第47話-捻くれシンフォニア-

「なんだ、来たのか」
「ご飯までだけどね」

ヴィルヘルムの城に下り立ったはつんと澄まして答えた。
書庫で本を探すヴィルヘルムとは離れた場所に突っ立っており、
所在ない様子で棚に隙間なく並べられた本の背表紙をただ見ている。
一向にヴィルヘルムに近づく様子は無い。
しかしヴィルヘルムが別の本棚へと移動すると、少し時間を置いてから追いかける。
文字を追うヴィルヘルムが偶にの方を窺おうとも一度も目が合わない。
一つ咳払いをすると、ようやくがヴィルヘルムを見た。

「ついてこい」

読んでいた本を棚に戻したヴィルヘルムはその場から消えた。
魔力消費による空間転移。
空間と空間を繋ぎどんなに長距離であろうとも一瞬で移動する。
もそれに続いて空間を転移する。
こちらは同じ空間転移であっても、移動の際自身の存在を世界から消し、
目的地に自分を召喚するやり方である。
ヴィルヘルムが目的地に到着してから転送先の座標を割り出す手間により、
一拍おいてが到着した。

移動先は真っ暗闇であった。
放課後になってすぐヴィルヘルム城に訪れたのだから、
本来ならば現在は夕刻で陽が沈みきっていないはず。
もしやここは別の国、異界であろうか。
一寸先すら判らぬ闇には一歩踏み出す。
靴底から鳴った砂利の音と反響具合から、ここが室内であることを知る。

が周囲を警戒していると独りでに壁に火が灯った。
驚いたが薄明かりに照らされたヴィルヘルムを窺うと鼻を鳴らされた。

「力の元を探れば何によるものか簡単に察することが出来る。
 全て私が答えると思うな」

は壁に掛けられた燭台をジッと見つめる。
蝋燭に灯る炎から微かに魔力の残滓が視える。

「……えっと、ヴィルがやった事……で合ってる?」

ヴィルヘルムは答えることなく、に背を向けたまま古びた部屋の奥へと進む。
諦めたは辺りが良く見えるようにと手のひら大の光の球を作った。
改めて見回すとどうやらここは、今は使われていない教会のようだ。
ステンドグラスは割れ、パイプオルガンも厚く埃が積っている。
礼拝者が一列に座っていたのであろう椅子も穴が開いており、
軽いであっても座れば崩れ落ちてしまうだろう。

何故ヴィルヘルムはここに連れて来たのだろう。
そう思いながらふらふらと歩きまわっていると、
突然冷たいどろりとしたものに腕を絡めとられた。

「っい、ひやぁあああああ!!!!」

見えない力でそれを弾くと後方に逃げた。
掴まれた箇所は異様に冷たく、そして鼻を刺す匂い。

「ヴィル!!」

見ると、先ほどまでいたはずのヴィルヘルムが部屋にはいない。

「全て排除しろ。しくじったその時は……」

高みの見物と言うわけか。
そう言うのであれば仕方がない。
と、自分を捕らえようとした何かを死なない程度に倒そうと気持ちを切り替えた。

ここから逃げ、自宅へ帰ると言う選択肢が、は毎度欠落している。

は手の中の光球を頭上高く投げた。
光を増した球は太陽を思わせる残酷なまでの明るさで教会内を照らす。
一切の闇が払われると、に触れた何かの姿が明らかになる。

「ひっ、きゃぁああああああああ!!!」

絶叫。
は身を固くし、それから視線が離せなくなった。
それは、人間。
だがとは違う。
血の気を失い、微生物に身を喰われ、魂さえも失ったもの。

「っひ、や、び、る、助、や」
「助け?この私の手を煩わせる気か?」

は首を横に振りながら無理無理と繰り返す。
元人間の腐肉の塊──アンデットはゆっくりとに近づいて来る。

「や……」

じりじりと後ずさると、背筋がぞくりとした。
粟立つ肌から不穏な未来を感じ取ったは、
自分の身体を中心とした球体状の防護壁を構成する。
目の前のアンデットから出来るだけ目を逸らさないように、
ほんの少しだけ後ろを見ると、別のアンデットがまさに自分を襲おうとしていたところだった。

「っ─────────」

あまりの恐怖に声すらも出なくなったは腰を抜かして、その場に座り込んだ。
幽霊や魔族は平気なであるが、肘から下が千切れたものや、
目玉を失って眼窩だけになったもの、剥き出しの骨というものに対しては恐怖感情が沸く。
いなくなってしまったヴィルヘルムに心の中で助けを請うがその声が届く事は無い。
ジッとしていれば、どこに潜んでいたのか十数体のアンデット達がに向かってずるずると近づいて来る。
目を瞑り、耳を塞いでしまったはその事に気付く事は無く、ただ震えた。

しかし、防護壁をうっかり作り忘れた足元の床が崩れ、
隙間から別のアンデットの手が伸び、の足を掴んだ。
声無く叫んだは反射的に『アンデットの消滅』を願った。





「たかがアンデット如きに力を使い過ぎだ。全く力の配分というものを考えろ」

体育座りで小さくなっている
教会の老朽化はそのままに、アンデットだけが姿を消していた。
腐肉から垂れていた粘液でさえ、一滴も残っていない。

「恐怖に震えながらもその仕打ちは惨たらしい。
 貴様なら奴らをただ滅するのではなく、
 仮初の魂だけを抜き取る『浄化』も出来たであろうに」

ヴィルヘルムが丁寧にも説明してくれているが、
さっきまで見ていた腐り落ちた四肢が頭から離れないの頭には全く入ってこない。

「いつまでそうしている。早く立て」
「……なんで、こんなところに来させたの」
「意味は無い」
「……帰る」

薄く浮かんだ涙で潤んだ目を擦りながら立ち上がると首根っこを掴まれる。

「……腕は掴まないんだね」
「……」

無言の肯定に当然の反応とはいえ落込む。
消滅を願った事でに付着した粘液も消え去っているのだが、
アンデットに掴まれた事象自体が消えた訳ではない為、酸の匂いが残っている。

「用がないなら帰らせて。お風呂入りたい」
「上を見ろ」

指差す方向に素直に向けば、大きな満月が空を支配するのが見えた。
屋根が無いことにそこで始めて気づいた。
壁の蝋燭が一斉に消えたので、も自身が作った光球を消した。
闇がまた波のように押し寄せる。

「綺麗だね」

闇に浮かぶ大輪が、穏やかな光を二人に惜しみなく注ぐ。
まるで天女の羽衣を与えられたかのように輝く身体。

「やはり、繊細な作りではない貴様には何の影響もないようだな」

ヴィルヘルムの指摘通り、の身体や体調には何の変化もない。

「丸々と肥えた月が昇る夜は身体に異変が生じるものだ」

弱点じみた事を言うなんて珍しいと、は思った。

「魔族って大変なんだね」

その身を案じれば、ヴィルヘルムは鼻で笑った。
または馬鹿にされている。

「そんな事、人の身であった頃の話だ」

は驚いた。
滅多に語られない魔族に堕ちた男の昔話。

「人間の時って」
「その事はいい」

詳しく知りたがったを、ヴィルヘルムは遮った。

「早々に帰るが良い。貴様無しでは生きてはいけぬあの男の元へと」

夕食の事を思い出し、ははっとした。
時計はなく正確な時間は判らないが、体感からまだタイムリミットには早いように思う。
それに人を捨てた男の話をもっと深く知りたい。
その為には少々の門限くらい無視したって構わないとも思った。

しかし。

「神の意思に背く者は総じて滅びる運命だ」

脳裏に漆黒の髪をもった少年がよぎる。
は何も言わずに自分が帰るべき場所へと戻った。
銀色に輝く月が、丸い時計へと変わる。

「おかえり」

ふわりと抱きしめる黒神に腕を回した。

「ただいま」

そう答えるの目が黒神に向いていない事に気付いたのは影だけだった。
嬉しそうにの頬に頬を擦り寄せた黒神が顔を顰め、
破壊の力を湧きあがらせた事に気付いたのも影だけだった。

「あ、黒ちゃん!抱きついちゃ駄目!さっきベトベトに掴まれたの!」
「!?」











「すっごーい!!ヴィル。もっと教えて!」
「時間だ」

時計を見ると、夕食の時間が後二分というとことまできている。

「で、でも、もう少しくらい……」
「その言葉が通用する程甘くない事を、貴様が一番知っているはずだ」
「……そうだね」

後ろ髪を引かれながらも、私はヴィルヘルムの城を後にした。
リビングに着けば「おかえり」と言われ、
私は「ただいま」と返しながらも物足りなさを覚える。

いつもそう。

放課後から夕御飯までの時間なんて所詮数時間。
遊ぶにも学ぶにも話すにも戦うにも時間が足りない。
消化不良で帰宅して、苦い顔した黒ちゃんに出迎えられる。
何にも良い事がない。

あの時の黒ちゃんに戻ってしまうから本当は何処にも行くべきではないのに。
ちゃんと判ってるのに。
それなのに私はヴィルヘルムのところへ行ってしまう。
命令されたからではない。
これは自分の意思だ。

自分の意思で黒ちゃんを裏切っているのだ。

彼には私が必要であると認識していながら、彼以外の誰かを求めている。
私の日常はもう、彼以外の沢山の誰かもいてこそ成り立っているのだ。
こんなことを思う私を、きっと彼は望んでいないだろう。

だから私は、ズルい事を考えた。

「魔力の消し方を教えて欲しいって?」

驚くMZDに私は頷いた。
私が黙っていても、黒ちゃんにはヴィルヘルムと接触した事が筒抜けである。
どうやらヴィルヘルムと接触する際、彼の魔力が私の身体に付着するらしく、それで知られてしまうそうだ。
だったら、その痕跡を消してしまえば。
そうすれば、私は黒ちゃんを怒らせる事なく自由に出来るのではないかと。

「……それはさ、……黒神に隠してまでやらなきゃならないことなのか?」

静かな非難に胸が酷く痛んだ。
私は何も答えられず、口を噤む。

「あ、いや……。そういう意味じゃなくて……」

この反応は当然のこと。
黒ちゃんの事を考えればこんなこと絶対にすべきではない。
MZDなんて、そのせいで殺されかけたのだ。

「……ごめんなさい。変な事言ってごめん」
「や、だからさ、その、いつも通りにヴィルヘルムと楽しめば良いんじゃん?
 そんなさ、わざわざ痕跡消すとかしなくたって……な?」
「そうだね。いつも通りでいいよね」

MZDの言葉で熱くなっていた頭が急速に冷えていく。
そうだ。
そうなのだ。
卑怯な事は良くない。
自分がやましいと言う事はしない方が良い。
きっと後々後悔する。

「ありがとね。私、もう変な事考えない事にする!」

MZDの言葉のお陰で、間違いを犯す前に踏みとどまる事が出来た。
教えてもらいに行って良かったと心から思う。
もし一人で突っ走っていたら、取り返しのつかない事をしてしまうところだった。










────夜。

私は寝るという行為が好きだ。
ふかふかの布団に包まって飛んでいく夢が大好きだ。
そこは、私の好きな世界が広がっているから。
幸せに満ち溢れた、私の世界。理想の現実。

「ヴィル……私の事、どうでもよくならない?」

あの城に置いてあるいつもの椅子に掛けながら、正面のヴィルヘルムに問うた。

「貴様の能力は利用出来る。手中に収めるまで、追いかけ続ける」
「本当に?」
「偽りはない」

そう言って、ヴィルヘルムは私に近づくと、頭の上に手を置いた。
その手は────冷たい。

見上げて表情を見ると、薄く笑っていた。
笑ってた。
笑って、私に触れてた。

ヴィルヘルムの手は、冷たくなんて無い。
こんなに笑ってくれることも、無い。

「こんなの、全部嘘だよ!!!」

私は自らの手で、幸せで都合の良い世界を粉砕した。
そして、夢を見る事を止めた。











「また来たのか」

首を振って肯定すると、ヴィルヘルムはマントを羽織った。

「外に行くの?」
「少し用がある」

多分、暗殺に関する事だろう。
そういえば、彼は暗殺現場に私を連れていった事がない。
惨劇が苦手な私を連れて行っても使えないと言う判断だろう。

「随分経つが、あの男はまだ私を殺しに来ないのか」
「……なに、言い出すの?」

身支度を整えながら、軽い雑談のようにヴィルヘルムは言った。

「まさか、可能性が無いと本気で思っている訳ではあるまい。
 奴は神をも殺す神だぞ」

その言葉の重さに私は腹部を殴打された時のような衝撃を受けた。
その未来を想像すると、激しい震えが私を襲う。

誰よりも近くでMZDと黒神という双神を見てきたからこそ。
神としてではなく、個人として見るが故に、
黒ちゃんが兄であるMZDを殺意をもって襲った事が、怖かった。

神殺しなんて口にするのも恐ろしい所業だ。
思いだしてはいけない感情が噴き出し、独り言つ。

「黒ちゃんは……MZDの事を嫌いって言ってても、……ほんとは、好きだと、思ってた。
 でも違った……違ったんだよ。壊したくなるくらい嫌いなんだ。
 いつもはあんなに普通なのに……笑ってるのに……。
 それとも破壊を司るってこういう……事……?」

最後は一縷の望みを持ってヴィルヘルムに尋ねた。
私は信じたいのだ。
MZDを滅しようとしたあの時の行動は、黒ちゃんの意思ではない、と。

「ようやくあの男の本性に気付いたか」

その言葉に私は心の底から救われた。
やっぱりそうか。破壊神であることを運命づけられたせいか。
私としては、彼の中に兄への殺意が無いのであるならば、それでいい。

「破壊神である所以。奴は壊さずにはいられないのだ。
 それが奴に植え付けられた本能」

いや、でも……本当に、それで全ての問題は解決しているのだろうか。
私は何か、見落として────。

「貴様もいずれは……」

部屋の隅を張っていた小さな魔族が、ヴィルヘルムが起こした炎によって焼き殺された。
あまりに突然降りかかった災厄に、あの小さな生き物は死すら理解する暇さえなかったかもしれない。
絶対的な強者による暴力による結果は、なんと呆気ない。

もしも、その強者が、全てのものの頂点に君臨する、絶対的な破壊神であったのならば。

「で、でも!……私は、死んだはずの私は、今生きてるよ。
 それってきっと二人のお陰でしょう?」
「そんなもの、アレの力ではなく片割れの方のものだろう。
 奴は創ることが出来ぬのだから」

そう言い残すと、ヴィルヘルムは城から消えた。
胸中で膨らむもやもやした気持ちの行き場を失い、私は溜息をついた。
変な話をしたせいで、今あの家に帰ったところで上手くやれる自信が無い。
ヴィルヘルムの城に行った事はすぐに判るだろうし、
その上様子がおかしければヴィルヘルムに追及の手が伸びるに違いない。
気持ちが十分に落ち着いてから帰る必要があるだろう。

「おや、今日はお嬢さんいるんですね」
「っ、ジズさん……。こ、こんにちは」

入れ替わりでジズが現れ、私は言葉に窮した。

「どうしたんです?折角の可憐な顔が台無しですよ。
 まあ、身体の大きい状態の貴女では全く可愛くありませんが」

相変わらず私の本来のサイズを好まないジズに、呆れると同時に安堵した。
この調子で話していれば、そう時間をかけずとも黒ちゃんの前に帰れそうだ。

「どうしたんです?ヴィルはさっき行っちゃいましたよ」
「それは残念。ではお茶でも淹れて下さいますか?これでも私客人ですから」

こんなに図々しい者を客扱いというのも腑に落ちないが、久々の再会だ。
もてなそうじゃないか。
私の家ではないが、勝手に水場を利用し、勝手に下級魔族に手伝わせ、
勝手に茶葉を使って紅茶を淹れる。

「突然でしたから、特にお茶請けはないんですけど」
「これは失礼。しかし使用人ならばそこまで気を配るべきですよ」
「失礼しました」

特に意味のないやり取りをかわしながら、私たちは主不在の城でいつものティータイムに突入した。

「最近は心踊る出来事が無くて。貴女は最近どうです?」
「私はそれなりに。人間に悩まされる事は多いですが、
 友人らは変わらず優しくて、平和な日々を与えてもらってます」
「そうですか。貴女は私たちがいなくとも楽しそうですねぇ」

小さな棘がちくりと胸を刺す。

「別に、そんなこと……」
「残念ですね。折角友人となっても貴女が外に出ないのでは」

かちゃりとなる茶器。

「きっとヴィルヘルムも寂しがってますよ。
 あの高慢ちきが、来るか判らぬ貴女に合わせて夕方ここにいるんですから」

予想だにしなかった言葉に私は品が無いとは承知の上で吹き出した。

「ふふ。そんなの偶然ですよ。だってヴィルですよ?
 自己を軸に考えるあの人が他人に、
 それも人間の私に合わせるなんて、絶対にあり得ない」

そうですよね、と返されるとてっきり思っていたのに、
ジズが私を見る目は実に冷ややかであった。

「おばかさん」

そして、私の胸に手を伸ばす。
何をするのかと身構えているとネクタイを引き、結び目を直していた。
こういう所だけ、黒ちゃんみたいに細かい。

「淑女ならば紳士の前では、精一杯着飾り身だしなみに気を配りなさい。
 でないとエスコートのし甲斐がない」
「そ、そりゃ事前にジズさんと会う約束してたら、
 もうちょっと綺麗にしてましたよ」

言い訳をすると、わざとらしい溜息を吐かれる。

「ヴィルヘルムは無様にも身を削っているというのに、
 貴女はいつもどおり何もしないのですね」
「別に……私は……」

ジズの言いぶりに物申したい気分であったが、上手い言葉が見つからず、
残る紅茶を全て飲み干した。











「ごめんなさい」

私は家人に気取られぬよう、こっそり夜を抜け出した。





(13/11/02)