第31話-どうすればあなたに愛されるのでしょう-

私には、父も母もいない。
理由は知らない。記憶喪失のため両親に関する記憶が一切無いのだ。

気付いた時には、この世界を統べる神の一人である黒神という方が私と共にいてくれた。
他にも、黒神の影をしている元無の世界の住民(正式名称不明)も、黒神が作成した異次元に私と同居している。
後は、黒神の実の兄であるもう一人の神であるMZDとその影が、ほぼ毎日現れる。
厳密には同居していないが、殆ど家族のようなものだ。
このように、私の世界の住民はその二神、二影の四人である。

こんな私だが、正真正銘の人間である。
魔のもの、神のものの要素を一切持ち合わせていない、凡庸な人間。

それなのに、ただの人間である私が、何故、神と共に生活するようになったのだろう。
何故、神のみが持つ力を指輪という媒介を用いて、行使できるのだろう。

おかしいのはそれだけではない。
指輪の存在を知らず、身につけていなかった時点でさえ、私は自分の身体の成長を止め、
ヴィルヘルムの元で神の力の片鱗を行使し、神である二人が私を探知できなかった。
これはいったい、どういうことなのだろう。
指輪の有無は関係ないのか。


今までも気になっていたのだが、一切答えが出る様子がないため、考えることは止めていた。
今更気になり始めたのは、最近の黒神の行動の不可解さのせいだ。

彼はいつだって私に優しい。
甘えればいつだって応えてくれる。
好きだと、愛していると、惜しむことなく言ってくれる。
触れて欲しい時には、いつでも優しく撫でてくれる。
彼の愛は特別で、甘美で、とろけてしまいそうになる。

けれど、最近は少し様子がおかしい。
他の者との接触を知ると、手招き優しく囁きながら、頭を撫でる。
その後、音を立てて口付け、纏う服を少しずつ剥がしては、誰にも見えないところに赤い印をつけていく。
少し痛みが伴う印を、一人、鏡で見ると私は何とも言えない申し訳なさや悲しみを感じる。
口頭で注意を受けるよりも、怒られているような気がして。
誰かと交流することは咎められるようなことではないはずなのに。
どうして。こんなことをするのだろう。

様子がおかしいことは他にもある。
入浴のことだ。二人での入浴は一度廃れた習慣だが、最近復活した。
以前は女の子なのだからと、私の身体にあまり触れなかったが、そんなことが嘘のように、
今では抱き締め、触れられていない箇所など全くないと言っても過言で無いほど丹念に身体を洗われる。
こちらが恥ずかしくなることもしばしばあるが、彼は微笑むばかりでその手が止まることはない。
やんわりと手を押し返しても、隙をついては滑り込み驚いて声を上げてしまうこともある。
そうすると彼は楽しそうに笑って、敏感でくすぐったい箇所を再度撫でるのであった。


これらはどういった心境の変化なのだろう。
私は今まで世話をし、愛情を注いでくれた彼を心から愛している。
それなのに、最近の彼にはどこか恐怖を感じてしまう。
触れられるのも、優しげに囁かれるのも大好きなのにである。
私は、彼がわからない。
そして、自分がわからない。
好きなのに。
すべての行為を受け入れられない。

今までは彼の発言の全てが正しく、私のためを思ってくれていると思っていた。
少し心配性ではあるが、私の身を第一に考えてくれていたと思う。
それなのに、そんな彼の行動を他人に話すと訝しげな顔をされ、心配されてしまう。
一部の友人は彼に対して怒りを感じるほどらしい。
考えの相違であると片付けるにはあまりにも頻度が高すぎる。
一人だけではなく複数の人間が同じ反応という事は、やはり彼の行動がおかしいのだろうか。

ヴィルヘルムが以前、私が彼に寄った視点を持つ所為で冷静な状況判断が出来ていないことを指摘した。
という事は、おかしいのは、私?

もう何が何だかわからない。
ただ、今の黒ちゃんは、あまり好きではない。

これだけが私の中ではっきりしていた。











「なぁ、時間いいの?そろそろヤバくね?」

と、ニッキーは教室の時計を指差す。
の門限があと五分と迫っている。

「もうちょっと」
「あいつうっせーんじゃねぇの?」
「そうだね……」

そう言いつつもは帰り支度をしようとはせず、椅子に座ったまま足をぷらぷらと振っている。

「どーしたんだよ?家、帰んねぇの?」

正面の席に腰掛け、机を見つめるの顔を覗き込む。
すると、ばつの悪そうには顔を背けた。

「……じゃあさ、いっそのこと、家に帰るのやめっか」

ニッキーとしては、帰りたくないほど嫌なところへを行かせたくなかった。
それが、黒神のいるところなら尚更。
しかしは溜息をつきながら首を横に振った。

「駄目だよ。黒ちゃんがなんて言うか……」

がいなくなれば、黒神は全力で探し出すだろう。
以前がヴィルヘルムによって囚われた際の黒神は鬼気迫っており、
それはそれは恐ろしく痛ましいものであったと言う事を、ニッキーはリュータから聞いていた。
加えての特異性は望ましくない者を引き寄せるため、絶対の力を持つ黒神やMZDの傍に居るのが一番安全なのだということも聞かされていた。

しかし、今は黒神とを二人きりにする事の方が危険であるように思えた。
劣情を解せないに警戒を促そうが効果はない。
ならば一番安全な方法は、元凶そのものに近づけないことだ。

「……そんなことしたら、殺されちゃう」

震えた声で呟いた内容にニッキーは鼻で笑い飛ばす。

「まさか。あいつがちゃんを」
「違う、私じゃないよ……」

そこでが何を言わんとしているのかをニッキーはようやく察した。
黒神ならありえるだろう。可能性を考えるとニッキーは黙りこくった。

「黒ちゃんは元々生物嫌いだから……」

それよりもを誑かして黒神から引き離した事の方が大きな理由だろう。
ならば、"誰が誑かしたか"判らなければ、が心配するような事はないのではなかろうか。
それにニッキーの中には、さすがの黒神でもそこまではしないだろうという根拠の無い自信が少しあった。

「まぁ、大丈夫っしょ」
「大丈夫じゃない!」

から出た大声にニッキーは怯んだ。血相を変えたは何度も首を振る。

「絶対駄目!黒ちゃんなら有り得る。
 まだ人間だからマシかもしれないけど、酷いことされるに決まってるよ!」

黒神を本気で怒らせれば、人間なんて一瞬で終わりだということは判っている。
しかし、のために何かしたかった。それなのに無力な自分は何もしてやれない。

「ごめんな」

ニッキーが謝ると、はにこりと微笑んだ。

「こっちこそごめんね」

時計の秒針が十の位置に差し掛かる。

「じゃあね。また明日」

薄れゆく身体にニッキーは手を伸ばした。
しかし、それは空を掴んだだけで、に触れることは叶わない。











「黒ちゃん、MZDのとこ行ってき」
「今留守」
「……そっか」

は中腰から再度ソファーへ腰を下ろした。
MZDとはしばらく会っていない。
普段ならばこちらがアクションを起こさなくとも、顔を見合わせるはずだが、
タイミングが悪いのか全く顔を合わせていない。
学校に行く際も、いつもなら見送られるはずなのにここ数日は見送りが一切ない。

「暇なのであれば、俺が対応する」

机に向かっていた黒神は立ち上がり、の隣に座った。

「い、いいよ。黒ちゃんは自分のことして」
「大丈夫。俺は日々コンスタントにこなしてるからな」

遠慮するを軽々と抱き上げて膝の上に乗せると、頭を撫でた。
その手つきは優しげであるが、の表情は硬い。



名を呼ばれたは身を硬くした。
向かい合う黒神の唇がの頬に触れ、その後迷わず唇に吸いついた。
頑なに閉じられた唇を舌でこじ開け、逃げるの舌を追いかけては絡める。
唾液が行き交う中、ネクタイを外され、ボタンを二つ外される。
それ以上外されないようにと、は次のボタンの部分を握り締めた。
すると、唇は離れ、黒神はぽんぽんと頭を撫でる。

「今日はどうだった?」

親が子に問うように薄く笑みを浮かべながらも、先程まで頭を撫でていた手は下へおりていく。
側面にあるスカートのホックを外し、ファスナーが限界まで下げられる。

「変わらないよ。何も」

不用意に言葉を吐いてはいけないことを学習しているは無難な言葉を返した。
黒神はふうん、と返すと露になった脚を撫でながら、の頬に再度口付けていく。
その唇が下へ下へ下りていくと、首筋のところでぴたりと動きを止めた。

「……チッ。やっかいな」

見えないようにされているが、そこには何かがあった。
ヴィルヘルムに施された首輪が。

、すまない。早く取ってやりたいんだが……。
 力技で壊せないように奇妙なほど繊細な細工をされていて……本当に、すまない」
「ううん。気にしないで。生活には全然困ってないから」
「……俺は、気になる」

黒神はを強く抱き締めた。
骨が軋むほどきりきりと。
強く強く。

「誰にも触れられたくないんだ。それなのによりにもよって、あんな奴に!」

肌蹴ていた肩に黒神は噛み付いた。
鋭い歯が柔肌に食い込み、皮がぷちっと破れるとそこから小さく血が流れていく。
白い肌に真っ赤な一筋の道が出来た。

「すまない……」

ゆっくりと落ちていく血球を舌先で舐め取っていく。
傷口を丁寧に舐められながら、は黙っていた。
何を言っても怒らせることは判っていたから。
だから、抵抗しなかった。

サン、絆創膏をはって差し上げマス。コチラへ」

影はを手招くと、自然な形で黒神から離す。
絆創膏を貼ってやり、乱れた服を正した。

「お風呂がマダですから、水の入らないものにしておきマシタ。
 入浴が終わりましたら、剥がしましょうネ」
「うん。ありがと」
「ならさっさと風呂へ行くぞ」

不機嫌そうに黒神はの腕を引き掴むと、ずんずんと風呂場へ行く。

「影、服とタオル」
「ハイ。了解いたしマシタ」

頭を下げながら、影はを痛ましく思っていた。
が黒神からの行為を好ましく思っていないことは見ていて判る。
しかし、黒神に力で敵わないために、ほんの少ししかを助けてやれない。
縋りつくの瞳を見ないように、影はしばらく頭を下げていた。




入浴を終えた二人は暫くくっ付き合っていたが、が眠気を催したことを申告と黒神は退室した。
歯を磨き、明日の学校の準備を終えると、はベッドの中に潜り込む。
電気を消して、真っ暗になると「はぁーあ」と、特大の溜息を吐いた。
首に触れれば、柔らかなリボンが巻きついていて。

「……ヴィル」

きっかけはこれだ。ヴィルヘルムが魔力を注入した所為。
黒神との関係が歪になり、そのせいで他人にも心配や迷惑をかけている。

「……ヴィルがこんなことしなきゃ、何も変わらずに済んだんだからね」

平穏を壊したヴィルヘルムに怒りが湧いてくる。
だが、そのヴィルヘルムに文句を言うことは出来ないのだ。
黒神に禁止されているため、その弊害にジャックとも一切関わりが持てなくなっている。

「……酷いよ。意地悪」

こうしてまた朝が来る。同じことを繰り返す。
黒神は次の日も同じようにを愛する。
愛を歌いながら、対象であるを見ない。

違う誰かを見ているよう。

敢て目を逸らしているよう。











「元気ねぇな」
「そんなことないよ」

放課後。サイバーとは職員室に呼ばれたニッキーを下駄箱で待っていた。
二人は靴を履き替えており、いつでも帰ることが出来る状態だ。

「話せよー」
「なんでもないよ」

そう言ってはサイバーから目を逸らす。
グラウンドでは部活動が盛んに行われており、二人の沈黙の間に様々な声が飛び交っていた。

「……俺じゃ駄目?」

苦笑交じりにサイバーは言った。察したはサイバーに向いて首を振った。

「そう言う意味じゃないよ!……でも今は出来ればそっとしておいて欲しい。普通にして欲しい」
「って言われてもな。お前すぐ顔曇るし、話しててもなんかテンション上がってねぇし」
「ごめん」

また二人はグラウンドを見ながら、沈黙した。
グラウンドでは怒号が飛び、面目な部活では全員が揃って声出しをしている。

「……そういや、って携帯持ってねぇんだよな」

気に入った人間の所在地を一瞬で知ってしまうは、携帯というツールが不必要だった。
それに加えて、あまり機械が得意ではないため所持したいと思ったことが無い。

「持ってたらなー、が異次元に行ってたって連絡出来んのに」

大きな溜息をつくサイバーには首を傾げた。

「……異次元に電波ってあるの?」
「ん?……あれ、据え置きの電話あったろ」
「MZDの家にはね。そっちは電波あるよ。こっちの世界にあるもん」
「そうか……。じゃあ、水道は?」
「え、……あるよ」
「異次元なのに?電気は」
「あ、るよ?」
「えー……意味わかんねー」

答える自身も、どうなっているのかよく判らなかった。
地上と断絶されているはずなのに、何故通常の生活が行えているのか。

「不思議……影ちゃんに聞いてみようかな」
「意外とさ、異次元って言いつつ異次元じゃないんじゃね?」
「そんなことないよ!……多分。だって、窓の外だって地上の映像があるだけだよ?」
「洗濯物どこ干すんだよ」
「え、窓の外……」
「外っていうか、庭あんの?玄関ってMZDの家と繋がってるのに?」
「あれ?なんでだろう。でも、気付いたら外に出てるっていうか
 ……庭があるわけじゃないんだけど、なんか庭っぽいところがある感じがするって言うか」
「お前、異次元歴長いくせに、ろくに知らねぇじゃん」
「えー。そんなー」

楽しそうに笑っている
サイバーはその声を聞いて満足気に微笑んだ。

「学校にいる間はいつだって笑わせてやんよ」
「……ありがと」

小さな呟きは部活の声に紛れて。けれど、サイバーの耳には届いた。
ふいに言われた言葉に、嬉しいような恥ずかしいような気分になって。
サイバーはを見ることが出来なくなった。
幸い、はグラウンドの様子を眺め続けていて、サイバーの変化に気付くことはなかった。

「……オレが教師に怒られてる間に何仲良くやってんだよ」
「おわっ!?」

二人が同時に振り返ると、ジト目のニッキーが二人を見回している。
疑るような瞳に、サイバーは先程の感情を振り払い、いつもの自分に無理やり戻した。

「お前こそ怒られてたとか、ダッセー」
「しょうがねぇだろ!プリントやってきたけど家にあるんだっつの。
 なのに全然信用しねぇで、結局今日同じものやらされるんだぜ。マジありえねぇ」
「まぁまぁ、私取りに行ってあげるから」
ちゃんマジサンキュー!大好き、ラブユー!」
「はいはい。机の上かな?ちょっと待っててね」

一瞬で消える
残された二人は上がっていた口角がゆるゆると下がっていき、重い空気を纏った。
お互いに言いたいことはあった。
だが、躊躇いを重ねていく内に時は流れ、結局が帰ってきてしまった。

「どしたの?二人とも変な顔して」

二人は同時に答える。

「なんでもない」











「……はぁ」

は長い廊下の角で溜息をついた。
目の前には何人かの男子生徒がいて、を囲うように立っている。

このようなことは定期的にあるのだ。
度胸試しにに話しかけるという遊び。
黒神やMZDを呼ばれず出来るだけ怒らせるのが高ポイントになる。
それを知っているので、は適当に黒神の存在をチラつかせたり、逃げたりして回避している。

「帰らないと心配されるので」

と言って無理に帰ろうとするが、相手はを囲っているので逃げ道が無い。
生徒達は戸惑ったり、乗り気ではない者も紛れており、強気な一人もどこか虚勢を張っているように見えた。
これなら不本意だが脅せば退散してくれそうだ。

!」

声の主に全員が振り向いた。その隙には囲いの中から逃げる。
現れたサイバーの後ろに身を潜めた。

「お前らなにやってんの?」

サイバーはいたって軽い口調で聞いてはいるが、投げる視線は冷たい。

「別に」
「あっそ。行こうぜ。遅いからどうしたのかと思ったじゃん」

踵を返す二人に、サイバーの出現に面白くなさそうにしていた生徒が言った。

「平和なもんだな。そいつ別の奴に手を出された中古なのに」

サイバーとは黙っている。
ずんずんと歩いていくサイバーに、比べて足の短いは忙しなく足を前へ後ろへ蹴っている。
必死に着いていっていると、急にサイバーが立ち止まったため、その背中に頭突きをしてしまう。
が「ごめんね」と言う前に、サイバーが言った。

「……あのさ、を疑うようで悪いけど、どういうこと?誰かに何かされたわけ?」

落ち着いた口調で言っているために、普段の明るいサイバーとは違ってみえる。
は怒らせたのかと思って、言葉にならない声を出しながら言葉を探した。

「ごめん。ちょっと待って」

サイバーは息を吸って、吐いた。
くるりと回り下を向くを見る。

「うっし、大丈夫だ」

が盗み見ると、いつも通りのサイバーがそこにおり、
少しだけ落ち着きを取り戻した。

「あ、あの、く、黒ちゃんがね」
「……あー、黒神か。なんだ、びびらせやがって。
 あれだろ、黒神とベタベタだし、それで勘違いしたんだろ。阿呆らし」
「そうだね……」

黒神が行っていることは、サイバーが想定するベタベタとは遥かに異なっていることを知りつつも、は何の訂正も行わなかった。

「あのさ、。この際だから言っとく。もしさ、に彼氏が出来たら……遅いか、
 好きな奴出来たら絶対教えてくれよ」
「う?うん」

サイバーはさっきの学生の言葉を聞いて、激しく動揺していた。
嘘に決まっていると思っていながらも、もしかしたらと考えて、姿の判らない誰かに嫌な気持ちを向けた。
に限って有り得ないと思っていたのに。
そう高を括っていたが、それも改めなければならないのかもしれない。

「あとさ、今日もまた変な奴に絡まれてたじゃん。
 ああいうのじゃなくてもさ、もし何かあったら言ってくれよ
 助けてって一言は必要だと思うんだよな。そりゃ察してやれるのが一番だけどさ」

のことをなんでもは判らなくとも、殆どのことは判っていると思っていた。
だが、きっと違うのだ。まだまだ全然把握できていない。
怖いと思った。自分の知らぬうちに物事が進んでいくこと。
ふと気がついた時に、姿が消えているかもしれないことが。

「ギャンブラーでもそうだったろ?」

焦る自分を出来るだけ隠して、サイバーはに微笑んだ。

「……ありがとう」
「な!?なんで泣いてんだよ!!」

さらさらと涙を流すに、サイバーはどうしていいか判らなかった。
どうしよう。普通はどうするのだ。
撫でてあげようかと、手を伸ばす。
しかし、躊躇った挙句触れられなかった。
いつもならば、何も考えず触れているだろう。
だが、色々と意識してしまった今、触れることがとても困難に思えた。
何故今まではこの細い腕を掴んだり、小さな手を握ったり出来たのか。
触れ方なんてもの、忘れてしまった。

「大丈夫、だから。泣くなって」

何もしてやれないので、が落ち着くまで、ただ隣に立っていようと思った。

「あー、サイバーがちゃん泣かした!」

ひょっこりと現れたニッキーが無遠慮に二人の間に入ってくる。
むっとしながらサイバーは反論した。

「泣かしてねぇ!って、こともねぇけど」
「じゃあお前じゃん。よしよし、ちゃんかわいそー」

小さな子供をあやすように、ニッキーはを撫でた。
その様子からサイバーは目を逸らす。

「どしたー。こいつが馬鹿やったか?」
「やってねぇし、つか、なんで泣いてるのかわかんねぇし」
「大丈夫、だよ。サイバー悪くないから」
「庇わなくていいんだって。ほら、サイバーの極悪非道振りをバラしちまえって」
「本当に違うのー!」
「はいはい。泣いてるちゃんは可愛いですねー」
「ニッキー!ちゃんと聞いてよ!」

そっぽを向いたは、小動物のように駆けだして行った。

「おもしれー。やっぱ可愛いぜ」
「怒らせてどうすんだよ」

呆れたようにサイバーは言った。もうの姿は見えない。

「別に。あれは怒ってる内に入んねぇし。泣くつっても、嫌で泣いてたわけじゃねぇだろ?」
「お前、見てたの?」
「いーや。でもちゃん見りゃ判るだろ。マジで泣かしたかどうかくらい」
「じゃあ、最初からずっとオレたちで遊んでたのかよ」

サイバーは脱力する。

「お前うらやまムカツクんだよ」
「はぁ?」
「ばーか」

意味の判らない罵倒にサイバーはむっとした。
羨ましいという点に対して、言い返す。

「お、お前だって、馴れ馴れしく触ってんじゃねぇかよ」

ニッキーが目を見開いた。
しまった迂闊だったと、サイバーは思った。
しかし一度出してしまった言葉はもう取り下げることが出来ない。

「いや、変な意味じゃなくって……」

言い訳しようにも、動揺で上手い言い訳が出てこない。
ニッキーはそれを見て、引きつった笑みを浮かべながら軽い調子で聞いた。

「まさか、ちゃんを好きとか言わねぇよなー」
「っ、ばっかじゃねぇの!」

かっとなったサイバーは脱兎の如く逃げ出した。
その行動は、ニッキーの言葉が事実であると、認めたも同義である。

「うっわ、図星かよ。気持ち悪ぃ」

誰もいなくなった廊下でニッキーは息を吐く。

「……面倒くせぇことになったぜ」











「俺はただ心配なだけなんだ。は他の人間よりも危険が多いから」

学校から帰ってきたを抱き寄せ、頬や額に何度も口付けていく。

「綺麗なに傷がつくなんて俺は嫌だ」

頬を撫でつけ、背を撫でていく。

「本当にどいつもこいつもに害を与えるばかりで腹が立つ。
 をなんだと思っているんだ」

腰のラインを撫で、そのまま肋骨、膨らみが始まる辺りに触れる。
は身をよじるが、黒神は左手でしっかりとを抱きしめており、なんの抵抗にもならない。

「くすぐったいか?」

こくこくとうなづくが、かと言ってやめられる事はない。
他所を触ってはまた戻ってくる。
未知の感覚。ぞわぞわとする。
同じ撫でるという行為なのに、今は気持ち悪い。

は言えなかった。

やめて欲しいとも、誰かに助けてと言う事も。




(12/10/16)