第33話-離散-

「今日は学校へは行かない」

朝一番に、そう言った。
すると、黒ちゃんは何の反対もなく、寧ろ嬉しそうに「そうか」と答えた。
影ちゃんは何か言いたげだったけど、黙って朝食の準備を続けていた。
余計な心配をかけて申し訳ない気持ちで一杯になる。

私はサイバーに休みを伝えた後、家のソファーにごろりと横になってTVをつけた。
朝の時間帯はニュースばかり。
しかもこういう時に限ってどの局も怖い犯罪の報道ばかりしている。
つまらない。どこか一つくらいアニメを流してくれればいいのに。
私はTVを消して、天井を仰いだ。

学校がないと何もすることがない。
学校に通っていなかった時、私はどんな生活をしていたか思い出そうとする。
しかし、通学に慣れてしまった今、以前自分がどのように家で一日を潰していたのか全く判らない。
よくもまあずっと家で過ごせたものだ。我ながら昔の自分を称えてやりたい。

さて、今日はどうしようか。とりあえず、もう一眠りして時間を浪費しようか。
白い天井を見ながら考えていると、ぴょこりと逆さまの黒ちゃんの顔が現れた。

に見せたいものがある。ちょっといいか?」

私は手招かれるまま黒ちゃんの部屋へ入った。
黒ちゃんが白くて何も無い壁に触れると、ティッシュ箱四つ分の面積の長方形の溝が現れた。
その壁を引き出しのように引くと、そこから何か布を取り出した。

「これ」

与えられたものを広げてみるとそれは、女の子用の服であった。
私が普段着ているような、ふわふわでレースがたっぷりのお洋服。
黒ちゃんに促され、私はその場で服を脱ぎ、与えられた服を頭から被った。

「……これ、サイズが違うよ?」

一回り小さいようだ。背中のファスナーを上げきることが出来そうにない。

「そのままジッとしてるんだ」

そう言って黒ちゃんは私の身体を服に合わせて変化させた。
ファスナーをぴっちり上まで上げ、ところどころにあるリボンを綺麗に直してくれた。

「……

うっとりとした表情で私を上から下まで見回すと、突然、私をお姫様抱っこした。
急に脚が地から離れたことに驚いた私は、黒ちゃんの服をきゅっと掴む。

「可愛いよ。。この世界で一番、可愛い」

そう言うと、黒ちゃんは私の頬にかるく口付けた。
これだけで済むということは、どうやら今日の黒ちゃんは機嫌がいいようだ。
安心する。最近の怖い黒ちゃんはあまり好きではないから。

「さて、どうしようか。このままずっと抱いてるのもいいんだが……」
「腕疲れちゃうよ?」
「疲れない」

強く言い切ったが、しばらく経つと黒ちゃんはベッドに私を下ろし、自身も寝転んだ。

「こっちでする」

ぎゅっと抱き締める。変なところをまさぐったりしない。
ただ優しく。偶に背中を撫でてくれる。まるで幼子をあやすように。

ああ、いつもの黒ちゃんだ。
優しくて温かくて、大好きな黒ちゃんが戻ってきた。
それがあまりにも嬉しくて、私は黒ちゃんの胸に鼻先を押し付けた。

「……今日のは甘えてきてくれるんだな」

黒ちゃんも嬉しそうに笑うと、今度は頭を撫でてくれる。
気持ちいい。気持ちよすぎて溶けてしまいそう。

「昔に戻ったみたいだ」

違う。戻ったのは私じゃない黒ちゃんの方だ。

……」

優しげに私を呼ぶ声の心地よさに、細かいことはどうでも良くなってくる。
今が良ければそれでいい。
黒ちゃんが優しい手つきで、視線で、私を扱ってくれるなら。
私は何も考えず、ただその身を委ねていれば良いのだ。

「マスター、失礼シマス」

コンコンと、音が鳴ってから、影ちゃんが入ってきた。
ふと影ちゃんを見ると、何故だろう、とても驚いた顔をしてこちらを見ている。

「髪でも変?それとも顔?」
「イイエ、そんなことありまセンヨ」

じゃあ黒ちゃんが変なのだろうかと、見てみるが特におかしな点は無い。
いつものようにぴょんと、頭のてっぺんから一房立ってるくらいで。

「……この服、ドウして?」
「別にいいだろ。の服だ」
「ですが、今のサンに着せるものデハ」
「いいじゃねぇか。もうすぐそうなるんだから」

苛立ちで口調が変わっている。
折角今日の黒ちゃんは機嫌が良いというのに、これはよくない。
なんとかこの場を治めておかないと。

「私気にしないよ。服に合わせて身体変えるの。この服可愛いし」

そう言ったのだが、影ちゃんはいい顔をしない。
見当外れのことを言ってしまったのだろうか。

「そうだ。、今日は一度外出しなければいけないんだが、留守番出来るか?」
「うん、出来るよ!」
「影は置いていく。これなら寂しくないだろう。
 だから、室内で静かに過ごすといい」

この言いぶりは、つまり。
私に外出をするなということだろう。影ちゃんはそのための監視。

いつもの黒ちゃんに戻ったと思ったのに、結局最近の怖い黒ちゃんのままなんだ。
……なんだ……そっか……。
なぁんにも、戻ってないんだ。











黒ちゃんが完全に元に戻っていないということに気付いてしまったせいで、
私は先程のように素直に甘えることが難しくなっていた。
隣にいて、手を繋いでいても、どこか緊張してしまって。
嬉しい気持ちが胸一杯に広がる……ということにはならなかった。

今は笑顔だけど、次の瞬間はどうだろう。
明日は?明後日は?

今が良ければそれでいいと言い聞かせているのに、
ほんの先の未来の暗雲が気になってしまう。

気にしてはいけない。
幸せを疑ってはいけない。
綻びを見つけてはいけない。

私は十分に、幸せなのだ。
地上に降りてすぐ、私はそう教えられたじゃないか。

。外行ってくるから、留守番よろしくな」
「いってらっしゃい」

黒ちゃんがすっと消えると、ふわあと、大きな欠伸が出た。
もう寝る時間も近いというのに外出とは。
神様のお仕事は大変だ。

サン」
「なに?」

声の方に目を向けると影ちゃんがとても真剣な顔で私を見ていた。
ぐっと堪えていないと目を逸らしてしまうくらい、本能的な恐怖を感じる。

「逃げて下サイ」
「えぇ!?何言ってるの!?」

突然何てことを言うんだ。
こんなこともし聞かれたら、二人とも黒ちゃんに怒られてしまう。

「このままだと、マスターは貴女を壊してしまう。早く逃げて下サイ」
「出来るわけないじゃん!それに、こんなこと言ったなんて知られたら怒られるよ!」
「構いまセン。それより貴女の安全が優先デスカラ」

影ちゃんは本気だ。冗談でもなんでもない。。
本気で私にここから。つまりは黒ちゃんから逃げろと言っているのだ。

「そう言われても、私、どうしていいか判んないよ……。
 ねぇ、MZDは大丈夫なの?何があったの?」

影ちゃんは答えない。
私に言えないくらい、MZDの状態は悪いのだろうか。
ずっと言えずに我慢していたMZDの話を出したことで、
私の中にどんどん不安や恐怖が波のように押し寄せてきた。

「……影ちゃん……怖いよ……怖いの……最近怖いことばかりなの」
「……サン」

透ける手で影ちゃんは私に"触れた"。
撫でてくれているようだった。優しげな手つきで。
泣きつく私をあやしていた。

「……貴女は神に次ぐ力をお持ちデス。一人でも大丈夫」

すっ、と私から手を引く。遠ざかっていく手のひら。

「一人なんて無理だよ!今まで一人になったこと無いんだよ!」
「出来ます。貴女なら」
「やだよ……無理だよ……」

唐突にそんなこと言われたって、どうしていいか判らない。
逃げるって、どこへ?どうしていればいいの?
何をしたって黒ちゃんには絶対に見つかるし、逃げたということで怒られてしまう。
そうなるくらいなら、大人しくしている方が絶対に良い。

「お願いですから、言うことを聞いて下サイ……。
 MZD様も動けない今、サンの身を守れる方はいらっしゃいまセン。
 貴女が自分で動かなければならないんデス」
「そう言われたって……」

影ちゃんが私のことを考えてくれているのは知っている。
いつもいつも、私が困ってる時に黒ちゃんを怒らさないように助けてくれてる。

でも、だからと言って逃げろというのは、どうかと思う。
影ちゃんがMZDみたいに何かされるなんて、私には耐えられない。
それなら怖い黒ちゃんと過ごしてる方が良い。
みんなが無事なのが一番なのだ。

サン。迷う時間はありまセン。
事態が落ち着くまで何処かマスターの手の届かないトコロへ」

そんな風に急かされたってどうすればいいか判らない。
逃げてどうするの。逃げたところでどうすればいいの。

サン!」

だから!!わかんないんだってば!!!
一人でやっていくって、何なのよ!!!!




「予想通りだったな」

思わず飛び上がる。静かな声がリビングに響いた。
帰ってきたのだ。黒ちゃんが。それも、察するに先程の話を聞かれてた。

「お前もを誑かそうとするとはな。予想は出来ていたとはいえ、実際にされると腹が立つな」
「黒ちゃん!影ちゃんは、別に、全然、悪いことなんて」


黒ちゃんの手には一枚の手紙。
あれは、学校の机に隠していた、ヴィルヘルムからの。

「馬鹿な奴だ。魔力を抑えていようと俺にはお見通しだ」

ヴィルからの初めての手紙は黒ちゃんの手の中で燃えていった。
一瞬────たった一瞬で塵と化した。もう二度と読むことはできない。

「中……」
「全部読んだ。アイツは会わなくともお前を誑かすんだな」

中の文面まで見られたのならば、何も誤魔化せない。

「……ま、いいさ。それでもはアイツのところへは行かなかったんだから」

伸ばされた手が私の方へ来る。
────怖い。
反射的に身を引いた。

「あ、……」

黒ちゃんは驚いた顔をすると手を引っ込め、何事もなかったかのような素振りを見せた。

「ご、めんな、さい」
「……」

謝りはしたが、黒ちゃんはこちらを一切見ない。
空気を更に重くしてしまった。いっそこのまま消えてしまいたい。

「……マスター。何故、サンにこの洋服を着せたのですか」
「どこに問題がある?には変わらない」
「そう、デスか……」

影ちゃんはずっと服に拘っているがこの服は何なのだろう。
着てみても特別な感じは何もない。ただの、服だ。少し小さいだけで。

「お前も痛みを感じるならば、他の奴等と同じようにやれるんだがな」
「やめて……!!」

私はいつでも影ちゃんを庇えるように構えた。

「影ちゃんに酷いことしないで。お願い」

すると、黒ちゃんは私を睨みつけながら言った。

「お前のお願いは聞き飽きた」

冷たい。

それ以外何と言えばいいのだろう。
その視線が串刺す胸がじくじくと痛む。

意見するのが怖い。反抗するのが怖い。
ここで影ちゃんを庇わない方がいいのだろうか。
いや、そんなことはない。庇わなければ影ちゃんに対する仕打ちが酷くなるだけだ。

「なんでも!……なんでもするから。だから、しないで……」
サン!そんなこと言わないで下サイ。
 マスター、私のことはお好きなように処理をして下サイ。
 でも、サンには、ご容赦願いマス」
「影ちゃん!」

庇わないで。自分のことを考えてよ。
影ちゃんまでMZDみたいなことになったら怖いよ。
それに、影ちゃんにも酷いことをする黒ちゃんを目にしてしまえば、もしかしたら。
もしかしたらだけど、黒ちゃんのことを嫌いになってしまうかもしれない。

「……いつもと同じだな」

黒ちゃんは自嘲気味に小さく笑う。

「いつもいつも。は俺以外の誰かばかりを庇う。黒神の俺はいつも悪者だ」

そんなことはない。
ただちょっと、黒ちゃんが過剰なのだ。色々と。

「なら本当に悪者になってやるさ」

私も影ちゃんも何も言えなかった。
意見するような雰囲気ではなかった。
もう事象は決められていた。

ここでは、黒ちゃんが絶対の存在なのだ。




その後、影ちゃんの姿は消えた。
黒ちゃんの中で眠っているらしい。
そして、私には。

「……」
「……」

予想通り、私は黒ちゃんの部屋のベッドに連れて行かれた。

「……そう怖がるな」
「……」

まだ、服は着用している。


「……はい」

抱き上げられ、膝の上に座らされた。
黒ちゃんと目を合わせるのが怖い私は、ずっと右の方に目をやっていて。
黒ちゃんの手が私の太ももに触れた。思わず力が入る。
するすると私の服を脱がしていく。
一続きの服は、それさえ脱いでしまえば、手足は剥き出しとなる。
暑くも寒くも無い部屋の中、私はぶるりと震えた。

「はぁ……」

黒ちゃんの溜息に私は身を強張らせた。
たったこれだけのことなのに、背筋が凍ってしまいそうなくらい怖い。

──触らないで。お願いだから、私に触らないで。
呪詛のように心の中で繰り返す言葉。
それが、黒ちゃんに通じたかどうかは判らない。

「……もういい。お前はもう寝てろ」

そう言うと黒ちゃんは姿が消し、私は黒ちゃんの足がなくなった分、ぽすんとベッドに落ちた。

「……どうしよ」

まず、服を着ようと思った。
今まで着ていたこの"サイズの小さい服"を手に取ったが、やめた。
影ちゃんがあれほど気にかけていたのだから、普通ではないのだろう。
私は自室から長袖のワンピースを着る。
夜ということを考慮し、上着を羽織ると私は下界へ転移した。


夜間の外出は、本来なら絶対にやってはいけないことだ。
黒ちゃん、影ちゃん、MZDの誰かに許可を取り、または誰かについてきてもらわなければならない。
しかし、家には誰もいない。
一人も。いないのだ。

── 一人は嫌だ。
私が身寄りのない人間なのだと思い知らされる。
黒ちゃんとMZDの好意で、あの場所にいさせてもらえているのだ。
二人がいなければ、あの家に意味は無い。
あれは、二人それぞれの住居であって、私の家ではないのだから。

しかし、つい家を飛び出してしまったが、これからどうしよう。
誰かを頼ることだけは出来ない。
そして夜の町は知らない人だらけ。歩いていると疲労するし、空腹も感じてくる。
一人で大丈夫だ、なんて影ちゃんは言ったが、やはり買いかぶりすぎだ。
私は一人では駄目だ。
何も出来ない。何をして良いか判らない。

おじさんは一人で暮らしているが、寂しくないのだろうか。
私はそんなに強くいられそうにない。
冷たい空気が肌を切る毎に、切なくて悲しくなってくる。
黒ちゃんは何処に行ったのだろう。MZDは大丈夫なのだろうか。
寂しい。寂しいよ。

「これはこれは……愉快ゆぅかぁい」

耳障りなねっとりとした声。
暗い夜道というシチュエーションが恐怖を煽る。

「誰!?」

少しでも恐怖を軽減するために声に出して聞いてみた。
周囲を見回すが辺りには誰の姿も無い。
電信柱についた街灯がチカチカと消えかかっているくらいだ。

「おやぁおやぁ、私の声が聞こえるぅとはねぇ」

見えない誰か。
何処に隠れている、それともそもそも人間ではないのだろうか。
私は見えないものをが見えるようにと祈った。
宙に少しずつ輪郭が現れる。

「……男の人の幽霊?」

丸い身体、西洋の軍人さんの洋服、モノクル。
この人は足がない。ジズさんより幽霊っぽい人だ。

「私の姿まで!!ぅうえへぇえうぇえへぇえ」

不思議な笑い方をする方だ。
少し面白そうな気はするが、今は問題を起こすわけにはいかない。
今日はこの得体が知れない方との接触は止めよう。

「……すみません、失礼します。さようなら」

会釈をして私は彼の傍を過ぎていく。
しかし彼は私の前へ立ち塞がった。横に避けて歩こうとしても、阻まれてしまう。

「貴女の、大切な物は、ぬわんですかぁ?」

何を突然。
私の大切なものなんて……なんだろう。
今、切実に望んでいるのは、昔の黒ちゃんとの生活くらいだ。

「思い浮かべましたね、浮かべましたねぇ?」

大きな口を吊り上げ、にやりと笑った。
危険を察知した私は彼に背を向け逆方向へと走った。
背後で彼がふよふよついてきている気配がする。
人の足では逃げ切れないだろう。私はここから一番遠い、通学に使う道を思い浮かべ転移した。

着地してすぐ周囲を見回す。誰もいない。
良かった。幽霊とはいえ突然の転移には対応できないらしい。

「素晴らしぃ」

──しまった。
彼の風船のような身体が私の身体をすり抜ける。
痛みは無い。
だが何があるか判らない。
もっと遠く。一旦家に転移しよう。あの異次元は有害な存在は一切侵入できない。

「なんで!?」

空間転移が出来ない。何故。座標も疲労も問題ないはずだ。
帰宅なんて何度も何度も行っていて、今更失敗するはずが無いのに。

そうだ。彼がすり抜けた時、何をされたんだ。
宙でニタニタと笑う彼を見ると、眩く輝くものを持っている。
あまりにも光が強すぎて目が焼かれそうだ。

「たしかにぃ、頂きましたぞ。あなたの大切な、とぅわいせつな、もの」

まさかと思い、指輪に触れた。ちゃんと私の胸元にある。
それなのに、私がどれだけ願おうとも力が流れてこない。
世界に干渉できない。

「鋭すぎる白光……美味しそうなこの魂は早々に食させて頂きましょうぞ」

彼のいたところで小さな爆発が起こり、そのまま煙を残して消えた。
私は何度も彼を追おうと念じたが、何の変化も現実には現れない。
魂と言っていたが彼は多分、私の中にある神の力を盗ってしまったのだ。

思わず道の真ん中でへたり込む。
今日は悪いことが次々に重なる。
黒ちゃんはどっかに行ってしまうし、影ちゃんも黒ちゃんの中。
MZDのことは黒ちゃんがいる手前、探ることが出来ない。
そして、力も失った。

あの力は神である二人と私しか持っていない、無限の力。
願ったことは全て叶う、魔法のような力。
だからこそ、あの力は使用者によって良いものにも悪いものにもなる。
さっきの彼があの力を食してしまえば、きっと力の行使権は彼に移ることになるだろう。
平気で人の魂(彼は勘違いをして実際には魂でなく力)を盗るような方、
八割方良い人ではないだろう。だとしたら、なんとか取り返さないといけない。

とは言え、人間の私に何が出来るのだろう。
影ちゃんだって力があるから私に対し、一人で大丈夫なんて言ったのだ。
力を失った私は、あまりに無力すぎる。

「全く。貴様は何時まで経っても成長せんな」

聞きなれた呆れ口調。闇夜をバックに鋭い双眸が光る。

「……貴様の魂とは、こんなものだったか?」

近くに歩み寄り、私を見下ろす。

「……さっき、とられちゃったから……黒ちゃんと同じ力……」
「そうか。あの美しい輝きは力によるものだったのだな。
 貴様自身の魂は上等ではあるが、この程度の輝き他にも数多くいる」

泣きそうだ。

私の魂については、ヴィルが唯一絶対に褒めてくれるところ。
それなのに、それは私のものではなかった。
これもやはり、他人から与えられたものだったのだ。
私自身が持つものなんて、何もない。

自覚してしまうと、涙が溢れ出してくる。
ヴィルとの関係もこれで終わりだ。
力と魂にしか興味が無いのだから、今の私はヴィルが嫌いな弱い人間でしかない。

何もかもが終わっていく。
黒ちゃんとのこと、MZDとのこと、影ちゃんのことも。

「喚いて何の意味がある。ただの人間の分際で」

意味なんて無い。どうせ終わってしまったのだ。
悲しみに浸たるくらいいいじゃないか。

「……っつあ……」

右手が痛い。燃えるように熱い。
ヴィルヘルムに叩かれた。以前さらわれた時に叩かれ続けた、あの箇所を。

「腑抜けが更に腑抜けになりおって。だから奴の元に貴様を置くのは気にいらんのだ」

軋むほど腕を握られ、無理やり立たされた。
ぱしっと音を立て両手で頬を挟まれる。
痛かったがヴィルが手袋を着用していた分痛みは少ない。

「貴様の望みはなんだ」

被り物の奥に見えるのは闇だ。
闇で隠されるヴィルの本当の顔でも、私を見てくれているのだろうか。
ただの人間に成り下がった私を。

「……力を、返してもらいたい、です」
「ならば、それを叶える為には何が必要だ」

私には幽霊の彼を追いかける術は無い。
とすると、誰かに頼るしかないことになるが……黒ちゃんたち以外となると……。

「ヴィルヘルムに手伝ってもらう」

半分冗談で言ってみた。
ヴィルが私に使役されるはずが無い。

「私はただでは動かん」

ほら、予想通り……。
ヴィルヘルムが利益の無いことに手を貸すわけがない。

いや、本当にそうだろうか。
あのヴィルがわざわざこんな回りくどい言い回しをする意図とは。

「……成功した暁には、一回だけ私をヴィルの好きに使っていいよ。殺人以外で」

ちらりと窺うと、ヴィルはなんだか楽しそうに笑っていた。
返答としては正解だったようだ。ほっとする。

「もう一声だな」
「じゃあ五回!」
「仕方あるまい。そのへんで勘弁してやる」

そう言って、ヴィルは私を横抱きに抱き上げた。

「ひゃぁあ!?なんで!?」
「なら貴様、空間を渡れるのか?」
「で、でも、人間に触るのは嫌って」
「しっかり掴っていろ。落ちても知らんぞ」

私の言葉には答えず、空間を渡るヴィル。
この感覚は魔力を用いたものも、神の力を用いたものでも差異はない。
利用する力は違えど、身体を別空間へ移動させる原理は同じなのかもしれない。

転移した先は真っ暗闇の場所。
夜なのか、室内なのかよく判らない。湿っぽい匂いがする。

「悪魔の分際で私のコレクションに手を出すとは」

ぽうっと淡い光が浮かび、それを手にする丸い彼の姿が見えた。
直感的にあれが私から奪った力の塊だと思った。
もうあれは私の身体の一部として溶け込んでいるのだろう。
早く一つに戻りたくて、心が急かす。

「魔族ですか……これは分が悪いですね」

先程ヴィルが悪魔と称していたが、それが言葉通りであるならば、
魔族は悪魔の上位に位置する存在ということなのだろうか。

「私の力を見せつけてやる」

突然の浮遊感に驚く間もなくそのままどしんと地に落ちた。
ヴィルが私を、さっきまで抱き上げてくれてたくせに、そのまま落としたのだ!
受身を全く取っていなかったのでお尻がじくじくする。
しかも、背骨を伝ったのか背中や首の方まで痛みがきている。
こんな時に限って、地面は石交じりの土で攻撃力が増していた。

痛みにのた打ち回っていると、光の玉がこちらに高速で飛んできた。
腰の痛みで動けない。私はその野球ボールくらいの玉をまともに受けた。

痛みはない。
身体にじんと染みていく温かな感覚。しっくりとくる。

「戻ったの……?」

闇で見えない景色。見えるように願った。
すると一瞬で視界がクリアになり、ヴィルヘルムとその足元に倒れている彼がいた。
まさか殺してしまったのだろうかと、急いで駆け寄り、彼の痛みが引くように祈る。
彼の指先が小さく動いているのを見ると、どうやらヴィルは殺しまではしなかったようだ。
珍しい……。いつもなら絶命させているだろうに。

「これはこれは有難い事で御座いますぅう」

ふわりと浮いた彼は恭しく礼をすると、急変し、私に突撃してきた。
また盗るつもりだろうが、そうはいかない。
私は自分の周辺に防護の壁を作り出し、彼を弾いた。

「二度は受けないよ。学習したもん」
「ぅうえへぇえうぇえへぇえ。貴女は面白ぉおい人間ですねぇえ」

"人間"の部分でヴィルが鼻で笑った。
いつものことながら失礼である。

「いぃいでしせう。今宵狩ることは止めてさしあげませうぞ。ただ」
「ただ?」
「その魂は私のもの。いつか貰い受けますぞぉお」
「私のコレクションだと言っているであろうが。低級悪魔め」

私の魂は私のである。
悪魔も魔族も人の魂を軽々しく所有権を主張しすぎだ。

「ふぅへぇへぇえ。私は淀川ジョルカエフで御座ぁいます。貴女、お名前は?」
だよ」
「そぉう…。覚えておきますよ。その名前」

すっと淀川ジョルカエフは消えた。

「貴様の低能さにはほとほと愛想が尽きる」

多分治癒のことだろう。
ヴィルはそのまま捨て置けばいいものをとか思っているのだ。

「いいの。だって、……ただの人間になった私を、ヴィルは助けてくれたから」

だから今の私は気分がいい。人の力を盗った相手にだって優しくできる。

「それは魂のコレクションのため。決して貴様のためではない」
「力が消えた私の魂はヴィルにとって価値がなかったのに?」
「しつこいぞ」

その言いぶりに思わず笑ってしまう。

「……貴様はそうやって間抜けな顔をしていればいいのだ」
「間抜けじゃないよ!」

もう何を言われたって嬉しい。
ヴィルが元気付けてくれてるのが判る。
価値が無いはずの私を、ヴィルは拒否しなかった。
それに、生かす方が面倒だろうに、敢て淀川ジョルカエフを生かしていたのも、
多分私のことを考えてくれていたんだと思う。
自惚れだろうか。いや、それでもいい。
今の嬉しい気持ちに自ら水を差す必要はない。

「さて」

ヴィルヘルムは再度私を抱き上げた。

「へ?」

思わず間の抜けた声が出てしまう。

「貴様と関わったとなると、奴が乗り込んでくるからな」
「でも、首のこれがある限り、きっと黒ちゃんはヴィルに何もしないよ?」

そうでなくとも、黒ちゃんは外に出ていったし、乗り込んでこない気がする。
でも、帰ってきて私がいなかったら焦って、血眼になって探すかもしれない。
これこそ、自惚れか。
今日黒ちゃんを怒らせてしまったし、私をそう必死に探したりしないだろう。

「念のためだ。貴様は私の盾となって散れ」

私は城に連れて行こうとするヴィルの首に腕を回した。




(12/11/12)