二度目の夜を駆ける 五話-富士山 弐-


「返して! 私の身体を返して下さい!! 姉様!!」

 桃色の髪を乱した仮面の女性がコケムスメさんに叫んだ。

「サクヤちゃん……」

 コケムスメ……いいや、”イワナガヒメ”さんは岩山から飛び降りた。
 「あのね」と言いながら顔を伏せ、もじもじと両手の指先を合わせた。

「サクヤちゃん。……その……この身体のことなんだけど……私がわる、」 
「サクヤヒメの身体を元に戻して!」

 コノハナサクヤさんの影から突然男性が飛び出した。
 ふわりとした少し癖のある髪を後ろに束ねた青年は、腰に淡い光を放つ大剣を下げている。このひと自体が光を放っているように見えるのは私の目がおかしいのだろうか。

「ニニギ様……!!」

 イワナガヒメさんが後ずさるとそれを追うようにニニギとやらが前に出た。コノハナサクヤさんを庇うように。これは噂にあった三角関係の一角ではなかろうか。

「そうですか。ニニギ様にお話ししたんですね……」

 一転、男の影でよく見えなくなったコノハナサクヤさんから目を逸らさず唸るような低音を響かせた。

「いえ、ニニギ様が偶々いらして」
「そうでしょうね。ニニギ様はサクヤちゃんなら訪ねに来て下さいますものね……」

 藤色の髪の毛がふわりと持ち上がり、辺りの木々がざわめきだした。鳥たちが一斉に飛び立つ。
 どんどん不穏な空気に塗り替わっていく。────まずい!!

「こ、コケムスメさん! この方お知り合いですかあー? 紹介して欲しいなーなんて」 

 ドンッとイワナガヒメさんに体当たりするように抱き着いて、敢えて空気の読めない発言をした。

「コケムスメ……?」

 ニニギさんは首を傾げているが、そんなことはどうでもいい。

「っ……! あ、あの、ち、近いですわ! あのあの、もう少し、その、すみませんすみません!」
「あははごめんなさーい」

 顔を真っ赤にしながら私を剥がすと、頬に手をやり目を見開いてブツブツと呟いている。私の知っているイワナガヒメさんに戻って一先ず安心した。

「ほんとそれ。いきなり出てきて何様?」

 モモタロウくんの偉そうな態度もイワナガヒメさんの気を削ぐことに貢献し、目論見通りあたふたしている。

「お、お二人とも! あちらは、その」
「君たちこそイワナガヒメさんに何をしたの! イワナガヒメさん早くこっちに! 騙されちゃ駄目だ!」

 ニニギさんが手を差し出した。一瞬驚いた顔を見せたイワナガヒメさんは目を伏せて首を振った。

「違いますわ。こちらの方々は悪い方ではございません」
「はぁ? 僕を悪と見間違うなんて礼儀がなってないね。名前くらい名乗れないの? 子供でも出来るけど?」

 そこまで煽らなくとも。

「僕はニニギ。ここにいるコノハナサクヤの、恋人だ」

 私の勘違いでなければ、今ピシリと空気にヒビが入った気がした。

「へ、へえ。そうですの……」
「あの、姉様」
「やっぱり。そうなんですね。じゃあ父様にお会いしたんですね。お許しが出たのですね。そうですか。そういうことですか」
「姉様。違うんです! 違、」
「何も違いませんわ!!!」

 裏返り気味の甲高い声が昔の記憶とダブった。手が震えてくる。

「……身体は返しません。そして我が身ごと滅びてしまえばいい!」

 言っていることが無茶苦茶だ。それが余計あの人と似ている。
 瞳孔の開いた眼を吊り上げて感情のままに捲し立てる。理屈は通じない。ただひたすら、可哀想な自分を語り出す。……あの時だって、

「主さん!」

 モモタロウくんに身体を引かれると、私の立っていた地面からは鋭利な岩の杭が生えた。

「ぼさっとしない! 主さんを頼んだよ!」

 私をヌラリヒョンさんに押し付け、イワナガヒメさんに斬りかかる。

「っ!」

 モモタロウくんの前で手を広げて立ち塞がったのはニニギさん。

「やめて! その身体はサクヤヒメのなんだ!」
「そうですわ。どうせサクヤちゃんの身体は傷つけられませんものね。私と違って」

 イワナガヒメさんは地面から突き出した鋭利な岩に触れ、オーロラのように煌めく剣を引き抜いた。

「お山でコノハナサクヤを褒めるとその容姿の美しさに妬むイワナガヒメによって不幸になる、ですって。笑ってしまいますわね。だったらいっそ、私がコノハナサクヤになって差し上げます。そうすればニニギ様も私を見て下さいますか? 今度こそ私を追い返さずに嫁として受け入れてくれますか?」
「関係ない! 僕はそれでもサクヤヒメだけを愛する!」
「ニニギ様やめて! 姉様違うんです! 私は二人でお嫁に、」
「聞きたくありません!」

 非常にまずい雰囲気なのはいやでも判る。
 私を後ろから抱えるヌラリヒョンさんが会話中にどんどん彼らから距離をとっていく。反対にモモタロウくんは他三人へとじりじり距離を詰めている。

「ならばこのまま私の身体を斬りましょう。目も当てられないほどに醜くすりつぶしてさしあげますわ!」

 イワナガヒメさんがコノハナサクヤさん目掛けて斬りかかる。モモタロウくんが刀で防いだ。

「いい加減にしてよ! 結局誰を斬れって言うの!? コケっ、イワナガヒメさんも落ち着きなよ!」
「無理です。父様も了承なさったのであれば、もう覆る事はありません」

 二人の斬り合いが始まった。互角の勝負。
 さっき遊んでいた時はモモタロウくんの方が強かったのに。
 それに楽士の身体では思い通り動かないはず。どうして。

「ここはイワナガヒメが神として最も力を発揮出来る領域。地の利はあちらにある。だから儂らの想定をゆうに超えてくるぞ。だからこそ、ここでの戦いは避けねばならぬ」

 じりじりと逃げているヌラリヒョンさんが私の胴体を引きながら教えてくれた。

「……噴火は止まぬ。あの様子では色恋沙汰に夢中でにっちもさっちもいかぬだろう。其方は儂とさっさと逃げるぞ」

 噴火の鎮静化を頼める空気ではなかった。各々の事情も判らないので調停も出来ない。せめて三人が冷静でいてくれれば話し合いも出来たのだろうが、イワナガヒメさんは私に攻撃するくらい激高していたので望みは薄い。
 なんとかしてあげたいのだが……。

「あの、モモタロウくんは? どうやって合流を?」
「儂は其方の事を頼まれたのだぞ」

 馬鹿なことをしないよう見張っておいて、の頼むだと思っていた私はそれ以外の解釈に思わず声が漏れた。舎弟になったからには命を張って親分を守らないといけないとでも考えているのだろうか、あの石頭は。
 ヌラリヒョンさんもヌラリヒョンさんだ。
 何の疑問もなくどうして私だけ連れていけるのか。
 二人とも最近まで関係が悪かったくせに、なんでこういうところだけは息がぴったりなの!
 愚痴は置いておいて、モモタロウくんをこちらに連れてこないと。噴火時点で共にいなければ百鬼夜行に乗れない。身体を捩ってみたが回された腕が強くなるばかりで抜け出せなかった。

「儂も手段はあまり択ばぬ方だ。出来れば傷つけたくない」

 まさか殴ってでも連れて行くつもりか。

「モモタロウくんだけ連れて来させて下さい!」
「いいや。そう言って其方は必ず”全員を助ける”などと言い張る。そうやって絵空事に過ぎぬことばかり言ってきたではないか」

 ……ぐうの根も出ない。
 もういい。説得できないなら出し抜くしかない────。

「悪霊か! こんな時に」

 数体の悪霊と鉢合わせになった。剣を片手に倒している間に、私はするりと逃げ出した。ヌラリヒョンさんが何か言っていたが意識的に聞かなかった。幸いな事に頂上までは悪霊には遭遇せずすぐに戻って来れた。
 そこには頭部から血を流すニニギさんが倒れていて、その近くにコノハナサクヤさんが……いない!?

「馬鹿! なんで戻ってきたの!」

 どこからかモモタロウくんが罵倒する。きょろきょろと見回していると足元の地面がせりあがった。

「ひゃあ!?」

 尻もちをついた拍子に上空を見ると大岩が私目掛けて落ちている。
 圧死!?
 と思ったら、私に当たる前に炸裂した。砂に近い小石が肌に当たって少し痛痒い。

「どうして……」

 宙に浮いた岩に立つイワナガヒメさんは私を見て驚いていた。ということは、岩が壊れたのは私のいつものアレか。
 だが姿を見せてくれたのは好都合。対話を試みてみる。

「コケムスメさん! どうしちゃったんですか! 国津神として会いに行くって、一緒に来て欲しいって言ってたじゃないですか! 私はコノハナサクヤさんなんて知らないからどうでもいいんです! ニニギってのも知らない! 私はコケムスメさんが良ければそれで良いんです!」

 嫁に来た姉妹の一人だけを返すような不埒な男神なんかに良い印象はない。コノハナサクヤさんはよく判らないので思い入れはない。申し訳ないけれど。

「嘘です。あなたも思ったんです。本当の私を醜いって。こんな私を醜いって!!
 父様にも見捨てられた。私なんて、醜いだけの駄目な娘なんです!!」

 頭を押さえてヒステリックに叫んでいる。私たち誰も悪く言っていないのに被害妄想に浸ってしまって話が通じない。
 このひと、こんなひとだっけ……? 違和感がある。
 だってイワナガヒメさんは会ってすぐに謝ろうとしていた。様子が変わったのはニニギさんが現れてから。余程の地雷なのだろう。なにせ人格すら揺るがしているのだから。何をしたらここまでひとを傷つけられるのか。
 二人はニニギさんを好きで、でもニニギさんはコノハンサクヤさんが好き、までは良い。
 追い返されたとか、姉妹でお嫁にだとか、三人の複雑な恋愛事情は何一つ判らない。
 かろうじて判るのは姉であるイワナガヒメさんが妹に対してコンプレックスを抱いている事で、中でも容姿に一番劣等感を抱いていてニニギさんにフラれた理由のようだ。常に血を分けた身内と比べ続けられるのはどれほどの苦痛だろう。
 でも……なんだろう。それらが理由だとしてもしっくりこないのは。

「主さん!」

 ようやく姿を見せたモモタロウくんが隣に来た。

「イワナガヒメさんをどう思う? 妹とその彼氏がムカつくにしても少し変じゃない?」

 モモタロウくんも違和感を抱いている。

「人が変わったみたいだよね? ……今改めて考えたけど、あれはコケムスメさんじゃないかもしれない」
「どういうこと」
「私、この気持ち悪さには覚えがある。江戸で散々感じた」
「悪霊……!?」

 さっきヌラリヒョンさんをまこうとした時にグッドタイミングで悪霊が出現した。私の願いが叶えに……なんてお助けキャラなわけがない。多分この件に悪霊が絡んでいるのだろう。どこまでかは判らない。でもイワナガヒメさんの変容は行き過ぎている気がする。彼女と過ごした時間がそう言っている。あのひとはモモタロウくんと違って落ち着きがあった。自分の立場を理解する理性的なひとだと思うのだが……。
 それはただ私が、そうあって欲しいと願っているだけなのだろうか。

「イワナガヒメさんは僕が相手する。主さんはコノハナサクヤさんを助けて。さっきイワナガヒメさんが海に落とした」
「落!?」
「ニニギさんは庇ってたけど、あの通り。純粋な腕力じゃイワナガヒメさんの方が上だ」

 事をややこしくしにきただけなのかこのひと。
 今の所良い印象が全くないのだけれど……。

「モモタロウくん、ニニギさんも守ってあげて」

 私の無茶苦茶な頼みに、モモタロウくんは小さく笑う。

「知ってた。いいよ、やってあげる。だから君も安心して、」

 足場が崩れていく最中、モモタロウくんが私を突き飛ばした。落下しながら上空でモモタロウくんがイワナガヒメさんの剣を抑えていたのが見えた。
 私はそのまま背中から海に落ちた。慌てて足を動かすがどこにも引っかからない。服が重くて足が疲れる。海の冷たさも相まって頭は真っ白人なる。
 するとまた足元がせり上がった。呼吸が出来た事にほっとしたのも束の間。私の下にいたのはカメだった。神社へ行く途中、サメと一緒にいたウミガメのように見える。

「私をどうする気? ねえ、なんで喋らないの? 浦島太郎の話じゃカメは喋ってたけど? 八百万界は童話の世界とも繋がってるんでしょ?」

 カメは黙ったまま私を運ぶ。これはもしかして仲間のサメの所へ連れて行って食わせるつもりだろうか。
 降りて逃げるにしても溺れ死ぬのが関の山。悩んでいる間にカメは大岩に沿うようにぐるりと泳いでいき浜辺に着いた。そこで身体を斜めにして無理やり下ろされた。そしてそこには横たわるコノハナサクヤさん……の人格が入ったイワナガヒメさんの身体があった。
 一先ず揺り動かしてみると、ぱちくりと目を開けた。

「あれ、私。そうだ、姉様! ニニギ様!」
「落ち着いて」

 暴れようとするのでカメたちと共に抑えつけた。すると彼女はカメと私を交互に見た。

「姉様の亀……それに貴方! 姉様とどんな関係なんですか!」
「そんなことよりお姉さんと何があって、どうしてあんなことになっちゃったんですか! 多分悪霊に何かされたんですよ! だから早くそれっぽいこと教えて下さい! モモタロウくんだっていつまで止められるか判らないんですよ!」

 話すうちに私の方がパニックになっていく。
 モモタロウくんとイワナガヒメさん、それに置いてきちゃったヌラリヒョンさん。
 もう江戸のような惨劇は懲り懲りだ。
 戦えない分私が原因くらい究明しなければ。早くしないと全員噴火に巻き込まれてしまう。

「落ち着いて下さい」

 コノハナサクヤさんに諫められた。これではまるっきり立場が逆である。ともかく私は深呼吸をした。

「先程悪霊とおっしゃいましたね。それはどうしてですか」

 突然冷静になるコノハナサクヤさんに薄ら寒くなる。女の子と接している気がしない。生まれながらにして支配階級に立つ神という存在に私は気後れしながらも答えた。

「イワナガヒメさんに悪霊と同じ雰囲気を感じました。もしかすると悪霊による偽物かも」
「あり得ません。それは妹である私が保証します。あれは姉です。剣の形状も岩を操る時の霊力も幼少の頃よりずっと感じてきたものでした」

 じゃあ。

「悪霊に操られている。とか」
「可能性は高いです。本当に悪霊が糸を引いているのならば」

 私を冷たく見据えた。

「貴方が姉様に何か術を施したのではありませんか」
「どうやって!?」

 心外である。しかもこの流れで笛を吹き始めた。
 少し耳障りで、あまり上手とは思えない演奏だ。

「効かない!?」

 あ、今攻撃されていたのか。
 笛が上手だとは聞かされたが、攻撃の意思があると不快な音になるのかもしれない。

「怪しすぎます……」
「疑ってる場合じゃないでしょ!」

 と言っても、こんな時だからこそ警戒するのだ。私もちゃんと説明しなければならない。

「私と黒髪のモモタロウくんと、白髪のヌラリヒョンさんは三人で旅をしています。途中で富士山噴火の話を聞き、沈静化を依頼する為にコノハナサクヤさんを探していました。偶然見つけることは出来たのですが、彼女からイワナガヒメがいなければ無理だと言われました。それで彼女と一緒に雲見浅間神社まで足を運んだんです。彼女の口からは聞いていませんが、私たちはあなたがた姉妹の中身が入れ替わっていることは知っています」

 要約するとこんな感じ。

「本来ならば信じるべきではないでしょう。ですが、姉様と親しげな様子なのは少しだけ見ましたから……」

 少しでも信じてくれたのならば話が進む。

「私の目的は富士山噴火の阻止。そしてイワナガヒメさんが元の状態に戻る事です。悪霊が原因なら倒します。イワナガヒメさん自身に原因があるなら喜んで手助けします。……申し訳ないけれど、私はニニギさんに関するイザコザは判りませんので、イワナガヒメさんに肩入れさせていただきます」

 失礼な発言をしたというのに目の前の神さまは笑っている。

「いいえ。どうぞ姉様の味方になって下さい。私には出来ませんから……」

 寂しそうに言った。

「噴火の鎮火は請け負いましょう。但し、私の身体を姉様から返して頂いたら、です」
「判りました」

 手を出された。
 握手のつもりだろうか、首を傾げながらも手を差し出した。すると両手でふんわりと包まれた。
 不思議と嫌ではなく、寧ろ可憐な方にこんなことをされていることが恥ずかしく、手がじっとり汗ばんできた。

「……温かい手をしていますね。姉様も包んでくれそうな」
「すみません! 汗かいた手でごめんなさい!」

 自分が汚く思えて急いで手を引いた。

「……では参りましょう。姉様の所へ」

 また寂しそうな顔をして笑った。





 ◇





「くそっ!」

 イワナガヒメの斬撃を避けきれず、モモタロウは左椀に傷を負った。痛みはあれど刀を振るに支障なし。

(力が上がったのも厄介だけど、それよりこの岩何なの。邪魔でしょうがない)

 モモタロウ目掛けて無数の大岩が飛ぶ。視界が岩で埋め尽くされながらも避けていくが、突如音もなくイワナガヒメが現れて肉を抉りとろうと剣が飛んで来る。

(相手が神だろうと関係ない。僕は僕の刀でいつも切り開いてきた!)

 岩ごと切り裂きながらイワナガヒメへと刀を振り下ろした。

「後ろですわ」
「ぐっ」

 背中を斬られ、イワナガヒメと思ったものが岩へと姿を変えた。

「純粋な剣術なら僕の方が上なのに!」
「負け惜しみですわ。私だって自分の身体ではありませんもの。認めなさったらどうです? 私よりも弱いと」
「黙れ」

 モモタロウは吐き捨てながらも、冷静に息を整え対策を考えていた。自分が本気を出せばこの烏帽子山を真っ二つに斬ることも可能だろう。
 だがイワナガヒメを祀るこの山を斬って弱体化させれば、本来の目的である富士山沈静化に支障をきたすかもしれない。それに気絶したニニギが無事でいられるかも判らない。
 思うように刀を振るえないことに苛立つが、理性は常に働いていた。

(主さんは必ずコノハナサクヤさんを連れてくる。そこから後ろで糸を引いている悪霊の事も突き止められるはずだ)

 モモタロウは時間を稼げば良い。目的は殺しではない。

(今の僕は鬼を殺す為の刀じゃない。ナナシの主さんを守る!)

 殺す勢いで向かうが決して相手を殺めない。
 イワナガヒメから目を逸らさず、剣を受け続けた。

「イワナガヒメさん! 僕とさっき戦った時の事覚えてるよね」

 返事はなくとも続ける。

「忘れさせないよ。もう一回その身に教えてあげる」

 モモタロウはその手に握る刀に全神経を集中させた。自分と刀。異なる個を一つに合わせる。
 敵を斬り殺す為に産まれた刀の価値を追求し、敵を切り捨てる技術を追い求め辿り着いたもの。
 岩から岩へと姿を隠しながら移動するイワナガヒメの姿を捉えた。
 一気に踏み込む。
 イワナガヒメも当然それに対応して剣で受けようとする。
 だがこれはただの牽制動作。
 本命はその後の一太刀にある。
 ガラ空きになった所目掛けて光速の一閃。

「っああ!」

 イワナガヒメが左肩を抑えた。胸まで袈裟のように大きく裂かれた肉から血が噴き出す。

「どう? 僕が最強だって崇めたくなったんじゃない?」

 得意げに言うが、内心は焦っていた。

(身体はコノハナサクヤさんのだっけ。ちょっとやり過ぎたかも)

 血だまりの中で膝を折った女がすすり泣いているのはばつが悪い。これが普通の戦いならば情けをかけないものだが、今回はそうはいかない。

「……さっさと元の身体に戻りなよ。僕だってやるなら完全体の君と殺らないとすっきりしないしさ。……ねぇ、そんなに自分が嫌なの?」
「あなたには判りませんわ!!! 私が妹とどれだけ比べられ、醜いものだと嘲笑われてきたか!! ニニギ様も私を醜いといって家に返されました!! 私の醜さで父様にまで恥をかかせて!! 私の顔がいけないのです!! もっと可愛く産まれていれば……っあああ!」

 声をあげてわんわんと泣きだした。
 モモタロウは頭をかいた。刀と同様、言葉で相手を傷つけるのは得意だが、それ以外は苦手である。
 なんとかいつもとは違う方向に頭をひねった。

「君の顔はまだ見てないから判らないけど、顔が全てってわけじゃないんじゃない……? そもそもそのニニギって神がただの性悪だとか」
「ニニギ様を悪く言わないで!!」

 幼子のように顔をぐちゃぐちゃに歪めておんおんと泣く。
 八方塞がりである。
 こういう時、ナナシやヌラリヒョンなら他人に寄り添ってやれるだろう。
 だが今はそのどちらにも頼れない。モモタロウはだんだんと苛々してきた。

「泣くぐらい辛いならあのひとを斬り殺しなよ!! 君を傷つけた張本人なんでしょ!! 君の痛みと同じだけ判らせてやりなよ!」
「……その通りですわ」

 真っ赤な身体ですくりと立ち上がり、ふらふらとニニギの前に立った。
 だが、これで良かったのだろうか。主の命はニニギをも守れと言っていたような……。
 今更ながら自分と落ち度に気づいたモモタロウは自分の間合いにイワナガヒメが入るようにとしれっと移動した。

「……ニニギ様。私にかかせた恥を今こそ雪がせて頂きますわ」

 剣を構え、ニニギへと一気に振り下ろした。
 風圧で舞った髪が少しだけ斬れて飛んでいく。
 地面に刺さった剣をとり落とすと辺りに金属音が響いた。

「無理です。無理ですわ……。ニニギ様を斬るだなんて……」

 涙と血が儚さを感じる身体から止めどなく溢れた。
 その痛ましさにモモタロウは主の命令に反して提案した。

「……殺すのが嫌なら腕か脚、一本斬ったら?」
「嫌ですわ」
「あっそう」

 自分の手に余ると判断したモモタロウは座り込んだ。お手上げである。
 すんすん泣きじゃくる声を聞き流していると、イワナガヒメが語り出した。

「お嫁に行く日、相手かどんな方かも判らないとサクヤちゃんが怖がるから、本当は私だって怖いけれど姉だからずっと励ましていました。きっと良い殿方だから。それに何かあっても私が守ってあげるから。どんな時でも一緒にいるからって……」

 聞く限り姉妹仲は良いのだろう。
 姉のイワナガヒメが妹を大切にしているのは伝わってくる。

「部屋に入って御簾が開いて二人で絶句しました。太陽のようなお方だと。顔が、ではありませんよ? 雰囲気で判りました。彼はとても良い方であると、実際サクヤちゃんに優しかったです。……私にも。私もサクヤちゃんもニニギ様を好きになりました。姉妹でニニギ様を支えれば良いと思っていたのに。私だけが実家に帰るよう命じられました」
「最低でしょ」

 思わずつっこんだ。

「サクヤちゃんもおかしいと言って、二人で家に帰りました。……でもサクヤちゃんは後悔していたんです。でも優しい子だから私を気遣ってニニギ様を跳ね除けたのです」
「へー、良かったじゃん」

 妹のコノハナサクヤも同じく姉が大切なのだ。それが聞けてモモタロウはほっとした。

「……実家でサクヤちゃんに言いました。ニニギ様はあなたを必要としているのだから帰りなさいと。するとサクヤちゃんは首を振るんです。姉様と一緒が良いからと。でもサクヤちゃんはずっと心ここにあらずで、他の者達も気づくほどです。私はそれを見て罪悪感を抱きました。妹を不幸にしてしまったのは自分だと」

(不幸にしたのはニニギさんだと思うけど)

「周囲の目が私に厳しくなりました。自分の為に妹を道連れにした神と。私がニニギ様に気に入られなかったことで人族の寿命が限りあるものになることが確定したことに対する不満も浴びせられるようになりました。ある夜サクヤちゃんが庭ですすり泣くのを見ました。私では慰められないと思って見なかった振りをしていると一人の使用人が近づいてサクヤちゃんを慰め始めました。泣き顔ですら美しい。あなたをお助けしたい。ニニギ様ではなく自分を想ってくれないかと。イワナガヒメ様が返されたのはしょうがない。あなたの美貌はアマテラス様さえも霞むのだから……」

 少しずつ淡々としていく言葉に、モモタロウは身構えた。

「顏。どこに行っても顔顔顏。良いですか! 顔は全てです! 顔が第一! 顔が良ければ話にならないのです! 顔以外だってお淑やかでお家の事が出来る者でなければ価値がない。それ以外が出来たって存在価値はないのです!!! 醜女の私に居場所はない!! なのに私は永遠の命を司る!! 自死すら許されない!! 私はずっと醜い醜いと言われ続け、誰の役にも立てない女として恥を晒し続けるしかないのです!!!!」

 その瞬間富士山から黒煙が立ち昇った。足元が揺れ、モモタロウは刀を抜いた。

「……役立たずならば最後まで役立たずを貫きましょう。この地を全て潰して守るべきものも全て消してさしあげます」

 涙はもうない。





 ◇





「噴火しましたよ!!」

 時間がないとは言っていたがこんなに早いなんて。

「まだ大丈夫です。今のままでも多少鎮火の力は使えるので。ただいつまで抑えられるか」

 私とコノハナサクヤさんはカメたちとは別れ、陸路で神社へ向かっていた。
 本格的に時間がない。山頂はもう少しだが、近づくほどに悪霊の数が増え私たちを襲い続けている。
 出くわした悪霊はコノハナサクヤさんが倒してくれた。というよりコノハナサクヤさんを狙っているようだった。
 それを見て全てが繋がった。
 悪霊の目的は富士山の噴火で一帯を滅ぼす事。
 悪霊にとって邪魔なのは唯一噴火を止められるコノハナサクヤさん。その妨害の為にイワナガヒメさんを使ったのかもしれない。
 そんな下らない事でイワナガヒメさんの劣等感を弄んだことがなんとも腹立たしい。

「見て下さい! 空が変です!」

 山の上空で暗雲がぐるぐるととぐろを巻いていた。

「でも姉様の霊力とは少し違います。やはり貴方の言う通り操られているんでしょうか」

 現段階では判らない。でも今までで一番ビンビン感じている。悪霊の気配を。
 あれがイワナガヒメさんの意志だけで動いているものではない。そうと思いたい。信じたい。

「すみません、私先に行きます!」

 コノハナサクヤさんは桃色の髪を靡かせ私の前に出る。
 遅れながらもその背中を追っていくと木々が開け、頂上が見、

「きゃあああああああ!」
「コノハナサクヤさん!?」

 叫び声を目印に走って行くと地面には藤色の髪が乱れ散っていた。

「え。イワナガヒメさん!? 大丈夫ですか!?」

 鼻につく血の匂い。身体を見ると袈裟斬りにされていて、美しい着物は赤黒い色へと染まっていた。

「モモタロウくん手加減しなかったの!?」

 出来ない状況だったのかもしれない。斬られた着物を利用して患部を抑える。少しは止血の助けになるかもしれないが、人間だったらとっくに死んでいそうな出血量だ。神が頑丈である事を祈る。

「危ない!」

 身を固くする間もなくモモタロウくんが庇ってくれた。

「……あなたもサクヤちゃんを助けるんですね…………嘘吐き…………」

 宙に浮かぶ無数の岩の一つに立っているのは桃色の髪を靡かせた女性。口ぶりからするとイワナガヒメさん。と言う事は身体が元に戻ったということになる。

「でもどうでもいいです。もう。私の身体があれば本来の力を発揮できる」

 地割れの音が大気を裂いた。大地から岩がせり上がる。海が荒れて波が山に打ち付ける。

「さあ、この地の全てを消し去ってあげますわ!!」

 地震が起きると、山の下の大地が割れて水が噴き出しているのが見えた。胡麻粒のようにあちこち動いているのはきっと生物だ。
 ────江戸の光景を思い出す。
 身体が縮こまるような痛みが湧き起こり、息がもつれる。
 絶叫を思い出す。泣き声を思い出す。怪我人を思い出す。死人を思い出す。
 いくつもの躯と私は目が合った────。

「主さん。言いたいことは沢山あるけどどうする? さすがの僕も今回ばかりはどうなるか判らないね」

 至る所を斬られたモモタロウくんは刀をしっかりと握りしめて私の前に立っている。
 ……駄目だ! まだ弱気になる時じゃない!
 身体を張って守ってくれる人より先に折れちゃいけない。
 私はこの戦場で唯一、無傷のまま。
 堪える痛みのない私こそ、立ち続けないと。

「モモタロウくん、どれだけ戦える?」

 武器を振るえるのは現状モモタロウくんだけだが、既に負傷している。

「まだまだいける。厄介なのは岩を操る能力の方。なんとかならない?」

 神は名前が己を表し、名に縛られる。
 これがジャンケンならパーを出すところだけれど。

「私が岩をどうにか出来ると思う?」
「無理でしょ。知ってる」

 鼻で笑うな。こっちは一般人なんだから。

「僕がやる」

 突然誰かと思えばニニギさんが身体を引きずりながら来た。頭部の血は止まっているようだ。

「無理しない方が」
「そんな場合じゃない。イワナガヒメさんもサクヤヒメも、悪いのは僕なんだから」

 そうだろうなとはずっと思っている。一応口には出さないけれど。

「自覚あるなら一番働きなよ。で、方法って何」

 ……容赦ないな。

「僕の奏でる曲の一つに、身体を軽くして移動速度を上げるものがある。岩で足場が崩されたとしても、その前に動けばいけるはずだよ」
「ふうん……」

 モモタロウくんは少し考えて言った。

「いいよ。どの程度速くなるかは知らないけど、どんな方法でも使わないとね」

 イワナガヒメさんの周囲に浮遊した岩が増えていく。もう動かないと。

「いくよ!」

 ニニギさんの掌が光ると横笛が出現した。唇にあて息を吹き込んだ。
 音色は私が想像する一般的な横笛の音色とは全く違うものだった。自分の腹の真ん中から響いているような少し気持ちの悪いものだ。だが身体を上下に揺らすといつも以上に速くて、本当に身体の速度が上昇していた。ゲームみたい。
 飛び出したモモタロウくんは獣のような動きでイワナガヒメさんに向かう。途中イワナガヒメさんによって巨大な岩を投げつけられたが、ジグザグに躱していった。足場の岩を操ろうにもモモタロウくんの方が速い。
 これは、いけるかも……!
 イワナガヒメさんは口元を歪め、宙の岩を自身の前に集結させていく。岩の盾が完成すれば刀が届かなくなるかもしれない。だがそこはモモタロウくんの優れた動体視力と身体能力で固まろうとする岩の隙間を縫って近づいていく。

「っく!」

 イワナガヒメさんが剣で受ける形を見せた。

「……吉備津」

 刀が二本に見えた。
 イワナガヒメさんの右腰から血が噴き出す。
 更にモモタロウくんが何太刀も浴びせた。
 セーラー服のようなヒラヒラとした服が刻まれ、血に塗れていく。
 数時間前には一緒に話していたのに。不格好なご飯も一緒に食べたし、一緒に野宿もした。
 言葉も立ち振る舞いも綺麗で、なにより笑い方が素敵だと思った。
 それなのに、今は────。

「イワナガヒメさん! もうやめて下さい!」

 早く終わってよ。でないと、このままじゃ死んじゃう。

「やめません。絶対。諦めません! 絶対に!!!」

 カンッと甲高い音と共に、モモタロウくんが後方へと飛んだ。
 イワナガヒメさんの傷口から流れる血が岩となり、患部を中心に身体中が岩と化していく。

「……醜いと笑えばいいのです。どうせ私は石長比売です。不変で永遠に……醜い神です」

 彼女はもう可憐な女神ではなくなった。
 ただの岩。
 無骨な岩たちがイワナガヒメさんにまとわりつき、ゴーレムのような人型になった。
 モモタロウくんがもう一度跳躍し、それを斬りつけたがまたもや甲高い音を響かせるだけ。

「駄目だ。刀が通らない!」
「イワナガヒメさんは名前の通り岩の神でもある。盤石だからこその不変性。彼女が願えばどんな武器も通さない鉄壁の守りも可能になる。……でも、ここまでなんて聞いたことがない」

 ニニギさんの解説にくらくらする。
 スケールがおかしい。
 料理が出来ないと真っ赤になって恥ずかしがっていた女の子が一切の武器を拒む強堅な岩になるってどういうこと。
 こちらは刀しか武器がないのに。

「超硬度の盾は最強の剣ともなり得るのです。お覚悟を!」

 岩人形が私たちを殴りつけようと拳を振りかぶった。
 これは、多分、……全滅だ。
 痛覚を想像する暇もない。
 ただモモタロウくんが変わらず前に出て刀をしっかり立て、私たちを守る意思を持ち続けているのは判った。
 ────無意識だった。
 モモタロウくんを引っ張って後ろへ押しやり、私が誰よりも前に出た。
 助けないと。ただその一心で。
 モモタロウくんも、コノハナサクヤさんも、ニニギさんも。
 そして、イワナガヒメさんも。

「主さ、」

 イワナガヒメさんに突き出した手の前でイワナガヒメさんの岩の拳が止まった。

「何故です!?」

 まさか受け止められるとは思わなかったのだろう。イワナガヒメさんが更に拳を突き出きだして殴りつけてくる。
 巨岩がぶつかる衝撃が身体に響くが私は両手を突き出し、力の波に負けないように足を踏ん張った。
 今にも頭の血管が切れそうだ。海に潜った時のように音がくぐもってよく聞こえない。開き過ぎた目で眼球が飛び出ていきそう。
 でも耐えないと。負けない。
 悪霊に利用されているイワナガヒメさんには絶対に負けない。

「「ううおおおおおあああああああああ!!!」」

 ぐわんと脳が揺さぶられ、私とイワナガヒメさんの間を中心に光の衝撃波が同心円状に放たれた。
 衝撃で私の身体は後ろへと吹き飛び、木の幹へと叩きつけられた。

「主さん!!」

 モモタロウくんが駆け寄ってきたのがぼんやりと見えた。

「……イワナガヒメさんは」

 尋ねると同時に悲痛な声が聞こえた。

「ぇっ、があっ……ごえっ……」

 岩人形が地面にしゃがみ込み、全体を震わせてえずく度に身体の岩にヒビが入っていく。

「今だ。僕の曲で君の刀の力を引き上げる。それなら岩も砕けるはずだ」

 心配で歪んだ顔したモモタロウくんが一気に表情を引き締めた。

「奏でて!」

 掛け声の前に笛は先程とは別の曲を奏で始めた。己を鼓舞する力強い曲だ。
 モモタロウくんは苦しみ喘いでいるイワナガヒメさんの前に立ち、ふっと息を吸った。

「はっ!!」

 横一文字に薙いだ刀の軌跡が見えた。
 ずるり、と岩が左右にずれ、イワナガヒメさん本体が地面に落ちた。

「終わりだよ」

 彼女の首元に刀をやってモモタロウくんが勝利宣言した。

「……まだ、ですわ」

 黒い靄がイワナガヒメさんから放出された。それはハエのようにぐるぐると回る。

「まだまだ。私には力がある。この力さえあれば、私を蔑む全てを破壊できる」
「それは無理だな」

 今まで姿を見せなかったヌラリヒョンさんが現れたと同時に否定した。

「もう悪霊からの力の供給は受けられまいよ」

 言われてはっとした。
 イワナガヒメさんから感じていた、あの気持ち悪いモヤモヤが今は消えている。

「ヌラリヒョンさん!!」
「ははっ、間に合ったようだな」

 今までどこで何をしていたのかと思ったら!! でも無事で良かった!!

「喜ぶのは後!」

 モモタロウくんに怒られ、私はイワナガヒメさんに目を向けた。
 先程の岩石化によって怪我は全て治っていたが、立ち上がることなく肩で息をしている。

「……。もう、終わりにしよう。これ以上君を斬りたくない」

 モモタロウくんが言うと、イワナガヒメさんがわあっと泣きだし叫んだ。

「そうやって私を見ないで!! 憐れまないで!! 嫌!! 私ばっかり!! 皆私に失望していく!!」

 かける言葉がなかった。ニニギさんなんか特にそうだろう。

「……サクヤちゃんがいなければ」

 泣き声が止んだ。

「そうだ。サクヤちゃんがいなければ、私がこんな惨めな思いをせずに済んだ!」

 イワナガヒメさんの力が大地に行き渡るのを感覚で察した。

「駄目! イワナガヒメさん!!」

 大地から飛び出した円錐状の岩がコノハナサクヤさんを貫いた。





 ◇





 ある日突然、妹が出来た。
 神の産み方は人とは違うので、兄弟が急に増えるのは珍しい事ではない。

「コノハナサクヤと申します。イワナガヒメ様……姉様と呼んでよろしいですか?」

 花のように美しい女神は、コノハナサクヤと名付けられた。
 コノハナチルヒメと名付けられた私は父様に尋ねた。

「どうして私は散るのに、コノハナサクヤは咲くのですか?」

 父様は微笑んだ。そのうち判るとだけ言って。

「姉様。姉様ぁー」

 妹はいつも私についてきた。そしてよく泣いた。
 妹は私と同じ事をやりたがったが、私より遅く産まれた妹は当然出来ない事が多かった。

「姉様……。これ……。ぐるーって……出来ない、です」

 泣きそうな顔をして小さな手を差し出す。
 むちっとして細くて壊れそうな手から慎重に受け取った。
 ぐちゃぐちゃに折れてしまった花が塊になっている。

「えっと、これはですね……」

 在りし日に母が教えてくれたように妹へと伝える。私もあまり器用ではないが、姉としての見栄でいつもより上手に出来た腕輪を渡した。妹はそれを手本に編み無事花の腕輪が完成した。

「上手に出来て良かったですね」

 はにかんだ妹は出来立てのそれを私に渡した。

「いつもありがとうございます。私、姉様が大好きです。姉様の手は大きくて強くて大好きです!」

 守ってあげたいと思った。可愛くて儚げな私の妹を。
 成長しても変わらず妹が好きだった。
 私が得意な体術や剣術は苦手で、いつまで経っても相手にはならなかった。
 反面、手先が器用で、料理や裁縫が上手だった。私はどうやっても追いつけなかった。
 それに引け目を感じたことはない。私の妹は凄いのだと自慢して回りたいくらい誇らしかった。
 自分の身体能力が高い事も、妹を守る為に使えることが嬉しかった。
 周囲は、私たちを仲の良い姉妹だと褒めてくれた。
 だが昔とは少し異なる言葉が耳に入るようになった。
 妹を賞賛する声が大きくなり、私をついでのように褒めることが増えた。
 気にならないわけではなかったが、妹が私にいつも言った。

「姉様は私の自慢です。かっこよくてお強い姉様が大好きです」

 妹が誇れる姉でいられて何も怖いものはなかった。満たされていた。
 大切な妹が私を認めてくれているのに、自分の存在がどうして不安になろうか。
 他人の声など、妹の声に比べたら些末なもの。
 あの方と会うまでは。
 ある日、父様から天津神であるあの方が妹に求婚した事を教えられた。
 私も妹も喜んだ。天津神に見初められる事は名誉な事だからだ。
 父様はめでたい事だと言って、私たち姉妹をあの方へ嫁がせる事にした。
 私たちは更に喜んだ。
 姉妹で同じ人に嫁ぐとなれば、私たちはまた一緒にいられる。
 二人であの方を支えていこうと、こっそり約束したものだ。
 そして私たちはあの方の屋敷へ向かった。そこで初めて顔を見た。
 美しい方だと思った。妹もそう思ったに違いない。私は妹を見た。うっとりとした横顔を見て、私の胸はチクリと痛んだ。
 今まで感じた事のないその感情は頭を振って隅へやった。
 そこからどんどん私はおかしくなった。
 あの方と妹と三人でいるのに、何故だか疎外感を覚える。
 あの方が妹と話すと早く会話を終わらないかと苛立った。
 妹があの方と出かけるのを見送る自分に疑問を抱いた。
 妹と自分とどちらが多く名を呼んでもらえたのか数えていた。
 あの方が妹を褒める。妹を可愛がる。妹を触れる。
 あの方が言った妹の好きなところが嫌いになっていった。
 家の仕事が上手な事。綺麗な髪のこと。玉のように滑らかで美しい肌。芸術品のように美しい顔。気配りが上手なこと。か弱い事。コロコロと笑う所。
 なにもかもが、嫌になる。
 気付けば私は、妹を視界に入れないように過ごすようになっていた。
 暫く三人での生活が続いたが、ある日あの方に言われた。

「申し訳ないけれど、君を受け入れることは出来ない」

 私は実家に帰された。両親に話すと、相手の言い分を聞くように言われた。だが私は聞きに行きたくなかった。
 困った両親は遣いをやって理由を聞きだした。

「イワナガヒメ様の……その……少々、お顔の方が…………」

 私は知らなかった。
 可愛い妹を毎日見ていたから勘違いしていた。
 自分もそれなりには可愛いものだと思っていた。それがまさか、見るに堪えない醜い顔をしていたなんて。
 使者がやってきた次の日に妹が家に帰って来た。婚姻は断ったと。

「姉様と一緒でいなければ嫌です」

 口を尖らせて言った。

「ここでまた一緒に暮らしましょう!」

 花も恥じらう笑顔を見せて言った。

「……そうですね」 

 妹が大嫌いになった瞬間だった。
 そこから周囲の声がはっきりと聞こえるようになった。
 耳を塞がず、ありのままを聞き入れたという方が正しい。
 妹への賞賛の声。
 周囲に可愛がられていた。愛されている。
 剣の腕に対する賞賛は、女性らしさがないことを遠回しに言っていたのだと気づいた。
 凛々しいと言われるのは可愛くないからだ。
 強いというのは私が怪物と同じく腕力で他人を捻じ伏せることしか能がないからだ。
 どうして、姉妹でこんなに違うのだろう。
 どうして、もっと良い顔に産んでくれなかったのか。
 どうして、妹なんてものを生んだのか。
 どうして。
 同じひとに嫁がせるなんて考えたのか。
 同じひとを好きになったのか。
 あの子が女性として完璧で、殿方が求める像そのものであることは、姉の私が一番よく知っている。
 あんなのと比べられて勝てるわけがない。
 あんなのと一緒にしないで。
 妹なんて大嫌い

「姉様。大好きな姉様」

 聞きなれたサクヤちゃんの声が聞こえる。
 悪口なんて言ったから出てきたのだろうか。

「凛々しくてお強くてかっこいい自慢の姉様に私はずっと憧れていました。姉様みたいに自分より大きな者達を圧倒できる力が欲しかった。何度地に伏しても立ち上がる強さが羨ましかった。でも私は頑張っても強くなれなくて、姉様の妹をやっていく自信を失いました。姉様が素敵なほど、私は置いていかれる気がして。だからお裁縫やお料理が自分に合っていると判った時はとても嬉しかったです。姉様の横には立てずとも、御傍で支えることは出来る、と」

 置いていくなんて。

「私を置いていったのはサクヤちゃんの方でしょ? 素敵な女性になって、ニニギ様に見染められて」
「置いていったのは姉様の方ですよ。私はずっとここにいて、やってくるひとや申し出に首を振ってきただけ。自分で行動したり、決めたことは殆どない。今だって私の知らないひと達と会って、姉様の為に身体を張って武器を振るってくれるくらい大切に想われてる。周囲の者達は私を可愛いと賞賛しますが、己を顧みずに戦ってくれる人なんていないでしょう。いても勝利後の私からの報酬を目的とするばかり。でもあの方達は違いますよね。火山の沈静というこの地の者達を想っての行動です。そんな素敵な方々に姉様は出会われたのですね」

 出会って最初は捕まえられたりもした。
 でも共に行動するのは楽しかった。
 外でのお泊りや語らい、剣と刀での稽古。なにより、彼らは私を見てくれた。
 けれど、あれは私の顔を見ていないから親し気に接してくれたのだ。私の顔を見たらきっと、あの方達も。

「本当にそう思いますか?」
「思います」

 でも何故だろう。
 もしかして、と小さな希望が胸にあるのは。

「ふふっ」

 私を見透かすようにサクヤちゃんは微笑んだ。

「そうだ。私は二人を傷つけてしまった。謝罪だって受け入れてもらえるかどうか」
「大丈夫ですよ」
「どうしてそう自信をもって言えるの」
「妹の勘です。この方たちは姉様を大事にしてくれそうだと」

 大事になんて……。そんな風に他人を信じられるのは愛されたことのあるひとだけだ。
 私は丸腰のナナシさんを岩で潰そうとした。
 モモタロウさんのことを剣で斬りつけた。
 それらを全てをなかったことにする事は出来ない。

「ともかくまずは謝罪し、彼らの願いを叶えないといけませんね」

 その為にはもう一人謝らないといけないひとがいる。

「サクヤちゃん。今回の事はごめんなさい。あなたを嫌いといったばかりか、私の嫉妬心で身体まで奪って傷物にしてしまった」

 元々私には身内とは言え他人の身体を奪う芸当は出来ない。
 でもあの時は何故か出来た。
 サクヤちゃんの顔が羨ましくて、替われたら私は幸せになれるのにと思ったら、次の瞬間私の中から力が沸き上がった。そうしたら私の身体が目の前にあって、私はサクヤちゃんになっていたのだ。
 サクヤちゃんの身体を奪った私は仮面もなしに町中を駆け回った。数百年ぶりに感じる解放感はたまらなく気持ち良かった。
 人々の賞賛も嬉しかった。羨むような目で誰もが私を見る。虜となった者達の熱気に酔いしれた。
 私がずっと求めていたものを手に入れた。
 なのに、心はすっと冷え切っていく。
 こんなに良い顔を手に入れたのに。
 寄る者たちの下心が目について気持ちが悪かった。勝手に触れる者もいた。注意しようともヘラヘラと笑うばかりで一向に改めようとしない。
 女の神たちはこぞって私を褒めてくれたが、何故だか余所余所しく、私がいなくなった方が楽しそうにしていた。
 本当は判っていた。姉として傍にいたから。
 サクヤちゃんが必ずしも全ての者に愛されるわけではなく、またその美しさの為に傷つくことがあることを。
 美人には美人の気苦労があり、得も言われぬ噂をたてられ、思い込みの激しい者達に振り回される。
 家の仕事や笛だってサクヤちゃんは最初から上手だったわけではない。何度も失敗を繰り返して上達した。
 なのに、天が二物も三物も与えたような口ぶりをして、サクヤちゃんの努力には目を向けない。
 人々に持て囃されるサクヤちゃんの笑顔ですら、楽しい時にばかり浮かべられるものではなく、必要以上に敵をつくらない為の盾としての意味も多分にある。
 私が一番知っていたのに……。

「お気になさらないで下さい。私だってニニギ様のことごめんなさい。私は姉様と離れたくない。でもニニギ様とも共にいたいのです。どちらかを選ばなければならない判っていてもずっと決められなくて。その間姉様を苦しませ、ニニギ様もお待たせしていました」

 ゆらゆらと揺れる瞳が綺麗で胸のつっかえが取れていく。
 なぁんだ。
 私のことも、ニニギ様と同じくらい想ってくれている。
 サクヤちゃんの中にまだ私はいるんだ。
 急に父様の言葉を思い出した。

「私たちは、命という大いなる円環を司る姉妹神。有限であり限りある命のサクヤちゃんと、無限であり限りない命の私。私たちは常に一緒です。この八百万界に生命が溢れる限り」

 私は嫉妬と劣等感で何も見えなくなっていた。この手にちゃんと持っていたのに。
 何と情けないことか。だからせめて、最後は姉らしく。

「天津神をも魅了したサクヤちゃんは国津神の誇りであり、そして私の自慢の妹です。ニニギ様は素晴らしいお人柄の方。そんな好きな二人が結ばれることは私の幸せです」

 私が嫁がなければ、人は永遠の命を手に入れられない。でも、ニニギ様はそれを承知でサクヤちゃんを選んだ。

「サクヤちゃん、ニニギ様とお幸せにね」

 この散ってしまった恋がどうなるのか。私は見つめていこう。永遠の命をもって。

「姉様ごめんなさい。……大好きです」

 大輪のように大きく、野草のように慎ましく力強い笑顔。

「私も大好きよ。サクヤちゃん」

 私の妹は八百万界一可愛い。





 ◇





 ギリギリだった。
 姉に妹を殺させるわけにはいかない。死なないでと願った。
 すると岩が刺さる直前、辺り一面が光って見えなくなった。
 笑いあう姉妹が見えたかと思うと視界が晴れ、本当に姉妹が向かい合っていた。
 飛び出す必要はない。
 二人の雰囲気は仲の良い姉妹のそれだった。

「皆様……」

 私達に気づいたイワナガヒメさんがすくっと立ち上がった。

「この度は多大なるご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした。謝って済むものではございませんが……」
「良いよ。二人が上手くいったようなら」

 本音だ。
 イワナガヒメさんの苦悩が少しでも晴れたのなら、私はそれでいい。
 斬られたモモタロウくんから文句が飛び出てないのもそう言う事だ。

「イワナガヒメさん……サクヤヒメ……」

 ニニギさんだ。でも今度のイワナガヒメさんは落ち着いて彼を見ていた。

「イワナガヒメさん。僕は君に謝らないといけない。本当はもっと早くに言うべきだった」
「姉様、お願いです。どうか耳を傾けて頂けないでしょうか」
「……はい。なんでしょう」

 小さく頷いてニニギさんを柔らかな表情で見守った。

「お嫁に来た二人の内、イワナガヒメさんのことをお断りしたよね?」
「「うわ最低」」

 口を滑らせた。しかもモモタロウくんとハモってしまった。

「その理由が、君の美醜ということになっていると聞いた」

 ん? なんでそんな他人事みたいな。

「僕は姉妹婚ではなくて、好きなひと一人を大切にしたい。だから永遠の命の為とはいえイワナガヒメさんを迎えることは出来ない。……と使者に伝えた。どうしてそこまで好きなのかと聞かれたからコノハナサクヤさんの表情が好きだと言った。一度も君の顔については言っていないよ」

 怪しい。と、私なら疑う所である。モモタロウくんも似たような顔をしている。
 ヌラリヒョンさんは興味があるようにもないようにも見える。

「……信じるか信じないかはイワナガヒメさんに任せるよ」

 全員がイワナガヒメさんに注目した。
 やはり、と言うべきか、イワナガヒメさんは首を横に振った。

「判りません。真偽がどうあれ私はもう仮面無くして生活できませんから」

 コンプレックスと化したものがそう簡単に瓦解するものではない。

「ですが、わざわざおっしゃってくれてありがとうございます。少しすっきりしましたわ」

 ……良かった。

「ナナシさん、モモタロウさん、そしてヌラリヒョンさん」

 今度は私たちに向かった。

「この度はご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「本当にね」

 オブラートの概念がないモモタロウくんを肘で小突いた。イワナガヒメさんは笑っている

「お詫びの意味も含めて、皆様の目的である富士山の噴火を止めたいと思います」 

 やった!

「でも大丈夫ですか? 悪霊のせいじゃないかと思うんですが」
「左様。儂も何体か斬って聞きだしたが、噴火を奴らが意図的に起こしているのだぞ」

 コノハナサクヤさんとイワナガヒメさんが顔を見合わせて笑った。

「ご心配には及びません」
「私たち姉妹が揃えば出来ない事はありません」

 二人は手を繋いで山の中心地へ立った。

「姉様」
「大丈夫。サクヤちゃんは私が支えるから」

 二人の足元で、円形の紋様が浮かび上がった。仄かな光に包まれた二人は祝詞のような言葉を唱え始める。
 今まで八百万界で武器ばかりを見てきたので、このような魔法じみた儀式は見ているだけでわくわくした。

「そもそもお二人ってなんの神様と言われるんですか?」

 私の疑問はニニギさんが答えてくれた。

「サクヤヒメは火難消除の神で酒造の神でもあって、水の要素を持っている。イワナガヒメさんは岩の要素と水の要素を併せ持っている。富士山は海と山を繋げる存在なんだ。だから山の神の娘である彼女たちは共通して水の要素を持つんだ」

 花と岩でどうして水の要素を持つのかはよく判らないが、そういう解釈なんだからそうなんだろう。
 イワナガヒメさんが剣を掲げた。モモタロウくんを斬った剣も今は別物に見える。

「剣は神器。厄を斬り、災いを斬り、運命を切り開く。剣術しか出来ないと言うけれど、それは決して馬鹿にされるようなことじゃない。寧ろ己の力で他を圧倒し道を作ることが出来る誇るべき能力なんだ」

 そうなんだ……。

「イワナガヒメさんは劣った神なんかじゃないよ」

 このひとだってちゃんと判っている。
 なんだ当事者は全員判っていたんだ。
 それなのにちょっとした行き違いや周囲の影響によって本当の事が見えなくなっていた。

「二人がいるならこの地は安泰だ。富士山もそろそろ落ち着くよ。良かったね」

 良かったー。だがなかなか黒煙が減らない所を見ると、この儀式は長丁場になるのかもしれない。だとしたら私たちはここで野宿すべきなのだろうか……それとも神社内に何か設備があったりとか……?

「……二人の様子がおかしくはないか?」

 ヌラリヒョンさんが言うので光の中の二人に目を向けると、確かに苦しそうに見えた。

「噴火を止めるんですからやっぱり大変なのでは?」
「違う。なんだか変だ」

 ニニギさんが言うのなら本当にトラブルが起きているのかも。

「っ、勝てない。私が負けちゃう……」
「サクヤちゃん……気持ちで負けないで……」
「だって姉様、この力……」

 不穏な言葉が二人から漏れる。

「主さんなんとかして!」
「なんとかって何!? 私は都合の良い便利アイテムじゃないけど!?」

 でもきっと感覚的なものを求められているのだ。落ち着いて。落ち着いて。心を落ち着けて、見えてくるものを見る。
 改めて二人を見ても何も判らない。力の波長が弱々しくなっているくらいしか。
 そして富士山の方を見ると目が眩むような輝きが見える。それが二人の力を抑えつけている。
 この輝きは生命の輝きだ。なんて強い生の力。

「富士山に誰かがいる……。悪霊じゃない。物凄く強い。赤くて。揺らめいて」

 私はこの温かな感じは覚えがある。

「火っぽい何か……?」

 ニニギさんが青ざめた。

「サクヤヒメたちに抑えられなくて、火山と相性が良いのは……多分、火を司るカグツチさんだ。イザナギ様とイザナミ様の最後の子」

 それってつまりどういう……?
 事の重大さが呑み込めずにいると、二人が声を上げてしゃがみ込んだ。
 同時に、富士山が赤い炎を噴き出した。

(2021.11.25)