と約束していたっけ。
モモタロウくんがぼそっと言う。
「……妖に任せるなんて止めた方が賢明だと思うけどね。飽きっぽいし」
ムカつきポイント一。
「偶々飽きっぽくない妖だっているかもしれないじゃん」
止せば良いと判っているのに、口を挟まずにはいられなかった。返答があったからかモモタロウくんの悪口は加速する。
「妖基準でマシってだけでしょ。人の基準で言うなら下の下だよ」
ムカつきポイント一。
「君だってなんで老妖なんかつれてるの? もっとマシな奴にすれば良いのに。どうせ君のことを利用しているだけで最後には裏切るに決まってるよ」
ムカつきポイントは無事カンストした。
「いい加減にしてよ!」
思った以上に声が出たが、だからどうした。
「なんでそこまで言われなきゃならないわけ。ヌラリヒョンさんがあなたに何したって言うの!」
「僕を騙した。僕が嫌がるって知ってて。君も一緒になって僕を陥れたんだ」
「黙ってたのは悪いと思ってるよ! それでも毎日毎日ぐちぐちぐち煩いんだよ!! ちゃんと謝ったじゃん!!」
「謝って許されるなら、この世は加害者に随分有利な世界だね」
「じゃあ自分は清廉潔白って言えるの!? しかも悪く言うのも言いがかりに近いものばっかりじゃん! 勝手な思い込みで悪く言うのは良いわけ? 自分に甘すぎない!?」
「先にやってきたのは君たちだよね? 特にその妖。常習犯でしょ。狡くてみみっちくて。少しだから
「煩い煩い! 勝手に入り込まれた夫婦が文句言うならまだしもあんたは関係ないでしょ!!」
怒鳴り散らしているとふいに羽交い絞めにされた。
「これこれ、二人とも争うでないよ」
諭してくれるヌラリヒョンさんにも私は噛み付いた。
「ヌラリヒョンさんだって一度ガツンと言ってやれば良いんです!!」
「儂は慣れておるのでな」
「慣れる必要ない!! だから向こうが付け上がるんだ!!」
今度は担ぎ上げられた。力が強くて暴れても降りられない。
「……其方もここは退いておけ。まあ儂の言葉など聞くに値しないだろうがな」
そうモモタロウくんに言い残し、ヌラリヒョンさんは私を担いだまま歩き出した。
「離して!」
「其方が落ち着いた頃にな。あまり遅いと儂の腰がもたぬからほどほどに頼むぞ」
それって重────
かっと顔が熱くなったのを感じた。
「ごめんなさい! 大人しくするから下ろして下さい!」
「冷静になったか?」
「なります! なりました!」
下ろしてもらってヌラリヒョンさんを見た。腰は無事だろうか。
「ははっ、心配いらぬよ。少々脅しただけだ」
「ほんとに?」
「本当」
良かった。一応お年寄りだから無理させないようにしないと。
「其方はそうやって揶揄われているくらいが丁度良い。少なくとも儂は怒りに燃える其方を見ていると不憫でならん」
私が今まで受けてきた哀れみとは別種のもので私は少し戸惑った。燃え広がっていた怒りがみるみる縮小していくのを感じる。
「……さっきはすみませんでした」
私が頭を下げると、ヌラリヒョンさんは笑って、
「気持ちは嬉しいが妖の事は其方には無関係。怒りは己の事だけに留めておかねば、常々怒り狂う羽目になる。丁度良い見本が後方を歩いているだろう」
モモタロウくんだ。まだついてきている。
「其方が儂を慮ってくれていることは判っている。それに加えて、妖への批判を通して常に自分が責め立てられているようで逃げたくている事も」
今の言葉が、モモタロウくんのどんな愚痴よりも痛烈に刺さった。即ち図星だということ。
「儂は其方が聖人君子だから傍にいるのではない。そんなに動揺せずともこの先も儂は共にいるさ」
いつもの調子でそう言った。
私はそれが怖くて仕方がない。
見抜かれるのが怖い。
日本にいた頃から、私はこんな風に周囲に見抜かれていたんだろうか。
どうせ誰も私の事なんて判らないなんて馬鹿にして、本当はずっと見抜かれた上で接されていたのだろうか。
「おっと。其方はすぐに及び腰になるな」
無意識に距離を取っていたらしく腕を掴まれた。
「ちゃんと話を聞いておったのか。どんな其方でも変わらず傍にいると儂は言ったのだぞ。それとも遠野の総大将程度では不満か」
首を振った。そもそもそういう問題ではない。
「傷ついた言葉のみに気を取られる傾向があるが、正確に全体を見なければ真意は一生見えぬぞ」
全体なんて見えない。
どうしてそこまで判っていて黙っていたのだろう。
そんな風に見られているなんて思いもしなかった。
ねえ、どうして。
「……なんで利益もないのに一緒にいてくれるんですか」
「利益はあるさ。其方が面白いからだ」
「そんな愉快じゃないです」
「儂にとっては愉快なのだよ。前もそう言ったではないか」
信じ切れない。
「疑ってくれて構わぬよ。こういうのは共に時間を貪っていけば腑に落ちる」
駄目でも良い。
そのままでも良い。
ヌラリヒョンさんの大らかな言葉はモモタロウくんとは正反対だ。
理性的で正しいと支持されるのはモモタロウくんだ。間違いなく。
でも一緒にいて気が楽なのはヌラリヒョンさんだ。
「其方はもっと力を抜いておれば良いのに。妖なんぞクウネルアソブ以外何にも考えておらぬぞ?」
モモタロウくんの妖への評価も踏まえて考えると、誇張ではなく本当にそんな感じなんだろう。
だったら私は規律のしっかりした人族よりも、ちゃらんぽらんで生きている妖族の方が居心地が良い。
私はモモタロウくんみたいな自制心はない。他人の為だとある程度しか頑張れない。
それを妖族は許してくれる。なんならもっと適当で良いと言ってくれる事だろう。
いっそ八百万界を救うなんて大層な看板を掲げるよりも、妖族の為とか遠野の為に頑張るのも悪くないかもしれない。
そもそもなんで私八百万界を救おうなんて思ったんだろう。子供の戯言にしても無茶苦茶だ。
自分の事すら出来ない私が、世界を救うなんて出来る訳がない。
……そうだよ。
こんなこと、やってられない。
私みたいな何もできない人間は、ヌラリヒョンさんと遠野へ戻って、近所の人や河童狛犬さん達とのんびり暮ら────……
「おい! どうした!」
何故だろう。なんだか視界がぐらぐらする。
ヌラリヒョンさんの声が煩い。頭に響いてとてつもなく痛い。
「気をしっかり持て! 意識を手放すでない!」
ぐるぐるぐるぐる。視界が回る。
茶色が地面だということは判るが、ブレた写真みたいにはっきりとしない。
「……! ……!!」
少しずつ視界の歪みが酷くなって見える全てが真っ白になって消えた。
◇
「おい! 返事をしろ!!」
ヌラリヒョンの腕の中で少女は動かなくなった。脈も呼吸も正常だが意識だけがぷつりと途切れてしまった。後方を歩いていたモモタロウが異常を察知したのか駆けてきた。
「どうしたの!?」
先程まで言い合いをしていた相手がぴくりとも動かない様子にモモタロウは目を奪われた。
「判らぬ。医者に診せる他なかろう」
「なら君はその子を運んで。僕は先に次の町に行って医者を捕まえておくから!」
一方的に指示したモモタロウは疾風の如き速さで駆けて行った。ヌラリヒョンもまた手早く少女を背負った。力の抜けた人間は少し傾けるだけでずるりと背中から滑り落ちようとする。鎧を留める紐に身体を引っかけて軽く固定すると早足で街道を駆けた。途中馬を借りて町まで運んだ。
着いて早々モモタロウが走ってきた。
「こっち! ついて来て」
町は三種族が混合で行き交う人々の生活水準は中の上。住居はしっかりしたものばかりが並んでいたが、その中でも一際立派な建物の中にモモタロウは入っていった。既に部屋が用意されており、蒲団が敷かれていた。少女を寝かせ助手が服を脱がしている間に医者が触診しながら尋ねた。
「前触れもなく突然倒れたと聞いているが、思い当たることは」
ヌラリヒョンは少し考えて、
「……一つ。数日前江戸で新種の悪霊に襲われた。娘の身体は悪霊の血を多分に飲み込んでいる可能性がある」
モモタロウがすかさず反論した。
「この子は一度も悪霊の攻撃なんて受けてないでしょ。傷だって自分で斬った腕だけ……」
モモタロウの動きが止まった。
「腕の傷は。これか?」
医者は左腕に巻かれた包帯を解いていく。
「江戸の名医が治療にあたった。処置はしっかりしているはずだ」
「確かに傷は殆ど治っている。どんな傷だった」
モモタロウは腰に差している刀を軽く叩いた。
「……これで一筋。あの日は大量の妖と悪霊と、目の前のものは全て斬り捨てた。どれだけの血がついていたかなんて僕も判らない」
医者は考え込むように顎髭を撫でた。
「妖まで斬っているとなると判別がつかない。今は様子見するしかないが、子供の種族は。特殊な体質があれば包み隠さずに言うように」
何度も経験しているのであろう二人に念を押した。
「この子は」
「人族だ。特異体質のない普通の子供だ」
ヌラリヒョンが断言した。モモタロウは思わず見上げた。
「……事情は問わない。患者は患者だ。だからこそ嘘は言うなよ。本当に人族なんだな」
「この娘は儂とは違う。人族だ」
「判った」
医者がいくつか指示をすると助手が動く。
「人手が足りないんでな。普段はアンタらで面倒を見てくれ。何かあれば誰か捕まえな」
医者が部屋を出るとすぐに助手に言われて次の患者の元へ走った。途端に静かになる部屋でヌラリヒョンは荷物を置き、滞在準備を始めた。
モモタロウが尋ねた。
「良いの……? この子人じゃない。妖とも違う。神っぽくもない……」
「正直に言って何になる。珍しがられるだけなら良いが、余計な者を引き寄せる可能性も十分ある」
「判るけど……。でも正直に言わないと見立てが違ってくるのもあるよね」
きょとんとしたヌラリヒョン。
「……もしやと思っていたが、自分は全てを娘から聞かされていると本気で思っているのか?」
モモタロウは軽く引きつった。寝耳に水というように。
「え、いや……。あの子が他にも秘密にしてるってこと?」
「己の振る舞いを振り返ってみると良い。……などと妖なんぞに言われなければ判らぬのか」
モモタロウは口を開きかけただけで言葉は何一つ出てこなかった。
「娘の事は儂が対応する。これでも、其方が知らぬ事を知り得るだけの信頼は築いているのでな」
「……別に。僕は君たちと馴れ合う気なんてさらさらないから」
モモタロウが言い捨てて行ったが、ヌラリヒョンの視線は呼吸の浅い娘にあった。
「……これでようやく二人になった」
病院生活二日目。
少女は常に呼吸が荒く汗を噴き出しながら寝ていた。目を覚ませばうわ言と痙攣と嘔吐を繰り返すばかり。傍で看病をしているのがヌラリヒョンだとも認識出来ていない様子
「開口障害も見られる。破傷風もあり得るのかもしれない。最も新種の悪霊の体液を取り込んだわけだから断定は出来ないが。今は少しでも生かすことを重視して処置していくつもりだ」
「承知した」
医者の見解はヌラリヒョンとモモタロウの二人で聞いた。医者が退室するとモモタロウも続く。病室に残ったヌラリヒョンは娘を甲斐甲斐しく世話をした。落ち着いた頃を見計らって重湯を飲ませてみたり、衣を取り換えてみたり、様子が変化すれば書き留めておいたり、就寝時間以外の全てを看病に費やした。
しかし、それから三日経っても娘は回復の兆しを見せなかった。容体は大きく変化し、医者は頭を抱えた。こんな病気は初めてだと何度も病室を訪れては処置を行い、呪術分野に詳しい者も連れてきて娘を見せたが、それでも何も判らなかった。
「何の糸口も掴めないなんて……」
普段ならあまり姿を見せないモモタロウであるが、その日は部屋に残って少女の様子を眺めた。
まともに食事が取れない娘は日に日にやつれていた。肌はくすんで張りがなくなり唇はカサついている。数日前には思いもしなかった姿。
「こんなに時であっても娘の身内を呼んでやることは叶わぬ。親の方も娘の窮地には駆け付けたいだろうに」
今は少し呼吸が落ち着いている娘の額の汗を拭った。
「余所者でしかない娘は八百万界を救うという戯言に形を与えた。江戸を救う事で。人でも妖でも神でもない娘だが江戸の者達に受け入れられた。今後の悪霊との戦いでもこの娘は必ずや必要とされることだろう。そんな希望がこんなところで潰えるかもしれぬとは」
「……それ、僕のせいだって言いたいの」
ヌラリヒョンは少し笑うが答えはしなかった。
「さて、儂は己の出来る事をする。こういう時こそ他人を使わねばな」
ヌラリヒョンは部屋を出て行った。
「……どうせ、僕は頼れる誰かなんかいないよ」
寝たきりの少女の枕元で正座をした。
「……僕のせいで苦しい思いをさせてごめんね」
少女は少しだけ呼吸が穏やかになったように見えた。モモタロウは続ける。
「悪霊のせいで起こる病気に詳しい情報を探しているけど収穫なし。そもそも例がないみたい。僕も初めて聞いたしね。なんでもいいから身体が良くなる薬も探したけどガセばっかり。そりゃそんな凄いものがすぐ手に入るわけないよね。でもどうしても欲しいから色々頭を下げて回ったよ。……なのに全然成果が出せなくて本当にごめんなさい」
涙こそ流さないが表情は歪みきっていた。すぐに少女が肩を震わせた。モモタロウはぎょっとする。
「え。は、吐くの? た、盥!?」
慌てて手で受けようと少女の口元に近づけると、その手を少女が握った。おおよそ病人とは思えない握力だった。上半身を起こし、
「おのごろじま」
聞き取りやすいはっきりとした声で言った。
モモタロウが聞き返そうとしたところで丁度ヌラリヒョンが戻って来た。
「起き上がれるようになったのか!?」
血相を変えて傍に寄ると、少女はまたぽてりと枕に着地しそのまま眠ってしまった。
「……光明が見えてきたようだ」
ヌラリヒョンは少し口元を緩めた。頭を撫でているところにモモタロウがそろりと言う。
「あのさ……『おのごろじま』って知ってる?」
少女が口にした言葉を長命のヌラリヒョンに尋ねてみた。するとヌラリヒョンは答えた。
「はて。何故儂が同胞を斬った者に教えてやらねばならぬのか」
少女の回復の兆しに喜んだ顔のまま嘲る。
「あれだけ何度も吐き捨てておきながらよくもまあ、気分屋でいい加減な妖風情の知識を頼る気になったものだ。人族も存外いい加減で忘れっぽいのだな」
愉快そうに開いた口からは牙が見え隠れする。モモタロウは睨みつけながら柄を握る。抜きはしない。
「なんとかの一つ覚えだな。故に気づかぬのだ。儂も娘も其方の決定的な汚点には触れずにいたことを」
「僕に汚点なんてものないね」
「ほう。人族にとって〝殺し〟は罪ではないと。随分野蛮な種族だ」
反論する前に、
「娘は誰を傷つける事なく民を動かし、其方が害悪と断じる鬼をも従わせて強大な悪霊を倒してみせたがなあ。斬るが正義とは能無しの痴れ事よ」
「けど鬼は人を襲う」
「この娘ならば人を襲わぬ鬼にも仕立て上げるだろうさ。現に江戸では鬼の手綱を引いてみせた。……さあて、殺しを拠り所にした化物を、弱き人族どもは受け入れられるのか? ん?」
瞳を広げてにんまりと笑う姿は、モモタロウが嫌悪する妖の笑みそのものだった。
だがすぐに蝋燭の火のようにふっと消える。
「……もう去れ。人の子よ。其方の刀は誰も救わぬ」
部屋に風が駆け抜けると再び二人に戻った。
次の日、少女の容体が更に悪化した。頭を抑えて髪を振り乱し、暫くすると糸が切れたように眠る。
食事の類は水に至るまで身体が拒否するので、血管からの投与と呪術の混合による延命で凌いだ。
「しかし昨日は起き上がったと聞いたのに、何故……。何か思い当たる事は」
医者に問われてもヌラリヒョンには見当もつかなかった。
「呪いの可能性まで広げても何の進展もないなんて……」
医者も昨日の回復を喜んでいた分、今回の悪化は堪えた。
「儂にもまだ伝手はある。ここで諦める気などない」
「こっちも同じだ。絶対になんとかしてやる」
と言っても八方塞がりだった。医者は文献を調べる為に部屋を後にして、ヌラリヒョンは改めて少女を見た。数日前まで毎日隣で歩いていた姿は見る影もない。
(儂はまた、送る側になるのか……)
ヌラリヒョンは少しずつ最悪の事態を想定に入れ始めていた。
江戸で多くの者を動かした一人の子供。
もしかすると、と夢を見せてくれた少女。
それがこんなにも呆気なく終わろうとしている。
たった一ヵ月程度の泡沫だった。
「やあ! ここに困ってる子供はないないかな?」
陽気な声が窓から突然飛び出した。感傷に浸って気配に気づかなかったヌラリヒョンは目を瞬かせた。
「なんだ其方は」
「そう警戒しないでよー。……どういう存在か知らぬわけでもあるまい」
声色に反してにこにこと笑う少年に対して、ヌラリヒョンは息を吐いた。
「オジゾウサマであろう。しかし何の用だ」
「この子に呼ばれてね。よいしょっと!」
窓から侵入したオジゾウサマは懐に手をやり小袋から金平糖を取り出すと、眠る少女の口にズボッと突っ込んだ。少女は咳きこみ勢いよく吐き出した。
「やっぱり寝ている時ってまずかった!? ちょっと君手伝ってよ。身体起こしてあげて」
「訳が判らぬ……。窒息させてくれるなよ。ただでさえ弱っているのだぞ」
そう言いながらも起こした。不思議と力は要らなかった。少女は自分の力半分で起き上がっていた。
「じゃあ次は……飴にしようかな。砕いてあげるね」
「えい☆」と指先で直径二センチの飴玉を潰すと欠片を口の中に入れた。
「……さっきから何をしている」
「見て判るでしょ? お菓子あげてるんだよ。暇を持て余した神族が研究を重ねに重ねて作った究極のお菓子だよ。とっても美味しいから君にもあとで店の場所教えてあげる」
「ありがたい話だが、今はそういう気分ではなくてな」
吐き出しても良いように手を用意していると、少女の口から飴玉が砕ける音がした。喉が鳴る。ヌラリヒョンは驚いた。
「重湯すら吐いていたのだぞ」
目を瞑ったままではあるが少しずつ飲み込んでいる。
「神族の子供が初めて信仰してもらった時に似てるね。向けられた感情が身体に還元されるとびっくりしちゃうんだよね」
オジゾウサマが少女の手を握ると、少女も軽く握り返した。ヌラリヒョンは再び驚いた。
「何故……。誰が何をしようと反応を返す時はなかったのだぞ」
「それはきっと、僕が神でこの子も僕に近い存在だからだよ」
少女の頬に少しずつ赤味が差す。顔色も明らかに変わっていた。
「不思議な子。僕も今まで見たことがないよ。自分で存在を保てないなんて」
ヌラリヒョンははっと気づいて考えを巡らす。
「……この娘は神族の傍でないと生きてはいけぬ、のか」
「そうでもないと思うよ」
オジゾウサマは言った。
「この子の中にある妖の気配が消えないんだよね。……初めて見た時もそうだった。妖の子かと思って見ると人のようにも見えて。なのに今は神に見えるんだ」
ヌラリヒョンは「そうか」と短く答えた。
(種族を話せなかった理由がここか……。儂の仮説が正しければ特定種族が娘を独占することが不可能という事になる)
「じゃあこのお菓子全部あげる。また不安定になっても食べれば落ち着くと思うよ。でも出来ればもっと強い神族とか神性が強い場所に行った方が良いと思うけどね」
「恩に着る。其方に借りを作る事になるとはな」
「そういうのいらないって。僕はただお供えしてくれるイイコにご褒美あげただけだからね」
オジゾウサマの不法侵入から暫くして、少女はうっすらと目を開けた。眼球が左右にのっそりと動く。何度か往復してヌラリヒョンで止まった。
「……ヌラリヒョンさん?」
掠れた声が久方ぶりに名を呼んだ。ヌラリヒョンは噛み締めるようにゆっくりと尋ねた。
「気分はどうだ」
長考して。
「……寝過ぎて変」
「その様子なら心配いらぬな」
「もう少し、寝ても良い?」
「ああ。もう少しだけな」
「ん」
幕が下りるように瞼が閉じた。
ここ数日で一番穏やかな寝顔だった。
◇
「おはようございます」
早口で捲し立てて横に転がっていたヌラリヒョンさんを揺り動かした。
「んぅ? 其方動、」
「ごめんなさい。ここどこ? 用を足すならどこに行けば!?」
「……ああ。はいはい」
聞いた場所へとダッシュした。危ない所だった。人としての尊厳を失う所だった……。
気分も落ち着きこの見知らぬ建物を観察しながら部屋に向かうと、道中誰もが私を見てしかも驚いていた。なんだろう。ちょっと嫌だな……。
「ねえヌラリヒョンさん、ここの人た、」
「信じられない!!!」
部屋には知らない人がいて、しかも私を見た途端に大声で驚かれた。驚かされた私はさっとヌラリヒョンさんを盾にした。
「さっきからなんなんですか!?」
「本当に起きてる!」「良かったね」「来て来て! 嘘みたいに元気だから」「昨日までのは何だったの」
知らない人がゾロゾロとやってきては何やら人を見て勝手に驚いていく。どうして私が見世物扱いになってるんだ。
だが彼らはすぐに謝って部屋から出て行ってくれた。部屋が落ち着いてからヌラリヒョンさんが説明してくれた。
道中突然倒れた事。今日まで意識がなかった事。オジゾウサマに助けてもらった事。
「え!? なんですかその人外エピソード!! モモタロウくんが言うように私が人族じゃないっていうのは本当だったんですね……」
それだと両親は何者だと言う事になるのだが、……?
「あのお地蔵様の中にオジゾウサマがいたんですね。やっぱりお供えをケチらなくて正解でしたね!」
石像しかいなかった気がするのだが、石のままここにやってきたのだろうか。笠地蔵の童話のように。
「そういえば、モモタロウくんは?」
「さあ。儂は知らぬな」
まあ、流石に病人の相手なんてしてられないか。それに冷静になったのかもしれない。気の合わない相手といる必要はないと。
「興味が失せたならそれで構いませんけど」
構いませんけど。
……けど。
…………倒れたタイミングで見限るというのもそれはそれで腹立つなあ。
「どこへ向かったか予想は立ちますか?」
「いいや。だが知ってどうする」
「一言文句を言う!」
ヌラリヒョンさんは小さく吹き出した。私は大真面目なのに。
「残念だが、儂は知らぬよ」
「まあ、しょうがないですね」
空っぽだったお腹にオジゾウサマがくれたという落雁を齧って、数日滞在していたらしいという院内を歩いてみた。私を見て驚いていたひとたちがあっちこっち走り回っていて忙しそうだった。患者は三種族が混じっている。こうして様々な者がいると気持ちが落ち着く。見た目も雰囲気もバラバラな中なら余所者の私も紛れていられるから。
「あなた! 本当に元気になったのね!」
「お陰様で。色々お世話になりました」
知らない人だがきっとお世話になったのだろう。原因不明のまま日に日に弱る私にスタッフ全員手を焼いたそうだから。
「きっと黒髪の子も喜ぶよ。あなたを随分心配してて、自分に出来る事ならどんな事でもやるって……。白髪のひともだけどあなたは大事にされてるのね」
別れてすぐ進行方向を真反対へと変更した。
歩いた。だんだんと足が早くなる。病室ではヌラリヒョンさんが荷物をまとめていた。
「私に嘘吐いてません?」
「藪から棒に。何の事だ」
「じゃあ黙っている事はありませんか?」
「ここでの生活も長くてな、当然全ては言っておらぬよ。長い無駄話になるのでな」
「無駄話の中からモモタロウくんに関することだけ教えて下さい。それならある程度短い話になりますよね?」
矢継ぎ早に言うとわざとらしく肩を竦めた。
「どこへ行ったかは本当に知らぬよ」
「でもどうして顔を見せなくなったかは知っている。……とか?」
小さく空気が震えた。ヌラリヒョンさんはいつものように小さく笑って、
「〝気づかれる〟というのもなかなか愉快なものだ。故に事実だけ話そう」
ヌラリヒョンさんはモモタロウくんとの会話内容を教えてくれた。嘘が含まれている可能性はあったが、参考程度にはなるはずだ。
「えー……色々思う事はあるのですが、ヌラリヒョンさんって一気に返すタイプなんですね」
「偶々良い機会に恵まれたのでな」
軽い調子な所が恐ろしい……。
でも最近のモモタロウくんの態度では仕返しされて当然だと思っているので善悪を問うつもりはないし、私が口を挟む必要はないと思う。
「ついでにあの……。私は一気に返されると心が死んでしまいそうなので、出来れば小出しにして頂けると有難いです……。これを機に苦情があればなんでも言って……でも言い方は柔らかくして頂けると助かります」
多すぎる注文にヌラリヒョンさんは笑ってくれた。
「其方に関しては特にないな」
「嘘は嫌ですよ!? この機会に正直にお願いします!」
「……あ」
「あっ!? あったんですね!! 何ですか!? 即直します!!」
「儂を置いて一人でいってくれるな」
予想とは違う答えだった。
「……もう遠野に帰ってもらおうとは思っていませんよ」
遠野の人に悪いとはずっと思っているけどね。
「ヌラリヒョンさんと別れなくて良かったです。私を冷静に戻してくれるし、一人にならずに済んでる。色々な事を教えてくれるいいお手本です」
「姑息で卑怯な妖族の儂が其方の手本になるとは思えぬがな」
「モモタロウくんはああ言いますが、私は妖族好きですよ。自分を大事にして自由なところに憧れます」
顔色を伺うことばかりしていた私には、自我を全面的に出して堂々と生きている様はとても輝いて見える。
「だから、モモタロウくんを迎えに行きたいです」
「……うん? 今の話とどういう繋がりが?」
「普段ならヌラリヒョンさんを優先してモモタロウくんと金輪際お別れする所なんですけど、私はこのまま放っておきたくないです。ムカつく人ですし、いなくなるならそれで良いじゃんって思ってますけど! ……でも実際にいなくなるのは違います。いなくならないからこそ安心して文句が言えるのが良いのです!」
我儘はこれで終わらない。
「自分を置いていくなと言ったんだから、私に勿論ついてきてくれますよね。捧げてくれた剣を私は忘れていませんよ」
目が覚めてからの私は我儘しか言っていない。
本当はこんな事をヌラリヒョンさんに言うのは怖い。
嫌われたくない。
幻滅されたらどうしよう。
赤の他人にどこまで求めて良いんだろう。
私の事を面倒くさいとか嫌だと思っているのを隠しているかも。
命綱であるこのひとに見捨てられたら私は終わりなのに。
生きるために、私はもっとこのひとに気に入られるよう演技しないといけないのに。
なのに、私は自我を押し通そうとしている。
もしかしたら、嫌わないでいてくれるかもと期待してる。
「……今回は儂も遊びが過ぎた。付き合おう」
「ありがとうございます!」
好き勝手言って許してくれる大人なんてヌラリヒョンさんが初めてだ。
大事にしよう。……今後は我儘は減らそう。なるべく。
「荷造りしたら聞き込み開始です!」
「若者は元気だな」
やれやれと言いながらも動き始めている。
モモタロウくんめ! 絶対に見つけてやるからな!
そして────
……心配してくれて「ありがとう」と、心配かけて「ごめん」と直接言うんだ。
============================
・カッコウ
就寝時にラジカセで聞いた教育用テープの内容に、当時幼稚園の私はかなりの衝撃を受けました。
カッコウ関連の雑学で「閑古鳥(かんこどり)」ってカッコウの事を指しているんですよ。
昔の人はカッコウの鳴き声に物寂しさを感じていたとかなんとか。
「鳩時計」と呼ばれるあの時計の鳥さんは、元々鳩ではなくカッコウでした。世界的にはカッコウ時計なのに。
これはカッコウ=閑古鳥(閑古鳥が鳴く)のイメージがあるから鳩に変えたという説があるそうです。
カッコー カッコー
カッコー カッコー
・ヌラリヒョン、勝手に人んちに上がり込む問題
ここまでちゃんと書くのかよ……。
がっつりマイナスな事書いたら評価を下げる事になるんじゃないか……?
割とグダグダ悩んでいましたが、問題提起をしたかったので結局書きました。
良いも、悪いも、中立も、人によって様々だと思います。
人間もキャラクターも、万人に愛される者は誰一人としていませんもんね。
・その怒りはなんのため
自分が怒っているのか。他人の為に怒っているのか。
特定層の支持を得るための怒りか。心の虚無を埋める為の怒りか。
様々な場所で「怒り」が散見しているが、果たして彼らは自分の怒りの出所を理解しているのだろうか。
最初は自分の為に怒っていたはずが、誰かの怒りにあてられて変質した事はないだろうか。
怒りは行き過ぎてしまうと、怒り続ける為の材料を探して自ら燃えようとしてしまう。
もっと悪い所を探してやろう。
過去の発言を全部見てやろう。
あいつが好きなものを好きな奴らの中で大きな問題を起こしている奴を探してやろう。
交友関係を探って、そいつらがやらかしてないか探してやろう。
……そのうち関係ないような事でも怒れるようになってしまいます。
「怒り」は悪ではない。発生も発散も後ろめたくない。
しかしながら、怒る自分を冷静に見る自分も同時に生成しておかないと、後悔したり恥ずかしい思いをしたりするんだな(××敗)
・羊羹
ねえ知ってる?
羊羹は高級品だから、余所の家に訪問した際にお茶請けに出てきても食べちゃ駄目なんだよ?
……ちなみに私はこの歳になって初めて知りました。(今まで羊羹を出されたことなくて良かった)
そしてこの羊羹は次の客に使い回すそうです。
漫画で戸棚から皿の上に乗った羊羹が出てくるのはそういうことなんですって。
江戸時代では砂糖は貴重品だからこの話も当然分かるのですが、声優の小野坂昌也さんもこの話をしていたので、結構最近まで羊羹は食べない物だったんでしょうね……もしかして今でもまだ食べない方が良かったり?
来客マナーは地域差が大きいのでとても難しいですね。
・洋菓子
オジゾウサマの台詞で「お菓子の種類は和菓子・洋菓子・麩菓子とあるけれどやっぱり和菓子が一番好きかな」とあります。
だから八百万界には和菓子と洋菓子の概念が存在している事が判ります。「日本」と「欧米」とよく分けますもんね。だから和と洋で分けるのはとっても判ります。
ですが八百万界は外国と言えば「大陸」を指していると感じます。四霊獣の言う「大陸」は中国です。でも「和」と「洋」で分けるの……?
……と、ゴチャゴチャ無限ループで考えていましたが、八百万界には洋風の物が普通にあるのでしょう。商人ならば詳しく、山中に住む種族は流行り物にも疎い為一切見たことがないのでしょう。
このように各々の環境や身分によって知識に差がある。
多分きっとそんな感じ。
・本編とは無関係な話
現実では夏。でした。
話の中ではまだ春くらいなので、全く季節の話題は入れられません。
この三人で夏祭りに行ったらどんな感じなんだろうと考えたり。
ヌラリヒョンは場所取り兼荷物係。
行きずりで知らん人とも盛り上がれるタイプ。
それ故放置されても平気なので、荷物係も苦じゃない。
人混みを歩く方が大変なので、ある程度見たらずっと座っている。年寄り。
モモタロウは積極的に買いに行く。
……当然ながらパシられるのが楽しいのではなく、一人の方が自分のペースで見られるから。
クールではあるけれど、中身は感情豊かな少年だと思うので、一人の方が素直に笑っていられるのかなと。
笑うと言って口角が少し上がる程度のものだが、それが自然に漏らした混じりけのない真なる笑みである。
今書いている場面はアレですが、この三人はまとまりとしては良いのでほのぼの系も書きやすいグループ。
(2021.8.25)