全英傑で小話を書いてみた ~桜代+神代+降臨剣士編~


 ◆カマイタチ

「あっカマイタチ」

 独神が声を漏らすと、カマイタチとスクナヒコが同時に振り向いた。
 呼ばれたカマイタチは、スクナヒコと一言二言話し、植物を受け取ると早足に独神へと向かった。

「主《ぬし》様何か用か」
「意外な組み合わせだったからつい声をかけてしまって。ただそれだけなの、ごめんなさい」

 カマイタチは、ふうんと言って小さくなる独神を見た。

「……あれは薬づくりに必要な材料を少し分けてもらったんだ」
「薬? 調合出来るの?」
「それも意外か? 悪霊相手だと使わないからな」

 独神は小さく口を開けながらなるほどと数度頷いた。

「用がないならもういいか。今から山に採りに行くところなんだ」
「え。私も行きたい」

 食いついてきた独神に、首を振った。

「いや、主《ぬし》様は本殿に、」
「行きたい。邪魔にはならないようにするから!」

 縋るような目に言われては断り切れず、渋々ながら了承した。

「じゃ、すぐ行くぞ」

 準備もなく二人は近隣の山へと向かった。
 独神が息を乱さず山を登っていくことには感心したが、当初の予定よりは随分遅い歩みであった。
 本殿でも俊足と謳われるカマイタチにとって、独神は大きな荷物だ。
 しかしその事を口にはせず、独神がついてこられるような速度に調整した。

「見つけた。主《ぬし》様、ここからは草むしりだ」

 必要な薬草を見せると、独神はすぐに行動を開始した。
 ひたすら草をかき分け、薬草を抜いていく。
 心配で度々様子をうかがうが、独神は真面目に草抜きをしていた。
 その様子にカマイタチは焦れた。

「なあ。もういいだろ。言いたい事があるなら言ってくれ」
「……え?」

 集中しきっていたのか、遅れて独神が反応した。

「じゃなきゃわざわざついてきたりしないだろう。こんな地味なこと」

 これは独神の仕事ではない。
 八百万界の歴史上でも唯一の技、一血卍傑を行える逸材が一般の妖と薬草採りするなど、ありえないことだ。
 本殿で戦争や政治や経済のことを口にしながら、八百万界でも有名な者達を顎で使うのが独神だ。
 そうに違いなかった。

 カマイタチが詰ると独神は苦笑いを浮かべた。

「……前からキミのこと気になってて。仲良くなれたら良いなって……。ごめんね。薬草採りを口実にして」
「そんなことはないが……」

 意外な言葉が返さればつが悪かった。

「キミって風を使うんだよね。さっきも道具なしで切ってて凄いなって」
「こんなのオレにとっては朝飯前だ」
「自然が扱えるなんて凄いね」

 秘技を持つ者が何を言うかと思わないわけではなかったが、あまりにも屈託なく賞賛するので勘ぐるのはやめた。

「俺の風なら草どころか木だって切れるんだぜ」

 自分の当たり前を言うと、独神は子供のようにはしゃいだ。

「見たい見たい!」
「そこにジッとしてろよ」

 技を披露すると独神は飛び上がって喜んだ。
 気を良くしたカマイタチはその後も技を見せ続けた。

「……切り過ぎたな」

 山の一部は禿げ山になってしまった。

「オレも怪我が治せるだけで植物の成長促進は専門外だ。主《ぬし》様は?」
「無理だって! でもククノチなら」

 ククノチが誰か覚えていなかったが、どうせ神族あたりだろう。

「本殿に戻ったら聞いて頼んどくよ」
「それならオレも行く」

 独神は少し驚いた顔をしていた。

「そう? じゃあ一緒に来てもらえる?」
「判った」

 そう言って、二人は山を降りて行った。
 ついていくと言ったのは、ククノチが誰か知りたかったからではない。
 言えばもう少し、独神といられるのではないかと思ったからだ。

 カマイタチが本殿に来たのは、八百万界の救世主と騒がれる独神がいると耳にしたからだ。
 悪霊との敵対を宣言する団体は、悪霊を斬るには都合が良かった。
 それだけであって、独神自身にはあまり興味はなかった。
 今日話すまでは、もっと得体の知れないおっかない者だと思っていたくらいだ。

 だが意外と、独神は怖くない。
 フツーだ。意外と。
 もっと言うとすぐ死にそうな弱っちいひとだ。
 本当に秘儀が使えるのか疑わしいとさえ思う。

「オレ、もっと悪霊倒すから」
「ありがと。でも無理はしないで。その為に仲間がいるんだから」
「いや。だから。そういう意味じゃなくて」
「?」
「なんでもない。帰ろうぜ」

 なんとなくだが、このひとを守ってやっても良いと思った。

「主《あるじ》殿は、むやみに斬られた樹木の気持ちを考えたことがあるんですか!?」
「(ククノチってこんなにおっかない奴だったのか……!)」

 ククノチには二人まとめてこってり絞られた。
 説教中にお互いの目が合うと自然と笑みが零れる。

「聞いていますか!?」

 その分説教は長くなっていくが楽しかった。
 


 ◆ネコマタ

「ニャわわわわ……。やっちまったニャ」

 三味線の音が嫌で、ついやってしまった。

「しかもよく見れば犬皮だったニャ……」

 持ち主が声を張り上げているが、そんなことより。

「主《あるじ》に叱られるニャ!!!!」

 そこから数日経ち、独神から幾度となく放たれる溜息にお伽番のタワラトウタはほとほと困り果てていた。

「主君。いい加減に教えてくれよ」
「うん……」
「俺様そんなに頼りないか? お伽番ってもっと下らねえこととか、心配事を話すものじゃねえの?」

 心配させまいと言わなかったことが逆に心配をかけている。
 本末転倒な行動を恥じ、独神は答えた。

「あのね。……最近ネコマタがいないの。いつもは木の上とか、屋根の上とか、夜の焼き魚を盗んだり、壺を割ったり、障子を破ったりするのにいなくて」

 いない方が良くないか。
 と、口から出そうになったがぎりぎりで耐えた。

「えーっと、何か心当たりは?」
「ないの。だから余計にどうしたのかと思って。他の英傑にも聞いたけれど、ネコはそういうもんだって言われてばかりで」

 なるほどあれは化け猫だった。
 猫といえば、そうだ。

「例えば……なんだけどな、猫ってのは死ぬ間際には姿を消すだろう。あれは無様な姿を見せて悲しませたくないからなんだ」

 適当な仮説であったが、独神の瞳がゆらいだ。

「いや、ホントのところは知らねえけど……まあそういう話もあるって」
「あり得るのかも。……だって、最近は食糧庫から消える魚の量が減ってたし。それが元気がなかったからなら……」

 深刻な顔をして言うので、タワラトウタもその気になってしまった。

「だったらさ、主君もネコマタの気持ちを汲んでやってくれよ」
「うん。本当はネコマタ捜索隊の編成も視野に入れてたけど、死ぬ様を見られたくないとネコマタ自身が思うなら……」

 ついに嗚咽を漏らし、独神は目を覆った。
 雰囲気に呑まれタワラトウタも目頭が熱くなってきたような気がしてきた。
 ネコマタとの思い出があれやこれやと浮かんだり浮かばなかったり。
 独神の方は本格的に泣き出していた。
 そんな独神の肩をタワラトウタはとんとんと叩いてやった。

「今夜はクウヤを引っ張りだして、追悼の酒でも浴びようぜ」
「っ……。ん……。っぐ……。ふ……。ネコマタの為、だもんね」
「正直、ひとりで死ぬことないのにって思っちまうけどな。猫はそうやって死ぬもんだもんな。化け猫のあいつだってきっと」
「え゛。わ、私、もう死ぬのかニャ?」

 開け放した障子から、衝撃的な顔をしたネコマタが顔を出していた。

「生きてる!!!!!!????」

 顔を明らめた独神とは対象に、少しずつ少しずつ、タワラトウタは部屋を移動した。

「私が死んだなんて、だーれが言ってるニャ……?」

 タワラトウタは弾けたように逃亡した。
 鼠を狩るようにネコマタは牙を剥いて追いかけた。

「主《あるじ》! 私は、まだまだ生きるから! もっと私をお世話するニャ!!!」



 ◆セイリュウ

 冬の準備を始める秋。
 大食い大会が数度開催されたり、紅葉を見に毎日出かけてみたりと、本殿はなかなか忙しい季節である。
 日々楽しそうに過ごす者が多い中、セイリュウは少し、憂鬱であった。

 春の反対は秋。
 春を担当するセイリュウの霊力が少し弱まる季節である。

「ビャッコは元気なんだが」

 補い合う存在である為、対応する相手は逆に霊力が強まるのであった。
 だからこそ、東の守りは強固に保たねばならない。
 本調子でないからこそ、セイリュウは普段以上に気を引き締めていた。

「先生……」

 気まで小さくなるのか、この時期は独神に近づく事も憚られた。
 春はもっと揚々と関われた気がするが、それも桜が見せた幻だったのだろうか。

 結局遠くの独神に何も言えずに、セイリュウは持ち場である東の砦へと行った。
 通常の見回りとは違い、四方の砦を守る者たちは持ち場を離れず周囲を見回すことが仕事だ。
 地味で暇な仕事と思われがちだが、一度気を抜けば悪霊の進軍を許し、本殿の被害は甚大なものになる。
 セイリュウはこの仕事に誇りと責任を持っていた。
 見張りの間、紅葉で色づいた山をただひたすら眺めていた。

「……誰か来るな」

 木々の隙間から見える何かを捉えたセイリュウは剣を手にして下へ降りた。
 動きがあった方向へ向かって行く。

「あ。セイリュウ」
「せ、先生……どうして」

 独神は手に持った風呂敷を見せた。

「上に行きましょう」

 訳が判らないまま、セイリュウは独神と砦へ登り、廻縁《まわりえん》で横並びになった。

「やっぱり。ここならよく見えると思った」

 独神は嬉しそうに景色を見渡した。

「紅葉見に良いんじゃないかって。お弁当も作ってもらったから一緒に食べましょう」
「ああ。うん……」

 渡された弁当は食材たちが愛らしく飾られていた。

「可愛いでしょ」
「そうだな」

 少し恥ずかしい気がしたが、独神に言われると良いものに見えてきた。
 二人は紅葉を見ながら、弁当を少しずつ摘まんだ。
 セイリュウとしては見飽きた美景よりも、隣のひとが気になって仕方がなかった。

「なに?」

 不躾な視線に気を悪くしたのかと不安になった。

「いや。……どうしてここに来たのか気になって。つい」

 素直に吐露すると独神は微笑んだ。

「ここ、良い景色でしょ。前から思ってて、今日こそと思って来たの」
「そうなのか」
「……半分嘘。なんだかセイリュウが元気ないから気になっちゃって」

 それを聞かされて、セイリュウは少し気を落とした。

「申し訳ない。俺の霊力が低いばかりに心配をかけて。だが守護の仕事に手を抜く事はない。だから安心して、」
「違うって。そういうことじゃないから」

 手を振って否定した。

「四霊獣の特性は判ってる。だからそう責めないで」
「だが、先生の守護が弱まる方角が存在するなんて本来あってはならないことだ」
「その分、西のビャッコの力が強まっているんでしょ? 補いあう関係なんだから問題ない。私だって、夜は寝るからその分他の人に任せきり。あなたたちの関係はそれと同じ。変わらないわ」

 補完的関係を悪いものとは思った事がない。
 何故今はそれを受け入れられないのか。
 もどかしくなるのはどうしてか。

 そうだ。自分が独神の全てを支えたいのだ。
 だから欠けたる秋に負い目を感じていた。

 しかし、過ぎたる欲は身を亡ぼす。

 自分は適度で良いのだ。
 過度な振れ幅はスザクやゲンブの領域である。

「先生。また機会があったら……」
「その時は、私がお弁当作っちゃおうかな」
「それは楽しみだ」

 秋も、悪いものではない。



 ◆スザク

「なんだか先生が冷たいんだ」

 冷酒をぐいと呑みながらスザクは零した。
 今日は共に見回りした英傑達での飲み会である。

「ふふ。難攻不落な主《あるじ》殿をどうこうしようとは良い度胸じゃ」

 タマモゴゼンは妙に赤々と輝く酒を飲みほした。

「じゃが、仲間のよしみで知恵を授けてやろう」
「うんうん」

 スザクは恋愛百戦百勝のタマモゴゼンのありがたい言葉を逃さず聞いた。
 そして後日。

「せ、先生!!」

 執務中の独神にスザクは両脇に長い切れ目の入った大陸服を纏い、無遠慮に指差した。

「べ、別にアンタのことなんて好きじゃないんだからね!!!」

 ごめんなさい先生。と謝罪の言葉を吐きながらスザクは逃げて行った。
 独神は呆気にとられた。

「……何あれ。誰、術かけたの。怒らないから名乗り出なさーい」

 名乗り出る者はいない。
 当然である。誰も術をかけていないのだから。

「どうしちゃったんだろう……何か私しちゃったっけ。なんだと思う?」

 お伽番のトールは答えた。

「嫌われたんじゃないのか? 好きじゃないと宣言されるなんてよっぽどのことだぞ。早く謝ってきたらどうだ」
「身に覚えはな……いや、ちょっと行ってくるよ」
「こっちは俺に任せてくれ。仲直り頑張れ!」

 仕事についてはトールに任せ、独神はスザクを探した。
 幸いすぐに見つけることが出来た。

「うう。僕はなんて酷いことを……」

 洗濯場にしゃがみこんでいる。
 独神は周囲に他の英傑がいないのとを確認してそっと近づいた。

「スザク。大丈夫?」
「先生!?」

 後方へ回転しながら飛ぶと、すらりとした足が円を描き、大陸の服が旗のように靡いた。

「ごめんなさい! 僕、本当は好きじゃないなんて思ってない。嘘なんだ」

 眉尻をすっかり下げてスザクは何度も首を振った。

「夜は先生のことばかり考えてしまうし、昼には他の英傑が先生に近づくだけで嫌な気分になる。遠征の時は先生の顔が見えなくて切なくなるし、その分帰還後に迎えてくれる先生に熱い抱擁をしたくなるけれど毎回ぐっと堪えているくらいだ。昨日だって僕が遠くから一方的に先生を眺めていただけなのに目が合ったことに天にも昇るような気持ちになって未だにその喜びが続いているんだ。そんな僕が先生を嫌うなんてあるはずないだろう!?」
「あ。うん。はい。その通りでございます」
「先生!! 僕の愛は永遠だ。先生に僕の気持ちは伝わってる!?」

 独神は何度も頷いた。壊れるくらいに。頷いた。

「良かった」

 破顔したスザクは鼻歌を歌いだした。

「先生。良かったらこのまま僕の歌を聴いて行ってよ。今とてもいい気分なんだ」
「(今日のスザク情緒不安定過ぎて怖いんだけど、歌はいつも通り綺麗だし、このまま聞いていくか)」

 独神の心を知らないスザクは、その夜さっそくタマモゴゼンに礼を言いに行った。

「ありがとう! 君のお陰で先生が僕の愛を受け入れてくれたよ」
「わらわは自分でも落とせるが、助言でも落とせるからのう。んふふっ」
「これはお礼だ。大陸では貴重な酒なんだが、君はもう口にしたことがあるだろうか」
「おお! これは久しい物を。折角じゃそなたも共に呑もうぞ」
「ありがとう。じゃあ、乾杯」

 二つの杯が心地の良い音を響かせた。



 ◆タケミカヅチ

 見回り中の雑談中、タケミカヅチは英傑達に尋ねた。

「最近主君と話をする機会がないんだ。折角だから楽しませたいんだが何か良い案はないだろうか」
「逞しいところを見せればイチコロ!?」
「いや俺は主君を殺す気はない!」
「そうじゃねえよ!!!!!」
「相撲は? 得意でしょアンタ」
「任せてくれ! 相撲なら必ず主君を満足させられる」

 英傑達に適当に言われた事を一切の疑問なく受け入れたタケミカヅチは、早速執務室にいる独神へ言った。

「主君! 今から相撲しないか!?」

 独神の頬がひくついた。

「え゛。……あー……いやー、私は経験ないし、それにその神事として見たことしかなくって……」
「なら尚のこと体験すると良い! さあまずは服を脱ぎ、身体を清めて、廻しを着けるんだ!」
「いやいやいやいやいやいや!!!! 待て! 待ってくれ!」
「判った。いつまでもいつまでもとことん待ってみせよう!」
「(っかー、めんどくせーこいつ)」


 あくまで独神は一血卍傑だけの存在であり、身体能力は並み。
 そんな者が英傑……それも雷の武神と身体を突き合わせればどうなるかは明白。
 相撲なんてするものではない。

「ねえタケミカヅチ! 私さあ、今すぐ美味しいお茶を入れてくれるひとに一目惚れしそーなんだけど……どう思う?」
「茶を淹れれば主君の役に立てるんだな!」

 ドタドタと廊下を駆けていくタケミカヅチ。
 純粋すぎる目と耳では、一目ぼれの下りは捉えられなかったのだろう。

「馬鹿みたいに単純。けど嫌いじゃないよ」

 どんがらがっしゃーん。
 炊事場の方で大きな音が聞こえた。

「……全く。飽きさせない男だねえ」

 のっそりのっそり。
 でも楽しそうに独神は足早に向かって行った。
 それを本日のお伽番であるアメフリコゾウは見ていた。

「(タケミカヅチに甘いんですよぉ、主《あるじ》さまは……)」



 ◆ネンアミジオン

「ネンアミジオンのやつ大丈夫か? 剣術教えてたぞ」

 討伐帰りのイッシンタスケが独神への報告ついでに言った。

「新しいお弟子さんなんじゃない? 元々沢山の人に教えてたみたいだし」

 ネンアミジオンは兵法三大源の一つ、念流の始祖である。
 多くの弟子をとり、己の技を伝えたとされる。
 なので、剣術指南が本殿では珍しくとも、ネンアミジオンにとっては普通のことである。

「なんつーか、少し違う気がすんだよ」

 しかしイッシンタスケは首を傾げる。

「オレ様が聞くとはぐらかされそうでな。手の空いてる時で良いから上様が聞いちゃくれねぇか」

 イッシンタスケがそこまで言うので、独神は事態を重くみた。
 仕事の合間、ネンアミジオンが独りになった時を狙って話しかけた。

「お疲れのようね」
「主君」

 縁側に下ろしていた腰を上げようとすると独神が手を上げた。

「楽にして。私がそういうのを好まないのは判ってもらえていると信じてるよ」

 謝罪をしてからもう一度腰を下ろし、その隣に独神が座った。

「ねえ最近新しい弟子をとったんでしょ?」
「ええ。ご存じでしたか」
「まあね」

 情報元は伏せ、話を続ける。

「どんな子? ネンアミジオンを誰と知って教えを乞うなんて見どころがあるじゃない」
「そうではありませんよ」
「じゃあ偶々?」
「まるで尋問ですね」

 独神は口を噤んだ。

「……そーですよ。勘違いしないで、剣術を教えるなとは思っていないから」
「と、言いますと何が気がかりで?」

 隠せないと判断し、独神は白状した。

「その子はネンアミジオンが復讐で仏門外れたの知ってるんじゃないの?」

 一切の動きを見逃さないようにと独神はネンアミジオンをじっと睨んだ。
 すると困ったようにネンアミジオンは肩を竦めた。

「おっしゃる通りです、主君」

 ネンアミジオンによると、母を殺した悪徳商人を殺すべく、最近弟子入りしたのだと言う。
 復讐の為と承知で指導している。

「私、殺すか殺さないなら、殺す経験なんてない方が良いと思う」

 静かにネンアミジオンは頷いた。

「生まれるも自由。死ぬも自由。その自由を他人が侵害することが良いと思わない。
 でも、自分で蹴りをつける手段は殺ししかないって言うんでしょ?」
「私も間違っていると思いますよ。今だからこそ、ですが」

 ネンアミジオンが母の敵を討ったのは大昔のことである。

「……手を汚させるのは反対。悪霊なら問答無用で殺戮している独神でもね」

 よっと縁側から独神が飛び降りた。

「罪の数なら誰にも負けない私に躊躇いはない。独神の身勝手さをその子供に教えてあげるよ!」

 走っていこうとする独神をネンアミジオンは慌てて引き留めた。

「身勝手なのは私もです。仏門を二度も出てここにいます。おかしなものです。そんな都合の良いものではないと判っていて」

 ネンアミジオンは剣を抜いた。

「私もまた、血塗られた存在です。其方《そち》と共に行きましょう」

 独神はにやりと笑った。

「よし。なら行こう」

 二人は走った。敵討ちの代行に。



 ◆ヤギュウジュウベエ

 本日は快晴。風も心地よく、絶好の鍛錬日和である。

「三百六十二、三百六十三、三百六十四……」

 白髪を一つに纏めたヤギュウジュウベエが素振りをおこなっていた。

「ちょっと良い?」

 ハンニャが声をかけると、すっと木刀を下ろした。

「見ての通り鍛錬中だ。火急でないなら控えてもらいたいんだが」
「大事なことよ。だって主《あるじ》様のことだから」
「判った。それで?」
「貴方は討伐が好き?」
「当然だ。己の磨きし剣術を試せるのだからな」
「主《あるじ》様の為じゃないの?」
「仕えているのだから、上様の為でもあるが、重きを置くのはやはり剣の道の為だな」

 ハンニャは微笑んだ。

「なあんだ。勘違いしてた。ごめんなさいね」
「うん? ああ」

 意味も判らないまま頷くと、ハンニャが自分から説明した。

「あのね、私、貴方が主《あるじ》様のこと好きだと思ってたの。だから、使えないようならここで殺しちゃおうかなって……。苦しませられなくて残念だけど、敵がいないってことは良いことだもんね」
「待て。本殿での殺しはご法度だ」
「うふふふ。知ってる。だから本殿から離れた所でするつもりだったの」
「いや場所の問題ではなく」
「殺す気はもうない。気にしないで」
「気にするだろう!」

 もうハンニャは返事をしなかった。
 なにがなにやらさっぱり判らない。
 修練後、ヤギュウジュウベエは自室で悶々と考えていた。

「(好き? 私が上様を?)」

 自分が殺されかけたことはとうに気にならなくなっていた。
 本殿は強者が多い。その中で多少の殺傷沙汰があろうともおかしくはない。
 戦いの中で生きるヤギュウジュウベエには些末な事であった。

「(役に立ちたい、守りたいと慕うのは忠義ではないのか?)」

 ヤギュウジュウベエは足を組み、己に渦巻く思念たちを抑えつけていく。

「(この想いは忠義だ。何故なら、私がそう信じているからだ)」

 そうだそうに決まっている。
 ヤギュウジュウベエはすっきりとした気持ちで床についた。

 次の日、いつもと同じように執務室へ向かった。

「上様。今日の討伐予定なんだが」
「おはよ。ジュウベエ」

 いつもの挨拶。

「う、上様。……きょきょきょ今日は貴人と会う日だったのか」
「どうして?」
「だ、だって、なんだかその、今日はいつもよりう、……美しい気がする……」

 ぷふっと独神は噴き出した。

「何言ってるの。慣れないお世辞言っちゃって、さてはまた討伐先で斬りすぎちゃった? それとも珍しい剣があって暫く近くに住みたいとか?」
「な、何を言う! そんなことはないぞ」
「はいはい。要望があるならちゃんと言って。恥ずかしがり屋さんでも、人に頼む時にはちゃんと自分の言葉で伝えないとね」

 ヤギュウジュウベエは眉間に皺を寄せながら言った。

「う、上様が綺麗だったから、そう言っただけだ。私はまだ何もやらかしてなどいないぞ! これからもだ!」

 両腕を大きく振って去って行った。

「……どうしちゃったのあの子。私の化粧いつも通りだけど」

 手鏡を見た。

「綺麗、なんてタコが出来るくらい聞いたのにね」

 鏡の独神は頬紅が濃くなっていた。

「……どうして。こんなに嬉しい顔、してるんだろうね」

 鏡の独神は答えてはくれない。

「(どうして今日に限って上様があんなに美しく見えるんだ。天女さえ姿を隠すぞ)」

 どくどく打ち鳴らす胸を掴んで、ヤギュウジュウベエもまた、己の変化の原因を突き止められなかった。



 ◆ダイコクテン

「ダイコクテンちゃん! ちょっと今すぐ化粧水出して! 今すぐ!」
「ツクヨミか。悪いけれど、今は袋を持ってないんだ」
「はあ!? なんで!? 七福神の道具よ!?」
「申し訳ない」
「ああもう! 日光でお肌が乾燥しちゃうってばあ!」

 キーと喚いて走り去るツクヨミを、ダイコクテンはじっと見ていた。

 なんでも取り出せる、大黒天の袋はちゃんと持っていた。
 けれど、最近はめっきり使っていない。
 怖くなったのだ。
 ありとあらゆるものを取り出せる袋から、何でも取り出し福をまいてきた。
 それが七福神としての役割。
 なのに、最近は一人のひとが胸に住みついて、他の事が考えられなくなってしまった。
 それからは精度も悪くなり、袋から物を取り出せない。
 由々しき事態だった。

 同じ七福神のホテイは言った。

「ウエサマへの報告は不要じゃ。私と其方《そなた》の胸の内に仕舞っておくぞ。良いかのぅ? 余計な心配をさせては其方《そなた》も不本意じゃろうて」

 ホテイの言い分はよく判っていたし、自分でもそれが一番だと思っていた。
 だが、独神は勘が鋭かった。

「ねえ、最近君の袋芸見てないからやってよ。無理行っても出てきて楽しいんだ」

 ほらほら。と促されたが断った。

「悪いね。今は袋がないんだ」
「洗濯中?」
「いや……」

 その場しのぎの嘘を差し出すと目聡く突いてきた。

「大事な袋をその辺に置くわけないよね。実は手元にあるでしょ。使えないの?」

 確信があるかのように詰めてくる。
 誤魔化したところで引きはしないだろう。素直に認めることにした。

「……うん。まあ」
「ふうん」

 覚悟した上で答えたのだが、独神は一つも驚かない。

「よく判んないけど、袋って必要なの?」
「ダイコクテンと言えば袋みたいなところもあるかな」

 言われた事はない。出まかせだ。

「ダイコクテンが担当する福って、物じゃないと駄目なの?」
「いや物が全てじゃない」

 いるだけで、望むだけで福を呼ぶ。それが七福神である。

「物じゃないなら問題なさそうだけど。だって七福神はいるだけでいいんでしょ?」
「けれど福を振りまく私自身が限界を感じているんだ」
「いやいや限界って。福でしょ? ただ喜んでもらえれば良いだけなのにそんなに思い詰めなくたって」
「主《あるじ》」

 強めに名を呼ぶと、独神は口を閉じて耳を傾けた。

「私は主《あるじ》を幸せにしたい」

 独神がいるだけでダイコクテンは幸福を抱いた。

「平等であらねばならない七福神が、君にばかり福を与えてしまう」

 物を介した幸福ならば制御は簡単だったろう。
 だが相手は仕えている主。共にいるだけで福を与えられ、自分も与えたくなってしまう。
 自由な心が厄介であった。

「気持ちを抑えようと必死になるうちに、袋から物を取り出せなくなった」

 独神は黙ったままダイコクテンを見ていた。

「私を遠征に行かせてくれないか。君のいない地でしばらく過ごしたい」

 七福神でいる為には独神と離れるべきだと考えた。
 傍にいなければ平等のままでいられるはずだと。

「ちょっと袋からなんか出してよ」
「いや、だから」

 良いからと促され、袋を出した。
 久しぶりの袋を撫でるとしっくりくる。

「それで。何を出せば良い?」
「雑草」
「え」

 戸惑いつつも言われた物を取り出した。

「出せるじゃん」
「出るけど……主《あるじ》、少しでも欲しいと思った?」
「思った思った」

 独神は庭へと下りて、よいしょと草を植えた。

「誰かが掘っちゃってさ、丸々禿げちゃって気になるってさっき言われた所だったんだ」
「そうだったんだ」

 確かに人の横幅くらいの直径の円形に草がない。
 落とし穴だったのだろうか。 

「多分だけど、ダイコクテンは考えすぎ。貴方が自覚してないだけで、いつも通り福を与えてるよ。今日だって、ツクヨミが討伐中に助けた人から貰ったって大人気の化粧水抱いて自慢してきたよ」

 そういえば、化粧水がないとか言っていたような。あの後手に入ったのか。
 
「私の為にしか物を出せなくなっても、私が他人の幸福を願っている限りダイコクテンは他人の福を袋から取り出せる。
 大丈夫、いつだって本物の七福神だよ」

 他でもない独神に言われた事で憑き物が落ちたように心が軽くなった。

「暇なら討伐に行ってきて。それだけで沢山の人が幸福になるよ」
「そうだね。行ってくる」
「いってらっしゃい」

 見送られていると、昂りが次第に治まってくる。
 すると別の心配が湧いた。
 自分が独神を好きなことを知られてしまった。
 だが独神はいつもと変わりないように思えた。
 ありがたい。

「(気持ちを伝える時は普段通りになってからだ)」



 ◆イザナギ

「離婚調停っていつ終わるの」
「ブフォ!」

 イザナギは熱いお茶を噴き出した。

「汚いなあ。もう。火傷してない? 大丈夫?」
「あ、ああ」
「私拭くから、イザナギはじっとしてて」

 その辺りに置いてあった手拭いで水気を吸わせていく。
 量は少ないので床はいつもの艶を見せた。

「調停というのは、一方的にどうこうできるものではないだろう」
「じゃ、進めてよ」

 と言うと、イザナギは黙り込んで、半分以下に減った湯呑に口をつけた。

「……あれでも儂の妻だ。情はこの先もなくならぬだろう」
「じゃあ、私どう頑張っても重婚…………事実婚………………?」
「まあそのようなも、……待て待て、その目はなんだ」
「……いやぁあ? べつにぃ」

 イザナミが怒るのもよく判る。この男、とにもかくにもこっちの気持ちなんて考えずに発言している。
 少し立ち止まれば、言われた方がどんな気持ちになるか判るだろう。

「あ、いや。すまぬ」

 相手が怒ったから謝っている。ただそれだけ。理由なんてろくに考えてない。
 ……あー、腹立つなあ。

 だから呑みの席での愚痴吐きはイザナミと話す時が一番盛り上がる。
 すっきりするし、受け入れてもらえることに安心感を抱く。
 もしかして本当はイザナミが好きじゃないのかと考える時もあるが、イザナギが目の前に現れた瞬間、私たちは同じ目をして同じ態度を取って、心さえも同じなのに、一番の敵になる。

「もうさ、目の前で言ってよ。イザナミの前で、私が一番だって」

 私はいつも二番ちゃん。
 妻じゃない私は、ただの他人。
 いくらイザナギが私を好きだと大切だと言っても、嬉しいのはその時だけ。
 少し経てばすぐに不安に押しつぶされる。
 イザナミを地上に呼び戻したのは私だから余計にかもしれない。
 身体を与える時に一瞬過った不安に目を瞑った。
 そのせいで、長い期間私は苛まれるようになった。

「判った。皆の前で言う」
「そこは三人だけで良いよ。イザナミに恥かかせないで」

 私とイザナミの立場は殆ど同じ。立場が逆転することはいつだってあり得る。
 だから貶めない。憎たらしくても。大嫌いでも。
 もう一人の私と思って大事にする。

「そうはいかぬだろう。儂らの縁を戻させようと思う神族は多い。ならばそいつらがいる前で宣言せねばな」
「い、いや。そこまではいいよ」

 吹っ切ってしまったのか、ぐいぐいと物事を処理しようとする姿に怖くなった。
 今まで私が何を言ってものらりくらりと躱していたくせに。
 最初に迫ったのは私だけれど。
 ……イザナミが可哀想だ。

「儂自身が決別を必要としている。……共にいてもあれは昔のあの子ではない。黄泉へ帰る者だ」

 イザナミの命は仮初に近い本物だ。
 黄泉の主宰神は黄泉からは逃げられない。

「皆の者、聞くが良い」

 神族での集会時に、イザナギは宣言した。

「儂はイザナミとは夫婦の縁を解くことにした。イザナミちゃんも、それで良いな!」

 人目をはばかるように端に立っていたイザナミに全員の視線が集まった。
 凛としている表情は大きく崩れていた。だがすぐに立て直す。

「ようやくその気になったか。良いだろう。今日からそなたは赤の他人だ」

 イザナミは身を翻す前に、私の方をちらっと見た。
 ────勝ったのは、私。

 だから最後まで目を逸らさなかった。
 最後まで。

 あなたの夫は、もう私の物です。



 ◆スズカゴゼン

 最近気になることがある。
 本殿には数多くの英傑がいる。
 なのに、どうして、ど~~~~~~~~して、鬼と仲良くするのか。頼りにするのか。

「英傑はみんな可愛いよ? 頼れる仲間だよ。スズカもね」
「あたし負けたくないんです!」

 鬼退治はしたくてすること。誰かの役に立つのも嫌じゃない。
 でも長らくやっているうちに意味を見失っていた。
 惰性の部分もあった。
 そんな自分がこんなにやる気に溢れる日がやってくるなんて。

「うちの鬼たちをつんつく刺しにいくよりは健全で良いね」

 違う。鬼だけじゃない。誰にでもそうだ。
 この気持ち。
 誰よりも役に立ちたい。私を必要とされたい気持ちは。

 こんな気持ちご主人様には言えない。

 自分はご主人様を見ているだけでいい。
 自分は剣でしか貢献できないから。
 だから全力でやりますね。



「おーいスズカ。ちょいちょい」

 いつものように悪霊を討伐した後にご主人様に手招きされて近づいた。

「みんなにはナイショだよ」

 あたしの硬い手のひらの上にちょこんと、砂糖天麩羅(どーなつ)がのせられた。
 穴の中には熊がいて私を威嚇している。

「可愛いでしょ。限定なんだって。さっき献上された」
「献上って、ならあたしに渡さない方が良いんじゃ」
「良いの良いの。お供えは食べるまでがお供えってオジゾウサマ言ってた」
「はあ……。神もそう言うのであれば」

 ご主人様にはこうやってたまに、ご褒美らしきものを貰える。

「食べるの勿体ないよね。だって熊が両手上げて挨拶してくれてるんだよ? かわいいー」
「(威嚇されているのに?)」

 鬼退治ばかりしていたあたしは、きっと普通の人が求める言動は出来ない。

「スズカは熊から食べるんだ。豪快だねえ」
「(そっか。可哀想だから熊は食べづらいものなんだ)」

 でもご主人様はあたしを変だと言わない。

「熊の手美味しいよね。大陸料理を振る舞われた時に食べたら、ぷるっぷるで凄かったよ」
「調理は大変らしいですね。あたしは売ったことしかなくて」
「毛を毟るところから始まるのは鳥もそうだけど、苦労は比じゃないよ」

 ご主人様は大抵のことには引かない。
 胆力の座り具合は他の英傑達のお陰……と思うと少し複雑だ。
 判っている。
 ご主人様がご主人様なのは多くの英傑を率いているから。
 独り占めにしたら、きっとご主人様は変わってしまう。

 今はこのままで良い。この穏やかな時間が尊い。
 ご主人様がいれば、私は普通でいられる。

「スズカ。熊採ってきてよ。無理はしなくて良いんだけど」
「鬼の手を捻るより簡単ですよ」
「凄いなあ、スズカは」

 ねえ、ご主人様。あたしは今、幸せです。
 だからこれからもあたしを使って、そして時々お話しして。
 貴方をひっそりと好きでいさせてください。



 ◆バク


 夜になり、俺はこっそりとご主人の部屋に侵入する。
 ぽつんと置かれた蒲団の上には眉間に皺をよせて歯ぎしりをするご主人。
 そっと横に腰を下ろして、ご主人の頭に入り込む。

 夢を見ることがいつからか日課になっていた。
 誰の夢を見ているのだろう。
 誰と仲良くしているのだろう。
 誰を嫌がっているのだろう。
 その中に俺はいるのだろうか。

 今のところ、俺が危惧していたような夢は出てきていない。
 ご主人の夢はいつも似たような夢ばかり。
 その中で一番出ていたのは────。

「ハハハハハハハハハハハハ!!
 貴様の大事な英傑も、所詮羽虫!!
 ほら、己の目で確かめろ! 独神!!!
 ククッ、ハハハッ!!
 どいつもこいつも、引き裂けば全部同じ臓物をブチ撒けているぞ!!!
 ヒャハハアハハハア! つまらんなあ!!! つまらんぞ!!!!!」

 魔元帥ベリアルだった。
 奴はいつも夢の中で英傑を殺していた。
 俺と仲の良いアイツも、少し苦手なコイツも、ベリアルの前では蟻のように潰された。
 俺より強いと密かに憧れていたひとも、ベリアルに半身を吹き飛ばされ、残りは悪霊に串刺しにされていた。

「なんで……なんで私に力をくれないの!!! 私に殺させてよ!!! もう産魂んだ英傑が死ぬのは嫌!! 力が欲しい!! 力があれば英傑にさせなくて済むのに!!!!」

 ご主人はいつも泣き喚いて、力を欲していた。
 これ以上英傑を苦しめたくないと言って。
 命を結ぶ一血卍傑よりも、命を磨り潰す武力が欲しいと泣いた。

 俺はこの悪夢を毎度食す。

「(悪霊って夢でも美味しくないんだ……)」

 悪夢は美味しいはずなのに。

「(調味料が悪い。ご主人がいつも苦しんでいて……)」

 もぐもぐもぐもぐ。
 次々に掴んで口に運んでしまう。
 手が止まらない。
 美味しくない美味しくない美味しくない美味しくない美味しい。

 苦しんで欲しくないのに。
 どうしてご主人の悪夢はこんなにも美味いんだ。

 悪夢を食いつくし、ご主人が口を半開きにして健やかに寝だすと、俺は居たたまれずに逃げ出す。
 こんなことを俺はここに来て数ヵ月続けている。
 いつか誰かに見つかるんじゃないかと不安だが、幸か不幸か指摘されたことはない。
 忍たちならば不自然に入退室する俺のことを把握しているに違いないが、泳がされているのかもしれない。

 ご主人の悪夢は最高に美味い。
 極上の味を舌に乗せるまでも、食後も非常に心的負担がかかるからこそ。
 次第に俺の方が疲弊していき、とうとうご主人の前でボロが出た。

「バクだいじょーぶ?」
「うん。ご主人からは俺がどう見えたの?」
「疲れてそう。夜通し遊んでたの? ワルイコだなあ」
「そうだよ。気付かれちゃったね」

 ご主人は急に真面目な顔をして。

「違うだろ」

 突然低い声で行ったかと思うとすぐに、にぱあと笑った。

「もう、私がふざけてる間に教えてくれなきゃ、色々しちゃうぞ」
「それは困る、かも。…………その……実は」

 楽になりたかった俺はご主人に全てを話した。

「……そっか。食べてくれてたんだ」
「怒らないの?」
「勝手に寝所に入るのはやめろ」
「そうだよね。ごめんなさい」
「ま。人助けだからチャラね」

 ご主人は怠そうに溜息を吐きながら頬杖をついた。

「……あれはもう四年ぐらいの付き合いかな。ベリアルと私の縁が強くなっちゃったのか夢に出るようになったのは」

 俺が本殿に来た時はベリアルを倒した後だ。
 だからベリアルを詳しくは知らない。

「もう殺したのにしつこい奴だよね」

 力なく笑うとご主人は俺の方に膝を向けた。

「……頼みがある。聞いてくれとは言わない。でも命令」
「強制……ってやつじゃないかな、それ」
「あの夢を見つけたら食べてくれ。何度でも。味に飽きてもだ。全て食べ尽くしてくれ」

 ご主人の頭がゆっくりと下がり、俺の目の前に後頭部を見せた。
 平たくなったご主人に俺は言った。

「了解」

 夢を食べる関係で俺はご主人と同室になった。
 別々の蒲団で寝て、悪夢のいい香りがしたら食べる。良い生活だ。
 最初は罪悪感が大きかったけれど。

「あ、バク! 寄り道しないですぐ帰ってくるよーに!」

 最近は、夜でなくてもご主人が俺を傍におく。

「俺をなんだと思ってるの?」
「懐刀……ではないな。お守り。縁起物」

 縁起物……。あまり嬉しくはなかった。

「バクを置いときゃ私の悪い予感は全部なくなる。そんな気がするんだ」

 ご主人はけらけらと笑って。

「だからずっと傍にいろ」

 俺はその力強さに自然と跪き頭を垂れた。

「御意」
「ははっ。似合わないなそれ! 普通にしな」

 恥ずかしくなって、俺はさっさと立ち上がって町へ出かけた。



 ◆アマツミカボシ

 悪霊から世界を救う。
 皆の目の前で豪語した者は種族問わず多く見てきた。

 侵略者の強大さに心折れた者。
 支援を募って私腹を肥やした者。
 敵陣に乗り込み命を散らした者。
 裏で悪霊と繋がり命乞いを乞うた者。

 英雄を待ち望んだ民草たちも次第に希望を失い始めた。
 そんな時だった。独神が現れたのは。

 民草はすぐには独神を信じなかった。
 自分もそうだ。
 きっと今までの者たちと同じだと決めて相手にしなかった。
 ところが、度々瓦版で記事になる独神一行は少しずつ領土を取り戻し、悪霊たちを追いやっていった。
 そういった実績から少しずつではあれど、民の目に再び光が灯り始めた。

 八百万界の半分が独神の支配下に落ちたのを見て、ようやく自分も独神の存在を認めてやる気になった。

「ありがとう。アマツミカボシが来てくれたお陰で助かってる」
「勘違いするな。たまたま貴様の目的と合致しただけだ。貴様の為じゃない」

 独神に手を貸すのは自分の為だ。
 自分の夜空を守るには、独神に手を貸すのが近道だったから。

 ……いや、それだけではないのだろう。
 誰もが成せなかったことを、本気でやろうとしている独神に少しだけ手を貸してやりたかった。
 支援の意味合いが強く、決してここにいる英傑たちのように、信や寵愛を得る為ではないのだ。

「躊躇う必要がどこにある。俺ならば出来る。ならば俺を選べ」

 独神に認知されたいのではない。
 自分は悪霊を殲滅出来れば良いのだ。

「厄介な討伐? なら俺が行、……他のヤツに行かせるだと!?」

 余計な感情はいらない。
 一刻も早く悪霊からこの地を奪い返すことが先決。
 ……だったはずなのに。

(頭も結局、愛想を振りまくばかりのヤツの方がいいのだろうか。……悪霊討伐に俺は有用だが、頭個人の益になることは、確かに不足している)

 馬鹿馬鹿しいことに、自分は誰よりも独神の役に立ちたいと思うようになっていた。
 いくら口では否定しようとも、心までは偽れない。

「アマツミカボシ!」

 廊下を歩いていたアマツミカボシを独神が追いかけてきた。

「騒々しい。何のようだ」
「前から、お礼ちゃんとしたいなって思ってて……。ごめんなさい。いつもやりそびれてばかりで」
「礼など不要だ。貴様の為ではない」

 つい突き放したような口調になってしまい、慌てて言い足した。

「だが、感謝をしているというのならさせてやる。……今度の休息日、教えろ」
「明後日なら一日休めるよ」
「ならばその日までに、やりたいことでもせいぜい考えておくんだな。まあ、貴様がこの辺りに飽きたと言うなら、八百万界のどこへだって付き合ってやる。下らん所へ連れていかれるくらいなら、俺の知る絶好の場所へと連れて行ってやらないこともないがな」
「じゃあアマツミカボシのおすすめに行きたいです」
「無難だな。あまり歩かせないが念の為履きなれたものにしていろ、いいな」
「了解。折角だから可愛い服にするつもりだったけど、機能性重視で用意しておくね」

 いつもの服が一番かな、と独神が言うと。

「……。好きな服装にしろ」
「歩くなら着慣れた普段着の方が良いでしょ?」
「道中のことは心配するな」
「じゃ、じゃあ……その……普段着ない良い着物でも良いの?」
「俺なら貴様が何を望もうと実現出来る」
「……うん。お言葉に甘えて、したいことさせてもらうね」
「貴様がすべきことは、待ち合わせの時間と場所を守る。それだけだ」
「判った! じゃあ明後日よろしくね。うんと可愛くするから!」

 独神は踵を返し軽い足取りで走って行った。

(ヤツがどんな格好をするかは判らんが、見窄らしい物ではあるまい)

 独神は衣装持ちだ。専属の裁縫係が複数人(全て英傑)いることもあり、その辺の貴族以上にある。
 中にはまだ誰にも披露していないものもあるわけで。

(俺との遠出にあれほど声を弾ませるとはな。……良いだろう。全力で頭に付き合おう)

「一人でスゲー笑ってるけど、大丈夫か?」

 通りすがりのチョクボロンに言われ、慌ててアマツミカボシは顔を引き締めた。



 ◆サナダユキムラ

 ────かっこいい。

 第一印象がそれだった。
 強そうだなとか、赤いな、従順そうだなとかは後からやってきた。

 サナダユキムラは実際優秀で、産魂んですぐ英傑たちと馴染み戦場では十分な戦果をあげた。
 独神の私が気に掛けるのも、彼が非常に役立つからだ。
 ……多分。

「最近、私変じゃない?」
「そんなこと、どうしてわざわざ私に聞くのかしら?」

 血走った目をしたイヌガミが息を荒げて言った。
 これは確実に怒っている。
 イヌガミは甘えるか怒るかと感情の振れ幅が極端なのであまり気にしなくてもいいだろう。

「ああ、主《あるじ》様は本当に意地が悪いわ。んふふ。これはお仕置きなのかしら。駄犬を調教するための鞭なのね」

 尖らせた舌を見せて笑っているが、その手には刀を握りしめている。
 物騒なじゃれ合いだ。これもまた気にしなくて良い。

「イヌガミから見て私に対する違和感を述べなさい」
「……はあい主《あるじ》様」

 従順な犬は私の指の動きと連動して背筋を正した。

「サナダユキムラ。……最近目で追い過ぎではなくて?」
「そう見える?」
「見えるわ。だから私、あの男の匂いを覚えたの。いつだって喉笛噛みちぎってやれるように」

 にこりと笑うとクマも大きく歪んだ。

「やるなよ」

 短く命令するとイヌガミは尻尾を垂らして「承知致しました」と呟いた。
 大層なことを言いはするが、私の言葉には絶対に逆らわない。
 そういうのも嫌いではない。
 自分が好かれているのは尻尾と耳で判っているし、よく跳ねまわる所も悪くはない。
 タマモゴゼンのように艶があり指通りの良い毛並みではないが、剛毛で強情な毛も撫でると気持ちが良い。
 私が気に入らない者が簡単に不幸に見舞われる罪悪感もまた良い刺激だ。
 十分満たされているようなのに……。

「お呼びか。独神様!」

 よく通る声に私は思わず肩を揺らした。
 見るとやっぱりサナダユキムラで、私は目線を逸らした。

「あっ、と、討伐を頼もうかと思っていて」

 通常の討伐だというのにしどろもどろになって答えてしまう。
 いつもこうだ。
 サナダユキムラ相手だと会話さえ上手くいかない。
 どんな相手でもやってきた私が、どうして。

「……独神様は拙者が苦手と見える」

 一瞬顔を窺うと凛々しく吊り上がった眉が八の字に垂れ下がっていた。
 私は慌てて否定した。

「苦手じゃない。全然。だけど……ごめんなさい。こんな立場のくせに」

 不甲斐なくて申し訳ないと頭を下げると、サナダユキムラは首を振った。

「素直なお人なのだろう。どうかお気に召されるな。拙者はこれからもここで武功を上げていくつもり故」

 ちらりと八重歯が見えた。獣ほど鋭くない人族の牙が可愛らしくて私は一度瞬きをして、また庭の方へ目をやった。
 英傑達によって整えられた緑溢れる庭を眺めているのに、ぼんやり浮かぶのは小さな白い三角だった。

「主《あるじ》様」

 唸り声で振り返るといつものイヌガミで、私は討伐のことを思い出した。

「討伐は塩竃塚。住民は避難済みだけど、収穫が控えてるからその辺りも頭の隅に置いておいて」
「心得て候」

 私のすべきことは終わった。次はイッスンボウシが偵察で得た情報を元に英傑を配置しないと。

「独神様。少し宜しいか」
「は、はいっ!」

 しまった。声が裏返った。

「拙者と独神様は主従関係。して、今後の為にも拙者が改めるべき言動を教えては頂けぬだろうか」
「な、直す……?」

 私は頭を抱えた。
 サナダユキムラに文句なんてないからだ。

「……嫌なことは一つも無いんだけど」
「では先程から目を向けて頂けないのは、どういった理由によるものなので御座りましょうか」
「……判んない。嫌いでもないし、鹿も好きだし、赤も縁起が良くて好きだし……」

 事実と向き合うと、私は何の落ち度のない英傑に対してあまりにも礼のないことをしている。
 でも癖になっているのだ。
 サナダユキムラが来たら目を逸らすことが。

「でも遠くから見るのは平気なの。寧ろ進んで見るくらいで」
「ほう」
「どうしてだかこうして近くにいると目を合わせられなくて」

 本人を前に赤裸々に吐露した。
 懐が深いのかサナダユキムラは怒るどころか真剣に考え込んでいた。

「……成程。独神様はその時、例えば拙者の声を耳障りに思うことはありますかな」
「ない。多分ずっと聞いてても嫌じゃない。誰かがサナダユキムラのことを話しているのを聞くのも楽しいくらいかな」
「ふむ。拙者。その現象に心当たりが御座いますが少しお耳を拝借してもよろしいか?」
「許可する」

 噛み付こうとするイヌガミを制止し、サナダユキムラの進行を促した。
 一歩ずつ近づく度に逃げ出したい衝動に駆られるが、今にも呪い殺しそうなイヌガミに集中して気を逸らした。
 耳に感じる気配が湿り気を帯びて呟いた。

「……それって俺のこと好きなんじゃなあい?」

 私が飛び上がると間にすっと離れた。

「拙者ならばその問題を解決出来ましょうぞ。まずは御伽番とは別に側仕えを拝命し、日々の生活を支えさせて頂く」
「なによそれ。まるで主《あるじ》様の部屋でお世話するみたいじゃない」
「独神様。今の状態では統治に揺らぎが生じましょう。より盤石なものを築くならばなにとぞ拙者の案をお呑みくだされ」
「主《あるじ》様。今すぐ斬りましょう。こいつ無礼だわ」

 鶺鴒台で産魂んだ時ぶりにサナダユキムラの目を見た。
 意思の強い目の形をなぞり、鼻筋を通り、吊り上がった口を滑った。
 舐め回すように顔を見ていると、自分の身体が火照っていく。

 そっか。好きだったんだ。

「判った。世話になる」
「サナダユキムラ、全身全霊をかけて、独神様をお支え致しましょうぞ!」

 にやっと笑うサナダユキムラを、今度は目が離せなかった。

「駄目よ! 主《あるじ》様!!」

 忠犬が私を掴んで揺らしてくるけど、どうでも良かった。



 ◆イザナミ

 軽い気持ちだった。
 丁度時間が空いたから気分転換にイザナミと買い物に行こうと思った。
 英傑達に聞いてみると、今日はまだ見ていないと言うので、黄泉にいると目星をつけた。
 予想した通りイザナミはいた。
 けれど。彼女はいつもの可憐な美少女ではなかった。

「……この姿を見られたくなかったのだが」

 顔をしかめるような腐肉からイザナミのくぐもった声がする。

「帰ってくれ」

 怒気を含んだ声が私を追い払う。
 聞いてはいた。イザナミが火傷で爛れて黄泉へ送られたのだと。
 八百万界での身体を与えた私であるが、その姿を見ぬままに術を実行したので本来の姿を見るのは初めてだ。

「私の術、不完全だった……?」

 恐る恐る尋ねると小さな吐息が聞こえた。

「独神さまの術は完璧だ。ただワタシは黄泉の主催神で、時折こうして黄泉の仕事をせねばならぬのだ。一言伝えれば良かったな」
「ああ、いや」
「説明責任は果たした。直ちに帰ってくれ」

 私はその場から動けなかった。
 それをイザナミは苛立っているのが雰囲気で判る。
 早く去るべきなのだ。なのに私はそこに腰を下ろした。

「……何をしている」
「立ち話もなんだから座ろうと思って」

 黒い塊が波打った。

「ワタシは実力行使でも構わないのだが」

 怒りを押し殺すに留めているのは、私が腐っても独神だからだ。
 その心に胡坐をかく。

「丁度仕事が空いてさ、相手してよ。その姿でも話は出来るんでしょ?」
「話す事などない。せめて地上の時にしてくれ」
「お互い忙しい身でしょ。折角二人とも空いているなら良いじゃん」

 強引に押すと、イザナミは水ぶくれでぼこぼこの身体を揺らし、私と少し距離をとった。

「全く。独神さまの考えは判らないな」

 もう追い出す意思は見られなかった。

「この姿では気分が悪いだろうに」

 塊が指していたのは身体に這う蛆であった。戦場ではよく見かけるがあまり良いのではない。

「歯に付いた海苔と同じだよ。時々あるけどそれで嫌いになることはないかな」
「待て! ワタシは度々海苔を付けたまま独神さまと話していたのか!?」
「他の人に見られるのは恥ずかしいだろうから、そういう時はお茶を飲ませるようにしてたよ。こっそり」

 普段は嫌と思うものも、相手によっては許せてしまう。
 好きな相手なら顔にくしゃみをかけられても、風邪っぽいのかなで終わる。
 目の前で失禁されてもなんとも思わないだろう。

「独神さまの寛容さには少し恐怖を覚えるな。許されていてなんだが」

 深い溜息をイザナミはついた。

「ワタシは……醜い……だそうだ」

 黄泉の闇に言葉が呑まれる。

「可愛い、と耳が慣れるほど聞かされた。なのにたった一度の言葉が全てを壊した。あの苦しみをもう一度味わうならば、ワタシは二度と容姿を褒められたくない」

 夫であり、恋人であった者の一言が今もイザナミを縛っている。

「私はイザナミに助けられてるよ。八傑までまとめてもらってる」
「代弁にすぎない。独神さまがいるから、ワタシの言葉に力が宿るのだ」
「ほら、私一血卍傑だけだからさ、頭が回って戦うことも出来るイザナミのこと、かっこいいなって思ってるんだよ」
「これでも神々の母なのでな。その程度は出来て当たり前だ」

 手応えがない。
 私の言葉は何も届いていないのだ。とても悔しかった。

「そんな顔をしないでおくれ」
「ん? なに、どんな顔してた?」

 腐り落ちた身体では表情などまるで判らない。
 それでも慈愛に満ちた顔が見えたような気がした。

「優しいな。独神さまは」

 頭でも撫でられているような、自分の存在を抱擁する声だった。
 こういうところが、やはり神々の母だ。

「優しいひとはこんな風に気を遣わせないって」

 小さくイザナミは笑った。

「そう情けない顔をするでない。独神さまの優しさはワタシにちゃんと届いている。ただ、過去への執着はそう簡単に瓦解するものではないだけで」

 それだと意味がないのだけれど。
 本殿でのんびり桃でも食べているイザナギのこと、私まで苛立ってしまいそうだ。
 なんで、早く、イザナミを助けてあげないのだろう。
 何に傷ついたのかなんて判っているくせに。
 夫婦間の事に首を突っ込むなと判っているが故にもどかしい。

「イザナギの振る舞いに心を痛めた過去は変わらない。だがこうして独神さまが私の今の姿を醜いと一度たりとも言葉や態度に見せなかった事実もまた、今後は過去として残るのだ。だから…………感謝しているのだぞ」

 照れている気配を察知した。惜しいことに今の姿では赤面顔が見られない。

「ンンン~~~」
「独神さま、どうした」
「なんでもない。ちょっと感動してるだけ」
「……些か残念そうに見える気がするが。まあいい。独神さまの言葉を信じてやろう」

 誤魔化すことには失敗したが、イザナミが笑っているようだから成功だ。
 私ではイザナギとの長い過去を上書きすることは出来ないが、これからそれ以上に沢山の良い思い出を作っていこう。



 ◆ヤマトタケル

 一度はベリアルに手に堕ちた草薙剣であるが、今はヤマトタケルの手元にある。
 一方影打は独神の手中にある。
 八百万界の未来を切り開く二振りは、八百万界の元に戻ってきたわけだ。

 真打を守護する影打であるが、今はヤマトタケルの主も守護対象としており、霊体の姿で独神の傍に控えている。
 フツヌシの血を吸い八傑を襲ったこともある影打であるが、今や見る影もない。

「影打、今日の蜜柑超絶綺麗に剥けたと思わない? ねえ、白いの全部ないでしょ!」
「お見事です、主。僭越ながら私も剥きましたのでご査証下さい」
「どれどれ……。おお、これは……頑張って斬ったね」
「私、剣にて」

 持ち主によって左右される影打は独神が主になって随分ポンコツになった。
 これが本当に草薙剣を守護せし剣なのか。疑わしく思うのも無理はない。

 真打もまた、ここで過ごすうちに性質が変化していった。
 八百万界を護ることは変わらないが、ヤマトタケルが振るっていた頃よりも丸くなり、剣でありながら平和的解決を目指している。
 これはヤマトタケル自身の変化によるものだろう。
 だがそれが今一つしっくりこない。

 草薙剣真打。
 草薙剣影打。
 ヤマトタケル。

 繋がりの深い三方に、噛み合わない部分が生じている。
 まるで作り替わったかのように。

「あ、ヤマトタケル。蜜柑食べる? 影打上手なんだよ」

 すっと差し出す影打。
 こんな者ではなかった。

「え、真打も挑戦する? いいよ。蜜柑いっぱいあるから」

 霊体となって蜜柑をちまちまと剥く真打。
 こんな神剣がこの世にいるだろうか。

「真打も上手! ……なに。影打も上手だって。嫉妬しないでってばー」

 神剣が蜜柑にかまけてどうするのだ。
 真打に差し出された蜜柑を食べながらヤマトタケルは思う。

「(面倒くさい……。どんな剣でも草薙剣には違いないのだから気にしても仕方ない)」

 草薙剣達と主とに囲まれたヤマトタケルは、口を開けて待った。
 三つの蜜柑が口の中に詰め込まれた。



 ◆ブリュンヒルデ

 自分は押し付けられたくない。
 だから、押し付けてはいけない。
 自戒していた。

「どうしよう。……これ着て欲しい」

 所謂かっこいい服だった。
 団長サンが普段着るシンプルなものとは違う。
 それに八百万界っぽい服じゃない。
 それこそ、ボクがアスガルズ界で着ていたような凛々しいもの。
 当たり前に自分が着ていたものを、団長サンに着てもらいたくなった。
 そして見てみたい。
 団長サンが素敵な様子を。

 普段から自分の普通を押し付けないでと言っている手前、団長サンに着てとお願いするのは少し気まずい。
 諦めてしまえばいいのだけれど、買ってしまった。

「あ~ん、どうしよう」

 頭を抱えていると、ノックもなしに独神が部屋に来た。

「お。かっこいい服だね。こういうのもブリュンヒルデに似合いそうだね」
「へ、へへ、そうかな……」

 言え。言うんだ。
 団長サンの方が似合うと思うよって。

「あ、討伐のお願いで来たんだけど、ちょっと数が心配でさ、行ってくれない?」
「い、いいよ!」

 言え。
 じゃあご褒美にこの服着てよって。

「ありがとう。じゃあ南の長屋門で皆待ってるから。お願いね」

 どうして言わないの!
 この服は団長サンに着て欲しくて買ったんだよって!

「うん。日焼け止め塗ったらすぐ行くー」

 ……あ、団長サン行っちゃった。
 あーあ。折角チャンスだったのに。

 頼まれていた討伐はすぐに終わった。

「ヒルデ。主への報告お願いしていい?」
「任せて。観劇楽しんできてね」
「ありがとー。お土産買っとくねー」

 再びチャンス。報告ついでに団長サンにもう一度頼んでみよう。

「おかえり。今日はありがとね。急なことだったのに」
「いいって。だってその為にボクらここにいるんだよ?」
「そう言ってもらえると気が楽だよ。ありがと」

 よし。今なら。

「ご主人サマぁ! 最近拾ったイタチの子が病気みたいなの!」
「えっ。あれあれ! 前のあれ! 薬残ってる! ちょっと待ってて今探す!」

 ぐったりしたイタチを連れたクダギツネがやってきて、ボクはそっと退室した。

 結局言えなかった。
 でも、いいや。
 こうやって見ていると頭の中の団長サンが着てくれる。
 それで我慢しよう。
 団長サンは着せ替え人形じゃない。ボクが好き勝手しちゃ駄目なんだ。

 部屋に戻ると、アシュラが中でお茶を呑んでいた。

「アシュラ!」
「見て~。新作のおしろいなの。汗でヨレにくいって評判なんだから」
「それ知ってる! ボクが行った時売り切れてたのに。買えたんだ!」

 一通り化粧の話をし終えると、アシュラは例の服を指差した。

「これどうしたの。アンタにしちゃ珍しくないかしら?」
「そうだよね……」

 アシュラならいいか。
 団長さんに着て欲しくてつい買ってしまったと白状した。

「主《あるじ》ちゃんでしょ……言えばやってくれるわよ。拘りがないもの」
「判る。言えばきっとひょいってやってくれる。判ってるんだけどね……」

 善意に付け入るような卑怯な真似はしたくない。

「代わりにアタシが言う……じゃ納得出来ないのよね」
「そうなんだあ……」
「着て。だと命令に近いお願いでしょ? 似合うと思うよ。みたいな提案だったら?」
「微妙だなあ」

 アシュラは自分のことのように悩んでくれている。

「もし、主《あるじ》ちゃんも着てみたかったらどうする? 何を思っているかも聞いてみないと判らないんじゃない?」

 聞くだけ聞いたら、と言われる。
 ボクもアシュラが親身になってくれているうちに、意思が軟化してきた。

「うん。聞いてみる。聞くだけ。無理やりはしない」
「じゃあ、すぐ行きなさい」

 執務室へ行くと片付けをしていた。
 仕事は一区切りついているのだろう。チャンスだ。

「ああ、ブリュンヒルデ」
「あ、うん」

 目の前にすると言いづらい。ここまで来たのに。

「……何? 今日ずっと奥歯に何か挟まったような顔してるけど」
「歯磨きはちゃんとしてるよ!」
「違う違う。こっちの慣用表現。何か言おうとしていることあるんじゃないの、ってこと」

 団長サンからのパス。
 ボクはちゃんと受け取って、慎重に返す。

「うん。ある。……た、大したことじゃないんだけど」
「うん」
「全然、かしこまったことじゃなくて」
「うん」
「えっと、本当にね、なんでもないんだけど」
「うん」
「……」

 ボクがうだうだしている間もずっと待っている。
 言いづらいけど、待たせるほどに気まずくなっていく。

「……団長サンに、似合いそうな服。買ったんだ」
「部屋にあった?」
「………………それ」
「着ようか? 明日ならお客さんいないから何着たって平気だよ」
「あ。うん。……部屋から持ってくる」

 脱兎のごとく部屋へと飛び出した。
 思った通り。
 団長サンは二つ返事で着てくれると言ってくれた。
 ああ、緊張した。これだけのことなのに、物凄く緊張した。
 びっくりするほど呆気ない。
 嫌な顔一つしなかった。ボクが思う事も見抜いていた。
 ボクが悩んでいたのはなんだったんだろう。

「おかえり。どう?」
「明日着てくれるって。だから持っていくとこ」
「良かったじゃない」

 凄く嬉しい。僕が見たかった姿を見られるんだ。
 押し付けたらという罪悪感も今は綺麗さっぱりない。
 自分勝手だ。
 でも、団長サン自身が良いって言ってくれた。
 嬉しくて、他の事を考えられない。

「じゃあ、あの服着た団長サンに一番似合う恰好しなくっちゃね!」

 頭は明日の服のことでいっぱい。
 可愛いって、最高!








(20220901)
 -------------------
【あとがき】

全英傑小話企画が始まりました。
二次創作で人気があるキャラだけが脈々と生き続ける……なんて、それでいいのかよって思いもあったので始まりました。
ヌラリヒョンが一番好きだけれど、それだけではなくて。
あの世界を好きなままでいたいから、あの世界を保っていく努力はしていきたい。
口だけで終わらないように。