二度目の夜を駆ける 七話-畿内2-


「ヌラリヒョンさん! 判りましたよ!」

 目の周りに大きな隈のある青年が、宿から出てきたヌラリヒョンを呼んだ。ヌラリヒョンは宿の主人に礼を言うと、青年を連れて人混みに紛れた。

「……で、間抜けな面した子供が二人の物売りに連れられてたって。結構な目撃者がいますね。ベラベラ喋ったから覚えていたってのが多くて」
「子供なんぞ何処にでもいるだろう。儂を誤報に踊らせる気か」
「も、申し訳ありません」

 えっとえっとと青年は考え込むと頭の上にぴょんと丸い耳が飛び出した。

「……そうだ。果実のような匂いがしたって。香とは違う香り。腹を刺激するような」
「ああ。なら娘だな」

 あっさりと同意すると、「やっぱそうじゃねえか、くそジジイ」と青年は零した。

「変わらず徒歩のようだ。警戒故か、それとも何かあるのか」

 考えながらも、すれ違う者達を一人ずつ確認する事を忘れない。普段はのんびりしているがやる気になれば複数のことを同時に行う器用さがある。

「これ。町中で儂に剣を抜かせるなよ」

 青年は小さく悲鳴をあげ、取り出しかけていた故郷の老樹の葉を懐に隠した。

「ヌラリヒョンなんか名前だけのただの老いぼれだって……噂は嘘じゃねえかよ」

 小声でぶつくさと文句を言う青年に深い溜息を吐いた。

「儂に襲いかかってきたのは不問にしてやっただろう。あまり煩いようなら」
「すみません!」

 一転してニヤニヤとへり下る未熟さにヌラリヒョンは笑った。

「……襲う気概は認めるんだがなあ」

 同じ未熟者でもいつも共にいた少女とはまた違う種の若さが愉快だった。

「次はどこへ?」
「さあどこだろうな」
「……質問したのはこっちだろうが。耳だけガチジジイかよ」

 罵倒は無視し。ヌラリヒョンはあるものに目が留まった。

「ところで其方、腹は丈夫か?」
「まあ。奢りなら俺はそこそこ食うぜ?」

 自信満々に言ったのが運の尽き。

「おえ」

 大量の饅頭が積み上げられていた。青年の余りをヌラリヒョンがひょいひょいと食べていく。

「(ジジイの食う量じゃねぇだろ……。見てるだけで……うっ)」

 特別甘い餡子を想像するだけで胸やけする。他の客が際限なく食べていくヌラリヒョンを見てこそこそと話している中、店員が無料の緑茶を運んできた。

「お兄さんよく食べるねえ。最近来たお嬢ちゃんもそんな感じで山盛り食べてたよ」
「ほう。その子とは話が合いそうだ。是非会って甘味の話を交わしてみたいものだな」
「好きなひとの好物だからまた来るって昨日言ってたから、うちに通ってくれればそのうち会えるかもね。ゆっくりしていって」

 口を押さえた青年の横で、ヌラリヒョンは僅かに微笑んでいた。

「……儂の好みをよく判っている」
「おい。こんだけか? 俺があれだけ食わされて話はこんだけか?」
「十分な収穫だろう。昨日この町であの娘は自由行動を許されていた、と」

 店を出た後はヌラリヒョンも度々口を押えていた。

「流石に食い過ぎた。暫くは饅頭を避け、くずきりにするか」
「おいおい。ヌラリヒョンさん大丈夫か? ……なーんてな!」

 青年は懐の葉を額に当てると大蛇へと変化した。大きく口を開けた大蛇はヌラリヒョンに襲い掛かる。
 その時、目を細めたヌラリヒョンは手の中に現れた剣で真っ二つに斬った。

「……やべえ」

 血だらけの大蛇に傷はない。太い身体の傍らには先程の甘味処の制服が真っ二つに分かれていた。
 切断面から血が溢れ、臓腑がぬるりと滑り落ちる。青年の変化が解け、尻もちをついたまま口を覆った。

「なんだ。殺したことはないのか。最近の若者は大人しいのだな」
「いやおかしいだろ……なんで……相手は普通の奴だろ……」
「儂らを監視していた。斬らねば其方も死んでいたぞ」

 流れるように剣をしまい、ヌラリヒョンはその手を青年に差し出した。

「礼儀知らずの躾も年寄りの責務だ」

 黄色の瞳孔に恐怖が込み上げ、青年は飛び起きた。取られなかった白い手は静かに下りていった。
 ヌラリヒョンは再び通りを歩き、青年は背を丸めてその背を追った。逃げることすら恐怖で出来なかった。
 気にすることなくヌラリヒョンは通行人の一人に注目した。
 そろそろ大人になろうとする子供であったが、親であろう者たちの腕に抱き着いて笑顔を見せていた。

「おいまさか次はあんな子供を殺す気か!?」
「あるわけなかろう。滅多な事を言うでない……」

 子供から目を離し、ヌラリヒョンは大きな溜息を吐いた。

 その頃、モモタロウは。
 中古の武具の露店が気になっていた。角を見ると目が離せなくなるのはもはや習性だった。
 商人であっても鬼は鬼。人権などなく、普段ならば拷問で情報を引き出すところだ。

「……最近ここに女の子が来ませんでしたか。探している人なんです。どうか教えて頂けませんか」

 地面に並行になるまで頭を下げた。
 通行人で踏み固められた黄土色の景色の中に二つ折りの紙が現れた。すぐに顔を上げた。

「それが家に置いてあった。多分お前宛てだろ。昨日手紙は燃やされたはずだったのにどんな幻術を使ったのか」

 紙の表面には、『くろかみのながいかたなのこどもにわたして』とあった。ナナシの筆跡ではない。

「昨日のはなんだっけか。苛々してても斬んなよ、って内容の手紙だ。それが連れの兄ちゃんに見つかってな」
「連れ……」

 男といるのか。
 モモタロウの心が一気にざわついた。無意識に殺気が漏れたのだろう、商人が目を見開いていた

「……黒髪で長刀のガキとくりゃ、一人、有名人がいるんだ。もしそうなら俺はとっくに死んでるはず。……なあ、お前、鬼斬りじゃないよな?」

 ガタガタと震えていた。鬼斬りという者は、見ず知らずの鬼を震えあがらせる程に残虐非道なのだろう。

「……あんなにぼけっとした女の子が鬼斬りなんかと繋がってるわけないでしょ」
「だよな」

 商人は大きく安堵の息を吐いた。

「びびらせんなよ。あんな気弱そうな子が鬼斬りと関係あるわけねぇと思ってても、今日一日生きた心地がしなかったぜ」

 モモタロウは心の中で少し笑う。気弱は見た目だけの、押しが強い我儘主だ。

「どうもありがとう。助かったよ、本当に」

 商人に礼を言ってその場を離れ、手紙を読んだ。

「やまにいって」

 と書いてあった。やりたい事は判る。大山津見神《おおやまつみのかみ》を利用するのだろう。山であれば八百万界中どこにいても知覚出来る。
 何も出来ないと思っていた主が囚われたまま痕跡を残していた。モモタロウとヌラリヒョンを出し抜く手練れを相手に。
 優れた機転と度胸を称賛する一方で護れなかった自分の情けなさが際立つ。
 自分を叱咤しながら、ヌラリヒョンとの合流地へ向かった。

「主《あるじ》さんの手がかりがあったよ」
「儂も収穫があったぞ」

 互いの情報を交換した。

「囚われの身で饅頭食べる!? 敵も懐柔されてどうするの!?」

 自然と笑い声があがった。モモタロウの思考の外側に主はいる。悲惨さとは程遠い。

「それがあの娘の良さだろう。不思議なことに殆ど初対面であっても甘くなる」

 モモタロウも覚えがある。最初は殺す気でいたはずが、いつのまにか協力することになり────。

「それって君もそうだったの?」
「儂は誰にでも優しいのでな。特別甘いかどうかなど判らぬ」
「はいはい。またそうやって誤魔化す」

 モモタロウは怒っていなかった。この程度で目くじらを立てては妖の総大将とはやっていけない。

「理由は判らぬが相手は移動方法を変えた。今後の情報は辿れぬぞ」
「なら指示通り山に行くしかないんじゃない。主《あるじ》さんが言うならなんとかなるでしょ」

 これが無策無謀であることは二人ともよく判っていた。それでも根拠のない自信を優先する。遠い界から来た少女の存在にはいつも説得力があった。
 二人は頷いた。

「……行くか」
「行こう」
「だが、まずは一風呂浴びてからだな」
「はああ!??? 今そういう流れじゃなかったでしょ? ねえ?」

 ヌラリヒョンとモモタロウは武器を手にして同時に背を合わせた。木々の間からは幾人もの人影が浮かんでいる。二人が追いかけると宣言した時に戦闘態勢に入った者達だ。

「……普通はこうやって血生臭いものだよ。だったら僕も斬ってやらなきゃだよね!」

 モモタロウは斬りたくてうずうずしていた。

「止めないよね!」
「止めぬさ」

 ヌラリヒョンは剣を天に突き上げた。それを合図に人影が次々と妖の大群に呑まれていく。

「ちょっと! 折角斬る相手が出来たのにずるいよ!」
「すまぬ。だが多勢なら儂が適任だったろう?」
「そうだけど……」

 肉々しいぶつかり合いを背後にモモタロウは刀を鞘にしまった。

「ヌラリヒョン様、敵の頭を読みました」

 三度笠を被った武士がふらふらとヌラリヒョンまで歩いて来た。声は笠の方から聞こえる。

「娘の場所は」
「地図に印をしておきます。どうやら現在は丁重に扱われているようです」
「助かったぞ」

 笠が外れると、憑依されていた男はその場に倒れた。笠は人の形に戻って地図に記入をするとヌラリヒョンに渡した。

「遠いな。さて、改めて向かうぞ」
「ねえこいつら殺さないの。起きたらすぐ僕らのこと伝えに行くよ」
「殺せば娘の耳に入る。自分を助ける為に他人を殺したのか、とな」

 羞恥でモモタロウは歯噛みした。斬る楽しみばかりで、主がどう感じるかなどまるで考えていなかった。それを簡単にしてしまうヌラリヒョンに苛々するが当たり散らせない。

「ああもう判ったよ!」
「時間が惜しい。今日は先を行くぞ」

 先導するヌラリヒョンを追いかけながら、ふと漏らした。

「…………なんか安心した」
「何がだ」
「君がちゃんと主《あるじ》さんを探してること。判ってるとは思うけど、主《あるじ》さんは君について回るヒヨコだから。君が必要としなくなったらきっと、どうかなっちゃうんじゃない?」
「儂は自立の助けをすると保証した。いつかは突き放してでも離れてやらねば。それが大人としての責任だ」
「似合わないね」
「だから言わぬだろう」

 適当な振る舞いながらも、少女に対して役目を果たしていた。モモタロウはどうだろう。

「……油断があった。僕はもっとあの子についていないと駄目だった」
「すっかり従者が板についたな。其方は従える側だったろうに」

 変わってはいない。モモタロウの頭の中は主への心配の他に、主の敵を斬り殺せる愉悦もしっかりあった。ただの従者ならばこうはいかない。

「僕は変わらないよ」

 そうかと短く答えた。





 ◆





 目を開くと土壁の部屋だった。土壁というより、土そのもののような。背中にあたるごつごつした感触が気になって見れば、下にはゴザが敷かれただけであった。
 これは今までで最悪の目覚めかもしれない。どんな場所であっても蒲団の上だけは死守されていたのに。しかもよく見ればここは部屋ですらない。洞窟のような。鉄格子がついているので牢屋だろう。
 とうとう座敷牢デビュー……。
 駄々下がりの気分を嘲笑うように、明かりが近づいて来た。どうせろくな人じゃない。身体を起こして鉄格子を睨みつけた。

「やあ! おっはよう!!!」

 誰。
 綺麗な黒髪のお姉さん……だが服装は男の人で、なんかそういう人が挨拶してきた。

「……ごめん。煩かったかな。寝起きだもんね」

 しょんぼりされた。

「いえ。そんなことはないです!」

 初対面の人にハイテンションで挨拶されたら誰だって驚くだろう。
 そしてまた一人やって来た。

「貴様! 年少者は挨拶される前に挨拶をしろ! 礼儀ががなっていないぞ!」
「はい! おはようございます!」
「そうそう。……なーんか俺も山ではこうやってしごかれた気がする」

 緑髪の男は一人で満足そうにしている。羽なんてつけてなんなんだ。
 怪しいひとたちめ。絶対に気を許してなるものか。

「まずは朝食だ」

 男装の人によって座敷牢が開けられた。ん。鍵がない。

「どうしたの? 早く来ないと冷めちゃうよ」

 物腰が柔らかいので怪しくて仕方がない。相手の出方を伺いながら牢を出た。
 さあ、次は手錠か、簀巻きか。

「足元に気を付けてね」

 彼らは何もせず先導した。拍子抜けである。
 そう言うのならと私は普通についていく。
 牢屋は私がいた一つだけ。外から見ると作りが甘い。鉄の棒を地面に立てただけで、体当たりをすれば全部倒れていくような代物だ。
 洞窟内の広い空間にはぽつんと焚火があった。近くには簡素な木箱が置かれ、そこに食べ物が置いてあった。こんなサイバイバルな場所なのに、ちゃんと膳の上に置かれているのが異様だった。
 私はゴザの上に座らされ、目の前に食事が置かれた。

「僕自身の腕前はそうでもないけれどしっかりしごいてもらったよ。召し上がれ」

 これは本当に食べて良いのだろうか。毒が入っている可能性だって。
 二人を見るとじっとこっちを見ている。
 目の前の白米や汁からは湯気が昇っている。冷めてしまうのは勿体ない。
 意を決して食べた。

「う……」

 一口魚を口にしただけで、涙がぽろぽろと出てきた。

「そんなにマズ、」
「美味しい……。本当に私が全部食べて良いんですかあ?」
「勿論。君に食べてもらうために作ったんだからね」
「ありがとうございます!!」

 毒の味はしなかった。私はそもそも毒の味を知らない。
 朝食が美味しいので真剣にがっついていると、近くに座った天狗も食べていた。

「うめー。ナオトラすげーじゃん」
「指導者が良かったんだよ。……うん。本当だ、美味しいね」

 お腹が膨れると心にも余裕が出てくるもので、私はこの人たちについて聞いてみることにした。

「あの……あなたたちは一体……」
「ああ、自己紹介がまだだったね。僕はイイナオトラ」
「コノハテング」

 どちらも知らない。偉人でもないし、普通の天狗なんだろう。

「私は……って、知っているんですよね」
「知らねぇ!」

 ええ……知らないんだ……。

「ナナシです」
「ずりーぞ! 俺たちは名乗ったじゃねえか!」

 怖。そして顔が近い。

「こ、こういう名前です。隠したり誤魔化してるとかじゃなく」

 どう説明しようかと悩む間にイイナオトラさんが諫めた。

「コノハテング。この子は嘘をついているわけじゃない」

 コノハテングさんは腰を下ろしたが、不服そうである。

「……まあ、しょうがねえならしょうがねえけど」

 声が大きいので逐一びっくりする。ほら身体が震えている。
 恐怖によるものと思っていたが、この震えは肌寒さからくるものかもしれない。七月でも光が差さない洞穴は、涼しいより少し寒い。

「寒いかい? 今はこれしかないんだけど、良かったら使って」

 イイナオトラさんは自分が着ていた上着を貸してくれた。
 知らない人の服を借りる事には抵抗があるが、厚意全開できたものにNOとは言えない。

「ありがとうございます」

 お礼を言ってそっと袖に手を通した。丈は変わらないのに一回り大きい。白いシャツ姿になって、この人が鍛え上げらえた身体をしていることが判った。細身のモモタロウくんでも身体はしっかりしているのだから、この人も多分……強いかもしれない。

 サイゾウさんと三太夫さんはどこに行ったんだろう。
 私は無事依頼人に送り届けられたと見ていいのだろうか。だとしたら二人とも思っていた人物像とはかけ離れていて良い人に見える。上っ面は。

「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「良かった。じゃあ僕は片付けちゃうね。コノハテング、宜しくね」

 とうとう本題に入るんだ。私は身構えた。

「……なあ、おまえって何。なんでここにいるんだよ。しかも美味そうな匂いで鼻がむずむずする!」

 そんな花粉症みたいなこと言われても。

「も。元々らしい、です。だから妖に好かれやすいって」
「だよな。フツーすぐ喰われるぞ」

 頷きに合わせて背中の羽が動いた。名前に天狗とあるのだから、本物の天狗なのだろう。ヌラリヒョンさんが鼻は長くないし私と変わらないと言ってたから、顔が赤くないこのひともれっきとした天狗。特攻服みたいな服装は天狗っぽくなくて若干幻滅した。

「……その羽ってやっぱり自由に動くんですか?」
「当たり前だろ!」

 一、二と、指のように羽を折って示してみせた。

「凄い。器用ですね」
「こんなの子供だって出来るって」

 と言いながらも照れているようだった。可愛らしいひとだ。

「やっぱり鳥みたいに自在に飛べるんですよね?」
「トーゼンだ! なんなら試させてやってもいいぜ」
「お願いします」

 ひょいと横向きに抱き上げられた。あれ。試させるってこういう……?

「首にしっかり掴まっとけよ。遠慮してたら死んじまうからな」

 恐怖に弾かれ遠慮なく掴まった。抱く腕も私にめり込んでくる。

「ぜってー落とさねぇようにするけど、振り落とされんなよ!」

 そのままエレベーターのようにすいーっと浮かんだ。ぷかぷかと上昇していくと天井はすぐ目の前。鳥のように鋭い爪が私の肋骨と足にめり込むと、ガクンと急降下した。
 速い。内臓が置き去りにされてひゅっとなる。私は投げつけられたカエルのような醜い悲鳴をあげながら天狗体験を終了した。
 一度富士山の上空から落ちている体験をしたせいか、身体の方が泣き叫んで地上に戻せと煩かった。それでもしっかり抱いてもらっていたお陰もあってか、死ぬほど怖い体験で済むとの安心感があった。

「悪ぃ。もっと抑えるべきだったか?」

 小刻みになる呼吸で私はお礼を言った。

「天狗、凄い、……ですね」
「だろ!」

 にこにこしている。子供みたいに笑うひとだ。警戒して接するのが悪く思える。

「楽しんだみたいだね」

 イイナオトラさんが帰ってきた。

「でもコノハテング。もし落としてたらどうするんだ」
「落とさねぇって! ……でもま、悪かったよ」

 私のせいで怒られてしまった。助け船代わりにお礼を言った。

「ありがとうございました。凄く面白かったです」

 と言うと頬を引き上げてにこにこしていた。やっぱり子供だ。妖だからきっと私より年上なのだろうけれど。

「あの。ここって洞窟? ですよね。どこというか……。何です?」
「ただの洞窟だよ。少し見て回るかい?」

 一緒に歩いてみるとなんの変哲もないただの洞窟だった。光る苔が岩肌にびっしり生えているので、明かりがなくとも歩く事は可能だった。奥行きはあまりなく、すぐ行き止まりであった。

「深部に行くには潜るしかない。だから僕も構造はよく判ってないよ」

 足元には風呂釜くらいの水溜まりがあり、奥が発光していた。地上の光なのか、生体の発光によるものなのかは判別出来そうにない。

「天狗って水中はどうなんですか?」
「俺ぇ!? ……変化で魚にでもなれば良いかもしれねぇけど」

 天狗って姿も変えられるんだ。

「やんねぇからな! やれないんじゃなくて、やらねぇだけだから!」

 出来ないらしい。天狗にも得意不得意があるんだろう。

「僕は無理だよ。潜水は出来て五分くらいじゃないかな」

 それは十分凄いんじゃ。

「君は? 何か得意な事はある? 僕は刀を振るう事が精々かな」

 背中に何本もあるからそれは察していた。数を生かした戦い方をするのだろう。それ以上は武芸者ではない私では何も判らない。

「人に自慢できるような事はありません。普通より出来ないくらいですよ」
「君が気づいていないだけかもよ」

 何かに巻き込まれることは得意です、なんて言いたいけれど、なんだか傷つけそうで言えなかった。人さらいを頼むような悪い人であっても、優しく接してくれる人に嫌味なんて言えない。

「あの。やっぱり自分の状況について聞きたいんですけど」

 にこにこにこにこ。
 返事がない。ここは優しくないようだが私も少しは情報が欲しい。

「私をさらうよう忍に依頼したんですか?」
「いや」

 二人とも否定した。

「悪いけれど、僕たちはそれには関わっていないんだ」
「さらうなら自分でやる方が早いだろ」

 天狗の羽があれば、他人に頼る必要はない

「そうだ。その立派な羽って外だとどれくらい凄いんですか? 八百万界横断も一瞬?」
「そりゃそうだろ! 俺なら一息だから」
「コノハテング!」

 イイナオトラさんが咎めた。

「あー。そうだった。悪ぃ。ちょっと無理」

 単純そうな天狗をのせることには失敗した。

「外は駄目なんてこれじゃ監禁されてるみたい」

 二人は目を合わせた。

「そう思われても無理はないね。でも外では戦が始まってるんだ」
「え」
「絶対に行ってはいけないよ。君はここにいるのが安全だから」
「オダノブナガによるもの。ですか?」
「そっか。君の耳にも届いているか」

 行く町の全てがざわついていたが、とうとう開戦したんだ。誰と戦うんだろう。二人は大丈夫だろうか。
 心配でジッとしていられない。私は出口であろう方角へ向かうと、イイナオトラさんが静かに阻んだ。

「君が行ったところで何が変わる。大人しく僕たちとここにいるべきだ」

 子供の私が行って何になる。何度言われた事か。

「大丈夫。変わりますよ」

 私は多少のことでは死なない。今までの出来事が自信をくれた。でもイイナオトラさんはもう一度駄目だと言った。

「君にもし何かあったら。僕は悲しいよ」

 初対面なのに、苦しそうな顔をして言うせいで私も無理に行くことに少し躊躇いが生じた。

「でも私だって二人に何かあったら……」

 この世界で一人になる。
 初対面のよく知らない人よりも、現時点で私を大切にしてくれる人の方がよっぽど大事だ。やはり今すぐここを出よう。

「すみません。私、二人を探しに行きます。さらわれてからずっと安否を知らないんです。きっと死んでいないって言い聞かせていたけど、もう限界です。さようなら」
「待てって。じゃあ俺が探す。あんたの大事な人。それならここにいてくれるか?」
「いや、コノハテング」

 迷いはない。

「探すだけじゃない。連れてきて。それなら大人しくします」
「判った。でも行くなら明日だ。探しながら飛ぶと目立って的になっちまう。もっと進軍してからなら探しやすくなるはずだ」

 私も二人の代わりに彼らに死んでもらいたいわけじゃない。

「なら明日お願いします。二人とは尾張まで一緒でした。その後は私を追いかけているはずなので、その辺に向かいながら探して下さい」
「任せとけって」

 明日には二人に会えるかもしれない。そんな幻想に肩の力が抜けた。

「本当にお願いします」
「頭上げろよ。……必ず探してくるから。そんな顔すんなって」

 コノハテングさんに頭をわしゃわしゃと撫でられた。
 もしも。私のメッセージが届いていたら二人は山中だ。いくら羽があるからといっても気付くだろうか。私は当然この二人を信用していない。特に私が何度も主張している、二人と会わせて欲しい、帰らせて欲しいに関しては要求が通らないとみている。だから居場所のあてがあることは秘密。私だって少しでも情報を教えないようにしていかないと。

「……君にだって大事な人はいるのにね」

 イイナオトラさんは寂しそうに呟いた。

「すぐに探しに行けなくてごめんね。今日はこの洞窟内だけで過ごしてくれるかな?」
「判りました。……焦ったって、私の足じゃたかが知れていますもんね」
「羽がない奴らって不便だよなー」

 私に出来ることはない。一応は探してもらう約束を取り付けただけで十分だろう。
 知らない人と立て続けに会って、警戒したり信じたりするのは疲れる。一旦、考えることはやめる。

 その後は適当な雑談をしてご飯を食べるだけで終わった。就寝はまたあのなんちゃって座敷牢だった。寒いというと毛布をくれたので、いつもの野宿と変わらなかった。
 私は、多分すぐ寝たはず。覚えていない。途中で目が覚めた。
 胃の苦しさは晩御飯を食べ過ぎたのかもしれない。

「……何ですか?」

 暗闇の中から微かに呼ばれたような気がした。私は座敷牢を出て、声のする方へ足を運んだ。牢の近くには明かりが置かれていたのでそれを持っていく。
 導かれた先は最奥にある水溜まりだった。

「誰かいますか?」

 水に話しかけてみたが誰も何もいない。
 日中は光っていた水面がゆらいで、暗くなった。しばらく見ていると町が見える。
 遠方の映像が映っているのか、それとも地下帝国なのか。
 全然判らないが中のひとたちは普通に生活している。

「もうにどと、むかえなどこないのだろうな」

 声が聞こえた。女性の声だ。

「わたしのいないせかいでも、あれはわらっているのだろう」

 ジャパニーズホラー!? 妖は平気だけど幽霊はやっぱり怖いよ!?

「ああにくい……にくたらしい」

 これ最後まで見たら呪われるやつだ。私は急いで座敷牢に戻った。とても怖いし、耳にはさっきの女性の声が残っているが二人のことを考えて無理やりに寝た。

「おはようナナシさん!」

 朝、コノハテングさんはいなかった。

「出発したよ。日が昇ってすぐに行った」

 約束、ちゃんと守ってくれてるんだ。

「イイナオトラさんって、どうしてここにいるんですか? 戦場から離れた場所の方がよっぽど安全で良いと思いますけど」
「それがここから動けないんだ。ちょっとね」

 やっぱり目的は教えてもらえない。危害は加えてこないからいいが、いい加減教えてもらいたいものだ。もしも二人に会えたらヌラリヒョンさんに指示を仰ごう。私じゃどう対応していけば良いのか判らない。
 心の底では相容れないままでも雑談は出来る。私たちは料理の話や八百万界のどこかの話(お互いに地名をぼかしている)をしてコノハテングを待った。

「戻ったぞ!」
「おかえり」
「おかえりなさい」

 コノハテングは飛翔したまま私の目の前で興奮気味に話した。

「連れってヌラリヒョンかよ!」
「え……はい」
「もう一人はモモタロウって最近鬼を殺しまくってるあいつかよ!」
「は、はい」
「あんな奴らで大丈夫なのか?」

 あんな奴らもなにも、数ヵ月は一緒に旅をしているのだが。

「とりあえず二人は見つけてやったぜ」
「ありがとうございます!!」

 二人は無事だ。その事実に希望が湧いてくる。

「けど戦場に足止めくらってた。俺が連れてくるにしても二人は厳しい。さっき探してる時も羽が何枚か撃ち抜かれちまった」
「大丈夫ですか!? ち、血は!?」
「平気だって。落ちたのも抜けかけたヤツだったから、痒いだけで済んだ」
「無理言ってすみません……」
「俺の方こそ、会わせてやれなくて悪ぃ」

 最初から期待していなかったから、会えなくても平気だ。……期待も少しはしてたけど。
 コノハテングさんには十分してもらった。これ以上危険な事はさせられない。
 しかし戦場で分断と言っていたが偶然なのだろうか。ずっと歩きで連行されていたのに、突然運搬に切り替えたのはこれを計算していた。かどうかはもう判らない。
 なにもかも私が判ることは本当に少しだけ。

「ねえ僕たちならこの戦を終わらせられる。君を二人の元へ帰してあげることが出来るよ」

 コノハテングさんが「任せろと」胸を叩いた。

「でもそれには君の協力が必要だ」

 真剣なイイナオトラさんには思わず笑いが込み上げてきた。

「……最初からそれが目的だったんでしょ」
「そうだね。でも脅したくはなかったんだ」

 優しいのは嘘。結局皆嘘吐き。

「普通に頼むのじゃ駄目なんですか? こんな回りくどい……それに強引すぎる」
「どうしても断られたくなかったんだ」

 断られたくないなら尚のこと、事情を説明してくれれば。などと思っても無理だ。呆れて力が抜ける。私なんて便利道具でしかない。

「……それで。いったい私に何をしろと?」

 イイナオトラさんはあの水溜まりのところへ私を連れてきた。

「そこで何か見えるかい」
「暗いんですけど……なんか動いていますね」
「そうなんだ。その方はある呪術であの場所に縛り付けられているんだ。でも君ならあの方をここに呼び戻せる」

 じっと見ていると黒っぽい映像にピントがあった。鮮明に映し出された蛆の這う赤黒い塊には見覚えがある。そして瞬時に私は逃げ出した。

「さっきまでやる気満々だったろ」

 コノハテングさんに掴まれてしまった。

「……いや。でも……えぇ……」

 本能的に躊躇っている。
 死んだ方を蘇らせるという生命の冒涜だ。
 今まで積み上げてきた倫理観から、そこには手を出してはいけないと思えた。

「富士山ではもう少し……だったよね」
「あんたが駄目ならカグツチの方に聞くしかねぇ」

 こんなのをカグツチさんの所へ行かせてはいけない。

「卑怯じゃないです? どんどん選択肢を奪われるんですけど」
「なりふり構っていられなくて。……すまない」
「じゃあどうしろって言うんだよ! 俺たち脅してるわけじゃねぇだろ!」

 この状況が脅しそのものだよ。

「い、イザナミさんって火傷で死んじゃって黄泉に行ったんですよね? それを呼び戻すってここでは普通のことなんですか?」
「普通の民は死んだら終わりだよ。僕たち英傑と呼ばれる者は昇天と呼ばれていて、死んでも魂自体は存在している。そして機会があれば八百万界に戻って来るよ」

 なにそれ。

「輪廻転生とは違うんですか?」
「仏教の考えだね。少し違って、英傑は英傑のままなんだ。本来の輪廻転生だと死んだら入れ物が変わって再び来世へと向かう。……ほら。ひとが死んだからって次もひとで産まれるんじゃなくて、猫とか、草とか、色々なものになるだろう? でも英傑は英傑のまま。姿形が変わらないんだ」

 突然教えられた難しい設定に混乱した。

「イイナオトラさんが死んだら、一旦肉体は滅びて、でも何かきっかけがあればまた産まれて……再びイイナオトラとして生きるってことですか」
「そうだよ。凄いね。僕なんて聞かされてもなかなか理解出来なかったよ」

 イイナオトラさんの説明がかなり噛み砕かれていたお陰だ。こんなのが専門用語ばかりで聞かされていたら判らなかった。
 八百万界は死んだ後のことも日本とは違うんだ。

「……ではなぜ、イザナミさんを復活させたいんですか。八百万界の常識だと英傑であれば
 もう一度この地上に産まれることも可能なんですよね?」
「イザナミさまは黄泉で一番偉い主催神なんだと。黄泉に指定された。黄泉の頭になっちまったから、もう八百万界には帰ってこれないって」

 と、コノハテングが補足してくれたお陰で、イザナミさんが特別であることが判った。

「でも君なら、黄泉の主催神のままこの地に呼び戻せる」
「なんで確証してるんです……。過大評価っていうか、騙されてませんか?」
「騙されていないよ。だって」
「くどいぞ!!」

 弓矢が私の目の前まできた。それは見えない壁に当たって跳ね返り、地面に落ちた。

「あっぶね! 俺に当たったらどうすんだよ!」
「ヒミコ! どうして出てきたんだ」

 ヒミコ……卑弥呼かまさか。こんなピンク頭が。

「遅いからだ。腹の立つ。そこの小童! 其方が理解する必要はない!! 今すぐイザナミさまを復活させよ! 死にたくなければな」
「矢も通らない、術も通じない相手をどうやって殺すのです?」
「判っておるわ! ただの決まり文句じゃ!」

 今度は僧のような男まで現れ、ヒミコさんを落ち着かせている。
 確かイイナオトラさんは、人さらいに関わっていないと言った。でも仲間が二人だけとは言っていない。さらう手筈を整えたのはこの人たちだ。まずい。真に危険なのはこの二人だ。
 コノハテングさんを振り払って走ると、また別の人に腕を掴まれ、両腕を後ろに固められてしまった。

「抵抗するな。貴様に刃も術が効かないのならば、逆さに吊るだけで良い。以前の奴は一日もせずに死んだな。生還した奴も視力を失った」

 ────詰んだ。
 このくしゃくしゃ頭の人は絶対に逆らってはいけない相手だ。猫なんて可愛いものを連れているくせに、残虐非道の人でなしだ。あのモモタロウくんだって殺すなら即死で終わらせてくれるのに。もう駄目だ。今までとは違う。本当の本当に逆らえない。

「ハンゾウ。脅しが些か早すぎではありませんか」
「逆だ。この女は特異な能力があるだけで、力にはめっぽう弱い」

 当たり前だろう。痛めつけられても従わないのは極一部の人間。私は当然そうではない。

「大変申し訳ございません。幼子を怖がらせるなんて少なくとも儂は望んでおりません」

 僧のような男は続ける。

「か弱い者を甚振るなんて人のする事ではない。するならそう、あなた様の同行者までですよね。いくらお強いとはいえ数には勝てません。残念な事に儂らも八百万界の中では特別強いのです」

 涼しい顔をして外濠も潰してくる。

「あなた様が一つ頷けば誰も傷つきはしませんよ。ご安心下さい」

 僧。女王。天狗。……イイナオトラさんとハンゾウさんが何かは判らない。
 この五人はいったいなんなんだ。どうしてイザナミさんに固執する。

「……あなたたちは何なんですか?」
「わらわらは冥府六傑であるぞ!」





(2022.09.09)