第36話-落し物-

黒神として産まれたのはいつのことだろう。
気づいたら俺がいて、そして目の前には何かがいた。

相手が俺へと何かを伸ばす。俺も相手へと己を伸ばす。
触れ合った。相手の存在を。確かめ合った。
そして伝わる、自分以外の誰かの温かみ。

「初めまして、黒神」

初めまして、MZD。
俺より一足先に何者かによって生み出された、存在。
俺の、半身────。

ふたりはひとり。ひとりはふたり。
俺達は世界に産み出された、一つの駒。

二人きりの真っ暗闇で、俺を知るのはオレしかいなくて、オレには俺しかいなくて。
何もないこの世界を、二人で変えていこうと、
俺達は様々なものを望み、実現していくことで二人の世界を創りあげた。
胸を張って大好きだといえる世界を。俺とオレの二人で。

楽しかった。
望むままに変化するこの世界。
オレは俺でもあるというのに、俺にはない発想で世界を創造するMZD。
不変の事象に飽きた俺が起こす変化を、俺の傍で喜んで受け入れてくれた。

やがてMZDは俺たち以外の意思ある生物も創造するようになる。
各自が自由に思考し、俺達とは全く違う動きを見せた。
最初、俺はMZD以外の新たな生物は苦手であったが、交流を重ねていくことで少しずつ慣れていった。

オレ以外の誰かが俺を受け入れてくれる。
俺を望み、喜んでくれる。
それは、とても幸せなことだった。

でもそれが、何時の日か、俺は箱庭の住民から疎まれるようになっていく。
俺の持つ能力が毛嫌いされ、それが段々と俺自身を排除していく流れへ移行した。

奴等は言う。
MZD一人が神であり、黒神は違うのだと。
この世界にはいらないのが、黒神だと。

奴等は俺から半身を奪い、MZDは俺から世界を奪った。




そして俺は、ひとりになった。




何度も何度も壊そうと思った。
世界も、MZDも全部。

なのに、MZDだけは壊せなかった。
手加減するつもりはなくとも、無意識に力を抜いている自分がいた。

俺の怒りの捌け口となったMZDはボロボロになりながらも「ごめんな」といつも謝るのだ。

だが、俺は許せなかった。

俺は否定する。
奴も。この世界も。俺達を産み出した誰かも。奴が産み出した奴等も。
そして、俺は破壊する。
どうせ黒神は誰にも望まれていないのだ。
だったら、この力をもって、俺以外の全てを抹消してやる。

そう誓ったのだ。俺は、昔。

それなのに。
初めて黒神を、破壊を司るこの黒神を褒める人が現れた。
MZD以外で。

そこから俺は、その人を壊せなくなった。
黒神に笑顔を浮かべてくれるその人を、俺は愛してしまったから。
永遠に俺を受け入れてもらいたい。俺だけを見て欲しい。そう思った。

この人は誰にも渡さない。奪わせてなるものかと。
だから俺はこの人が認めてくれた、この力で、立ちはだかるものは全て壊すことを新たに決めた。

例え、半身であるMZDであっても────。

MZDは神であり不死であるため、死ぬことは決してない。
それがいつの間にか存在していた理。
だが、もしもその真実さえも俺の力で破壊できたら。




結果、MZDを壊すことは出来た。
肉体と精神を損傷させることに成功したのだ。
どれだけ探ろうと、奴の反応はない。

成功。紛うこと無き、成功。
これで護られた。誰も俺のを取り上げることなど不可能だ。

だが、俺は気がつかなかった。
気付かないふりをしていた。

俺は俺を護ることでを、壊していることを。
何があっても俺の傍にいてくれたが、とうとう、俺を拒んだ。

その時、MZDを手にかけた後必死に蓋をしていた罪悪感や、
唯一俺を認めてくれたに拒否された衝撃がみるみる膨らんで、

俺は、逃げだした。

恐怖を滲ませた瞳のから。
自分が壊される直前だというのに、いつものように「ごめんな」と言ったMZDから。


どうして俺は。黒神なんだろう。
能力の有無ではなく、俺というものが、黒神そのものなんだろうか。











「ねぇ、ヴィルー、これからどうしよ?」

私は布巾で手を拭きながら尋ねる。
椅子の上で優雅に足を組むヴィルヘルムは、私の淹れた紅茶を飲みながら言った。

「それくらい自分で考えろ」

人を扱き使っておいて、冷たい態度である。
仕方が無いので、そんなヴィルヘルムの向かいの椅子に腰掛けた。

「記憶を取り戻す、なんてことが出来る魔族とかいないの?」
「知らん。いるとしても記憶を消し、改竄することが出来る者だけだろう」

魔族と言う種族は何故だか、能力が悪い方へ傾いている者たちばかり。
他人を幸福にすることばかり考えているホワイトランドの方々とは大違いだ。
私の望みを叶えられる者は魔族の中にはいない、か。

「一つ、試してみたいことがある」

諦めようとしたその時、ヴィルヘルムが言った。
ついて来いと言わんばかりにクロークを翻して消える。
慌ててその後を追って転移すると、突然額に激痛が走った。
堪えきれずにその場に蹲ると、目の前には拳程の厚さの凶器、もとい本が転がっていた。

「魔力というものは、神どもが持つ力とは全く別種のもの。
 奴等の力というものは確かに全ての願いを叶える無限の力だ。
 しかし神である性質上、手を出せない分野というものは存在する。
 魔力でならばそこに関与できるはずだ」

額が熱い。角では無かったのが幸いとはいえ、相当な速度で飛んできたであろう本は面でも十分な攻撃力を持っていた。

「この本には人間である著者が魔族に習い、人の身でありながら魔力を行使する方法を したた めている。
 馬鹿げた話だ。魔族が人間なんぞに手を貸すとはな」

泣けば馬鹿にされるので堪えているが、今にも零れ落ちそうだ。
床が滲んできていてよく見えない。

「聞いているのか。この私がわざわざ教えてやっているというのに」

明日にはたんこぶが出来ていることだろう。

「人間!」

ぐいっと胸倉を掴まれた。溜まっていた涙が揺れで零れ落ちる。
クリアになった視界の中で、ヴィルヘルムが鋭く私を睨んでいた。

「っと……」

痛みのせいであまりヴィルヘルムの話を真剣に聞いていなかった。
誤魔化すために、私は咄嗟に思いついた言葉を吐いた。

「どうしてヴィルがこんな本を持ってるの?
 魔族は教わらなくとも、自分の能力を行使できるんでしょ?」
「……ただの知識欲だ」

無遠慮に掴まれた胸倉はヴィルヘルムらしからぬ、静かな手つきで離された。
何かまずいことでも聞いただろうか。

「え、えっと、ありがとね。わざわざ教えてくれて」

返答は来ない。少し機嫌を損ねたようだ。
これ以上怒らせないように、私は本を持ってさっと自室へ逃げ帰った。
ベッドに座り、古びた本に目を通す。

「うん。読めない」

だがそれは想定の範囲内。
こんなの私が読める必要はなく、本に読ませれば良いのだ。
本を抱いて念じる。あなたの持つ知識を話して頂戴と。
分厚い藍色の本は自立すると、勝手に開いて私の知る言葉で流暢に話した。





「駄目だ。サッパリわからない……」

こんなことまでは想定していなかった。
本が話す言葉は難しく、回りくどい言い回しばかりで何が言いたいのか全く理解できない。

少しでも判れば神様の力でなんとかなると思っていたというのに、思わぬつまづきだ。
折角教本を頂いたが、ヴィルヘルムに聞かないとわかりそうもない。

いや、駄目だ。ここで聞いてはいけない。
ヴィルヘルムなら、もっと自分で考えろとそう言うはずだ。
時間はあるんだ。一人でもっと頑張ろう。

私は試行錯誤を重ねた結果、 この本に簡単な意思を持たせ、私の師となり指導するように命じた。
手足を生やした本は、淡々と私にやり方を説明し実践して見せた。
私は本が行う実際のやり方を真似る。

「……面倒なんだなぁ」

よくアニメで出てくる魔法陣というものを画き、
人が口で発する音や物質を媒介として魔力を引き出すという方法らしい。

「回りくどいことを」
「ヴィル……」

突然現れたヴィルヘルムに抑えられた本は小さな悲鳴をあげ元の本に戻った。

「貴様は本来、ただの人間だ。魔力を行使するための回路が体内に存在しない。
 よって文字や記号を用いて身体の外に作る必要がある」

回路。だから円を画く。力は始まりから終わりへ、終わりから始まりへ向かう。
……みたいなことを、さっき本が言っていた。

「幸い、貴様は神の力は自由自在に用いることが出来る。
 凡庸な人間が行う煩瑣なことを省いて行使することも可能だろう」

先程まで画いていた円は足で踏み消された。
苦労して画いたというのにこの仕打ち。今までの苦労はなんだったのかと溜息が出てくる。

「貴様の体内に十分な魔力が存在する。後は貴様次第だ」

そう言われても、私の中ではいまいちピンと来ない。

黒ちゃんたちの力は少し願えば自然に使われる。
だが、この魔力というものは違うようで、意識しても全然反応がない。
試しに物を動かしたいと願い、先程の本を見る。
思う通りに浮いたが、使用しているのはいつもの力だけで、魔力ではなさそうだ。

「まだまだのようだな。所詮人間の器では無理な話か」

上手く出来ないと悩む私をヴィルヘルムはせせら笑う。
私はむっとして答えた。

「次やれば出来るよ!」
「ほう。ならば見せてみろ」

見返してやりたい気持ちは山々だが、どれだけ願っても
内部にあるその魔力というものに一切の動きが見られない。
体内に陣を画いてみてはどうだろうか、と思って試してみるがそれでも反応がない。

「諦めろ。人間」

"人間"という言葉を用いる辺りが腹立たしい。
だったらなんだというのだ。
私が人間なのは駄目なことなのか。普段は人間として扱わないくせに。
どうしてわざわざ、ヴィルヘルムが嫌う『人間』という種族に押し込めようとするのだ。
よりにもよって……。

「ヴィルがいると出来るものも出来ない。一人でする!」

ヴィルヘルムと同じ部屋にいることが耐えられず、自分から部屋を出た。
扉を閉める前に一つ、頭に過ぎった人のことを聞いてみた。

「……ジャックはいつ帰ってくるの?」
「奴なら遠くへ遣った。今頃は戦場だ」
「……そう」

少しでも良いから顔をあわせたい……だなんて。
ジャックは自分の命を危険に晒している最中に、考えることではない。

ヴィルヘルムとずっと二人きりというのは息詰まるが、耐えられないことはない。
何を言われたって我慢すれば良い。

「……よし」

一人気合を入れなおしていると、城からヴィルヘルムの気配が消えた。
先程閉じたばかりの扉を開いて中を覗き込んだが、先程いた場所から忽然と姿を消している。
ということは、今この大きな城にいるのは私だけだ。

すると急に四方から冷たさが襲ってくる。孤独が浮き彫りにされていく。
私は逃げるように城を後にした。





姿を不可視にしてやってきたのは学校だ。
私はサイバーやニッキーから差し出された手を、押し戻し、背を向けた。
そのことがヴィルヘルムの城で過ごしている最中も気がかりであった。
だが、自分から拒否した手前、顔を合わせづらい。
こっそりと様子を窺ってみよう。

自分の所属するクラスの教室では誰もが普通に授業を受けていた。
見る限り何の問題もなさそうだ。少し移動してニッキーのクラスへ。
ニッキーは授業中だというのに、堂々と寝ていた。
初めて見たニッキーの授業風景に思わず笑ってしまう。

誰も欠けていないことにほっとし、人々の日常を後にした。
私さえ関わらなければ、彼らは平穏な日々を送れることだろう。

そう……私がいなければここは本当に平和な学び舎なのだ。
私さえ、いなければ。
自虐的な気持ちでいると、私の足は自然とあの冷たいヴィルヘルムの城に向かっていた。





この城は冷たい。城自体も、住民も。
黒ちゃんやMZDと過ごした時には溢れていた温かみは一切無い。
辛いけれど、それが私にはお似合いなのかもしれない。
誰にも必要とされていない私には。


いつか壊れてしまうのではと、恐れていた。
私と黒ちゃんと、影ちゃん、MZDの生活はあまりにも幸せで、
一人だけ違う私には不相応ではないかといつも思っていた。

そして、本当に壊れてしまった。
私は、一人になった。

元に戻りたいと頑張っているが、戻れる保障は無い。
MZDに関しては生死すら不明だ。
こんな状況で昔に戻りたいと思う私はヴィルヘルムに言うとおり愚かなのかもしれない。
崩壊の原因である私が、何を言っているのかと。

「……会いたいよ」

ノックも無く、無遠慮に扉を開かれる。
私はもしやと思い、ベッドから跳ね起きた。
しかし、思う人とは違う。肩透かしをくらった私はまたごろりとベッドに寝そべった。

「なに」

期待を裏切られた私は、ひどく落ち込んだ。
私が望んだ人は彼ではない。

「来い」

嫌だ。と、私は寝返りを打ち背を向けた。
すると、ヴィルヘルムに腕を掴まれ、その目に射抜かれる。
煌々と輝く瞳に抗えないと悟った私は、素直にその手に従った。





ぽーんと、ハンマーが弦を叩いた。
一瞬にして音が部屋の隅々にまで行き渡る。
その瞬間、私はただの傾聴者になり、ヴィルヘルムは一人の奏者となる。

上蓋を開いた正面に置いてある簡素な椅子────音が一番よく聞こえる特等席に座らされた。
そこで大人しく、ピアノを弾くヴィルヘルムを観賞する。

演奏中のヴィルヘルムは好きだ。
演奏に集中している間は口を開けないので、私を馬鹿に出来ないから。
それにあの整った綺麗な顔をいくら見ても許されるから。

いつも顔に力が入っているヴィルヘルムの横顔は隙がなく、他人が容易く触れることを許さない、高貴さが滲み溢れている。
私はなかなかこの人に真っ直ぐ見てもらえず、一瞥されるばかり。
私のことなんて、普段はあまり興味が無いらしい。
近くにいても寂しさからは逃れられないのは、そういうヴィルヘルムの無関心さのせいだ。

「どうだった」

演奏を終えたヴィルヘルムが尋ねた。
偶にそうやって私にどんな曲であったか、どう感じたかの感想を聞く。
私は音楽知識が無いので技術的な観点からは何も言えない。
だから、ただ感じたままを素直に伝える。

「水面に映る月のような。とても綺麗なのにそれは本物ではないの」

この答えの正否は判らない。ヴィルヘルムはいつも「そうか」と一言言って、
また新たな曲の演奏を始めるのだ。
感想に対して何も言われないので、私はひどく不安になる。
馬鹿にされないのは良いことだが、気持ちが落ち着かない。

ヴィルヘルムは感情が視えるから、私の今の気持ちを知っているはず。
なのに、一度だって声をかけてくれたことはない。
自分がしたいようにするだけ。
つれない人。

それなのにピアノの音色だけは綺麗だから質が悪い。
きっとピアノ自体が良いものなのだ。
そうに決まっている。
でなければ、こんなに美しく優しげな曲、意地悪なヴィルヘルムが奏でられるはずがない。

────そう思うのに、彼の指先が奏でる音は他の何よりも私に響いて。
燻っている何かに火を灯す。






ここに連れてこられて、どのくらいの時間が経ったのだろう。
相変わらずピアノは綺麗な音を響かせている。
傾聴に飽きているわけではないのだが、先程から寒さで足先が冷たい。
このままいると腹痛を引き起こしそうだ。しかし、演奏中に席を立つわけにはいかない。
どうしたものかと、さっきから私は悶々と考えていた。

ぴたり。
音が止んだ。

私が上の空になっていることに気がついたのだろうか。
私はヴィルヘルムの機嫌を損ねたことを恐れ、目を逸らした。
椅子から立ちあがった音が聞こえる。
どんな言葉で怒りをぶつけて来るのだろうと、私は身構えた。

ヴィルヘルムの手が私の肩に触れた。そして、反対側の肩にも。
視界の両端にチラつく布の端と端を、ヴィルヘルムは私に握らせた。
椅子に座った私の肩から床に届いて余るほどの長い布。

これはクロークだ。ヴィルヘルムが普段洋服の上に纏っている、黒くて背中に×がついているあれ。
わざわざ演奏を中断し、私にこれをかけてくれたのか。
どうして、と目だけで尋ねるが、ヴィルヘルムはもう私ではなくピアノの鍵盤に目を落としていた。

「……ありがとう」

折角の気遣いを有難く受け取り、私は自分よりも一回り以上大きいクロークで身を包んだ。
厚い生地では無いのだが、防寒機能に優れているようで、寒さは感じない。
私にこれを与えてヴィルヘルムは寒くないのだろうか。

「借りてていいの?大丈夫?」

何も答えない。
ということは大丈夫なのだろう。
そもそも嫌なら貸すはずが無いか。
ヴィルヘルムは無理をして相手に気遣うような者では無いのだから。

ねぇ、ヴィル。
どうして優しくするの。ここに来てから変だよ。

そう聞けたら良いのに。
昨日も似たことを尋ねたばかりだから、質問をしたところでしつこいと一蹴されるだけだ。

「ヴィル」

私は、傍若無人な魔族の名を呼んだ。
被り物をしていない、生身のヴィルヘルムが顔を上げる。

「なんでもない」

目が合ってしまった。あまりこういうことが無いために気まずい。
胸の鼓動が激しく鳴り響き、緊張してしまう。抱き締めてくれた時のようだ。
嫌な気はしない。寧ろ、心地よくて。どうして。

「貴様、どうするつもりだ」

何の話のことか判らず首を傾げると、ヴィルヘルムは呆れて言った。

「記憶だ。それ以外に何がある」

思いがけない話題に、私は思わず小さく声をあげた

「早く失った記憶を補完し、この城から去れ。
 私としては欲しい情報さえ手に入れば貴様をここに置く必要はないのだから」

ヴィルヘルムの燃える様な赤い瞳に、私は胸を抉られる。

「でも黒ちゃんのことどうするの。怒ってる黒ちゃんがもしヴィルに」
「必要ない。遠隔操作で貴様を殺す、と脅せば、奴も動けまいて」
「そう……」

ヴィルヘルムではない。異変を来していたのは私自身だ。
ヴィルヘルムは以前と変わらず、私のことなんてただの道具にしか思っていない。
私って、本当に馬鹿だ。
ヴィルヘルムの優しさは、他の人のそれとは全然別ものであることを忘れて、浮かれてしまうなんて。
纏っていたクロークを脱ぎ、簡単に畳んで椅子に置いた。

「……MZDの家に、ポップンパーティー参加者についてまとめてるスケッチブックがあるの。
 それで知ってそうな人探してみるよ」

公式なプロフィールはパーティーに参加する時点で発表されている。
それよりも踏み込んだものが別に存在しているのだ。
それはスケッチブックに色鉛筆や絵の具やクレヨンを用いて、MZDが感じたものがそのまま描かれている。
そこには、詳しい所在地が絵と文字で記載されていて一度も顔を合わせた事がない私でも迷う事無く会いに行ける。
人の日記を盗み見るような後ろめたさはあるが、MZD自身は見ても良いと言っていたので問題はないだろう。

「ほう、それは興味深いな」
「だ、駄目だよ!そんな簡単に人には見せられないよ」

特にヴィルヘルムには。
キラキラしたあの雑記帳が悪い事に使われるなんて考えたくない。

「なに、貴様が恐れているようなことはない。少し参考にするだけだ」

参考と言う辺りが嫌な予感しかしない。

「ついてこないでね。絶対だよ」

釘を刺し、私はMZDの部屋へと転移した。
ベッドに乱れはなく、静まり返っている。
MZDはやはり家に帰ってきていない。
いつも明るく元気な姿を思い起こすと、ここにいるのが苦しくなる。
目当ての物を早々に見つけ、ぱらぱらとページをめくった。

「奴の気配が全くない。で、例のものは何処だ」
「来ないでって言ったじゃん!」

ヴィルヘルムは背後からにゅっと現れたかと思うと、私から雑記帳を取り上げた。
取り返そうとするが身長差がありすぎて、手を伸ばして飛び跳ねても届かない。

「なるほど。奴め、こんなところにいたのか」
「見ないでってば!」

意地悪ヴィルヘルム。
私が雑記帳を力づくで取り返す前に、あるページを開いて私に突きつけた。

「この女なら判るかもしれん」

森の中に一人の女性が描かれている。

「ロキ?……魔女だって書いてあるね」
「奴は占いが出来たはずだ」

なるほど、占いで今後の進むべき道を探れということか。

「行くぞ」
「え、ヴィルも来るの?」
「貴様は何を言っている」

呆れた口調で言われるが、どういうことだろう。
私一人で行くってことでいいんだよね。

「余計な思考をするな」

尋ねる前に私は強制的にヴィルヘルムの力で某所へ転移させられた。
辺りは一面、木々が鬱蒼と生い茂っている。
針葉樹林ばかりということは、気温の低い地方なのかもしれない。

「寒……」

寒い地域だと知っていたならば、上着を持ってきたのに。
先程のクロークは返したし、今の私が身につけている服ではここに長居出来そうにない。

「貴様等、我等の森に侵入とは覚悟は出来ているな」

光の進入を拒む木々の間から、白い洋服を着た女性が浮かび上がる。
MZDの絵と同じ。この人が森の魔女、ロキ。

「魔女風情がこのヴィルヘルムに敵うものか」

会って早々鼻で笑って小馬鹿にした。
お願いする立場だというのに、何故こうも上から目線なんだこの人は。

「突然失礼しました!!!大変申し訳御座いませんでした!!!」

冷や汗を感じつつ、頭を下げる。
ちらりと横を見ると、ヴィルヘルムは偉そうに腕を組んでいる。

「ヴィルも!!!喧嘩腰駄目!頭下げて!」
「何故この私が魔女如きに」
「失礼なこと言うなら帰って!!!」

私は一人、謝罪を繰り返す。
これでは相手から見た私の印象は最悪だ。
これでは頼みを突っぱねられてしまっても文句は言えない。
ヴィルの馬鹿馬鹿。邪魔するなら来なければいいのに。

「……何の用だ」
「え……」
「なんだ、貴様は用も無く現れたのか」
「い、いえ」

一応こちらの話を聞いてくれるようだ。
こんなに失礼な態度丸出しの侵入者二人になんだか優しいような……。
見た目が少し怖い人ではあるけど、実際は心の広い良い人なのかもしれない。

「あの、ロキさんが魔女だっていうのをMZDの持ち物で知って、
 それでそのお力を貸して頂ければと思いまして……」
「ふうん。私の力が必要になるのか、貴様に」
「どういうことです?」

ロキさんは人を小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「貴様からは神と同じものを感じる。それも相当な力の持ち主だ。
 それが何故私の元に来る。本当の目的を言え」
「ち、違いますよ!確かに私は神の持つ力はありますけど、私は人間ですもん」

慌てて否定するが、ロキさんからは疑いの目を向けられ続けている。
私は更に言葉を連ねた。

「あの!私記憶喪失なんです!どうやっても記憶が戻らなくて。
 くろ、──じゃない。MZDも無の世界に落ちたとかなんとかって言ってて、
 とにかく私じゃどうにも出来ないんです!助けて欲しいんです!」
「この娘の言うことは本当だ。力はあっても身体は貧弱、知識も乏しい。これでは力が泣く」

フォローは嬉しいのに、素直に喜べない。

「……まぁいい。馬鹿は好まんが、侵入者としては歓迎だ。
 余計な動きを見せるなよ。人間の身体ならば私にも勝ち目がある」

馬鹿に認定されてしまった。
そのお陰でお願いを聞いてくれる雰囲気にはなったが、釈然としない。

それにしても、何故どの人も他人を過小に評価したがるのだろう。
何かしら力を持つ者は誰しも偉そうになってしまうものなのか。

「では、対価を頂く。貴様が持つものをなんでもいい、差し出せ」
「えっと、例えば何がいいのでしょう?」
「髪でも爪でも血液でも力でも」

意外となんでもいいものらしい。

「魔力なら何時でも供給出来る。くれてやれ」
「その魔族の穢らわしい魔力は願い下げだ」

ヴィルヘルムの目つきが更に悪くなった。
やはりこの二人、似ている。なのに相性が悪い。

「じゃ、じゃあMZDの力を少し、とか?」

冗談である。ただ、この力はどれぐらいの価値があるのかと気になったのだ。

「……いや、それは私の手に余る」

そうなのか。神の力ってやっぱり凄いものなんだ。

「案外使えんな。森の魔女も」

また始まった。
諌めるために口を開こうとすると、その前に反撃の声が上がった。

「貴様こそ。実際に神の力を行使出来ぬくせに。
 純粋な魔族でない貴様がそのような強大な力に耐えられるものか」
「……図に乗るな。殺すぞ」
「やれるものならな」
「ストップ!!!ヴィルも煽らない!ロキさん申し訳御座いません」

ロキさんの頭部がスパークしているように見えたので、慌てて頭を下げた。
MZDの絵にも怒った顔に電気のマークが描かれていたから、きっと今はそれだ。

もう危なっかしくて自由にさせられない。
ヴィルヘルムの発声を全てかき消してやる。
こうすれば、ヴィルヘルムがどんな悪口を言おうと誰の耳にも届かない。

「人間の使い魔に成り下がった魔族が偉そうな口をきくな」

吐き捨てるロキさんの言葉に反論しているようだが、もう何も聞こえない。
とは言え、一切反論できないのは可哀想なので代わりに言ってあげよう。

「ヴィルは知り合いです。使い魔ではなく、寧ろ私が彼の臨時使用人みたいなものです」
「貴様ほどの力を持つ者がこんな輩に?理解に苦しむな」

それにしても、純粋な魔族ではないとはどういうことだろう。
以前高位魔族だと本人が言っていたし、魔界でも他の者に恐れられていた。
ロキさんが勘違いしている可能性もあるが、ヴィルヘルムには私の知らない何かがあるのだろうか。

「それで、対価は何を払う」

今はヴィルヘルムのことを考えている場合では無い。
さて、どうしよう。
髪なんて良さそうだけど、黒ちゃんに次会った時に卒倒されるのも困る。
血液は……少しくらいなら大丈夫かな。

「決めぬのなら、私が決める」

なかなか決められない私にロキさんは焦れたようだ。

「質問だ。貴様と神の関係はなんだ」

一瞬、言葉に詰まる。
私と、黒ちゃんとMZDの関係は────。

「……家族です」
「人間なのにか?笑わせる」

そうだ。私は人間だ。
それも今回、バランスを取っていた三人をバラバラにした張本人だ。
その人間が何を言っているのかと、呆れるかもしれない。
でも、私は──。

「種族や血縁なんて関係ありません。黒ちゃんと、MZDが私の家族です」

私が言える立場ではないことは判っている。
だから、これは私の希望であり、願いだ。
このままなんて絶対に嫌。
あの生活を幸せだと思っていたのが、私だけでないことを、信じよう。

「……面白い童だ」

ロキさんは鼻で笑った。

「対価なしで引き受けてやる。神には借りがあるからな」
「有難う御座います!」

やった。お願いを聞いてもらえる!
膨らむ喜びを噛み締めていると、突然首に圧を感じた。
振り向くと、何とも表現し難い程にに怒っているヴィルヘルムが。
すっかり忘れてたなと思いながら、声を元に戻した。

「……ごめんなさい」
「貴様、後で覚えていろ」

事が済んだら逃亡することは決定だ。

「そこ!ふざけ回るな!」
「はい……すみませんでした」
「ヒステリックに声を張り上げるな。耳障りな」

私はすかさず、準備をしてくれているロキさんに謝罪したというのに、ヴィルヘルムは相変わらず。
これならば話せないままにしておいた方が良かった。
またロキさんの髪が帯電している。

私とヴィルヘルムはロキさんから少し離れて、準備を待った。
ロキさんとヴィルヘルムは近づければ言い合うので、離れるのが一番だ。

「魔女如きが魔族に勝てるはずがあるまいて。奴も身の程を知ればいいのだ」
「聞こえているぞ!魔族墜ちめが!」
「八つ裂きにするぞ」
「貴様如きの力が私に届くと思っているのか!」

離れていても言い合いは止まないようだ。

「ヴィル。もう止めてよ。どうして今日はそんなに余裕がないの?」
「……」

その後、ヴィルヘルムは黙りこくってしまった。
その様子にロキさんは嘲笑っていたが、ヴィルヘルムが一切反応を見せないので、彼女も口を開くことを止め作業に没頭していく。

寒さで指先がかじかみ、少し鼻がむずむずしだしたところで、準備が出来たとロキさんが言った。

「余計な力は使ったりするでないぞ。貴様の場合は私の干渉を跳ね返してしまうだろうからな」
「判りました」

私は首にかけていた、指輪を通したチェーンを取り外し、ロキさんに手渡した。
多分身につけていれば、無意識に使ってしまうだろうから。

そして、指し示された位置に立つ。周囲には変な物が置いてある。
魔女と言っても、私やヴィルヘルムの様に準備なく行使できるタイプではないのだなと思った。
魔女は人間に近いものなのだろう。

「記憶を引き出す。それでいいんだな」
「そうです。黒ちゃん──MZDの兄弟と出会った時から今までの記憶を」

森から全ての音が消えた。
周囲に置かれた怪しげなものがカタカタと震えている。

「キョロキョロするな。瞼を落としジッとしていろ」

言われた通り目を瞑った。
カタカタカタカタと木製の物が触れ合う音がする。
走馬灯というのだろうか。
今までかけられた言葉や、見た映像が次々と浮かび上がってくる。


────「ずっと怖かったんだ。お前がいなくなったらどうしようって」

────「大丈夫。何があろうと俺はの味方だ」

────「言ったろ。俺はお前の全てを受け入れる」

────「……なんで、一番消えて欲しくないものを、無の世界に落としちまったんだよ」




黒ちゃんが一番消えて欲しくないと思うものって────





「……判った」

ロキさんの言葉に、私ははっと目を開けた。

「あの、どうでした!?」
「結論から言って、貴様の記憶は戻らない」

どうして……戻らないの。
今まで保持せずとも何不自由なく暮らせたというのに、知らずに失ってた私の欠片が戻らないことをはっきりと通告されると、不思議と落ち込んだ。
黒ちゃんやMZDとの記憶を永遠に私が思い出すことはない。
二人が私の話をいくらしたって、私はそれが私であると認定出来ずに終わるのだろう。
そんな私を、二人はどう思うのだろう。

「そして、もう一つ────記憶よりもここが重要だ」

私にとっては、記憶が一番重要だ。
きっと魔女の観点から重要だと教えてくれているのだろうが、今の私にはきっと些細なこと。

「貴様は、既に死んでいる」




(12/12/28)