二度目の夜を駆ける 四話-東海道 弐-


「一つ、条件がある」

 ヌラリヒョンさんの言葉に私は息を呑んだ。
 そう都合良くいくわけないかと姿勢を正して次の言葉を待った。

「今回の件、儂は一切の手を貸さぬ」

 拍子抜けした。そりゃそうだろう。
 ヌラリヒョンさんはあれだけモモタロウくんに自分や種族の事を言われ続けていたのだから。

「勿論です。私はただついてきて欲しいだけなので」
「小僧のこと以外ならばいつもと変わらぬから存分に頼って良いからな」
「はい」

 その小さな気遣いに私がどれだけ救われているか。

「それで、聞き込みと言っていたが目星はついているのか?」
「ないのでローラー作戦です。……あ、片っ端からってやつです」

 つい横文字を使ってしまう。日本人なのに。それだけ私が住んでいた国は大海原の向こうの大陸の影響を沢山受けているということだ。

「すみません!」

 早速目の前を歩いていた女性に声をかけてみた。可愛い小袖を着たその人は一瞬驚きながらも笑みを浮かべて「なにかしら」と促してくれた。

「人を探しているんです。黒髪でこれくらいの背の人族の男の子を見かけませんでしたか? 身長よりも長い刀を腰に下げています」
「残念だけれど見たことがないわ。ここは街道沿いで人が多いからすれ違っただけでは、ね。店で聞く方が覚えているかもしれないわよ」
「教えてくれてありがとうございました!」

 一人目で当たりを引けるとは思っていない。さあ次だ。



「そろそろ休憩してはどうだ?」

 ヌラリヒョンさんのお言葉に甘えて食事処に入った。昼を少し過ぎているせいか客は少ない。

「半日って過ぎるのが早いですね」

 病院の内外で手あたり次第話しかけたのだが誰もモモタロウくんを知らなかった。

「次は刀に関するお店を見てみます」

 モモタロウくんは夜間、刀の手入ればかりしていた。薄暗い中で長すぎる刀を睨みつけている姿はなかなかホラーで「生物を斬ると脂がつくからね。手入れを怠るとすぐ駄目になるんだよ」と言ってたっけ。
 腹ごしらえを済ませ、砥師や宿泊施設、食事処を聞きこんだが収穫はなかった。
 まるで町全体の記憶からモモタロウくんだけがすっぽりなくなってしまったようだ。

「こんなに手がかりがないもんですかね……」

 夜が更けたので調査を打ち切り、宿で少し愚痴るとヌラリヒョンさんが小さく笑った。そして何も答えない。
 この反応はもしや、答えを知っているのかもしれない。

「……私が倒れている間、ヌラリヒョンさんは病室で寝泊まりしていたんですよね? モモタロウくんは?」
「知らぬなあ。初日からいなかったぞ」

 モモタロウくんがその後何度も病院に訪れていることは病院スタッフに確認済みだ。どの人も言っていた。私を治す為に必死だったと。ある日は血だらけでやってきて、普通には手に入らない秘薬を持ってきたとか。ある日は顔中土塗れで薬になる植物を持ってきたとか。
 ……こんなこと聞かされて、勝手にお別れなんて冗談じゃない。
 これ以上距離が開く前に見つけないと。

「馬以外に足になるものってありますか?」
「羽を持つ者は速いぞ。天狗とかな」
「天狗! やっぱり鼻は長いんですか!?」
「いや。普通だ」
「えー、現実はそんなもんかあ」

 しかし私の知り合いにはいないし、お金に代わる物も所持していない。
 何か他に方法は……

「……今、最悪の方法思いつきました」
「どれ。其方の知恵を聞いてみようか」
「鬼がいるって嘘の情報を流せば来るかもって……。実際には大惨事になるのでしませんよ! 本当ですよ!」
「ふむ。だが方向としては良いではないか。その調子で頑張れ」

 手を貸してくれずともこうやって応援してくれるのはありがたい。前向きでいられる。
 さて、足がない故に考えた作戦であったが、嘘を嫌うモモタロウくんに嘘を用いるというのは果たして良いのだろうか。
 ……やっぱり、駄目だよね。別の方法を考えないと。

「今日は寝ます。ヌラリヒョンさん、明日もよろしくお願いします」
「体調は万全ではないのだから無理せぬようにな」
「忠告痛み入ります。おやすみなさい」

 私は蒲団を被ってヌラリヒョンさんに背を向けた。
 体調と言ったって私の不調は病気ではなかった。悪霊も関係ない。ただ定期的に神族との接触が必要だということだった。
 いささか懐疑的であるが、ここが日本ではないことを踏まえれば受け入れる他ない。そういうものだと周囲が言うなら、ここでの私はそういう生物なのだ。
 今はオジゾウサマのお菓子が残っているが、今後は対策が必要になる。そういえば、この町を歩くのは楽しいのもあるが足が軽いような気がする。住民に神族が多く混じっているからだろうか。
 だとすると私は、最終的には神族と生活しなければいけないんだろうか。そのうちは、一緒にいたいひととも別れなきゃいけなかったりするんだろうか。一緒にいたいひととも別れて。



「すみません。人を探しているんですが、黒髪の男の子で異常に長い刀を持っている人を見たことありませんか?」
「いいや。全然」
「なら、最近妖族が襲われたという話はありますか?」
「んん……。ああ、確かここに来る前にそんな話があったな」
「どこですか!」

 聞き方を変えて大正解だった。
 西から来た旅人たちが口をそろえて、妖が襲われていたと証言していた。私たちが向かうべき方向がようやく定まった。

「本当に徒歩で良いのか?」
「はい。大丈夫です」

 情報を統合した所モモタロウくんがいるのはかなり先で、当然徒歩では追いつけない。
 だが手を借りないと約束したのだから、私は自分の足を使い倒す。

「ヌラリヒョンさんは馬でもなんでも使って良いですよ。何なら先に行ってても構いませんし」
「何を言う。それで其方に何かあっては後悔してもしきれぬぞ」

 心底呆れ顔で言うので私は適当にあははと言った。ストレートに言われると照れくさい。身を案じてくれるのは変な話ものすごく気持ちがいい。申し訳なく思わないといけないのに、ついにやけてしまいそうになる。

「なら、私との散歩に付き合って頂けますか?」
「いつものことさ」

 空のように澄んだ笑みが私だけに向けられていた。
 二人で街道を歩いていると、それなりにトラブルが目に入る。

「物盗りだ!!」

 ひったくりが現れればそれを追いかけ、

「野党だ!!」

 荒くれ者が現れれば逃げ遅れたひとを庇ってみたり、

「馬が!!」

 暴れ馬が現れればぶつかりそうになっていた者を助けたり────

「今日はてんてこ舞いな一日だったな」

 昨日より長風呂だったヌラリヒョンさんが長い息を吐いた。宿に着くまでに何度トラブルに首を突っ込んだのか覚えていない。

「其方もそう懸命になって助けることはない。なるようになる」
「でも、モモタロウくんなら飛び出してますよね」

 そう。モモタロウくんはこういう時反射的に身体が動いている。

「そんなところ尊敬してたんです。他人の為に惜しまず動けるところ」

 腹が立つことを言われても嫌いになり切れないのは、彼の良い所を知っているからだ。

「でもだからムカつくのもあって。なんでそんな人が鬼だから、妖だからって区別するのか。私の好きなひとたちを斬ろうとするところ大嫌いです」

 私はこの八百万界で一番好きなのはヌラリヒョンさんだ。次点で私に優しくしてくれた沢山のひとたち。遠野のひとたちとか、鹽土老翁神しおつちおじのかみさんとか、大馬とか、ダテマサムネさん……はそこまででもないけれど、トドメキさんや江戸のひとたち、病院のひとたち、まだお礼も言っていないオジゾウサマとか。どのひとも初対面で何の繋がりだってないけれど、話してみれば良いひとたちでこちらが手を貸して欲しいと願えば大抵手を貸してくれた。
 八百万界に住む殆どの人は“良いひと”たちだ。
 一見悪いひとに見えても、何かのきっかけで中身を覗き込むとやっぱり良いひとで、判り合う余地があるひとたちだ。
 だから殺して良いわけがない。
 死人に口はない。
 中身を見ずに一蹴してしまうのは早計だ。
 特定種族は滅ぶべし、という彼の考えは支持出来ない。

「どうして鬼を標的にするんでしょうね」
「それは本人に聞くべきことだろう。現段階では推測の域を出ることはない」

 その通りだが、あまり踏み込みたくない。
 だってなんとなく予想が出来てしまう。ネットによくある言い回しがあるだろう。
 ──〇〇に親でも殺されたのか
 って。それがうっかり当たってしまうのは怖い。これだけ憎悪を募らせたきっかけなんて、不用意に暴いて良いものではない。
 だが、虎穴に入らずんば虎子を得ず。踏み込んでみない事には理解できるかどうかも判らない。
 理解は痛みとセットだ。……そう考えると少し、気持ち悪くなってくる。
 もし自分だったら、判らないなら近寄って来て欲しくない。傷を抉られてたまるかと噛み付くだろう。
 きっとモモタロウくんも似たような反応に違いない。
 判っているのに、私はモモタロウくんのことが知りたくて、出来るだけ気持ちを汲んであげたいから、考えている事を聞かせて欲しいと思ってしまう。
 我ながら身勝手過ぎて疲れてくる。
 誰かと関わるというのが、こんなに面倒なんて初めて知った。私はいつも断る側で、心を閉ざす側だったからこんな苦労知らなかった。
 こんなことなら、私に関わろうとしてくれた人にもっと歩み寄るべきだった。結果駄目だったのならば、お互いに離れれば良かった。などと後悔しても遅い。日本に戻れる方法は今のところないのだから。

「ヌラリヒョンさん。私は寝ます」
「随分早いな」
「はい。明日もいっぱい歩くつもりなので」
「儂は……。そうだな、少しふらついてから寝るかな。そう遅くはならぬ間に帰るから部屋で大人しくしているのだぞ」
「了解です。おやすみなさい」
「おやすみ」



 次の日も、私はモモタロウくんの行動をなぞる為に人助けをした。街道を歩いているだけなのに目に入るトラブルはひっきりなしでちっとも進まない。襲われた妖族と思しき者達にも会えていない。
 人助けをして知った。
 不殺は難しい。
 盗難や詐欺程度なら物を取り返せばおしまいだ。だが腕に自信のある野党はそう簡単に戦意喪失しない。気絶させるか、拘束しなければならない。種族によっては身体が頑丈だったり、腕力が桁違いで一筋縄ではいかない。どの悪党も武器が通じない私を避けヌラリヒョンさんを狙った。首を突っ込んだのが私でも、その気がないヌラリヒョンさんだけが剣を振るう羽目になった。

「本当にごめんなさい」

 あまりの申し訳なさに、私はヌラリヒョンさんの斜め後ろで背を丸めた。

「そろそろ儂も疲れたぞ……」
「休憩しましょう! ほら丁度良さげな茶屋が」

 指を指したと同時に縁台が半分に折れ、女性の絶叫が聞こえた。

「……近頃の者は年寄りへの気遣いが足りぬな」

 溜息をつきながらもヌラリヒョンさんは半壊した店に向かい、暴れまわっていた妖を一喝して鎮めた。
 そして今は店の人から助けてくれたお礼にと団子を頂いているところだ。

「すみません。何もかもすみません」

 私の団子をヌラリヒョンさんに差し出しながら謝罪した。

「構わぬ。……と言いたいが、もう次は余程の事がなければ動かぬぞ」

 団子を私に戻し、次の物を店員に頼んでいた。

「私が馬鹿でした。身に染みて判りました。結局私は口だけで、ヌラリヒョンさんに任せてしまうんです。本当にごめんなさい」

 頭を下げていると、口の中に団子を差し込まれた。

「美味いぞ」

 団子は確かに美味しくて、謝罪の言葉も一緒に飲み込んだ。

「其方はモモタロウになれそうか」
「無理。力不足もありますがめちゃくちゃ面倒臭いです」

 本音を吐露するとヌラリヒョンは肩を震わせていた。そんなに面白いだろうか……?

「戦意喪失させるって難しいんですね」

 よく考えれば勧善懲悪の時代劇だって三つ葉葵を見てなお向かってくる。ちょっと力や権力を見せたくらいで、ははーと控えてなんてくれないのだ。

「こんなこと無報酬でやっているモモタロウくんは、凄いを通り越して理解不能です……」

 志が高すぎる。あんなのを見せつけられると、八百万界を救うなんて戯言、恥ずかしすぎて二度と口に出来ない。

「なんだか自信なくなりました」

 もきゅもきゅと団子を食べた。
 出来るひとがすれば良い。
 そう思ってしまうと、もう自分で頑張る気なんてなくなる。変わらずやり続ける者を横目で見て「やっぱ凄いな」と一瞬思って、すぐに頭から消えていく。自分の世界にはないものだと遠ざけてしまう。だって自分には出来なかったことを見せつけられると惨めだ。
 そうして自分が努力を止めた間にも『出来るひと』は苦しさに耐えながらも立ち向かう。私だったらそんな苦労を知ろうともせず日常を送るだろう。
 モモタロウくんのことも、こんな状況だから慮っていられるが多分、別れれば彼の努力を二度と思い出さない。彼がどんな功績を打ち立てようとも「すごーい」と思ったり思わなかったり、一過性の興味で終わる。
 高潔すぎるモモタロウくんに他の人ははついていけるんだろうか。
 鬼を斬って人を守って、感謝されているんだろうか。
 モモタロウくんのことだ。誰に認められずともやり遂げてしまうのだろう。
 反面、私は。

「私はこの世界でも何も出来ない駄目な人間なんだなあ……」

 溜息を吐いて、次の団子を取ろうとすると空ぶった。飛んでいく団子を目で追うと、

「其方が劣等感を抱くほどあの小僧は優秀か? 賞賛されるべき者だと本当に思うか?」

 口元はいつも通りなのに目が笑っていない。

「え、えっと……」

 とりあえず笑って誤魔化してみるがヌラリヒョンさんは私を見据えて動かない。
 これは、真剣に答えなければならないやつだ。

「……だ、だって、頑張るって凄くないですか? 私、頑張ろうと思う事は多いですが実行しているかと言われると何も成してないですよ……?」

 包み隠さず話して反応を待った。

「目的の為なら誰であろうと斬り伏せる事実を忘れておらぬか。其方だって江戸で斬りかかられたのだぞ。人族ではないと判った途端にな。あれはそういう者だ」

 そうだった。すっかり忘れてた。私のことは良いとして、実際にヌラリヒョンさんや鬼たちを斬った。
 大人も。
 子供も。
 平等に。
 ああ、嫌なものを思い出してしまう。

「江戸での宴の時、小さい鬼の子が指が無くなったからって握り箸をしてたんです。痛いって言いながら、なんとか掻き込んでいました。みんなが悪霊を退治してくれて助かったと言ってましたが、全員が全員笑顔ではなかったです」

 江戸での出来事は終わり良ければ……とはいかない。

「あの時、家族が傷ついたり、亡くしたりして悲しんでいるひとが沢山いました」

 人々を恐怖に陥れた存在は悪霊だけではなかった。
 鬼斬りのモモタロウ。
 彼もまた、多くの者を傷つけた。家族や友人を屠った。
 やっていることは、悪霊と全く同じだ。

「私もヌラリヒョンさんが怪我していくのが辛かった。いつも余裕なヌラリヒョンさんが負けるはずないって。なのにどんどん斬られていってて、……死んじゃうかもって」

 ヌラリヒョンさんから流れる血は、あの日見た何よりも鮮やかな赤色だった。
 破れた黒服からこちらを覗き込む真っ赤が怖かった。
 私が死んだ方がマシと飛び出すくらいに。
 私はあの時の記憶には蓋をしていて、モモタロウくんが斬りかかってきたことも忘れていた。

「私、ヌラリヒョンさんが好きです」

 だから、ヌラリヒョンさんを傷つけたことは多分ずっと許さない。大切な人の苦痛に歪む表情は何よりも心を締め付ける。
 五体満足のヌラリヒョンさんを見つめていると、何故だかぽかんとしていて、

「……あ、いや、そういう意味じゃ。すみません! 変な言い方して!」
「些か驚かされたぞ。儂をときめかせるとは其方もなかなかだな」
「ごめんなさいごめんなさい」

 慌てて謝るとヌラリヒョンさんは笑いだした。

「いやはや楽しいではないか」

 私が恥ずかしさで真っ赤になっているのに、それをじろじろ眺めて笑っている。からかわれるのは苦手だ。でもヌラリヒョンさんが楽しそうにしているから、それならそれでいっかと許してしまう。

「モモタロウくんがいても、私たちは楽しくやっていけますかね……?」

 おずおずと尋ねた。

「……それは向こう次第だな」

 ふいに興味を失ったとばかりに餡団子を食べ始めた。

「ヌラリヒョンさんはモモタロウくんがいるのは反対ですか?」
「そもそも興味がないものでな。其方の希望に沿おう」

 勝手な想像だが、ヌラリヒョンさんのモモタロウくんへの評価は中立だと思っている。妖族を斬る事は気分が悪いだろうが、結局は自分に対する接し方で判断しているようだから。気まずくなる前の二人は普通だったので、それが答えなのではないかと思う。

「モモタロウくんが殺しをやめてくれれば、三人でもやっていけると考えています」
「其方は争いを好まぬからな。殺しを厭わぬ者は辛いだろう」
「それだけじゃありません」

 殺すのは法律に反するから駄目。
 殺されたくないから、殺してはいけない。
 殺されそうになったひとたちが可哀そうだったから、やめてほしい。
 残酷な場面を目にしたくないから殺さないで欲しい。
 理由はいくつもあるが、一番は。────因果応報。

「鬼斬りは八百万界に住まう者全てを敵に回し、最後は殺されるでしょう」

 鬼は鬼だけで生きているのではない。
 同族に限らず、他種族とも交流することで生活出来ているのだ。
 鬼を殺せば、縁のある者達の反感を買う。八百万界は相互扶助が必須の世界。日本の現代人と違って、多くの人と繋がりを持っているのだ。当然、悲しみ、怒る者がそれだけ多く、恨みの数は計り知れない事になる。

「其方はモモタロウを救済しようというのか?」
「え!? そんな偉そうなこと考えていませんよ」

 なんだか、私の中にあるモモタロウくんへの執着がようやく形になって見えてきた。ヌラリヒョンさんに嫌われるリスクを負ってまで追いかける理由。
 結構他愛のないことだったんだな。



 その後の私たちは手の届く範囲の手助けをした。ほどほどに。ほどほどに。
 ……そのつもりだったのだが実際は目に入ると自然と足が動いた。私自身で解決出来ないなら見て見ぬふりをしよう。そう決めた矢先に私はあっさり私を裏切った。ヌラリヒョンさんに「其方の気が済むまで付き合う」とまで言わせてしまったのは申し訳なかった。
 だがその甲斐あって、途中鳥の神族がお礼にと私たちを一気に運んでくれたので、人助けもそれほど悪くないのかもしれない。リターンは圧倒的に少ないけれど。

「どうしたんですか!」
「黒髪のチビに……」

 やっと見つけた妖族の集団。でもよく見ると人族も混じっていて仕入れた情報とは少し違っていた。

「いつつ……。何本かイカれてる」

 苦しそうに胸部を押さえている。

「いったいどうして」
「隣村の奴がやられたから襲ってやったら、返り討ちにあっちまった」

 おかしい。
 どうして誰も斬られていない。もしかしてこれは、峰打ちというやつじゃ。
 私が他の怪我人を見ていると、彼らの会話が聞こえた。

「あんな危険な奴を放っておくわけにはいかない」
の神様に手を出されては困る!」
「所詮人族。刀だけで俺たちを出し抜く事は出来ない」

 まずいことになっている。ヌラリヒョンさんに耳打ちした。

「急ぎます。このひとたちより先に見つけないと」
「どこへ行ったか聞いたか」

 聞いてない!

「すみません! その人はどこへ向かったんですか?」
「向こうの山の方だ。この数でなら逃しはしないさ」

 逃してくれないと困る!
 私はヒートアップする集団からそろりと離れた。これから私たちも山中へ探しに、

「見つけたぞ!」

 早すぎ!
 予定を変更し、ぞろぞろと向かう皆さんの後ろにちゃっかりとついて行った。
 山の裾に沿って歩いていくと、交戦中のモモタロウくんを発見した。五人に囲まれているのに、どうしてだか抜き身の刀を振るわない。袋叩きにされているのに、何の抵抗もしようとしない。
 小柄な身体がお手玉のように宙に飛んだり辺りに叩きつけられていく。黒服が砂ぼこりで真っ白に染まって、死装束のような気がしてきた。

「やめてください!」

 私は集団の前へと飛び出した。途中足がもつれてこけてしまったが、それでもなんとかモモタロウくんと妖の間に入る事が出来た。
 妖たちは先程まで話していた私に目を吊り上げた。

「そいつの仲間ってんならオマエごと殺してやる!」

 反射的に腕を交差して頭部を守った。耳を刺すような高音が響き渡ると、妖たちが後ずさりしていく。やっぱり私には誰の武器も通らない。

「わけの判らない奴が」
「何の術だ」
「なら二人ともまとめて術で」

 手のひらから野球ボールくらいの火の玉が現れた。ファンタジー展開だが慌てずとも多分私には効かない。さっきと同じように腕でガードしていると、妖族の手が落ちた。
 とすんと。草のクッションの上に。
 果実のようにころころと斜面を転がっていった。遅れて絶叫が響く。
 私が後ろを振り返るとモモタロウくんの刀からは血がしたたり落ちていた。
 思わず怒鳴りつける。

「馬鹿! なんで斬るの!」
「もうどうにもならない。諦めなよ」
「そうやってすぐ斬るからややこしくなるんでしょ!!」
「斬ったものは仕方ないでしょ!」

 逆ギレモモタロウくんは両手で刀を握り直した。 

「邪魔する奴は全員殺す」

 殺しスイッチの入った馬鹿を羽交い絞めにしようと飛びついたが上手くできない。ただ抱きついただけの私を地面に叩きつけた。衝撃で一瞬息が詰まったが、上半身を起こして声を張り上げた。

「殺してどうするの!」
「だから、邪魔な奴を殺すって言ってるだろ!」

 殺す事に固執していて話が通じない。

「早く! 皆さんは逃げて下さい」

 刀を振るわせればモモタロウくんは他を圧倒する。皆殺しだ。
 なのに誰も警告を聞き入れてくれなかった。

「そんな危険なやつを放っておけない」
の神様のお膝元で」
の神様が」

 きのかみって、何。
 漢字変換に意識が向いていた隙に一人が私の腕を掴んだ。
 ────なんで掴め、

「おい! 捕らえたぞ!」

 瞬時に両腕を後ろに取られ、必死に抵抗している間に刀が私の身体を一文字に裂いたように見えた。

「駄目だ。やはり刀は効かない。殴ることもだ!」
「だったら水に沈めちまえ!」
「へ」

 水の中でもがいている自分を想像した。
 何人もの大人たちが私の身体に触った。全身をまさぐられる感覚に身体が強張った。すぐに大人数によって担ぎ上げられてしまった
 四肢を一人以上がしっかりと掴んでいてどの部位も動かす事が出来ない。

「その子は関係ない!」

 モモタロウくんの声がする。私は空しか見えない。澄んだ綺麗な青空は調子に乗った私をあざ笑っているようだ。

「お前を庇って関係がないわけないだろ! おっと動くなよ。動けばこいつの指から折っていく」

 太い指が私の人差し指を握った。

「っ痛!」

 折られる。頭の中にこれから来る痛みの想像が駆け巡っていた。
 指を折った経験はない。でも絶対に痛い。現時点で圧迫された指の骨が軋んでいて、血流が途絶えた指が冷たくなっている。
 怖い。助けて。何で。どうして。

「流石の其方でも駄目か」

 聞きなれた笑い声が耳をくすぐると安堵で視界が滲んだ。

「すまぬがその娘を放してもらおうか」
「放すわけがないだろ!」
の神は顔見知りだ。儂が頼めば耳を貸すだろう」
「でたらめだ」
「信じられぬなら致し方ない」

 周囲がどよめいた。「の神様」と口々に言う。未だに拘束されたままの私は何も判らない。だが空気が張り詰めたのは感じた。何かが近づいている。すぐ傍まで来ている。緊張で息がもつれる。
 バラついた小さな音が鳴っている。何かを叩いているような。

「ですが、の神様」

 一人が反論した途端に身体が震えた。ヌラリヒョンさんに怒られた時のようにびりびりと痺れる。
 すると私の身体から圧が消えた。人々の気配が遠ざかっていく。足が地面に降ろされ、青一色の視界から森を背景にした一本足の生物が現れた。
 犬のような人のような顔で口の端には大きな牙。ヤツデの葉のような襟巻で身体は馬のよう。そして牛のような足が一本。一見妖怪にしか見えないのだが、本当に神様なのだろうか。

「あの……あなたがの神さまでしょうか? お騒がせしてすみません。あと助けてくれてありがとうございました」

 頭を下げた。
 の神さまがぴょんぴょんと寄って来ると、私の手に頭をこすりつける。この行動は既視感がある。
 手足を揃え、きっちり九十度頭を下げた。

「この度はお騒がせして大変申し訳御座いませんでした」

 ここはの神さまの敷地との事なので、もう一度きちんと謝罪した。緊張している私とは無関係に甘く噛んでくる。許してくれるってこと、なのだろうか。それとも都合よく解釈しすぎか。けれどこの行動パターンは大馬の時と同様でなんとなく大丈夫そうな気がしている。
 失礼ながらもの神さまを撫でてみた。馬のような手触りでとても気持ちが良い。血が通うように、温かい気持ちになる。このひと、本物のかみさまだ。

の神さまが人間を」
「いやよくみろ。あれは神族だろ」
「妖じゃないのか」

 周囲が口々に言うが、の神さま本人はどこ吹く風。偉いひとは気ままなものだ。

「……また君はそうやって」

 モモタロウくんは血を払って鞘に収めた。するとの神さんがモモタロウくんの前に立った。

「何」

 モモタロウくんが不機嫌そうに言った直後、晴天なのに轟音と共に雷が落ちた。地面がえぐれ、焦げ付いている。まさかこれ、の神さまが落としたんじゃ。

「モモタロウくん! ちゃんと謝って! ちゃんと! ねえ!!」

 なぜ目を逸らす。自在に雷を落とすような神さまなのに。

「ごめんなさい! すみません! ごめんなさいすみません!!」

 代わりに私が頭を下げまくると、足にぴたりと付けている手の甲が舐められた。でも怒っているのは怒ってる! モモタロウくんを見て睨んでいる! こんなの収拾がつく気がしない。

「あの、私たち今すぐ退散します! もう二度とここの人たちに迷惑をかけません!」

 軽くパニックになる私に、の神さまは変わらず身体を寄せてきた。
 だがモモタロウくんを見る時だけは冷たく目が光った。尻尾は逆立ち耳が立っている。

「モモタロウくん。の神さんはきっと、ここに住む人たちを傷つけたから怒ってるんだよ?」
「……騒がせたのは君も同じなのになんで懐かれてるの」
「それは知らない。……どうしてですか?」

 頭の中にぼんやりと顔が浮かんだ。淡く光る一角を持った不思議なひと。

「キリンさん?」

 の神さんは首を振っている。彼と知り合いだったのか。何を聞いたのだろう。悪く言われていなさそうだけれども。

「……やっぱり納得いかない」

 モモタロウくんは紅白の布をはためかせて走っていった。

「ちょっと、ごめんなさいは!? なんで言わないの!」

 私も追いかけないと。の神さんに、

「ごめんなさい。あの……モモタロウくんは悪い人ではないんですよ。ただ捻くれてて、……意味判らなくて……」

 私にあれだけ好意的だったの神さんが、私をじっと見据えた。聞き入れられないというのが言葉でなくても判る。

「……すみません。押し付けてしまいました」

 頭を下げて、ずっとこちらに来なかったヌラリヒョンさんの方へ行った。

「モモタロウくんを追いかけます」

 本当は嫌であろうに「判った」と言って共に走ってくれた。
 モモタロウくんが妖を襲った理由は判らないが、多分大したことない。もし悪事を行っていたなら峰打ちで済ますはずがないからだ。やられっぱなしだったのが一転、相手の手首を斬り落とした理由は不明だが少なくとも私を庇ってのことでは無いだろう。私に攻撃が効かないのは知っているのだから。
 そもそも囲まれたのは先に襲ったモモタロウくんが悪いのに、何故全部棚に上げて斬ってしまうのか。
 あんなの飢餓感を満たすだけの殺戮者だ。気分で腕が落ちたり殺されたりなんてたまったもんじゃない。
 モモタロウくんが行った方向へ足を懸命に動かしていると、途中の神さんに追い払われたひとたちを見た。なんと、落ちた手首がしっかりとくっついていた。妖怪じみた生命力だ。
 それを理解していたから斬ったのかとも一瞬過ったが実際の所は不明だ。
 とにかく本人に確かめないと。何を考えているのかさっぱり判らない。
 山中を走って行った私たちだったが、ようやく開けた場所に出ると、その人はいた。

「モモタロウくん」

 背を向けていた彼はゆったりとした動作で私たちに向き直った。

「ねえ」

 呼びかけると彼は腰の長刀に手をかけた。

「鬱陶しい。迷惑だ」

 それでも近づく私をモモタロウくんは嘲笑った。

「刀が効かないからって強気だね。残念だけど、僕も君の弱点を知ったからね。思惑通りに行かせないよ」
「しないよ」

 私は断言した。

「堂々と戦うことを美徳にしているモモタロウくんは刀を使わざるを得ない」

 モモタロウくんは目を細めて歯を鳴らした。
 だから私は続ける。

「モモタロウくん、勝負しよう」
「馬鹿なの。弱い君が僕に勝つなんて万に一つもない」
「馬鹿はそっち。刀を使わなくても勝負は出来る」

 鞘が鳴ったがギリギリ抜いてはいない。耐えているようだ。

「私が勝ったら、一つ言う事を聞いてもらう。そっちが勝った時は好きにすると良いよ」
「勝負内容くらい言いなよ。聞いたところで受ける気はないけどね」
「勝負は口喧嘩だよ」

 ────沈黙。
 遅れて後方で咳きこんだ声が聞こえた。……ヌラリヒョンさん笑いを耐え切れなかったのね。
 モモタロウくんは顔を歪めて、

「馬鹿らしい。勝敗がつかないものを勝負と称するなんて片腹痛いね」
「いや。私はあなたを負かすよ。武器を使うまでもないね」

 赤い目が煌々と燃え上がった。

「……君がどれだけ甘ちゃんが教えてあげるよ」

 よし。乗った。

「ヌラリヒョンさん審判して下さい」
「…………ん?」

 まさか巻き込まれるとは思っていなかった……みたいな声だ。

「その妖は君の味方だ。認めないよ」
「大丈夫。ヌラリヒョンさんが私に肩入れする理由はないよ。寧ろ私が負けた方が都合が良い」

 ヌラリヒョンさんは私についてきているだけで、思想を共にしていない。
 それをはっきりさせると、モモタロウくんも納得した。

「いいよ。で、言い合えってこと? いきなり?」
「うん。まあモモタロウくんは元々乗り気じゃなかったから私からでいい。……あ、言っておくけど、大声を出して言葉そのものを妨害するのは駄目だよ。それって耳が痛いって認める事になるからね」
「判ったよ」

 モモタロウくんはだるそうに同意した。
 ……ここまでの流れ、実は想定した流れとは違う。
 モモタロウくんはもっと私の案を馬鹿にして否定すると思っていた。それを煽れば自然と舌戦の流れになると踏んでいたのだが、何故だかモモタロウくんは終始落ち着いている。煽れば反応するが、いつもの覇気がない。
 少し気になるが、こうやって会話の場を設けることは私が最も求めていたことだ。
 深く考えない。
 思っていることを、伝えるだけだ。

「双方準備は良いようだな。では、この勝負見届けてやろう」

 ヌラリヒョンさんはそう言って私達から離れた。視界の端にちょこんと立っている。

「モモタロウくん!」

 私は射貫くような視線を向けられながら言った。

「病院ではありがとう。無事完治しました」

 ……
 ……
 ……
 ……

「で?」

 否定的な言葉が来るはずだと構えているんだろう。モモタロウくんは警戒心はそのままに促してきた。……そういうところ、悲しくなる。悪く言うためにお礼を言う訳ないのに。

「心配かけてごめんさい。何日も、ごめん」

 モモタロウくんは「はあ?」と不快そうに言う。

「自惚れないで。心配なんてしてないから。大体僕が君を気に掛ける道理なんてないよね。君みたいなクズ人間、そのまま死んでも良かったんだから」

 今まで生きてきて「死ね」と罵倒されることがなかったので、それなりに傷ついた。
 でも平気。

「看護師さんに聞いた。血だらけや泥だらけになって病院に来てたこと。それが私の為だったことも」

 死んで欲しい人の治療なんて手伝わない。
 大丈夫。少なくともモモタロウくんは私のこと、『死んで欲しいほど嫌い』ではない。

「……どうして、治った時にいてくれなかったの?」

 モモタロウくんは目を逸らした。黙り込んだままで答える気はなさそうだ。
 だったら。

「ヌラリヒョンさんに、何か言われたんでしょ?」
「僕が妖の言葉に左右されるとでも?」

 即座に言い返す時点で、心揺さぶられているのは明白。

「例えばその、あなたお得意の刀では理想を叶えられない、とか。それとももう失敗しちゃったとかね」
「お生憎様。僕は着々と鬼をこの世から消してる。殲滅は秒読みだね」
「じゃあ、モモタロウくんがこの世から消えるのも、そろそろなんだ」
「繋がってないよね?」
「鬼を斬る度に、鬼と繋がりのあるひとたち全てが敵になる。モモタロウくんは誰かの為に鬼を斬るけど、今って誰が感謝してるの」

 とうとう刀を抜いた。……感謝されてないんだ。

「誰の為でもない。僕の為に斬ってる」
「私怨か。なーんだ、あなたに正義なんてなかったんだね」
「君がそれを言うの」
「私、正義の味方になった覚えない。正義なんて持ってない」

 寒気がした。
 強風が吹き抜けたはずなのに、周囲の木々は一切揺れていない。モモタロウくんが刀を握り直した。ただそれだけなのに。

「……どうして八百万界を救うなんて馬鹿なこと言ったの」
「な、なんとなく。やらなきゃって思ったから」

 変わらず空気がびりびりする。呪術なんかじゃない。立っているだけで、この威圧感。そんなの漫画表現と思っていたけれど、本当に雰囲気だけで鳥肌が止まらない。身体が悲鳴を上げているのだ。「死」を目の前にして警鐘を一心不乱に叩いている。
 感覚につられて退いては駄目だ。私は必死に言い聞かせて地面を踏みしめた。

「そんな気紛れな感情にどいつもこいつも看過されたっていうの。冗談じゃない。みんな馬鹿ばっか」
「馬鹿はモモタロウくんだよ。斬ればなんでも解決できると思ってる。強い自分が一番正しいって勘違いしてる。それって妖族の理念と同じだね」

 右耳に突風を感じた。追いかけるように地面が割れる。ただの金属の細板の一振りで。
 彼の刀の腕は常軌を逸している。人間と対峙している気がしない。猪や熊よりも強烈で凶悪な凄腕の侍だ。
 ただの女子学生が丸腰で立ち向かえる相手じゃない。
 でも、やるんだ。恐怖を押し殺す。自分は強いと暗示をかけて、鼻で笑ってみせる。

「野蛮だなあ。そんなあなたを見て思ったの。モモタロウくんみたいな人が人族の味方をするなら、私は妖族の味方になるね。人族のいる八百万界なんて救う価値ないよ」

 私のすぐ目の前で、毎日手入れしている鋭い刃が何度も乱舞した。目に見えない壁に阻まれて一太刀も届かない。

「君はなんで! どうして! なんで!」

 喚きながら何度も斬撃を与えてくる。
 怒らせる事に成功した。これなら本音が聞ける。だからもっと言ってやる。

「毎日”人族”から妖族の悪口を聞いていたらそうなるでしょ。だって最低だよ。妖族を下げてばっかりで、そのくせ恩恵をもたらす神族にはなーんにも言わないの。どうせ神族だって迷惑なひとはいるだろうに、これは除外するってわけ。そもそも見方が偏ってるでしょ。偏ってることを認めもしない気付いてすらいない。そんなに弱くて愚かなら人族なんて自然淘汰されちゃえば良いんだよ」
「違う! 君は何も知らないだけだ。妖族がどんな奴らか、中でも鬼がどれだけ救いようもない奴か! 見方が偏ってる? そもそも君は何を知ってるのさ。余所者のくせに。妖族の贔屓だって、妖の味方がしたいわけじゃない。君はヌラリヒョンに好かれたいだけ! 媚びを売ってるだけじゃないか」
「そんなの関係ない!」

 なんでここでヌラリヒョンさんの名前が。

「何をするにもまず顔色を伺ってるくせしてよく言うよ。君の発言はヌラリヒョンにとって都合が良いかどうかを重視して、君は君の意見を言わない。もしかして気づいてなかった? じゃあ無意識に媚び続けてるんだね。そうやって色目使ってニホンで楽して生きてたんでしょ?」

 色目を使って楽に生きる?
 なわけないじゃん。
 そんなの、出来ない。出来なかった。
 気に入られようと媚びても、気に入ってもらえなかった。
 自分の意思のない者だ、八方美人だと蔑まれた。
 自分に都合の良い人間が欲しかったくせに。合わせれば気持ち悪がれ、合わせなければ可愛げがない。
 私は結局何をしたって、誰かに必要としてもらえなかった。
 母にも。父にも。
 ヌラリヒョンさんは違う。
 ヌラリヒョンさんは優しい。身の回りの世話をしてくれて、聞けばなんでも教えてくれる。言えばなんでも聞いてくれる。とってもとっても良い人。
 ……私に利用価値がある間は、少なくともそう。
 それでも構わない。そもそも子供の私がヌラリヒョンさんのような大物に価値を見出してもらった事が幸運だった。不自由のない生活をさせてくれる。この八百万界とかいう、理解不能な世界で。
 私にとっての命綱。
 そんなヌラリヒョンさんを斬った癖に。
 あの時もしヌラリヒョンさんが死んでいたら、私には自分を売っていく以外の道はなかった。仕事を探したって情勢が不安定な今、すぐには決まらない。だからどうしても、繋ぎの期間は私を商品として売らないといけない。たった一回で済むかもしれない。でもその一回で”私”は死ぬのだ。

「……ひと殺しがうるさいんだよ」

 涙の代わりに腹の奥底から出てきたのは、しまっていた刃だった。

「ただの掃除だよ」

 なんて言うが、私はそれをせせら笑った。

「……モモタロウって『桃太郎』のことでしょ。老夫婦に育てられて鬼ヶ島で富を得た。どうしてここにいるの? 鬼退治失敗しちゃった? それとも老夫婦に何かした?」
「……殺す」

 それは何度も聞いた。

「馬鹿だな。あんたの行動が老夫婦を穢してるんだよ。ひと殺しの子供喜ぶ夫婦なんていないでしょ」
「っ」

 何も言わないという事は弱点だと判った。刀の切っ先が地面スレスレの所まで垂れている。
 それを見て、沸き上がったものは罪悪感だった。それも特大の。
 たかが口喧嘩で殺しの件を出す必要はなかった。育ての親のことも言うべきじゃなかった。
 これは戦略だからしょうがないのか、戦略でも言うべきでないのか。
 どっちなんだ。今はただただ落ち着かない。
 こんな趣味の悪い戦いを提案したのはどこのどいつなんだ。大切なものを貶め合って馬鹿みたい。
 全然すっきりしない。悲しいだけ。

「……」
「……」

 舌戦というのに、もう何も思い浮かばなかった。
 傷つける言葉を放つ事に躊躇いがある。
 これなら頭空っぽで刀振り回す方がきっと楽だ。

「さっきから固まってるけど、もう終わり? 君の言いたい事ってこの程度?」

 勝利を掴んで要求を通した後、モモタロウくんは私にどんな感情を抱くだろう。
 町から町へと回ろうって思ってくれる?
 同じご飯を食べたいって思ってくれる?
 同じ宿に泊まって「今日も疲れたー」ってうだうだ言い合える?
 一緒に旅して楽しいって、喜んでくれる?
 ────一緒にいたい。って、思える?

「……無理だよ」
「へえ、負けを認めるんだ?」
「負けてない! でも勝たない!」
「はあ?」

 正直何も考えてなかった。
 モモタロウくんに自分の事を話してもらいたかった。
 本音が聞きたかった。
 それならこんなやり方じゃ駄目だ。

「ヌラリヒョンさん!! っていないし!!!」

 この勝負見届けてやろう、キリッ。って言っていたあなたは何処へお散歩に行ってしまったの!? どれだけいい加減なの!!

「結構前からいないよ。気づいてなかったの?」
「集中してたんです!!」

 ヌラリヒョンさんのばか! フラリヒョン!

「審判がいないので休戦します。判定出来るひとがいないなら勝負は無効でしょ!」

 「しょ」の時には刀が飛んで来ていた。私を通り過ぎたソレは地面に突き刺さっている。

「舐めてるの? 一度勝負が始まったら死ぬまで終わる訳ないだろ」

 瞳孔を開いて私を見下していた。真っ赤な瞳は血のようで、悪鬼羅刹を思わせた。

「……モモタロウくんは、ここで勝ったら何が嬉しい?」
「僕の今までの道が間違っていないと証明出来ることだよ」

 向こうにはこの勝負で得るものが出来てしまった。
 私はなくなったのに。 

「じゃあ、間違ってないってことで良いよ。それでおしまい」

 モモタロウくんは急に空気を弛緩させた。

「何言ってるの? 僕がこのままだとこの世の鬼は根絶やしにするし、邪魔する妖は全員殺すよ」
「いいよ。私、関係ないし」

 モモタロウくんは目を見開いた。一瞬泣くかと思ってぎょっとしたが、さっきよりも更に怒った。

「ふざけるなよ!!」

 声が裏返っている。

「なんで君まで適当なの!! どうしてちゃんとしてくれないの!! 僕よりもずっと正義だったのに!! どうして!!」

 刀のないモモタロウくんに思い切り蹴飛ばされた。痛くはないのだが体勢が崩れて地面に倒れ込んだ。
 さっきと理屈は同じ。攻撃に対するオートガードは副次的なものをカバーしてくれない。
 モモタロウくんは私に馬乗りになって殴りつけてきた。やはり痛くはない。だが上を取られては身動きなんて取れない。モモタロウくんは溢れる感情を押し殺して、殺しきれなかったものをダバダバと漏らしながら、右手で左手で私の顔面を殴った。

「君を見て、正しい正義を突き付けられた。なのに君は理想的正義をちっとも行ってくれない。妖とつるんで、悪い事をする。……君のそれ、あのひとのせいでしょ。あのひとがいなきゃ、君はそうならなかったはずだ。見てれば判るよ。君のいい加減さは偽物だって。……本当ににいい加減ならあんなにびくびくしながら周囲なんて見ないよ」

 今までと違って殺意に溢れたものではない。憐憫。私の一番嫌いな目だ。

「間違いを指摘されるのが。怖いんでしょ。君は自分の在り様に自信がない。だから”正しい”ことをしたがる。なのに君は妖に唆されて正しいことから逃げてる。いや、妖の中では”いい加減”が正しいからってことかな」

 逃げていない。
 私は自分で考えて、良いと思った事をした。
 百パーセントヌラリヒョンさんに従ってなどいない。
 私が変わってきただけ。

「八百万界を救うなんて面倒で途方もないこと普通言わないよ。今まで誰も出来なかった。決起するだけで皆一目置いてくれる。成功すれば賞賛してくれて君を認めてくれるよ」

 そんな腐った動機じゃない!
 そんなことない。うるさいうるさい。

「そっちこそ損得なしで誰かを助けて気持ち悪いんだよ! 誰に感謝されてるのか判らない鬼退治に執着してるのも病気だよ!」
「ちょっと優しくされたくらいで、盲目的に他人を慕ってる君こそ気味が悪い。自分が変われた? 媚びるだけの奴が馬鹿じゃないの。中身が空っぽなんだよ」

 そんなこと、判ってる。

「気に入られようとして何が悪い!! あのひとは私を見てくれる。話を聞いてくれる! だったらその分言う事聞いて何が悪いんだ! それに妙にそこばっかり言うけど、自分にも当てはまってるんじゃない? 自己紹介じゃないの? 育ての親に気に入られる為に頑張ってたのかな? まさかそれが鬼退治?」
「違う! 僕はただ。力がある者は人の為に使う義務があるからだ」
「なにそれ、どうせ借り物の言葉でしょ。全然馴染んでないよ? 自分だって他人に惑わされてるくせに私のこと言えないでしょ」

 ムカつく。
 面倒くさい。
 相手にしたくない。
 とにかくムカつく。気に障る言葉ばっかり言ってきて。
 こんな人、まともに相手にするだけ無駄。
 深くは付き合わず浅い関係でいるべき人種だ。
 同意を求められたら適当に頷いて、批判してたら無難なことだけ言って、本音で同意も否定もしないでいる。
 こんな面倒な人と付き合って何のメリットがある? ないよ、全然。
 殺しに躊躇いがないし、人がちょっとルール違反しただけでも狂ったように怒ってくるし本当うんざり。

 でもそうやって、誰もまともにモモタロウくんに向き合ってくれないなら、しょうがないから私が付き合ってあげる。
 なんで手を伸ばすのかって。
 とってもシンプルな理由。
 ほっとけないだけ。
 だってモモタロウくん、いつも楽しそうじゃないんだもん
 友達いなさそうだもん。
 同情なんていらないって怒られそうだけれど、私だって向こうに友達と言える人いないから、類友って事で大目に見てもらいたい。
 悪口の応酬が長引くと辛くなる。痛い所を突かれて傷ついたからではない。
 モモタロウくんが一人きりであることを思い知らされるからだ。
 本来なら老夫婦と共に三人仲良く暮らしてて良いはずだ。
 でも、きっと、何かがあったから今こうして一切の悪を許さぬ修羅となった。
 本当のモモタロウくんはそんな怖いものじゃない。弱い者に優しくて、正義感が強くて、信念を曲げない、刀が得意な、そのあたりの少年と変わらない。ただの優しい人だ。

 ────鈍い音がした。
 モモタロウくんの拳が初めて私に届いた。頬骨が歪んだのか折れたのか。脳が揺さぶられて耳鳴りがする。驚きが先に来て痛さが判らない。そんな中モモタロウくんが拳を下ろしたのが見えた。

「躊躇うな! 敵に容赦なんていらないでしょ。勝負舐めるなって言ったのはそっちだよ!」

 私がモモタロウくんの顔をグーで殴り返して、私たちは殴り合った。

「終わりでいいよ」
「しぬまでおわらない。モモタロウくんがいった」
「っ。いいよ。なしでいい」
「しんぱんがいない。おわらない」 

 結局私は最初の一発しか当てられなかった。あとはずっと殴られ続けている。衝撃で何度も自分の舌を噛んでしまって、口内は血だらけ。鼻も殴られているから何処の出血による鉄臭かよく判らない。

「なんでこんなことになったんだっけ」
「わすれた」
「戦う必要ないよね」
「にげるりゆうをさがすの。かっこわるい」
「どうでもいいよ」
「じゃあちかって。にどとおにをきらないって」
「……出来ない」
「じゃあおわらない。おめでとう」

 もう殴ってこなかった。拳が飛んでこなくても顔中の痺れは続く。

「やるきだして。ころすのとくいでしょ」
「……」
「しょうぶがつかないと、いたいおもいしたいみ、なくなる。……いたいのやだ。はやくおわりたい……」

 いっそ死ねば痛くないものかもしれないが、死ぬ瞬間はやっぱり痛いのかもしれない。

「いたいおもいをしてしぬならさいしょからうまれてこなきゃいいのに。そうすればみんなはしあわせでいられたのに」

 モモタロウくんが立ち上がった。

「僕の負けでいい」
「かちだよ。そっちの。だってわたしたてないし。めのまえがゆらゆらしてきて」
「ちょっと! しっかりしなよ!」
「しんでやっと、すきになってもらえる」

 額に雨が降った。生暖かくて気持ち悪くて、少し安心した。



 ◇



「はっ!」

 またこのパターン。小汚い天井。年季の入った染みたち。ここは八百万界だ。

「起きたか」

 と、いつものヌラリヒョンさん。

「いつも面倒かけてすみません」
「構わんよ。其方といるとやっぱり飽きぬ」

 そう言って目を細めた。
 ここはどこだろうと見回すと、襖の影にモモタロウくんが見えた。目が合うと一度目を逸らして、そのままゆっくりと横に来た。下を向いたまま私に尋ねた。

「……体調、どう?」
「それなりに……」

 各部位を動かしてみたが、指先足先までしっかり動く。だが首を曲げると少し痛い。口内も舌先で触るとぼこぼこになっていた。顔も触ってみると仰々しい手当が施されている。
 だがどこもそれほど痛くない。明日には全部治っていそうな気がする。

「腹はどうだ。何か入るか」
「お腹空きました。醤油べちゃべちゃじゃなければ大丈夫そうです」

 ここは食事用の部屋に行くタイプの宿屋だったので三人で向かった。
 整列する座卓の一つにヌラリヒョンさんが座るので、私は向かいに、そしてモモタロウくんはヌラリヒョンさんの隣に座った。
 視界に二人が並んでいる。

「……そんな仲良しでしたっけ」
「「さあ」」
「あ、そう……」

 何があったのだろう。それともまた私の記憶が混濁しているのか。

あるじさん」

 私は箸でおにぎりを割った。一口サイズで口に入れていけば問題なく食べられそうだ。

「無視されるの腹が立つんだけど」

 横柄な。店員さんに偉そうな態度をとる人は嫌いなので黙っていられなかった。

「忙しくて聞こえない時もあるでしょ。店の人の都合考えなよ」
「何言ってるの」
「何って」

 モモタロウくんは私を見ていた。

「君を呼んでるんだよ」
「……新手の詐欺ですか?」
「馬鹿?」

 馬鹿はそっちでしょ。突然何を言い出すやら。

「勝った奴について行くのは当然でしょ」
「昔話じゃあるまいし」

 昔話の主人公だった。失敬。

「待って。私そもそも勝ってなくない……?」

 素手で殴り合ったことは覚えている。お互いに喚いていたことも。

「いいや。勝者は其方だったぞ」
「あ! ヌラリヒョンさんいませんでしたよね!! 審判なのに!!」 
「いたぞ。其方が気づかなかっただけで」
「絶対嘘だよ。だってモモタロウくんがいないって言ってもん!」
「ははっ。儂の本気はなかなか凄いのだぞ」

 絶対あの場にはいなかった。でもモモタロウくんが何も言わないのを見ると、本当にそうだったのかな。もうよく判んないや。

「それで、悪いんですが私が倒れた後の事を教えて頂けませんか」
「其方が勝った。気絶したので宿屋に運んだ。それだけだ」
「その詳細を教えて欲しいんですが」

 お茶碗片手ににこにことしている。埒が明かない。

「教えて」

 次はモモタロウくんに言った。すると、

「……ないしょ」

 …………は?



 ◇



「……この子を手当してあげて」

 赤紫の顔をパンパンに腫らした女の子を見下ろしながら僕は頼んだ。気配を限りなく消して、頃合いを見計らっていた妖に向かって。

「儂が其方の命令を聞く謂れはない」

 僕の願いを一刀両断に切り捨てた。取り付く島もない。

「この子は僕と関係ない。君のことを慕うこの子は助けてあげて」
「自分でやっておいてか?」
「そうだよ……。頼むから……僕の負けで良いから」

 口喧嘩なんて馬鹿なことを言い出したナナシの子の誘いに嫌々乗って、気づいた時には僕の下でぐったりしていた。
 何の武器も使えない、身体能力も低い、本来守られるはずの弱者を僕は捻じ伏せた。
 刀ではなく、僕自身の手によって。

「……可愛い顔に惨いことを」

 妖は怪我を想定していたのか治療道具一式を広げた。ナナシの子の瞼や鼻や口から流れ出た血を拭っても、顔の歪みはそのままだ。

「……満足か」

 最悪だ。
 僕はまた、この子をぼろぼろに痛めつけた。
 つい先日僕の刀のせいで倒れた。折角治ったのに日を置かずにまた。
 僕はこの子を壊してばかりだ。
 鬼じゃないのに。

「これで理解出来たろう。自分がどれだけ厄介な存在か」

 刀の有無に関係なく、僕は潔白な人間に力を振るった。
 外道そのものだ。
 鬼を斬る最中に何度も言われた言葉であるが、今となっては納得せざるを得ない。

「しかし、この娘は堕ちていく其方に手を差し伸べたいらしい。物好きなことにな」

 救いなんて求めていない。僕は救う方だ。……ついさっき人をタコ殴りにした僕にはもう言えないけれど。

「気が小さいくせに度量がある。理想が高くて頑固で、実力が無くて自信だけがある。愉快な娘だ」

 愉快なんかじゃない。
 そうやって他人が遊んでいいものじゃない。
 寂しがっているあの子にもっと寄り添ってあげればいいのに。君を慕っているのに。

「どうしていなくなったの。あの子に何かあったらって考えなかったの」
「勝負は目に見えておったのでな。既に娘に屈服しておったろう? こんなものただの負け戦だ」

 くっぷく。そうだ。僕は負けていたのだ。江戸で巨大な悪霊を倒す時から。

「止めなかったのは、どうして」
「娘が望まぬと考えたからだ」
「こんなに殴られるなら、流石に止めて欲しいと願うでしょ、君に」
「いいや」

 妖は言い切った。あまりに流暢な言葉に僕は不快な気分になった。
 この子は痛いのは嫌だと言っていた。本当にこの子が大事なら止めるべきだ。判り切った事なのに。

「さて。敗者がどうなるか判っているな」
「好きにするといいよ」

 もうどうにでもなればいい。疲れた。

「娘が望むように枷を付けてやる」

 刀を取られるのか。折られるのか。
 僕の刀。今まで多くの者を斬り殺してきた、鬼ノ城きのじょうからの相棒。
 僕の生きた道そのもの。

「今後は娘に仕えろ。……簡単だろう?」

 意味が判らなかった。仕える? どうして? 僕はこの子を二度も苦しませたのに。

「なんで……」
「其方にとって一番大事な物を奪われる。勝負とはそういうものではないか」

 この妖のしたり顔は神経を逆撫でする。腹立たしいが刀はまだ手元にない。この妖の実力を考えると今の状況下では僕が負ける可能性が高い。従うしかないだろう。
 刀があったとしても、あの子が大事にしているひとを斬るわけにはいかないけれど。

「……判ったよ」

 妖は満足そうだった。腹が立つから負け惜しみを言った。

「勘違いしないでよ。僕は君に負けたわけじゃない」
「そうとも。其方は娘に敗北しただけだ」

 あの子の顔がどんどん白い布が巻かれていく。死んだ人みたいだ。
 さっきまであんなに元気に騒いでいたのに。
 余裕たっぷりで厭味ったらしく詰っていたのに、妖の話題になったら途端に顔色を変えて吼えた。八百万界の外から来たこの子にとってこの妖が何よりも大事で、心の支えなのだろう。
 僕にとってはどうでもいい、斬っても良い存在であっても。

「今までのことはごめんなさい。……君のことだよ。ヌラリヒョンさん」

 ヌラリヒョンさんは僕を一瞥すると、ナナシの子の手当てを続けた。僕は二人を見ながら、熱に浮かされたように言った。

「正直僕は鬼も妖も嫌いだ。でもそれだけが理由じゃなかった。君が嫌いだった。あの子を惑わせた張本人で、あの子に慕われてるから。……それは己の未熟さが原因の嫌悪感だから、そこは謝るよ。許して欲しいわけじゃないけど、自分の醜さは自覚した、つもり。だから」

 ヌラリヒョンさんは「そうか」と短く言った。少し胸のつかえがとれた気がした。

「終いだ。もう今日の宿は押さえてある。行くぞ」

 気が進まない。仕えろと言ったが、二度も傷つけた僕はあの子の傍にいない方が良いはずだ。

「……儂が娘を抱く間に厄介なものが現れたらどうする。其方が相手をするのだぞ」
「判ったよ」

 僕は地面に突き刺さったままの刀の下へ歩いた。僕の手に馴染んだ信頼できる刀。正義の意味を今一度考える為に、僕は刀を抜いた。



 ──────と言う事があったが、ナナシの子には言うつもりはない。これ以上情けない姿を見せるなんてごめんだ。

「……まあ、喧嘩していないなら別に良いですけど」

 納得していない様子でナナシの子は言った。

「それより君は今後どうするつもり。あるじなんだから行先くらいは決めてよね」
「いや、そのあるじってなに。許可してないけど」

 嫌がるナナシの子をヌラリヒョンさんが諫めた。

「良いではないか。これで其方は自由に命令できる。殺しを禁ずる、とかな」

 なるほど、枷とはそういう。確かにナナシの子の裁量で僕を動かせる効果的な枷だ。

「悪いけど。僕は鬼を殺すこと、邪魔者を殺す事はやめない」

 ヌラリヒョンさんからはほんのり殺気が放たれた。ナナシの子はなんだか泣きそうにしている。

「やめないけど、暫くは休止する。……少し、疲れた」

 みるみるうちにナナシの子は顔を明るくさせて、

「そっか! うん。休憩、良いと思うよ!」

 などと声を弾ませた。僕が今まで無我夢中でやって来たことをやめると言ったのに嬉しそうで眩暈がした。僕の数年間はなんだったのか。やめることでこんなに喜ばれてしまうなんて。
 でも僕は少しだけ、ほっとしている。ナナシの子に会って、僕は少し自分の振る舞いを顧みるようになった。自分の刀に納得がいかない今、一心不乱に振るってきた刀を一旦鞘に収めて周囲を見渡したい。

 ナナシの子。八百万界外から来た変人で、ヌラリヒョンさんにべったりで何も出来ない。その癖口だけは一丁前で偉そうでしつこい。普段は害も特徴もないが、時折突拍子のない行動をして周囲を振り回す。僕の正義を揺るがせた諸悪の根源。中身はただの寂しがり屋。今後はこれに仕えるらしい。

 ヌラリヒョンさん。遠野の有名な妖で何を考えているのかさっぱり判らない。見る限りはナナシの子を尊重しているようにも見える。だが単独行動時の彼の狡猾さを目の当たりにした僕にはそれすら演技に思えてならない。このひとがナナシの子に与える影響は絶大だ。おかしな動きをしないか常に見る必要があるだろう。一応今の僕はナナシの子に仕えていることらしいし。念の為ね。

 変人と妖と。改めて、これからは三人での旅が始まる。

「で、結局僕らはどこへ行くの?」

 首を傾げるナナシの子に代わって、ヌラリヒョンさんが自信満々に言った。

「山だ」





------------------------

・モモタロウとは

 私の未熟さ故に判りにくいだろうなと思ったのは、

 ナナシ→鬼ヶ島
 モモタロウ→鬼ノ城

 と、言っている事です。
 鬼ノ城と言うと、岡山県総社市のあれですね。私は多分行った事がありません。
 桃太郎のゆかりの地は全国にあるのですが、岡山県が押しまくったせいで岡山=桃太郎のイメージがあると思います。
 それだけ岡山には何もないのです。
 国体のマスコットキャラも桃太郎キャラで「ももっち」ですからね。
 それは「岡山県マスコット」として今も引き続かれています。

 まあ岡山の話は置いておいて、鬼ノ城のことはそのうち書けたら良いなと思っています。




 今回の「東海道」でモモタロウについての見解をガッツリ書かせてもらいました。
 正直に申し上げますと、公式から提供されたもの(本編・本殿台詞・親愛台詞)を見ていて「子供だなあ」「偉そうだなあ」と思いました。

 二次創作だとこんな印象。(と言っても私はバンケツ二次は全くと言って良いほど見ていない)
 BL→受しか見たことない。口を尖らせたり、頬を染めている絵を見かける事が多い。
 夢→夢主よりも優位。クール。年下彼氏が年上彼女をからかう感じのアレ。
 NL→ツクヨミ相手しか見たことがない。子供組という扱い。思想が幼い。

 公式・非公式ひっくるめて、モモタロウは「お子様」なのだと受け取りました。
 だから私はお子様な部分をしっかり書きました。
 冷めたように見えていても、ちょっと突けば感情を昂らせて周囲が見えなくなる程度の自制心。
 自分が一番正しい。自分勝手。刀の腕は本物。その強さ故に他人に凹まされることが無く、己を顧みる事がない。


 一つ気になったのが、「正義厨」とファンが言う割には正義に狂っている場面が公式にも非公式にもないことです。目録説明だけでそう思わされているだけなのか、実は英傑伝承で表現されていたのか。

 二次創作でも恋愛やほのぼの話が多く、本当に正義至上主義なのかと疑問視した結果、私は「行き過ぎた正義感」をがっつり書きました。
 この部分はモモタロウファンからすると、クローズアップして欲しくない、見たくない部分かもしれません。だってファンアートでろくに表現されていないのだから。
 けれどこれがないとモモタロウじゃないと思ったので入れました。

 考えれば考えるほどヤベーよコイツ……。
 でもそういう「ヤベー奴」だからこそ、八百万界の英雄になれたのです。(「英雄」表記は目録説明より)

 鬼ノ城で鬼を討伐し、数々の金銀財宝を手に入れた”””後”””のモモタロウが一血卍傑で描かれるモモタロウです。
 このテロリストみたいな子供が、何を見聞きして、どう変わるのか。
 それが一血卍傑で「モモタロウ」を描くにあたって大切にすべき部分なんだと思います。
 それあっての各種親愛台詞。


 モモタロウ回でしたが、お陰で夢主の欠点を提示する事も出来ました。
 読者にとって気分の良い話ではないですが、自分としては必要な四万字でした。
 夢主がモモタロウと関係を結ぶにあたって、必須級の衝突でした。
 でもしばらくは平和でいて欲しいです。(本音)



の神

 本当は東海道の話に特定県の話をする気はなかったのですが、なんとなく流れで入れました。
 夔の神とは山梨県笛吹市春日居町の「山梨岡神社」で祀られています。
 全国で唯一この神社だけが祀る神です。ご利益は雷避け・魔除け。

 この神様のルーツは殷(古代中国)の地理誌「山海経(せんがいきょう)」という書から。
 元々は龍神の一種だったとか。

 なぜ山梨にいるのか。
 山梨岡神社の祭神は山の神と水の神と雷の神。と、夔の神がその全ての要素を持っています。
 だから祀っている……のかもね。
 今回は緊急事態宣言で図書館が閉館により、本で調べずネットだけの情報なのではっきりと言う事が出来ません。
 気になったら調べてみて下さい。


 「山」「水」「雷」……と、三要素は全部散らしました。水はモブが沈めるって言っただけですが。
 中国由来の神ということで、キリンの名も出しました。
 読んでいる人には絶対に判らない要素なので、完全なる自己満足です。実際満足しました。



・今後

 現実の話になりますが、緊急事態宣言が発令していると図書館が閉まる地域にいるので、
 次の話は図書館が開いている時に書いていきたいと思います。
 次は一気に複数の英傑を出す予定。

(2021.9.19)