第34話-私を探して-

ヴィルヘルムという魔族は憤りを感じるほど酷い人で、
城に着いた途端、抱き上げていた私を何の前触れも無く地に落とした。
体重と重力が相互に影響し合い、私の臀部に本日二度目の多大なダメージを与えた。

「ヴィル……」

きっと落とすために抱き上げたのだろう。
一度目は仕方ないとして、私が力を取り戻した後に抱き上げる必要などなかったのだから。
恨めしい気持ちでヴィルを見たが、冷たく見下ろされた。

「勘違いしているようだが、私は道具としての貴様を欲しただけだ。
 必要以上の干渉には制裁を加える」

また勝手なことを言っている。ヴィルヘルムはこれだから面倒なのだ。
優しいな、良い人だなって思っていたら、すぐに意地悪なことを言い出す。
一瞬一瞬でこうも真逆の評価になる者はなかなかいないだろう。

「私が送った手紙は読んだのだろう?」
「……読んだよ」

手紙には嫌味やこき下ろすような言葉が沢山羅列してあった。
それらを適当に流し読みしていると、ある一文に引かれたのを覚えている。

「黒神を捨てるなら、貴様を救ってやると言う文を読んだはずだ。
 それでいてここに来たということは、もう貴様は私のものだ」
「でも!黒ちゃんから助けてくれたわけじゃないじゃん。淀川ジョルカエフからじゃん!」
「誰から、とは記載していない」
「してたよ!」
「証拠は。貴様のことだ、まだ手紙を所持してるだろう」

ずきりと、胸にきた。
おっしゃる通り、私はちゃんと保存しておいた。
でも、それは、黒ちゃんによって燃やされてしまった。
跡形も無く。黒ちゃんは私が復元することを恐れたのか、炭の欠片も残さなかった。

「……ごめん。あれは……」
「ならば確認する術はない。よって貴様は大人しく私に従え」

一方的に捲くし立てると、ヴィルヘルムは消えた。
石床からお尻へ伝わる冷たい感触に震えながら、私は大きく溜息をついた。

私は何を求めてここに来たのだろう。
また一時の気まぐれな優しさに振り回されてしまった。
一人にされるくらいならいっそ家に帰ればいいのだが、
孤独を思い知らされるのが判っているために、その方法は選べない。

仕方なく、私は城内に数ある部屋の中の一つを借りることにした。
使用されない部屋にはうっすら埃が溜まっていたが、
力を用いて、快適に使用することが出来るくらいに清潔な、部屋に様変わりさせた。

綺麗になったベッドに横になって考える。
MZDのこと、黒ちゃんのこと、影ちゃんのこと。
思い出すのは楽しいことばかりで、私は自然と涙が零れた。











指揮棒を振る二つのお人形


二人は背を向ける。全方位の楽器に指示を与えるために。

二人は背を向ける。見える景色が違ったから。

二人は背を向ける。向かい合う方法を忘れたから。











「お腹減って死んじゃうよ!!!!」

叫んだら空っぽの胃がキリキリ痛んだ。

極悪非道のヴィルヘルム様が起き抜けの私に言ったのだ。
人間が生活出来る設備も食料もない、と。
聞き返す間もなく主のヴィルヘルム様は城の外へお出かけなさってしまって。

魔族は物を摂取しなくても生きていけるが人間である私には不可能だ。
人間と魔族という種族差は同居にはあまり向かないようである。
なんて、神と住んでいた私が思うのもおかしい話ではあるが。

「ちょっとー。誰かいる?」

手を叩くと、ヴィルヘルムの城に住み着く大小の魔族が私の元に集う。
本当は手なんて叩かなくとも来てくれるのだが、なんとなく音をたてる方が魔族も判別しやすいのではなかろうかと思ってしている。

「……人間が食べられるご飯って、どこにある?」

異形の魔族たちがざわめいている。
魔族からすれば人間の食べ物なんて判らないか。
以前私が食べていたような、と聞いても彼らは判らないだろう。
低級魔族というものは知能も低いようで、記憶力もないし、難しいことも理解できないのだ。

「えっと、いいや。ごめんね、人間のことなんて聞いて」

集う手間をかけさせたことを笑って誤魔化すと、魔族たちはさっさと散っていった。
誰一人残ってあげようと思う者がいないのが残念である。
彼らにも彼らなりの生活があるだろうし、しょうがない。



私は一度黒ちゃんの家に戻ることにした。
家の中はしんと静まり返っていて、勿論の事ながら部屋の電気も消えている。
歩きながら念じて部屋の明かりを点けていき、私は真っ直ぐ台所へ向かった。
目当ては冷蔵庫。中には嬉しいことに中には食材が残っていた。
私は手早く調理を済ませて、早々に腹に収めていく。

食べ終えて一息吐きながら見回した。
一つの机、がらんと空いた向かいの椅子が一つ。
いつもならそこにいるはずの人を思うと、いても立ってもいられなくなり、食器を洗った。

そして私は、黒ちゃんの部屋の扉に手をかけた。
部屋の中はあっさりとしていて何もない。
今日は重力がある普通の部屋で良かった。
この部屋は黒ちゃんの気分で大きさも温度も家具も変わるので、私一人が入るにはやっかいなのだ。

唯一置かれた家具であるベッドに腰掛ける。
私はそのまま横たわり、布団に包まれて、大きく息を吸った。
黒ちゃんの匂いで肺が満たされていく。
良い匂い。安心する香り。私を優しく包んでくれる。

安堵と同時に、一粒涙が零れた。
泣いても黒ちゃんは帰ってこない。私は涙を拭った。
元の生活に戻るために、私は何をすればいいのかを考えるのだ。

まず不可解なことを全てクリアにしていこう。

一番不思議なのは、人間である私と、生物嫌いの黒神が何故同居することになったのか。
黒ちゃんの生物嫌いは相当なものだ。普段はあまり感じないが、会話の所々に棘が生えている。
自分が"黒神"であることを憎み、恨み、そして、自分を追いやった生物を殺したいと願う。
だというのに、私は傍にいさせてもらえているのはおかしい。
多分何かあったのだ。失った記憶がそれを知っている。

その手がかりを探すため、私は黒ちゃんの部屋を勝手に探ることにした。
とは言え、今のこの部屋にはベッドしかない。
昨日私の服を取り出す時、壁から取り出していたことを思い出す。
私も真似てみたが何の引き出しも現れなかった。
きっと黒ちゃんの命令でなければ開かないようになっているのだろう。
こんな細工をしているということは、探られる危険性を感じていたのかもしれない。

となると、手がかりはゼロだ。別の方法を探ろう。
今後の作業をやりやすくするためにも、拠点を完全にヴィルヘルムの城に移行する。
私は自室に帰り、鞄に服を詰め込む作業に取り掛かった。
ヴィルヘルムの城には大量の使用人服があるが、当然下着まではないのでそれらを中心に詰め込む。
あとは城というものは冷えるので、上着や暖かな靴下も忘れずに。
一通り詰め込んで一息ついた後、ベッドに投げ出されていた服に目がいった。

昨日着ていたあの一回り小さな服。
手に取り広げるが、やはりおかしなところはない。
しかし、執拗に影ちゃんは気にしていたことが頭から離れない。
私は既にぱんぱんになっている鞄に無理やりそれを押し込むと、黒ちゃんの家を後にした。

ヴィルヘルムの城の自室(仮)に帰ってきて、やることは一つだ。
小さな服を取り出すと、それを抱き締め、強く願った。





────この服に眠る記憶を私に開示せよ













「適当に見繕った。好きにするといい」

真っ暗な中、声が聞こえた。
少し間をおいて"私"が揺れる。物音が四方八方から立てられていて、少々耳が痛い。
段々と視界が明るくなっていき、電灯が目に入ると同時に、私の顔がひょっこりと現れた。
驚いた顔をして、"私"を中から取り出した。くるくると回転させる。

「……黒神さん。有難う御座います。でも、こんな高そうな」
「気に入らないなら、着なくて良い」
「い、いえ、そんな。あの、本当に有難う御座います」
「ふん」

私は"私"を抱き締めると、自室へ入って服を脱ぎ散らかし、"私"を着た。
部屋を飛び出し、先程からずっとデスクを睨みつける黒ちゃんに躊躇いながらも、尋ねる。

「あの、どうですか……?」

黒ちゃんはデスクから目を外してちらっとだけ私を見る。

「……。別に」

短くそう言うと、椅子を回転させ背を向けた。
私が下を向いたのが判る。ショックだったのだろう。

「……マスター……」

影ちゃんもまた、遠慮がちな声を上げた。
さっきから、登場人物が恐る恐るしか言葉を発しない。

「チッ。似合ってるよ。凄く。また買ってやる!」

立ち上がった黒ちゃんは自室の扉を叩きつけながら入った。
リビングに残された私と影ちゃんは顔を見合わせ、お互いに変な顔をする。

なんとぎこちない関係なのだろう。
これが私達の過去だというのが信じられない。
黒ちゃんは怖いし、影ちゃんの言葉も機械の言葉のように硬いし、私はずっとびくびくしてるし。





あ、次の場面だ。





「黒ちゃん……」

私が躊躇いがちに黒ちゃんに抱きついた。
身体は浮かせていて全然接触していない。少しだけ服を握り締めただけ。

「ど、どうした?」
「ごめんなさい!」

さっと手を離し、何度も頭を下げる。

「こんなこと駄目でしたよね。ごめんなさい」
「いやいやいや、そんなことはない!」

黒ちゃんが手を伸ばす。しかし、その手はなかなか私を捕まえない。
手を引いたり、伸ばしたりを何度か繰り返し、ようやく私、──の服を掴んだ。

「ただ、驚いただけだ。本当だ。信じて欲しい」

にわかには信じ難い光景だ。
……もはや、そっくりさんを見ているように思ってしまう。
ただ、呼び名がさん付けからあだ名に変化している。
少しはぎこちなさが取れたことにほっとした。





もう、次の場面だ。





「よっ」

MZDだ。やはり、黒ちゃんと同様に外見は一切変わらない。
神出鬼没の現れ方も一緒だ。

「ひっ」

私は顔を引きつらせ、小さな悲鳴を上げると黒ちゃんの後ろに隠れた。

「この空間に入ってくんじゃねぇよ。に悪影響なんだよ。
 テメェは地上で自分で創った生物どもとよろしくやってろ」

黒ちゃんは吐き捨てる。その言いぶりにまた震える私。

「……そう言うけど、お前来てくんないじゃん?
 オレに会いたくないのは判ってるけどさ、話す必要がある時もあるわけで……」
「面倒な。テメェなんかと二度と会わずに済むようなシステムにすりゃいいものを」

怖かったので、この記憶は早々に閉じた。
怖い方の黒ちゃん。しかも今まで見た中で一番怖い。
MZDに対してあんなに邪険だなんて、唖然とする。
確かに黒ちゃんはMZDに対して適当な対応が目立ってはいた。
冷たいことを言っていても、なんだかんだでMZDのことを好きなんだろうと思っていたが、
その認識は間違いかもしれない。
多分、この時点では、本当にMZDのことが嫌いだ。

それって、もしかして、私がいるから、だろうか。
私が恐がってるから、だから黒ちゃんは私を庇って……。





次いこう。もっといい場面はないのだろうか。
三人で和やかに過ごす場面とか。





……。っく……」

"私"が黒ちゃんに抱きしめられていた。
強い抱擁。苦しく痛いまでの。

、どうして、どうしてなんだよ!!」

咽び泣いている。感情を一切隠すことなく、吐露している。
どうして泣いているんだろう。
私と喧嘩でもしたんだろうか。

泣かないで。

抱き締めたい。涙を拭って、慰めてあげたい。
したいのに"私"は動けない。
大好きな人が泣いているのに何も出来ない。

お願い、早く気づいて。
"私"じゃ、あの人を助けてあげられない。

お願い。早く。

ねぇ、何処に行っちゃったの?
泣いてるこの人を置いて。


わたし は どこ ?








!」

────はっとした。

「何をしていた」

何をしていたんだっけ。

「意識がまだそっちにあるのか。これだから未熟な人間は……」

何言ってるんだろう。

「私がわかるか。声に出せ」

綺麗な顔。すっと通った鼻筋。吸い込まれるような綺麗な紅い目。
同じく紅い、燃えるような赤髪を持つ方は。

「ヴィ、ル、ヘルム……?」
「そうだ。貴様の名は」

わたし。私。私?

「……?」

ヴィルヘルムさんは頷かれた。私、ちゃんと問いに答えることが出来たんだ。

「家族構成は」

家族。家族の数。家族って。

「……いない」

私は一人だ。

「黒神を忘れるとは貴様もなかなかに薄情な女だな。
 私の好みではあるぞ」

くすりくすりと彼は笑う。間違えたようだ。
黒神を忘れている。黒神。黒神……。

確か……。

「黒神、影、それに別宅にMZD……」
「もう一度聞く。私の名は?その他の情報も加えて説明しろ」
「ヴィルヘルム」

目の前の彼はヴィルヘルム。

「……魔族」

魔族のヴィルヘルム。偉そうで意地悪で。

「嫌いだけど、好きな人」

すき。偶に見せる優しさが。好きなの。嫌いだけど。

「そう……ヴィルだ。そうだよ、ヴィルだよ!」
「ようやく戻ってきたか。手間をかけさせるな」

ようやく頭の中がはっきりとしてきた。
私、服の記憶に飲み込まれてたのだ。
記憶の中の出来事がぐっと心を掴んで離れなくて。
出来ないのに干渉しようとするなんて、深入りする真似を見せたのが間違いだった。
予想だけれどヴィルが呼んでくれなければ、ずっとあの世界に取り残されてたのだろう。

「ありがとう。ヴィルがって呼んでくれなかったら、私」
「私は貴様の名なんぞ呼んでいない」

私はてっきりヴィルが私を呼んでくれたのだと思っていた。
夢心地の中、私の名が聞こえたような気がしていたのだが。

「そんなことはどうでもいい。貴様は何をして何を得た」

私は抱き締めていた服をヴィルに見せた。

「……これ、影ちゃんが気にしてて、だからこの服の記憶を読んでたの」
「やはりそうか。して、収穫は」
「……黒ちゃんと、もう少し小さい私がいた……。
 黒ちゃん、今と全然違うの。あまり優しくなくて、ちょっと怖くて」
「他」

まだ話の途中だというのにばっさり切るとは。
気を取り直して、私は別のことを教えた。

「MZDとね、仲良くなかった。凄い嫌ってた。私もMZDのこと怖がってたみたいだった」

もういいと言わんばかりに、ヴィルは首を振った。
まだ感想はたくさんあるのだが、これ以上は聞いてくれそうにない。

「有益なものは何もないな」
「私が黒ちゃんと出会ったその時の服があれば、全部分かるんだろうけど……」

ここである違和感を覚えた。

「私は自分の記憶を取り戻そうとしてるだけだから、
 ヴィルの利益になりそうなことは全然ないと思うよ?
 それに外出してなかったっけ?」

そこまで考えなしに発言したことを後悔した。
ヴィルヘルムの身体から魔力が溢れてる。
どんな攻撃がきてもいいように私は防御体制をとった。

しばらく緊張状態が続いたが、ヴィルヘルムは息を吐くと魔力を拡散させた。
攻撃する気を失ってくれたようだ。

「記憶を探す目的は」
「元の生活に戻ること。黒ちゃんと仲直りしたいの。あとMZDとも」
「くだらん」

思わずカチンとくるが耐える。怒ったって無意味だ。
ヴィルに私の生活なんて関係ないのだから。この言いぶりもしょうがない。

「しかし、私も貴様の正体には興味がある。
 死神が唯一傍に置く存在。双神を惑わせた、世界が持て余す存在」

こつりと鼻を指で弾いた。洒落だろうか。鼻つまみ者という。

「貴様が地上から消えたことで、何の影響を与えた?」

そう言って闇と同化していった。
丁度行き詰っているところにヒントをくれるとは。
わざわざこんなことを言うなんて、よっぽど私の過去に興味あるらしい。

とは言え、その理由はきっとろくでもないんだろう。
黒ちゃんの弱味を握りたいとか、私を利用したいとか。

どんな思惑があるかは現時点では不明だが、指針を示してくれたことには素直に感謝しよう。




想像しよう。
地上から人間が消えたらどんな影響があるか。

子供が消えたら、普通は家族が気付きそのまま周囲に尋ねて行方を調べたり、警察に連絡するだろう。
もしも、その子供が学校のような大量の人間と関わるところに所属する身であれば、
そのコミュニティー内でも話題になるだろう。
事件性があるとなれば、マスメディアの手によって報道される。

ここまで考えて、ようやくヴィルヘルムの意図に気付いた。
そこから探れということだ。黒ちゃんと出会う前の私を。

警察署に行けば行方不明者が判るだろうか。それとも役所か。
まずは市民の味方である警察から訪ねてみようと思う。
私は町にある交番ではなく、威圧感を放っている大きな警察署へ足を運んだ。
犯罪を犯したわけではないが、普段縁が無いために緊張する。

私は人目の無い物影に移動すると、身体を透明にしスーツを着込んだ大人の中に足を踏み入れた。
皆忙しなく仕事をしているので、ぶつからないように歩くことが困難だ。
それに部屋数が多い。部屋には名前がちゃんと書いてあるのだが、文字の後ろには数字がついており、より一層混乱を招いた。
これは一人で探るのは不可能であると判断し、一旦外へ出ることにした。

姿を現実に現し、署内を出入りする大人にターゲットを定めた。
判らないのだから聞くしかない。悪いことを企んでいるわけではないのだから、聞いたって問題ないだろう。

私は入り口から少し離れた歩道から出入りする人を観察した。
何故だか行き来する人間は、怖そうなおじさんばかり。
優しそうな人が来たら話しかけようと思っていたら、二十数人スルーする羽目になった。
これでは拉致があかない。

次に来た人間がどのような外見であろうと、絶対に話しかけよう、絶対に。
何度も何度も、強く自分に言い聞かせた。
そして静かに目を瞑り、入り口に突撃した。
望み通り誰かにぶつかることとが出来、即目を開けた。

「こんなところでみだりに走るな。気をつけろ」

思わず固まってしまった。
大きなサングラスをつけ、きっちりとスーツを着込んだ男性。
いかにも怖そうで、厳しそうな人。
ハズレだ。よりにもよって私が怖いと思う要素ばかりを兼ね備えた人に。

「あ、あの……ご、ごめんなさい」

もしかして即逮捕なんてことも有り得るのだろうか。

「あ、あの、あの、あ、う、う、あ」

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

「つ、次は気をつけるんだ。今日のことはいいから」

怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い

「あ、あのあの、わた、私、よう、よよよ用がある。あってあのだからあの」
「落ち着け」

しゃがんでくれた。
しかしそのせいで恐い顔がさらに私に近づいた。

「あ、の、ゆ、ゆくえ、ふめいの、あの、」
「行方不明!?」

がしっと両肩を掴まれる。
そのせいで、ギリギリで堰き止めていたものがとうとう氾濫した。
涙の大洪水。人目なんて気にせず、私は子供みたいに声をあげて泣き喚いた。
警察署前で大泣きする、見た目小学生の中身高校生に相手も相当驚いたのだろう。


「うまいか?」
「はい……美味しいです」
「……良かった」

今、私は喫茶店でパフェをご馳走になっている。
子供は甘いお菓子が好きだろうという安直さが透けて見える。
あまり子供の相手は得意ではないのかもしれない。

「お嬢ちゃんは、小学生くらいかな?」

恥ずかしいくらいに大泣きした手前、高校生ですとは言えなかった。

「そうです。四年生なの」
「ああ、そうか。最近の子は少し大きいんだな」

六年生くらいの方が良かっただろうか。
サングラスで表情がよく判らないが、怪しんでいる様子はない。
堂々としていれば問題はないだろう。

「で、さっきの話、何を言いたかったんだい?」
「あのね、おじさんは警察の人だよね?」
「ああ、刑事だ。スーツと言う。お嬢ちゃんは」
「私はと申します。」

偽名を用いるべきだったかと、言ってから気付いた。
終わったことを悔やんだりせず、突き進むしかない。

「私ね、今、私を探してるの」

隙の無い姿に似合わず、ぽかーんとしてる。
おかしな子と思われる前に詳細を説明していく。

「私、記憶がないんです。それで一人になって。
 だから、家人が私の捜索願を出していないかと思って、警察の方に聞きたくて……」
「今は誰と?」

黒ちゃんのことは伏せておく方がいいだろう。
ただ、連絡されても困るのである程度は本当のことを言う必要がある。

「……MZDという名の」
「ああ、あの神か」

さすがMZDだ。名前を言うだけで誰だか判ってもらえるなんて。
なら余計なことを言わず、このままでいこう。

「つまり君は最近MZDによって保護されたということでいいのか」
「いえ。最近じゃないと思います……記憶が無いから、いつ保護されたかもわからないんです。
 一年は前のことだと思うんですが……」
「一年?ならでは、何故今、ここを訪ねてきたんだ?」

どきっとする。スーツさんの視線が蛇のように私の身体を這いずっている。
小さな動作を見逃さないように。探っている。
落ち着け。私は悪いことはしてないんだから。

「記憶に目を向けること。それは面倒をみてくれるMZDに失礼だと思ってきました。
 でも、私、どうしても気になって……。足元が覚束ないんです。
 私だけ、何もないんです。私がちゃんと持っているっていう物が、一切ないんです!」

本心だった。
私には何もない。兄弟神と関わっていると、疎外感を感じた。

「なるほど。事情は判った」

スーツさんの答えを私は聞き逃すまいと、恐怖を感じながらも真っ直ぐ見つめた。

「すぐに調べられるから署までついておいで」
「はい!有難う御座います!」

これで一安心だ。席を立とうと思ったが、目の前の器を思い出した。
まだ半分も残っている。急いで食べなければ。

「そんなに急がなくていい」

そう言われたって待たせるわけにはいかない。行儀は悪いが大口で食べていった。
会計はスーツさんが行ってくれた。何度もお礼を言って一緒に警察署へ向かう。




「君の名前は無かった」
「そうですか……」

署内の椅子に座って待っていた私に、スーツさんは言った。
私の思惑は空振りのようだ。行方不明者に私はいない。

スーツさんは向かいの椅子に座った。

「君には悪いが予想はしていた。
 もしも届けが出されているのならばMZDが家族と君を引き合わせるだろう。
 長期間預かっているということは、
 一に親類の死亡、二に引き合わせられない事情があると想像する」

どっちだろう。

「君の戸籍を調べよう。それで両親の有無は判る。こちらは少し時間がかかる。後日会おう。
 連絡先を教えてもらえるかな」
「連絡先ない……です」

携帯電話という現代人必須アイテムを私は所持していない。
更に魔族のヴィルの城にも電話という文明の利器はない。

「困ったな。では、明日一度会おう。その時に進捗状況を説明する。
「判りました」

私は小学生らしく小指を差し出した。
スーツさんは戸惑いを見せたが、ごつごつとした小指を絡めてくれる。
にこりと笑むとすっと指を引き抜かれた。大人の男性じゃこんなの恥ずかしくてしょうがないか。
そう思うと、サングラスで恐いおじさんが、少し可愛く思えた。






次の日、私は約束通りの時間に署を訪れた。

「調べ終えた。骨が折れたぞ。生年と親の死亡で絞ったとは言え、多かったからな」

しまった。嘘を吐いたのが裏目に出た。
生誕の年でふるいにかけたのでは正確な情報は得られない。

「君の名前は無かった。とすると、君には親はいるが、何か理由があって引き合わせていないのだろう」
「そうですか……」

今更本当のことは言えない。調べるの大変だったろうに。

「もう大丈夫です。……有難う御座います」
「いいのか。親を調べなくて。記憶を探りたいのだろう」
「……少し、一人で考えたいんです」
「そうか」

スーツさんには何度も謝辞を述べて別れた。
自分の仕事もあるのに、私の我儘を聞いてくれた。
とてもいい人だった。見た目で怖がり大泣きしたことが申し訳がない。

────そして、もう一つ。
申し訳ないことをさせてもらうこと。
どうか許して欲しい。


スーツさんがご馳走してくれた喫茶店に着いてから、私は辺りの時間を巻き戻した。
人間や物がものすごい速度で逆に動いていく。
私はスーツさんが喫茶店を出たところで止め、時間を動かした。
署に戻るスーツさんの後を追う。

過去に干渉出来ない私は堂々と署内に入っていく。
スーツさんは同じ職場で働く人達と会話した後、パソコンに向かった。
ハイテクマシンを操るスーツさんに憧れを抱きながらも、そのやり方をメモ帳に書き留めていく。
スーツさんが作業を終えるまでメモすると、今度は元の時間軸に戻って夜を待った。

透明な身体になった私は、あの時スーツさんが作業していた部屋に転移する。
部屋の中に作業する署員はいない。
ならば、次の作業だ。

こういうところには、大体監視カメラというものあるのだと、私はテレビで知っている。
私は周囲の映像記録機械の類いを探ってみた。
誰かの視線を手繰ることを意識すると、知らない人間と目が合う。
私はそのレンズを搭載する機械への干渉を試みた。

今の映像を映し続けろと。何があろうと決して真実を映すなと。

試しに机の上にあった紙に息を吹きかけてみる。
レンズ越しの誰かの瞳の中を覗き込むが、今いる部屋では物が一切動いていない。
成功だ。機械にも干渉可能とはこの力はやっぱり凄い。

私はメモを参考にしながら、自分のデータを調べた。
誕生日はないので生まれた年と名前だけでしか絞れる条件がない。
データは膨大だ。これを調べてくれたなんてスーツさんには心底感謝する。
改めてお礼をする必要があるだろう。

私は暗闇の中、画面の怪しげな光に照らされながら自分を探し続けた。
結果として、私は行方不明者の中にも、両親と死に別れた孤児の中にもいなかった。

となると、両親存命で探さなければならないのだが、これは無理だ。
親が存命のという十七の子供なんて溢れてる程存在する。
加えてデータには画像はないので、それが私であると判断することが出来ないのだ。

完全に行き詰まってしまった私は、一旦城内へ転移した。
力を使いすぎたせいで身体も頭も重い。
私はベッドに吸い寄せられていき、四肢を投げた。
気持ち良い。今すぐにでも寝られそうだ。

そんな中が無遠慮に入ってくる者がいる。

「成果は」
「駄目だったよ……」
「全く、使えん娘だ」

わざわざ悪く言わなくても良いだろうに。
手詰まりの状態でそう言われると苛々してくる。

「別に……ヴィルには関係ないじゃん」
「所有物の管理は当然のことだろう」
「物扱いしないでよ」

疲れてる時に気に障る事ばかりを選択するその神経が理解出来ない。
魔族といっても、ヴィルヘルムレベルならば、人間の感情だって正しく理解出来るというのに。
駄目押しで私の感情を視認することが出来るくせに。
いい加減してもらいたい。。

「貴様が物以外の何だというのだ。黒神の愛玩人形。愛妾でしかない貴様に」
「……あいしょう?」
「妾だ。その身体の鬱血がそれを物語っている」

思わず身体を抱いた。
何故ヴィルヘルムはそのことを知っているのだ。
黒ちゃんは見えるところには赤い印はつけなかったはず。
ヴィルが判るということは、学校でもバレてしたのだろうか。
こんなこと、誰にも知られたくなかったのに。

「意思なく、ただ他人に従うだけの貴様はただの人形。
 よって、今の所有者である私にひれ伏せ」
「そこまで言わなくたって良いでしょ!」
「周囲の意向に沿うだけの小娘が小賢しい。
 力の無い貴様は何も出来ん。いちいち騒ぐな」

無理。限界。同じ空間にいることが苦痛だ。
出て行ってと言っても、どうせ自分の城だからというのだろう。
だから私の方から、城内の別の場所に転移した。
なのに、何故かヴィルがそこにいた。

「図星をさされ何故怒る。愛玩人形の分際で。
 MZDに多大なダメージを与え、死神から逃げておいて」





────世界が 割れる 音がした





「ヴィルヘルムの、ばーーーーーか!!!!」

私は確固たる意志を持って、目の前のヴィルヘルムを攻撃した。
黒ちゃんが以前ヴィルヘルムに対して使った力を見様見真似で具体化し、
高圧エネルギーをぶつけたのだ。
城に大きく穴が開いたがそのような事はどうでもいい。

ヴィルヘルムの事だから、突然私が攻撃したところで避けているに違いない。
私は続けざまに光球を放つと、確実にヴィルヘルムに当たれという命令をそれらに下す。
精度が足りないと、ヴィルヘルムによ言われたものだ。
まさかヴィルヘルムも己のアドバイスによって危機に瀕するとは想像もしなかっただろう。
それでいい。偶には人の痛みを知り反省することも必要だ。

周囲を警戒していると後方斜めの方向から生体を感じた。
こちらが気づかぬふりをしていると、真横からヴィルヘルムが私に襲いかかった。
どんなに魔力を練ろうと無意味だ。私には絶対届かない。
ヴィルヘルムの攻撃を、私は容易く無効化した。

所詮魔族の力では、神の力には勝てない。

使用者が人間であっても、有する能力には大きすぎる差がある。
そして私がこの力を使いこなすための練習風景を一番見ていたのは、ヴィルヘルムだ。
ならば力量さも承知しているはず。
それでいて人を怒らせ、逆にやられる事になるとは、正直哀れである。

そもそも、私たち三人がおかしな事になった発端はヴィルヘルムによる仕掛けだ。
私はあまりそれを責めずにいた。
どうせいつもの気紛れなのだから、目くじらを立ててもしょうがないと思った。
だから黒ちゃんからも庇っていたのだ。
それなのに……。

私は首を未だ締め付ける拘束をヴィルヘルムにも見えるように可視状態にした。

「……これ。壊したら私もヴィルも死んじゃうの?」

私は出現したシルクリボンを強く掴んだ。

「どうせ元の生活に戻れないのなら、いっそヴィルヘルムを道連れにしてやるんだから」

破壊を願う、その前に。

「痛くないようにってだけは、祈っておくから」

私の首を、比喩的にも実際にも締め続けていた拘束は、力を込めると容易く弾けた。
最後に思うのは、私という不純物を失った二人の神が、仲の良い兄弟に戻ってくれますようにと。



そして、ごめんなさい、─────と。




(12/11/16)