全英傑で小話を書いてみた ~桜代・神代・降臨鬼人編~



 ◆ヤヲヤオシチ



「御用だ! ヤヲヤオシチ! 今日こそお縄にしてやるぜ!!」

 江戸きっての奉行、桜吹雪のキンシロウは直属の与力を引き連れて大通りを走る。
 煌々と荒れ狂う火に向かって。
 逃げ惑う町民たちを避難させつつ、火付けの張本人ヤヲヤオシチを今日こそ捕まえる気概であった。

「おい火の手が向こうにもあるぞ! 仲間がいたのか!?」

 新たに発生した火災現場付近には伊勢屋(質屋)があった。

「三班はあっちへ向かえ。一班と二班はついてこい! チッ。あっちの火付けの方がヤベーじゃねぇか」

 家屋を飲み込み横へ燃え広がるヤヲヤオシチの火とは違い、それは縦へと燃え上がり街道から視認出来るほどの火柱だった。
 通常ならそうはならない。計算された火付けによって起こる現象であり、犯人は火を熟知した者に違いなかった。

「私よりも激しい火付けを……」

 ヤヲヤオシチは大きく嫉妬した。そして焦がれた。

「私の炎は負けない……! あの人の為にも!」

 江戸で起きた二つの火事は、やがて一人の女の運命を大きく歪めることになるとは思いもしなかった────。



「……というのはどうでしょう?」

 ヤヲヤオシチは大真面目に言った。

「却下です。何故なら江戸は儂の町だからです」

 江戸大好きテンカイは断固拒否した。
 最近の催し物はオノゴロ島近辺ばかりの為、次回は江戸でしてくれないかとテンカイが独神に意見し、今はその内容を決めている所である。

「主《ぬし》様はどうお考えですか?」

 肘枕のまま独神は顔を向けた。

「良いんじゃない? 火と火がぶつかるって胸熱だし」
「真面目にお考え下さい主《ぬし》様。おやつを食べるから頭が働かなくなるのですよ」

 菓子皿を取り上げると独神はベシャリと床に倒れた。

「……つっても、私とオシチがガチンコ火付け対決したのは本当だしなあ」
「ええ。あの時の主《あるじ》様はそれは美しく力強いものでした」
「よせやい」

 二人とも照れりと笑う。

「ですが実際の火付けは江戸とは無関係の開拓地でしょう? ならば史実通りで良いではありませんか。わざわざ儂の江戸を燃やさずとも」

 ヤヲヤオシチは若衆に恋し火付けで逮捕された。
 その後反省を認められ解放されたが舌の根も乾かぬうちに火付けを起こした。
 本来ならば死罪となるところだったが、独神がヤヲヤオシチを勧誘し、悪霊との戦いで荒れた土地の再生に従事させた。
 この功績からヤヲヤオシチは逮捕を免れ、もう二度と江戸へ訪れないことを条件に今はオノゴロ島で生活している。

「民衆を判ってないねぇ、テンカイ」
「はい。主《あるじ》様」
「ではその心、お聞き致しましょう」
「江戸をブッ壊す方が民衆の興味を引く」

 ドヤ顔で独神は答えた。続いてヤヲヤオシチも頬を赤らめて同意した。

「火付けを齧った者ならば、あれだけの都市を燃やし尽くしたいというのは当然です。であれば全国津々浦々の火付け人の為にも江戸を舞台にしましょう!」

 江戸の町を造った男の前で二人は嬉しそうに語った。
 これにはテンカイも呆れ果てた。

「では興味を持った火付け人は儂の外法で火達磨にしておきましょう」

 江戸の結界は強固にしておこう。と、テンカイは決めた。

「私と主《あるじ》様の活躍が八百万界中に広がり、後世にも伝えられ二人は永遠になるのですね」
「良いじゃんソレ。どうせなら最近ホクサイが作ってた”動く絵”になったら良いな」

 二人はお構いなく話を続ける。
 この二人に公演内容を考えさせたのは間違いだった。もっとまともな者に頼もうとテンカイは思った。

「それで結局、お二人の勝負で主《ぬし》様が勝ったという事ですよね?」

 二人は同時に頷いた。

「火付けは極めたぜ」
「素敵です!」
「意外ですね。それは何か特別な経験があったとか?」

 独神は一血卍傑がなければ並の人間である。
 身体能力・知識も並で、多少肝が据わっているくらいが精々。
 江戸で繰り返し火付けをしてきたヤヲヤオシチより何が勝ったのか、ほんの少しだけ興味がわいた。

「ああ。あの時は開拓に爆薬が使えることが判った頃でさ、爆薬なら身体能力も霊力も無関係に使えるだろ? だから率先して爆薬の実験台になったんだ。当時は爆薬に火をつける方も危険でね、安全性を実証して示す必要があったんだ」
「ヤヲヤオシチ様は従来の火付けですよね。爆薬を使った火付けは許容されるんですか?」
「駄目です」

 あれだけにこにこしていたヤヲヤオシチは真顔になって首を横に振った。
 独神も目を丸くしている。

「火付けには火付けの味わいと美学があります。爆薬には愛がありません!」
「いや、愛って」
「火付けは!!! 愛です!!! 炎の大きさが愛を表すのです!!!!!」

 立ち上がったヤヲヤオシチは火の様に勢いを増していく。

「主《あるじ》様。真に愛が強く深いのはどちらか決めましょう!!!」
「判った! 火付け大会ってことだな! 皆を巻き込んで今月の祭りに仕立て上げるぞ!!!」

 走って行く二人に遅れてテンカイがついていく。

「お待ちください! 燃やすなら江戸以外でお願いしますよ。京あたりとか。寺院を中心に!」





 ◆キンタロウ



 ある朝、独神が自室から出ようとすると、白っぽい岩石がそこにあった。
 川のような流線をもつきめ細やかなことから、流紋岩であろう。
 しかし板間に直接置かれた岩石には違和感しかない。

「(……イジメ?)」

 しかし独神。本殿での珍事には耐性があった。

「誰か助けて~」

 何度も唱えすぎて感情の込め方を忘れた台詞を放つ。

「俺に任せろ!」

 岩の向こうからでもよく通る声が聞こえた。
 独神の体長を遙かに超える岩が移動し、隙間からキンタロウの顔が見えた。

「大丈夫か! 主《あるじ》さん!」
「うん。大丈夫」

 岩は外へと放り投げられた。

「何かあったらまた呼ぶと良い! 」

 はははと大口で笑いながら廊下を曲がっていった。

「(犯人はあいつか)」

 傍で待っていたのだろう。
 でなければ助けを呼んですぐに現れるなどあり得ない。
 しかし不可解なのは、キンタロウが策を弄する者ではないことだ。
 独神に悪戯をして笑い転げるロキとは違い、他人を困らせて楽しむ趣味はない。

「(怒らせるようなことしたなら謝るけど、そんな感じも無かったな)」

 とりあえずは気にしなくていいだろうと独神判断し、その後は通常通りの生活を送る。

「どゆこと???」

 翌朝、自室から出ようとすると岩石が行く手を阻んでいた。
 今日ははんれい岩である。黒御影と呼んで取引されることもある。
 最近では墓石として利用される。

「(ここがお前の墓場だ……って暗に言ってるのか)」

 独神は助けを呼んだ。

「誰か助けて」

 どうせ傍にいるのだからと小声で言う。

「(……動かない)」

 昨日はすぐに道が開いたのだが今日は一つも動かなかった。

「(まさか聞こえてない……とか)」

 大岩の前で立ち尽くす独神。彼女は非力だった。

「(いやいや。えー……もう一回言うのかぁ?)

 恥ずかし気味にこほんと咳ばらいをし、先程よりも大きな声で言った。

「誰か助けてー……」

 反応はない。

「(うっそだろ。……情けないんだぞコレ)」

 しかしながら独神の部屋には他に窓も扉もなく、他人に頼る他ない。
 顔を真っ赤にしながら大声を出した。

「誰か助けて―!!!」

 反応はない。

「もう!!! キンタロウ!!! 助けてって言ってるでしょうが!!!!!!」

 喉がキリリ痛むまでの大声を出してようやく件の男が現れた。

「すまんすまん! さっきまで八百屋の荷入れを助けていた。主《あるじ》が安全なことは判っていたのでな。そちらを優先した」
「あ……。あっそぉ……」

 独神は部屋にいるだけなので緊急性は低い。
 他にキンタロウの手を借りたい者がいるならば、そちらを優先しても問題ない。
 ────が!

「そもそもわた、」
「以前の俺なら八百屋なんぞ後回しにしていただろう。だが主《あるじ》と過ごして学んだ。弱い者を助けることを何よりも優先すべきとな」

 己の行動が正しいものであると自信に満ち溢れていた。
 独神は何も言えなくなった。

「……そうだね」

 冷静に周囲を見るように注意したのは自分であった。
 当時キンタロウは全てをなぎ倒せば良いと言って聞き入れてくれなかったが。
 独神は思い出して笑った。

「って待ちな!!!!! 岩石置いたのキンタロウでしょ!!」
「ああ。そうだ」

 けろっとしている。
 この怒りの意味を何も判っていない。

「置かなければ私は助けを呼ぶ必要もなかったんだけど!」
「………………確かに! すまなかった!」

 軽い口調に唖然とした。

「なんで置いたのよ……。抗議?」
「試練だ。俺のな」

 キンタロウは笑った。

「力の強さを示せば主《あるじ》さんも嫁になることを認めるだろう?」

 突飛もない考えに独神は怒りを忘れた。
 期待を多分に含んだ目から逸らしてぼそぼそと言った。

「……岩なんて持ち上げられなくても、私を持ち上げられるなら良いよ」

 すると指先に小鳥を乗せるように、自慢の片腕に独神を座らせた。

「簡単だな。ならば明日から毎日持ち上げよう」
「毎日じゃなくて良いよ」
「いや毎日だ」
「なんで」
「抱く口実が欲しいのだ」

 さもありなんと言われて、動揺するのは独神の方だった。

「(なんでこう平気で言うかな~~~~~!!)」





 ◆ライデン



 八百万界中にその名を轟かせた独神は、上品なお嬢さんだった。
 界創世時より受け継がれたという一血卍傑の使い手とは思えない親しみがあった。
 実のところ、噂とは異なる姿に戸惑いを隠せなかった。
 彼女はとても心の優しい方だった。
 この方ならきっと、弱い者達を見捨てることはない。
 おれの力を貸すに相応しい主だと安心した。

「おれは場違いだろう……」
「相手の方は相撲がとってもお好きでいらっしゃるそうよ。貴方こそ適任でしょう」

 英傑達が数百人といるなかで、おれはなかなか主と関わる機会が多かった。
 要人へ会いに行く時の護衛から、町の買い物、お伽番まで。

 おれは相撲一本でやってきた人間だ。
 高貴な方の傍仕えには向かない。もっと能力があって身目良い英傑が相応しいと何度か進言した。
 その度に主はいつも却下するのだった。

「ライデン」

 独神様は言葉一つ発するだけで絵になる方だった。
 なのにそれが自分の名前であるのがひどく不似合いだと思ってしまう。

「主《あるじ》にそんなことさせられねぇって」
「あら。わたくしでもやる時はやりますのよ」

 一目で上質と判る着物がたすき掛けされやる気に満ち溢れていた。
 ただの掃除でもこの方はおれたちに混ざって共に埃まみれになった。

「貴方の仕事を増やす気はありませんの。ですが万一の時は貴方にわたくしの身体はお任せするわ」

 ただ美しいだけではない。
 無鉄砲なところや抜けたところもあって、親しみを覚える者も多い。

「その逞しい腕があれば民の命が大勢救えるわね」
「主《あるじ》のことも守っていくつもりだ」
「嬉しい。ありがとう」

 前触れなく触れられることも他の英傑からすれば気に入らないだろう。
 おれは明らかに寵愛を受けている。
 嘘みたいに美しくて、戦禍の中でも優しさと誇りを忘れない立派な方に。

「早く平和にしねぇとな」

 おれはいつも主《あるじ》に触れられると、気付かれないように離れるようつとめている。
 おれの中にはいつも小さな棘があって、主《あるじ》といると自分を否定しなければいけない気持ちになった。

「今日は掃除お疲れ様。ありがとう。お茶でもどう?」

 当たり前のように茶を用意しようとするので横から奪った。

「主《あるじ》は座ってな」

 雑用の一つもさせられない。申し訳なさが勝ってしまう。

「湯呑は二つよ」
「判った」

 不本意ではあったが、命令通り二つ淹れた。
 ぽつぽつ雑談をしていると、唐突に言われた。

「ねえライデン。わたくしと町娘が等しく危険な時、あなたはどちらを助けるかしら」

 戯れにしても面白いものではなかった。
 冗談を言わない主《あるじ》の性格を鑑みて真剣に悩んだ。

「……選べねぇ」
「戦場では決断の連続よ。選ばなければその先には死しかないの」

 慈悲深いと評判の笑顔もその奥の眼光は鋭い。
 極偶におれに向けられるものだ。回答は慎重にしなければならない。

「だったらおれは両方助ける」

 だがおれは嘘は言わない。主《あるじ》好みの答えで茶を濁すようなことは性格上合わない。

「そうは言うけれど、現実は貴方の欲張りを許してくれるかしら」
「確かに理想論かもしれねぇ。だが常に理想の為に命を燃やす。おれはおまえさんからそれを学んだんだ」

 自分よりか弱い彼女から学んだことは、理不尽に対する折れない心意気だった。
 いつも眩しい主《あるじ》は手本だった。

「……まずは詫びるわ。意地悪をしてごめんなさい」

 主《あるじ》は床に手を付けて頭を下げた。
 上げるよう慌てて頼むとすっと頭を上げた。その姿でさえ洗練されている。

「……少し、怖くなったの。わたくしが自分ではないものに振り回されているような気がして」

 彼女に圧し掛かる期待と不安の全てを推し測ることは出来ない。

「でも心配いらないわね。わたくしの傍に貴方がいてくれるなら、行く先はいつも照らされているもの」
「それはおれの方で」

 唇に人差し指を当てる仕草は綺麗だった。

「理想を抱き続けるのは難しいと知っていて?」

 弱音を吐く時すら目を奪われる。

「だが主《あるじ》はおれとは違うだろう」
「それはわたくしが”立派な人”だから?」

 図星だった。

「わたくしだって貴方と変わらないのよ」

 主《あるじ》の目に縋られて、おれは彼女を色眼鏡で見ていたことに気付いた。
 これだけ傍にいて多くの機会に恵まれていたのに、おれは彼女を遠ざけることばかりに気を取られていた。

「主《あるじ》。こんな事言うのは今更ではあるんだが」

 おれは独神の光に目が眩んで、彼女のことが見えていなかった。

「名前、なんていうんだ」
「……。ふふ。それはね」

 耳元に唇を近づけた。
 柑橘の爽やかな香りが広がる。
 こんな香をつけていることを知ったのも今更だ。

「……なの。秘密にしておいてね」

 嬉しそうにする彼女を見ていれば、いつかは寵愛の理由も判るかもしれない。





 ◆トドメキ



「聞いて聞いて! 十四日って、お世話になった人や好きな人にチョコでお菓子作るんだって!!」

 いやいや、手作りのお菓子って重くない? 貧乏くさいし。
 笑い飛ばそうとしたらみんなはやる気満々で、あたしはギョッとした。
 何故かここの連中は素直なヤツが多くてたまに辟易する。
 ほんとにいいのかなあ……。

「主《あるじ》が良い人だからってなんでも受け入れてくれるって思ってない?
 あたしだって、主《あるじ》が物貰って嫌な顔するなんて思ってないよ。でも気を遣ってるはあるでしょ!!」

 安い居酒屋でイシマツに愚痴った。
 賭けで大損していたところに酒をチラつかせたらすぐについて来た。チョロマツ。

「主《あるじ》はさ、立派な人だけど馬鹿なところもあるんだよ! いっつも他人の事ばっかりだし、あたしたちなんて二百人以上いるのに一人一人見てるなんておかしいでしょ! あたしの目だって二百人を毎日見るのは辛いんだからね!!」

 手作りお菓子の件以外にも日常の嫌な事がどんどん噴き出してくる。

「主《あるじ》に迫ってる奴らもムカつく。何人も相手にして疲れてるのに遠慮ってものを知らないんだから! 主《あるじ》も主《あるじ》! 断るってことしないんだから!!」

 酒瓶に直接口付けてがぶがぶと安酒を流した。
 呑まないとやってられない。

「あんたってそういうヤツだったか?」
「なにさ!」
「いや。あんた見てるとほんとに主君が好きなんだろうなって。ははっ」
「そんな話してないでしょ!」

 好きか嫌いかなら、好き、だろう。
 そんなの英傑なら誰だってそうだ。嫌いなら主《あるじ》に力を貸さない。

「腰が引けてるのは自分が比べられるのが怖いのか? それとも気を遣われて無理して喜ばれるのが嫌なのか?」
「怖くも嫌もないけど」
「俺は主君とは長い付き合いだがそれほど仲が良いわけじゃねぇ。俺は主従を弁えてるからな」
「嫌味?」
「いや。俺は主君とそのくらいの距離が丁度いいだけだ。世間話出来た日にゃツイてるって思える」

 主《あるじ》は真っ当なひとで、その穢れの無さが眩しく見える。
 遠くで見ているのが丁度いい英傑も沢山いる。
 あたしもそうだ。
 目が多い分あたしは主《あるじ》の光をより感じているのだろう。

「こんなとこでぐずぐずせず一度菓子を渡してみりゃどうだ」
「なんであたしが! ……迷惑かけたくないし」
「ばっか。平時に渡す度胸があんのか? 良いじゃねえか。ここは張る時だろ?」

 でも。あたしは。

「もうあんたは賭場に入っちまった。賽を目の前にすることは一つだろ。泣いても笑っても行くしかねえんだよ。泣くのは終わった後だ」
「……あたしスリしか得意じゃないんだけど」

 料理は全く出来ないわけじゃないけど普通だ。
 食べられないようなものは作らない。
 でも相手は主《あるじ》だ。

 イシマツと呑んだ日の後、あたしは毎日厨房に立った。
 周囲は忙しそうで、それぞれが主《あるじ》の為に工夫を凝らしているようだった。
 笑って用意しているみんなを見て、あたしはどんどん自信を無くした。
 十四日以外に渡そう。
 そもそも渡すのをやめよう。
 あたしの問答はいつまでも止まらなかった。

 変な日なんて作ったヤツを恨んでやりたい。
 こんな日がなかったら主《あるじ》に手作りをあげようなんて誰も思わなかった。
 自分でも渡していいかもなんて期待しなかった。
 イシマツに背中を押してもらうような恥ずかしい真似せずに済んだ。

 あたし、普通のひとみたいだ。
 奪うのが専売特許のあたしが、こんな苦労して作って馬鹿みたい。
 主《あるじ》はスリで手に入れたものなんて喜ばないから。
 潔癖すぎる主《あるじ》が悪い。

 こんな苦労するするくらいなら直接言えばいいのに。
 ……って、言えたらみんな苦労しない。
 ただ言うだけじゃ主《あるじ》の心に届かない。
 あたしがこんな苦労した所で、大量のお菓子の一角でしかないのは判ってる。
 でも、少しでも気にかけて欲しいから。
 必要なことなの。

 二月十四日、主《あるじ》はやっぱり英傑達にもみくちゃにされていて、あたしは渡せそうになかった。
 あたしにあの中に入れるだけの押しがあれば良かったのかなと悩んでも仕方がない。
 部屋の前に置いておけばいいか。とあたしはあっさり妥協した。
 作るだけ十分だろう。主《あるじ》に直接渡すなんて烏滸がましいのだ。

 諦めると気持ちがすっきりした。
 手作り菓子を隠したまま宴に参加して、良い感じに酔ってきてから主《あるじ》の部屋に向かった。

「あ。トドメキじゃん」
「げ。主《あるじ》……」

 鉢合わせるなんて誤算だった。しかもよりにもよって他のヤツらがいない。

「呑んでんね。楽しくやってるようで良かった」
「ん。まあね。ここってタダ酒なのに美味しいのばっかりだし」

 右腕の目で周囲を見渡したが、やっぱり英傑がいない。
 今なら渡せる。渡して逃げてしまおう。でも私の指からソレはするりと落ちた。
 すこん。
 あたしの後ろに落ちたソレを主《あるじ》が覗き込んだ。

「ねえねえ、もしかしてお菓子?」

 スリのあたしよりも早く主《あるじ》が箱をかすめ取った。
 上から下からとじろじろ見ている。外見はただの箱だ。
 装飾まで拘るほどの余裕はなかった。

「……。あげる。いらないなら捨てて」
「私になんでしょ? そりゃ貰うよ」

 主《あるじ》は笑って箱を開けた。
 思わず変な声が出た。なんで今開けたの。
 あたしがいないところでしてよ。

「……乾餅《クッキー》だ。へえ。可愛いね。ありがとう。……うん、美味しい」

 信じられない事に主《あるじ》は食べてしまった。なんで今?

「ありがとね。トドメキ。しっかし上手だね。うんうん」

 頷きながら次々に食べてしまう。

「ちょっと! なんで!? さっきまで向こうで飲み食いしたでしょ!? お腹いっぱいでしょ……?」

 本殿の宴は規模が違う。
 料理も酒も最高級のものが振る舞われていて、量だってあり得ないほど多い。
 あたしの菓子が入る場所、胃袋のどこにもないはずだ。

「そうなんだけどさ、美味しかったからつい、ね」

 ごめんごめんと謝るが、もう箱には一枚も残っていなかった。

「主《あるじ》は本当に喜んでくれるんだね……」

 嬉しいのかな。悲しいのかな。
 自分の感情が判らない。

「……出来悪いでしょ。遠慮しなくていいって」

 百の目が主《あるじ》に集中した。
 嫌がってない? 困らせてない?

「美味しかったよ。それにトドメキがこういうことするのって初めてじゃない? それが嬉しくて一気に食べちゃった」

 主《あるじ》が笑っている。
 それだけであたし満足してる。
 嬉しくてたまらない。
 すぐまた別の英傑に笑顔向けてるのに。あたしのことなんてなかったみたいに。
 そうと判ってて満足してる。

「ねぇ、また機会あったら作ってよ」

 貰った菓子がまだまだ大量にあるくせに。
 きっと部屋の中で山になっているみんなの気持ち。
 それなのに「また」って軽々しく。

「次はお金もらっちゃおっかなー」
「判ったよ。ちゃんと払うからさあ。頼むよ」
「また気が向いた時にね」

 あたし、知ってる。
 次も絶対作るって。





 ◆ハンニャ



「主《あるじ》様……今日こそは許さないわ」

 ハンニャの長い爪が独神の気道を圧迫していく。
 独神は顔を歪めながらも必死の抵抗をしているが英傑には敵わない。

「主《あるじ》様が悪いの。主《あるじ》様が悪いんだから」

 独神がもがけばもがくほど、ハンニャは高揚して笑い続ける。

「うふふふふふふふふふ。綺麗ね。綺麗よ、主《あるじ》様」

 真っ赤な顔した独神は一点を見つめそのまま、こてん、と身体をだらしなく投げた。

「あーあ。またですか」

 ヤトが冷めた目でハンニャと死んだ独神を見下ろした。

「貴方……主《あるじ》様を私から奪う気? させないわよ」
「しませんよ。私はただ手拭いをお持ちしただけです」

 ヤトは独神の首に手拭いを押し付けた。

「あとはお願いします。……でももう、主《ぬし》サマを殺すのはやめて下さいね。間違って貴方サマを殺してしまいそうになるので」

 髪の中から角が顔を出し、顔の輪郭が変化しかけていた。
 ハンニャは鼻で笑った。

「安心して。その時は私が貴方を殺してあげる」

 血で濡れた爪がヤトを向いた。ヤトの変化は続いていく。

「ちょっとちょっとちょっと!!! 喧嘩はやめー!!!」

 独神の声が号令となり、二人はすぐさま武器を下ろし、にこやかな表情を浮かべた。

「おかえりなさい。主《あるじ》様」
「身体は大丈夫ですか? 主《ぬし》サマ」
「そら、この通り」

 首からは手の痕が消え、傷口が消え、健康そのものだった。

「いくら蘇生するからってすぐに殺されるのはよくないと思いますよ」

 ヤトは無鉄砲に死にまくる独神を諫めた。

「まあ痛いんだけどさ。顔の出来物やささくれとがなかったことになるから便利なんだよ。虫歯もないし」
「ささくれ我慢する方がマ、」

 呆れるヤトを押しのけたハンニャは独神に迫った。

「主《あるじ》様反省した?」
「したした! ちょうした!」

 ニコニコと手を上げる独神を見かねて、ヤトが言った。

「お仕置きでもやりすぎではありませんか?」
「主《あるじ》様が悪いのよ!!」

 ハンニャは目を見開いた。

「私に毎日三人前食べさせて!!!」
「さ、三?」
「抱き心地がいい方が良いって、限度があるわ!!」

 ヤトが独神を見ると、にこにことしていた。

「ハンニャが私の我儘きいてくれるからさあ。まあ三人前食べろとは言わなかったけど」
「だって私、そんなに太る体質じゃないんだもの……。でも主《あるじ》様の頼みならなんでもするわ」
「普通なんでもするって言ってもなんでもはしないのに、ハンニャは本当になんでもしてくれるんだから凄いよ!」
「……だから主《ぬし》様も、私の為になんでもしてね?」
「するする」

 ハンニャはケラケラ笑う独神の腕を掴んだ。

「難しい任務も私だから頼むんだよね?」
「そうだよ。ハンニャだからこそ。絶対に裏切らないところを買ってるんだ」
「私汚くないかしら。主《ぬし》様の命令を聞く度に私が汚れている気がするの」
「ハンニャは綺麗だよ。その傷も、見るたびに愛を感じちゃうね!」
「ならいいの」

 満足そうに笑むハンニャを見て、ヤトは一礼して退室した。

「(あの二人は本当に良いのでしょうか……)」

 心配する英傑はヤト以外にも多くいるが、いくら進言しても二人は変わらない。
 独神はハンニャの好意を利用し、ハンニャは利用され続ける。
 ハンニャも独神の思惑は理解しているのかもしれない。
 独神もあれでいて利用しているつもりはないのかもしれない。
 真意は誰にも判らないが、二人は毎日殺し殺される。





 ◆サンキボウ



 今日は久しぶりに主《あるじ》サンと出かける日だ。
 討伐でも護衛でもなく二人きりで過ごせる日。
 一ヵ月に一回もない貴重なこの日を俺は指折り数えて楽しみにしてた。
 なのに。

「私、結婚を考えてるの」

 なんですとーーーー!!!!!!???!?!?!?

「…………」

 おめでとう、とは出てこなかった。

「それ……俺に言ってどうしろって………?」

 主《あるじ》サンの為とはいえ、式の何かやれって言われても何も出来そうになかった。
 一生に一度あるかないかの結婚式をするなら、当然成功して欲しいと願っている。
 けど……。
 うじうじして、俺情けねぇなあ……。

「新郎をやって欲しい」
「う゛」

 よりにもよって旦那の代役ーーーーーー!!!!
 そりゃ主《あるじ》サン、キツ過ぎやしないか。

「……してくれるよね?」

 なんでわざわざ俺を選んだんだ。
 本殿には英傑がわんさかいて、主《あるじ》サンの結婚になんとも思わない奴だって多いはず。
 主《あるじ》サンをずっと好きな俺なんか選んでくれるなよ。
 そりゃないぜ。

「……判った。自信はねぇけど全力でやってみるよ!」

 いつもの任務みたいな返事をした。
 主《あるじ》サンは満足そうにしていた。
 俺は後悔しかないってのになあ……。

 もしかしたら、これは良い機会なのかもしれない。
 独神の主《あるじ》サンに主従以上の感情を持ってしまった俺が諦める為には徹底的にへこむ必要がある。
 新郎の代役なんて適正な人選だ。
 宣言通り一生懸命旦那役を全うしよう。
 そして、主《あるじ》サンのことはきっちり片をつけるんだ。

 しかし新郎の代役なんて聞いたことがない。
 よっぽど特殊な式で、予行練習が念入りに必要なのだろうか。
 何の情報も得られないまま、俺は式の準備に巻き込まれていく。

「サンキボウはどんな服が良い? 私みたいに色々着る?」
「いや。俺そういうの得意じゃねぇから任せるよ」
「えー。……まあ、無理させても良くないよね」

 当日の服装なんて本物の方に聞くべきところ、何故俺に聞く?

「当日の食事も考えなきゃなんだよね……。ねえ、サンキボウ何が良い?」
「主《あるじ》サンの好きな物で良いんじゃねぇの?」
「そんな投げやりな。……判った、他の英傑の意見集計する」

 八百万界中から貴人が訪れるだろうに、俺の好みなんて聞いてもしょうがないと思う。

「お礼の品って何にしよう。……何だったら嫌な気にさせない程度に私の結婚を印象付けられる?」
「すまん。俺そういうのはちょっと……」
「……一言くらい意見欲しかったんだけど。しょうがないよね。他の人に聞いてみる」

 代役って式の内容まで考えるものか?
 もしかして主《あるじ》サンは実は俺のことがずっと嫌いで仕返ししているんだろうか。
 毎日憂鬱だったけど、代役を下りるとは言わなかった。
 最後だからこそ、主《あるじ》サンの出来るだけ傍にいたかった。
 後悔が残らないように徹底的に潰して欲しかった。
 ごめんな、主《あるじ》サン。祝ってやれなくて。

 苦しみの日々を乗り越え結婚式当日が来た。

「サンキボウ! 起きて! 寝坊駄目絶対!」
「んー……。あ、るじさん?」
「う。……お酒の匂い凄いんだけど。ちょっとしっかりしてよ!」

 昨夜、代役の仕事が終わった俺は浴びるように酒を呑んだ。
 主《あるじ》サンとの関係が明日清算される。
 式準備での扱いで少し主《あるじ》サンの気持ちはそれなりに冷めた。
 けど嫌いになれなかった。
 いつもよりも傍にいて会話するだけで舞い上がっていた。
 所帯を持ったからと言っても、主《あるじ》サンが目の前から消えるわけじゃない。
 独神としての務めを果たしてくれる。だからもう少しだけはいられる。
 身を弁えろ。
 そう言い聞かせて感情を酒で流した。

 そのせいで今朝は二日酔いだ。

「サンキボウにやってもらわないと駄目なんだよ! ねえしっかりして!」
「……この先は俺には無理だ。本物の花ムコに頼んでくれよ。な?」
「…………本物って何よ」
「だからさ、俺は代役だったんだろ? 今日の本番は当然本当に好きなヤツにしてくれ」
「本当に好きな人……?」
「俺じゃないんだろ」

 なんでだろう。主《あるじ》サンは泣いてた。

「馬鹿でしょ!!! 自分の結婚式破綻させるなんてどうかしてんじゃないの!?」
「自分のって……そりゃ俺は代役として手伝っただけで」
「代役で採寸するわけないでしょ! 私言ったじゃん! 新郎やってって! サンキボウ良いよって言ってくれたじゃん! 私との結婚を同意したってことだったんじゃないの!?」

 時折裏返った声で怒鳴る主《あるじ》サンに言われてようやく掴めてきた。

「……まさかなんだけど、今日って俺と主《あるじ》サンの式だったわけ?」
「当たり前でしょ!!」

 いやな汗が背中を伝った。
 とすると俺はすっかり勘違いして式を準備していたということだ。
 そりゃ主《あるじ》サンが重要なことを頼んでくるし、自分でも考えてくれと零すのは当然のことだ。

「め……面目ない」

 大きすぎる失態に混乱が収まらず、振り絞った謝罪は簡素なものになった。

「最低だよ」

 返す言葉もない。

「……でもさ私もおかしいとは思ってたんだ。何聞いてもいつも他人事で。実は結婚に乗り気じゃないのかなって……断られるのが怖くて聞かなかったの」

 俺は自分のことばかりで目の前のひとの不安に全く気付いていなかった。

「あのー、主《あるじ》サン。ついでに確認したいことあるんだけどー」
「言って。ここまで来たらはっきりさせましょう」
「俺たち、そもそも付き合ってた……っけ?」

 すれ違いの根本。
 俺達って主従関係、……だよな?

「…………………うそ…………」

 青ざめた顔した主《あるじ》サンが崩れ落ちた。

「え。だって。好きだって何回も聞いたし。え」

 確かに俺からは何度も言ってる。
 俺の番《つがい》だったら良いなあと冗談じみて言ったことも。
 だが肝心の主《あるじ》サンはニコニコしてるだけだった気がする。
 自分もだと返してくれた事なんて一度も……ないはずだよなあ?
 この状況下じゃ全く自分を信じられない。

「……よし。結婚式行こう!」
「無理。気分じゃない」
「じゃあ今から付き合う。そんでもって結婚式をする。って事なら良いだろ!」
「そ、そんないきなり……。付き合って0日で結婚なんて」
「主《あるじ》サンは俺のこと好きなんだろ!」
「………………はい」

 恥じらう主《あるじ》サンを見たら、二日酔いもマシになってきた気がする。

「俺は主《あるじ》サンが好きだ! だから問題なんて一つもない!」
「……判った! じゃあ今日はよろしくお願いします! 諸々の話は終わった後で」
「了解!」

 まずは式を終わらせる。まだ気持ちは新郎になってないけど。
 主《あるじ》サンと夫婦になって嬉しくて飛び回るのも全部後。
 膝つき合わせて、一つ一つ確認して行かないと。
 今日は長い一日になるぞ!





 ◆ビシャモンテン



「独神さま、あと一回で全部だよ。どうする? 今降参してくれるならやめてあげてもいい気もするなぁー」
「絶対脱がしたるから覚悟しとき!!!」
「ありがと。最後まで勝たせてくれた方が気持ちいいもんね」

 唇を舐めたビシャモンテンの目の前には賽が転がっている。
 出目は四六。
 向かいには下着一枚で正座をする独神が一人。
 先程宣言したのは”半”だった。

「ぬしさま、まずいって! あたしの天目通で見えないならこの子はイカサマなしに連勝してる。本物の豪運だよ!!」

 半泣きのオトヒメギツネを独神は制した。

「……もう一度確認するで。ウチが一度でも勝ったらここで働いてもらう。偽りはないなぁ?」
「勿論! わたし、約束は守るよ。だって勝負ってそういうものだもん」

 壺振りは独神側の英傑である。
 ビシャモンテン側の予定であったが「そっちで良いよ。だってわたしが負けるわけないもん」と言うので遠慮なくそうしたのだが……。

「(主《ぬし》様が頭まで下げられましたのでお引き受けましたが……。彼女にはイカサマをもってしても勝てない)」

 文化人セミマルが壺振りのイカサマなんてものを命じられたのは、盲目が故の人選である。
 これならば誰がどれだけ脱ぎ散らかそうとも問題ない。
 ついでに顔が良いものを置くと勝率が上がりそうだからと独神談。

「じゃあ始めよっか?」

 ビシャモンテンがセミマルを見た。
 セミマルは不安げな顔を独神へ向ける。

「……ええよ。セミマル頼む」

 セミマルは無策のまま壺を翻し盆の上に壺を置いた。

「独神様どうぞ」

 余裕の笑みを浮かべてビシャモンテンは言った。

「(この女、ウチが先手だろうと必ず当てる。賽に針を仕込んでも駄目。床の忍が賽を転がしても何故か当ててまう。剛運に偽りなし。だがウチもはいそうですかと退くわけにはいかん)」

 大きく息を吸った独神は壺をじっと睨みつけた。壺笊に仕掛けはなく、中の賽は透視できない。

「(ウチも独神や。いつ死ぬかも判らん世界で生き抜くもんが、こんな勝負で負けとる場合ちゃうやろ)」

 独神は駒札を手にした。

「丁や」
「じゃ、わたしははーん!」
「お二人ともよろしいですね?」

 勿論と、双方が頷いたその時。
 部屋の真ん中に直径一メートルはある氷柱が貫いた。

「ごめんなさい!!」

 その声はビンボウガミだった。

「何故!?」

 セミマルは焦った。
 ビシャモンテンとの勝負にあたり、独神の負けを引き寄せる可能性のあるビンボウガミやマガツヒノカミはこの勝負のことは伏せて遠征を命じた。
 今日中に戻れるような距離ではなかったはず。

「ぬしさま!」

 巫覡であるオトヒメギツネは即座に独神に駆け寄った。
 鋭いつららが腹部を抉っていたので即座に治療にかかろうとするが、独神の意識はそこにない。

「まだ勝負はついとらんで! セミマル! はよしいや!」
「えっ!? は、はい。ただいま」

 壺を開くと四と四。

「ほら見ろ丁やん!!!! はいー! 約束通り裸一貫、ウチの本殿に来てもらうで!」

 ほぼ全裸の独神が大声で指差した。

「はーい。主《あるじ》さま。今日からお世話になりまーす」

 ビシャモンテンは元気に手をあげた。

 あのビシャモンテンに勝ったことは英傑たちにも衝撃を与え、大将の強さを称えて大いに盛り上がった。

「しっかし、どうやって勝ったんだろうな? 主の方が運が良いってことか?」
「主はここぞという時は決めるお方だからな」

 独神が規格外なのだと英傑達はあまり深くは考えなかった。
 とにかく独神が勝った。それだけで十分なのである。

「(ふふ。あの状況でも賭けを優先するひとならわたし、絶対退屈しないよね! 負けて正解!!)」





 ◆シバエモン



「私は八百万界を平和にする。悪霊は全員ここから出て行ってもらう」

 夢のようなことを素面で語った独神を、シバエモンは昨日のように思い出す。
 独神の理想に共感し、今では共に戦う仲間だ。
 本来ならば日夜悪霊退治に明け暮れるところだが、シバエモンは一座の公演を続けている。
 独神の頼みだった。
 民に楽しみを与えて欲しい。シバエモン座ならそれが出来ると。
 シバエモンはそれに同意し、今日も午前午後で二公演終えた。

「今日も良かったわあ」
「ありがとうございます!」

 公演を見た客一人一人と言葉を交わす。
 粗方の客へ挨拶を終えると、恰幅の良い商人がシバエモンに近づいてきた。

「これはこれは旦那。今日もありがとうございます!」
「ああ。今日も最高だった」

 一座への出資もしてくれている贔屓筋だ。
 感謝を込めて深く頭を下げる。

「なあ、ちょっと」

 贔屓の男は周囲の様子を確認してから続ける。

「シバエモンさん。悪いことは言わん。独神には関わらん方がええ」
「ははっ。だよなオレも独神に会うまではそう思ってた」

 けれど、と続ける前に恰幅の良い男が声を潜めた。

「ここだけの話。独神が悪霊を送り出しているそうだ。頃合いを見て英傑を投入し悪霊軍に勝利したと見せる。そうして奴ら、この八百万界の頂点に立って支配するつもりだ」
「……まあ、そういうハナシがあるってのは知ってんだが」

 困窮していた八百万界に彗星の如く現れた独神を、あまりに都合が良すぎると陰謀であると主張する声はどこにでもある。
 シバエモンも、言われてみればそういう可能性が無きにしも非ずとやや肯定する位置にいた。
 それが実際に独神と謁見し、言葉を交わしているうちに、そんな者ではないと思われた。
 気付けばその日のうちに本殿への所属を承諾し、シバエモン座の傍らで悪霊退治を担う今の生活を始めた。

「私はなあ、シバエモンさんが心配なんだ。独神との関係は考えとくれよ」

 去る男の背中に頭を下げたシバエモンは、独神の顔を思い浮かべた。
 独神に上手く言いくるめられたと思われているのだろう。
 しかし、シバエモンは座頭として多くの者達と関わってきた。
 舞台の上のシバエモンを手に入れようと言い寄る者。
 シバエモン座を乗っ取ろうと画策する者。
 裏工作の為に入ってきた新人。
 沢山の腹の底を覗いてきた自分は、人を見る目はある方だと自負している。
 そんなシバエモンが独神を悪人ではないと判断した。

 公演の片付けを終えたシバエモンは真っ直ぐ本殿へ戻り、夕餉を終え縁側で食休みをとっていた。
 明日の公演を想像の中で演じていた。

「しょぼくれた尻尾が出てるけど良いの?」

 尾をしまおうと力を入れたが、既に尾はなかった。

「脅かすなって。座頭」

 要らずらに成功した独神は無邪気に笑っていた。
 そのままシバエモンの横に腰を下ろす。

「お疲れ様。一座は最近どう?」
「シバエモン座はいつだって最高のものをお客に見せてるさ」
「調子良いみたいね。今日もシバエモン様の手形が欲しいとか、使っている湯呑が欲しいって客人に言われたよ」
「……渡してはねぇよな?」
「心配しなくても手形しか渡してないって」

 シバエモンが独神率いる英傑集団に所属した事は知られている。
 客人にもシバエモンの演技に魅せられた者が多く、その者達に渡す為に事前にシバエモンの手形を紙にうつし、名を入れたものを配るようにしていた。

「客人とシバエモンのことを話すんだけど、どの人も良い顏で笑ってる。聞いているこっちまでわくわくしてくるくらい声が弾んでてね。私まで嬉しくなってくるよ」

 世辞ではない。独神はいつも目までしっかりと笑う。
 そういうところがシバエモンには好印象だった。

「休憩の邪魔してごめんね。シバエモンと話したくなっちゃって」
「贔屓の応援は身が引き締まるってもんだ。ありがとな、座頭」

 すっと去っていった独神は、今度は別の英傑と話をしていた。
 独神の元にクセのある英傑達が群がっているのは、それだけの魅力が独神にあるということだ。
 上辺を取り繕っただけでは英傑は靡かない。
 ここの全員が思っているのだ。独神は特別なひとであり、仕えるべき主だと。

「……オレは座頭を信じるぜ」

 後日、贔屓筋にそのことを伝えると、憐れみのような失望したような表情が返ってきた。

「そうか……なら今後の付き合いは考えさせてもらう」
「判った。残念だがこればっかりは無理にとは言わねぇ。今までありがとう」

 頭を下げると贔屓筋は驚いていた。

「私たちがどれだけ支援してると思ってる? それをこんなあっさり捨てるのか? もう一度考え直、」
「承知の上だ。役者ってのは生涯理想を追う生き物だ。オレはあのひとの理想が実現すると信じてる」

 てこでも動かないと見たか、贔屓筋は頷いた。

「そうか。なら達者でな。今まで楽しかったよ」

 商人は二度と振り返らなかった。
 舞台に政治はいらない。
 例え出資額が減ろうとも考えを曲げる理由にはならなかった。
 シバエモンは自身の審美眼を信じる。
 独神は、必ずやこの八百万界に平和をもたらす存在だ。





 ◆アギョウ



「へい喜んで!」

 独神は両腕をぶんぶんと振って全速力で廊下を駆けていく。

「まーたやってんのか」

 ダイダラボッチがそっと部屋を覗くとふかふかの椅子にどかりと座ったアギョウが睨みつけてきた。

「なに。ボクが見たいからって部屋を覗くのは迷惑なんだけど?」
「だったら開けっ放しにすんなよ」
「それは独神サマが悪い。帰ってきたらお仕置きしなくちゃ」

 にやりと笑うアギョウにダイダラボッチは顔を歪めた。

「……アンタぼっちちゃんに酷くねぇか? あのひとがどんなひとか、ちゃんと判ってんのか」

 鬱陶しそうにアギョウは顔を背けた。

「うざぁい。……だっけ? 地上の言葉だと」

 せせら笑いにダイダラボッチは「あ?」と身体が一回り大きくなった。

「いい加減にしろよ……。ぼっちちゃんはな……ぼっちちゃんは……」

 手の中に弓が現れた時だった。

「お待たせしやした! 月見堂の白どらやきっす! ……って、ダイダラボッチはどうしたの? 弓なんて出しちゃって」
「コイツが!」
「独神サマ。早くしてよ。可愛いボクがお腹空いているんだよ、ね」
「ただいま!」

 唐物の皿にどらやきを乗せていく間に、言っても無駄だと思ったダイダラボッチは去っていく。

「はい、アギョウ様」

 独神は一口で食べ切れる大きさに切るとアギョウの口元に持っていった。
 それを当たり前のように食べていく。

「ふうん。まあまあだね」

 食べ終えた感想はそれだった。

「……ところで、アギョウ。さっきのは何?」

 その顔は笑みを浮かべながらも先ほどまでのおふざけとは一線を画していた。
 流れるように独神の顔へと切り替わった。
 そうなるとアギョウも英傑の立場で答えるしかない。

「ボクのアンタへの態度が気に入らないみたい」
「……そっか。私が望んでしてるだけなのにね!」

 笑ったまま独神はその場を去った。
 向かった先は執務室で思った通りダイダラボッチが座っていた。
 ダイダラボッチは独神を見ると足音を鳴らして駆け寄った。

「ぼっちちゃん!! アイツなんだよ! おかしいだろ!! ぼっちちゃんのことまるで使いっ走り扱いだ! ぼっちちゃんは独神なんだろ! ムカつかねぇのかよ!」
「うん。ムカつかない」

 けろっと答えた。

「ごめんごめん。ダイダラボッチは私のこと考えてくれたんだね。でも心配しないで。好きでやってるの」

 ダイダラボッチは唖然としていた。

「……弱味を握られたとか?」
「ないない。探られて痛い腹なんてない。……こともないけど、あんまないから」

 笑っていた。
 独神はどんな時も笑ってばかりで、本心を読むのは困難である。

「……なんかあんのか? すげー考え? 例えばおれたちの事を考えてとか」
「何にもないし、私の趣味」

 ははっと笑った独神からため息が溢れた。

「……命令するのって本当は苦手なの。でも独神だからしないと駄目でしょ? 時々嫌になるんだ」

 同情的に「そうか」とダイダラボッチは言った。

「だから命令されるのって物凄い気持ち良いの! アギョウって良いよね。命令が板についてて、当然のように顎で使ってくるの最高!」
「ごめん。やっぱ俺わかんねぇ……」

 本人は心底楽しそうに見えるから自分が手を出す必要もないのか。
 納得はしていないがどうする事も出来ず、ダイダラボッチは気のない返事を続けた。

 ところ変わってウンギョウの部屋。
 そこには項垂れたアギョウと、机を囲ったウンギョウとカグヤヒメがいた。

「助けて。独神サマへの命令考えてよ」
「またですの」

 カグヤヒメはやれやれと肩を竦める。

「今日と同じものにしたら。大変ならやめれば良いんだよ?」

 ウンギョウが言うとアギョウはきっぱりと言った。

「駄目だよ! 同じだと飽きちゃうでしょ! やめるなんてもっと駄目。独神サマに笑ってもらえるような命令しないといけないんだから」

 アギョウは物凄く思い詰めていた。
 最初は独神を小間使いとして扱い好き勝手言って困らせていた。
 なのに独神はそれを楽しみ、命令を望んだ。
 ほうっておいても良かったのだが、だんだんと独神の熱意に呑まれていき、命令に気を遣うようになっていた。

「判りませんわね。命令なんてすぐ思いつきそうですのに」
「ボクはヒメサマみたいに根っから我儘ってわけじゃないから」
「そこは自由奔放と言うところよ、アギョウ」
「否定するところですわ!!」

 三人は一頻り笑うと、良い笑顔で見回した。

「じゃあ主《ぬし》様に喜んでいただける命令を三人で考えますわよ!」

 狛犬たちの返事が重なった。





 ◆フツヌシ



「ちょっとタケミカヅチのところへ浮気してくれないか?」

 言われた独神はぽかんとした顔でフツヌシの後頭部に螺鈿の簪を突き刺した。
 ぴゅーぴゅー血を噴き出すフツヌシを背に、タケミカヅチの部屋へ行った。

「それで俺の部屋へ……」

 タケミカヅチは理由を聞かされ額を抑えた。

「あの馬鹿何とかならないの?」
「力にはなりたいんだが俺にはどうすることも……」
「漬ける薬もないよね……」

 独神は大きな溜息をついた。
 フツヌシとは一応恋人である。
 だがしかし、一癖も二癖もあるフツヌシ相手に普通の恋愛など出来るはずがなく、思いつきの命令をしては独神が血の制裁を加える日々だった。

「しかし俺が本当に主君に迫るようなことがあれば、フツヌシも慌てると思うんだ」
「どうだか」

 肩書に反して、独神はフツヌシのことがまるで判らなかった。
 嫌ではない。それだけで関係が保たれている。

「……じゃあ、いっそしてみよっか?」
「なにを………!?」

 独神は胡坐をかくタカミカヅチの足の間に腰を下ろした。

「主君!?」

 慌てふためくタケミカヅチの肩に独神の腕が乗った。

「……心配しなくてもこれ以上触らないから。安心して」

 独神はじっと動かなかった。呼吸も変わらずただぼうっと壁を見ているだけ。
 まるで座椅子扱い。

「(真っ赤になっちゃって。まるで私のこと好きみたい)」

 挙動不審に目を泳がせるタケミカヅチの高い演技力に感心していた。
 フツヌシは目を合わせただけで赤くなるような純真な反応はない。

「(面白いな)」

 独神が座り直すだけで筋肉が強張り、発汗する。
 少しだけ身体を押し付けると、わざとらしく肩を跳ねさせた。

「駄目だ!」

 タケミカヅチは独神を押しやった。
 味方を鼓舞し戦場を駆ける軍神の姿はなく、そこにはただ耳まで赤くした神がそこにいた。

「見ないでくれ……」

 タケミカヅチが部屋を飛び出すと、入れ替わるようにフツヌシがやって来た。

「おや。綺麗だね」

 一糸乱れぬ服装を見て言った。
 独神はうんざりして顔を背けた。

「タケミカヅチも迷惑してるって」
「お互い様さ」
「どこが。かわいそうに。逃げ出しちゃったよ」
「そのまま続けたかったかな? 雷の軍神様は巷では人気らしいよ」
「最初に産魂《むす》んだ英傑だから、思い入れはあるけどそこまでかな」
「冷たいねえ……」

 フツヌシが何気なく頬に触ると独神は嫌そうに顔を歪めるのだが、その手を払うことはない。
 より撫でつけても拒否はしないのだ。

「我慢強いね。それとも本当に」

 独神は何も答えない。
 フツヌシは勢いよく抱き着くと独神は生娘のような高音の悲鳴を上げた。

「い、いきなり過ぎない?」
「衝動だからね。こればっかりは私でも制御できないのだよ」

 少しずつ独神の方に体重がかけられていく。

「……貴殿の周囲にはもっと良い英傑はたくさんいるだろう? 私でなくとも」

 ずるずると腰まで落ちてきて気怠そうに言った。
 もしかして、と独神は率直に聞いた。

「自信無くなって私を行かせたの?」

 否定してこないフツヌシには呆れるが、独神は小さく笑んだ。

「不安がるなんて随分私に熱を上げているのね」

 可愛げのないフツヌシを優しく撫でてやった。
 床からの冷たさが足を伝う中で、何度も何度も。
 見上げたフツヌシが上半身を持ち上げ、独神の唇に舌をのばす。
 生温かい舌を絡ませて、何度も口付ける。

「(性格は終わってるけど、痛いことはしないんだよね)」

 どさくさに紛れて指を絡ませてくるのも寂しがり屋の子供のようだった。

「主《ぬし》、仕事は良いのかい?」
「大丈夫でしょ。だって私”お飾り”だもの」

 独神は軽い調子で言った。
 それは独神唯一の弱味だった。慣れたとはいえ未だにその手の悪口は堪える。
 だが不思議なことにフツヌシは最初の頃にこそ言ったが、今はその話題で揶揄いはしなかった。
 失礼の塊のような英傑だが、距離感を弁えている。
 だから傍に置くのが嫌ではなかった。

「私たちは、いつまでこうなのだろうね」

 フツヌシの言い方は目先のことだけを言っているようには感じられなかった。

「先々考えすぎでしょ」

 独神は牽制とばかりにフツヌシの頬を軽く抓った。

「永遠に寄り添う。なんて私たちに限ってないない」

 確かにね、とフツヌシが同意するのでそのまま続けた。

「良いじゃん。飽きたって。その時はお互い次を探しましょう」
「そうすることにしよう」

 二人は中断していた行為を再開した。
 次の相手について、独神は考えていなかった。
 このままフツヌシと長く続くとは到底思えない。
 しかし時々思うのだ。もしこのままフツヌシが自分に興味を持ち続けてくれたら。
 二人きりの時に、少しだけ弱味を見せてくれるフツヌシに少しだけ期待した。





 ◆ヤマヒメ



「主《あるじ》さま!」

 ヤマヒメが独神に駆け寄った。遅れて子供たちがやってくる。
 ここは孤児院だ。
 悪霊との戦いで親を亡くした孤児たちを集めて養育している。
 子供好きで世話好きのヤマヒメはここで働き、独神は定期的に顔を出していた。

「ただいま」
「おかえり」

 普段から笑顔のヤマヒメであるが、独神の前では更に明るい顔を見せた。

「独神だ!」
「独神様でしょ」
「来た! お土産くれよ!」
「はい。ちゃんと分け合ってね」

 独神が持ってきた菓子に群がる子供らの種族はばらばら、歳もばらつきがある。
 親を失い心に大きな傷を持つが独神の言った通り平等に分け合っていた。

「子供は少し見ない間にすぐ大きくなるね」
「そうでしょ。子供って昨日出来ないことが今日出来るようになるの! わたしなんてすぐ追い抜かれちゃいそう」

 ヤマヒメは子供たちを見て笑うも、少しずつ顔に影を落とした。

「……何度も言ってるでしょ。子供の世話だって立派な仕事。討伐より劣ってるなんて誰も思ってないよ」

 子供の世話の為にヤマヒメは討伐や遠征は免除されている。
 適材適所と他の英傑も理解しているのだが、ヤマヒメ自身は気にしているようで、度々独神にこのままでいいのかと尋ねていた。

「独神様!」

 子供の一人が駆け寄ってきて、二人は笑顔を作った。

「どう? 美味しかった?」
「うん。……あのね」

 もじもじしていたがやがて意を決して言った。

「僕を戦に連れて行って欲しいんだ」

 ヤマヒメは目を見開いたが、独神は小さく頷きながらも笑みを崩さない。

「気持ちだけで十分だよ」
「でも最近負けたよね?」

 空気が重くなった。お土産のお菓子を食べていた他の子供たちまで注目している。
 独神は「そうだね」と肯定しつつ諭した。

「それでも子供を戦に連れて行く気はないよ。第一英傑じゃなきゃ悪霊に太刀打ちできない」
「独神様は人不足っていつも言ってる。だったら僕みたいなのも必要なんじゃないの? 偵察だって、盾にだって出来、」

 独神は小さい両肩を掴んだ。

「私はね、戦わせるために面倒を見てるわけじゃないんだ」

 強い口調で言うと手を放した。

「ヤマヒメ。そろそろ帰るよ。また来るから」

 ヤマヒメが言い淀んでいる間に独神は振り返ることなく出て行った。
 その様子に子供たちのそれぞれが不安抱え、お互いに気持ちをぶつけている。
 ここはヤマヒメが宥めて子供だちを鎮めるところだ。
 しかし。

「ごめんね! ちょっとわたし主《あるじ》さまを追いかける!」

 ヤマヒメは子供たちを置いて独神を追った。
 徒歩の独神に追いつく事は容易かった。

「主《あるじ》さま!」

 独神は振り返った。

「子どもたちは」
「あ。……みんなは……」

 混乱を放ってきたとは言えなかったが、独神は察したようだ。

「ま、あの子たちも逞しいし、少しくらい大丈夫だよ。それにいない方が思ってることを言いやすいかもしれないしね」
「主《あるじ》さま、さっきはごめんなさい」
「気にしてないよ。役立ちたい気持ちは判ってるけど、私は子供を戦いで死なせるようなのは反対でね」
「それは、わたしもそう……」

 ヤマヒメは自身の拳を握りしめた。

「わたしが戦場に出るよ」
「戦わなくて良い」

 ぴしゃりと独神は言った。しかしヤマヒメは立ち向かった。

「だって主《あるじ》さまだって本当は戦いたくないのにずっと戦ってる。わたしだけ逃げるなんて出来ないよ!」
「良いんだよ。私は」
「独神だから?」
「自分が始めた戦争だからだよ。それに、……争いが嫌いなひとが戦わなくて済むように私が行ってるんだから」
「猶更わたしが、」
「頼むよ。ヤマヒメはここで子供たちを幸せにして欲しい。強いヤマヒメがいれば子供だって安心出来るでしょ。もし悪霊に襲われたら、あの子たちは二度も命の危険にさらされて怖い思いをするんだよ。もう二度と不安にさせない為にもここに英傑が必要なの」

 早口で捲し立てる独神の気持ちはヤマヒメにも察せられた。
 だからこそ、独神の厚意に甘えてはならないと思った。

「……わたしじゃなきゃ駄目なの?」
「隣で戦争してるのに子供たちが楽しく過ごせてるのはヤマヒメのお陰でしょ。ほら帰ってあげてよ、きっと待ってる」

 説得されてヤマヒメは孤児院へ戻っていった。
 不安をぶつけ合う子どもたちをまずはしっかり抱きしめた。
 落ち着いた頃に独神の考えと自分の考えを伝え、後はそれぞれで考えて欲しいと頼んだ。
 難しい頼みだったが子供たちは頷き、それ以上ヤマヒメを困らせることはなかった。

 後日、独神は孤児院に顔を出した。

「おわっ!」

 戸を開いた瞬間に花びらが撒かれた。
 驚いている独神にヤマヒメが教えた。

「いつも頑張ってる主《あるじ》さまにって。みんなから」

 子供たちの手には花が握られていた。

「綺麗でしょ? 皆で山で遊んでたら花畑があったんだよ」

 この辺りにも悪霊は現れる。二つ隣の村は戦禍に巻き込まれて家屋がいくつか損傷した。
 子供たちが登った山は独神達の尽力があって無事だったのだ。
 独神は礼を言いながらもそのことを噛みしめていた。

「独神様!」

 出陣を希望した子供だった。

「……僕は今でも戦場に行くべきだって思ってる」
「そうか」
「でも、独神様が悲しむから今は行かない。その時に備えて鍛錬する。強くなれば薪割りだって楽になるし、大工仕事もはかどるもんね」

 斧を振り下ろす素振りを見せた。

「頼もしいね。良いんじゃない?」

 照れる子供を撫でる独神を、ヤマヒメは目を細めて見ていた。





 ◆クダギツネ



 動物さんのお世話おーしまいっ!
 今日はなんと、おやつ前に終わっちゃった。
 皆が手伝ってくれたお陰だよ。
 この後はみんなと一緒におやつを食べるんだ。
 手伝ってくれたお礼にアタシがお菓子やお茶を出そうと厨に向かっていた。
 厨の入口が見えてきたところで、丁度出てきたのは、

「ご主人サマ────」

 アタシとは違ってご主人サマは忙しいひとだ。
 本殿に来て動物さんやそうじゃないひととも沢山友達になった。
 でも、ご主人サマはオトモダチじゃないかもしれない。
 ご主人サマは、ご主人サマって感じがして、少し距離がある。
 仲良くしたいけど、いつも忙しそうにしてる。
 折角話しかけてもらっても、慌てちゃっていつも話したいことが言えない。
 英傑のみんなとはお菓子を食べたりお話をしたり気兼ねなくできるのに。

 独神様とはそういうものだ。
 みんなそう言うからアタシもそうだって納得してた。
 でも今日は何故か気になってしまって、寝る前に蒲団の中で動物さんぬいぐるみをアタシとご主人サマに見立てて劇をした。

「ご主人サマ! 今日も動物さんがいっぱいだよ! 楽しいね!」
『タノシイネ!』
「……あれ? ご主人サマってこんな感じだったっけ?」

 優しくてしっかりしてて正義感の強いご主人サマ……って説明は出来るんだけど、話し方とか、好きな物とか、よく判っていない。
 知れたら良いのにな。
 鶺鴒台の後のお話が一番長く、ご主人サマと話せていたくらい、アタシはご主人サマとの時間が少ない。
 みんなはもっとお話し出来てるのかな。
 アタシもたくさんお話出来たらな……。

 アタシは二つのぬいぐるみをぴょこぴょこ触っている内にひらめいた。
 ご主人サマに一人あげようって!

「これ、私に?」

 次の日、早速お仕事部屋に行って、イタチぬいぐるみさんを差し出した。

「うん。大事な物だから大事にしてね。あと寂しがり屋さんだからお世話も忘れないでね」
「世話……この人形動くの?」
「もう、そうじゃないよ! 話しかけてあげるとか、汚れたらお風呂に入れてあげるとかだよ!」
「ふうん……。判った、それなら出来るよ。可愛いぬいぐるみをありがとね」
「どういたしまして!」

 ご主人サマの腕の中にいるぬいぐるみさんを見てアタシの胸はいっぱいになった。
 その日は相方のキツネさんぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて寝た。
 イタチさんぬいぐるみがご主人サマと寝ていることを想像すると、アタシと繋がっているような気がした。

 でも数日経つと、少し変わってきて。

「ごめんね。アタシは今日から遠征だから。留守番しててね」

 キツネさんぬいぐるみにアタシは謝った。
 いつもだったら隣にイタチさんぬいぐるみがいたから、「二人で待っててね」って言えたのに、これからは言う事はないんだ。
 そうだ。アタシがご主人サマと同じだったら嬉しいからって、勝手にイタチさんぬいぐるみをあげて、二人を引き裂いた。
 そして今度はぬいぐるみさんたちに寂しい思いをさせてる。

 遠征中も頭の隅に引っかかって、気持ちがふわふわとして一緒にいた子には怒られた。
 遠征から帰ったアタシはご主人サマの部屋を訪ねるつもりだった。
 本当は行ってはいけないけど、でも行こうって決めた。

 仕事を終えたご主人サマが一人で過ごしているところに、アタシはキツネさんぬいぐるみを持って訪ねた。
 扉をこんこんと叩いて返事をもらってから、少し開いた扉の隙間からキツネさんぬいぐるを入れた。

「突然ごめんね! でも会いたくて来ちゃった。すっごく寂しかったの」

 キツネさんぬいぐるみを動かして言った。

「嬉しいなあ! あたしも寂しかったの!」

 裏声の後、アタシがあげたイタチさんぬいぐるみがアタシに顏を見せてくれた。
 久しぶりに会って涙が出そうだった。

「……ねえご主人サマとは仲良くなれた?」
「うーん。まあまあ! 独神いっつも忙しくて朝晩しか会いに来ないんだよ!」

 お仕事中には見たことはない。きっと部屋に置いているんだと思う。
 ほんとはお仕事部屋にも連れてきて欲しいけど、さすがに言えないや。

「そっちはどう? クダギツネちゃんとは仲良くやってるの?」
「勿論だよ! キツネ同士仲良しなの!」
「そっかー。でも寂しくなっちゃったの?」
「……うん。毎日会えなくなったから……寂しいの……いつも一緒だったのに、お隣にいないの……寂しいよぉ」

 アタシは自分のことばかりでぬいぐるみさんのことを考えてなかった。
 ご主人サマには本当に申し訳ないけど、ぬいぐるみさんを返してもらおうかと思ってる。

「そうなの? じゃああたしのとこに毎日おいでよ!」
「えぇえ!?」

 驚いたアタシはぬいぐるみさんの声を忘れてしまった。

「ご主人サマは夜はゆっくり過ごさせてあげなきゃ駄目だから駄目だよ!」
「いーのいーの! 皆が気を遣い過ぎて逆に手持無沙汰で仕事してるって独神言ってた!」
「そうなの!?」

 夜は基本的に会いに行っちゃ駄目だよ。行きたいなら約束してからだよ。
 アタシが本殿に来た時ほかの子たちにそう教わった。
 まさかそれで暇だなんて考えてもみなかった。
 アタシたちはご主人サマの為に気を使えてるって思ってたのに。

「今度はクダギツネちゃんも連れて来てよ。あたし、クダギツネちゃんにも会いたい!」

 アタシも。って。
 耳を疑った。

「独神だって絶対そう言うよ! 間違いないよ!」

 木の扉越しにいるご主人サマを想像するとなんだかおかしくって笑っちゃった。

「うんうん。クダギツネちゃんは笑顔が似合うよ」

 それはイタチぬいぐるみさんが言ったのかな。それとも。

「……ご主人サマ。本当にアタシが来ても良いの?」

 ぬいぐるみじゃなくて、アタシの声で聞いた。

「お茶一杯飲む間くらい私と付き合ってよ」

 いつものご主人サマの声だった。
 元気になってきた。

「うん! じゃあ今晩は帰るけど、また明日来るね! アタシ、じゃなかった。クダギツネを連れてくるからね」

 ぬいぐるみの手を持ってばいばいをした。

「ばいばい」

 イタチさんは両手でばいばいしてくれた。





 ◆ゴクウ



「(ま~~~~~た迷子か~~~~~~~)」

 独神が気持ちよく起床した目の前に、突如謎の飛行物体が落ちてきた。
 奇声をあげながら様子を伺うと、それは金糸の髪をした空飛ぶ猿だった。

「……で、ニイさん。キラキラした島が見えたってのは?」
「そのままだよ。空から見てたらキラキラしてたんだ」

 何の追加情報もない無意味な会話。
 大事に握りしめている赤い物干し竿は棒術のものだろう。

「(ぼけた所も弱腰な感じも、あんま好きじゃないなあ……)」

 独神はゴクウというその猿を保護し、衣食住を与えた。
 捨てられた子犬のようで、他の英傑達もすぐに受け入れた。

「加賀で悪霊たちの怪しい動きがあるよ。だか、」
「じゃあ俺が行ってくる!!」

 金色の雲に乗ってゴクウは飛んで行ってしまった。
 やれやれとフウマコタロウと独神は同時に肩を竦めた。

「────だから、今は動かないでね、って。僕ら風魔が見張っているから、強い奴用意しててねって。……独神ちゃんあのおサルさんちょっと駄目じゃない?」
「同意する。何回躾けても”待て”が出来ないんだよねえ」

 溜息をついた。

「とりあえずお伽番に置くの止めてよ。風魔だけじゃなく他からも苦情来てるからね、真剣に考えてよね」
「処遇は考えるよ。……伊賀の誰かさんにも謝ってるって伝えといて」
「僕は伊賀なんて一言も言ってないよ。でも忍だから一応命令は聞いてあげるね。僕の意思じゃないけどお仕事だもんね」

 普通には伝言してくれないだろう。
 ゴクウほどではないがフウマコタロウも、少し扱いにくい英傑である。
 そうやって英傑達の中で揉まれていくうちに、ゴクウは本殿での振る舞いを覚えていき、二ヵ月ほどで立派な英傑の一人になっていた。
 討伐に行くことが多いが、お伽番に任命される事も多く、独神と過ごすことは比較的多かった。

「なんか嬉しそうだね」

 独神が尋ねると、ゴクウはにこにこして言った。

「だって主《ぬし》さんの傍にいられるんだもん。俺お伽番好きだよ」

 下心が一切見られない笑みに独神は毒気を抜かれ思わず鼻で笑う。

「(……サンゾウさんもこんなゴクウを毎日見て癒されていたのかもな)」

 立派な人と聞かされるサンゾウとゴクウのやりとりを勝手に想像した。
 ゴクウの性格ならば誰とでも仲良くなれるだろう。
 ゴジョウに、ハッカイと天竺を目指す四人旅はさぞ愉快なものだったろうと察せられる。

「じーっ」

 ゴクウが睨むように独神を見ていた。

「……なに」
「じーっ」

 しつこかった。

「別になんでもないよ。ただゴクウを眺めてただけで、悪いことなんて一つも考えてないよ」
「そっかあ……」

 と言いながらも引かない。全力で独神を見ている。
 気になって仕方ないから教えてよ、と凄まじい圧力に襲われる。
 意外と頑固である。独神もはいはい、と教えてやった。

「……サンゾウさんのこと考えてた。ゴクウとどんな関係だったのかって」
「え!? 俺とサンゾウ様は恋人なわけないよ!!」

 予想外の勘違いに独神は「はあ?」とガラの悪い声をあげた。

「いや。そういう意味じゃ」
「だって俺主《ぬし》さんのこと好きだから! サンゾウ様は大切だし天竺には行くけど、なんかそう勘違いされるのは違うなって……」

 いったいこの流れはなんだろう。
 まるで独神が告白されたようで重苦しい空気だった。
 独神は即座に話の修正にかかった。

「馬鹿。そうじゃないって。……天竺仲間がいない本殿で寂しい時もあるのかなって。そういうこと考えてたの! 主だから! 理解した?」

 何もかも言わされるのは苦痛だったが、これ以上放っておくとあらぬ方向へ行って余計に拗れそうだったので仕方がない。
 お陰でゴクウはようやく納得したようだった。

「……でも、俺が主《ぬし》さんのこと好きなの、気づかれちゃった……ね」

 下から独神を伺っていた。

「聞いてない。だから気にしなくても」
「ええ!? あんなに大きい声なのに聞こえなかったの!? 大変だよ! 耳が病気かもしれない!! 急いで医者へ行こう!」
「いや、違」

 独神はゴクウに抱き上げられてしまった。
 庇ってあげたせいでこのざまである。

「走るから舌! 気を付けて!」

 ゴクウはひたすらに一生懸命だ。
 天竺へもきっと一生懸命目指していたのだろう。だから間違ってここに来た。
 周囲が見えなくなるほどの熱意は方向性が違うとはいえいい刺激になった。
 だから傍に置いていた。だがいつかは子猿は親元に返さないといけない。
 信頼して、可愛がってくれているであろうサンゾウの元に帰さなければならなかった。
 未来の後ろ姿を想像すると独神から涙が出てきた。

「泣くほど痛いの!? 大丈夫! もうすぐだからね!!」

 ゴクウはアカヒゲのところへ転がり込んだ。

「先生!!! 主《ぬし》さんが大変なんだ! 耳も痛いし、泣いちゃうくらい痛いみたいなんだ!!!!」
「判った。とにかくアンタがいると煩すぎて診察にならねぇ。心配だろうが離れてろ。他の英傑も近づけるな。耳ってのは繊細なんだ」
「うん」

 ゴクウは小声で答えると注意された通りに静かに消えた。
 独神の方はゴクウが消えてからは涙は容赦なく降り注いだ。

「……ぜんぜえ………………」
「心配すんな。おれが治して、」
「あいつ超鈍感で嫌い」

 なんとなくではあったがアカヒゲは察した。

「……。しばらく英傑は近づいてこねぇから。この部屋は好きに使いな」





 ◆コノハテング



 廊下を駆けていく主《ぬし》さまを見ていると途方もなく胸が苦しくなる。
 あのひとに喜んでもらいたい。褒めてもらいたい。

 主《ぬし》さまはいいひとだけど、周囲には沢山の英傑がいて俺なんか視界にも入っていないような不安が付きまとう。
 天狗だけでもここには沢山いる。俺はそいつらよりも下だ。
 一つくらいは俺の方が秀でているものもあるかもしれないが。
 例えば……

 サンキボウだったら。

 実はあいつのことはよく知らない。
 厳島が縄張りらしいけど、俺が旅してる時には会わなかったからな。
 本殿で初めて顔を合わせて挨拶を交わした程度。
 あいつ、しょっちゅう主《ぬし》さまと喋ってて、ぬしさまの護衛もしてたな。
 てことは強いんだろう。
 同じ鬼人だけどあっちは法力も結構使えるらしいと聞いたことがある。
 拳だけじゃない。
 ……てことは、俺が勝てる要素ないな。

 じゃあ、ジロウボウは?

 あいつ俺を慕ってくれてるけど、あいつ自身が良いヤツだよな。
 俺が落ち込んでも、いつもふざけて笑わせてくれる。
 拳は俺の方が強ぇけど、あいつも法力も使えて暴れまわっていたらしい。
 しかもTNG48の一人だ。
 ……考えると殴りたくなってくるな。

 じゃあ、カラステング!

 あいつはTNGじゃねぇから、立場は俺と同じ。
 本殿のヤツらは全然言わねぇけど、あいつの羽の艶すっげーの!
 天狗は力ってだけでもねぇのかな。
 だって主さま、あいつの羽いっつも褒めてるもんな。
 ……俺のじゃ駄目か。

 あ、クラマテングはどうだ?

 年寄りで口煩くて古臭くて、天狗はああいうのが沢山いる。
 けど年の功ってのが凄くて、技や知識も俺なんかじゃ及ばない。口だけじゃねえんだ。
 腕力はそうでもないけど、法力は強い。剣術もすげー。
 駄目だ。勝てる気ゼロ。

 アタゴテングは言わずもがな。

 天狗の総長だぞ。
 ぼんやりしてるけど、やる時はやるヤツだ。
 なにより山を愛していて、自然を守るあいつを誰だって好きなはずだ。

 じゃあ人間に近いウシワカマルなら……。

 ってあいつ超強いし神代八傑のひとりだ。
 人間離れした体術。しなやかな剣術。
 どれをとっても俺は勝てない。
 ……背、くらいは勝てそう。
 そもそも天狗でもないし、妖でもなかった。規格外で忘れちまってた。

 あーあ。凄ぇヤツらばっかだ。
 俺は、何が秀でている?

「え。可愛さ?」

 ……なんて主《ぬし》さまは俺に言った。

「俺もっと主《ぬし》さまの役に立ちたいのに。可愛さじゃどうしようもねえじゃん!」

 抗議のつもりで耳を甘噛みした。柔らかくて楽しい。

「十分役に立ってるよ。なんでそんなに不安がるの?」

 不安は不安だ。
 俺の腕の中に収まる主《ぬし》さまの小さいのに大きな背中を見ると、不安しか湧いてこない。
 対等でいたいこの気持ちを判って欲しいけど、知られるのも恥ずかしくて、主《ぬし》さまの髪の匂いをかいで誤魔化した。

「……なんか変えた?」
「石鹸変えた。どう? すっきりしない?」
「森の匂いで山にいた頃を思い出すな。じゃあさ、主《ぬし》さまも一緒に行こうぜ。俺つれてくからさ!」

 景色なら俺でも見せられる。気分転換にどうだろう。

「じゃあお願い。よろしくね」

 主《ぬし》さまは羽を撫でてくれた。
 くすぐったくて仕返しに主《ぬし》さまの腹を撫で返した。

「なんでくすぐるの!?」
「だって。主《ぬし》さまが羽触ってくすぐってぇもん」

 すると主《ぬし》さまが撫でるのをやめた。

「なんでやめんの?」
「だってくすぐったいんでしょ」
「撫でられるのはいいの!!」

 主《ぬし》さまの腕を掴んで羽に押し付けると、同じように撫でてくれた。
 羽なしの主《ぬし》さまは羽の扱いなんて知らないはずなのに、どうしてこんなに上手いんだ。

「主《ぬし》さま。こんだけ触らせてやってんだから他のヤツの羽を触るのは駄目だからな」
「ああ、うん」

 気のない返事だ。

「嘘はなし!」
「うん……。そもそもこんなに距離ちかいのコノハだけなんだよね」
「……そなの?」
「そうなの」

 俺だけなんだ。
 俺が一番、主《ぬし》さまに近いんだ……。
 やった!!
 他の天狗より秀でてるところが、俺にもあった。

「じゃあもっと羽の手入れしねぇとな。主《ぬし》さまがもっと触りたくなるように」
「楽しみにしてる。なんなら私が手伝おうか? ほら、後ろは見えないでしょ?」

 手入れは見られるのもされるのも恥ずかしいんだけど、主《ぬし》さまになら良いかなって思えた。

「うん。頼む」

 恥ずかしくて小声になったけど、主《ぬし》さまは笑っていて今度は身体を向かい合わせにして頭を撫でてくれた。
 主《ぬし》さまってやっぱ良いな。
 ずっとこのままでいられたらいいのに。



「あいついつまでべたべたしてんだよ。毎回なげーんだよ。入れねぇっての」





 ◆シュテンドウジ



「頭! こっちだ!」

 シュテンドウジは討伐帰りに偶然、遠征についていった独神に会った。
 そのまま合流して全員で本殿に向かう途中、落石にあってばらばらになってしまった。
 シュテンドウジは運よく独神を発見し、雨宿りの為に古寺へ入った。

「大丈夫か。頭」

 しかしすぐに顔を背けた。
 独神の服は身体に張り付いて白い布越しに青白いものが見えていた。

「ちょっとごめんね」
「……おう」

 背中では柄杓から落としたようにどばどばと水音が響く。
 シュテンドウジも脱げるものはどんどん脱いで床に落とした。
 全ての服が機能していないが、背後の独神を考慮し下着だけは残した。
 気色悪いが仕方がない。

「頭、そっちはどうだ」
「……全滅」

 同じ状況らしかった。

「なら一度おれの方を見てくれ。確認出来たらおれの後ろに座ってな。おれはここから動かねェから」

 独神は「うん」と言った後、やや重量のあるものがどばばと落ちた。
 ぴちゃりと床を数度鳴らし、シュテンドウジの背中が温かくなった。
 この寺で暖をとれるものといえば一つしかない。
 感触からすると多分背中であった。
 シュテンドウジの背中の半分くらいしかないそれに、身に着けた下着が隆起したが、手下の鬼たちの顔を順に思い浮かべて沈静をはかった。

「困ったね。どうやってみんなと合流するか……」
「止むまで待つ。おれたちは動かねェ方がいい」

 山に残した鬼たちを思い浮かべることに一生懸命だった。
 少しでも気を抜くと独神の背中を通じて余計な妄想が膨らむ。

「じゃ……。今晩はこのままだね」
「ああ。そうだな。…………はぁ!?」

 背中越しに独神が震えたのが判った。
 大声を出したことを謝りつつ、シュテンドウジは半裸の鬼たちが相撲をとる様子を想像していた。
 最高にむさ苦しいものでなら煩悩も打ち消せるはずだ。

「火が灯せそう。少し待っててもらえる?」
「おう」

 背中の独神が消えたことに感謝しながら再び手下のことを考え続けた。
 同じ空間に二人きりとはいえ、触れていなければ気を紛らわせそうだった。
 重いものを引き摺る音がし、隣で止まった。

「火鉢は見つけた。……あ、でももう少しそのままね」

 独神はちょこちょこ歩き回ると、シュテンドウジの周囲は賑やかになっていた。
 火鉢と角火鉢、古布や古紙、炭が置かれ、左右で火の温かさをじんわりと感じられた。
 炭が燃える匂いに安堵すると、背中に温かなものが戻ってきた。

「燃えるもの持ってきたから。服は無理でも身体はなんとかなりそう」

 何事もなく終わってくれればと切に願った。
 いつまでも下のことを考えるわけにはいかないと周囲を見回した。
 壁に絵が描かれている。火をくべたお陰でようやく何の絵が判った。
 人々が鬼に虐殺されている絵だ。

「……どうだ凄ぇだろ」
「……うん」

 シュテンドウジは微笑んだ。

「無理すんなって。……ほんとのところはどうなんだ」
「……怖いよ」
「だな。おれもそう思う」

 不思議に思われているのだろうが、本心だった。

「昔はこういうの誇らしかったんだけどよ、今は恥ずかしくてしかたねェ。妖としちゃ殺しは誉れだが、今のおれはそういうの別に興味ねェし」

 独神と出会う前、今から五年ほど前になるがその時は酒の勢いで山を下りて村を襲う事が度々あった。
 一つ潰せば手下たちが賞賛し、他の者には畏れられた。
 それが普通だった。

「……判ってんのか? こんな腑抜けにしたのは誰か」

 背中越しに緊張感が走った。軽く笑ってシュテンドウジは続ける。

「責めちゃいねェよ。今のおれも嫌いじゃねェ。なんたっておれの力がおまえの役に立つんだ。こんなに嬉しいことはねェって」

 鬼の頭目シュテンドウジが唯一頭を下げた相手が、背中越しに無防備でいる。
 今なら。押せばもしかして。邪魔者はいない。いっそ。
 主従とは程遠い不純な感情に呑まれそうになるが、そこは抑えた。

「頭。これからも頼むぜ」
「……うん」

 柔らかな気配が傍にいた。
 無造作に床に投げていた手に、華奢で細い指が撫でる。
 これくらいは許されるだろう、と自分に言い聞かせ、シュテンドウジはしっかりとその手を握った。





 ◆ヨルムンガンド



 ヨルムンガンドは話下手でとてもスマートとは言えないが、独神を海に誘う事が出来た。

「静かだね」

 悪い意味ではなさそうだった。
 独神もヨルムンガンド同様、静寂を苦痛と思わないタイプなのだ。

「海の中ならもっと静かなんだぜ」
「へえ。気になるなあ」
「ならオレ様が……」

 独神を見て、ヨルムンガンドは言葉を切った。

「オマエ……。そうか水の中で息出来ないんだな」
「はは、そうなのだよ。竜宮城へ行った時も乗っていれば息が出来る特別な亀に乗せてもらったんだ」

 他人の話はどうでもいい。

「……独神だろ? なんとかならねえのか」
「いや。それは流石に。私だって万能じゃないよ」

 産まれた世界が違う。
 住む場所も違う。
 自分と独神の間には大きな隔たりがある。
 些細なことだろうが、気になる時には気になるのだ。

「じゃあさ! 用がある時は私が釣り上げるってのどうよ?」

 独神は竿を引く動きをした。

「はぁ? オレ様がオマエ如きに釣られるかっての」

 屈辱的だが、独神に限っては許せた。

「毎日釣れば出来るって! ……あ、だったらウラシマタロウに釣りのコツを」
「オレ様を魚如きと一緒にするな! 自分で考えろ」

 二人で釣りに来ては困る。独神が誰も連れてこないようにしておかなければならない。

「冗談だって。釣りは獲物との真剣勝負。私とヨルムンガンドで知恵比べよ!」

 知恵も何も独神を選んで食いつくだけの話だ。

「持ち上げられるのかな……。水面まできたらあり?」
「知るかよ」

 どうでもいいことだった。
 会いに来るならなんでもいい。
 なんなら自分から会いに行ってもいいくらいだがそれは秘密だ。

「……人魚って見たことある?」
「知らねえ……。海の広大さを知らねぇのかよ。陸地と違って他人と会わねぇのが普通だ」

 深海を好むので殆ど生物は見ない。

「人魚って色々噂があってさ、肉を食べると不老不死になるとか。だから、地上の者を人魚化する薬とかないのかなって」
「手に入れてどうすんだよ」
「ヨルムンガンドと一緒にいるに決まってんじゃん」

 照れながらもさらっと言ってしまう様にヨルムンガンドは黙りこくった。
 みるみるうちに赤くなる。

「……ドクシンさんには羞恥心ってもんがないのかよ」
「言わせたのはそっちでしょ」

 独神の挑発的な顔を歪めてやりたくて押し倒した。

「蛇は執念深いっていうだろ。さすがに逃がしてやらねぇぞ」

 半分冗談だがそれでも雰囲気の為に独神の腕をしっかりと縫い付けた。
 思ったよりも細腕で本当に変な気を起こしそうになるが、

「…………良いけど」

 独神は顔を背けた。
 急に露わになった首筋が気になり、襟の合わせが気になった。
 周囲に生き物の気配がないことを確認して、ヨルムンガンドは迷いながらも襟の重なりに手を伸ばした。

「あ。来客忘れてた」

 拘束がなくなった隙にすくりと立ち上がった。

「ごめん。悪霊の大事な報告があるからちょっと行ってくるね」

 行き場のない手がわなわなと震えた。

「そういうことはまた今度ね。ばいばーい」

 素早い動作で本殿方向へと走って行った。

「……今度っていつだよ」

 まさかのお預けだった。
 独神のことだから、今度がいつになるか判らない。
 だったらその今度を、今夜にしてやろう。
 部屋に乗り込んで独神が再び拒否しなければ、他所の蛇が踏み込んでみても良いだろう。




*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

 ・ヤヲヤオシチ
 放火と殺人、どっちの罪が重いでしょう?
 刑法第108条、刑法第199条で比べると”死刑か無期か、五年以上の懲役”で同じです。
 なのでオシチって人をスパスパ切っている人と同じくらいヤババな英傑ですよね。
「悪い奴じゃないんだけど……」が周囲の評価。
 一見普通に見える強火担。ハンニャと並べるとまともに見えてくる。


 ・キンタロウ
 脳筋でガハハ!!って言ってるだけの人。
 と、思いきや台詞は夢っぽいんだよなー。
 言動にびっくりすることもあるけれど、真っ直ぐ好きになってくれそうなとこがいいとこ。


 ・ライデン
 大勢が平伏し、顔面力の高い英傑が臆する程の美人とライデン付き合ってくんないかなーという願望。
 この話はあの後普通に上手くいって、普通に付き合う。
 ライデンが良い人なのでよっぽどの相手じゃなけりゃ上手くいく。
 高値の花に手を伸ばしてしまったライデン可愛いなあ。


 ・トドメキ
 自由気ままに生きてきたトドメキが、超人気な人を好きになって振り回されるの可愛いだろうなって。
 したくないことはしない。面倒なことはしない。をモットーに生きてきたのに、
 気になる人が出来て、したくないことも面倒なこともすることになるの可愛い。
 もうちょっと経って吹っ切れてくると「大好き」感を出してくれると思うので、そうなると更に可愛くなる。


 ・ハンニャ
 ゲームの中盤から後半?あたりで、あまり見なかった気がする。
 なので私の中でもあまり「ハンニャ!!!」と強いキャラ像がなく。
 設定されている通りにヤベー奴を書いたらヤベー奴になった。


 ・サンキボウ
 陽の者。
 なので今回はやさぐれてもらった。
 自分が大事にされていない(と勘違いしている)状況でも、相手のことを嫌いにはならなそう。
 自分に対しての害だったら、それなりに流していく。
 自分が大切にしている山とか天狗とか、仲間とか、独神とか、そういうものが害された時には天狗的怖い面が出そう。


 ・ビシャモンテン
 ギャンブルキャラ好き。
 ダイコクテンと絡ますよりイシマツと絡ませてしまう悪い癖がある。追加でフクスケも良き。
 極度の楽観主義者かつ自己中心主義者な面見たい。
 その後独神に対する面を見て、ニヤニヤしたい。


 ・シバエモン
 芝居がかった台詞はゴエモンを思い出す。
 さっぱりした性格が小気味いい。
 舞台の上のシバエモンを見てみたいなあ。
 その熱量を目の前で受けたら、私はころっと好きになる気がする。


 ・アギョウ
 鏡花水月は録画していなかった為、アギョウとウンギョウのやり取りが全く判りません。
 カグヤヒメともどう接していたのか不明です。
 完全捏造。
 私の中の失われた八百万界です。


 ・フツヌシ
 十分本編でも祭事でも語り尽くされ、遊び尽くされた英傑。
 わるわるなフツヌシも、よわよわなフツヌシも可愛い。
 本殿に来る前はタケミカヅチをガッツリ玩具にしていたけれど、本殿所属後はあまりタケミカヅチに執着していないイメージある。(書いた話にもよる)
 本殿に来て、多くの英傑達と過ごして、玩具がいっぱいで嬉しそうにしてくれると私が嬉しい。


 ・ヤマヒメ
 金英傑で一番腕力ある英傑。(一位ヤマヒメ、二位華服テッソ、三位浴衣コンピラ、四位サンキボウ、五位ダテマサムネ)
 当時は衝撃的だった。だってサンキボウがずっとつえーと思っていたのに、抜かしたのが女の子!?
 怪力ヤマヒメエピ欲しい。ククノチも忘れないで。


 ・クダギツネ
 管狐なので主人にちゃんと仕えると思っている(やり過ぎることもあるが善意)。
 イベがあったので、ガシャとセットのイメージ。
 ただ私(ヌラ最推し)は、【夜会】英傑伝承の影響で、クダギツネ・ワニュウドウ・ザシキワラシがセット化している。
 可愛い者・背が小さそうな英傑が主人公の祭事があっても良かったな……。
 ツッコミ不在で進行にこまりそうなやつ。


 ・ゴクウ
 知らない子。今回悩ませてくれた……。
 真っ直ぐで可愛い感じの年下系英傑。……で良いだろうか。
 如意棒は物干し竿として持っていかれる時がある。


 ・コノハテング
 いつも可愛い天狗。
 明るそうに見えてコンプレックス強いの好き。
 おすすめは親愛100台詞の「なあなあ、今日は俺の羽、触らねえの? いつ触られても良いようにかなり手入れしてんだけど……」
 頬を膨らませて言うのではなくて、がっかり感が強いのが良い。
 放置50も面白くて「なぁなぁ。たまには俺と手合わせとかしてみねぇか? そんで、勝ったほうが何でも言うこと聞く!」
 ”勝った方が”言う事を聞く。……逆じゃないんだ……って。


 ・シュテンドウジ
 本編でも祭事でも出ている。
 八傑の中でも出演回数は多いんじゃないかと思うので、多分独神達の認識も同じようなものだと思う。
 個人的には相手の顔が判らなくなるくらいボコボコに殴るような鬼っぽいのも、優しいお兄さんしているのもどっちも好きです。


 ・ヨルムンガンド
 可愛い蛇。毒舌がそれほど毒舌じゃない。
 海が好きで、静寂を好むところが好き。
 蛇形態の立ち絵も欲しい。
 上手く説明できないけれど、なんだか物凄く好きな英傑。
 仲良くなった後だと、毒舌もダメージゼロだし、なんだかんだこっちのことを考えるだけの思慮があるし、一緒にいるのが嫌じゃないだろうなと感じる。