アマツミカボシと過ごすxx日-4-


「俺は貴様に従っているわけではない!」

と言われる度に少し面倒臭いと思っていた。
こっちはそんな事を思ってもいないし、いちいち言われると鼻につく。
ところが、日が経つに連れて私の考えも変化していった。
主従ではない、とは──
とどのつまり、手を貸してくれるのは……無償の好意であると。

その考えに至ってからは、この言葉を聞くのが嫌ではなくなった。
したいからしてくれるんだと。
何もなくとも、私たちはほんの少しは繋がれているのだと、自惚れる事が出来た。

「うん。いつも助かってる。ありがとう」

感謝を述べると、彼は鼻を鳴らして得意げな顔をする。
それが小さな子供みたいに見えて、とてもおかしくて、愛しく思えた。
彼の刺々しい態度もどうってこと無くなっていく。
もう彼はすっかり私の生活の一部。欠かせない日常だ。
外に出た時には自然と彼の姿を探しているくらいに。

誰かと行動する事も口で言うほど嫌がらなくなってきた彼は、誰かと共にいるのをしばしば見る。
一人が好きだと言っていたのに、最近は一人の方が珍しいかもしれない。
本殿に馴染めてきているのは嬉しい。なのに、少しだけずきりと痛みが生じることの方が多くて。
特にアマツミカボシと仲が良い────

「主《あるじ》殿、討伐はこれでおしまい。きっとあの辺りは暫く悪霊は襲ってこないと思うよ」

にこりと朗らかな笑みを浮かべて報告してくるアメノワカヒコに私は「ありがとう」と言って、去る様を目で追った。
庭でアマツミカボシと接触するのが見えた。そのまま二人でどこかへ行く。
鶺鴒台で産魂《むす》んだ次の日に二人で歩いていたくらいなので、平定前からの友人なのだろう。
きっと長い時間共に過ごしてきたのだ。
あのアマツミカボシが心を許すくらいだから。

「私じゃ無理だよね……」

判っている。自分がただの主である事を。
まつろわぬ神が組織に属しているだけでも幸運だと考えなければならない。
なのに、自分の心はままならない。
アメノワカヒコが羨ましくてしょうがない。大事な英傑の一人なのにあろうことか妬んでしまう。
そんな事よりも、独神としてアマツミカボシに幻滅されないように精進する方がよっぽど大事だろうに。

「あー、嫌だー」
「どした、主サン。休憩するか?」
「するー」

筆を置き、紙束もいい加減に山にしてしまう。
机上に無理やり作った空間に額をつけて、大きな溜息を吐いた。
つるつるとした机に白い息が広がっていく。

「さっき菓子もらったんだけど一口食べるか?」

行儀悪く顎を机につけたまま口を開くと、サンキボウはほいと中に入れてくれた。
うん、なかなかおいしい。
さっと飲み込み、また口を開けるとサンキボウが親鳥のように食べさせてくれる。
口を開けて待つのに焦れた私は、自分で手を伸ばして口に運んでいった。

「……うぇ!? 珍しいな、そんなに食うなんて」
「ちょっと……そんな気分で……」
「いや、俺としては飯でも菓子でも主サンが食ってくれるなら何でもいいって!」

落ち着かない。とっても落ち着かない。
もぐもぐばりばりと食べているとサイゾウが現れたのだが、報告よりも先に目を丸くして驚いていた。

「お頭が菓子食ってやがる!? ひゃー、こりゃ明日は雨だな」
「……晴天ですー」

慰めのお菓子をろくに味わう事無く腹に入れていく。
貰ったものを全てを食べても物足りず、サンキボウに留守を頼んで厨へ向かった。

何が欲しいわけでもない。
この飢餓感を満たせるのであれば、どんなものだって良い。
すっきりとしない気分のまま歩いていると、丁度曲がり角で誰かにぶつかった。

「っ、ごめんなさい……」
「チッ。よく見ろ」

この声はアマツミカボシ。さっきアメノワカヒコといたはずじゃ……。
何回か頭を下げて、横をすり抜けようとすると「おい」と呼び止められた。

「どこへ行く。誰に用がある」
「おやつを探しに行くだけだけど」

アマツミカボシは目を丸くした。こんな顔を見るのは初めてだ。

「……過労でとうとう気が触れたのか」

流石に言い過ぎではなかろうか。

「もう! そういう気分の時だってあるでしょ! 
 あなたもサイゾウも私の事を何だと思っているんだか」
「己の行動を振り返るんだな」

確かにそうだけど。

「……と、とにかく、行ってくるから」

再度向かうとアマツミカボシがすぐ後ろをついてくる。
どうしたの、と聞きたいが、応えてくれない気がして何も言えない。
余計な事はいくらでも言うくせに、大事な事は抜け落ちているのだ。

「あ、主《あるじ》さん! どうしたんです? え? お菓子? じゃあこれなんてどうです?」

相撲大会の賞品をあげると言ってカッパから渡されたのは煎餅一枚だ。
普通の煎餅ではない。顔の大きさ二つ分のとてもとても大きな煎餅だ。

「こ、これ……凄くない?」
「食べるヤツの事をまるで考えていないな」
「でもミシャグジならすぐに食べちゃうだろうな……」
「ヤツならそこにいるぞ」
「えぇ!? っていないじゃん! 驚かさないでよ」

とりあえず、煎餅を持って二人で執務室に帰ってきた。

「主サン! アマツミカボシも! ってすっげーじゃん! こんなでっかい煎餅あったのか!」
「台所でカッパに貰ったの。みんなで食べられるように割っちゃうね」

端と端を持ち、ふんっと力を入れるが手がぷるぷると震えるだけで全く割れない。

「……貸せ」
「じゃあ、俺も割ってやるよ。そっちはアマツミカボシが持って、主サンはそっちな」

アマツミカボシを見た。こういう事は嫌がるかと思って。
目を逸らしながらも、彼は言われた通り持ってくれた。

「じゃあ、せーので力入れるぜ。せーの!」

バキッと折ると、アマツミカボシとサンキボウの手元は小さい欠片が。
そして、私の方には大きな煎餅が残っていた。

「え!? 私そんなに力ないよ!? 二人とも冗談だよね!?」
「ははっ! だからだって。力がないヤツの方が大きく割れるんだ。って知らねえの?」
「し、知らない。アマツミカボシは知ってたの?」

話を振られると思っていなかったのか、何故か驚いていた。

「し、知っていたに決まっているだろう」
「私だけ!?」

ともかく、私が二人より怪力ではない事に安堵した。

「はいはい。後は俺に貸しな」

サンキボウにほぼ原寸のままの煎餅を渡すと、綺麗に半分に割ってくれた。

「こういうのは左右の力を均等にすりゃ良いんだ」

何個かに砕いて、食べやすい大きさになった物を私とアマツミカボシに渡した。

「なんか、良さげな紙、紙……あった」

小さな箱を折ってくれる、持ちきれない煎餅を置けるように。

「サンキボウ凄い……。天才……」
「これだけで!? 主サンは褒め上手だなあ」

三人でばりっと大きな音を立てながら煎餅を噛み砕いた。
アマツミカボシも文句の一つも言わず、黙って食べている。

「あ、私お茶淹れてくる」
「いいって、俺淹れてくっから」

サンキボウは部屋の外に行ってしまった。
すると、私とアマツミカボシの二人きり。
少し、緊張する。
いつも朝食は同じ時間に食べているが、それ以外はあまり近づかないし、会話だって悪霊絡みばかりだ。
今みたいに何もない時、どんな話題を振ればいいかよく判らない。

「……アマツミカボシは嫌いなお菓子とかある?」
「答える必要があるのか」
「……知りたいから、じゃ駄目?」

じっと見ていると、アマツミカボシは観念したのか答えてくれた。

「……嫌いなものはない。渡してくる奴が気に入らなければ受け取らないがな」
「ふふ、そんな感じする」
「なんだ、俺を知った風に」
「知らないよ。全然」

それなりに目で追っているのだ。
知らないなりにも、何度かのやり取りで記憶しているものはある。

「貴様でも執務以外の事をするのだな」
「当然あるよ! 私だって気を抜きたい時もあるんだからね」

ばりっと食べる。
大きさばかりに目が行くが、なかなか美味しい煎餅である。

「……普段あまり食べたいと思わないけど、今日はなんだか食べたくてしょうがないんだ」

相槌すらないが、そのまま続けた。

「食べてるとちょっと落ち着く。確かにこれなら食べるのが好きな人の気持ちも判る気がする」

やはり相槌が返ってこない。
一人が好きとは知っているが、せめて最低限の相槌くらいはすべきではないのか。
まあ言ったところで何かが変わるわけでもないので黙っておいた。
私としては「へー」くらいのいい加減なもので良いので返事が欲しい。
会話の切りどころが判らないから一人でしゃべり続けてしまう。
いつものように、嫌なら嫌とはっきり言ってくれればいいのに。
何故今日に限って黙っているのか。

「……。お腹一杯になってきた」
「普段あれだけ食べなければ胃袋が小さいだろうからな」
「米菓って重いね……。残りはサンキボウに食べてもらお」

独神の私は貰い物をどうしても食べないといけない時がある。
感想を言う為だけに食べるのだ。
飢えに苦しむ民衆には申し訳ないが、付き合いが多い私は避けられない。
そういう時一口だけは食べるが、残り全てを食べる事は苦痛な事が多く、そういう時は食べかけであってもサンキボウが食べてくれる。

「俺食いかけとかあんま気にしないからな」

と、言いながら。
毎度の事なので、私もあげる前提で、最初から一口大にちぎったり、折ったりして綺麗なまま渡せるようにしている。
今回の米菓もいつも通り綺麗な所だけを渡せるように割っていると、横から手が出てそれらを奪われた。
飛んでいく煎餅が次々とアマツミカボシの口に運ばれていく。
驚き過ぎて、声が出ない。見守る事しか出来ない。
だって、あの、アマツミカボシである。
他人との接触が嫌いな彼が人の食べかけなんてあり得ない。
これは幻覚、もしくは夢だろうか。

「……お煎餅好きなの?」
「何を言っている」

困惑する私に見られながらも煎餅を噛み割っていくアマツミカボシに、とりあえずお礼を言った。

「……ありがとね。食べてくれて」

鼻を鳴らすだけのアマツミカボシ。
丁度良いところに、お茶を淹れたサンキボウが帰ってきた。

「完食出来たなんてスゲーじゃん!
 今日も残りは俺が食べてやろうかと思ってたけど、心配いらなかったな!」

アマツミカボシが食べてくれた、と言おうとしたが、なんとなく言わなかった。

「お茶もらうね。アマツミカボシもどうぞ」
「ああ」

アマツミカボシも黙ってお茶を啜っている。
訂正しなくて良いのだろうか。サンキボウに嘘をついているみたいだ。
もやもやとした気持ちのまま私もお茶を啜る。
温かい。頬の温かさもきっとお茶のせいだ。

その後はアマツミカボシの顔をまともに見る事が出来なかった。







「最近の主《あるじ》さまはよく食べるねえ」

朝食の時、ウカノミタマに突然言われて動揺した。

「そ、そうかな」
「食事は大事って言ってるのに今まで全然食べなかったでしょ。何かあったの?」

私が毎日朝食を食べるのはアマツミカボシがいるからだ。
監視されて仕方なく食べるのではなく、共にいられる貴重な時間を好んで食べている。
────なんて、言えない。絶対に言えない。
それに隣の隣に座るアマツミカボシにそんな事を悟られたくない。
もし臍でも曲げられたりしたら、明日から来てくれなくなってしまう。

「え、えっと……そ、」
「主《あるじ》殿!」

言い訳を捻り出しているとアメノワカヒコが遮った。

「近くの村で主殿の力を借りたいそうなんだ。俺が護衛するから急いで来てもらえないかな」

近隣の村というと結界関係だろうか。
本殿が近いのだから結界に力を入れる必要はないと言う英傑もいるが、私は寧ろ強固に張るべきと主張している。
いくら近くても、呼んで瞬時に来てくれないのであれば、村人の不安は拭えない。
民に不安が募れば、悪意あるものたちの甘言に乗せられやすくする。
本殿の近くだからこそ手厚く支援すべきなのだ。足元を崩されない為にも。

「判った。行こう」

食事を流し込み、片づけをウカノミタマにお願いして、私はアメノワカヒコと近隣の村に駆け付けた。
村の用というのはやはり結界だったが、それはついでだったようで。

「独神様、いつも我々を守って頂きありがとうございます。これは我々の感謝の気持ちです」
「こんな素晴らしい物……ありがとうございます」

村長から貰ったのは神酒だった。
神族である村人が己の力を毎日順に込めて作り上げたものだとか。
神酒は味も良いが、身体の調子を整え、気分を高揚させる。まさに万病の薬。
夜眠れない時にも、ちびっと盃を傾けると色々と忘れさせてくれる。
……という使い方ばかりしている事は、秘密だ。

「貴女様が張ってくれた結界のお陰で我々は誰一人欠ける事無く一年を生き抜く事が出来ました」
「どくしんさまがしてくれたおまつりすごくたのしかったよ!」
「独神様の助言に従い、我々も多少は悪霊に対抗出来るようになりました。武術や罠に関する知識を有難うございます」
「周辺の村とも連携が取れるようになり、悪霊の襲撃を知らせる事もそうですが、なにより交易が広がり村が豊かになりました」
「ずっと子が産まれぬ地でありましたが、数年ぶりに新たな神が誕生しました。それも土地を守って下さったお陰です」

子供から年寄りまで、感謝の言葉を次々と頂くと、自然と心が温まり笑みが浮かんだ。

「至らない私ですが、これからも尽力して参ります」

新たに結界を張った後、私とアメノワカヒコは帰路についた。

「アメノワカヒコは知ってたんだよね。これを渡したかったこと」
「騙したようでごめん。秘密にしておいて欲しいと言われてたから」
「なら大成功だね。嬉しくてびっくりしたもん」

恨まれることが多い私は、素直に感謝される事が珍しくて気恥ずかしい。
もう村から離れたというのに、まだ顔が緩んでしまう。

「私みたいなのでも、誰かの役に立てて良かった……」

不出来な私でも、いくらかは界の救済が出来ている。
八百万界からすればこの程度の功績なんて小さすぎて呆れているだろうが、私には大切な結果だ。
小さな事を積み重ねる事で、この界が救えるのだと信じている。

「主殿は卑下するような存在じゃないよ。だって、アマツミカボシが」

アマツミカボシが────?
期待して続きを待っていると、アメノワカヒコは口を閉ざした。
なんでやめちゃうの!?

「あの。……それでその……どうしたの?」

その先がどうしても聞きたかった私は、恥を承知で促してみる。

「……いや。なんでもないよ」

それからアメノワカヒコは全く関係ない悪霊や、本殿の話をしだした。
二人で長々と会話したが、星神の名前は二度と出てこなかった。







アメノワカヒコはアマツミカボシと何の話をするんだろう。
二人はきっとお互いを大切にして、理解しあっているのだろうからどんな話題でも笑いあえるのだろう。
私なんて、討伐抜きだと何を話して良いかもよく判らないのに。
なんなら、私からの理解など不要だと思われている。
あの言葉は今でも忘れない。ずっと心に刺さり続けている。

「はあ……」
「どした、主サン。沈んでんなあ」
「サンキボウ……」

常に明るく、誰とでも仲良くできる天狗様に尋ねてみる。

「仲良くなりたい人がいて、でも相手はそんな事思ってなくて……もやもやするの」
「アマツミカボシ?」
「え!? ち、違うよ! 全然違う!」

見事言い当てられ私は悲鳴のような声をあげてしまった。

「あー……じゃあ相手は置いといて、そいつとどんな関係になりたいんだ?」
「……わ、かんない」

気軽に話せる関係だろうか。
悪霊討伐以外の話が出来たらきっと楽しいだろうな。
でもアマツミカボシは、私なんかといるよりも一人の方が良いのかもしれない。
悶々とアマツミカボシとの関係性について悩んでいると、

「見てるだけでも十分な気がしてきた」
「ちょちょ、ちょーっと待った!!」

見限られなければ、それでいいかもって。

「うん大丈夫!」
「いや、大丈夫じゃなくって!」

サンキボウは何故こんなに慌てているのだろう。

「じゃあ俺が連れてきてやるから。な? サシじゃないならいけるだろ」
「確かに三人なら……って、違う! 近辺の人じゃないから! あと英傑でもないからね!」

もう一度否定してその場は終わった。

アマツミカボシが毎朝来てくれるなんてとても贅沢な事だ。
外で柱にもたれかかって、私を待ってくれることも。十分贅沢で。
これ以上求めてはいけない。

隣を歩いて欲しいって、いつも喉まで出かかっている。
でも一向に縮まらない距離を見ると、アマツミカボシは私にそんな事を求めていないと思い知らされる。
だから我慢しないと。それに断られるのは怖いから。
私なんて不要だと思い知らせないで欲しいから。

「はぁ……」

気持ちの良い朝日を浴びながら、私は数歩後ろを歩く星神を想うと溜息が漏れた。

「なんだ。何が言いたい」

距離を置いている割には耳聡く聞いているようだ。

「なんでもないよ。悪霊の事考えてただけ」

毎朝一緒に行ってくれるのならば、隣を歩いてくれたっておかしくないだろうに。
近づいて良いのか、今の距離感を保ち続けるべきか判らない。
この絶妙な距離感がもどかしい。これ以上叶わぬ望みを抱きたくないのに。

「あーるじサン!」

愛想のない星神の隣の隣でお茶碗を持つ私の目の前にサンキボウが座った。
横目でアマツミカボシを見たが、変わらず朝食を口にしていた。

「さ、サンキボウ! どうしたの!?」
「邪魔した?」
「ぜ、全然! そんな事無いよ! 一人だし」
「なら良かった」

何を考えているのか判らないが、この笑顔は多分余計なことを考えている。
私は急いで朝食をかきこんだ。

「食べ終えたから! 一緒に行こう!」

片づけをしようとすると、横からサンキボウが持ってくれて代わりに運んでくれた。
そのまま執務室へ行き、誰もいない事を確認してから声を潜める。

「……変な事考えてない?」
「いいや、全然」

嘘だ。絶対アマツミカボシと私の事で来たに決まっている。
私の手助けをしたいとか思ってくれているのだろうが、手を借りる気はない。
ここははっきり言っておかないと。

「私はアマツミカボシの事なんて、なんとも思ってないからね」

私の声と障子の音が同時だった。
目を向けた私は、さぞや引きつった顔をしていた事だろう。
件のアマツミカボシが来た。しかも多分聞かれた。絶対聞かれた。

「……」

私もサンキボウもだんまりだ。
アマツミカボシはそんな中、いつものように高圧的な態度で言った。

「どうせまだ割り振っていない案件があるのだろう。悪霊の情報をさっさと寄こせ」
「はい……」

不審な行動をしないようにと自分を戒め、冷静に淡々と伝えた。

「把握している情報は以上です。お願いします」
「フン。憂さ晴らしには丁度いい」

後ろ手で閉めた障子も別段強く閉められるわけではなく、いつも通り去っていった。
私は滝の様な汗が流れていてもおかしくないくらい動揺していた。

「主サン……悪ぃ……」

頭を下げたサンキボウを見ると冷静さが戻ってくる。
独神の私はゆっくりと首を振った。

「いいの。だって、言葉にしたのは私なんだから」

そう言いながらも、どうしてお節介を焼いたのかと少しだけ恨みがましく思っている事は内緒だ。

「気にしないで。サンキボウがしてもしなくても、きっと、変わらなかった事だから」

そうだ。
アマツミカボシはなんとも思っていない。
私は決して悪口を言ったわけではない。嫌っているとも言っていない。
ただ「なんとも思っていない」と言っただけだ。
無関心の表明である。

そもそもアマツミカボシは独神を慕っているわけではなく、利害の一致でここに所属している。
だったら、関心の有無は関係ない。私たちの繋がりは悪霊がいてこそなのだから。

────とは言い聞かせたものの、夜が更けても引きずっていた。
今日は良い天気で、星が綺麗に見える。
そういえばこんな日はアマツミカボシとアメノワカヒコはそれぞれ夜の散歩に出るそうだ。
語り合う為にアマツミカボシが自ら会いに行くのだ。
……羨ましい。

でも私は英傑ではなく、独神だ。立場上の距離感は大切。
だから今回の事は良かったのだ。このままだと私は深入りしようとしていた。
独神に必要ない嫉妬や羨望までも抱いてしまっていた。
何も考えないようにしないと。個人的感情が私の足を引っ張って、取り返しがつかなくなる前に。

私は最近頂いた神酒を思い出し、栓を抜いた。
芳醇な香りを嗅ぐだけで、意味も判らず笑ってしまう。強制的幸福感に叩きのめされる。
乱雑にしまってある猪口を手拭いでふき取り、神酒をほんの少し傾ける。
透明な液体なのに、ふるえる水面が虹色に輝いて見えた。
美しすぎるこの液体を、私はぐいっと飲み干した。

「……はは」

目を開けると朝だった。神酒恐るべし。
昨晩自分がどんな状態だったかを思い出した私は、即座に決断した。
────逃げよう。

昨日のあの発言を聞いても、わざわざここに来てくれるなんて、そんな事はあり得ない。
待ちぼうけをくらうなんて醜態を晒すくらいなら、いっそ逃げてそ知らぬふりをしていれば傷つかずに済む。
私は着替えを手早く済ませ、仕事にも手を付けずに外に出る……!

「おい。行くぞ」

あとは障子に手をかけるだけだった。
それなのに。
……それなのに。
開いた障子を真ん中にアマツミカボシと数秒見つめ合った後、彼はあろうことか私の机の上を乱雑に片付け始めた。
昨晩整理しておいた書類たちが無残に蹂躙されていく様を見るも、私はぽかんと呆けるばかりで動く事が出来ない。

いつもよりも部屋に来るのが早い。早すぎる。
でもどうして。
なんで今日に限って。

「……判らんが、こんなものでいいのか」

一つにまとめられてしまった紙の山に、はっと我に返った。

「大丈夫。あとはそのままで……」
「そうか」

さっさと部屋を出ていくアマツミカボシを追う。
この流れは追うしかないだろう。いくらさっきまで逃げる算段をしていても。
まだ朝食には早くぽつぽつとしか英傑がいない広間に到着し、いつもの場所に座ろうとすれば、顎で別の場所を指すので指示通りに座った。
それは長机の端だった。壁側である。もっと言うと部屋の隅である。
そんなにも私の姿が目障りなのか。
また少し傷ついていると、アマツミカボシが腰を下ろした。
それは、私のすぐ隣だった。
偶然足が触れ合うかもしれない、そんな距離。

「……文句があるのか。どこに座ろうと俺の勝手だ。
 大体所定の位置などここでは誰も決めていないのだから俺がここに座ろうとも問題などないだろう大体最初から誰がどこだと決めていればこんな面倒な事発生せずに済んだものを大体貴様こそ独神のくせにこんな目立たぬ隅で飯を食らう事に何も思わないのか大体他のヤツらもおかしいだろう仮にも主として持ち上げられている者ならば日の当たる真ん中にでも引っ張っていけば良いものをだがそもそもの原因は貴様自身だ大体貴様は独神のくせにこそこそと鼠のように部屋の隅に座するばかりで飯もちまちまとつつきまわすばかりでみっともない貴様の胃腸で食えるものを作らせておけば良かろうに貴様が何も言わないから周囲も何をしていいやら惑うばかりで貴様が己の感情を飲み込むことが美徳だと考えているのであれば即刻捨ててしまえ」

私は何も言っていないというのに、早口で捲し立て何やら多方面に文句を連ねている。
それは怒りではなく、狼狽に見えた。

「私は、良かったよ。……ようやく隣に座れた」

素直に気持ちを伝えた。

「……そうか」

短い返答の後はいつも通りだった。
私もアマツミカボシも静かに朝食を取る。今日は誰も私たちに話しかけなかった。
アマツミカボシはやはり私よりも早く食べ終えたが、席を立たずに頬杖をついていた。

「ごちそうさまでした」

私が食べ終わると、ちらりと視線を飛ばしてきた。

「……今日は面倒な討伐はあるのか」
「あるよ。信濃に少し厄介な案件が」
「後で教えろ」

そう言って席を立ちさっさと片付けようとするので、私もそれに倣った。
アマツミカボシは何処かへ寄って、その後執務室に来るのだろう。
それまでに情報整理でもしておこうか。

アマツミカボシの後頭部を見ながら右へ曲がろうと考えていると、アマツミカボシも右へ曲がった。
そのまま真っ直ぐへ進む。
どこかで別れるだろうと思いながらその背を見ていたのだが、なかなか視界から消えない。
結局夕焼け色の髪を見ながら執務室に着いてしまった。
深く考えず雑務に取り掛かると、アマツミカボシは落ち着かぬ様子で周囲をきょろきょろと見ている。

「いつもの天狗はいないのか」
「大丈夫、すぐ来るよ」
「すぐ……」

討伐について全てを把握しているのは私なので、私がいれば指示は出せる。
だが、今この場にはサンキボウが必要不可欠だ。
……この少し息の詰まる何とも言えない空気を打破する為に。
気まずさを振り払うように地図や現地からもたらされた情報を引っ張り出していると、すぱんっと勢いよく障子が開けられた。

「よっ、主サン! って、アマツミカボシもう来てたのか! やる気十分だな!」

救世主のご登場である。
これで私もようやく普通に息が吸える。

「別に。不甲斐ない貴様らに手を貸してやろうと気紛れに来ただけだ」
「じゃあさ、ちょっとお伽番交代してもらえないか?」

!?!?!?!

「は。何故俺が」

全くもって、私もアマツミカボシと同意見だった。

「だって手伝ってくれるんだろ? 丁度用事出来ちゃってさ。なあ、頼むよ。貸しって事で」
「チッ……必ず取り立てるからな」
「ああ、天狗は嘘吐かねえ!
 あ、それと、主サン。信濃の討伐なんだけど丁度いい奴見つけといたから、そいつに任せな」

騒々しいサンキボウに捲し立てられ、私たちは再び二人きりになってしまった。
しんとした空気が痛い。
どちらが先に口を開くか、無言の駆け引きをしていると、アマツミカボシが息を吐いた。

「面倒を押し付けられたが、お伽番とは具体的に何をしろと言うのだ」
「特に決まった事はないよ。お手伝いだから」

嫌そうな顔を惜しげもなく晒してくれるお陰でなんとも気まずい。
サンキボウ、本当に用事があったんだよね。気を遣ったわけではないよね。

「じゃあ、まずは仕分けてもらえるかな? 手紙の内容で分けるの。緊急そうならすぐに教えて」

ふんわりとした指示を出す。
先程言った通り、お伽番に決まった作業などないのだ。雰囲気でいつもやってもらっている。
私とは無関係にここで鍛錬をするだけの子もいるし、積極的に口を出してくる子もいれば、外回りを中心にする子だっている。
アマツミカボシの適正は不明だが、まずは指示通りに動いてもらう。
普段は発言の度に何かしら余計な一言を付け加えてくれるものだが、今は黙って真面目に作業してくれている。
淡々と必要最低限の事だけを私に伝えるので、私は自分の仕事に集中する事が出来た。

意外と悪く……ないかもしれない。

私がアマツミカボシを見る事もお伽番なら自然で、話しかけるのだっておかしくない。
呼べば近づいてきて、すぐ隣で私の手元を見てくれる。
意見を伺えば、淀みのない言葉で伝えてくれる。
私が迷えば声をかけてくれ、同じように悩み抜いて出した答えを聞かせてくれる。

私が求めていた関係がこんなところにあったとは。

「ただいま!」

サンキボウが戻ったのは日が真上に昇った頃だった。

「二人とも大丈夫だったか?」
「うん。アマツミカボシがよくしてくれたから」
「ようやく終わりか」

首を回しながらアマツミカボシは息を吐いた。
お疲れ様、と言うと小声でああ、と呟く。
このやり取りで最後かと思うと少し寂しい。でも楽しかった。

「いっそ今日はこのまま続けてもいいんじゃねえの? 他のヤツだってお伽番してるんだし。
 俺としちゃ、主サンがなにやっているか、もっと他のヤツに知ってもらいたいしな」

思ってもみなかった提案に私は即アマツミカボシを見た。
駄目だろうか……やっぱり。

「はぁ……仕方がないから手を貸してやる。有難いと思え」
「……ありがとう、ございます!」

一度やり始めた事を中途半端に終わらせるのが嫌だから。
とか、そういう理由でも構わない。
もう少しだけ、この部屋でアマツミカボシと過ごせることがとても嬉しい。
最初はあんなに嫌だと思っていたのに。
自分の変わりように驚き入る。

「じゃあ、私はさっき見つけた手紙の返事でも一気に書き上げて、」
「区切りがついたのだから腹ごしらえでもしろ」
「……。…………………………え?」
「貴様……。普段朝以外腹に入れてないな?」

ぎろりと睨まれる。慌てて言い繕った。

「そんな事ないよ! 食べるようになったよ!」

毎日ではないが。

「貴様の言葉なんぞ信用出来るものか。さっさと行くぞ」

強制的に広間へと引きずられ、昼食をとらされてしまった。
同じ室内で過ごしていたというのに、私の二倍以上食べているのを見ると英傑は凄いとぼんやり思った。

昼食後も変わらず、私たちは淡々と黙々と作業をし続けた。
英傑たちの報告を聞き、情報を更新していき、悪霊の動きに不審な点があれば話し合う。
孤高の星神は集団戦の経験が浅く本殿の知将ほど頭は回らないが、数々の戦いを駆け抜けてきた不撓不屈の武人だ。
悪霊たちの行動について、サンキボウとはまた違った視点で意見をくれる。

「主《あるじ》殿。と、アマツミカボシ……?」

部屋に入ってきたアメノワカヒコは、雑務を行うアマツミカボシをじっと見つめている。
普段いない者がいるから驚いているのだろう。

「今日はサンキボウと代わってもらったの」
「偶々仕方なく、な」

不本意だとばかりに毒づいた。
判ってはいるが、もっと別の言い方は出来ないのかとうっかり小言を漏らしそうになる。
自分が言われたら怒りそうなくせに。

「見回りはどうだった?」
「何回か悪霊との戦闘になったけど、特におかしな点はなかったよ。
 数も少なかったし、隠密行動をしている様子もなかった」

油断は禁物だが、少ないなら良かった。
周囲の町が少しでも平穏で過ごせているのであれば何よりだ。

「ありがとう。お疲れ様」
「おい、貴様が先程言っていたヤツに関するものだ。こちらに来て目を通せ」

アマツミカボシに「すぐ行きます」と返事をすると、アメノワカヒコを労った。

「じゃあ、今日はゆっくり休んで。また明日お願いするからよろしくね」

アマツミカボシへ歩み寄り、傍に腰を下ろすと渡された紙に目を通した。