雲が空一面に広がる夕方。サイバーとは帰路についていた。
はサイバーから少し離れた塀の上を歩いている。
スカートの裾をひらひらと舞わせているが、下から内側が見えるかもしれないという考えは一切無いようなので、
サイバーは自主的にを見上げないようにしている。
「今日はね、クラスの人がプリント渡してくれたんだよー」
両手を左右に伸ばしてバランスを取るは嬉しそうに言った。
「それに同じ班になってもね、普通に扱ってくれたんだよ」
彼女の言葉は学校生活を送っていれば当たり前のことである。
だが、彼女の特異性の影響により、その当たり前がなかなか得られないのだ。
「良かったな」
そんな彼女と一年共に過ごしたサイバーは事情を知る分喜んだ。
「サイバーはどう?」
「オレはいつもどおり問題ナシ!」
「ふふ、凄いね」
そう言って、は塀から塀へとジャンプした。
見上げてはいないとはいえ、想像を掻き立てる所作はサイバーにとってあまり好ましくない。
「危ないぞー。そろそろ降りてこいよ」
「大丈夫だよ!落ちない。落ちても受け身取れるもん」
足の幅よりも一回り大きいだけのコンクリートの路では軽やかにステップを踏む。
足場の狭さを思い起こさせない、恐れを知らない伸び伸びとした動き。
しかし、サイバーがちらりとを見た瞬間バランスを崩した。
彼が受け止めるには速さが足りない。
伸ばした手が触れることは叶わず、だが人の手を借りること無くは見事に着地した。
少女一人の重さが落ちる際に鳴るしては、あまりにも小さすぎる音を立てて。
「ほらね」
にんまりと得意げには笑った。それを見たサイバーは呆れた顔を浮かべた。
「使ってるとこ、他の人に見られたら困るんじゃねぇの?」
「困るようなことはしてないよ。それにきっと他の人じゃ判らない」
「そうかぁ?思い込みだろ」
「どうして?人間が不思議な力を持っているはず無いじゃない。
みんなそう思ってる。だから絶対にバレたりしないよ」
はっきりと言い切った為、サイバーは反論する気を失った。
その代わり別のことを言う。
「がバンバンスッゲーことしてんの見てみたいなー」
「なかなか……ね。こちらにいる間は場所がないや」
「どこなら?」
「ヴィルの城。あそこが一番いいな。壊し慣れてるし、直し慣れてるから」
「へぇ……」
微かに口元がひくついたのだが、は全く見ていない。
「後は黒ちゃんとMZDが作った異次元空間かな。何やっても壊れないんだよ!」
「そっか」
以前神によって創りだされた空間で大災害を起こしたが、現実には何の影響もなかったことをスラスラと語るを見ているサイバーは楽しげである。
人を遠ざけるばかりの特殊性も、サイバーにとっては興味深いものだ。
ましてや、が楽しそうに言うので、その感情が感染してくる。
「こっちで使えるといいんだけどな」
「小さなことまでだね。大きいことやったら騒ぎになっちゃうから」
「騒ぎ……か。そうだ……騒ぎにならなければいいんだよな」
そう言ってサイバーは考え込んだ。はサイバーの考えを否定する。
「どうやったとしても絶対に騒ぎになるよ。大きい音がしたり、水柱が立ったりしたら驚くでしょ?」
「ほら、MZDが何したって全部許されてるじゃん!それって神だからだろ
そんな感じで……。そうだよ!なんならもヒーローになっちゃう?」
理想とする答えを思いついたサイバーは、早速自分の仲間へとを勧誘する。
しかし、はその考えを疑問視している。
「うーん……」
「世界の平和のために戦ってます!って。それなら何したってアリじゃん」
「……でも、そんなに毎度は庇え無いし……」
「都合の良い時だけにすれば良いじゃん。ほら、普段は正体を隠してるとか!」
話すほどにどんどんアイディアが湧き出てくることに、サイバーは興奮が止まりそうもない。
今まで見てきたアニメや漫画を参考に、自分の想像力をフル回転させる。
人々が困った時、転移の力を使うが颯爽と現れ、スピーディーに悩みを解決する。
人数が足りないため戦隊ものにはならないが、仲間を作らず孤高に己の正義を貫く姿は格好いい。
それをに変換してみるが、サイバーとしては悪く無いと思った。
「なぁ!どうだ?顔出しNGなら問題ないだろ?」
期待に満ち溢れた二つの瞳がの姿を捉える。
あまりにも強く輝く瞳に、は悪い想像を打ち消した。
「……それくらいなら出来るかもね」
「だろ!ツインヒーロー格好いいだろ!」
「……今週も良かったよね」
「ああ!熱い展開たまんねぇよな!」
二人はいつものようにテレビの話で盛り上がる。
彼らはどんな会話の流れであっても、大抵ここにいきつく。
番組の同じ話について何度も意見を交わし、感想を言い合う。
傍で聞いている者達からすれば同じ内容にしか思えないが、本人たちはいつも楽しげである。
好きな話をしていれば、学校からMZDの自宅まであっという間だ。
「それじゃ、またね」
は手を振りながら、身体を自宅側へと向けた。
今にも駆け出しそうである。それをサイバーは呼び止めた。
「困ったらすぐにオレを呼んでくれよ。オレは皆のヒーローだけど、一番は好きな子のヒーローでいることだからな」
最初はきょとんとしていたであったが、その意図に気づいたのかみるみるうちに赤くなっていく。
「じゃーなー」
サイバーはいつも通りの家を後にした。困惑するを置いて。
サイバーの姿が消え、混乱したまま残されたは全速力でMZDの家の中へと駈け出した。
乱雑に靴を脱ぎ、ぺたぺたと室内を歩いている家主を見つけて飛びついた。
「どした!?」
突然のことにMZDは驚きながらも慣れた手つきで抱き留める。
「あのね、あのね、あのね!!!」
真っ赤になった顔でMZDをじっと見つめている。
なにか言いたげではあるが、何も言わずに目でなにか訴えかけている。
「……あの……あのね……」
その姿に察しのいいMZDは言わんことが判った。
躊躇いながらもその言葉を伝えようとする、形の良い唇に指を押し当てた。
「それは、の胸に秘めておいて」
興奮冷めやらぬであるが「判った」と言って口を封鎖した。
だがその表情は見るものが見れば何であるか判ってしまう。
特に、その顔を傍でずっと見ていたもう一人の神は。
「……。ごめん」
小声で呟いたMZDはの脇腹をがっしりと掴んだ。
呆気に取られて生じた隙を突き、容赦なくその肉を摘み、そして蟻が歩いているかのように微細に撫で上げた。
「っひ、ひや、あ、はは、ら、あはははははは、ら、や、やら、っふふ、ははははは」
くすぐったいと身を捩り、MZDから逃げようとするがなかなかそうもいかない。
笑いすぎて力が入らず、立っているのがやっとである。
「らら、や、ふ、ひゃへ、ふははは、はめ、ら、ふぇへふ」
かくんと膝を折るが、それでもMZDはくすぐってくる。
笑うことで腹部が痛み、呼吸が困難になっていく。
は脱出を祈った。
すると、MZDとは離れたところに身体が瞬時に転移する。
「っはぁ、はぁ……はぁー……もう!!!!」
怒ったはそのまま黒神の自宅へと転移した。
「おかえり。なんだか疲れているみたいだな」
呼吸を整えようと、肩を上下させるを黒神は不審がった。
「MZDが!!!くすぐって!!きたの!!!」
そう怒鳴っては自室へ篭った。
痛むお腹を抑えながらベッドに寝そべる。
もう先程の胸の高鳴りも困惑も、笑い声と一緒に吹き飛んでしまった。
◇
「最近は外へ行かないんだな」
「うん。暑くなってきたし、宿題も多いから」
「ふうん……。まぁ、俺としては、といられる時間が長くなって嬉しいんだがな」
そう言って、黒ちゃんはデスクの上の紙に目を滑らせた。
私が外に出ない理由は、気候でも学校関連でもない。
世界とは隔絶されたこの空間に住む彼が心配だからだ。
私は、MZDが消え、黒ちゃんが消えた、あの日のことは忘れない。忘れられない。
あれは自分のせいだった。黒ちゃんを支えなかった自分が悪かった。
彼に甘え続けた結果があの有様だ。
二の舞にならぬようこれからは出来るだけ傍にいよう。
不安にさせないように。守れるように。
「黒ちゃん、ちょっとMZDのところ行ってくるね。リュータから渡すように頼まれたの」
「ああ。いっておいで。まだアイツ家にいるようだから」
先程はくすぐられて用件を果たせなかった。在宅しているうちに行こう。
気ままな神様はよく家を空けて、外を駆けまわってしまうから。
私は玄関を抜け、MZDの家のリビングへ向かった。小さな神様はいない。
だが、黒ちゃんが在宅と言えば、必ず在宅しているのである。
どこにいるのかなと、今度はMZDの私室に向かった。扉にノックをする。声は返ってこない。
主な部屋にいないとなるとお手洗いであろうか。
さすがにそこに訪ねるわけにはいかないので、リビングのソファーで待つことにした。
カバーがかけられているソファーは肌触りがよくて気持ちがいい。
夕方だから誰も来ないだろうと、私は横になった。
クッションを頭の下に置く。このまま瞼を閉じてしまえばすぐに寝られそうだ。
だが、視界に現れた人物のせいで、私は飛び起きる羽目になった。
「なんで!?どうしてここに!?」
訳が判らないと思っていると、その人物は私の手を無理やり引いた。
腕が抜けてしまうかと思ってしまうくらいに強引に。
何がしたいのか全く判らないが、手を引いてずんずんとMZDの家を闊歩する。
そのままある扉の前に来た。私に顎で指図する。その人はここを突破出来ないからだ。
気が進まないので、首を振るが睨まれてしまう。私は弱り果ててしまった。
勿論私だけ黒ちゃんの家に転移すれば、誰の拘束からもすぐに逃げられる。
しかし、その行動を取ると後々厄介なことになるのが目に見えている相手なのだ。
無下には扱えない。ここは要求を形だけ飲もう。後の判断は黒ちゃんがしてくれる。
「……えっと、何度も言ってるけど、開けても勝手に入らないでね。下がっててね。絶対だよ」
訪問者が嫌いな黒ちゃんを思うと、申し訳ないという気持ちがこみ上げてくる。
心の中で「ごめんね」と呟き、扉を開けた。
デスクに向かっていたであろう黒ちゃんが臨戦体勢を整えているのが見える。
後は知らない。扉を開けるという願いは叶えてあげた。
さあ、逃げよう。
だが、その人物に腹部に腕を回され、小脇に抱えられる方が速かった。
人を荷物のように持ち上げているせいで、腹部に当たるその人の腕がめりめりとめり込む。
「娘を頂くぞ。なに、夕食までの間だ」
上からそんな言葉が聞こえ、次の瞬間には視界にはフローリングではなく石造りの床へと変わった。
私ごと転移されてしまった。残した黒ちゃんを思うと血の気が引いた。
「離して!帰る!」
急いで帰らないと。転移を許してしまった以上、もう機嫌を損ねているだろう。
頭の中で黒ちゃんを座標に指定し、自分の身体が移動するヴィジョンを思い浮かべた。
0.3秒にも満たない。本当に短い時間の話だ。
それなのに、その最中に私は思い切り床に叩きつけられ、腕を大きく背後に回され押さえつけられた。
イメージが痛みでかき消される。
「そう急くな。用が済めば帰してやる」
もう一度転移を試みるが、すると今度は手の甲を叩かれた。
乾いた音が響き、私の頭は一瞬真っ白になる。イメージを阻害され発動まで至れない。
弱点が知り尽くされている。
ここまでされるならばこれ以上の抵抗は無駄ということだ。足掻くことをすっぱりと諦めよう。
「……もうしないから、放して……下さい」
苦しい体勢から言葉をひねり出すと拘束はすぐに解かれた。
床に押し付けられて汚れてしまった服を払いながら、その人に言った。
「……で、何の用があったの。ヴィル」
ヴィルヘルムは鼻を鳴らした。
「貴様は私に誤った情報を与えた。その罰だ」
「そんなことした覚えがないよ」
最後に会ったのはいつのことだろう。殆ど行かなくなったせいで思い出せない。
「以前通りここに来ると言ったことをもう忘れたか。貧相な記憶力めが」
「あ、あれは……。偶には顔見せたじゃん。長い時間はいなかったけど……」
「宣言通り。貴様にはちゃんと来てもらう。それが部下の努めだ」
「私は部下じゃないもん……」
今回連れだされたのは、どうやらあまり重要なことではないようだ。
ただ自分の思い通りにいかないことが気に食わなかっただけ。
それが偶々、今日の夕方に苛立ちが高まり行動に移したということだろう。
力が抜けてくる。そんなことの為に黒ちゃんを怒らせるようなことをしたのかと。
「以前貴様はこうも言っていた。私の命令を五つまでならならなんでも聞くと」
「……二つ目を使うの?」
「まだ一つ目だ」
「ううん。あのお風呂の件で一回消費した」
「何を言う。今回が初だ。全く、数も数えられないのか」
「あれは一回だよ!ヴィルも了承してた!」
過去の映像を遡らなくたって自信がある。
あの時、確かにヴィルヘルムは一回目であることを認めた。
確かそうだ。そうだった気がする。きっとそう。
……そうだよね。
「まぁいい。なら今回も大人しく従え」
ヴィルヘルムはあっさりと引き下がり、私の主張を受け入れた。
だが、それでいいとはならない。
私は首を横に振った。
「悪いけど、それはできないよ」
「何故だ」
「私は……あのままあそこにいるべきだと思うから。本当は一切外に出ない方がいいから」
暗い闇の中で膝を抱えて泣いている黒髪の少年を思った。
しかし、ヴィルヘルムはそれを一蹴する。
「下らんな。貴様の考えることは実に小さい」
ヴィルヘルムは黒ちゃんのことを理解していないのだ。
嫌いだから理解しようともしない。だからそんなことが言えるのだ。
「そうやって貴様達がアレを甘やかすことで、生存能力を低下させているとは考えんのか」
ヴィルヘルムの言葉がぐさりと心を抉った。
悔しいが、その言い分は理解できた。そうかもしれないと思ってしまった。
「貴様等は現在進行形であの男を殺しているのだ。思考を停止させ、自立心を阻害する
そうしてペットのように、世話人がいなければ役に立たない者へ仕立てあげるつもりだ。
貴様らお得意の、優しさというやつでな」
こちらが黙っているならばと容赦の無い追撃が襲いかかる。
私は必死にヴィルヘルムの主張を覆す言葉を考えようとするが全く出てこない。
もう思考は止まっている。彼の言葉に100%ではないが納得してしまったのだ。
自分とMZDは黒ちゃんを蝕む癌なのかもしれないと。
黒ちゃんの為にやってきた様々な事柄が本当に彼の為になっているのかと。
なっていないから、MZDを攻撃したり失踪したのではないかと。
だがこの言葉はただ私を惑わせるだけのハッタリである可能性も拭えない。
今対峙している相手はヴィルヘルム。
今まで散々利用し、惑わし、怒らせてきた者だ。
今回もその類ではないかと思う面もある。
「どうする。貴様はそれでも戻るのか」
しかしだ。
今の私はヴィルヘルムの言葉が真か虚偽なのか判別出来ない。
黒ちゃんとの接し方に悩んでいる真っ最中であるため正解が判らない。
肯定も否定もどちらだって出来る。
私は悩んだ末結論を下した。
「……命令一消化だからね」
ヴィルヘルムはにやりとした。
毎度のことながら、他人が思うように動いた時の彼はとても嬉しそうだ。
本当にこの選択が正しかったのかは判らない。
ただ黒ちゃんが私を連れ戻さない辺りを考慮すると、今日は"まだ"大丈夫なのかもしれないという甘い考えを持っている。
ヴィルヘルムは夕食までと言っていた。今までも前後していたとはいえ大体夕食時には帰らせてくれていた。
嫌いなヴィルヘルムと私が二時間程度共ににいることに、彼は耐えきれるだろうか。
もし、またあの時みたいなことになってしまったら。
「痛っ!?」
また手の甲を叩かれた。
「私の話を聞いていたのか」
「え?何か言ってた?」
自分の世界に入っていて何も聞こえていなかった。
「全く、貴様はこ、」
「そういえばさ!!会わない間ヴィルは何してたの?」
罵倒しようとしていたのでその言葉を遮った。
己の発言を妨害されたのが不快だったようで、少し眉を顰めた。
「……聞かせてやってもいいが、後悔するなよ」
「やっぱりいいです」
その言葉を聞くと元気にやっていたのだろうというのは判る。
元気に何をやっていたかは、深く考えないことにして。
「貴様は周囲で何か変化はあったか」
「変化?……学校の学年が上がったくらい、かなぁ……。特に無いよ」
私個人のことを聞くとは珍しい。何の前兆だろう。
「何か変なの?出来るだけショックを受けないようにするから教えて」
「命令だ。今後一切そのことを聞くな」
「……はぁい。じゃ一回分消費。あと三回だからね」
冗談で命令の消費を言ったのだが、ヴィルヘルムは反論しなかった。
そこまでして聞かれたくないことなのか。とても気になるが、約束は守らないといけない。
「それより、時間が惜しい。人間に成り下がった貴様を元の化け物に戻すぞ」
「元人間のヴィルに言われるのは心外だよ!!」
「構えろ。死ぬぞ」
何度となく言われた言葉に私は呼吸をするかのように即座に防護した。
それでも、重い。ぴしりと防護壁に傷がついてしまう。即席過ぎて硬度が弱すぎたようだ
「何度も言わせるな。貴様は所詮紛い物。神には及ばん。私ですら突破出来る」
紛い物であることは事実だが、神には及ばないはずのヴィルヘルムに突破出来ると言われるのは癪だった。
力を与えてくれた二人のことを馬鹿にされているようなものだから。
私が致命傷に至らない程度の攻撃をしようと構えると、ヴィルヘルムは薄く笑った。
わざと苛立たせたのだろう。判っているとはいえ、この人は本当に……自分勝手。
◇
「起きろ。貴様、脆すぎるぞ」
頬が熱を帯びている。しかもじんじんと痛む。
ヴィルヘルムにぱちんと頬を叩かれた。先程の記憶が無い。私は気絶していなのか。
そして、私が気絶している間、ずっと叩き続けていたということだろうか。
それならばこの激しい痛みも理解できる。それにしても酷すぎる。
「もう起きてる!叩かないで!」
ヴィルヘルムの元から転移し、距離をとった。
彼のコミュニケーション方法に痛みが伴わないものはないのか。
ふと気がついたが、どうして今日は放置されていないのだろう。そこが少し気になる。
「そろそろ貴様のパターンにも飽きた。別の戦術を考えろ」
「別の……?」
「結局私が譲渡した魔力は使えるようになったのか」
「まだだけど……あっちでは練習できないし」
「早急にものにしろ。今日にでもだ」
「でも……上手くいかないんだもん」
「貴様の頭が足りんだけだ。一度見せてみろ」
「今?」
「待たせるな」
そんなことを言われても困る。本当に何も出来ないのだ。
なんとなくこんな感じだったかなと思って、頭の中で魔力の行使を思い描いてみるがやっぱり出来ない。
このような不思議な力は、使用者に確固たるイメージが無ければ行使出来ないものだ。
「……来い」
首を傾げていると、呆れたヴィルヘルムが私を招いた。
恐る恐る近づくと、彼は腕を引いて私を引き寄せる。
思わず胸が高鳴った。
しかし、身体が接触する前に停止させられ、私の左手と彼の右手だけがぴったりとくっついた。
手のひらから手のひらへ伝わる熱。
「温かい……」
「その感覚、もう少し詳しく述べろ」
「手袋ごしなのにぽかぽかする。なんだかカイロを当てられてるみたいに熱いのがこっちに来る」
「その表現については些か疑問を感じるが、判るならいい。それが魔力だ」
そう言うと、ヴィルヘルムの手が冷たくなっていった。
いや、冷たくなったのではなく私の熱が奪われている。
「な、ん……。引っ張られる……何したの」
「そうか……流動を感じることは出来ているようだな。
これを自分の意志で行うことが出来れば事は進展したと言える」
無形である魔力というものはよく判らない。
今も熱かったり冷たかったりということまでしか理解できていない。
私はふとヴィルヘルムの手首を掴んだ。体内の流れを視ようと目に力を込める。
血液のように、体中隅から隅まで熱いもの何かが流れているのが視えた。
多分これが、魔力。
ヴィルヘルムの腕を離し、続いて自分の身体を視る。
ヴィルヘルムと比べれば少量であるが同じものが視えた。これを私の意思で動かすんだ。
私の身体が粟立つ。
「魔力の流れを一点に集中しろ」
そう言って、ヴィルヘルムは私の左掌に指を突きつけた。少し痛い。
痛覚に集中していると、自分の中の流れがそちらに向かっていくのが視えた。
「そのままだ。その溜まった力を貴様がイメージしやすい何かに変換しろ」
イメージしやすいもの……?
神の力は確かにイメージで利用するものであるが、魔力でとなると思いつかない
「思いつかんのか。身近なものだ。今すぐ考えろ」
身近なもの。私は目の前の赤毛の男を見た。
左手の掌から痛みが消えた瞬間、ぼっと炎が出る。
いつもいつもヴィルヘルムが私に向け、放ってきた同じ蒼炎が揺らめく。
「おぉお!!」
成功に胸を躍らせると、すぐにその炎は消えた。
「おぉー……」
持続はしてくれないようだ。
「集中を解くな。魔力の行使は命令式を与えるだけでは成り立たない。
使用する際は常に放出し続ける必要がある」
魔力を体外に出し続ける?
「神の力は命令すれば後は自動的に形になるのだろう。
それと同じくするから、貴様は魔力というものを扱えないのだ」
言わんとすることがなんとなく判ってきた。
神の力はイメージし、具現化した後はなにもしなくていい。
物を創りだす場合ならその一時だけ想像力を使うだけで済む。完成品は私が消えることを願わなければ永久に残る。
しかし、魔力というものはそうではない。
物を創ったとしたら、私が別のことを考えた瞬間消えてしまうのだろう。
私はヴィルヘルムのアドバイスを参考にし、もう一度己の掌から蒼炎を発生させた。
頭の中でちりちりとした炎が燃え続ける。そして現実でも。
頭から炎が消えれば、現実でも、消えた。
同じ事を何度か繰り返す。
複雑なことは行えそうにないが魔力を使用するという点に限って言えばもう自由に行える。
「掴んだようだな。全く手間を掛けさせる」
ヴィルヘルムは肩を上げた。お疲れのようだ。
「お茶淹れます。どうぞお掛け下さいませ」
神の力で出現させた椅子を引いて座らせた。
気の短い彼が怒り出す前に、素早くお茶を淹れて提供する。
我儘なご主人様の気を損ねないよう最新の注意を払って。
彼がカップに手を触れ、口に運び、喉を通っていくまで、ジッと見つめる。
そして感想を頂戴する。
「やはり、貴様の淹れたものはいい。下級魔族やジャックでは繊細さに欠ける」
予想外の賛辞に、私は思わず首を傾げた。
「……さっきから不思議だったんだけど、何か良い事でもあったの?」
「何も」
そう言ってまたカップを口に運んでいく。
お気に召したらしい。しかし、それでも何故こんなにも褒めてくれるのだろう。
嬉しい。
確かに嬉しいし、心が弾む。
次も頑張ろうというやる気を起こさせる。
けれど、明日以降、また口の悪いヴィルヘルムしかいなかったらと思ってしまう。
ここで嬉しさを感じてしまった分、未来の私はきっと悲しい気持ちにさせられる。
彼は私を少し持ち上げて、奈落の底まで落とす人。
素直に賛辞を受け止めることが出来ない。
「さっきの魔力の件だが」
「はい!!」
出来が悪いとか?真似をするなとか?
どんな嫌味や罵倒がその美しい口から紡がれるのだ。
「悪くはない。このまま進歩しろ」
またもや彼は私を褒めた。
「…………は、はい……あり、がとう御座いまし、た」
とっても嬉しいはずなのに、上手く言葉が出てこない。
本当に今日のヴィルヘルムはどうしたというのだろう。
失礼ではあるが、頭を打ったとか病気であるとか、そうとしか考えられない。
「文句でもあるのか。部下の分際で」
「ないよ。……全然。文句なんて……」
これは夢なのかもしれない。
ヴィルヘルムは優しくないのが普通で、優しいのは嘘か夢と相場が決まっている。
「……時間はいいのか」
ヴィルヘルムの城にある時計を見た。
これは私が属している時間軸を正確に示してくれていて、現在夕食の時間を指していた。
「もう帰らないと」
名残惜しい。こんなに優しいヴィルヘルム滅多にないのに。
しかしここで黒ちゃんとの約束は守っておけば、ヴィルヘルムに対する信用が少しくらいは上がるかもしれない。
二人が今度少しでも良好な関係になるためにも、私がここで帰ることは必要だ。
「……帰るね」
ヴィルヘルムは何も言ってくれない。
後ろ髪を引かれているのは私だけなのだろう。
「……また、来るから」
何か一言だけでも欲しくて、私はもう一度別れの言葉を届けた。
彼がカップを持ち上げるのを見て、私は返事を貰う諦めがついた。
身を翻し、転移に気持ちを集中した。住み慣れた家を思い浮かべる。
身体が空間を飛び越える時一瞬のラグがある。その一瞬という隙間に彼の言葉が滑りこむ。
「その言葉、必ず守れ」
どうして、今日のヴィルヘルムは私を喜ばせるのだろう
黒ちゃんのところに帰ってきたのに。
「……おかえり。」
心がまだ、あそこに取り残されたままで。
◇
「……た、ただいま……」
は俺の顔を伺ってるようだ。
突然連れて行かれたことを怒っているのではないかと心配しているのだろう。
「……手を洗っておいで。後、服を払って来るんだ。また暴れまわっただろう」
「判った。すぐ行ってくる」
は頷くと玄関から飛び出した。MZDの玄関先で服を払ってくるのだろう。
アイツの元から帰ってきたは、とても楽しそうに見える。
二人は何をしたんだろう。の身体は魔力まみれだ。
それにに流れている奴の魔力が減っている。魔力を使用したのか、返却したのか。
どちらだっていい。俺以外のところへ行って楽しんだことなんて、聞いてもしょうがない。
いくら我慢を決めたとはいえ、他の男の所に言って笑顔で帰宅されるのは正直面白くない。
そう言えば聞こえは良いが、率直に言えば奴をぶっ殺してやりたい位ムカつくというやつだ。
心の中とはいえ、はそういう言葉が苦手なので控えるが。
こんなに苛立つのも最近のの様子がおかしいからだ。
いったい何を考えているのか検討もつかない。
気遣われていることは伝わってくる。
出歩くことが少なくなり、真っ直ぐ帰ってくるようになった。
だが、本当にそうなのだろうか。誤魔化すために気遣っている振りをしているのではないのか。
くそっ、また俺はを疑ってしまう。どうして躊躇いもなく疑ってしまうんだ。
こんなことだから俺は、に……。
疑おうが疑わまいが、とにかく俺の本音はには言わない。
耐えていればいいんだ。下手に感情を吐露すれば今度こそは俺を捨てる。
黙っていればいい。そうすればは帰ってきてくれる。
「お待たせ。ご飯食べよ」
はもう俺ではなく、テーブルの上に食事に視線を奪われていた。
だからきっと、俺のこの気持ちには気づかない。
いつまで、気づかれないのだろう。
いつ、気づいてもらえるのだろう。
(13/06/14)